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2022/04/25

男子のガラスのハート

■ ボルダラー事例

しばらく前に、3級しか登れないボルダラー君が2段をノーマットで登るとか言うんで、2段をノーマットで登れる実力というのは、マットアリなら4段、5段が登れるという意味だと知らないんではないかと思った…

日之影ボルダーと言えば、小山田さんが開拓の話をアップしてくれている。ので、そういうのを見ていたら、マットこうやって敷くんだな~とか、色々周辺の情報が拾えるものだと思うんだが…

そういうのを、「えー、どうせ取り巻きやら何やらがうようよいるんでしょ」とか言うのである。

…。

そんなの見たことないぞ?

つまり、ジェラシーで狂いそうになるから、見ないという意味なのだろう…。

なので上級クライマーが成果を発表すればするほど、正しい知識から一般クライマーは遠のいて行ってしまい、グレードだけを求めるようになってしまう。

突き詰めると、誰が一番強いか競争を、誰だって勝てないよ~なレベルの相手にすら、してしまって、それを自分の力では、手放すことができないでいる…惑業苦にハマっている…のが、並みの男性クライマー君なのだろう、と想像ができる。

だって小山田さんですよ?対抗するほうがアホらしいのでは…?

トップクライマーの投稿を見ないのはいいけど、

含まれる役立つ情報、まで捨てている

ので、

ノーマットで登る、ということの解釈が、てんでさかさま

になってしまっているのである。3級しか登れない俺が2段をノーマットで登ったら、みんなが愛してくれるだろう、と思ってしまうってこと…。

なんでこうなるか?というと?? 羨ましい心、を捨てれないからだろう…。

■ 繋ぐ壁

知り合いのクライマーに、「繋ぐ壁、良かったよ!」と言ったら、見る前から、世界クラスクライマーの自慢話だろうと予見して

ーーーーーーーーー

いや、ジャンボ&倉上の屋久島話を聞くといたたまれなくなりそうなので、情報シャットダウンしてます

ーーーーーーーーー

とのこと… 

またもや、男子のガラスのハートを感じた瞬間でした…

繋ぐ壁って、5.3の壁のことなんですよね(笑)

彼は屋久島でローカルの人に、ばかにされた経験から、見返そうと頑張っていますが…別にもういいんじゃないかと思うんですが…。

なんせ、私の知る限り、彼のほうが世界でトップクラスの人たちと登っており、すでに実力自体も上なんで…。

しょうもないエゴのぶつかり合いにそこまでこだわらなくてもいいと思ったりしました…

俺のほうがスゴイというドラミング活動に、こだわって勝たなくても…もうとっくに勝っている。

私自身は、グレードを上げるために登れ、というのにどうしてもなじめず、九州では全然クライミングやる気になれない。それどころか、シラケ切っています。

あのヒドイ 白亜スラブ以来…自分のために岸良クラックは行きましたが、私の登攀を手伝ってくれる相方は誰もおらず、なんだ都合の良い女扱いされていただけだったんだ、と目が覚めた瞬間でした。

■ 年齢も性別も問わずできるのが、クライミングの良さですよ? 

世界のトップに立った人たちが感じる、

クライミングっていいな♪

っていうのは、私がラオスに行ってクライミングっていいな♪と思ったのと同じ部分ってことです。

誰も 

”トップクライマーにならなきゃ、お前を愛さない!”

とは言っていないのに、一人で勝手に俺だって!と思っているのが、男子なのです…

男子って言っても、50代と30代後半の人ですが、前のパートナーは40代だし、その前は師匠なので60代、その前も50代の人ですから、男性はいつまでたっても、尊敬されるために登っていて、自分のため、つまり楽しいから登っている訳じゃないみたいなんですよね。

なんだかなぁ…。

■ 尊敬されるために登れるヤツになろうとしているのに…

だから私のように、5.9しか登れないのに愛されるクライマーが出てくると…?

ずるーい、ということになるのであろう…

と、想像…女性でも競争心が強い人はそう感じるようです。何度も納得した珍事件でした。

クライマーとして尊敬できるか?とか、そんな基準で自分を計っていると、どんどん弱い自分を許せなくなります。登山もそうでしたが、クライミングは遊びなんですよ? 人生を良くするためにやっているのがクライミング。

自尊心を掛けるから、変なことになります。日本で起こっている毒は、グレード偏重、とそれに紐づいた、ピラミッド式尊敬システム、です。

人は人であるだけで、すべからく存在を肯定されるべき存在です。


ヌンチャクで作る担架

2022/04/18

命は一人一個しかない…きちんとしたクライマーのメンターを持つのが大事

■ 間違いを指摘する

今日の仏教説話は、間違いを指摘されたら、

人格攻撃ではなく、「あなたの言っていることはわかりました」と受け取ろうという話でした。

■ 事例

会の代表者であるような年配クライマーに

「ビレイの立ち位置が間違っていますよ」

「そのビレイは間違っていますよ」

というのは、なかなか難しいです。

どうしても、クライマーは個人攻撃と受け取り勝ちなんですよね。

でも、一人のビレイヤーが2名のクライマーを同時にビレイしていたなんていうトンデモビレイをしていた人って、名門、と言われていた山岳会の重鎮、と言われていた人とかなんです…

支点ビレイとか、もう技術的に大昔過ぎて陳腐化、っていうのもあった。これは、単純に不勉強でついて行っていないということなのでは?

そういう人が、ベテランが多かったというか…調べた人の中では、全員がそう…みたいなことになっていました… 佐賀県の樋口先生以外。

■ 成功事例 樋口先生

樋口先生は、私が山梨時代に登っていた青木さんと同じような感じでした。

ビレイ激まずの年配クライマーとの違いは、もっと若い現役のクライマーできちんとした人との接点を維持しているかいないか?だったように思います…

例えば、日本フリークライミングインストラクター協会の奥村会長が、メンターになっていました。

年配のクライマーはメンターを持っていないのが、問題なような気がします…。

いくら会を率いるような人でも、何もかもが分かっている訳はないので、現代の流れを教えてもらう意味でも、より上級のクライマーと繋がる、というのは必要なことのように思います。

例えば、倉上さんのポットキャストサイトでは、そういうトークが聞けますよね。草野さんとか、ジャンボさんとかの。若い人のを聞いても、自分がすごいことを語っているだけなので、仕方ないと思いますが、一流の人のを聞くのは意味があると思います。

現代の技術と接点が無くなってしまった年配のクライマーは、気の毒と言えば気の毒ですが、いっくら気の毒でも…

クライミングの欠点というか、間違いは、うける側にとっては、自分の命が危険にさらされるということです。

  命は一人一個しかない

ので、

  いいよいいよ、と妥協することは、なかなか難しい

です。

つまり、

 ボロいボルトのルートにリードで登れと言われて、大丈夫、怖くないから落ちれ、

と言われても無理。です。

大事なことは

 外岩では、3ピン目取る以前に気楽な墜落をしてはいけない

 外岩では、登りたくない人にリードを強いてはならない

 外岩では、初心者にリードに適した課題は、下部核心ではないもの

 3回落ちたらハイ交代、などと自分ルールをほかの人に無理強いしてはいけない、

 やるなら合意を取ってから

 長すぎるハングドッグをビレイヤーに強いるものではない、やるなら合意を取ってから

 どんな風に登って成長していきたいかは、クライマー本人が決める…4本10を登ったら、はい次などは強要

 外岩のビレイはインドアのビレイとは別物

です。 なにしろ、男性クライマーは、相手の立場に立つ共感力という意味では、だいぶ女性に劣ります。

2.3mの大男が取れるホールドを取って登り、自分にそれが届かないとしたら、自分の登攀能力が低いから、と思います? 誰も思いませんよね? 

そういう発想力がないです…。一生懸命こちらが間違っていることを証明しようと頑張ってくれますが、基本的に何が怖いかというと、その分かってくれなさ、なので逆効果です。

人の無理解に振り回されて、死んでしまっては、目も当てられませんから、いくらお人よしでもそのようなことはできません…



2022/04/11

希死念慮、恐怖による副腎疲労、トラウマの再発の三重苦

 ■ 最近、やっと自分に起こったことが正しく評価できるようになってきました

これは今日の仏教説話です。


この7つの習慣ならぬ、8つの習慣に倣えば、クライミングといういばらの道も安全に進んでいけるかもしれません。

■ パートナーに殺される可能性

一つの可能性は、当然ですが、ビレイで落とされる、というものです。

別の可能性は、したくないリードを強いられ、したくない墜落をさせられ、落ち方が不味くて、怪我、もしくは事故になる、というものです。

さらに別の可能性は、マルチに行って行動不能となるということ…。事例としては、ロープアップされない。敗退不能。敗退を想定しない、まずい山行計画によるもの。

そのどれも全部が、起きたのでした。

頼りにしている経験豊富なクライマー=一番頼りにならない、という図、でした。

そのプロセスを用心していると思っている中でも、踏まねばならず、しかも、コントロール可能だと思っていたことがコントロール不可能だったので…

■ 恐怖の長期化=副腎疲労=希死念慮

おそらく私は、長年の恐怖による副腎疲労に陥って行ったのだと思います…何しろ、希死念慮が起こるようになっていました。

これはおかしい…と気が付き、どれほど、精神的負担にクライミングがなっていたのか…気が付きました。

というのは、クライミングをしない、行かない、ということに決めたら、かなりスッキリしてきたからです。

膝の怪我が良くならない…ということは、栄養学的な理由以外にも、ありそうでしたが、私の本音としては、本当に、怪我している体で、限界をプッシュする登りを強要されなくなってホッとしたというか…。

■ 子ども時代の再演

誰かの見栄のために、”登れるヤツ”にならないといけないなんて…、親のメンツのために、”成績優秀な子供”を演じさせられて疲れた子供時代の再演、です…。”自分のための人生”なのですから、それだけは避けたい。…のに、コントロールを受ける側に立っていました。まさに再演。

断っておきますが、強要、というのは、言葉で明示されなくても可能です。子供時代も、”良い子にならないと愛さない”と言葉にする親は稀です。そういうことをしなくても、自分の登りたいと言っていないルートを当然のようにロープを渡されるとか、隣のクライマーと比べられて、テンションを入れたら、ため息つかれるとか、はあ?と言われるとか、そういうことが、すべて、強要、なのです。

ただし、そう他者に対してする人は、されてきた人ですから…。相手も気の毒で、これは連鎖なのです。ですので、相手の恐れていることは、意気地なしであるとけなされることです。

■ 弟のこと…見捨てられない

しかも、その構造からもがいても、もがいても、脱出できない…というのは、弟のことがあったからです。

私は若い時に弟を亡くし、弟を守り切れなかったという後悔が残っています…。見捨ててはいけない…みたいな感じ。

さらにその上に、男尊女卑の思想の強固さへの衝撃的な目撃事件が重なりました…どうも、こちらでは、男性は女性が自分の欲求のために人生を捧げることを当然視しているようなのです…。

私自身はどう考えても、夫の食事を作ることが妻の幸せとは思えないし、夫の定年まで自分のしたいことができない人生が妻としての女性としての当然の生き方とは思えないのです。

残念ながら…。というわけなので、クライミングを捨てる以外は、この自己犠牲の道から逃れる方法がないような感じでした。

死をもってして相手に間違いを示すまで、誰も愚かさに気が付かないどころか、たぶん、死をもってしても、気が付かない、そこまでクライマーの死は軽くなっていそうでした。

最近、この構造がすっかり理解できたので、段々と心も軽くなってきました…。いや~恐怖体験でした…誰も私が恐怖で悲鳴を上げているのに、それが分からないどころか、それを笑ってみているのです…。

■ トラウマ

それは… 父親のにやにやした顔です。

3歳のころ父親に”子供は教えなくても泳ぎ方を知っている”という理由で、プールに突き落とされ、溺死しかけた私を見ている父親の顔です… わざと私を瀕死の危機に着き徒としているのに、助けるどころか、にやにやしながら見ているのです…。

まさにこのトラウマの再演が、私の九州クライミングで起きたことです。



2022/03/28

繋ぐ壁…パタゴニア講演会の感想

 ■ ひさりぶりのパタゴニア

昨日は屋久島の開拓報告会で、パタゴニアへ…。店の場所が移転しており、初めにだいぶ慌てた…。ここんところ、全然、都心に用事がないもんなぁ…。行くのは、畑がある糸島方面であり、全く正反対…。

さて、屋久島。ずっと行ってもいいなと思っており、ほとんど無料で宿泊できそうなゲストハウスの目星もついてはいるんだが…

モッチョムの屋久島フリーウェイなどは登りたくはないので…行きたくないよなぁ…と思っていた。クライミングは愉しみであって、トーチャー(苦渋)ではないから、だ。死に行きたい人はいない。大体、ランナウトに燃えるぜ系の岩場では、セカンドでも殺される可能性が…(笑)。意味が分からない人は白亜スラブの記事を読んでください(笑)。

しかし、”繋ぐ壁”は、地元クライマー達との交流でできたご機嫌な岩場のようだった。

世界のクライマーのバカンスにも紹介できそうな、

  クライミングリスクと登攀スキルがマッチした岩場

…ということだ。初心者に過大なリスク…命がけ…を求めないですむ、プロテクション取り放題の緩傾斜の壁…繋ぐ壁…と命名されている…が、倉上慶太さんの一番のお気に入りだ、ということだったので、すごく好感した。

ほんとに、そのレベルでカムセットを覚えなければ、どこで覚えるのだろう…?

いきなり5級からカムで登る羽目に現代クライマーは全員もれなくなるが…教える立場に立つと、やはり、カムのプレースメントが確実になってから、5級へ進んでほしいと思うのが、当然の流れだが、現在の日本では、そのような岩場は、全くない。

(福岡では野北がカムセットで登れる易しい岩場だが、アプローチが懸垂なので、初心者を連れていくのはご法度)

易しい岩場がないと、基本的なクライミングのモチベーションである、てっぺんに登ってヤッホーする、という喜びを入門者に教え損ねる…

その喜びがないと、どうなるか?目先の競争に右往左往させられることになる…

というので、初心者が徐々に傾斜を上げて行って、少しずつ角度がきつくなって行き、それが、てっぺんに登る!という喜びにつながるような…、そんな壁があるそうで、その壁で登れる子供たちは、基本的に大事なこと…競争ではなく、登る喜びや岩との対話…をインストールされて、そのあと、困難度を上げていくわけで、ものすごく、良いクライミングの成長路線だと思う。

余談だが、私自身もそんな風に成長してきたと思う…なんせ、最初は丘レベルの雪山からスタートして、美ヶ原⇒八つ天狗⇒八つ権現⇒赤岳・中央稜⇒鹿島槍鎌尾根⇒立山真砂尾根⇒八つ単独バリエーション⇒アイスバリエーション⇒アイスゲレンデ⇒荒船昇天と進んだからだ。途中で岩と沢をやっている。

だから自然界のリスクを見る、ということに無理がないが…一般クライマーは、このプロセスが全部なく、インドアジムで5級もしくは5.11⇒外岩でランナウトで落ちれない5.9を登る、となっており、全然、間のステップがない…。

始めに山ありきで、段々傾斜をきつくしていくのではなく、最初から被った小さい壁しか登らないから、被っていないところも大きいだけで登れなくなるし、アプローチがこなせない。オーバーハングが登れても、全然歩けない。うんこ処理もできない。山のウエアリングもできない、みたいなことになってしまう…。

そうならないで済むために、取り付ける易しい壁…は、総じて、ボルトが腐った壁になっており…別の意味で初心者にはリードさせられない… ので、勢い、トップロープ祭りになってしまうし…。

この事情は山梨でも同じだったが、クラックがあるので個人の意思次第で回避できた。

が、九州はクラック貧乏なので、トラッドを覚える機会は限られる(が、全然ないとは思えない。油山川がおススメ)

というので、やはり、易しい壁をカムで登る、ということを素通りすると、クライミングのだいご味を味わい損ねる、と思うんだけどなぁ…。

まぁ、倉上さんもボルダーでクライミングをスタートしたそうなので、ボルダラーの人は、また別の喜びがあるのかもしれない…。私はボルダーは、スタートしたとたんに、右ひざ亜脱臼しているので、ほとんど何も分かってはいない。あんまり好きになれないってこと以外は(笑)。

■年配の人は理解できないようだ…

昨日は、つなぐ壁に興味があったのに、屋久島フリークライミング協会の会長さんからは、やっぱり、屋久島フリーウェイに登って帰れと言われ、辟易…。だから、ランナウト大好きの岩場は興味がないんだってば…しかも、開拓者の米澤さんの弁によると、屋久島フリーウェイのボルト、40年前のままで、M8のカットアンカーで、グージョン化されていなかったと思う… そんなところを10代アップアップの人にお勧めされても…。

12cの核心部は打ち換えたそうだが…今のスキルで楽しめるルートか?というと、絶対楽しめないだろう… 12c、下の方で出てきていたと記憶しているし…

それよりも、ジャンボさんがおススメとしていた、原始状態のマルチ…楽しそうでそそられた。…裏から歩いて降りれるそうなのである。ということは、ホントのクリーンクライミングが可能…。タオと登った龍洞のマルチ楽しかったなぁ…。 

もう、ずいぶん長いこと、あんな楽しいクライミングはしていない…。 

いつも誰かほかのクライマーが、”俺はすごいってことを証明するためのルート” に付き合ってやっている。だから、私本人は少しも楽しくない…。フォローしてやっている、って感じだ。引率の先生みたいに…。(なのに、”連れて行ってやってる”と、登っている方は思っているのだから、たまらない…)

そんな、こんなで国内のクライミングは疲れるので、海外のクライミングに行きたい…。

普通に海外で楽しく、自分のグレードに適したマルチを楽しく登ってヤッホーしたい。

   フェイスだけど、クラックでプロテクション取り放題の台湾の岩場 

2022/03/12

往年クライマーの価値基準で育った現代クライマーは、自分の実力を客観的に評価できない

■ 現代のトップクライマーのレベル

これは、海外の知人が登った、ノルウェーのアイスピラーですが、現代のアイスクライマーのレベルがこうなっているよ!という事例です。これは登っている人は女性です。

若いのに寝ているアイスで実力自慢していることのこっけいさを知ったほうがいいですよ。


見て分かるように、最初から (ハング) × (ドライ) です。

つまり、(薄い氷で怖いよー) × (登攀は易しい) の勝負ではないのです…。全然。

(薄い氷で怖いよー) × (登攀は易しい) だけど (初登)みたいな価値観というのは、40年前の 競争基準だった、ということです。40年前なら価値がある…ということ。

40年前のノリで自慢してもいいのですが…そりゃ、”山は自己満足”、ですから…。 自分さえ満足できれば、”良い山”なので…、一方で、客観視出来ていないのは、

痛い

ものです。 ヒマラヤで、丘レベルの山に登って、初登!と叫ぶのは、K2の初登とか、マカルーの初登とかと違い、”自己満足” ですよね?

現代では、40年前の話の続きは、断絶されて、ほんの一握りのエリートたちが、スーパーアルパインという価値観でつないでいます。その系統と繋がっていない、つまり、ギリギリボーイズの方たちと繋がっていない方たち…は、基本的に全員が一般人です。

”老後の青春”、みたいな記録を自慢するのは、年配の方がやれば、

”懐かしいんだろうな~”
”今では道具の性能が上がったから、楽勝で驚いているかもな~”

などと、ほのぼのとしますが、65歳を超えて、学生時代にやった山が現代ではできるわけですから、レベルは推して図るべし、です。

ご老人がカムバックで登れる実力のところを、半分の年齢の若い人が自慢していたら、そりゃ滑稽、というものです。

そこが分からないと、変なことになります… 昨今では、どうもロクスノですら、分かっていないみたいです。

指導者がおらず、往年のクライマーで、知識や技術をアップデートしていない指導者から指導を受けるとそうなってしまいます。

2022/03/09

”リスペクトのレバレッジ”、が男性を魅了する

■ 昔アルパインをしていても、理解できない、”現代のフリーが困難ではあってもリスクフリーである”ということ

先日、”ん十年前だが、かつて大学山岳部で雪山をやっており、アルパインという言葉くらいは分かる”という年配の男性とお話しする機会がありました。

初対面の方だったので、アイスブレークで、”アイスクライミングですか~すごいですね~”というセリフを貰いました… 私のズーム背景がアイス登っているところだったから。

ただ、真実を言えば、アイスクライミングのほうが、豪雪の雪山より、100倍リスクが低いのです。

…その方の想定している、”すごい”は、全然すごくないです。

つまり、40年前の基準ではスゴイですが、2022年の基準では、まぁ、岩登りしたことがないずぶの素人でも、3年みっちりやれば、私が登ったくらいなことは誰でもできます。

40年前だと、5.9がリードできるだけで、会でトップクライマーって時代なんですよ。その実力で、パーティの命を背負っていたなんて、今のフリークライミングのレベル感から見ると、ひょえ~全員死んでもおかしくないね!ですね。全くよくやるよ、っていうあきれ顔が出てくるレベルってことです。

2020年代のレベルでは、5.9がリードできることは、まだまだひよっこ…新人さん、です。つまり40年前は現代の新人さんのレベルがベテランさんだったわけですねぇ…。

この男性は、私が説明しても、この誤解がどうしても解けないようでした。つまり、一般人の理解力しかないということです。

その微妙な誤解に基づく敬意をくださったのですが… その方の好意ですから、その是非はおいておくとして、起きていることを要約すると?

 少ない努力で、大きな敬意を勝ち得ることができる、

というリスペクトのレバレッジ、が働いていることがわかります。

■ リスペクトのレバレッジ

この、”リスペクトのレバレッジ”こそが、おそらく、多くの男性をクライミングに魅了しているんではないでしょうか?

現代は、競争社会ですが、個人誇示人の強みを持って自負を持っていても、なかなか相手から、リスペクトを勝ち取ることは容易ではありません…

例えば

 郵便局で働いています、と言うのと、外資で働いています、というのでは?

 岩場の開拓をしています、と言うのと、子供のコーチをしています、というのでは?

結局、比べられない、ですよね。その立場にいないと、苦労や強みすごさって分からないからです。

人を同列の基準で比べるということは、実は不平等ですが…例えばグレーディングシステムは不平等です、つまりリーチが長い人に有利で、リーチが低い人にとっては、同じ5.9でも、困難度が全く違います。

センター試験とかも同じですね?勉強が得意な人に有利になっている。世の中には、グラフィックラーナーというものもあり、文字ではなく、画像的記憶の人もいるわけです。そういう人には、なかなか厳しいのが社会。

5.14を登れるようになる!っていうのは、大人からクライミングを始めた人にとって、かなり困難ですよね。

ところが、クライミングだと、5.14と5.9の差が分かる人が超少ない訳なんですね(笑)。

■ 男性の瞬発力を最大に評価できるのがボルダー

だって、5.9が登れない奴でも、男性だったら瞬発力で、エイハブ船長は登れてしまうんですからね…

気軽に、

 俺スゲー!!!

を実感する活動としては、これほど楽に評価を稼げるもの、ないですよね…。つまり、ボルダーは、男性の瞬発力、一気に力を出し切る能力、を最大限に生かしたスケール(モノサシ)と言えるわけです。

ちなみにアイスクライミングは、アックスを使うので、バランス感覚と体幹だけで登れるので、女性向きです。リーチも指力も関係ないです。ので女性の能力を最大に生かしたスケールと言えるでしょう…

それだけ、リスクペクトに飢えている男性が多いということなのでしょう…

2021/12/23

愛される理由違い

■不思議だなぁ

色々、考えていると不思議な気がしないでもないです…

というのは、

 安易に落ちないクライマーである、

という、まさに

 山梨時代に愛された理由

が、

 九州では愛されない理由

になっている…。

九州ではフリークライミングの岩場であっても、ボルトは信用できない。のにも関わらず、落ちろ落ちろ、と言われる。

エリクソニアンダブルバインドというのがあります。

例:

例えば、「わからないことがあれば何でも聞きなさい」「わからない場合はすぐに聞きなさい」など、普段から親切に接してくれる上司が、実際わからないことがあって、いざ質問をしてみると「少しは自分で考えろ」「何でもすぐに聞くな」など。

よくあるのが、お母さんが、「あなたの好きなのを選びなさい」と言ったのに、ホントに選ぶと、「こっちにしなさい」と言われる…とか。

かなり、あるある、ですよね。

クライミングでは、当然ですが、どんな形態のクライミングも、落ちないで登るために登っています。

要するに、落ちないのが上手なクライマーです。

しかも、支点が信用できない九州の岩場… 落ちない糊代は、支点強度のしっかりした岩場よりも、マージン厚めが良いわけです。当然。

しかも、私は一回、初心者のクライマーにビレイで落とされて頭を7針も縫っているのです。

ピンは取った後にキャッチしてもらえなかったというだけのことなので、私に落ち度はありません。

それでも、山梨では、

”フリークライミングであっても、そもそも、容易に落ちるようなクライミングをしてはいけない”、

などと、ビレイヤーではなく、クライマーの側が反省するのが通例です。

それで、落ちろ落ちろ…と言われるのは、どれだけ嫌だったか…。

大体、落ちなくても、ムーブ解決スイッチが入ったら、ムーブが出てきて登れたことが、何回もありました。私に必要なのは、むしろそっち、でした。切羽詰まると出る、ムーブ。

自分のことを分かっていると感じられる信頼できる相方…

「すぐ落ちるクライマーは俺は嫌いだ」といった師匠の言葉どおり、私もすぐ落ちるクライマーは、嫌いです。支点強度、考えていない。ついでにすぐに人に頼ろうとする、下手くそが多いと思います。

ハングドッグ2時間とか付き合いたくないです、そもそも。



2020/06/02

土にいのちと愛ありて

■「土にいのちと愛ありて」を読み終わりました

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いや~驚いたな。何が驚いたって、川上村のことが書いてあったことです。

私の自然界への回帰は、クライミングに結実しましたが、登山が雪からフリーへ軸足を移動したことの理由は、たまたま、住んでいた場所で、登山を突き詰めるとなると、岩がちな土地柄では、クライミングが避けて通れないから、というだけのことでした。つまり、私自身が岩登りに強い適性があったというわけではないです。登山と、一口に言っても、土地柄を生かす、となると、その中身は色々と違ってくるわけなのである。
 
例えば、九州のクライマーにクラックは向かない。北海道クライマーは岩場が少ないのでレッドポインターが多い。

■ メッカ

川上村は、日本のクライミングのメッカ、日本のヨセミテである小川山という岩場がある町だ。しかし、ほとんどのクライマーは、一般に、川上村自体には興味がない。

私は川上村を通るたび、違和感があるなという印象を受けていた。

単一作物…レタスだけというのも変な気がするし、畑仕事をする人の姿を見ることもほとんどないのも変だし、ナナーズで遭う外国人が妙にへりくだって日本人に挨拶するのも変だ。金峰山山頂から見ると白マルチが雪原のように見えたりもする…。全体に、時代錯誤的な感じだ。

クライミングという面でみた小川山の特徴は、多くのクライマーに愛される岩場ではあるが、良くも悪くも日本の岩場らしさが漂っている…。つまり、台湾でシンガポール人に「小川山は怖い岩場として国際的に有名だ」と聞かされるような岩場である。

これが実感として分かってくれる日本人クライマーは少ない。金峰渓谷の美しい山の姿とは対照的に、人間の欲望に翻弄された岩場だったのだと、海外クライミングに行くようになって、分かるようになった。それ以前は、必死に入門課題をこなすので精いっぱいで岩場経験値も少なく、比較するような視点はもてなかったのだった。

クライマーとして成り立つのに、小川山は避けて通れない…けれども、必要最小限でいる方がいいから、山梨から引っ越すことになったのかもしれない…。

小川山は、自然が美しく、いいところだが、岩場としては、

煩悩まみれ

だ。

そして、同じことが、川上村のレタスにも言えるらしい…。

そして、私が感じていた感性は、合っていたらしい…。

■ ずいぶん前から

この本は最近の本ではない…自然農法の草分けというような須賀一男さんの生い立ちで、1988年、出版。88年って私はまだ高校生だ。

私の知っている自然農法の世界が描かれてあった。長い長い遠回りを経て、まぁ、久しぶりに自分の世界に帰ってきたような感じだ。

私は変だな、変だなと思いながらでも、とりあえずはやってみる派だ。だけれど、変だな感は、忘れられないでついて回る。その変だな感は、実は正しいということが後になって分かることが多い。

今回もそのケースだ。

しかし、それにしても、なぜほかのクライマーのみんなは、自然を愛する活動をしながら、自然を蹂躙している…母なる自然も、人間性という自然も…状態に、無関心でいられるのだろうか?

2020/03/10

杉野さんのGold But Old からスカラップ

■スカラップ

杉野さんのGold But Oldがどのような特集だったのか知りたくて、送っていただいた記事を拝読しました。

城ケ崎スカラップ12dの記事。

1)課題の位置づけ
85年が時代の代わり目だったこと…
私は2016年から登っているので、1985年なんて中学生?なんですが…当時はハードフリーと呼ばれていた時代だそうです。そういえば、前の会の先輩らもそう言っていました。ハードフリー。今ではなんていうのかね??? で、ハードフリーなクラックから、ハードフリーなフェイスへの転換点が85年あたりなのだそうです。

2)グレーディングの機微
名ルートなら、初登、第二登、第三登くらいまでは書かれていないと(笑)。
初登の池田功さんと、二登の橋本覚さん、3登の吉田和正さん、それぞれ強みが違い、正確なグレーディングというのは、大変難しいのだろうということが分かった…と言うのは、やはり得意だと易しく感じるから。

スカラップは、片腕懸垂大得意、天井レイバック大得意の人に向いた課題らしいですよ☆ 

3)名文とは?

パワー&デリケートなムーブということで、男性的でもあり、女性的でもあり、プロテクションのセットに不条理な恐怖があるわけでもないそうで、とっても魅力的なルートに感じられました。

杉野さんの書いた文章が素晴らしいのは、

そのルートを登りたい!という気持ちにさせる力がある、

ということです。

そう言う文章を良い文章だというのだ、ということが分かりました。

お送りいただいた方、本当にありがとうございました!!

2020/03/06

杉野保さんの事故死

今日は朝から衝撃のニュースでした…杉野保さんの伊豆でのフリーソロ中と思われる事故死の話。

1)いくら慣れていても、フリーソロは危険
2)単独でなければ発見が早く、命拾いしたのかも?
3)簡単なところだから、ロープをつけないでいたのか?トップロープソロならよかったのでは?

などなど…疑問が浮かびます。

思い起こすのは、青ちゃんの湯川でのトップロープソロ中の懸垂失敗による墜落事故。
1)近所に他パーティがいたのに、見えない場所で発見してもらえなかった点。
2)アイスベテランだった点。
3)携帯電波が入らない湯川…。
4)ソロ登攀中

パートナーがいないと、事故の場合、見つけ出してもらえないという問題があります。

■ 杉野さんこそ、本物のクライマーだったようだった…

私は杉野さんは面識がないのですが、行列ができるクライミングガイドと伺っていました…。

一度お会いして、クライミングへの考え方、などの伝授されたいというか、感化されたかったなぁ…。

素晴らしい岳人だったそうです… 面識を得る前にお会いすることは叶わない人になってしまった…。

杉野さんの思想を知りたいと思い、OldButGoldというロクスノの連載記事を探しています。

お持ちの方、どなたか貸していただけないでしょうか…