2021/11/18

日本に健全な市民クライミングをもたらす

 ■ご縁

私はいつも不思議なご縁に導かれているのですが…今回の日之影との出会いのことは思ってもいなかったことでした。

私は、”日本に健全な市民クライミングをもたらす”ということをミッションにしています。

というのは、クライミングをスタートしてすぐ、無謀な行為で亡くなる友人が3人もいたからです。 私は弟を亡くしており(当時24歳)、そのことが後を引いています。

今回の延岡研修での、林業の講師は素晴らしい人でした。チェーンソーを使う=危険なことをする、のだから、より注意する、より心して基本に立ち返って自己反省する、という姿勢が素晴らしかった。

一般にクライマー、とくに西洋ではなく、東洋のクライマーは、命知らず自慢、というのをやってしまうのです。どうも東洋に強い伝統のようで、男性の自尊心の問題のような気がします。

そんなことをしていたら、自然界の力は圧倒的なので、すぐに人間の側が負けてしまいます。

私は、ほかの人が登る機会がないような、一流クライマーとも登ってきましたが、一流の人は、みなチェーンソー講師ようなタイプで、命知らず自慢とか、金がないという言い訳で、安全対策を怠る人はいない感じでした。

たとえ、その日暮らしで食費を削っても、ちゃんと安全対策は怠らない、それがクライマーの務めだというタイプの人が一流になって生き残っており、そうでない人は死んでしまうのでした。

それを目撃できるというのも、女性だから、で、若い男性クライマーは、なかなか一流の人と一緒に登り、思想の影響を受ける機会が与えられません。機会があっても委縮してしまい、出てこないです。

今回は、私は延岡に参加したいと思ったのは、椎葉村移住があったからです。長崎大村の仲間への情報共有も必要でしたが、大村は大村の道を発見しないといけません。

私が延岡で研修することになったのは、日之影との出会いのためだったのだなぁ…。椎葉村のことがなかったら、延岡研修に出ることはなかったでしょう… 

あるクライマーの強い思いが、私という存在を引き寄せたのかなぁと思ったりします。

今年の夏は茨城県の若いクライマーが私のところに来て一緒に登っていました。リボルト職人になるための修行です。昨今、クライミング技術…ロープワークのことですが、を教える上級クライマーがみな引退してしまっていません。私は珍しく暇人で教えることが可能なので、よく後輩指導をしています。

指導するばかりで得るものがなく、経費も掛かり、損だなぁといつも思っていますが、私の年齢の男性は働き盛りで忙しく手間が出せない。いきおい、私のところにしわ寄せが来ます。

ボルダーであっても、もし開拓に進んだり、クライマーとしてステップアップしたいと思ったら、私が知っているようなクライミング技術を知らないと、伸びることができません。それで私との出会いがもたらされたのかなぁと思っています。

魔が差したような椎葉移住のアイディアはこういうわけで必要だったのだ、この出会いに必要だったのだと思うと、自分の人生は、自分で動かしているようでそうではないということを思い知らされます。

ボルダーでクラッシュパッドを使っていないクライマーは、お金がないということを言い訳にします。が、登りたい人が、登るための安全にかかわる費用をケチるというのは、非常識であり、とても褒められたことではありません。

一方、クライミングの歴史では、クラッシュパッドなしクライマーが賞賛されてきた歴史があります。しかし、それはトップクラスの実力があってのことです。子供のころから登ってきたクライマーのような。トップクラスの登攀力に裏付けされてやっていることを、その裏付けがない、大人から開始した一般クライマーがやることには、疑問を感じます。

この問題解決には、町が一般のクライマー向けにクラッシュパッドの貸し出しを行ってあげるのが良いのではないか?と思います。昨今、若い人は貧乏なのです…

ちなみに瑞牆山という日本中からクライマーが集まる聖地では、クラッシュパッドの貸し出しがあります。

https://rental.climbers.network/

こちらは、小山田大さんのマットに関する方針が分かる、私の記事です。2枚めの写真をご覧ください。

https://allnevery.blogspot.com/2021/11/blog-post_96.html

ノーマットは許されないとあります。つまり、ーマットは、エリートにのみ許された特権なのです。エリートになってからやるのとなる前にやるのでは、意味が違います。

一般に、実力をあげるには、4級を100本、3級を80本、2級を50本、1級を30本、1段を10本、そしてやっと2段が1本登れる、というのが、一応クライミングのセオリーです。それで分厚い安全マージンを作らされます。

2000年の菊池さんの記事によれば、山岳会に入っても1年くらいはリードさせてもらえないというのが定石だったようです。(ちなみに私は入って1カ月、岩をスタートして3か月でリードさせられています。怖かったです。ただ山梨の岩場のボルトは九州のような状態ではなく、ランナウトも常識の範囲内です)

普通は、私のように師匠がいた人は、大量の基礎練習をさせられ、そのプロセスで安全管理の方法を学びます。

一般クライマーの場合、そういう王道と言われている基礎練習がないまま…(ジムの練習は外でないのでリスク管理は学べない)ですので、そのような状態でそのまま進むと、

・基礎力の不足で、指を壊したり、
・コントロールされていない墜落でクラッシュパッドがないため、怪我をしたり、
・あるいは、単純に思い切った練習ができないので、力が付かず悶々とし続けて年齢が上がり、時間切れ、となる可能性

もあります。怪我がないように祈っていますが…。

というのが若いクライマーの一般的な状態です。

今、林業に向かっている若い男性が増えたのは、林業というハードボイルドな世界から、リスクに対する良き姿勢を学ぶためではないか?と想像しています。

クライミングの師匠は、九州内には見出しづらいです。小山田さんを指導された米澤先生は、もう70代後半です。他に柏木さんもご健在ですが、水俣です。

九州の一流のクライマーは、全員九州の外に出てしまって…誰かの影響を受けることが困難です。

例えば、山梨であれば、現代のトップアルパインクライマー佐藤祐介の様子をクライミングジムに行くだけでも見ることができ、稀代のボルダラー室井登喜男さんの指導をジムに行けば受けることができますが、九州には、そういう影響を受ける機会がありません。

つまり、思想を学ぶ機会にも、恵まれていないかもしれません。

九州で、ボルダリングでの安全管理の方法論が発達していないのは、たぶん、そのような事情ではないか?と思います。

もっと言えば、大事なのは、クライミング技術を教わるプロセスで、命知らず自慢ではない姿勢を身に着ける、ということのほうです。

本州であっても、クライマー男子は誰もが怪我をしたのちに学ぶ系です。怪我ならいいのですが、死んでしまう人もたまにいます。