■ トラウマが深刻な人は、オープンカウンセリングに向かない
神さんという人がやっているトランスコーチングのオンライン教育に一年近くの時間をかけて参加しており、昨日がその最終回だった。
これに参加したのは、傾聴を主体とするセラピーは、トラウマがある人にとっては、トラウマ体験を思い出すことで、傷が深くなるだけで良いことがない、という確信があるからだった。
もうね、自分の子供時代が大変だったことについては、語りたくないんですよ…というか、終わってせいせいした!というのが、18歳で家を出て経済的に独立したときの感想だった。
当時私は、アメリカ”黒人”女性文学史の学徒だったが…アメリカで黒人で、女性って三重苦って意味で、その人たちに共感するくらいだから、母子家庭で、長子で、女性って、日本では三重苦です。どれくらい、しんどい子供時代だったかというと、奴隷と同じくらい、って意味です。現代日本なのに。
まぁ、一般的には、そんな大げさな…と子どものたわごとと思われるだけなのです。お母さんはそれでもあなたを愛していたんですよ、みたいな。しかし、私、過労で玄関で気絶しましたからねぇ…。子供は加減を知らない。その上、日本では、儒教教育と、体育会系ののりと、奴隷根性丸出しの勤労の美徳の押しつけ、があるのである。これだって三重苦だな。
その”勝者”にいったんはなったんだが…それは非常にメンタルに悪い。
幸福からは遠ざかる道だった。というので、傷を広げるだけで、癒し効果がないセラピーには、正直うんざりしていたのである。
世の中は素人セラピストであふれており、安直な銭稼ぎに目がくらんでいる人たちが主体である。
目を付けたのは、神さんのセッションではなく、スティーブ・ギリガン先生やアメリカの女性の先生のセッションのほうで、日本人はなぜか、直接こうした偉人のセッションを受ける機会が授与されていないようである。
さて、ここまでがオープンセッションを受けない理由だ。傷が深くなるから。
で、まぁ、ある意味、損はしている。
昨日は、佐藤さんという方のオープンセッションを解説してくれる日で、眠い目をこすりながら見た。
見たのは2度目なのに、ああ、この人は私と同じ傷を抱えているのだ、ということが分かった。
キーワードは、長子、親の期待、成功、である。
■ 長子という病
簡単に言えば、
①彼は、親の期待に答えなくていい、
②自分の好きに生きていい、のに、
③そのエネルギーが出なかった、のである。
長子の病、とでもいうべきだろうか? 最初の子供には、親の期待は非常に大きい。長子が担う責任の重さはかなり重たい。
私が感じていた期待の重さは、アトラスが地球を背負っている、その姿くらい。山登りが好きだったのも、重たい歩荷に自分の人生の重荷を重ねていたからである。
重たい… でも、頑張らねば…それは、私自身の姿。その先には、ご褒美として、山の景色があるのである…
しかし…そうしたことを、クライミングに来て、”倒錯” と感じるようになった。
わがまま放題に甘やかされて育った男性クライマーは、自分で自分のロープを担ぐことすら、”え~” っていうのである。彼らはひたすら、自分が楽にかっこよくなることを目指しており、そのために他者を利用することすら、いとわない。その他者が、たとえ、自分より弱いもの、社会的に、弱者であっても、利用するものは利用するのである。
そんな、”お子様”のクライマー連中を見て、私は思ったのである。
「へぇ~ 世の中、そんなんでも生きていけるんだ~」
そう。生きていける、のである。
日本ほど、日本男児にぬるま湯な世界はないであろう…
現に、クライマー界は、トンデモレベルの人のほうがトップに座っていたりする。まともな社会人っているんだろうか?くらいなレベル感でクライミング界は、成り立っている。
事例としては、ビジネスの勉強なんかしなくても、クライミングジムビジネスは楽勝だったらしいですよ(笑)。というのは、全くビジネスに関心がそもそもないジムオーナーの様子から、逆算して、うかがえるのである。
要するに、世間は私が理解しているより、相当、ぬるま湯。
なぜ、私は、世間を厳しいもの、アトラスのような姿に誤解したのだろうか?
それは、幼少期の苦難がそう思わせるのである。
■ あれ?みんなレベル低い?事例
だから、いきなり、アメリカに行っても、”うちにも来てくれ”とベビーシッターの仕事が引く手あまた…となってしまい、結果的に収入は普通のアメリカ人並みになって自立出来たのである。あれ?1号事例。
だから、いきなり、新卒入社した人が、”一流企業”の”開発部”で、”業務改善”してしまい、問題が明るみに出て、最後は”研究所付きのエンジニア”になってしまうのである…。あれ?2号事例。
だから、いきなり、登山で雪の山に行っても、これの何が難しいのですか?となり、一升瓶担いで阿弥陀北稜なんて馬鹿げているでしょ!ということになり、山岳会の恥部が露呈してしまうのである。あれ?3号事例。
同じことで、白亜スラブの登攀や九州クライミングで起きたことは、ぜんぶ、私にとって、
なんで普通のことがみんなできないのか?謎
であった。
50mシングルで行っているときに、25mと35mのピッチをつないだらどうなるか?なんて、天才でなくても、計算改めてしなくても、無意識レベルで分かりますよね?
壁から離れたビレイとかも同じである。ロープの意味ないじゃん、それ。
ランナウトも同じで、ランナウトって地面にぶつかりますって意味で、それ以外のものは、そもそも、ランナウトと呼ばない。ただピンが遠い、っていうだけのことだ。ランナウトにはRをつける、
…というわけで、私からすると、もう、どんだけ~ な感想であった。
そして、どうも、世間の基準は、どんだけ~と私が感じる、その甘々の側に合わさっているのである。
どれほど、過酷な子供時代を生き延びたか…ってことです(ーー;)。
リビングのモノの配置が昨日と変わっていないというだけで、掃除していないでしょ!で、ビンタ打たれるくらいの厳しさで育ちました(ーー;)。
■ 生き延びただけでオッケーと思っていた
というわけで、ほうほうの体で、子供時代を生き延びたため、私の中では、この後の人生は、ただ
生きてさえいれば、もうけもん
ということになっていました…。もうこれ以上の成功をおさめなくても、自分がただ生き延びていれば、もうこの回の今生は、OKだろうと。なんせ社会貢献みたいなことは、すでに小学生、中学生でやった。
すでに子供時代に、人生一回分の成功体験と苦難は確保した、みたいな?
これ以上、私に”成功”を求めないで、みたいな?
もう何も出ません、くらいに、心的エネルギーは、すっからかん、だったのである。
■ まだ出せるらしい
しかし、私はトラウマによる、無意識の自動行動で、
・ナルシスト
・依存者(被害者タイプ)
に対しては、能力や時間、愛情を無限供給してしまうのである。
あれ?供給してしまう?まだ、タンクに入っているのかな?
そうなのである、空っぽと思ったら入っている。
以下は、南ユウタさんのメマガの抜粋である…
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あなたも、「与え過ぎる人」ですか?
他人に率先して親切にすること
他人に親切にしてもらったらお返しをすること
子どもにとってやさしい良いお母さんになるために、毎日がんばること
恋人のために一生懸命にがんばること
これらは、それ自体は本来はとても素晴らしいことですよね。
でも、行き過ぎるとあなたも相手も不幸になります。
なぜか?
そもそも与え過ぎる人は、「与えないと不安になる」のです。
単に与える人は、「与えることが喜び」です。
与えないでも不安には特になりません。
与え過ぎる人は、一度与えても、それが相手にとって良いものになるか確信が持てません。
だから、また与えようとします。
こうして、気づいたら次から次へと与えまくる人になるのです。
中略‥‥
「与えないと、私が価値のない人間になってしまう(そう評価されてしまい、見捨てられたり、無価値感を味わう)」
という、いいね軸の生き方特有の不安が根底にあるのです。
だから、過保護過干渉気味なセラピーになります。
すると、本来は「相手のためfor you」にセラピストになったはずなのに、気づけば「自分のためfor me」のセラピーになっちゃうんですよね。
また、こういうタイプの人は、「オレ様タイプ」や「被害者タイプ」のクライエントからは餌食にされます。
全部、セラピストである、あなたのせいにされます。(ガスライティング)
本人は、そもそも他人への過度な依存心や自己中心性が本当の課題なのに、そこには気づくことはありません。
あなたがケアテイカーとして、救世主になろうとしてしまうからです。
(中略)
これは恋愛にも、夫婦のパートナーシップにも、子育てにも共通します。
脱出のためには、「与えなくても大切ないのち」という「いのち軸」な生き方へシフトすることです。
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これは、クライミングのパートナーシップでも言えます。
私に近づいてくる人は、今のところ、ナルシスト君、もしくは、依存ちゃんの2パターンでした。
■ 傾向と対策
さて、ここまでで、①親の期待に答えなくていい、の原理が、
期待に答えないと不安に駆られるという原理
であることが分かりました。
敵は、期待をかけることで、こちらを利用したり、コントロールしたりしようとしてくるということです。
期待が武器で、目的はコントロールとこちらのリソースの搾取、です。
クライミングに置き換えると、期待という武器は、
クライマーは自己責任、とか、クライマーなら〇〇して当然…、女性は〇〇してくれるおもの…という押しつけで
目的は、ドレイヤー、ゲット。そして、こちらのリソース、いつでもビレイに出て行ける時間的ゆとり、豊富な安全知識、そこまで労をいとわず来てくれる親切さ誠実さ、ギアを充分持っていること、IT知識が豊富で頼れること、語学力などのリソースへの便乗です。
仲間意識、俺はダメだから、俺は男だから、などを不当に利用しようとします。
一般に、それくらいしてくれるのが当然だろ、と押し付けられるので、有償だと何十万も掛かるお世話をしても、なぜかお返しも、感謝もない、ということから、一方通行、つまり、テイカーだと分かります。
ナルシストの場合は、強い奴が得するのは当然だろ、みたいな行動原理です。
普通の感性の人は、何かしてもらったらお返しをする、というマッチャーの感性を持つのが普通です。
つまり、この人たちには、この返報性の法則という心理が働かないです。頼んでいないんだから、してもらって当然感があります。
たとえ、俺ってかわいそうアッピールを200%出していても、です。おれ子供が6人もいるんだ~とか。明瞭に、こちらの慈悲の心にすがろうとして、してもらったことは、してもらった、には彼らには入りません。
■ 好きに生きる には?
さて、期待通りに生きている人は、親の敷いたレールに載っていることが多いものである。
佐藤さんもそうだった。しかし、はた目には、本人がそれを負い目に思っていることは分からない。
なぜ、いきなり、なんか厳しい様子で、出入り業者を責め立てるのか、傍から見たら分からないが、彼の内部では、公僕としての使命感で、税金から出てるんだぞ!ちゃんとやれ!と思っているから、ガラの悪いあんちゃん、が出てくるのである。
正義感があることは悪いことではない。その正義感を肯定できないのはなぜか?
好きに生きている人は、自分の正義感も、肯定できるだろう…
自己受容ができていない、と指摘するのは簡単だ。
しかし、自分でもなぜ、ちゃらんぽらん系業者がいい加減な見積もりを出してきたときに、こんなにも、厳しく追及をしたくなるのか、本人には分からない。
ACは、チャイルド自我で生きている人を見ると、腹ただしいという法則の発現事例なのです。
しかも、これ、課題の分離という定番心理技法では解決できない。
課題は分離されていて、業者は自分の責任をきちんと全うしていない。クライマーも同じで、自分の命をきちんと面倒見る奴は、人のロープでリードしようなんざ思わない。
課題を分離したら、お前ちゃんとやれよ、で終わってしまうし、ちゃんとやらない人は、困っていないので、カウンセリングには来ないのである。
と、ここで既存の心理学だと袋小路に入ってしまうのである。
さりとて、この問題をうっちゃって、
もーいい!
と怒り、
自分の好きに生きよ!
と開き直っても、それってどんなのか?具体的には分からない。
今、好きに生きていないのか?と言われても、それなりに好きに生きている気がするし…。
同じように、ちゃらんぽらんになんてなりたくないんである。
これは、俺様タイプのカウンセラーにかかると、コンフォートゾーンから出なさい、などと的外れな指摘をされて終わりである。
とっくの昔に出て、立派に自分をイジメた結果、今があるんですよ。
■ 無意識に状況を探してしまう…
例: そろそろ息子も大きくなったし…
好きに生きていない傍証は、
周囲とのハーモニー、調和を取ろうと先に考える
ことから分かる…
自分がしたいかどうか?よりも、状況や、都合、を優先的に考えている、ということである。
たとえば、
・今は時間がないから…時間が出来たら…
・今はお金がないから…お金が出来たら…
・今は子供が小さいから…
・今は夫が忙しいから…
分かりやすい事例で行くと、お金が出来たら開業する、と思っている人は、お金ができない。開業を避けるためにお金を作らないという行動に無意識で出てしまうからだ。
逆に、開業するためにお金を貯めています、という人は、思わぬ収入増加で、開業が早まることがある。
これは、私の人生で2度、具現したことがある。英語とプログラミング言語の習得。話せるようになってからアメリカ行こう、とか考えたこともなく、とにかく行くんだから、困らず話せるくらいには…と、起きてから寝るまでを飛行機内で読み込んだ。プログラミング言語も同じで仕事を受けてから、勉強した(笑)。上手く行かない人は専門学校へ行こうとする。
たぶん、クライミングも同じで、登ったから、登れるようになっただけで、登るためにジムに行くってのは、本末転倒な気がしたんだよなぁ。
さて、話を戻すと、
○○したら、×× する
式の思考法を、「反映分析型」と梯谷先生は呼んで、自己実現の阻害要因として挙げています。対比されるのは、「主体行動型」です。
主体的行動がとれていない、って意味です。
逆に言えば、何か状況に依存ではなく、主体的にやっていれば、それが大げさな、いわば、大文字の
自分の生きたい生き方
ではなくても、そんなキラキラワードでなくても、それが”あなたらしい”ということです。
ただ、反映分析は戦略的に有効なことがあります。私は高校英語では赤点です。わざとやっていました…。こんなところで暗記に労力つかうなんざアホ、と思っていたのです。なので、他のこと、例えば、もっと重要だと考えていたリスニングに時間を回せました。
その時は状況反映型思考のほうが、”したいことの実現に有利”だったのです。
■ 選択の練習
自分の生きたい生き方をできていないとき、選択の練習をするのは有効かもしれません。
小さなことでは、今日食べるものを選ぶとか、着るものを選ぶとか。
しかし、これは、オフィスに行くのにジーパンを履きたい、というのと、はき違えると良くないです。ジーパン履きたいから、きちんとした仕事に就けない?それ、単なる甘え、ですよね?
ここで、出てくるのが、昨日、紹介したチョイスセオリーで、選択した後、自分の思考が良い思考になり、感情が良い方向に動き、神経物質で言えば、コルチゾール以外が出る、という行動をチョイスするのが大事です。
自己観察はここでしましょう。
■ ③そのエネルギーが出なかった
のも、当然なのです。
心的エネルギーが出るようなことをやっていないのだから…
周りの人の都合に合わせて自分を押し殺していて、心的エネルギーが出る人いますかね?
いませんよね。
誰かの期待に応える活動で、心的エネルギーを消耗する
→ 心的エネルギーが出ないから、自分のしたいことが分からない
→ さらに、最低限人の要求にこたえることだけして生きよう
となる…
まずは、テイカー、自分から心的エネルギーを奪い取っていく人や活動から離れましょう。
そして、休息。たぶん年レベルで必要かもしれません。
なんせ、20年、30年、50年と人のために消耗してきたとしたら…枯渇具合は、かなりなものになっているでしょう…
それに環境も大事です。私はアメリカでは、自由に生きれました。日本では、難しいです。
なんせ、日本では、女とみたら、自分のメンタルトイレにしてよいと思っている人が人口の半分も、いるのです。
そして、自分のしたいことが何か、今すぐ分からなくても、そりゃ当然です。
そのセンサー、かなり麻痺していますから。
大体の男性は、センサーは、かっこいい、です。おれ、かっけーって感じることが、大体は、その人の正解です。(違う人もいるかもしれませんが)
女性は、もっと複雑です。これは別に詳述することにしますね。
まぁ、総論として、
日本では、ナルシストと被害者タイプは、好き勝手に生きている
世界では、基本、みんな好き勝手に生きている & してはダメなこと以外は全部していい、
です。
今は目標やビジョン(上質世界)が見えていなくても、人だからそんなときもあります。
いつでも、がつがつビジョンに向けて猪突猛進している人なんて、絵にかいた餅です。
あの、ユージさんですら、前回のオリンピックでは、もうやだ、とケツまくって逃げているシーンがありました。嫌なことからは逃げてもいいのです。
何もしなくても、あなたはあなたのビジョンを体現していますので、安心しましょう☆
神さんのセッションでは、佐藤さんは、先祖からエネルギーをもらっていました。それも一考です。
前から雪が好きって言ってるんだけどなぁ…