■ これは私です…
暴力をふるう父、あるいは世間の荒波から、母や弟、妹を守りたいと思って大きくなりました…
実際には、守れず、あるいは、守るべきでもなく、その思いはただ、罪悪感、挫折感になっているだけですが。
クライミングでは、私にはなかった子供時代を再演できた。
しかし、もうクライミングが必要ではなくなったのではないか?
と思っています…。
■ 馬に惹かれる=強い者に守られたいという気持ち
私は馬になぜか惹かれるので…たぶん、フィジカルが弱い少女がボディガードのような強い猛獣を従えている、つまり、騎士道精神の男性に女性として守られている、という女性の基本的な”心理的安全”が、九州のクライミングでは、確保できず、
山岳会Aを頼ってはその技術の無さにビビり、山岳会Bを頼っては、イケイケの山行に驚愕し、山岳会Cを頼っては登れる俺誤解にビックリ仰天し、ベテランを頼っては、年齢には人は勝てないことを確信し、消去法で相方…と登っては、やっぱりお前もか…ということで、
クライミングは一人で行ってはならない
というAIですら、当然と考える不文律が、実際には自分の身を守るどころか、逆に自分の身を危険にさらす結果になっている…
という経験が溜まってしまいました…(涙)。どの会も、どの男性クライマーも、私が寄せた信頼には、答えられない感じでした。
これは、私が作り出している現実なんですかね? そうじゃないような気がするんですが…。
なんせ、海外では、私は別に態度を変えていないですが、普通に登れる。
最後は、最低限、怪我をしたときの友情という保険にすら、ならなかった。(一人でいたらすぐ帰ることができたのに、二日も医者にかかるのが遅れた上、怪我した足で自分で運転して帰った)
■ 九州の男性…弱い男性…には求められない
心に傷を負った少女というのは、まさに私のことなので、私はどうやって自分の心の傷をいやして行けばいいのだろうか?
というのが、私の人生において、テーマです。
共依存という落とし穴が大きく、男性はどうしても、共依存関係が好き、というかちゃっかり、それに便乗しようとします。
九州では、往年クライマーが、「俺らはまだちゃんとしてるクライマーだ」ということを自己確認するために、大ランナウトした簡単ルートが温存され、インスボンですらボルト整備されて現代クライミングに適した形に整備されつつある現代から、取り残されることになっています… それもこれも、俺ってまだまだかっこいい、と言うために、ダメな新人クライマーが必要ってだけです。
いや~、歪んだ精神構造だ。
このような歪んだ精神構造が九州では特に強いのは、なぜなんだろう?
自分の男性性に自信がないから?
小山田大さんくらいしか、真に現代クライミングで価値がある記録を出していないと思いますが…後に続く若い人が、ぜんぜん出ない…。
それは彼ら自身がクリアしていくべき課題ですね。男の人が男らしさに自己価値を与えようとすると、それは自分の首を絞めることになるんではないですかね?
というのは、思いつくトップクライマーで、俺は男だ!みたいな主張の人いないからですが。クライミングするのに、男性性を強調するって、あんまり必要ないしなぁ…
クライミングってもっと繊細ですよね。
■わすれな草農園
https://forgetmenotfarm.org/
わすれな草農園は、虐待やネグレクトにあって、傷ついた子供たちが、同じように人から傷つけられた動物たちの世話をすることを通して、心の回復を図る農園です。
私の生育歴の場合は、単純に、子供には母親役も父親役も務められないものだし、基本的に子供であるという権利が保障されずに、大人になった、ということですね。物理的に大人が不足していました。
そんな中では私は比較的まっすぐ育ちました。弟や妹と比べると。
何が良かったか?というと、信仰、かな…。
木をお手本にして、「あの木のようにどんなに風が強く吹いても揺らがぬようでいよう」と思って毎日通学していました。
なので、私の人生の基調…ベースとなる感情は
やり過ごす
です。やり過ごす、というのは、今を生きていない。
今はダメだけど、未来はいい、という観念が背景にあります。
■ いつの間にか、今はいいけど、未来が暗そう…という社会になった
私が子供時代に、今はやり過ごして大人になったら自分の人生を生きよう!と思っていたら、世間の方はバブル崩壊し、今こそ楽しむとき!というのは終わってしまい、失われた10年どころか、失われた30年になってしまったようです。
が、30年経ったら、世界はいきなり超進化路線みたいですよ(笑)?
女性差別も著しく減り、男性も男性の役割を期待されることなく、LGBTもいじめを受けることはなく、世界が進化している。
そんな中で、動物との付き合いも、昔よりは進化しているのではないか?と思います。
■ 心の友は、騎士道は、馬からもらうものかも
九州の男性は、男性性に苦しんでいる…俺は男だ!と男性性を命知らずを実践することで示したい!ので、他の人に愛を渡すとか、友情を渡す、自分より弱きもの、小さきものを愛す、というような精神発達段階にないかもしれません…
満たされた人しか他の人に渡すことができないからです。みんながみんな愛情飢餓、ストローク飢餓っぽい感じです。
たぶん、それが私の父が子供三人を捨てて、東京に出て自分の成功を選んだ理由だと思います。
弟と妹を母に孕ませず、私だけにしておけばよかったのに…。
私は長女ですし、女の子なので、たぶん覚えていないですが、幼少期はお父さん子だったのではないか?と思います。
ですので、母は、子供を一人で育てる代償に、子供たちからの100%の愛を貰いたいと思い、父は悪者、とならざるを得なくなりました。実際ホントに悪いですし…。
私は、と言えば、成長期に必要な父性というのは、大体は学校で得たようです。私は熊本高校の出身ですが、それは、小学生のころの担任の先生が、熊本高校卒だからです。
父親的なものは、自己調達してきた。
同じように、クライミングで、自己調達しようとすると、なんと性を対価に差し出すように要求されることが多く、面食らいます。
男性は、男性と登る場合は、相互に保険となると考えるらしいですが、女性と登る場合は、そう考えないみたいで、性を対価に要求されなくても、自分の召使扱い、を期待されます。
それらは、現代クライミングの在り方…上下関係がない普通のフリークライミング…だって、ビレイヤーがいなければクライマーは登れませんよねぇ?だから、クライマーとビレイヤーは対等ですけど?
と全く相いれない思想です。クライミングだけのことを考えても、リードするほうが結局は楽しいので、リードクライマーがビレイヤーに対して一方的に不利、と言えないし、トップロープで登るのは、登らせてもらう、というほどの大きな恩ではない。自分がリードで楽しんだ後の余禄で、そのためになんらの追加努力を要しているわけではないからです。
しかも、私は最初っからリードしてきていますし。
ので、これは、私自身が、登りたいという弱みに単純に付け込まれ、むしり取られている、という現象なのではないでしょうかね???
だとしたら、ですが、そのような場からは立ち去る、というのがベストな解だと思われます。
この本を読む限り、人間の男性は女性を十分愛することができない場合が多いので、頼りにするなら、動物を頼りにするのが正しいことのような気がします。
私は動物を飼ったことがないので、まだ自信がないですが、黒のラブラドールのゲイブは確かに、私を守ってあげようという気持で、脇にいたなぁ… モラガにいたころ…。
あの感覚を生きれる場を捜すべきかもしれません。