2021/11/22

死という現実から現実逃避している日本のクライミング界

■ 毎日おかもん先生の仏教説話を聞く

これは、おかもん先生のサイトから (https://bukkyouwakaru.com/dic/s105.html?fbclid=IwAR3ktLXLObAZR9jDuNjZyG6dGeQ4QpIfFXQf5BlPvKYOEPQzHUiokt6ATDU)

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白骨とは他人の死を見聞きしたときの驚き

次に仏説譬喩経の人間の実相のたとえ話に出てくる白骨とは何を例えているのでしょうか。

旅人は白骨を見つけて、ドキッと驚きました。白骨を拾ったときの驚きとは他人の死を見たり聞いたりしたときの驚きをたとえているのです。

レビや、新聞を見ると毎日のようにどこかで誰かが亡くなったことが報道されています。災害で、事故で、事件で、病気で、いろんなの訃報が報道されない日はないといってもいいでしょう。

★ここが問題です、クライマーの死亡や事故事例が検証されていない。ロクスノにもフリーファンにも、検証が掲載されない。事故や死はなかったことのようにスルーされている。

ショッキングな事件や事故で誰かが亡くなったことを聞くと私たちはドキッとします。通ったことがあるトンネルが落盤して数名の方が亡くなったと聞くと、「ああ、あのトンネル通ったことがある、自分だったらどうしよう」とぞっとします。近所の知人が突然亡くなったと聞くと「えっ、まさかあの人が・・人間の命ってわからないものですね」とドキッとします。

このように私たちは、思いがけない訃報や身近な人の死にふれたときに驚いたりびっくりしたりしますがこの驚きを白骨を見たときの驚きにたとえているのです。


私たちは白骨の野原を歩いている

では、私たちの足元にはいったいどれだけの白骨が散らばっているのでしょうか?世界中では1秒間に17名の方が亡くなっていると聞いたことがあります。この日本では約20秒に1人の方が亡くなっているそうです。

一日に直すと、世界では 15万人の方が日本では 3千3百人が亡くなっています。まさに雨露のように人の命は消えているのです。

私たちの足元には無数の白骨が散らばり白骨の野原を歩いているのが私たちということでしょう。

ところが私たちは、他人の死を見たり聞いたりしても他人事、他人事、と聞き流してしまい、やがて必ず自分にやってくることだということを忘れてしまっているのです

★ クライミング界では、忘れるというより、最初から、命知らずを自慢するような本末転倒になっているのは、子供が赤ちゃん返りをして、親の注目を引こうとする心理と同じになってしまっているからであるようだ。

トンネル事故を聞くと驚きますが各地の補修工事をしたそうだから滅多なことはないだろうと安心したり近所の人の訃報を聞いても、あの人は、お酒やたばこばかり飲んでいたからな自分は健康に気を付けているから大丈夫だろうとなんくせつけて、自分とは関係ことにして目を背けていないでしょうか。

白骨を見つたときは、驚いた旅人も、次第に慣れて平然と、白骨の野原を歩くようになりました。その旅人の前に、突如、唸り声とともに現れたのが餓えに狂った獰猛な虎なのです。

この虎は何をたとえているのでしょうか?

これは、私たちに必ず訪れる死という現実なのです。

誰もが死にたくありません。そして、死から目を背けて生きています。しかし、誰もが必ず死んでいかねばなりません。死と向き合ったときに本当の意味で生きるとは何なのかが問われるのではないでしょうか。

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★はクライミング業界の問題点です。毎年、一記事くらいは、大きな事故が起きているので、事故の検証を掲載するべきでしょう。

ランナウト王子で知られる佐藤祐介さんですら、事故に遭っていましたよ。