2024/09/01

【シンクロニシティ】心身統一合気道…不思議なシンクロニシティ

昨日は、不思議なシンクロニシティに導かれて、合気道教室に行った、合気道一色の日でした。

驚いた。

帰りにランチに誘ってもらい、ご一緒して、結構、疲れ、お昼寝したら、もう、夕方の合気道教室の時間の10分前で、なんだか、気が高揚した日でした☆

■ 出会い

朝、起きると外はザーザー雨でした。

昨日はすごい明晰夢を二つも見たので、それについて考察しようとしていたのですが、雨があまりにもザーザーで、とても、気持ち良さそうなので、雨に打たれようかな♪って気分で、お散歩に行くことにしました。

特に目的を持たず、直観のままに歩く、ということを目的にした”アーティストデート”と言われる方法による散歩です。これをすると、私は気分がスッキリするのです。

自分にとって価値があるもの…それを発見する。自分軸に戻るための散歩、ともいえるかな。

そこで、まずは高津神社では、アーモンドの木を発見…誰かがお供えしたものでした。お供えって、寄付、ドネーションの口語です。捧げるもの。

高津の宮は、台風によるザーザー雨にも関わらず、いつも通り、全開に開かれて、神様は、雨でも晴れでも、構わず、受け入れるものなんだなぁと思いました。

朱色が印象的なお稲荷さんの方へ行くと、木の周りにぐるっと鉄格子が回してあり、一見何の役に立っているのだろうか?という感じ。お稲荷さんの朱色が雨に濡れてきれいでした。

境内に古い井戸があった。(ちなみに焼却炉もあり、神社は自己完結している)


井戸水はもう飲めないのか?社務所に頼んでねと書いてあり、水の都と言われた大阪でも、空堀では、水は貴重だったのかも?などと、想像。でも、水道につながっていない井戸は、地域に一つは欲しいですよね、災害時。

その後、雨水で出来た小さな地形が、まるで空撮した河川のようだと思い、その河川に沿って歩いてみることにしました。もともと、自然地形を辿る、というのが好きなのです。冒険好き。

それで、出てきたのが、社務所の隣の小屋で、日ごろは近寄らない。なんでかな?なんとなく、遠くで見るだけでいました。そのことに気が付いたので、近づいてみようかなと思ったのです。チラシが置いてあったので、へぇ~と思って眺めていたのでした。

すると、奥から人が。胴着と袴をはいた男性でした。

今から、”気の教室”が開催されるということで、へぇ~と思い、時間は9時半の予定だが、もう過ぎているそうだった…。誰かを待っているみたい?

私を待っていたわけでは当然ないのですが、その男性のお顔がとてもやさしそうだったので、ふと、思いついて「急ですが、参加してもいいですか?」ということで、参加しました。

まさかそういうことになると思っていなかったので、参加費3000円がないかも?と思い、急遽、お財布を確かめると…4000円入っていたので、ホッとしました…(笑)。

で、参加したのが、こちらの教室です。

https://www.youtube.com/@yuuyuuaikido-osaka

習ったのは、簡単に、まとめるとこんな感じです。

1)容易に外力を受けずに立つ方法(統一体)
2)強い腕を作る方法
3)押し返された手を一緒に連れて歩く方法 (合気?)
4)肺や肩こりを癒す方法 (気圧) 

”相手の気を感じる”、”力と力で対立しない”、というのが大事なことみたいです。

2人一組、3人一組になって、練習するのですが、その時、組んでくださったN田さん…とても細やかな性格の方で、その方の気がよかったのかな?なんかうれしかった。

私が初心者なので、初心者対応を立候補してくださり、相手にとって迷惑でないかな、受け入れやすいかな、と考えつつ、動作してくださっていることが分かりました。とても日本的ですよね。

新入りが来たら…とっても面倒見が良い人が面倒見てあげる…っていうのは、ユニバーサルな現象で、たぶん犬の世界にもあるみたいです(笑)。

ずっと昔ですが、アメリカで、ラブラドールのゲイブが私の面倒を見てくれて感動したことがある…確かにあの時は私はあの家庭では新参者だったんですよね。

というので、初心者でーす、というので、とっても良くしてもらいました☆ 

それで、ランチにも誘っていただきました☆ 私のほうがローカルで詳しいので、いつも行っているイタリアンのお店にお連れしました☆ デザートまで行きました☆

さて、話を戻すと…

力が出る、体の保持の仕方(統一体)で、臍下の一点に力を集め、二分の1を永遠に繰り返す、ということに興味が湧きました。

その力は、決してゼロにならない…という意味で、物理でいう運動の、量は減衰しても、ベクトルはずっと続く… これは、シンギングボールの残音と同じだそうでした。

今、大阪の家にもティンシャがあります。この音が良い動画ではないかと思います。他のは、残音が終わる前に動画が切れていました。


ベクトルの方向性としては、拡散もOKなのだそうでした。

私は山の中では、自分が無になった感覚を得たことがあると思うのですが、それは、限られた境界線のある自己が、自分自身が、山の一部になったような感覚なのですが…薄まる、という方向で、広がっていく、倍々に大きくなる、みたいな方向性です。

たぶん、野生動物は自分と山との境界線をそう強く持っていないと思うのですが… たぶん、人間が自然界を脅威だ、敵対している、と感じる心の正反対で、アットホームな感じ、自分のリビングにいるような感じのこと、を、自然と一体化した感じ、と称して構わないと思うのですが…。アリさんも平和、野生動物も平和、私も平和、みたいな? お釈迦様はこれをハーモニーと言ったと思うのですが。

それが、私が山から得たい、と思うことの内容であり、何かすごいルートに登って名誉を得たり、ということではない。もし、そうなると、あなたが山から得たいものは、世俗の栄誉、ということになってしまいます。

また、私が山から得たいものは、自己肯定、自己承認、自己効用感でもないです。心の静けさ、自然界からの学び、そして、大安心です。大安心とは、自然農の用語です。自然の中で生かされている自分、人間存在への確信とでもいうべきもので、それはとても安心な世界なのです。わーわー、騒がなくても。

人は生まれ、人は老い、人は死に、そしてまた人は生まれる…永遠の繰り返しの中に人は存在するにすぎず、すべてが川の流れのように一時のことなのです。一時のことだから、切ないと考えることもできれば、一時のことだから大切にしようと考えることもできる。

後者の思想が大安心の世界です。今、何かを達成しなくてもいいんですよ。

しかも、それって大変な努力…修行やつらい研鑽などの我慢…をして得るものではなく、観察によって得るもの、です。

余談ですが、私が、自己効力感を最も高めたのは、東南アジアへの旅行でした。まぁトラブル続き。でも、どんなトラブルにでも一人で対応できる力がある、と実感した。東京出張より楽勝でした。これが良かったのはビジネス界からだいぶ長いこと離れているので、自分が陳腐化しているのではないかという恐れが私の中にあるからです。

自己効力感というのは、何が起こっても大丈夫みたいな気持ちですが、それを社会の中で獲得する、というのは、私は10代で済ませたような気がします。

たとえば、20、21歳でアメリカに暮らしてしかも、経済的に、独立、自活生活しています。なので、海外での暮らしの大変さも知ってはいますが、今やるべき課題とは思えないんですよね。なんとなく、すでに済ませた課題をやり直しするのは違うだろうと。

だから、無節操なトラベリングクライマーへの道は、何となく違うな感があります。どこへ行ったここへ行った、って人からは羨ましがられるけど、そんなに良いものでもないんですよ、実際やると。

もちろん、クライミングで出てきた自分への課題に、ぴったりの岩場があれば、そこへ行くのは、意味あることですが。でも、自分にとって意味がなければ、行かない。ただの遊行費で、自分の成長につながる用途ではない気がしますしね。

■ クライミングで何に困っているのか?

そこが現在の私のお困りごとではなく、なにか巨大なエゴの力…クライマー界のエゴ…

・俺が俺が、の承認欲求のエネルギー、
・仲間からあいつはスゲーと言われたいという所属の欲求のエネルギー、
・男同士の嫉妬のエネルギー、
・相手の命・存在への軽視というエネルギー、
・無責任というエネルギー
・自分さえよければいいというoppotunisim, そして、
・長いものに巻かれよう、寄らば大樹の陰、みたいなConformism、

そういったエネルギーの渦が嫌なのです。嫌というか、そういうものが、私の内側を脅かす脅威、となっている。

脅威というのは、避けたいと思うという意味です。取り合うのがめんどくさいのです。

■ 避ける、は不正解ではないらしい

私は戦略的思考に優れているのですが…この避けるという戦略について、潔くないもの、をかすかに感じていました。

なんせ女の子なのに、近衛隊長になったオスカルみたいなのをかっこいい生き方認定してきたので(笑。ベルばらの話です)

しかし、こないだの森さんのオリンピックを見て、クライミング界がどういうものかを理解しました…。

あんなに優れていても、身長による本人の努力と無関係な不利について、仲間から支援も、同情も、応援も、得られないのです。

仲間からすら、物理的限界を認められず、もっと頑張れ、つまり、神になれ、と言われて、あれが取れなければクライマーじゃねえ、不満すら漏らしたらクライマーじゃねえ、と仲間外れにされ、突き放されるのが、クライミング界なのです。

努力で不可能が可能になるとでもいうのでしょうかね?どこが暖かい世界なんだ?どこがフェアで公平な世界なんだ? 

…ということで、まぁ、クライマー界に対する敬意は、私の中には現在、全くありません。

結局は、既存勢力は、自分が座った、俺はすごいクライマーだ、という椅子をできるだけ温存したいだけなのではないでしょうか?

実際、女・子供ばかりがスポーツクライミング界ではトップクラスになってしまって、男の人は面白くない、と正直に話す人もいます。

そういう人が面白くない、のは、男性のパワーや体力が賞賛された、過去の山の世界で、女や子供が、昔は超人とされた人…実際は本人にとってはそう難しくないこと…にしかできなかったことができてしまう…と、メッキがはがれる、から…

エベレストなんてとっくの昔にメッキが剥がれ、そして、すごい山や認定されるためには鉄板だったK2ですら、62歳のおばあちゃんでも登れる高所”遠足”になってしまい…、まぁ世の中の方向性としては、まぁだんだんメッキは剥がれる方向です。

今まで、それですごいすごいと言われて、持ち上げられてきた人たちが面白いわけがありません。逆に本当にすごい人は、誰も名前を知らないような静かな山で、コツコツと着実に実力を上げていますよね…平出さんたちがそうでした…。亡くなって残念ですが。

さて、戦略論に戻りますが、この合気道でも、力と力を力の力点、物理的な力点で、そこを意識すると、体は力の接点で力同志がぶつかり合う、ということになるので、体は固まって動かなくなります。

つまり、これは、心理的に言い換えると、葛藤するということになる。力のベクトルが正面を向き合って、互いを打ち消し合うということです。

つまり、私が作戦として持ってきた、誠心誠意、正面から取り組む、山と向き合う、という方法論が、力と力の接点って意味なのかもしれません。

例えば、鬱だったら、鬱に正面から向き合う…それに取り組む…ベイビーステップで取り組む、ということなのですが、その方法論で、つまり戦略で上手く行かないとき、何か別の戦略が必要なのです。

それは迂回する、力をよける、みたいな方法かもしれません。この合気道で教えていることにヒントがあるような感じがあります。

それで、本を読んでみることにしました。藤平光一さんという方の本を取り寄せ中。

昨日習った中では、例えば、相手を見ずに遠くを見ると、相手の抵抗を避けて、相手をふらつかせたりすることができるそうです。

このテクニックを使うことへの心理的抵抗は、卑怯だ、という思いかもしれませんね…(笑)。

■ 私が得たいのは、いわば、心の統一体、かなぁ。

体のほうの統一体は、先生の指導が良くて、なんと一日で出来るようになったのですが…。

というか、統一体は、そもそも誰でもできるのに、すぐ人間というものはそれを忘れるらしいので、常に鍛錬していないといけない、みたいです。

バレエでの身体技法では、力が無限に続くように使う…のは、その通りなのですが、重心をおろしたら、今度はその反発力でエレベーション(引き上げ)が強調されます。先生によると、このエレベーションは合気道でも使うそうでした。

クライミングでは、丹田やら、引き上げは全く無関係だと思います。むしろ、身体張力って感じかな。

アイスでは、アックスを振る動作の時に小指がポイントですが、それは小指を意識することで広背筋に力を出させることができるからですが、岩では、腕を閉じて使うことができないので、結局腕力…。

■ クライミングの身体技法

フリークライミング、特にボルダリングは、身体技法といえる洗練は、まだ獲得しておらず、特に精神性の面で、きちんとした教えを欠き、結局ムーブにも力が必要で、力の祭典、みたいなことに陥っています。

クライミングジムでは、フィジカルではないよ、ムーブだよ、と言いますが、それはそう言わないと、女性も子供も来なくなるから、です。実際は、虫様筋。故・吉田さんも虫様筋には詳しかったですよ。

それに、フリークライミングでは、モノサシ自体が男性中心。男性で、成人男性のもつ一般的なフィジカル…身長やパワーがある人を基準にして、外岩のグレードも作られ、それを模して、インドアジムのグレードもそれに準じて作られ、そのモノサシで行けば、平均的女性や子供は、常に男性たちより低グレード、という現実があります。そこにムーブで例外が出るから面白いんですが、面白いのは女性や子供の側で、面白くない男性に、そのムーブができなくなるように、ホールドつぶされたりしている(サバージョババージョ事件)。

結局、既得権へのレジーム争いと結論付けられそうです。

もちろん、男性並みのパワーという壁を突破した、特殊能力の持ち主…な女性や子供もたくさんいて、古いクライマーで言えば、リンヒル、新しいクライマーなら、アシマちゃん、みたいな感じです。もちろん、オリンピックの森さんも含まれます。

逆にその人たちは権力者に利用され、ほら、女だって子どもだって努力すれば、俺らと同じことができるじゃん、みたいな話になっていますが…。

それって、同じグレードに到達するのに、努力3倍、才能10倍みたいなモノサシを変えない言い訳に、トップクライマーの努力が利用されることになっている。しかも、みじめなことに当のトップクライマーも、不利な条件を乗り越えてきた自己に自信の根拠を置くので、それに加担することになっている。

まるで、日本が、日本国のアメリカ化に売国奴によって売られてきた歴史と重なります。こういう心で、そういうことが起きるのかぁ、みたいな感じです。

これは社会現象としては男女の賃金格差と同じ構造ですね。

私もトップランナー的なことをやってみたけど(年収で800まで行った@28歳)、えらい疲れる世界だったわー。とりあえず、そっちの方向性は、今興味ないです。

私が学んだのは、女が男の真似をしても疲れるだけですよ。社会の中で女性には女性の幸せがあるように、女性らしいクライミングの喜びがあるはずです。

■ 私の楽しいクライミング

私は私の楽しい山やクライミングを続けたいのです。それは、何級登れるようになったとか、5.12が登れるって世界ではなく、

・読図の精度が上がって、自分が思った場所にぴったり降りれるようになったのが快感、とか、
・ここらに水場がありそうだと読んだ読みが当たる、とか、
・この岩登れるんじゃないか?と思ったら、登れたとか(つまり、ルートの読みが当たった)とか、
・この薄さの滝なら冬季になれば、凍ってちょうどよくアイスクライミングができるのではないか?と思ったら、その通りだった、とか、
・この気温でこの時期に山に行けば、フクジュソウがいいだろう、と思って行ったら当たった、とか、

そういう世界です。

比較の世界ではない、ということが読み取れるでしょう。

昨日は、そんなこんなで、初めまして合気道な日でした☆ 

気の教室はとても気に入りました。でも、技の教室のほうは違うなって感じでした。

終わり☆

2024/08/30

【トレーニング】【セルフケア】【コンディショニング】何かいいの無いかなぁ

■トレーニング

ちょっとネットで探してきて、自分用備忘録。

これは、バレエとヨガの知識を総動員しても、良い内容ではないかと思う。

【筋トレ】クライミング選手が自宅でできるトレーニングを紹介!

■ セルフケア 虫様筋

今、また指が痛いのです… なので、テーピングを工夫しないといけない。


■ コンディショニング 立甲

これが良いような気がします。なんせジムクライミングって、上半身がメインなので…

バレエのレッスンを取ろうかなぁと思って、スタジオ調べたりもしましたが、なんか下半身の強化にはなるけど、上半身は関係ないのがバレエ…

ヨガのほうも、膝関節への負担が大きいので(ロータスとか)、ホルモンバランスが変わって、間接に対する身体の反応が変わる更年期はヨガ的にはリスクかなぁと思います。

というので、まぁ、こんなとこかなぁ。今日の予習は。薄被りでもかぶりをやると指への負担倍増なのかもしれない。


ホールドには完全にぶら下がらず、足で体重を分散させないといけないですね。

【海外情報】【ジム】ファイナンシャルタイムズ&アメリカチェーンのジムでFall禁止令

 ■ 400~500%成長

クライミングジムブームって、日本ではひところより、ひと段落感がありますが…

福岡ではすでに淘汰の波が来ているくらいです。

大阪でも小さいジムは大変そうにしていますが…外国では、ファイナンシャルタイムズという経済ニュース系のサイトが珍しく、ニュースにしていました。

https://youtu.be/etvigdtJlnk?si=Vfcb8cf2vPMiL7za

たいして目新しいことは言っていなかった。

古いクライマー業界からは、外岩文化に、ジム文化を持ち込む、ことが懸念されている、そうですが…すでにビデオトポとか、ボルダーでは持ち込まれており、懸念は

 とっくの昔に現実化

しており、ニュースの癖にとろいなぁという印象でした(笑)。

つまるところ、こんな一般誌、経済紙ですら取り上げるくらいなら、市場浸透のステージとしては、もうメインストリームなわけです。

https://www.onemarketing.jp/contents/chasm_re/ より引用 

知っていますよね?イノベーター理論… 

知らないで商売しようというのは…、信じられない! です。

私がOLでお勤めしていた時代から、とっくにビジネス界界隈では、ふつーに用いられている理論でした。

■ キャズム: クライマーがやっていないジムが流行して、クライマーがやっているジムが廃業に追い込まれる理由

キャズム、というのは、この市場参加者たちの価値観のギャップのことです。

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なぜ、キャズムが発生するのか?その原因は、初期市場とメインストリーム市場、それぞれのユーザーの価値観の違いにあります。 キャズム以前の初期市場とキャズム以降のメインストリーム市場ではユーザーの購買におけるプライオリティが異なります。 初期市場のユーザーにとって「新しさ」というのは魅力の1つです。自社の価値観に合致している、目新しくて今後トレンドになるかもしれないということが彼らにとっての魅力です。 

しかし、メインストリーム市場では、ただ新しいだけではユーザーを開拓できません。信頼して使用できるモノなのか、他にも使用している企業はいるのかなど、購買において「安心」を求めるのがメインストリーム市場のユーザーです。 「いかにキャズムを超えてメインストリーム市場を攻略するか?」 キャズム理論は、この重要性を説く理論であり、キャズムを越えられないビジネスモデルは、市場が当初の予想よりも大きくならず、事業として採算が取れないケースが見られます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 太字当方

ここに古いクライミングの倫理観… 男だろ!勇気を出せ!みたいなやつ…と新しいジムクライミングの価値観…ムーブ命!クライミングはパズルだ!の違いがあります。

だから、古いクライマーの価値観を前面に出す=ビジネス的自殺と同じことなんですよ。

■キャズムを超える戦略のヒントと事例

ーーーーーーーーーーーーーー
キャズムを超えるためには、製品・サービスを「目新しい」モノから「安心」して使用できるモノに昇華させる必要があります。

そのためには、信用訴求、品質訴求のためのコンテンツ作りが必要です。 BtoBであれば、その業界に大きな影響を与える企業が製品・サービスを導入し好意的な意見をもらうこと、研究機関、その道の専門家がお墨付きを与えることなどが、キャズムを超えるカギの一つになるかもしれません。
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つまり、”へぇ~期”は、終わったんですよ。今までは、”へぇ~”でお客さんが来てくれても、今からは、”楽しくないと来ない”んですよ。

空調しないで、外岩クライマーになるにはこれくらい我慢しろ!とか言っていたら、じゃあ外行きます、ってホントの外岩クライマーは出て行っちゃうし(実際、往年のクライマーでインドアで登っていた人はほとんど知らない。米澤先生も夏でも外岩)、じゃあ、涼しいジム行きます、って新しい人は言って出て行ってしまう… 結局、超シリアスクライマーしか残らず、そういう人たちは、古い価値観で共通の者ですが…かなり少数派です。

そういう少数の人を大事にするジムに方向転換する、というなら、それでも戦略的には整合性が取れているのですが、クライミング市場を眺めると、現在はメインストリームが入ってきているくらいなので…まぁ、確率としては、成功しない確率の方が高くなってしまうでしょう…

もし、CEOなら、そういう戦略は取れない、取ることが許されないですね… つぶす気か?!みたいな突込みが可能になってしまう…

■ じゃクライマーがやっているジムの意味がないのか?

最近、トップクライマーのHazel Findlayからの情報発信で、アメリカの大手ジムチェーン店で、Fall練習禁止って、どう思う?ってのが来ていました。

そりゃ、Fall練習ってインドアジムでやらなかったら、どこでやるのよ?みたいな練習です。

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ここでの最も強い主張は、人々はしばしば危険な方法で落ちる練習をしているということだ。これが現実の問題であることは認めなければならない。私たちのフォール練習を安全で効果的なものにする重要な原則のいくつかは、一般的な直感に反している。
 
私たちが理解しているように、この会社は自ら転倒セッションをいくつか提供している。これはより理にかなっており、限られた時間と場所であれば、クライマーが落下(そしてそのスポーツ全体)について学び、より快適になる機会を与えることを期待している。私たちの経験では、落下に対する恐怖心を取り除くには、1回のセッションよりもはるかに多くの時間が必要であり、前向きで安全な落下は日常的なジムクライミングの一部であって、予約して参加する体験ではない。

 この会社は私たちに連絡を取り、その方針がより良いものであることを認識し、クライマーに良いサービスを提供することを表明した。彼らは批判を受け入れてくれた(批判が公になるのはあまり好ましくないが)。

しかし私たちがここで懸念しているのは、このジムの個々のチェーンだけでなく、クライミングの一般的な文化や、それが前進しているかどうかということだ。私たちが懸念しているのは、訴訟好きで『安全主義』の文化はそれほど安全ではなく、ごく少数の個人のためにしかならない、ということだ。私たちは問題に対して無知になることで問題を解決することはできないし、問題を完全に避けることでうまくなることもない。私たちにとって、未知のものを避けるのではなく、未知のものを探求するというコミットメントは、クライミングの精神の一部であり、クライミングが社会に提供するものであって、クライミングを手なずける必要があるものではない。


あなたはどう思いますか?ジムはこのような転倒を禁止すべきだと思いますか?あなたのコミュニティではどのように転倒文化を改善できますか?あなたの経験上、転倒練習は迷惑行為でしたか?

DeepL.com(無料版)で翻訳しました。
ーーーーーーーーーーーーー 太字当方ーーーーーーーーー

昔は市場ディスカッションのようなことも、ロクスノはしていたみたいなんだが、最近は、トップクライマー間の意見交換は聞かない。

本来リーダーシップを果たすべき人たちが、俺、もうそんなにハードに登れないから、と言って、リーダーシップを自ら、破棄しているようにすら見える…。

その結果がすでに出ていて、それが、外岩での、未熟なクライマーによる、バッドビレイだったり、墜落事故だったりすると思うが…古いクライマーたちは相変わらず、お互いの賞賛…お互いがお互いをレジェンドクライマーと呼び合う…をするだけで、現状と向き合おうとしていない、というのが、日本のクライミング界に対する、私の不満だ。

リーダーシップ不在は、政治だけでなく、クライミング界も同様なのである。

こちらは10万回再生されたリール動画。

https://www.youtube.com/shorts/gEGRe34k4_E

森さんの件、だが、オピニオンリーダーのオピニオンが、的外れなことが指摘されている。

まったくだ、と思う。努力すれば何とかなる、と、不可能、をクライミング界は取り違えており、古いクライマーだってそれは分かっているのに、沈黙している。遠藤由香さんがショルダーされている画像を見たことがあるが、背の低いクライマーにとってはアレがすべてを語っている。

どんなにムーブが上手でも、届かないものは単に届かない。そんなことすら分からなくなる、クライミング根性論を叩き込まれているのがオピニオンリーダーなのであったら、そんなオピニオンリーダーについていけるのは、全知全能の者くらいだ。

その上、実際のところは、古いクライマーって、クライミングの歴史通りに成長しているので、エイド三昧してきて今があるのである。上手くフリークライミングに乗り換えれた人は、過去のエイドクライミング時代の自分のことはとっくに頭から消し去ったみたいだが…。

クライミング界に真っ白な人はいない。互いに寛容になり、厳しい倫理観は自分に課して、他人に貸すのは辞めましょう☆



2024/08/29

【ジム】Day8,9 踏みかえ&テーピング効果&トンボラさん

 ■ ジムの記録をつけるのを忘れていた…(汗)

ムーブの再習得… いや~なんか、すっかり忘れて、普通に楽しく登っていたんだった。

さて、記録。

1)行きたい方向に、先に足を出してはならない。右手、右足、ではなく、重心を考える。

2)ホールドの向きを考えましょう。

3)核心だけでなくて、全部のムーブの整合性を考える

出来ないムーブでは、踏みかえ。

踏みかえがかなり苦手系だと分かった。あと、恐怖心が湧くと、腕が曲がるので、ムーブが余計に難しくなるのである。

■ 指力= テーピング?

すでに指が痛いのであるが… 例のレイバック応用のやつは、これは指をテーピングで、ガチガチにしたら、いけるかも?と思いついて、やってみたら、できた。

あっけないほど簡単に習得してしまったんだが…

たぶん、テーピングを取ったら、またできないんじゃないかなぁ?

てか、これエイド?

このジムはグレードが辛いので、たぶん6級くらいの課題であり、私にとっても、まぁ、これくらいはできて当然的な難易度で、未知の領域ではない。

しかし…それでも最初はできなかったし、なんでかな?みたいな感じだった。

お手本の小島さんのムーブを見ても、特に難しい要求をしているような感じではなかった。

それで、彼と私のフィジカルの違いを考え、これは指力かも?と思ったので、右手薬指のテーピングを1本だけ増やしたのである。たった一本の指ですよ。

すると、腕を伸ばすことができ、右腕を伸ばせた結果、左足、立ち込めた。

というので、この課題での核心は、なんと、右手の薬指の強度、だったわけである。

いや、びっくりですね。

というわけで、このように、クライミングにおける習得の核心というのは、まったく摩訶不思議系なのである。

バレエの習得とか、水泳の習得とか、テニスの習得とかでも、実はこういうことは起きているのだろうか?

みなさんも、どうにも、腕を伸ばせる気がしないとき、指にテーピングを増やしてみてくださいね。

余談だが、体操競技では鉄棒とかで、選手は手のプロテクションをしている。なんかグリップが良いグローブみたいなのをつけている。あれ、なんか人工壁登るときに欲しいんですよね、私…

というのは、人工壁でのリードの時、ドガバでも、手が開いてきて怖いんですよ。特にクリップ時。人工壁のリードって、もうしょっちゅうクリップが出てきて、しかも、私は右手にぶら下がりたいのに、大体左手ぶら下がり、右手クリップが多い。すぐ左手がギブアップする…ので、人工壁は嫌いなんです。

なんせ、手繰り落ちたら、しょっちゅうクリップしている意味なくなります。

■ こんなに登れないのに外岩登ってきたの…?

さて、そんなこんなの、ジムクライミング… ジム店長の小島さんは、ムーブ解析力が素晴らしいです。

しかし、私があまりにも、ムーブを知らずに、外岩でのグレードを上げてきたことを知って、驚いているようです…

だよねぇ…?

私もそう思う。 私は外岩デビューが早すぎたんではないか?と、もう10年くらい前から思っています…

でも、いろいろな人に聞いたけど…

  全く登れないときから、外岩に行くのは良いことだ

という意見が多数でした…特にアルパイン人種から。フリークライミング人種からすると、早すぎると思う。

というか、そういう人たちは、ジムがない時代に育っているので、ジムでムーブ習得してからのほうがより安全だ、という理解がないまま、現代の若者と同じ、これくらいは登れるはず、という期待を私に掛けていたようでした。

たしかに、私も、登れないころから外で登る、という風に成長してきてよかったなという面はあります。特に、外特有の外的リスクに自覚的になる。

たとえば、ピンが遠いとか、ボルトの強度が保証されていない、とか、1ピン目がかなり遠いとか、長ぬんで伸ばすとか、ビレイがシビアとか… 車中泊スキル外トイレスキル天候スキル、いわずもがな。

しかし、マイナス面もあります。自分の登攀力、ムーブ能力、そして、フィジカルにゆとりがないので、心が擦り切れます…

■ もう伸びしろがない人が粋がる?

例えば、台湾の5.4のクラック、私はカム3つで終わってしまいましたが… それと同じことをカサブランカでやっているのが、往年クライマーなんですが…でも、それって、たぶん、

登攀力を上げるという、のりしろがもうないので、やっているんじゃないかなぁ…

例えば、ボルダーだと、もっとすごいの、みんな登っていますよね。だって、ボルダーって1級からスタートなんですよね。

もう、よりハードに登れるということがなくなった人たちが、次なるチャレンジを求める先が…カム飛ばしだったり、スラブでも、40mランナウト、っていう気がするのは、私だけではないでしょう…

で、それに付き合う羽目になって、初心者なのに5.8で40mランナウトを登る羽目になるのが現代のジム上がりクライマー…。

彼らはジムでムーブのゆとり、フィジカルのゆとりを上げて、それから岩場に来る…けど、外的リスクも、懸垂下降も、登り返しも、クラック登りも、スラブ登りも、クライミングジムでは学べない。

学べないことをすでに学んでいる前提になって、挑戦される…

ということになっています。

そこが、理解されないのは、デシマルにしても、ボルダリングの段級にしても、グレードで、どんなクライミングか?スラブか、オーバーハングか、クラックか、なんてことを考えず、全部一緒に表示するからです。

無意識に、俺は、5.12が登れる、とか、俺は1級が登れると思ってしまうので、スラブの5.10Aで落ちたり、クラックの5.9も登れなかったりします。そりゃ当然ですよね?

この問題の解決に、小川山では、本来5.9とグレードされていたクラックを、5.10Aにしたり、となんかグレードを甘めにすることで解決しようとしているみたいなんですが…

その方向は間違っていると思う。

そうじゃなくて、真実は、

・ジムグレードと真実の登攀力は異なる

・スラブとジム壁は異なる

・クラックとフェイスは異なる

・ジムでも垂壁とオーバーハングは異なる

・石灰岩と花崗岩は異なる

 様々なクライミングごとにすべてを初心で習得する、

という方向性が正しいと思います。

昨日ジムでも、小島さんが垂壁で指摘したことを、薄被りに応用しようとしたら、

「こっちの壁では別の話」

と言われました。

分かっている人は、一つのグレードで、すべてのクライミングの能力を統括しようとは思っていないのです。

ジャミングとカチが別の力って言うのは、当然のことだからです。

■ ご褒美 

昨日はまた、博物館並みにすごいメキシコ雑貨の店、トンボラさんに行って、目を保養して帰りました☆

店のお姉さんとも、素敵なメキシコ雑貨の話で盛り上がりました。

自然農で教わる定番の手仕事に、蛍かご作り、というのがありますが…蛍かごのメキシコバージョンを発見しました!


       なぜかガイコツやどくろが多い、メキシコのカトリック教… 

       独特な緑色…日本のやきものでも、緑の、ありましたよね…

            チアシードで、もさもさにして、飾る土器
          いろんなスタイルの土器がある・・・


2024/08/28

【アルパイン】【遭難情報】平出さんたちの、かなり正確そうな情報が出てきています

■ 今までの、”英雄視&扇動” の報道とは一線を画した、ジャーナリズムの良心を感じる報道

が、

 石井スポーツ (今見たら朝日でした…)

から出ています。これで、グッと私の石井スポーツに関する株は上がりました☆
(九州で見たトンデモクライマーが石井スポーツの人で株は急降下していました

さすが、天野さんがいて、目を光らせているだけありますね!

■【解説人語】K2で世界的な邦人登山家が遭難 経験豊富な2人に何が 南米最高峰アコンカグア同行の記者が語る
 

■ 要点

1)条件は良かった
2)敗退こみだった(決死ではない)
3)コンテだった (核心部ではない)
4)まだ7500だった (核心部ではない)
5)氷とともに落ちた


これだけを書いても、本格的な山登りをしない人には、意味が分からない、というのが、こうした遭難情報を評価する際の難しい点です。


私は山登りでは、アルパインクライミングという一般登山の人にはできない、ロープが出るクライミング、いわゆる本格的な山登り…を行うことができます。

実は、そこまで、自力で、つまり、自分の力で、たどり着いた経験がある人でないと、こうした先鋭的登山は、まったく、海のモノとも、山のモノ、とも分からず、全く評価も、推測もすることができないのです…何十年、山に登っていても。


40年ほどの昔は、多くの人がアルパインクライミングをしていたので、多少なりとも正当な評価ができる人が、一杯いたのですが、今ではできる人がほとんどいなくなった…という業界事情があり、そこに
 
 付け込んだ人


が、本当のところは、すごくもない登山を、


 俺ってすごいでしょー


と宣伝するのが、ここ20年くらいの流行になっています。代表事例は、栗城劇場です。

一般クライマーもそんな感じで、実は全然すごくない記録をすごいということにする、のが、流行中。

実は、三浦さんもそんな事例の中にひところ、あったりしました。師匠と見た、NHKのスキー滑走の映像では、スキーを担いで上がるルートは、その山にあるバリエーションルートの中で最も簡単ルートを選んでいたのにも関わらず、最難ルートと評しており、え?!NHKよ、お前もか?!と思ったのでした。


■ 私はこれは、師匠と一緒に見たから、分かった

…のでした。

大体、海外のルートなんて、日本人の一般ピープルが知っている訳ないだろう…と、あのNHKですら、高をくくって報道しているのか?それとも、裏取りをさぼったのか?はたまた、両方なのか?

最近、NHKは、中国人スタッフによる失言で炎上していますけど、昔から丸投げ体質、なんですかね。

最近、マスコミは、マスゴミ、であることがバレてきています。

テレビの撮影で、歩荷で呼ばれて行きました、みたいな人は、本格的な山登りをしていれば、たくさん話を聞きます。村上先生もそのような一人でした。

で、その人たちの話を総合すると、NHKって言っても、登山知識は、素人さんみたいでした…

一度、北大出身のNHKカメラマンの米山さんと沢をご一緒したことがあるのですが…あの時は私が買いたての赤キャメが役立ったのだった…、米山さんも後で聞いたら、懸垂したらロープを、実は切っていて、足りなかったとか、ええ~?!な冒険をしているみたいでした…。いや~、北大も、九州よりはまともだと思いますが、登山界を襲っている倒錯とは、無縁でいられなかったみたいです。誘惑に負けやすいのが男性。

というか、北海道の山から来たら、山梨の山や沢なんて、ちっさくてチョロいってことになっちゃいますよねぇ…?そこで、リスクのスパイスが欲しくなる?? まぁ、仕方ないです。

話がそれましたが、いわゆる先鋭的登山の世界は、無知で当然の一般市民だけでなく、アルパインクライミング人種からも、きちんとした評価がされにくい状況にある、ということです。

それは、日本の山は小さく、標高も低いので、規模と標高による困難度のアップ具合が、仲間である他のアルパインクライマーからも理解されずらいから、ということです。国内にないからです。海外までいろいろ登りに行ける優遇的地位の人には、それなりに正確に解説してもらいたいものです。若い方はやってくれています。(例:たけちゃんねるのセユーズ)

現代の最高峰に属すクライミングは、普通にフリークライミングでやるクライミング(マルチピッチ)を標高5000や6000でやるものが主流のようですが、そんな標高でやったら、そりゃしんどいはずですが、それがどんな感じか?周囲も分からないということです。

それで結局、評価できる人の人数が少ないので、内輪での評価になるのです。これはピオレドール賞も同じです。

もちろん、平出さんや中島さんが行っていたのは、無雪期のフリークライミングではなく、いわゆる雪稜です。

■ 雪稜とクライミング

雪稜でも、上級者が登るようなのになると、稜線から、壁、つまりクライミングの領域、になってきます。この分野で入門ルートとされているのは、赤岳主稜です。

私は、パートナーがいなかった&当時所属していた山岳会でも俺らで連れていく能力はありません、ということで、一人で隣の阿弥陀北稜に行っています。

まぁ、壁っぽいのは出てきましたが、一瞬で、雪稜にアックスを使ったボルダリングが一瞬だけ出てくる、って感じでした。赤岳主稜では、マルチピッチになるはずです。

マルチでは、私はセカンドですが、赤岳主稜よりも困難な、ミックスルートの荒船山の昇天というのに行っています。岩と氷のルートで傾斜もたっており、5.9は越えていると思うので、本格的~って感じだと思いますが、4Pしかないし、セカンドで行っているので、自分で登ったわけではありません。

もちろん、セカンドであっても、何か不測の事態が起きたときに、十分な技量がないと、自分で登れなくなっっちゃったり(例、自己確保で登る方法を知らない)、リードクライマーの足を引っ張って、完登できなくなり、ヘリ出動になります。(例:当方の白亜スラブ)

そもそも、そういう危険性がある人は連れて行ってもらえない、という場所です。昇天は、岩の技術アイスの技術も両方必要で、M5くらいだと思います。

余談ですが、平出さんたちの気象アドバイスをした猪熊さんとも面識がありますが、M5しか登れない…と私がいうと、それでもすごい!と褒めてもらいました…。ですよね。ほっとしたのです。あの時の猪熊さんの言葉には救われたなぁ。

ちなみに、九州では、”M5”という言葉自体が分からない人ばかりでした。

また、雪で使う支点として定番のスノーバーや自然物を使ったルート、雪稜、としては、3月に立山の真砂尾根というのをしています。ここはクライミング力は必要なく、歩くだけです。それでも、危険なのでロープを出して確保します。これは登山道そのものがなく、稜線を伝いますので、高所登山に近い登り方です。

私がロープをいらない箇所で、懸垂でロープを身長180cmの30代男性が出していましたが…、九州で、私をチキンだと言って非難する人はこの男性をなんと評するのかな? 御坂では先輩たちは、「こんなところで」とか言わず、「ヤレヤレ」とも言わず、普通に出してあげていました。

さて、以上のような経験がありますので、一応、雪稜でどのような技術が必要か、冬壁でどのような技術が必要かは知っており、体験レベルではありますが、何が起こるのか、知ってはいます。

■ そもそも…

さて、その経験を踏まえて話しますと…

いわゆるトンデモ登山というものは、

 そもそも、選ぶルートが、実力不相応

なのです。

この平出さんと中島さんのK2は、私は日ごろ、平出さんが選んでいたルートが、渋いというか、ほとんどの人が知らないような、聞いたことがないような山が多いこと、しかも、登山家としての名声は確立済み、なことから、なんでいまさらK2?と思ったのでした…

…というのは、K2って、今エベレストみたいに商業登山に侵されて、行列のできる山になっており、K2のラッシュアワーってこんなのです。


https://sg.news.yahoo.com/k2-rush-hour-climbers-wait-123846863.html より引用

もちろん、一般の人は知りませんが、こんな情報は、普通にただ英語が話せるだけで、クライマーの能力としては、一般クライマーの私みたいな人にも回ってきます。海外登山通の平出さんらが、知らないはずがありません。

そのため、このような状態のK2にバリエーションルートといえども心惹かれるとは、なんか、”平出さんらしくない”という印象を持ちました。

しかし、らしくない、の中に、実力不相応、という部分は含まれていなかったようだ、とこの動画を見て結論しました。

魔が差した、つまり、ド素人さんにも分かる山に登って、分かりやすい栄誉に浴したい

という話ではなかったみたい。

ちなみに 一般クライマーといえば、アルパインクライマーから、フリークライマー、はては、ボルダラーまで、この一発逆転の分かりやすい栄誉に浴したい、無知な人からすら褒められたい、という欲に負けて、実力不相応のルート…だいたい有名なルート…を選択をすることが、事故の大半の原因となっています。(例:俺5.11登れるから、北岳バットレス四尾根)

■ 条件は良かった

「悪いね!」は、クライマーにとって、倒錯した喜びです。

悪いね~というのは、登りにくいという意味ですが、クライミングって、やっている間に、様々な苦難に耐性が付いてくるので、”もっと悪くても、登れちゃうよな~俺”、となってきます。

その魔力… は、強力で、オリンピックで競う、競技では、どんどんホールドを

 悪く

していくのです。

悪いにも、いろんな意味合いがありますが。一例は、遠くする、です。で、5m先にあれば、人類にとって不可能ですが、3m先なら届く人もいるでしょう。そこで、優劣つけようとして、やりすぎちゃった、のが、森秋彩選手の事件でした。

アルパインクライミングにとっては、悪さ、は天候です。なので、猪熊予報士の助言を得て登っています。一般クライマーもヤマテンという天気予報を、山別に取得するのが、山ヤの通例です。

  条件が悪いときには、ギリギリのチャレンジの山はしない… 

ことが大事ですが、このギリギリ度合いを間違う人、多数。

例えば、八ヶ岳の天狗岳とか、それこそ阿弥陀北稜とか、ルート自体が簡単な場合に、このチャレンジはギリギリではないという前提を持ってしまったがために、悪天候でツッコんで死んでしまうのが大学山岳部の通例となっています。

ルートが簡単なことと悪天候って別の話ですよね。それが分からなくなるのが人間なのです。

体力的にゆとりがあっても、チャレンジの山を、悪天候時に行ってはならないのです。

悪天候では、ハイキングみたいな山でも、風を遮るものがない=低体温リスク、というリスクがあることをハイキングの時点で学んでいないといけないのです。

従って、悪天候リスクを学ぶには、逆に言えば、ハイキングレベルの山に、悪天候時に出かけてこないといけないのです。もちろん、すぐに引き返せる状態で。

平出さんたちは、このトラップにも引っ掛かっていなかった。つまり、良い条件の時に行っているので、とても保守的だということです。イケイケ登山の反対です。




■ 敗退こみだった(決死ではない)

敗退こみ、というのは、危険を感じたら、引き返す心づもりがある、ということです。

イケイケ自慢&危険なクライミングを好む人は、「敗退なしで!」と言います。こういわれたら、「一人で行ってきて」と言い返しましょう。

敗退を想定するには、ロープ長の長さを計算する必要があり、また、敗退のために余分なロープを持っていくことがあります。

決死の覚悟で行くルートがかっこいい、という、間違った思い込みが、登山界やクライミング界には蔓延しており、特に難しい山がない地方では、多数派です。持病の薬を持ってこなかったり、ピンチ食を持ってこないで山に入る人が、その自慢話をしたり、わざとアルコールを飲んで登って見せたり、と、敗退用のロープを持ってこないで山に入るクライマーが武勇伝にしたりと、倒錯が非常に多いです。

余談になりますが、この倒錯の代表事例が、フリークライミングの分野では、ランナウト自慢です。

さらに余談で申し訳ありませんが、そうした用心のための余分を持って山に入る人は、余分に持っている、と思われているので、持ってこない人=危険人物に、利用されます。私は利用されたことが、合計5回くらいあります。

平出さんたちはこれについても、良い判断で、事故につながるような悪い判断は、していなかったようです。

■ コンテだった (核心部ではない)

これは、クライミングをしていても、難しいかもしれません。

コンテというのは、簡単なところを素早く通るために使います。通常はスキルが下の人が前を歩き、後ろが距離を適当に調整してくれます。御坂山岳会の時代に、先輩がやってくれました。

一度、台湾で、クラックの5.4が、あまりにも簡単だったので、コンテでもいいのでは?とアメリカ人のクライマーに持ち掛けると、彼は5.12まで登れる人でしたが、断られました。そこは、20mはあったと思いますが…5.11がギリギリ登れる程度しか登れない私ですら、カム3つ…というやさしさだったのです。

それでも、コンテは断る、のは、これがクライミングの垂直のレベル感だからです。

一般的には、コンテは落ちることが考えられないくらい簡単で、落ちたとしても摩擦ですぐに止まりそうな、巻き込まれが考えにくいレベルの、とても簡単なところで出します。

ガイドが出すタイトローピングも一種のコンテですが、私は自分がされる側はいいけど、する側には体重的に向かないので、自分では出しません。される側になるにしても、岩の隙間を通って、保険を付けてから、しかつなぎません。

フリークライミングしかやらないクライマーは、この技術を知らない人がほぼ9割で、マルチで出てくる、歩くだけの簡単な個所でロープを解いて、その箇所でほっとして、転んで大事故になる、というのが、定番の遭難セオリーです。

こうしたフリークライミングのクライマーは非常に多いです。フリークライミングで使うルートは、クライミング自体が易しくても、場所が危険なことが多いからです。上記の私の台湾のクラックのように。

さて、これで、平出さんたちが、とても簡単なところで遭難したことが分かりました。

■ まだ7500だった (核心部ではない)

まだ7500というのは、山頂までまだまだで、まだアプローチの箇所だということです。

登山にも、核心部ってありますよね。 例えば、不帰だの、ジャンダルムだの、いろいろ怖そうな名前がついていたりします。名前がついていない普通の登山道でも、長さが核心だと、日の短い秋に登れば、暗くなってしまい、危険に突入するかもしれません。

まぁ、要は、”誰でも用心して、気合を入れて登る箇所”と、そこまで行かず、”気楽に登っている箇所”、つまり、アプローチ、と二つの心理的に異なる箇所があるということです。

遭難された箇所は、まったく核心部ではなく、アプローチだったとのことで、登りたかったルートの核心に触れずに亡くなったとすれば、


 心残り


だっただろうなぁ…無念だっただろうなぁ、と思いました。


■ 氷とともに落ちた

氷とともに落ちたという目撃情報があるそうです。とすれば、アプローチでの落氷による事故、ということになりそうです。

私の眼裏に浮かぶのは、北岳バットレス4尾根に御坂山岳会の先輩と3人で出かけたときのことです。

まだ下部岩壁のとっつき、つまりアプローチ…にいるのに、ブーンと何か音がして、仲間の初心者男性のヘルメットに落石がかすめて行ったのです。

ブーンって音は、ヘリかなにか?みたいな感じでした。でも、石のサイズは、小石レベルだったと思います。

かすめた男性本人は、それを見ていないので、え?何?くらいの認識でしたが、私と先輩はそれを目撃して、無言で敗退を決めました(笑)。今日は危険だ。

雪上で、落石や落氷があっても、音がしない上、音に気が付いたときは、加速がついており、すごい破壊力で、しかも、避けようにも、気が付いたときにはもう遅いのです。当たったら死にます。

岩場のルートでも、RCCのボルトがひん曲がっている=落の痕跡です。

その北岳の時は、先輩と無言で通じ合った瞬間でした。当たり損ねた?仲間は、未練たらしくルートを眺めていました。

その時は、その人を説得するために、「このルート、女性にはちょっと難しすぎるね」みたいな言い方を先輩がしたと思うのですが…記憶があいまいですが…

その言い方を、その未練っぽい仲間を体よく説得する材料に、私が使われているなとスッと感知しました…。もう帰りたい…帰ろうよ、と言い出すのは、男性には難しく、女性には易しいのです。

で、無事帰ってきました(^^v)。

これだけのリスクの解説を、現場でするのは難しく、これが、山の経験値、と言われるものの中身です。

そして、同じ経験をしても、解釈が多様だ、ということの意味です。落を見なかった仲間は、俺だったらもっと行く、と思っていたでしょう。今回は女がいるから、しゃーないな、とすら思ったかもしれません。自分は守ってもらった立場なのに…。

…というようなこと…立場の違いによる見解の相違…が、かなりな頻度で起こるのが山です。

でも、これが男1対男1だったら?行きたいという人に、言い返すのは難しく、さらに、女性1対男性1なら、男性は絶対に俺の意見が上だ、俺が行くと言ったら行く、と思うでしょう…。 

実際、自分の意見が通りやすいから女性と組む、という人は多いです。

女性の側からすると、巻き込まれ事故ですね。

で、平出さんたちの話に戻ると、


 雪上の落って、予見不可能


なのです。もちろん、気温が上がって緩むと、落石も落氷も、落ちやすくなります。

雪が落ちる現象、といえる雪崩の危険があるルートでは、早朝と夕方しか登らない。雪崩を避けるためです。

アイスクライミングでも、気温が十分にマイナスにならないと登りません。12時から14時は基本的に要注意で、逆に寒ければ寒いほど安全と言えるのです。

先日、立山で、11月に八ヶ岳に行ってきた、と自慢げに語るトレランの人に会いましたが、八つの地元の人は、11月は、登山道ですら気温的に十分に凍っていないので、落が多いから、八つには行かないんですよ。かなり体が引き締まった人だったので、山ベテラン風でしたが、分かっていない人だなぁと思いました…。

このように、冬季のクライミングや登山をやらない人は、一生かかっても、冬季のリスクについては疎いままです。

むろん、平出さんたちは、このことに全く当てはまりません。

彼らほどの経験者でも、落には、対応のしようがない、ということなのです。一般のクライマーが、カッコつけて、解けかけた氷瀑なんて取り付くものではありません

氷本体が解けなくても、上から何か落ちてきますよ?そして、それは避けようがない、完全に

 運

の世界です。

登れたとしても、偶然、運が良かっただけのことですので、俺の実力だ、と慢心するのは辞めましょう。慢心しているかどうか?は記録の書き方で分かります。

読んでいて、相手の実態を知っているために、こちらが恥ずかしくなるようなのを読んだことがあります…

■ まとめ

以上で、平出さんたちがわざとリスクに近づいて行ったのではなく、


 やむを得ない事情


で、命を落としたのだということが分かった解説でした。


ご冥福をお祈りしています。

2024/08/27

It’s not my childhood trauma, it is "Climber wound"!

How can you HEAL the MOTHER/FATHER wound?

I admit that I am AC. AC is a short for Adult Children and that means I had to take a full responsibility when I was a just a kid, I am the oldest of 3 and my mom was single. 

So I started to take a responsibility of home maker since I was 8. So this habit of taking your full responsibility was so beneficial when I was leading to climb. 

I knew how to knot clove hitch before I climb multipitch. Also I knew how to climb a rope before I can lead climb my first 5.9. 

But NON of my climbing partners had a skill equals to my skills... some even does not bring his own rope. 

Lack of gear is out of question. Lack of skills is also out of question. 

As a result, I got injured. Because of my partner's lack of skills of his belay and lack of responsibility!!

Some guys come to me are worse. They say I was so close to death when he put me so close to death. 

The last partner of mine has climbed 2 pitches at 50 m single rope, and the two pitch was 25 m, and 35 m.  No wonder why we had to hang in one bolt. 

so my entire effort of getting out of my childhood behavior which did not make me happy, taking too much responsibility as a child was misused by those who are very irresponsible and uncompetitive.

I must be very careful of choosing my people.  

 



【クライミング心理学】自分の心に問う行動

 考えられる理由のリスト。

1)知識が豊富すぎ、未来が予見できるため、興味関心がもはや薄い

2)もはや、それが実現したいことではない

3)実現できたとして、それが価値あることとは、もはや感じられない

4)自分にとって良い出来事なのか?不明

5)夢を実現させたが、幸福にならなかった経験がある

である。

どれも、自分の心に問うようなことであり、そうであれば、やって見なければ分からない、というのが実際のところだ。

以下、心が疲れていることの解析。

■ 愛着の対象をコロコロ変える?ことにお疲れ中?

長引く転勤で、いらだったのは、愛着の対象…壮年期の女性の場合、それは、

 家庭づくり

だと思うが…を、毎回、作り上げた、その愛着対象を取り上げられるので、いらっちスイッチが入っているということは確かなことだろう。しかも、自分が十分満足した、というタイミングではなく、え?やっと作り上げたのに?みたいなタイミングで取り上げられる。

その喪失感から、毎回、回復しなくてはならないのだ。

私にとっては、家庭を作る、家族をスタートする、ということが、最初の希望だったわけだが、それらは、2度の流産で失脚?した。

その後、山梨でのヨガでの生徒さんたちが、その地位にあった。私の、作り上げたもの、ということだ。良い雰囲気のクラスだった。

さて、それを喪失させられ、ここ最近、6年はクライミングによる地域おこし、が入ってきた、というのは、否めない。

このブログでも度重なる思考を重ねている。

■ 女性の愛着の対象

愛着の対象が、家庭や家族、なのが女性なのである。これは、ヨガ講師時代にアーユルヴェーダで学んだ。

最近、メンタルだいぶ調子よいが…その理由は、自分の愛着の対象が、大阪の家になって、結局、”今のところ感”がなくなってきたからだ。

福岡の賃貸の家に住んでいても、バカ高い賃料を取られるだけで、何もいいことがない。家もう一個ローン組めるくらいの高額家賃を払って、自分の家はもぬけの殻とは…。

それはただの愚痴であろうが、さりとて、経済的に、非搾取的な立場を度外視しても、転勤生活は落ち着かない。

今か、今かと、いつその地を離れるか、という気分で暮らすことになる。

そもそも、そこに居たいから、居るのではない、というのも、重要な点だ。

■ アメリカは行きたいから行った

私の青春は、間違いなく、アメリカにいた2年である。で、居たいから居た。

生活は、かつかつで大変だったんだが、それは、私が英語が話せるようになることを優先して、週に2日しか働かないという選択肢を取っていたせいだ。人のせいではない。自分自身の選択の結果。5日は、ずっとカフェで本を読んで、周りのおじさんに英語を手伝ってもらう生活をした。

先日、伊藤貫さんの話を聞いていたら、高校生あたりから、私と全く同じような生活をしていらしたらしくて、驚いた。

というのも、学校の勉強、退屈だったんですよね。母校熊本高校はトップスクールなので、放任で、授業自体も2年生の夏ごろには教科書終わってしまい、あとは自分たちで受験に必要な勉強しなさい、みたいな感じなので、学校には行かないでも済んでしまった…ので、大体、図書館で自習するために、学校は存在する、みたいな感じだった。

その後の生活も、学校の図書館や自習室が、カフェに置き換わっただけで暮らしている。

きちんと専門書が読めれば、それで私は幸せなようなのだ。

現在の生活も、同じようなもので、どうやって勉強するか?みたいなところが、私の生活の中心だ。

結局、身体技法系の知識というのは、ヨガの知識や整形外科の知識、栄養学の知識だが…、ずっと同じ姿勢で勉強していたら、体がこわばるから、みたいなところが実際だ。

というので、本来、私はクライミングよりも、勉強しているのが好きなのらしい…。だが、ずっと勉強し続けるにも、ヨガマットや山での散策は必要だ。

■ 行動リスト

1)しばらく引っ越してみる

2)2週間の瑞牆くらし

  意外に癒される。カラードカーネーション。やっぱり活けるセンス次第なのだ。


【クライミングによる地域おこし】地域おこしになぜか、積極姿勢になれない理由

 最近、自分の夢への実現が一歩前進するようなことが起きている。

しかし… 問題が…この夢の実現に関して、なんか躊躇があるのだ。

■ 地域おこしのスキル?

クライミングによる地域おこしをするのにあたって必要なスキルは、クライミング能力ではなく、地域おこし能力のほうだ。

だとすると、地域おこし、さらに言えば、最も大事なことは何だろうか?

地域に、愛着を持てるかどうか?が核心になるのではないだろうか?

では、私はクライマー連中に、愛着を持てるだろうか?

いや~持てませんね。あいつら、自分のことしか考えていない究極の自己中ピープルなんで。

では、地域の人は? 地域の人に対して愛着が持てるかどうか?は、どのような地域性を持っているか?によるだろう。

儒教文化の人は私は愛着は持てない。なぜなら、儒教の教えというのは、支配者が支配を楽にするための教えであるからだ。

■ 日本人の日本人らしさ

海外にいると日本人の日本人らしさは、いいなって思う人が多いだろう…。

日本人同士でも、相手の領域に、土足で入るようなことはしない。まずは相手を配慮して、そして、自分の居場所を確保する。

海外でも、お先にどうぞ、という文化はある。AfterYou、というが。

そうした文化はどちらかというと、ヨーロッパにあり、アメリカにはないと思うが、アメリカ人の中にもいない訳ではない。

私のアメリカでの人格は、そうした人たちに近かったと思う。

しかし、問題は、アメリカでも、日本でも、

 わがままで駄々っ子で俺はダメな奴だと主張して、こちらから慈悲という行為を引き出して、裏であっかんべーとやっているような奴ら

である。この人たちは、日本的気質と言えるのだろうか?私には日本的というよりも、むしろ、アメリカの功利主義的な人に見えるのだが。

例えば、怪我をした仲間を置き去りにして、自分は登りに行ってしまうような奴とか、である。山でも、高山病になった仲間をほっぽって山頂に行く人いますからね。

そういうような人たちを利するようなことは絶対に嫌だなと思っているのである。

しかし、地域おこしビジネスには、そうした人は多い。それは、結局、政府からの大量の補助金が流れ込んで、楽して儲けられる仕事になってしまっているからだ。

■ 外国人による、乗っ取りを避ける

立山に行く前に、非常にマナーの悪い外国人(観光客ではなく、住んでいるのではないか?と思われる人たち)でいっぱいの谷町線を天王寺で見た。

なんとなく、日本が乗っ取られるのではないか?みたいな危機感を抱いた。

その危機感は、立山で、リアルな現実として具現していた。

実際、乗っ取られていた、のである。

乗っ取っていた人たちは、国内外国人のタイプで言えば、良いほうの外国人だったと思う。特に中国人のLee君は小屋の親父さんからも信頼が厚く、仕事もうまく回していたと思うが…それでもやっぱり日本人の自己主張力が弱いので、治外法権化してしまう。

いい人なのになぜそうなるの?と思う人が多いだろう…

例えば、餅事件があった。賄いの朝食の卵焼きをフライパンで作るのだが…

「これ、どう焼いてほしいの?」

「餅」

「え?餅って?」

「…。もーいい!」

結局、餅って薄焼きのことで、日本では餅と言わない。ところが、中国人のほうは餅と言わない、という学習機会ではなく、ったく日本人は分かっていない、という学習機会にしてしまうのである… いや、ここ、日本ですよね? 日本語使いましょうよ。

たぶん、薄焼きではなく、日本の卵焼き風に丸めてしまうくらいの自己主張パワーが日本人には必要らしいのだが、自己主張をしないで相手に寄り添うのが、日本人の日本人たるところなので、国際社会ではそういう性格は

 透明人間

ってことになる。そういう人が生きやすいか、生きづらいか?明白であろう。

そして、乗っ取っているほうも不幸だし、乗っ取られている日本の側も決して幸せそうには見えなかった。

Lee君は一生懸命働いてくれたが、それが日本の山小屋の親父さんには、ちょっと違う、と感じられる。だから、日本人が欲しくなる。でも、その日本人らしさが何なのか?親父さんは言語化ができないのだ。

海外にはクライマーの町はいっぱいある。しかし、そこは、外国人の文化で運営されているから、日本人が出かけて行っても、楽しいのである。日本人は郷に入れば郷に従うから。

逆に、日本的な家庭的なノリで、運営したら、日本人は、相手に過剰に親切すぎ、軒先貸して母屋取られる、ことになるし、それは双方にとってハッピーではない。

受け取った側は、返礼しないといけないくらいなら、最初から親切を求めていない、と思うだろう。

まず与えて、そして、受け取る、は、ほぼ日本でしか通用しない。

■ 治外法権、ニセコの二の舞?

しかし、海外にあるようなクライマーの町をそっくり、日本に持ってきたらどうなるだろう?

ラオスを事例にすると、地元のラオス人に対する恩恵はないのである。

グリーンクライマーズホームは3度も火をつけられている。つまり、地元の人からは、歓迎されていない。

そりゃそうだ、クライマーズパラダイスを作っただけで、そのパラダイスには、地元の人は含まれていない。

それでは、地元の人は面白くないのが普通だろう。

考えても見れば、西洋人というのは、こういうことを延々と歴史の中でやってきた人たちなのである。

例えば、ある国にコーヒーの木を見つける。そして、そのコーヒーを安く買って高く売る。

儲かったのは誰か? 見つけた西洋人だ。それだけなら、現地の人は何も言わなかったかもしれない…しかし、それ以上のことを起こす。平和な現地の生活を捨てさせ、コーヒー農園の労働に駆り出され、結局、利益は? 西洋人ががっつり取っていく、ということになって、ローカルの人々は伝統的な生活を破壊され、貧困に追いやられる。

クライミングだって、同じやり方をグリーンクライマーズホームはしてしまったのだ。

無自覚に。

■ ローカルビジネス

一方で、そういう事態を見て、クライマーの増加に目を付けた一般のラオス人がやっているゲストハウスもいる。

そうしたゲストハウスは、楽しいのではないか?と思って、次回は、何泊か、そういうゲストハウスに宿泊したいなと思ったりもしているんだが…前回、だいぶ現地で見つけてきたので…

そうすれば、ラオス経済に、ちゃりんとお金を落としたことになるだろう。

ラオスでも言っていたが、西洋人は、別にお金を落としたくないのではない。ただ、ラオスが提供するものに、先進国の彼らが欲しいものがないのだ。

西洋先進国では目が肥えてしまっているのである。

近所の雑貨屋ひなたさんがやっているようなハイレベルな雑貨だったら、みんな買っていくだろう。

■ 以上が躊躇の理由だ。

ということで、機会は舞い込んだ。

後は実践をするだけなんだが…私はどうしたら、良い形で、これらの実践を地域にもたらせるだろう?

なんせ、訪れてくる西洋人は、ローカル経済への貢献が、岩場存続のカギだとは考えていないのである。

ただ、便乗できる岩場が見つかった、それだけのことしか考えていない。

無料で遊べる安い岩場がある、彼らの狙いは、それだけのことだ。

そんな、穴場みっけ!みたいな扱いを受けて、地域経済はうれしいか?

うれしくないに決まっているだろう… ゴミと迷惑と事故しか、クライマーは落として行かない…それが、これまでの日本国内のでの日本人クライマーの歴史で、クライマー本人はそのことに無自覚だ。

その日本人クライマーに、さらに輪をかけてパワーアップしたのが外国人クライマー…

クライマー側からしてみれば、ただ登りに来ただけなんですけど… 

そりゃそうだろう…

でも、一般の観光客だって、京都でオーバーツーリズムとなり、迷惑がられているんである。

ゴミ、迷惑、事故は、言わずもがなだが、自国の風習を勝手に日本に持ち込むのは、文化の破壊行動だ、という自覚が、外国人にはない。

あまりにも、自己中すぎるので、どんなに内向的でおとなしい人でも、自国の習慣、例えば、公衆の面前で、裸同然のキャミソール姿になるとか、熱烈キスやハグをしてそれで普通である、とか、そんなことをしても、本人らは気が付かないのである。

それを阻止できるか?一般の地域のおじいちゃんやおばあちゃんが?

まぁ、無理であろう…

その、きっかけを作る、そんな存在にはなりたくないのである。私は。

したがって、考えついたのが、

 小値賀方式

である。外国人は一か所に集めると、そこで外国文化を形成するのは当然だ。なら、分散させれば、日本人が主導権を握ったままでいれる。

小値賀は、それを地域住民による民泊という形でうまくやっている。1組しか泊まれない。

植樹祭広場が、治外法権化しないことを祈るばかりである。




2024/08/26

【大阪ライフ】大阪にある幸せ&伊藤貫&チョイスセオリー

 ■ 雑貨屋好き

学生のころから、雑貨屋さんが好きで、日本ではホームインテリアのことを雑貨屋、と呼ぶと思う。

神戸元町には通っていて、今では普通にどの駅にもある、カルディだの、成城石井だの、でしか買えない輸入食品は、その昔、神戸グローサリーまで出かけて、一缶800円もする、ブラックチェリーを買って、学生寮でチェリータルトを作るような学生生活をしていた。アメリカの郷土料理である。

今思えば、卒業論文はポリティカルコレクトネスだったのは、現在を先取りしていて、私は非常に先見の明があったのだ、と思う・・・当時は卒論はやっつけ仕事で、本当に楽しんでいたのはアメリカ料理の習得。

あの頃、使っていた世界の料理という百科事典的レシピブックは、今探してもどこにもなく、また手に入るなら、手に入れたい…。おかげでだいぶ、アメリカには行く前からアメリカ料理に詳しかった。

最近、偶然発見した、このサイトが、マイヒット中だ。

アメリカ南部の台所

『アメリカの食卓』という本間さんの本を長く愛読した。本間長世教授は、東大のアメリカ研究者だが、今思えば、アメリカが見せたいと思ったアメリカしか見ていない学者で、御用学者、と言えるのかもしれない。

遠い過去、アメリカにも主婦がいたのだ、今はいないけど。

■ 人種問題と民主党

そのような学習をして臨んだアメリカだが…意外なことが多くあった。

サンフランシスコで会った南部からの黒人さんは、街の人が黒人差別がないことに非常に驚いていた。

アメリカと言っても、人種的多様性があるのは、大都市のことで、田舎では違う。

サンフランシスコ、といえば、極左の町、先鋭的な民主党員ばかりみたいな町である。日本人というだけでアイドルになれる。日本で、ガイジンというだけでアイドルみたいなものである。サンフランシスコはそうゆう街だが、外国人であるということと同程度に自分を

特別

にしてくれるのは、同性愛であることだ。性的倒錯は、自分を

特別

にする手段になっている。

サンフランシスコでは、住んでいても、ちょっと変だな、ということは頻繁に起こる。

例えば、私がいたころは、中学の入試で、血筋にインディアンの人がいると、有色人種枠で有利だ、というので、必死に親戚筋にインディアンいなかったっけ、とレズビアンの大家さんが探していたのであった…。レズビアンなのに、子供がいるというのが不思議だったが…。

要するに、当時から、アメリカはおかしかった。30年前から。

■ 伊藤貫

さて、現在のアメリカでは、トランプ大統領に代表されるような、共和党が台頭…というか、民主党の極左…社会主義的政策は、実際は誰を利しているか?という真実に目覚めた国民とそうでない国民の一騎打ち、みたいな様相になっている。

結局のところ、勤勉な日本人が労働で得た対価も、アメリカの0.1%の富裕層、つまり、オリガーキーに富を吸い取られるだけのことなのである。オリガーキーって、世界の富を独占している上位1%の人たちのことだ。DS、ディープステイとという人もいる。

伊藤さんの解説を聞いていたら、政治献金の7割が、誰から来たのか、分からない匿名の資金だそうで、これが例えば、税を払わないジェフ・ベゾスやら、ザッカーバーグから来ているらしいのだ。

日本でも似た構造で、結局、民主主義だと、まともな人は誰も政治家になりたがらない、と話をしている。

https://youtu.be/c-dgMfr-FtI?si=w8MSnyXJh8NUoXjR

その人たちって、シリコンバレーの民ですよね?ってので、またもやサンフランシスコベイエリアは、沸点みたいな場所であるのだが、その時代は終わりつつあり、もはや、古き良きアメリカを求めて、テキサスまでIT拠点ですら移動しているそうである。

そういえば、IBM関係の仕事をしていた山梨時代の前、17,8年前、関連会社がみな、テキサス系で、自家用ジェットで飛ぶ経営者たちの世界観に、日本人経営者の社長さんは毒されているようであった…。

以上は時代を目撃した私の目撃情報ってところである。

■ 30年前の富裕層

しかし、私が見た、30年前のアメリカ富裕層の暮らしは、金銭的には豊かでも、心はそれは寂しいもので、ビバリーヒルズ青春白書に出てくるようなプール付き豪邸に、昼間住んでいるのは家事使用人ばかり、という世界だったけどなぁ…。

私の最近気に入っている子供動画のような、健全な家庭生活は存在していなかった。富裕層の暮らしには。親は子供の世話を焼かず、知的で優秀な教育係が焼くのがアングロサクソンの伝統で、そこに日本人大学生はぴったりのようだったが。暖かい家庭生活がそもそもない、ということにかなりびっくりした私だった。

欧米人の大人としての生活は、誰が誰と寝たとか年がら年中その話で辟易だった。

アメリカでクライミングしていたら、たぶん、同じように誰が誰と寝たとか、そういう話ばかりでくたびれるんだろうなぁ…関係ない世界に生きたい。

■ 大阪にある幸せ

さて、大阪では、近所の雑貨屋さん巡りで、昨日と今日の収穫が素晴らしい。

■ 谷六 日本の雑貨ひなた&フランス雑貨Carbon

ひなたさんもCarbonさんも、とってもかわいい雑貨屋さんで、隣り合っている。目のご褒美である。

思うに、女性は日常のちょっとしたかわいいものが必要に出来ている。可愛いもの、を持つ程度で、心が満たされるのなら、安い買い物ではないだろうか?

Carbonさんは、金曜と土曜しかやっていないそうだが、とってもすてきなフレンチ雑貨屋さんである。

となりのひなたさんは、日本の手仕事作家さんの作品を置いている。手仕事のレベルが高く素晴らしい。行った時は野鳥シリーズの日だったらしくて、作家物のアクセサリーなど、こまやかな仕事ぶりの野鳥の作品がすごかった。山で見るお土産も野鳥物は多いが、はるかにしのぐ、レベル感だった。

https://maps.app.goo.gl/Xot5seZqSGiG7VE89

上高地とかでやったら、売れそう。




                雷鳥の置物


■ ココア専門店 アカイトリ

仕事で使うような普通のビルの一階にあって、空堀に引っ越してきて20年なのに、今頃知った老舗ココア専門店。

一か月ローテーションしても、まだ違うココアが飲めそうなメニューの充実ぶりだったし、しかも、ヨーロッパのショコラティエ並みにおいしい。

レッドペッパーチョコレートなんてあります。

オレンジのココアを飲んだのだが…これが、まるで、バルセロナの高級ショコラティエの味がした。

ヨーロッパのショコラティエって、ホントおいしいですよね。

しかし、カカオも、コーヒー同様、植民地での搾取をベースにした作物…あまり深入りしないほうがいいかもしれない。

まぁ近所にすごい実力派のココアを飲ませる店がある、というのは不幸なことではない。

https://maps.app.goo.gl/QPWGUYMwMNAbHYo19


■ パカラ堂

今日は、女性の日でもあったので、クライミングは取りやめて、パカラ堂でのんびり読書して、乙女に過ごすことにした。

近所の高津神社の境内入り口にある、こじんまりしたカフェで、焼き菓子がとてもおいしい。

そこで読んだショートショートが印象的だった。

枝付き干し葡萄とワイングラス (講談社文庫)

浮気を妻に告白した男の一人語りなんだが…、妻の逆上する様子やその逆上を甘んじて受け入れる姿、どっちも好き、みたいな女性の側からしたら、は?!みたいな返事をする本人…、

人間ってこんなものだよね~みたいな、割り切れない部分が描かれている。

そういえば、子供のころは、こういうのばかりを読んでいたよなぁ…。

小説の世界は、割り切れない人間の心情を描くもの、であるが、ビジネス書や心理学などの学術書は、割り切れないものを説明しようと追及するものだ。

割り切れないものは割り切れないまま、やり過ごす感というか… 

ビデオトークでOKというか、実況中継でOKなのだ感というか…

というので、心理学の本も持って行ったが、解明よりも、実況中継、の意味を感じた。

神は人生を解明しろ、と人間に言わず、人生を楽しめ、と言ったらしい。

■ おしゃれ花屋のMojo

その後、花屋のMojoさんへ出かけた。ここは、観葉植物も生花もおしゃれなのである。

が、谷町九丁目は寺町なのに、お寺の副業でラブホをやっているところが多く、なんと今日は高校生が制服姿で、まるでゲーセンから出てくるように普通のノリで、これまた、どこにでもいるような男性と出てくるのを見かけた…

アメリカもくるっているが、日本もくるっている。

ひとしきり、花屋さんとの相談で、花瓶はあきらめ、月桃をドライフラワーにする予定で購入した。

花はなかなか満足の世界は遠い。福岡では、花屋が安くて良かったなぁ。

でも、一輪でもいいので、花があると生活の潤いが違う。

生活のうるおい…こんな漠然とした言葉に、真理を見出せるようになるとは!

小さなことに幸福を見出すのが大事、とはよく言われる。が、若いころは、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

それが、本当に見出せるようになる、という実感が、良き発見かな。

若いときから花には慰められてきたが、ある意味、敗者の慰めというか、大きな成功への郷愁的な感傷もあった。今は全然ない。

こだわりみたいなものが減ってきている。好きな花もあるが、好きでない花もきれいだ。

花があるといいなって単純に思う。

わざわざ深山に行って、高山植物を大げさに眺めたり、写真を取ったりするのと違う。

単純にきれいだな、って思うその気持ちが穏やかで、幸福だなって感覚である。

だから、花が道端の花でも、野菜の花でも、スーパーで買ってきたのでも、オサレ花屋さんのでも、どれでもよくて、ただ、花があるといいな、っていうもの。

   カラードフラワーは人工的で嫌いだと思っていたが、そうでもなかった。

子どもが楽しそうだと見ていて嬉しい、とか、犬が無邪気にボールを追っているのが平和だ、とか、そんなのと似ている。

クライマーは、登る者。ただ登りなさい、みたいな(笑)?

ただ登ったり下りたり…、それで幸せになって、なぜそれ以上を望むんだい?みたいな?

英語では、whatever というんだが…クライマー間の主義主張の小競り合いの不自由さというか、自己呪縛というか…小ささというか…いつまでそんなどうでもいいことにこだわって、楽しむ時間を無駄にしているんだい?みたいな???

クライマーが年を取り、そして、クライミングって楽しいなって、良さを実感するというときには、こんな気分になるのではないだろうか?

…というわけで、読書好きで、家が好きで、コーヒーとチョコとワインが好きで、世界情勢が気になる私は、まぁ、そのままでいい、みたいなんですよね(笑)。

いいみたいってのは、幸福みたい、ってこと(笑)。

どこかへ向かおうとしなくても…。何者かになろうとしなくても。

ただ、在れば。

自分であることを楽しむ。…その自分であることの一部に、私は不思議なことにクライミングがあったのである。いい香りの石鹸を買いたい、とかと同列に。ということを実感した一日でした☆ 幸福☆

           最近の本棚 あまり増やさないようにしてる

2024/08/25

【クライミング心理学】トランスコーチングで自分と同じ人の事例を見る

 ■ トラウマが深刻な人は、オープンカウンセリングに向かない

神さんという人がやっているトランスコーチングのオンライン教育に一年近くの時間をかけて参加しており、昨日がその最終回だった。

これに参加したのは、傾聴を主体とするセラピーは、トラウマがある人にとっては、トラウマ体験を思い出すことで、傷が深くなるだけで良いことがない、という確信があるからだった。

もうね、自分の子供時代が大変だったことについては、語りたくないんですよ…というか、終わってせいせいした!というのが、18歳で家を出て経済的に独立したときの感想だった。

当時私は、アメリカ”黒人”女性文学史の学徒だったが…アメリカで黒人で、女性って三重苦って意味で、その人たちに共感するくらいだから、母子家庭で、長子で、女性って、日本では三重苦です。どれくらい、しんどい子供時代だったかというと、奴隷と同じくらい、って意味です。現代日本なのに。

まぁ、一般的には、そんな大げさな…と子どものたわごとと思われるだけなのです。お母さんはそれでもあなたを愛していたんですよ、みたいな。しかし、私、過労で玄関で気絶しましたからねぇ…。子供は加減を知らない。その上、日本では、儒教教育と、体育会系ののりと、奴隷根性丸出しの勤労の美徳の押しつけ、があるのである。これだって三重苦だな。

その”勝者”にいったんはなったんだが…それは非常にメンタルに悪い。

幸福からは遠ざかる道だった。というので、傷を広げるだけで、癒し効果がないセラピーには、正直うんざりしていたのである。

世の中は素人セラピストであふれており、安直な銭稼ぎに目がくらんでいる人たちが主体である。

目を付けたのは、神さんのセッションではなく、スティーブ・ギリガン先生やアメリカの女性の先生のセッションのほうで、日本人はなぜか、直接こうした偉人のセッションを受ける機会が授与されていないようである。

さて、ここまでがオープンセッションを受けない理由だ。傷が深くなるから。

で、まぁ、ある意味、損はしている。

昨日は、佐藤さんという方のオープンセッションを解説してくれる日で、眠い目をこすりながら見た。

見たのは2度目なのに、ああ、この人は私と同じ傷を抱えているのだ、ということが分かった。

キーワードは、長子、親の期待、成功、である。

■ 長子という病

簡単に言えば、

 ①彼は、親の期待に答えなくていい、

 ②自分の好きに生きていい、のに、

 ③そのエネルギーが出なかった、のである。

長子の病、とでもいうべきだろうか? 最初の子供には、親の期待は非常に大きい。長子が担う責任の重さはかなり重たい。

私が感じていた期待の重さは、アトラスが地球を背負っている、その姿くらい。山登りが好きだったのも、重たい歩荷に自分の人生の重荷を重ねていたからである。

重たい… でも、頑張らねば…それは、私自身の姿。その先には、ご褒美として、山の景色があるのである…

しかし…そうしたことを、クライミングに来て、”倒錯” と感じるようになった。

わがまま放題に甘やかされて育った男性クライマーは、自分で自分のロープを担ぐことすら、”え~” っていうのである。彼らはひたすら、自分が楽にかっこよくなることを目指しており、そのために他者を利用することすら、いとわない。その他者が、たとえ、自分より弱いもの、社会的に、弱者であっても、利用するものは利用するのである。

そんな、”お子様”のクライマー連中を見て、私は思ったのである。 

「へぇ~ 世の中、そんなんでも生きていけるんだ~」

そう。生きていける、のである。

日本ほど、日本男児にぬるま湯な世界はないであろう…

現に、クライマー界は、トンデモレベルの人のほうがトップに座っていたりする。まともな社会人っているんだろうか?くらいなレベル感でクライミング界は、成り立っている。

事例としては、ビジネスの勉強なんかしなくても、クライミングジムビジネスは楽勝だったらしいですよ(笑)。というのは、全くビジネスに関心がそもそもないジムオーナーの様子から、逆算して、うかがえるのである。

要するに、世間は私が理解しているより、相当、ぬるま湯。

なぜ、私は、世間を厳しいもの、アトラスのような姿に誤解したのだろうか?

それは、幼少期の苦難がそう思わせるのである。

■ あれ?みんなレベル低い?事例

だから、いきなり、アメリカに行っても、”うちにも来てくれ”とベビーシッターの仕事が引く手あまた…となってしまい、結果的に収入は普通のアメリカ人並みになって自立出来たのである。あれ?1号事例。

だから、いきなり、新卒入社した人が、”一流企業”の”開発部”で、”業務改善”してしまい、問題が明るみに出て、最後は”研究所付きのエンジニア”になってしまうのである…。あれ?2号事例。

だから、いきなり、登山で雪の山に行っても、これの何が難しいのですか?となり、一升瓶担いで阿弥陀北稜なんて馬鹿げているでしょ!ということになり、山岳会の恥部が露呈してしまうのである。あれ?3号事例。

同じことで、白亜スラブの登攀や九州クライミングで起きたことは、ぜんぶ、私にとって、

  なんで普通のことがみんなできないのか?謎

であった。

50mシングルで行っているときに、25mと35mのピッチをつないだらどうなるか?なんて、天才でなくても、計算改めてしなくても、無意識レベルで分かりますよね?

壁から離れたビレイとかも同じである。ロープの意味ないじゃん、それ。

ランナウトも同じで、ランナウトって地面にぶつかりますって意味で、それ以外のものは、そもそも、ランナウトと呼ばない。ただピンが遠い、っていうだけのことだ。ランナウトにはRをつける、

…というわけで、私からすると、もう、どんだけ~ な感想であった。

そして、どうも、世間の基準は、どんだけ~と私が感じる、その甘々の側に合わさっているのである。

どれほど、過酷な子供時代を生き延びたか…ってことです(ーー;)。

リビングのモノの配置が昨日と変わっていないというだけで、掃除していないでしょ!で、ビンタ打たれるくらいの厳しさで育ちました(ーー;)。

■ 生き延びただけでオッケーと思っていた

というわけで、ほうほうの体で、子供時代を生き延びたため、私の中では、この後の人生は、ただ

生きてさえいれば、もうけもん

ということになっていました…。もうこれ以上の成功をおさめなくても、自分がただ生き延びていれば、もうこの回の今生は、OKだろうと。なんせ社会貢献みたいなことは、すでに小学生、中学生でやった。

すでに子供時代に、人生一回分の成功体験と苦難は確保した、みたいな?

これ以上、私に”成功”を求めないで、みたいな?

もう何も出ません、くらいに、心的エネルギーは、すっからかん、だったのである。

■ まだ出せるらしい

しかし、私はトラウマによる、無意識の自動行動で、

・ナルシスト

・依存者(被害者タイプ)

に対しては、能力や時間、愛情を無限供給してしまうのである。

あれ?供給してしまう?まだ、タンクに入っているのかな?

そうなのである、空っぽと思ったら入っている。

以下は、南ユウタさんのメマガの抜粋である…

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あなたも、「与え過ぎる人」ですか?

他人に率先して親切にすること
他人に親切にしてもらったらお返しをすること
子どもにとってやさしい良いお母さんになるために、毎日がんばること
恋人のために一生懸命にがんばること


これらは、それ自体は本来はとても素晴らしいことですよね。


でも、行き過ぎるとあなたも相手も不幸になります。

なぜか?


そもそも与え過ぎる人は、「与えないと不安になる」のです。

単に与える人は、「与えることが喜び」です。
与えないでも不安には特になりません。

与え過ぎる人は、一度与えても、それが相手にとって良いものになるか確信が持てません。

だから、また与えようとします。

こうして、気づいたら次から次へと与えまくる人になるのです。

中略‥‥

「与えないと、私が価値のない人間になってしまう(そう評価されてしまい、見捨てられたり、無価値感を味わう)」


という、いいね軸の生き方特有の不安が根底にあるのです。

だから、過保護過干渉気味なセラピーになります。

すると、本来は「相手のためfor you」にセラピストになったはずなのに、気づけば「自分のためfor me」のセラピーになっちゃうんですよね。

また、こういうタイプの人は、「オレ様タイプ」や「被害者タイプ」のクライエントからは餌食にされます。

全部、セラピストである、あなたのせいにされます。(ガスライティング)

本人は、そもそも他人への過度な依存心自己中心性が本当の課題なのに、そこには気づくことはありません。

あなたがケアテイカーとして、救世主になろうとしてしまうからです。

(中略)

これは恋愛にも、夫婦のパートナーシップにも、子育てにも共通します。

脱出のためには、「与えなくても大切ないのち」という「いのち軸」な生き方へシフトすることです。
ーーーーーーーーー

これは、クライミングのパートナーシップでも言えます。

私に近づいてくる人は、今のところ、ナルシスト君、もしくは、依存ちゃんの2パターンでした。

■ 傾向と対策

さて、ここまでで、①親の期待に答えなくていい、の原理が、

  期待に答えないと不安に駆られるという原理

であることが分かりました。

敵は、期待をかけることで、こちらを利用したり、コントロールしたりしようとしてくるということです。

期待が武器で、目的はコントロールとこちらのリソースの搾取、です。

クライミングに置き換えると、期待という武器は、

 クライマーは自己責任、とか、クライマーなら〇〇して当然…、女性は〇〇してくれるおもの…という押しつけで

目的は、ドレイヤー、ゲット。そして、こちらのリソース、いつでもビレイに出て行ける時間的ゆとり、豊富な安全知識、そこまで労をいとわず来てくれる親切さ誠実さ、ギアを充分持っていること、IT知識が豊富で頼れること、語学力などのリソースへの便乗です。

仲間意識、俺はダメだから、俺は男だから、などを不当に利用しようとします。

一般に、それくらいしてくれるのが当然だろ、と押し付けられるので、有償だと何十万も掛かるお世話をしても、なぜかお返しも、感謝もない、ということから、一方通行、つまり、テイカーだと分かります。

ナルシストの場合は、強い奴が得するのは当然だろ、みたいな行動原理です。

普通の感性の人は、何かしてもらったらお返しをする、というマッチャーの感性を持つのが普通です。

つまり、この人たちには、この返報性の法則という心理が働かないです。頼んでいないんだから、してもらって当然感があります。

たとえ、俺ってかわいそうアッピールを200%出していても、です。おれ子供が6人もいるんだ~とか。明瞭に、こちらの慈悲の心にすがろうとして、してもらったことは、してもらった、には彼らには入りません。

■ 好きに生きる には?

さて、期待通りに生きている人は、親の敷いたレールに載っていることが多いものである。

佐藤さんもそうだった。しかし、はた目には、本人がそれを負い目に思っていることは分からない。

なぜ、いきなり、なんか厳しい様子で、出入り業者を責め立てるのか、傍から見たら分からないが、彼の内部では、公僕としての使命感で、税金から出てるんだぞ!ちゃんとやれ!と思っているから、ガラの悪いあんちゃん、が出てくるのである。

正義感があることは悪いことではない。その正義感を肯定できないのはなぜか?

好きに生きている人は、自分の正義感も、肯定できるだろう…

自己受容ができていない、と指摘するのは簡単だ。

しかし、自分でもなぜ、ちゃらんぽらん系業者がいい加減な見積もりを出してきたときに、こんなにも、厳しく追及をしたくなるのか、本人には分からない。

ACは、チャイルド自我で生きている人を見ると、腹ただしいという法則の発現事例なのです。

しかも、これ、課題の分離という定番心理技法では解決できない。

課題は分離されていて、業者は自分の責任をきちんと全うしていない。クライマーも同じで、自分の命をきちんと面倒見る奴は、人のロープでリードしようなんざ思わない。

課題を分離したら、お前ちゃんとやれよ、で終わってしまうし、ちゃんとやらない人は、困っていないので、カウンセリングには来ないのである。

と、ここで既存の心理学だと袋小路に入ってしまうのである。

さりとて、この問題をうっちゃって、

 もーいい!

と怒り、

 自分の好きに生きよ!

と開き直っても、それってどんなのか?具体的には分からない。

今、好きに生きていないのか?と言われても、それなりに好きに生きている気がするし…。

同じように、ちゃらんぽらんになんてなりたくないんである。

これは、俺様タイプのカウンセラーにかかると、コンフォートゾーンから出なさい、などと的外れな指摘をされて終わりである。

とっくの昔に出て、立派に自分をイジメた結果、今があるんですよ。

■ 無意識に状況を探してしまう…

例: そろそろ息子も大きくなったし…

好きに生きていない傍証は、

 周囲とのハーモニー、調和を取ろうと先に考える

ことから分かる…

自分がしたいかどうか?よりも、状況や、都合、を優先的に考えている、ということである。

たとえば、

・今は時間がないから…時間が出来たら…

・今はお金がないから…お金が出来たら…

・今は子供が小さいから…

・今は夫が忙しいから…

分かりやすい事例で行くと、お金が出来たら開業する、と思っている人は、お金ができない。開業を避けるためにお金を作らないという行動に無意識で出てしまうからだ。

逆に、開業するためにお金を貯めています、という人は、思わぬ収入増加で、開業が早まることがある。

これは、私の人生で2度、具現したことがある。英語とプログラミング言語の習得。話せるようになってからアメリカ行こう、とか考えたこともなく、とにかく行くんだから、困らず話せるくらいには…と、起きてから寝るまでを飛行機内で読み込んだ。プログラミング言語も同じで仕事を受けてから、勉強した(笑)。上手く行かない人は専門学校へ行こうとする。

たぶん、クライミングも同じで、登ったから、登れるようになっただけで、登るためにジムに行くってのは、本末転倒な気がしたんだよなぁ。

さて、話を戻すと、

 ○○したら、×× する

式の思考法を、「反映分析型」と梯谷先生は呼んで、自己実現の阻害要因として挙げています。対比されるのは、「主体行動型」です。

主体的行動がとれていない、って意味です。

逆に言えば、何か状況に依存ではなく、主体的にやっていれば、それが大げさな、いわば、大文字の

 自分の生きたい生き方

ではなくても、そんなキラキラワードでなくても、それが”あなたらしい”ということです。

ただ、反映分析は戦略的に有効なことがあります。私は高校英語では赤点です。わざとやっていました…。こんなところで暗記に労力つかうなんざアホ、と思っていたのです。なので、他のこと、例えば、もっと重要だと考えていたリスニングに時間を回せました。

その時は状況反映型思考のほうが、”したいことの実現に有利”だったのです。

■ 選択の練習

自分の生きたい生き方をできていないとき、選択の練習をするのは有効かもしれません。

小さなことでは、今日食べるものを選ぶとか、着るものを選ぶとか。

しかし、これは、オフィスに行くのにジーパンを履きたい、というのと、はき違えると良くないです。ジーパン履きたいから、きちんとした仕事に就けない?それ、単なる甘え、ですよね?

ここで、出てくるのが、昨日、紹介したチョイスセオリーで、選択した後、自分の思考が良い思考になり、感情が良い方向に動き、神経物質で言えば、コルチゾール以外が出る、という行動をチョイスするのが大事です。

自己観察はここでしましょう。

■ ③そのエネルギーが出なかった

のも、当然なのです。

心的エネルギーが出るようなことをやっていないのだから…

周りの人の都合に合わせて自分を押し殺していて、心的エネルギーが出る人いますかね?

いませんよね。

誰かの期待に応える活動で、心的エネルギーを消耗する

→ 心的エネルギーが出ないから、自分のしたいことが分からない

→ さらに、最低限人の要求にこたえることだけして生きよう

となる…

まずは、テイカー、自分から心的エネルギーを奪い取っていく人や活動から離れましょう。

そして、休息。たぶん年レベルで必要かもしれません。

なんせ、20年、30年、50年と人のために消耗してきたとしたら…枯渇具合は、かなりなものになっているでしょう…

それに環境も大事です。私はアメリカでは、自由に生きれました。日本では、難しいです。

なんせ、日本では、女とみたら、自分のメンタルトイレにしてよいと思っている人が人口の半分も、いるのです。

そして、自分のしたいことが何か、今すぐ分からなくても、そりゃ当然です。

そのセンサー、かなり麻痺していますから。

大体の男性は、センサーは、かっこいい、です。おれ、かっけーって感じることが、大体は、その人の正解です。(違う人もいるかもしれませんが)

女性は、もっと複雑です。これは別に詳述することにしますね。

まぁ、総論として、

 日本では、ナルシストと被害者タイプは、好き勝手に生きている

 世界では、基本、みんな好き勝手に生きている & してはダメなこと以外は全部していい、

です。

今は目標やビジョン(上質世界)が見えていなくても、人だからそんなときもあります。

いつでも、がつがつビジョンに向けて猪突猛進している人なんて、絵にかいた餅です。

あの、ユージさんですら、前回のオリンピックでは、もうやだ、とケツまくって逃げているシーンがありました。嫌なことからは逃げてもいいのです。

何もしなくても、あなたはあなたのビジョンを体現していますので、安心しましょう☆

神さんのセッションでは、佐藤さんは、先祖からエネルギーをもらっていました。それも一考です。

          前から雪が好きって言ってるんだけどなぁ…




2024/08/24

【クライミング心理学】グラッサーの”選択理論”、学習中

 ■ グラッサーの選択理論

は、一言でいえば、

 気分 は 自分で 選べる。

です。もう一つは、

 脳内伝達物質は、自分で選べる、です。

詳細はこちら: https://www.choicetheory.jp/about/

■ 基本

行動(アクションとは?)

= 行為 + 思考 + 感情 + 脳内物質

という基本公式から成り立ちます。

ある行為を選ぶ。

すると、思考が湧きます。

すると、感情が湧きます。

すると、それに応じた脳内伝達物質が出ます。

■ クライミングは分かりやすい…アドレナリンジャンキー?

行為:クライミングに行く

→ 思考: これ、おっかねー

→ 感情: 恐怖

→ 脳内物質: ノルアドレナリン / コルチゾール


行為: 登れる

→ 思考: やったー!

→ 感情: 達成感

→ 脳内物質:ドーパミン


行為: 登れない

→ 思考: なんで登れないんだー

→ 感情: 俺はダメな奴だ 

→ 脳内物質: コルチゾール

うーん。クライマーはどこで倒錯したんだろうな?

登れないのが楽しいって感覚は、違うかもしれんなぁ…。

■ 登れない課題にしつこく登ろうとする=良いことだ、みたいなのが、クライミングの成長阻害要因のような??

しかも、クライマーたちの性格が、

 相手に厳しく(して)

 自分に優しい(自分を持ち上げる)

の結果になっている理由のような気がします。

大体、クライミングって非日常動作なので、結局のところ、触った量とどれだけ幼少期から接するか?が運動理論的には、優位なので、個人の資質より、おかれた環境依存のような気がします。

大体、ツヨツヨクライマーって二世ですもんね…。

■ 自分で自分の機嫌を取る

ここ数年、キーワードで出てきていたのが、男性は

 自分で自分の機嫌が取れない人が多い

ということでした。 最近、Youtubeで子育て動画見て、

 子供は自分で自分の機嫌が取れない

 &

 お母さんに機嫌を何とかしてもらうのが前提

となっているんだよなぁ…と再確認中…私も小さい母として、弟や妹の機嫌を取る子供時代で、えらく疲れました。それで、大学で学生寮に入寮したら、最年少で、誰の機嫌も取らなくていいので楽だった…(笑)

私は勝手にお菓子を作って遊んでいました☆

アメリカでは、ベビーシッターで生計を立てましたが、子供は機嫌を自分で取れる年齢だったかも。マシュー元気かなぁ。

■ 私は私の機嫌をどう取るか?

私は、何があると、ご機嫌なのか?

ちょっとした冒険と発見、かな~。

昨日、メキシコ雑貨のトンボラさんを見つけたら、トキメキました(笑)

発見、大好き。

発見をどうやったら、持続可能に出来るか?やっぱり読書かなぁ。

グラッサーの選択理論も、野口先生の動画から、おすすめされたものです。

これはいいな!と思いました。

感情は選べる。脳内物質の何を出すか?も、選べる。

ならば、幸福も選べる。

幸福を選択するには? 何を選んだらいいのか? そこが個人差があるみたいですね!

メキシコ雑貨屋さんで買ったキッチンクロス、サビニャックのマグ、グラッサー


■ 今までに貯めた、感情と機嫌の経験則

自己犠牲感 → 選ぶと不幸

だれかへの非難 → 選ぶと不幸

不満 → 選んだ方が良い場合もある、不満は表明すべき

自分への非難 → 選ぶ必要なし 

自分への反省 → 自己肯定感上がる

他の可能性を考える → 自己効用感が上がる

動画などを見るときに、どの脳内物質が出るか?考えながら見るといいかもしれませんね。


      メキシコのヒンメリ 麦わらあれば作れるんだけどなぁ





【ジム】 Day7 垂壁から傾斜壁へ 足指の強化

 ■ 垂壁が多いジムないかな?

ジムクライミング7日目。

うーん…。このジムは、課題はよく練られていて、とっても面白いんだが…いかんせん、課題数が少ない。まぁ、そのほうが繰り返しで練度が上がると言えるか。

9級が他所の8級、8級が7級くらいだと思うが、終わってしまったので、次に行かないとなんだが…数えてみたら、全部で50手くらいで、長物一本分かな。全部をやってアップ完了という仕組みなのかもしれない。

つまり、岩場で小さな岩場と似ている状況かもしれない。みんないつもいつも同じの登っていますよね(笑)。

■ ムーブができないのではなく、怪我の後遺症かもしれん

レディースのマンスリー3番目で、例のレイバック&正対つま先置き課題が出てきたんだが… あれ、左足首の手術をした人には向かないかもしれん…

現在、アキレス腱手術からの復活中…。

しかも、バレエの廣瀬先生によると、バレエの弊害みたいなんですよぇ…

こちらの動画は、非常に興味深いです。

https://www.youtube.com/watch?v=zMwK7QKxNCY&t=7s

ホント、教えるプロってこういうことを研究している人だと思うけど…

 本人の意思や努力に関係なく、

 解剖学的な骨格の個人差とか… 

 筋力の発揮のされ方

で、

 一人一人能力は違う

という前提に立っていないで、俺ができるムーブは、みんな全員ができるはず、と思っていませんかね??

昨日は、ツヨツヨ女子クライマーと登って楽しかったが… 彼女いわく、

 「男子に教えてもらっても役に立たないんですよね、それ、できないし」

でした(笑)。

なんか、何回か聞いたことがあるセリフだな~

クライミング界って、努力の問題ではないことまで努力の問題にしますよねぇ?

■ 一般的に言ってクライミングのインストラクターの思考回路が他業界と比較して未熟な気がする

そして、結論が、俺はできるし、にいつも落ち着く気がするんだよなぁ。クライマーの教え方って。

俺はこのムーブができる&お前はできない

=能力が低い奴が何とかしろ、つまり、数打って努力しろ、

=教える側は責任放棄

というか…。

インストラクターって、私も教える側なので、分かりますが、学習意欲の高い相手がやる気があってもできないのは、相手のせいではなくて、教え方のせいと自らの課題として考えるもの、ですよ。

水泳の先生(80代女性)や、テニスの先生(大学生男子)は、そうだった。クライミングだけがそうならない。

武井さんもそう言っている。

https://youtu.be/KbS0ETuZxEM?si=Qsf33cgMD5ljyJrz

最も楽なトレーニングを最も短時間させて、技術を習得させるのが、トレーナーって武井さんも言っているよ?

で、できなかったレイバック系の動きは、できるところまで分解はされず、これをマスターするための宿題トレも出なかった…。どういう努力を積めばいいのか明らかでないので、何が核心で出来ないのか、不明瞭のまま終わった…ので、教えたいというのは、指導したい側の自己満足なのかもしれんと思いました…。

というのは、最後はヨガの人って、みたいなレッテル張りだったからです。あんたが悪い、ヨガが悪い、みたいな?しかも、ヨガ自体も知らない…で。知らないことを知っていることにしている…。

まぁそこは置いておいても、日本女子の大部分が内足なのは、認めるが。それは股関節のソケットのつき方の話だぞ?

というので、結局は、登れるようになりたいという私の役に立ったかというと?

微妙かな

まぁ、私が、この人、才能豊かなのにもったいないなぁ…と、私が習得したマーケ技術を使えば、もっと良い本人の長所を強調したマーケティングが可能なのにねぇ…と、いろいろな人に対して思うのと同じかもね♪

三〇ガイドの時は、私のマーケが適切かつ必要だった、と証明はされたわけだが。

■ ねじり、胸椎、足首

さて、自分の問題に戻ろう。廣瀬さんによると、バレエが作ってしまう身体的欠落は

・腰骨盤筋の可動性、低い

・胸椎のねじりが弱い

・左足首が弱い

・結果としての膝の痛み (私の場合、亜脱臼した)

まんま、これでした。

ヨガをスタートしたとき、バレエでのターンアウトやりすぎで、ターンインが弱くなっており、アーサナを一人だけインにするような指導を複数のヨガ指導者に受けました…。もうだいぶ治っていると思ったけど、整形外科の先生によると、左の股関節のターンインは、まだ弱いみたいだった。

一年みっちり、リハビリしたけど、ターンインに使う内転筋が弱いままなのかもしれません。

もっとレップ数を上げるかね?

Leg Lateral ReachTestというのを知ったので、ちょっとこれでテストしてみようかな。

https://www.youtube.com/watch?v=4iwcsiuPsf8

これ、すごく良いような気がするので、これで股関節の問題は目安になるな。

あの緑3は、まぁ、いつか身体の問題が解決してから戻ろうかな。

■ アッパーボディ強化月間にしよう…

もう、できるのを登っていくと、もう緩傾斜の壁に入ってしまった。

しかし、アッパーボディだと、アッパーボディより先に指が痛くなるんだよなぁ…

今、指チェックしたら、やっぱりこわばりがありますね…。

一応テーピングしてやっているけど、指まっかっか。

やっぱり、だから、アイスが好きなんだよなぁ…。

私はフリーはハードに登れなくてもいいのかもしれない。指を犠牲にする気にはなれない。

指と体重の割合で、指の強度が全く足りていない。

昨日、その強い女性クライマーと話をしたら、指、痛めていた…やっぱりなぁ。

私も、なりかけたんですよね、前回…。同じ道を歩まぬようにしなくては。

面白いから、つい、やり過ぎちゃうんですよね。やり過ぎないように、今警戒して、あまり長居しないようにしているが…。となると、今度は、

総合的な運動量自体が足りなくなる

しなぁ。12000円あれば、普通のスポーツジムでもそのくらいなので、総合的に運動できる。フィットネス…つまり健康度は上がるのである。

というので、クライミングジムだけでホリスティックな健康を得るのは、土台無理なのである。

家で

1)ストレッチ、

2)整形外科的弱点の強化トレ、

3)筋トレ、

4)有酸素運動、

5)コンディショニング系の体操、そして、

5)栄養のある食事と

6)十分な休息(睡眠)

の6点は、やってきてもらわないと、そもそも、強くなれない。

腹筋、背筋、頑張る。となると、今度は、体の歪みから来る問題が、強烈になるんである…。となると今度はコンディショニンが必要。(大体、ツヨツヨクライマーって猫背)

猫背の人って、猫背から来るメンタル問題も抱えている。スマホ首の人は、発想自体が歪んでいることが多いのは、心と体はつながっているからである。

体は心を表現している。

まぁ、今回は、3回も登れば、また体がクライミングを思い出すということも分かったので良かったのであるが。

というので、またカーブス的な部分的筋トレの良い動機付けになった。

■ ヨガより、コンテかも?

アシュタンガヨガの再開を考えたが…(憧れのマイソール&OL生活)、どうも、膝にかなり良くないんですよね…アシュタンガヨガ…。

これも指導者次第だが、指導が古いと、膝をリスクにさらす…

しかし、廣瀬先生の話を聞いていたら、コンテンポラリーダンスは、よさそうな気がする。

というので、作戦を思案中である。

■ ポキポキ堂

その作戦の一環…重心の改善…として今週末 ゼロシューズの講習会に行くんだが…というのは、登山靴以外のちゃんとした靴を持ってきていない… 

福岡に帰れば、良いランニングシューズはいくらでも持っているが…そのためだけに帰る気にもなれないし、往復交通費で靴一足、買える。

で、整形外科的に正しい靴を履きたいと思っているんだが…福岡で履いていたマンサンダル…あまりにもクッション性がないので、あまり都会のアスファルト歩きには向いていなかったんだよなぁ…

というので、今は100円ショップのビーサンでお茶を濁している(笑)…。ちゃんとした靴が一足あってもいい。と思っている。


というので、

足は、現在、酷使されていてかわいそうなので、何とかしたいと思っているんだけど…。

指を使うトレーニンググッズも福岡。というので、トレーニング用品がない。毎日マッサージで乗り切っているところだ。

■ 足も手も、指が課題のような?

たぶん、私が思うには、私は…というか女性は…足の指も手の指も力が入らない…。回路がそもそも、つながっていないのではないだろうか?指先の問題が解決するほうがいいような気がする。

とここまで書いて、だいぶ

 弱点や方針が明らかになってきた

指力強化しよう~

というか、一朝一夕には強くならないのが、指ではあるが。

クライミングは体幹とか言われますが、あれ、指がそもそも強い人が主観でそう思っているだけの気がするんだよなぁ。

だって、手が開いてくる感覚ありますもん。

ツヨツヨの人たち、その感覚、感じたことないですよねぇ?