2024/12/12

【クライミング心理学】4年の心理的苦悩のまとめ 1

■ 裏切りの傷

言語能力を獲得する以前に、父親にプールにつき落とされた。これが、クライミングでフラッシュバック(映像)で蘇るようになった。

この被・虐待経験が、

 子供時代の異様な水恐怖症の原因だ、

と分かった。 その頃、別の良いほうの友人たちから、ラオスに誘ってもらったんだが、出かけていくことができなかった。

その

  裏切りの傷

が目覚めたころだったためだ…。普段なら、ホイホイ出かけていくところだったが、「これは、要注意だ、誰が良い人で誰が悪い奴か、私には判別能力が足りていないのかもしれん…」と過剰警戒、が起きてしまったのらしい。その時は過剰警戒とは思っていなかったが。自分で自分が信頼できなくなることをガスライティングというのだが、なぜそれが起きたのか?

心理学を勉強して分かった。

ーーーーーーーーー

過覚醒(hypervigilance)として表面化する。

過覚醒とは、危害を加えられたり、拒絶されたりすることをあらゆる場面で想像し、いつも警戒状態にあることだ

ーーーーーーーーー https://forbesjapan.com/articles/detail/69882 より引用

普通に安全安心の良いクライマー(ヒロさん)に誘われていたのに、なんか用心が勝って、そして、出かけていくことができなかった…。その間に萩原さんは亡くなってしまった…。

… という

  機会喪失体験

になった前回のラオス…。 今回、足首は、全快じゃない。けれど、今回も、行けば行ったで、楽しく過ごせるだろう、なんせ行くだけで、外国であれば、どこでも楽しめるのが私なのだから…とは思うので、行くほうがいいのかなぁ…。思案中。

行くなら、今すぐ行動を起こさねばならんので、早く考えをまとめたほうがいい…。

■ 鬱の諸症状

考えをまとめようとすると… なんか脳がビジー状態…(鬱の症状)で、考えがまとまらないという問題が。書くとまとまるので、書いてまとめようとしているんだが… 書くにも体力が必要で、体力そのものを喪失しつつあった。

最近の発見は、絵を描いていれば、ビジーが収まり、考えがまとまるらしい…ということ。

あとは、散歩。散歩は、私は子供のころから、その辺をほっつき歩いて気晴らしする子供でした…。田んぼのあぜ道を良く歩いていた。

…というので、しょっちゅう、散歩に出ないといけないのです。

散歩=マインドフルネス。散歩で脳内ゴミがすっきりすると、大体

 ひらめき

という形で、考えがまとまります。このひらめきをどう起こすか?が核心みたいな感じ。

それでネパールへ歩きを目的にして行こうかなと思っています。超ロングを歩かないと、だめなんですよね… 例えば一週間以上、毎日8時間歩くと癒されます。

■ 一人で海外をほっつき歩く

昨日は、ジムで、ラオスの話したら… ジムのお姉さんですら、

 一回目は誰かについてきてほしい…

と思うそうでした。そうか~。1回目から現地集合というのは、普通の人には難しいということですね。

ちなみに、私は一回目から現地集合ですが。というか、初めて行ったパリでも一人で行きましたけど…。

さらに、その次の台湾は、1回目からラオスで知り合った外国人と現地集合。

こっちのほうが世界標準って意味です。

日本人の大多数がどうも持っているらしい、未知への恐怖症…にあまり縛られていないのが私なのです。それは、子供時代から、近所のおじちゃんやおばちゃんに助けられて、それが良い思い出だからです。

私の親友だったサー君のお母さん、パンツまでお古くれました。履かなかったけど(笑)。

他人は温かい。家族は無理難題を押し付けてくる。そんな原体験を持っています。

■ 地球家族

クライミングの良いところは、こういう感じで、

 世界中の仲間が地球家族化できること

だと思います。しかし、私たちは家族ね♪と思っているくらいな人に、

 自己愛的虐待

つまり、

 「お前はこんなところものぼれねーのか?」

とか

 「ランナウトが怖い?は?お前、金玉ついてんのか?」

とか、

 「たぐり落ちる? 俺にはカンケーねー」

とか

 「俺の自慢のクライマーになれ」

とか・・・ 全部、自己愛的虐待、ですから…。いや~、クライミングで、

 子供時代の虐待の再演

が起って、自分の子供時代に本当は何が起こったのか?やっと分かるようになりましたが、これは私の母や父がどうこうというより、

 九州の、あるいは、日本の、儒教的な生育環境

の弊害のような気がします。

私が長年学級委員長とか生徒会でいたのは、そういう

 儒教教育の弊害から、守られる、

という意味があったのだと思います。ほかのみんなは、竹刀で殴られたりしていました。別に悪いこともしていないのに。小学校、中学校、とエライ暴力的な学校に行っていたと思います。こどもたちはびくびくしていました。(余談ですが九州では今でも軍隊型教育らしいですよ)

しかし、それから教師による体罰から逃れられても、尊敬している先生から、道具扱いされる、ということは防げなかった(汗)。

ほんと、熊本高校に行ったのは、その先生のため、でした。そのせいで大人時代の半分以上を育英会奨学金返済で、苦労する羽目になった。

同じことで、クライミングでは、インスボンがこの手の経験に相当するかもしれません…。
あれ、行きたくて、行ったんじゃないからなぁ… 

相手が着いて来てほしそうにした心を、こちらが汲んで行った、行ってあげた、って感じだったから…。これは、白亜スラブでも同じです。(それで死にそうな目に遭った。ギブ&テイクでは、ギブのコストが高すぎます。)

相手が着いて来てほしそうにしている、だから行く、という風に心が動きがち、なのです。

それで、ヒロさんが誘ってくれたラオスは、用心のために行けなくなったのです。

あれは、あとで内容を教えてくれたクライマーがいて、とっても楽しそうだったので、しまったなぁ…行けばよかった…と思ったりもしたのですが。

というわけで、誰にでも彼にでも、最大級の警戒心を発動することになったのですが…

過覚醒という状態ですね。

■ 過覚醒の治し方、私バージョン

これ、大学のころ、私はそういう時代に居ました。どこにいても借りてきた猫状態でしたが、

1)大学の学生寮で、最下級生として暮らして、先輩たちに可愛がられ
 → 水泳を倣いに行って、70代、80代のおばあちゃんスイマーに可愛がられ、

2)アメリカに2年働きながら暮らしたら、元気になった
 → 海外にしばらく登りに行ったりすれば、元気になるかも?

みたいな感じかなぁ…。

■ なぜ、ナルナルクライマーに破壊力を与えてしまったのか?

俺をみろーみたいなナルナルクライマーって甲府時代にもいて、ジムで「あの人、腹の肉やばいなぁ」とあまりの浮き輪肉に思って、上裸の男性クライマーを見ていたら、その人が急に元気に登りだして、「あ、誤解された」と思ったことがあったなぁと思い出しました…。

当時は、そういうナルシストに出会っても、全く、ダメージではなかった、のです。

こちら側のメンタルが健全で元気だから、です。

心のエネルギーが枯渇状態=人の言いなりになりそうになる…

これがマインドコントロールの仕組み。

心がエネルギーがすり減る = 無理やり、ランナウトした、登りたくもないルートを登る

です。

ちゃんと登れており、落ちていませんからね! プンプン!

■ 元気になるパターン

大体、海外に行くと元気になる。 なんか、現実的な処理能力を活用する、って感じですかね?

大体、やることが次々にあって、ゲーム脳というか、いろいろこなさないといけないので、それで回復するのです。海外ってトラブル続きっていうか…えーそう来る?ならこういくよ~みたいな、ゲームのクリア感があります。

それで、自分が有能であることを確認する、っていうか…。

38歳で、流産して、うつ病ちっくになったときは、自分であらかじめピンチが自覚できたので、メルボルンに2か月退避していました。

メルボルンでヨガしていたら良くなりました。

…というのは、日本にいると、儒教的考えの影響が非常に強く、自分を大事に出来ない、ということがあるからです。

女性が自分を大事にすると、必ずと言っていいほど、わがままだという指摘が社会からなされます。

他の人の犠牲になれ、というエネルギーを感じる。

これは、日本社会の罠なんですかね?

それとも、個人の内なる親の声なのかね?

あるいは、男親が私はいなかったので、社会性に問題を抱えるとか?

そこらへんはまだ思案中ですが、どちらにしても、海外では、

 境界線の引き方が健全で、

で、女性だからと言って、他者への過剰な世話焼きは求められません…。むしろ逆で、女性であることを配慮してもらえるくらいです。ドアを開けてくれる程度ですが。でも、日本では、重たい荷物は女性が持つことになっていますよねぇ?

もっとも前回、ラオスに行ったときは60代の年配の日本人女性クライマーがいて、その方は、英語が話せるとかで、過剰な世話焼きにより、ビレイをゲットしたい!というので、年配の日本人男性クライマーの周りをひらひらと蝶のように舞っていたのでした… それで、「そんなことしないでいいんですよ」と進言したら、喧嘩になった…。

あなたとは価値観が合わない、と言われました。そのとおり!!

ビレイの代わりに自分の能力を無料で差し出せ、みたいなのって、価値観に合わないんですよ。ビレイってかわりバンコでしょう、特にフリーの岩場では。

クリップ前に核心がこなせないような作り、手繰り落ち危険がリーチが短い人には過剰にあるような作り、登れるようなものがない作り…に、しておくことは、男性の既得権を守ることになると思うんですけどね…。

ラオスはそんなことないのに、なんでその女性が、下手に回っているのか理解できませんでした。

受けてすらいない恩を、御恩と奉公風に丸め込まれるのって、日本独特。

そう、日本では

 俺の世話焼きをしろ、そうすれば、山にあるいはクライミングに連れて行ってやる

あるいは
 
 ビレイしてやる

という、”不平等条約”がありますよね…。日米安保みたいな。

それで、自分を高く売りつけるのが、ナルシストクライマーですが、ちゃんとしたビレイって、

 できて当然のこと、

で、大体の山岳会のおじちゃんらは、そのできて当然のことが習得できていないことが多いです。

2mも3mも離れたビレイとか…

お座りビレイとか…

支点ビレイとか…

できていない人に、なぜかできている人のほうが、媚を売らされる羽目になるのです。

そういうのが日本の社会の不健全性です。

トップのアルパインクライマーにもジムや岩場で会ったことありますが、ハーネス貸してくれたくらい親切で、その逆じゃなかったです。

ダメな奴には、お前はダメだと教えないといけないのです。男のプライドが傷つくから、とみんなが黙っているから、いつまでも改善されないんですよ。

ダメなのは私ではない。

以下、それらを表現する写真です。

        ”見知らぬ人”に、”正しく”ビレイされている私@ラオス

         私のリード中になぜ二人目のクライマーがいるのか?

             間違っていることを教えても聞かない

            もはや何も言うまい… 下の画像を見て判断せよ、です。
参考:ビレイを教えるチェックリスト