2021/11/27

日本には海外クライマーをもてなせる楽しい岩場がない

 ■ 日本には海外クライマーをもてなせる楽しい岩場がない

小川山も世界一怖い岩場指定されていたしなぁ…。

数年前に行った台湾で、シンガポールで普段登っているというクライマーに教えてもらいました。そのシンガポールには外岩がないのだそうで、インドアジムで鍛えたら、誰しもが、よし!次は外岩だ!=海外、となるのだそうで、シンガポール人は小川山を目指したらしく、それが間違った選択肢だったと早々に気がついたそうです。

だよなぁ…。

一般に、アウトドアクライミングのデビューはスラブからです。傾斜が寝ているので、初心者向きとされているのですが、残念ながら、ボルト間隔的にはぜんぜん初心者向きではないことが多く、多くがランナウトしており、落ちたら大怪我になってしまう。それが歴史的流れなのです。これはアメリカも同じで、ヨセミテも強烈なランナウトなのだそうです。

小川山はヨセミテを範とした岩場だから、当然ヨセミテ流。日本では花崗岩の岩場はぜんぶヨセミテ流なのではないかと思います。

■ グレードの表現

一方インドアジムの人は、5.9が一本でも登れたら、つまり限界グレードが5.9だとしても、自分のグレードを5.9と表現することが多い。

私も今登れたことがある最高グレードは11Aのオンサイト。でも、もし快適に楽しく登るとすれば、10Aとかです。私がインドアで練習するなら、11Aに取り付くべきです。落ちながら強くなるのがインドアの正義。その正義をアウトドアに持っていくと?まぁ、大怪我や事故になりますね。

この教えてくれたシンガポールの人は、日本の岩場は怖いと連発していました。比叡にも行ったそうです。

その比叡は、米澤さんによると、現代はまだましになって、以前は40mランナウトしていたところが、20mランナウトくらいに収められているそうです。

昔の人は、国の威信とか、会の威信とか背負って登っており、現代の一般社会人が楽しむ健全なスポーツとしてのクライミング、趣味となり、余暇として求めらるクライミングとは、まったく話が違ってしまっています。

■ ボルト=スポートルート

それでも、ルートに打たれているのが、ハーケンやリングボルトだったら、20mのランナウトでも、40mのランナウトでも、何の誤解も生まれないのですが…ボルトが打たれているとなると、ボルトというのは、スポートルートって意味なんですよね…。一般常識では。

自分のために打つのがハーケン。あとに続く人のために打つのがボルト。自分さえよければいいのがハーケン。公共の利益のためにあるのがボルト。

ロープが出ているのが20mで、20mランナウトしていたら、墜落したら、ロープの伸びの分で、グランドフォールします…つまり、ボルトがあっても、なんの保護の役目も果たしていない…。もしそのボルトがぽっきりと折れたり、抜けたりしても、おんなじですよね。40年前に打たれたボルトは今そんな状態です。

こんなランナウトになったのは、出来るだけボルトを打たないという正しい方針のためですが、ランナウトしていたら、ボルトの役目自体が果たせないので、いっそノーボルトのほうが正直って感じです。ボルトがあると人間は安心してしまいますが、実質はボルトがないのと同じ状態なので、結局、ボルトレスと同じです。ならロープもあってもなくても一緒ってことなので、フリーソロと同じです。

20mランナウトの岩場は、20mフリーソロの岩場として売り出すほうが、正直。

そうすると、命知らずな人しか来なくなって、誤解が減る、ってものです。

■ 趣味として楽しむクライマーに命がけは勧められない

海外クライマーに何人か友達がいますが、遊びに来たいと言われても…、困る。

バケーションで楽しくクライミングしようと思っている、ノーマルで11くらい登れ、頑張ればやっと12が届くかどうか?な人なら、もしオールラウンドに、スラブも、オーバーハングも、フェイスも、クラックも、ワイドも登れるみたいな成長をした人なら、たぶん20mフリーソロのスラブで落ちることはないと思うのですが…それは人に寄ります。

大体のクライマーは平素がインドアジム。それでやっている人に、

 20mランナウトした岩場が易しい岩場があるけど、どう?

って聞けます?しかも、ルートのピッチグレード5.7とか。

普通のクライマーなら、もっと難しいのでいいから、安全なルートのほうが好みだと思います。

一方、もし彼がスラブに経験がなく、5.7?やるやる!というような状態の人だと、逆にまだ分かっていない5.7がギリギリの人かもしれず、それで5.7でランナウトした課題に取りつかせると、ヘリが飛ぶ可能性が五分五分です。5.7のスラブをノーテンションで登るには、5.9のスラブがギリギリグレードである必要があるからです。ゆとりが必要。

ゆとりが必要、というのは、もっとも現代クライマーには理解しがたいようです。

それはクライミングを初心者がどのように学ぶか?というプロセスが変わったためで、現代は入り口がクライミングジム=落ちながら成長。

という理由で、大体、外岩リードクライミングの指導ができるレベルのオールドクライマーは、ジム上がりクライマーを嫌がります。自分の指導中に気楽に落ちて、怪我でもされたら後味悪いですよね。

■ じゃ適性ボルトの岩場はどこなの?

とか聞かれて、これも困るんです…。なぜなら、海外のように岩場ごとにボルト間隔の適否が分かれているんじゃなく、

開拓者別

なんです。日本では。しかも、トポに開拓者の名前が書いてあることが少なく、開拓者の個性も、トポには記載がないです。誰が作ったルートなら安全なのか?っていうのは、ローカルクライマーに対しての、聞き取り調査、しかなく、それでは、海外から来た人は登れない。

■ 楽しくない

クライミングは危険なので、スリルを楽しむスポーツであることは確かですが…

バンジージャンプが楽しいのは、スリルであって、本当に死ぬのではないから。

同じ理由でクライミングが楽しいのは、単に死ぬかも…というのは、見せかけであって、本当に死ぬことは想定されていないから。

どうだ!と命知らず自慢をしているクライマーだって、ホントに死ぬとは思っていないから、自慢になるわけで、ホントに死んでしまったら、ただのアホです。

ので、普通のクライミンググレード…海外のインタビューでは、基本的に5.10代を登るクライマーが25%の人口を占めており、11登る人も12登る人も、全員が成長プロセスで通る道のりが10代なので、10代でランナウトしていて落ちて死ぬかもしれない作りになっていたら、クライマー人口の半分に、”来ないで”と言っているのと同じことです。

■ 適正グレードと適正ボルトが急務

というわけで、日本のクライミングが海外で一般にクライマーが楽しんでいるような、趣味として、命を掛けずに楽しんで登れる状態になるには、

5.9なのに、実は10cとか、不適切かつ不誠実なグレードが与えられていることがない

5.9しか登れないクライマーが5.9に取り付いても死なない程度のボルト間隔になっている

の2点が必要です。5.9を例に出した要るのは、タダの便宜上です。5.11でも、5.12でも、おんなじです。

適性グレードなんて、インターネット全盛のこの時代、何人も登る人がいるので投票であっという間に決着がつきそうですが、そういう仕組みがないのでつかない。

余談ですが、一般登山でも、適性グレードの問題は根深く、簡単なロープウェイで登れる山の唐松岳の隣だからというだけの理由で、後立の山の中では難易度が高い五龍に来てしまうヨレヨレ登山者が後を絶ちませんでした…帰りは遠見尾根でこれも長くて難しい道です。

登山者もクライマーもどっこいどっこいで適性グレードではないという問題は根深いです。

海外のハイキングを求める人は、日本の山と言えば、富士山一択…。発想が貧困です。夏の富士山なんて行っても楽しくないですが、そう教えても誰も話を聞かない。行ったという事実が自慢話のネタとして帰国の折に必要だからです。故郷の人が名前を知らない山に登っても、話題にならない…。

というので、適性グレードがないのは、クライミングだけの問題ではないですが、そういう問題を一足先に飛び越えて、

グレードが適正であると、ボルトが適正であるとかはごく当然のことであるラオスの環境…

ホントに羨ましいです。日本の初級クライマーはすべからくラオスで一か月くらい登れば、アウトドアへのデビューはバッチリだと思います。






2021/11/26

今から大リーグ?

 


今日の仏教説話は、諦観、だった。

もし、おかもん先生が、「俺、今から大リーガーになる」と言ったら?そりゃ、みんな、そんなわけないと思って止めるでしょう…。

私はいつも思うのだが、43歳からクライミングしている人に、あんまりプレッシャーを掛けないでほしいなぁ…と。

”43歳からクライミング”って、”おかもん先生が大リーグ”と同じことだと思います。

そのような人が46歳で、つまりきっちり勉強すれば3年で、単独でラオスに行ってパートナーを見繕って登り、帰りに韓国のアイスに行き、ラオスで会った海外クライマーとランデブーして台湾で登って帰って来れる時代、というのが正しい時代認識観であろうと思います。

クライミング力はグレードではありません。楽しむためにはグレードはほとんどイラナイというのが正しいです。むしろ。

50代からスタートして、5.12に到達した女性クライマーの方にも、お会いしたのですが、お話では、それでも、課題を良く選んで、ということでした。

私は一生、5.9でも全然かまわないというか、エンジョイクライミングのために頑張ってきたのに、エンジョイクライミングを許可されなくて、なんだか嫌になっているんですよね。

頑張り続ける以外の選択肢を許さない社会ってヤダなぁ。

普通に楽しく趣味で登れる世界が豊かな社会だと思う。

2021/11/24

平成の登り方(笑)

 ■ 古い岳人 2000年 

に菊池(ガメラ)さんの連載記事があります。

これは、”平成”の登り方で、時代はもはや、令和、ですが… 最近のロクスノには、こういう技術連載がないですが、なぜなのでしょう?

半分以上広告だし。まぁ、みなが雑誌を買わないというのは、中身がないから買いたくない→余計買わない→余計、中身がなくなる の悪循環なのかな?

図書館で、古い岳人はすべてバックナンバーがとってあるので、その場合、この菊池さんの講習的内容の連載は役立つと思います。菊池さんはアルパイン寄りなので、北山真さんが、ヤマケイ登山シリーズの1冊として、フリークライミング、だけをまとめたものが、最新として出ているので、それを読んでも役立ちますが、無料で読める情報で、いくらでも現代では情報収集できます。

なんでこんな基礎的なこともしないのかな?



■ どのようになったら、リードへ進んでよいか?

最期のところが重要です。

そのルートで落ちてはいけないところで、絶対に落ちないで登れるだけの力があること。

これが、インドアリード、人工壁リードと外岩リードの最大の差です。

落ちてはいけないところ=核心 です。

インドアでは、核心で落ちながら登ります。落ちても落ちても、頑張るというのがインドアの論理ですが、外ではそれはほとんどのケースではできないです。大体難しいところ、ランナウトしています… ランナウト(Rつき)は、ロープが落ちても自分を守ってくれないほど、長く出てしまう、したがって落ちてはいけないって意味です。



■ 昔は一年くらいはリードを許してもらえない

そういえば、おとどしくらいに、大阪に遊びに行ったら、私がリードで登れるところも、男性で初心者の人は登ることを許可されていませんでした。青ちゃん(イケイケ路線の方です)ですら、「君はまだダメ」と彼にくぎを刺していましたので、分かっている山やは、自分がよく分かっていない相手に、いきなりリードさせない。

だから、初めましてクライミングでご一緒した福岡山の会の人が、私にいきなりマルチのリードを要求してきたときには、ビックリ仰天したのでした…。普通は、相手の技量が未知数の初対面の人に、”自分の代わりにリードして”って、ないです。特にアルパインの世界では。

フリークライミングの世界は、”建前上は”どこで落ちても死なないことになっているので、相手の申告のグレードより下であれば、「いかがですか?」という程度のいざないはあると思いますが。

なんか変なの~と思った事件でした。ちなみに私と行く人は、リードを強要されることはないです。

なにしろ、ボルトの品質が低品質で、落ちて、怪我をしたり、命があやうくなるのは、登っている側ですので、相手の合意が重要というのは、セックスの合意と同じくらい重要なことだと思いますが、九州ではそのプロセスをあんまり大事にしない伝統があるような気がします。

私はやっと自分が登りたいのに登っても良い実力がついて来て、パートナーとの合意も出来てきたところだったので、その途中で膝を脱臼したのは、とても残念でした。怪我のほうは、いまだに痛いので、あまり今もクライミングすべきではありません。

とくに外のボルダーはすべき時ではありません。

”私にとっての安全”、は、”一般体格の男性クライマーにとっての安全”とは、全く違います。






とりいそぎ、岳人に学ぶべき情報は出ているよ、という情報でした。菊池さんの記事は、アウトドアクライマー寄りです。

インドアの論理をアウトドアに持ち込まない、というのが大事なことです。つまり、すぐ落ちるのはダメって意味です。

2021/11/23

開拓するなら、誰に教えを乞うべきか?

■開拓するなら、誰に教えを乞うべきか?

日本開拓クライマー協会に載っている名前のリストとGoogle検索結果のリンクです。太字は、九州の人。

昨今、ボルダラーからロープクライミングを経ず、ビックウォールも経ず、いきなり開拓に進みたいというクライマーも当然いると思いますが…ご参考にされてください。

飯山健治、 
稲垣智洋、http://piedra.web.fc2.com/
大岩純一、
大岩あき子、
奥村晃史、
小野巳年男、
加藤道浩、
北山真、
北山厚美、
木村伸介、
木村理恵、
小山田大
斉藤宣夫、
新原孝喜、http://210.252.128.113/files/NewsDetail_4476_file.pdf
杉田守二、http://www.kibi.ne.jp/~morig-/
杉野保、
宗宮誠佑、
徳永信資、
内藤直也、
永井久雄、
中根穂高、
奈良誠之、https://www.asolo.jp.net/menu62/contents54
橋本覚、
東秀磯、
樋口義朗
平山ユージ、
保科雅則、
堀洋紀、
山本和幸 https://www.climbing-net.com/news/180118/

命を粗末にするクライマー=愛に飢えているクライマー

■今日の仏教説話

家族などを亡くした人に、生きる意味を与えてあげる方法が、ビクトール・フランクル提唱のロゴセラピーとともに、紹介されていました。

 妻に先立たれた夫 → もし順番が逆だったらどうか?

 夫を不慮の死で亡くした妻 → 夫が若死にすると知っていても、結婚したか?

涸沢岳西尾根で、講習会仲間が亡くなった時、身重の妻を置いて、のことだったので、気の毒で目も当てられませんでした。残された妻がどんな苦労をするか、父親のいない家庭の子どもが、どんな苦労をするか?自分の経験から分かるからです。

その原因が、ただ、アイゼンをつけるのが面倒だった程度の些細なこと…。特に命知らず自慢ではなくても、山では、ちょっとしたことが、文字通りの、”命取り” ですね。

九州では、シリアスな山がないので、安全に対する意識が異様と言っていいレベルで低く、5.9程度のレベルしか登れないクライマーでも命知らず自慢のイケイケが普通なようで、謙虚さのレベル感、ゼロで、それに驚かされました。自然界への畏敬の念、もほとんどゼロです。

自分の命投げやり、なクライマーが基本多数で、

 自分の命など、どうなってもいい、

という、誰が見ても明らかに、ポーズ(気取り、言ってみるだけ、いきがり)の人が多いのです。でも、誰が見ても、その真意は、

「俺を愛してくれ」「俺を見てくれ」「だれか!」

という心の叫びです、むしろ…。

そういう自らの命に意味を見出せない人に、良き意味づけを与えること…について、フランクルやブッダだったらどういうのだろうか…?と今日は思いました。

「自分が死んだとき、悲しむ人のことを考えてごらん」

ではないのだろうか…。命への尊厳、超軽いレベルの人たちばかりに九州では会いますが、なんだかなぁ…。

■ 吉田和正さん

53歳で亡くなった故・吉田和正さん(クライミングを知らない人のために言うと、超・有名クライマー)は、クライミングによって、生きる意味と戦っていた典型的なクライマーと思うが、最後は、登りたいプロジェクト…彼の場合は限界へのチャレンジという意味です…もなくなり、母親が亡くなり、愛着を持っていた迷い猫が死に、生きる意味づけを消失して、この世を去って行ったように思います。

生きる意味が見いだせなくなると、神が、もういいよ、と天に招いてくれたような、そんなろうそくの炎を吹き消すような、亡くなり方でした。

もちろん、私は彼の人生の最後の、薄皮のところを知っているだけですが…

危険なクライミングをやっても、やっても、なかなか天が自分を召し上げてくれない…、と不服な人は、それはまだやり残している人生課題があるから、だということではないかと思います。逆から言えば。

人生の大きな課題は、自分の人生に意味を見出す、です。意味を生きるのが、人生。

余談ですが、吉田さんも、母親の死よりも、ペットロスに痛みを感じておられました。猫がなくなったことの方がダメージ大きかったよなぁ…。

愛着というのは、色々です。喪失の痛みを恐れて、そもそも、愛着を持つことを嫌がる人もいますが、それこそ、いくじなし、のすることですね。

クライマーは、クライミングではイケイケを気取っていても、実は人やもの、ペットなどとの愛着関係を築く勇気がないだけ=意気地なし、の人が多いので気を付けましょう。

モノ言わぬ岩を恋人にしたい、というのは、現実世界からの逃避行動であるようです。


2021/11/22

死という現実から現実逃避している日本のクライミング界

■ 毎日おかもん先生の仏教説話を聞く

これは、おかもん先生のサイトから (https://bukkyouwakaru.com/dic/s105.html?fbclid=IwAR3ktLXLObAZR9jDuNjZyG6dGeQ4QpIfFXQf5BlPvKYOEPQzHUiokt6ATDU)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

白骨とは他人の死を見聞きしたときの驚き

次に仏説譬喩経の人間の実相のたとえ話に出てくる白骨とは何を例えているのでしょうか。

旅人は白骨を見つけて、ドキッと驚きました。白骨を拾ったときの驚きとは他人の死を見たり聞いたりしたときの驚きをたとえているのです。

レビや、新聞を見ると毎日のようにどこかで誰かが亡くなったことが報道されています。災害で、事故で、事件で、病気で、いろんなの訃報が報道されない日はないといってもいいでしょう。

★ここが問題です、クライマーの死亡や事故事例が検証されていない。ロクスノにもフリーファンにも、検証が掲載されない。事故や死はなかったことのようにスルーされている。

ショッキングな事件や事故で誰かが亡くなったことを聞くと私たちはドキッとします。通ったことがあるトンネルが落盤して数名の方が亡くなったと聞くと、「ああ、あのトンネル通ったことがある、自分だったらどうしよう」とぞっとします。近所の知人が突然亡くなったと聞くと「えっ、まさかあの人が・・人間の命ってわからないものですね」とドキッとします。

このように私たちは、思いがけない訃報や身近な人の死にふれたときに驚いたりびっくりしたりしますがこの驚きを白骨を見たときの驚きにたとえているのです。


私たちは白骨の野原を歩いている

では、私たちの足元にはいったいどれだけの白骨が散らばっているのでしょうか?世界中では1秒間に17名の方が亡くなっていると聞いたことがあります。この日本では約20秒に1人の方が亡くなっているそうです。

一日に直すと、世界では 15万人の方が日本では 3千3百人が亡くなっています。まさに雨露のように人の命は消えているのです。

私たちの足元には無数の白骨が散らばり白骨の野原を歩いているのが私たちということでしょう。

ところが私たちは、他人の死を見たり聞いたりしても他人事、他人事、と聞き流してしまい、やがて必ず自分にやってくることだということを忘れてしまっているのです

★ クライミング界では、忘れるというより、最初から、命知らずを自慢するような本末転倒になっているのは、子供が赤ちゃん返りをして、親の注目を引こうとする心理と同じになってしまっているからであるようだ。

トンネル事故を聞くと驚きますが各地の補修工事をしたそうだから滅多なことはないだろうと安心したり近所の人の訃報を聞いても、あの人は、お酒やたばこばかり飲んでいたからな自分は健康に気を付けているから大丈夫だろうとなんくせつけて、自分とは関係ことにして目を背けていないでしょうか。

白骨を見つたときは、驚いた旅人も、次第に慣れて平然と、白骨の野原を歩くようになりました。その旅人の前に、突如、唸り声とともに現れたのが餓えに狂った獰猛な虎なのです。

この虎は何をたとえているのでしょうか?

これは、私たちに必ず訪れる死という現実なのです。

誰もが死にたくありません。そして、死から目を背けて生きています。しかし、誰もが必ず死んでいかねばなりません。死と向き合ったときに本当の意味で生きるとは何なのかが問われるのではないでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

★はクライミング業界の問題点です。毎年、一記事くらいは、大きな事故が起きているので、事故の検証を掲載するべきでしょう。

ランナウト王子で知られる佐藤祐介さんですら、事故に遭っていましたよ。

2021/11/21

ロープは覚えることが多すぎて俺には無理

 ■4歳児

日本国外では4歳児だってロープクライミングしている現代…

国内ボルダラーの言い分は…?

「ロープは覚えることが多すぎて俺には無理」






■ ボルダラーにはロープ技術は要らない?

 ボルダーの開拓。やっぱ、はしごとトップロープフィックスでの試登技術は必要ですね。

■ あれ?行縢。今開拓中?マルボーさん。





素直さ=向き合い力 

 フェイスブックは、過去の同日の記録を色々とお知らせして来る機能が付いている。

そこで、過去の今日、11月21日から考察。

■8年前 燕山荘からのお知らせ

 

トレースがないと歩けない=危険=読図力を付けよう、と発想した。
読図で歩けるようになるのに3年かかったが、取り組んでみたら、あっという間にマスターした感があった。今は山が怖いところではないので、大きな自信につながった。

自信がない人は読図をやるのがおススメ。

■ 同じく8年前 ユースケさんにジムで会う

ピラニアのリード壁に登りに行ったら、ハーネスを忘れており、残念…と思ったら、貸してくれる人がおり、その人がたまたま世界的なクライマーだった、ということで、後で、ジムのお兄さんに、あの人は佐藤祐介だよ、と教えてもらった。

その教えてくれた人も、室井登喜男さんという、日本のボルダリング界の創始者みたいな人だった。

これが、甲府で与えられる一般市民クラスのクライミング入門者への環境で、福岡にきたら、クライミングジムに行っても、、クライマーがやっていないジムばかりで、何の良き影響も受けられない。

重たい荷を背負って5.8を行ったり来たりしているクライマーを目撃することほど、未来のアルパインクライマーにとって刺激になることはないのではないか?といまだに思う。

この後、小瀬の人工壁で、ザックを背負って登ってみたが、えらいくたびれた。別物って感じだった。普通のフリーがいかに快適クライミングか、よく分かった。

後の事だが、室井さんに5級で登れない課題の登り方を訪ねたら、あっさり違うホールドを指定してきて、なんだと思った。ジムの課題で固執する必要はないらしい。

すごい人から直接教わるメリットは、当人が、自分のすごさのアピールに力を使っておらず、相手のメンツを立てるとか、相手をほめちぎるとか、めんどくさいことをしなくて良いことである。





■ 雨宮さんの投稿 追悼号を読みまくる

雨宮さんからのアドバイス=追悼号を読みまくる

私もフリーファンが来たら、ボルダリングでも、過去の事故例を先に読んでいる。

追悼号、というのは、知らなかったが…追悼号の中で、事故事例を深く検証している事例を目にしたことがない。

ボルダリングでは事故が多いが、追悼記事、にはならない事例が多い。

怪我止まりということだが… 

その場合、追悼号が出るよりも、さらに事故に対する反省は生まれにくい土壌にあると思われる。




言われたことをすぐにやる、というのが、素直な性格。素直な性格に恵まれるというのも、死なないコツの一つかもしれない。

ボルダリング=豊かさの表れ

■ 13kg、52歳、75kg

13kgかぁ…。苗の重さである。植林するには当然苗を担ぐ必要があるんだが…その重さが13kgであるそうで、その重さにあえいでいるそうだ。

しかし…13kgって、普通の登山道レベルの縦走で、コースタイムが変わるレベルの重さではないんだよなぁ…。たしかに13kgが重たいと感じる登山者もいるが、それは65歳以降のおばあちゃん登山者。あとは、メタボで、何もしないでも13kg担いでいる状態のおじさん登山者が+13kg担ぐと合計は26kgになり、重たくなる。

それでも、13kgはあまり重くない。オーバーハングのクライミングをすると重いと思うが…植林地の傾斜、ハングではなかったような…。というので、13kgでへばっていると言われて、狐につままれたような気がする。

一般に、女性25kg、男性30kgを担いで、丹沢の大倉尾根を3時間で登れる、というのが、テクニカルなルートに進んでも、まぁ大事に至らないだろうと目される体力です。それ以下だと、行くとアブナイ。最低限の体力がないということだからだ。

■ 体力がないと自己申告する男性クライマー

一般的な女性より、何もしない状態で体力がある男性が、13kg重い!と自己PRする場合、その真意というのは、どこにあるのだろうか?と思う。

そこをセールスポイントにしたくない、ということかなぁ。いつか、14,5歳の男子にクライミングを教える機会があったが、モノを持ちたがらない、ザックもロープも重たいものを母親に持たせて、母親を家来扱いしている男子が目についた。お母さんが息子の跡を追ってウロウロと息子に必要なものを持ってやっているが、息子の方は空荷で先を歩いているので、母親がくたびれて伸びているのに気がつかない。そもそも、自分のことに精いっぱいで周りのことに目が行かないのが男の子だからなぁ…。

その延長にあるのかもしれない…自分が快適なのが先という感じかもなぁ。自分がその集団の中でどのような立場を占めるのか、見えていない。

若い男子は自分が集団の中で強者だということに気がついていない。ずっと子供気分…つまり、弱者気分、で、自分が父親や母親よりも力持ちであることに、なかなか気づけない。

それは50歳を超えても、そうなのかもしれない。

■ 豊かな社会

体力が余ればそれを使い切ることが快楽になるので、オフィスでパソコンとにらめっこするだけの体力不要の仕事が増えた今、ハードなスポーツを趣味とする人が増えた。トレランもそうだし、ボルダリングも同じだ。

むかしは、トレランで走らなくても、駄賃つきで本当に仕事として、山を走っていたので、趣味に費やす体力は残っていなかったであろう。

というので、パワーを使い切る方角が、仕事から趣味に転じたということは、豊かな社会の一つの表れだろう、と思う。

仕事でオールアウトすることがなければ、趣味でオールアウトしたい、と思うだろうと。

それは生物の掟のように思う。能力を使い切りたいということだ。

そういう意味で、ボルダリングブームは、社会の流れ、豊かさの表れだと思う。

裕である社会に感謝できる、ということが大事な視点かもしれない。

岩を登るのはタダだが、第三世界でただで岩を登って遊んでいる人はいない…。

みんな、岩を登るみたいな無益な行為をしなくても、お金になる有益な行為で力を使い切っているからだ。


2021/11/19

アメリカアクセスファンドの求人

 林業でチェーンソーを使うときに使うメットですね。



2021/11/18

日本に健全な市民クライミングをもたらす

 ■ご縁

私はいつも不思議なご縁に導かれているのですが…今回の日之影との出会いのことは思ってもいなかったことでした。

私は、”日本に健全な市民クライミングをもたらす”ということをミッションにしています。

というのは、クライミングをスタートしてすぐ、無謀な行為で亡くなる友人が3人もいたからです。 私は弟を亡くしており(当時24歳)、そのことが後を引いています。

今回の延岡研修での、林業の講師は素晴らしい人でした。チェーンソーを使う=危険なことをする、のだから、より注意する、より心して基本に立ち返って自己反省する、という姿勢が素晴らしかった。

一般にクライマー、とくに西洋ではなく、東洋のクライマーは、命知らず自慢、というのをやってしまうのです。どうも東洋に強い伝統のようで、男性の自尊心の問題のような気がします。

そんなことをしていたら、自然界の力は圧倒的なので、すぐに人間の側が負けてしまいます。

私は、ほかの人が登る機会がないような、一流クライマーとも登ってきましたが、一流の人は、みなチェーンソー講師ようなタイプで、命知らず自慢とか、金がないという言い訳で、安全対策を怠る人はいない感じでした。

たとえ、その日暮らしで食費を削っても、ちゃんと安全対策は怠らない、それがクライマーの務めだというタイプの人が一流になって生き残っており、そうでない人は死んでしまうのでした。

それを目撃できるというのも、女性だから、で、若い男性クライマーは、なかなか一流の人と一緒に登り、思想の影響を受ける機会が与えられません。機会があっても委縮してしまい、出てこないです。

今回は、私は延岡に参加したいと思ったのは、椎葉村移住があったからです。長崎大村の仲間への情報共有も必要でしたが、大村は大村の道を発見しないといけません。

私が延岡で研修することになったのは、日之影との出会いのためだったのだなぁ…。椎葉村のことがなかったら、延岡研修に出ることはなかったでしょう… 

あるクライマーの強い思いが、私という存在を引き寄せたのかなぁと思ったりします。

今年の夏は茨城県の若いクライマーが私のところに来て一緒に登っていました。リボルト職人になるための修行です。昨今、クライミング技術…ロープワークのことですが、を教える上級クライマーがみな引退してしまっていません。私は珍しく暇人で教えることが可能なので、よく後輩指導をしています。

指導するばかりで得るものがなく、経費も掛かり、損だなぁといつも思っていますが、私の年齢の男性は働き盛りで忙しく手間が出せない。いきおい、私のところにしわ寄せが来ます。

ボルダーであっても、もし開拓に進んだり、クライマーとしてステップアップしたいと思ったら、私が知っているようなクライミング技術を知らないと、伸びることができません。それで私との出会いがもたらされたのかなぁと思っています。

魔が差したような椎葉移住のアイディアはこういうわけで必要だったのだ、この出会いに必要だったのだと思うと、自分の人生は、自分で動かしているようでそうではないということを思い知らされます。

ボルダーでクラッシュパッドを使っていないクライマーは、お金がないということを言い訳にします。が、登りたい人が、登るための安全にかかわる費用をケチるというのは、非常識であり、とても褒められたことではありません。

一方、クライミングの歴史では、クラッシュパッドなしクライマーが賞賛されてきた歴史があります。しかし、それはトップクラスの実力があってのことです。子供のころから登ってきたクライマーのような。トップクラスの登攀力に裏付けされてやっていることを、その裏付けがない、大人から開始した一般クライマーがやることには、疑問を感じます。

この問題解決には、町が一般のクライマー向けにクラッシュパッドの貸し出しを行ってあげるのが良いのではないか?と思います。昨今、若い人は貧乏なのです…

ちなみに瑞牆山という日本中からクライマーが集まる聖地では、クラッシュパッドの貸し出しがあります。

https://rental.climbers.network/

こちらは、小山田大さんのマットに関する方針が分かる、私の記事です。2枚めの写真をご覧ください。

https://allnevery.blogspot.com/2021/11/blog-post_96.html

ノーマットは許されないとあります。つまり、ーマットは、エリートにのみ許された特権なのです。エリートになってからやるのとなる前にやるのでは、意味が違います。

一般に、実力をあげるには、4級を100本、3級を80本、2級を50本、1級を30本、1段を10本、そしてやっと2段が1本登れる、というのが、一応クライミングのセオリーです。それで分厚い安全マージンを作らされます。

2000年の菊池さんの記事によれば、山岳会に入っても1年くらいはリードさせてもらえないというのが定石だったようです。(ちなみに私は入って1カ月、岩をスタートして3か月でリードさせられています。怖かったです。ただ山梨の岩場のボルトは九州のような状態ではなく、ランナウトも常識の範囲内です)

普通は、私のように師匠がいた人は、大量の基礎練習をさせられ、そのプロセスで安全管理の方法を学びます。

一般クライマーの場合、そういう王道と言われている基礎練習がないまま…(ジムの練習は外でないのでリスク管理は学べない)ですので、そのような状態でそのまま進むと、

・基礎力の不足で、指を壊したり、
・コントロールされていない墜落でクラッシュパッドがないため、怪我をしたり、
・あるいは、単純に思い切った練習ができないので、力が付かず悶々とし続けて年齢が上がり、時間切れ、となる可能性

もあります。怪我がないように祈っていますが…。

というのが若いクライマーの一般的な状態です。

今、林業に向かっている若い男性が増えたのは、林業というハードボイルドな世界から、リスクに対する良き姿勢を学ぶためではないか?と想像しています。

クライミングの師匠は、九州内には見出しづらいです。小山田さんを指導された米澤先生は、もう70代後半です。他に柏木さんもご健在ですが、水俣です。

九州の一流のクライマーは、全員九州の外に出てしまって…誰かの影響を受けることが困難です。

例えば、山梨であれば、現代のトップアルパインクライマー佐藤祐介の様子をクライミングジムに行くだけでも見ることができ、稀代のボルダラー室井登喜男さんの指導をジムに行けば受けることができますが、九州には、そういう影響を受ける機会がありません。

つまり、思想を学ぶ機会にも、恵まれていないかもしれません。

九州で、ボルダリングでの安全管理の方法論が発達していないのは、たぶん、そのような事情ではないか?と思います。

もっと言えば、大事なのは、クライミング技術を教わるプロセスで、命知らず自慢ではない姿勢を身に着ける、ということのほうです。

本州であっても、クライマー男子は誰もが怪我をしたのちに学ぶ系です。怪我ならいいのですが、死んでしまう人もたまにいます。

2021/11/16

オーバーハングの時代 ドライのルート図

  ■ 日本のクライミングの遅れ


を また指摘してしまうようだが、

日本にはドライのルート図集は、まだない。

時代は石灰岩クライミングになったのは、ずっと昔みたいなんだが…

日本では40年前の価値観のままだ。

被っているほうが安全で楽しい。

D9とか、M9-とか、さすがに登れる人誰?みたいな高難度ではあるが、

M7なら登れる男性はいそうだし、

W6やD6だったら、私でも視野に入るグレードである。

ちなみにこの画像は、韓国に行ったときに同じゲストハウスに泊ったアイスのワールドカッパー選手からもらった。

アルパインをやっている人で、ドライツーリングをやる人は少ないが…ドライはどちらかと言えば、コンペ寄りの競技向けクライミングなので…

しかし、昨今の若者は、中・高部活→競技クライミング→ジムのお兄さん→選手という流れなので、その選手から 外岩となるコースとしては、現在ではドライのルートが最終終着駅になるはずだ。インドアクライミングで足踏みするなら、アダム・オンドラ君と同じコースをたどるべきだが…彼が圧倒的にすごすぎて遠く及ばないのではないだろうか。

九州ではアックスを使うクライミングは、やる人が本州の輪にかけてすくないとは思うが…お隣韓国に近いお国柄、有利な立地ではあると思う。