2020/03/27

ピンクポイントでの登攀と疑似リードの必要について

■ 人のクライミングをよく見る=適正安全マージンが分かるようになる

師匠と喧嘩したのは、湯川で私が疑似リードに進みたいときに、疑似リードではなく、ピンクポイントをさせようとしたことが、最初でした。

私がピンクが嫌だったのは、カムを指す位置が、いつも相方の回収で登っていて、遠い。背が高い人は、一ピン目から私と違います。

私のリーチが、彼の50cm下で、手が届かない位置にカムが刺されたピンクポイントでのリードは、たぐり落ちの危険、が非常に高い。

なぜ、それが彼は理解できなかったのか?

それが理解できないと、自分のパートナーにピンクを強要することになります。

なぜ理解できないのか?というと、おそらく、セカンドをやらないからです。

師匠はおそらくセカンドをやったことがないと思うので、身長でカムの位置が違うと言っても、なかなかその具体的な様子が浮かばなかったに違いありません。

私は、わざわざ紙面でそれをきっちり書いているくらいです…(汗)

https://allnevery.blogspot.com/2019/08/blog-post_68.html

師匠、一度でいいから、私のいうことを聞いて、疑似リードをしてくれたらよかったのに。

そうすれば、私がカム位置が違うと言っている意味が分かったでしょう。

■ 湯川 カムセット難しい

一方、湯川はカムのセットが難しい岩場で知られています。だからこそ、カムのセットを覚える疑似リードにぴったりの岩場です。

■ カム位置=ギリギリ度の指標

セカンドで登らなくても、自分の限界に迫っていれば、カムの位置は、クライマー本人にとって、どれくらいギリギリに迫っているか?の指標である、ということが分かります。

誰でも、危険の量に応じて、カムのセット間隔が短くなります。

それは、端的に言えば、アルパインクライミング…つまり、落ちないクライミングで、プロテクションは、ほとんど出番なし…は、やっていても、フリークライミング=プロテクション必須…、はやっていなかったから、彼はそれが理解できなかった、ということなのです。

おおざっぱに言えば、アルパインクライミングは落ちないクライミング、フリークライミングは落ちながらも、何度もトライして、”岩に合わせて自分を変えて登る”クライミングです。

岩への寄り添い、がアルパインとフリーでは雲泥の差、です。

■ どこからフリークライミングの領域なのか?は人による

岩への寄り添い、というのは、岩のために肉体改造が必要になる、ということです。

どのグレードから、岩に向けて肉体改造が必要か?というのは、人によります。

一般的な体格の人にとって、フリークライミングの始まりは、5.11以上から、現代では5.12は中級者になってしまったので、現代クライマーには5.12から。

もちろん、これは標準体型&標準体力の人向けで、クライマー界の標準=若い男子、です。

若い男子の身長&体力に入っていない人たちにとっては、肉体改造が必要になるフリークライミング、としてのクライミングのスタートは、もっと下のグレードからです。

私などは、高齢&女性ですので、10台でフリークライミングとして、岩に向けて自分の肉体改造を始めないといけませんでした。

すでに始める前と今では別人です。

■ 疑似リードは必須です

人間は、クライマーを見ていると、脳がシンクロしてしまい、私はいつもビレイしている相手(=クライマー)の動きを読めるようになってしまい、彼が何が登れ、何が登れないか、よく分かります。

人間には、ミラーニューロンと言って、相手のムードや気分に、シンクロする機能があります。

共感脳のことです。

ですので、ビレイをしてあげる時間は、共感の時間、観察の時間、です。

クライマーをよく見ているビレイヤーが良いビレイヤー、とよく言われます。

ので、それが起こっていなかったということを考えると、要するに、師匠は私がTRで登っている間、そんなに良くは見ていなかったのかもしれません。

おそらく老眼で、あまり見ること自体ができなくなっているのだと思われますが…(本人の非ではない。)

トップロープでの疑似リードは、クライマーが、カムの位置、岩、ムーブと、どういう歌を奏でているか、ビレイしながら、観察する時間であり、そう思えば、安全マージンを理解するためには、かならず必要、です。

疑似リードして大丈夫そうなら、リードに進みましょう。

もちろん、オンサイト狙いは、また別の話です。習熟度は、もっと必要です。

■ 共感脳が勝負のクライミング

こうしてみると、共感脳、が、クライミングにおいては、味噌だということが分かります。

共感脳が強くない人は、

 ・相手に実力とかけ離れたグレードのリードを勧めてしまったり

など、事故や怪我につながることを、相手に良かれと、勘違いして行ってしまいます。

一般的な傾向ですが、男性ホルモンまっさかり、みたいな方は、一般に共感脳が強くない傾向があります。共感というのは、心理学の分野では、女性性や知性に属することだからです。

女性性というのは、花がきれいだ、とかそういうことを想うっていう話ではありません。男の人の場合、花がきれいだと思うのと同じレベルで、女性がきれいだ、可愛いな、と思ってしまいます。

そうではなくて、
 
 相手の心情に立つ、
 相手の立場からモノを見る、

というのがクライミングで必要とされる共感能力です。 

花が可愛いという人は、花を摘みます。花を愛する人は、花に水をやります。

フリークライミングは、ムーブを楽しむクライミングなので、登頂を目的とするアルパインとは目的が違います。アルパインは登頂のためなら手段を択ばないというダークサイドがあります。それを覆したのがフリークライミングです。

 フリーでは、5.9でも、5.13でも、やっていることは同じ

です。つまり、上下の関係はありません。

5.13を登れる能力を山に持ち込むのが、現代のスーパーアルパインです。

■ トップロープで様子を見る

相手をビレイしている途中、クライマーをよく見て、クライマーと同じ気持ちでビレイするということですが、一般に会で登ってきたオールドクライマーは、ビレイが大変いい加減です…。特にトップロープ。ひっぱってりゃいいくらいなノリです。

そうではなくて、登っているクライマーと同じように、岩との対話を感じてほしいものです。もしそのクライマーが、あまりに稚拙で下手であれば、相手が上手になって、戻ってくるまで、ジムで登らせたらいいだけなのです。

それをしたくないのは、ただ単に、自分に都合がよいビレイヤーが欲しい、というご都合主義でしょう。

■ クライミングは移ります

私はクライミング、後輩に、「楽々、登っているように見える」と言われ、びっくりしたことがあります…。本人は、楽々でなく、必死、の時だったからです。

相手が必死か、楽々か、を見分けるのは、やっぱり共感脳の働きのような気がします。

男性は多くの人が、これが発達していません。

ちなみに、バレエでは、先生のお手本通りに動きを作れる必要があり、私は、動きのコピーが得意なほうです。この能力のため、水泳はあっという間に習得しました。この能力は、年齢を遅くスタートすると衰えています。

クライミングの初期のころ、今では有段クライマーのハッシーと言う先輩と人工壁でビレイ習得しました。彼の登りを注視していたせいで、私のムーブは男登り、だったらしいです(笑)。そりゃ、ハッシーのフィジカルでやるムーブを私がやっても、フィジカル違い過ぎて、できるわけないわなー。

というので、後で、ムーブをだいぶ直されました(笑)。

色々、師匠とは喧嘩しましたが、危険を無理強いされようとしたときに喧嘩 = Good

だったと理解しています。雨、降らないと地、固まりません。


  迷ってもハードプッシュしてはいけません。それやってるとムーブは身につかないです。

2020/03/25

瞑想山歩き 一回目

トレーニングをかねて、瞑想山歩きに行ってきました。足をなんとか回復させたいと思っています。

■ ミラーニューロン

人間にはミラーニューロンという脳の電波があって、脳内ホルモンで、気分、が伝播するのだそうです。

不安なクライマーのクライミングを見ていると、自分も不安になって登れなくなりますよね?

あれは、本当に脳が憑依されているんです。

山で心が満たされるのは、山の空気や、山の木々や大地、野生動物から発せられている、

純粋な質

に、人間の脳も同調してしまうからだと思います。

そのためには、登山者は一人で歩かないといけません。しかも、鈴など付けずに静かに。

■ 右ひざ脱臼のこと

脱臼した足は、一向に良くならず、いい加減、バンバン、クライミングしたい!とは思いますが、危険すぎて、やる気になれません…。

脱臼は、癖になるそうです。

今で半年経過していますが、まったく足を突っ張るムーブができません。スメアはできますが、立ちこめません。膝を強く収縮させた状態で突っ張ると、またハズレそうです。

しかし、外から見ていると、そんなことは分からない訳で、頑張っていない、と見えるだけ。今の時期、誰と登ってもリスクです。

■ 相手に憑依しない

師匠の青ちゃんが、ボルトを抜いた直後、ガマスラブに私を誘ってくれたのですが、歩けない、その様子を見て、ビレイをお断りしたことがありましたっけ。「何かあった時、パートナーが私では、あなたは危険です」と先にくぎを刺しました。結局、本人が登るって聞かないので、登りには行ったんですが…。金峰渓谷で足を冷やしたり…と、大変でした。

その時の記録 
https://allnevery.blogspot.com/2016/09/blog-post.html
https://allnevery.blogspot.com/2016/09/blog-post_85.html

彼がなんで私と登りたかったのか、今では分かります…。

私は相手の境界線を犯さないから、です。煽らない。

若い男子は、”え?!こんなのも登れないの?オーラ”、全開ですもんね、男子らだと。

そりゃ~、年齢差、息子以下の男性に、けっ!って顔されるのは嫌でしょうね。レスキュー隊長したり、冬壁だったり、それなりに実績を積んできた山やなのだから。男子は顔に丸ごと出ます。たとえ、相手が怪我している、って言っても外からは分からない。

昔、上司が2名いたのですが、一人の上司が、「女性はホントにやりやすい。頼んだこと以上にやってくれて、こちらの意図を汲んでくれて…」と言っていました。上司によると、男性は、上司がお願いしたようにではなく、自分がやりたいようにやる、そうです(笑)。そして、それがちょっと的外れでも、言いにくいそうです(笑)。男子、自信ありすぎですから。

■ モテたい…

登山口につくと、今日は運悪く、84歳のおじいさんにつかまってしまいました…。なかなか出発されないので、私と登りたかったみたいです。聞いてもいないのに、84歳と自己申告。めんどくさいなぁと思いましたが、「お若いですね」と言っておきました…。

いや、84歳になっても、山に登りに来るのは素晴らしいと思いますが…。だからと言って、同行者を求めるのは、相手も登りたい場合だけにしてもらいたい…。おじいさん、たぶん、いつお迎えが来るのか、不安なのは分かりますが、鈴がうるさくて、今日したいことが、オジサンといたらできないので困りました…。

今日は、私は同行者は欲しくない。…ので、なんとか別行動してもらうのに、大変、苦労しました。男性は、本当に、察する力が低いですね。男性の登山者もいたので、振り返ってみてみましたが、一緒には登っていないようでした(笑)。要するに、女性と登りたいのか。

84歳になっても、男性の価値観は、モテ、なんだなぁ…と、しみじみ思いました。あの手、この手、なんだなぁ。高齢自慢、という新しいナンパ手法らしいです(笑)。

■ 植林

三瀬村は、日本で最初に無税を実現した村、です。

以前、三瀬研究した時に、知りましたが、昔頑張ったため、今は、手入れをされなくなって40年、みたいな植林が周辺の山々に広がっています…。

当時は、夜逃げ人が出るほどの苦役を村民に課して達成した無税の村、だったそうですが、そんな無理をしてまで、そんなことをしたのは、将来、植林がお金になって楽になる、という目算があったためです。つまり、強欲、があったということです。

ところが、国の施策により国産材の需要はなくなり、資産だったはずのものが、負債に。

  
資産 → 負債

の流れが、ここでも見受けられます。

時代の流れを読むことは難しいので、その時その時に、良かれと、短絡的にがめつい発想で何かをやることには、疑念がある、ということですね。

こうしたことは、ただ、おしゃべりしながら、山を歩いていたら、全く気が付くことができないでしょう… 

というのも、植林の手入れが十分されているのか?いないのか?そんなことに気が付くだけでも、それなりに、たくさんの植林地を見る、というデータ収集期間が必要だからです。

ちなみに、こちらのような、細ーいバーコード状の森は、まぁ、お手入れ、かなりサボったねーって感じです。

■ サトビックな場

今日は、84歳の例のおじいさんが鈴をつけていたので、私は嫌だったのです…

わたしは、そおっと、山を歩きます。すると、野鳥とか、色々な動物が、人間ってどんなものだろ、って寄ってきます。

今日は、おそらく、ヤマガラと思うのですが、私をずーっと観察している野鳥が…。

お釈迦様を描いた絵に、野生動物がみんな寄ってきている絵柄がありますが…もし、人間が変なおしゃべりなどせず、じっと自然の中にたたずんで、他の野生動物と協調的な生活をしてくれるのなら…きっと野鳥たちのほうも、人間と仲良くなってもいいかな?と思うのかもです。

今日は、20分くらい、こっちを見ていました…

山頂付近で昼寝モードで本を読んでいたら、私をぽかぽか陽気に温められた岩だと勘違いして登ってくるトカゲ君などがいたので、こりゃ岩と同化してしまう前に帰ろ、と思い、山を下りました。

途中、佐賀の高校山岳部のメンバーに会いました。よく言えば、元気いっぱい、悪く言えば、ドスドスとデリカシーの無い歩き方で、山の中がやたら騒々しくなるよう…。

彼らの山は、山との対話、とかではなく、山を舞台とした、軍隊式意思決定を学ぶ場、みたいでした。

そういうスタイルの山があっても良いと思いますし、それがアルパインの基礎につながっていくと思いますが、損な山だと思いました。というのは、それは下界でもできることだからです。

聞いたら、縦走路の一般ルートを歩いているだけなのに、読図山行らしくて、驚きました。読図の山だったら、どこか一尾根歩いておいで、みたいな感じだからです。

尾根を歩く、という初歩の初歩、無くして、読図山行って…。まぁ、すごい遠回りな道を選んだね、みたいな感じ。

一般ルートを歩いていても、読図力、全然つきません。

まぁ、彼らもまた、それが分かるプロセスの上にいるのだろうと思ったので、元気なこんにちはー!に、こんにちはー!で返すことにしておきましたが…。

山でコーヒーがおいしかった…。冷えてもおいしいスペシャルティコーヒーを飲むに限りますね~ 山コーヒーは!

と思った山でした☆ 足は、ぼちぼちです。
竹が進出しているところは人間の進出した痕跡です 春は色で分かって面白い

自己責任の具体的内容

■ 自己責任の具体的内容

現代日本フリークライミングで言われる、自己責任、の具体的内容は

1)落ちていいボルト(M10グージョンやケミカル)とそうでないボルトの見極めができる

具体的には、M8とM10の差が見極められる。

2)FIXE社製でない、手作り終了点が、とりあえずの終了点だという認識がきちんと持てる&おかしいと気が付くことができる

3)2点、横に平行に打たれた終了点を見て、おかしいと気が付くことができる

3)ランナウトを認識できる

4)クリップ体制が可能なところにボルトがあるべきだということが分かる

5)敗退用ギアを持っている (例:捨てビナ)

6)グレードは目安に過ぎないので、グレードに惑わされず、自分が登れるかどうかをルートを見て判断できる

7)カムを確実に設置できる

8)ビレイヤーのビレイスキルを評価できる

9)1ピン目が掛けらればどこでも登って良い プリクリ棒を持っている

10)後進に自分の知っている安全対策とその理由をきちんと論理的に伝えることができる

以上です。

10)ができている人にあったことはほとんどないです。

フリークライミングの教育機関がないことについて

■ 放任主義

今JFAの井上さんと議論中。井上さんは、日本の”フリー”(本来、自由な)クライミングなので、そうした教育機関は要らないという発想。 

そうか、野放し、だったのは、”自由”を重んじたためだったのですね。

その、放任主義の結果が、現在、如実に表れている真っ最中、ということだったのでした。

子どもの教育と同じで、子ども=新人は、まっさらなので、きちんと、「こうやって遊ぶんだよ」と教えないと、分かるようにならない…。特に危険なことは、危険を避けて遊べるようになるまで、大人がついていないといけないと育児書に書いてありました。

吉川栄一さん…沢登りの方ですが、本に書いていましたが、「”山やとしてのあり方” から教えないと、人はちゃんとした”山や”にならない」という理論を展開されている方でした。

■ なぜ岩場に木っ端がつくことになったか? 説明責任をも放任したため

私も同意見で、その観点から見ると、おそらくフリークライミングは、放任主義のついでに説明責任も放棄してしまったようで、その結果

・岩場に木っ端くっつけてしまう
・本気チョークの特集に5ページで、30数年ぶりのデイドリ初登にたった1ページ

チョーク=エイドですので、エイドに力点を置き、初登よりエイドのほうがページ数上は価値ある扱い、みたいなこと…価値観…

が出てきてしまう結末になってしまい、

原因 )岩との対話を語らない
結果) 岩を顧みない

という、原因と結果の法則にしたがった現実(=ロクスノ紙面のレベル低下に端的にみられるクライマー全体のレベル低下)が出現した、ということになってしまっているようです。

岩との対話、置いてきぼり。登山の世界で、山との対話が置いてきぼり、なのと同じです。

■ 小うるさいお母さん状態

若い人は、技術は向上しているので、ちゃんと技術的には登っている人はいます。

しかし、残念ながら、そう言う人たちは、JFAをむしろ避けるように登っています(笑)。

どれを登れ、これを登れと指示されなくても、自分で登れる人たちなので、ジムにも行かないし、山岳会にも、もちろん行かない、自分とパートナーだけで登ります。そういう人たちにとって、

JFAのおおざっぱなイメージが、「アブナイ、アブナイと、やたら、小うるさいお母さん」というイメージになっている…。

それに対する、一般的なクライマーの反応は、

「そんなことは分かっているよ」
「危ないから面白いんだよ」

でしょう。

私も正直、そのイメージを植え付けられていました。

■ いわゆる”自己責任”の具体的因数分解

私自身はFreefan、登れない時期から読み込んで、特に終了点の写真などは見ていましたし、ちゃんと後輩には、ペツルのカタログとセットでFreeFunを渡していますが、その私ですら、

 M8 と M10  のサイズ感の違い

は全く分からず、ここ数か月で身に着けたようなものです。これは私だけでなく、登攀歴50年の師匠も同じでした。RCCやオールアンカーではなく、普通にハンガーがついていれば、おそらく強度は大丈夫だろう、と思ってしまいます。

事実は全くそうではありません。

しかも、そのことを山岳会に属していても、先輩たちは後輩に、論理的に伝える能力がありません。

論理的に、というのは、現代で世界的に必要とされるボルト強度は、25kNであり、M8ボルトが出している強度は、施工が良くて15kNしかなく、施工が悪いと5kNしか出ていないということです。

また、この数値から内容を理解するには、人体は12~13kNで壊れる、人体が許容できるインパクトフォースの最大が12kNだ、という知識が必要です。

 12kN
 25kN

ちなみに、カムで14kNくらいですが、これは、落ちたときにカムが壊れるより先に、人体が壊れるでしょうと言う意味だと思っています。

カットアンカーとグージョンの違いも知る必要があるかもしれません。カットアンカーの場合、新しければ、15kN出ていると想定すれば、落ちれるボルトであると言えるかもしれませんが、古ければ、ガルバニックコロージョンの危険があります。

1985~90年の開拓ブーム期に打たれたボルトは、現代では更新期を迎えていますが、そのことも、トポには書いてありません。

■ 自己責任という言葉の意味は、私は無知です、自分で調べてください、という意味です

というわけで、『自己責任』、という言葉は、

実は発している人の無責任さ

を表現した言葉です。自己責任を歌いつつ、その責任が取れるような、情報発信をしなければ、クライミングは

乗るか?そるか?

の活動になってしまいます。

ので、こういう実情を知って、よく分かっており、説明責任を果たしてくれる人たち(もしくは、岩場、あるいはトポ)と登るべきでしょう。

■ フリークライミングを教える人がいない国内

若い人には、大変気の毒な事象ですが、構造が分かった。

まぁ、私が分かったとして、何が変わるわけでもありませんが、

フリークライミング

としてクライミングを教える人がいないと、まぁどんどん、フリーをする人はいなくなり、ボルダラー人口でなんとか間を持たせる、って感じになるでしょう、って言うか、今そうなっています。

国内事情は今、非常に悪いので、海外が良いと思います。


2020/03/24

Ninjaのリボルトvs烏帽子のリボルト

めっちゃ対照的。

世界レベル=リボルト
ローカルレベル=屁理屈

どっちがかっこいいか?もう明らかですね!

Ninja 5.14a
https://freeclimb.jp/news/news2012_3.htm?fbclid=IwAR1fC88ikf-L6BhH0mlUOlgZ-v149Bx4P6kimynkW3f_1f26sWU9M76riiY#ninja

烏帽子 
https://freeclimb.jp/news/news2007_1.htm?fbclid=IwAR2VuUTlhUYeVSbM365dAy4KHO7_aZuig4TWbzSxBljUWxQ9qNGDpWXndf4

■ Ninjaがリボルトする理由

  1. 支点の老朽化
  2. ボルトがクリップに適正と思われる体勢の位置にない。
  3. 初登者はボルトの位置が悪いことを認め、位置の変更を許可している。
  4. ラペルでボルトを設置している。
  5. 再登者はすべて、スリング、長ヌンなどでクリップ位置を調整している。
  6. 現状の位置だと、オンサイトトライをする際の危険度が非常に高い。

■ 烏帽子
  1. クライマーレベルが上がった
  2. その分底辺が大きくなった
  3. 20年近く昔の理想
  4. 現状に対する認識欠如
  5. 既得権
  6. 地元の人達と友好的
  7. 「不適切な支点の設置」が不明
  8. メディアなどを通して広く一般に訴え、啓蒙するような行為が先にあるべし
  9. 昨今のフリークライミングの概念が西欧から導入されて、まだせいぜい20~30年
  10. 今現在良いとされるスタイルや安全とされる用具(ケミカルアンカー等)が確定したのは、長いクライミングの歴史からすれば、ほんの僅かな時間

■ 変わりたくない

まぁアルパインの人がフリークライミングの岩場を整備するから問題になるんでしょうね~

基本、古いクライマーのいっていることは要約すると、

 変わりたくない

ってことです。コンフォートゾーンから出れない。

■ 問題の根源

フリークライミングの価値観を教育する機関が、日本にはどこにもない。

ので、コンフォートゾーンに、新しいクライマーは取りこまれ、そして、既得権側になります。

原理的に、そりゃそうだろう、という気がしますね。

アルパインの論理でフリーのルートを作ったら、そりゃ~めっちゃあぶないわなー。

私のクライミングブログ

■私のクライミングブログ

の要旨は、以下のFXトレーダーのコメントと同じです…。

ーーーーー
他では聞きにくい(どこで聞けばいいかそもそもわからない)といった質問はもちろん、自分なりに経験すると、それを誰かに伝えたくなる事もあります。

 「また同じことをやらかしてしまった!」という時、同じ事を繰り返さないため、振り返って悪かった点をまとめますが、それを誰かに伝えたくなる事もあります。
ーーーーーーーーーー

事例)
1)「このボルト、大丈夫なんかなぁ…」
=他では聞きにくいなぁ
 
2)ずっとペツルだと思って信用。なんと!実は全然、信頼できるボルトちゃうかった!! 
=自分なりに経験すると、それを誰かに伝えたくなる

3)だらりんビレイで落とされる
=同じことをほかの人が繰り返さないため、悪かった点をまとめる

4)怪我したのに必要な措置をしてもらえない
=他では聞きにくい&自分なりに経験すると誰かに伝えたくなる

という具合です(笑)。

あるべき姿を共有していないのが、現代クライミング。そうなると、そのあるべき姿を作るプロセスが必要になります。

2020/03/23

新たに問題を抱えない道を模索中

■新たに問題を抱えない

私はクライマーのゲストハウスを作りたいと思っているのですが、なかなか適地がない。

日本の岩場は、ボルト問題があり、整備に関しては、後ろ手後ろ手で、海外からクライマーに来て、登ってもらって楽しいという岩場ではないからです。腐っているボルトで登りたいクライマーなどいない。

というので、この計画は、20年ほど時期尚早かなぁ…と延期路線です。まぁ、その間、他にすることは?というので、エコビレッジの研究をしようかなぁと思い、今回はアースバッグハウスの作り方を勉強したいと思って出かけてきましたが、これは、全くのハズレでした。

ここを読んでいる方もいるかもしれないのですが、日本とは思えない衛生ぐあいで、海外のバッパーでも、稀にみる汚さ…。

そうだ~、私は衛生面で”自由人”は受けいれられなかったんだよなーと思い出しました(笑)。サンフランシスコは、自他認めるヒッピーの町ですが、まぁ、ほんと、汚い家は相当汚い。

海外では、衛生はタダではない。お金を出して買うもので、ダウンタウンの安ホテルのおぞましい事!

ついでに言えば、安全もお金を出して買うものです。

インバウンド施策で、海外にいた日本人ヒッピーの人たちが戻ってきて???日本に作っているバッパーは、デザイン性の高さから、ゲストハウスづくりにハマった人たちと違い、海外の水準を日本に持ち込んしまうリスクがある。いや~、日本国内で稀に見るレベルでした…。

ので、そのままとんぼ返りで自宅に戻り、作戦変更して、クライミングを充実させることにしました。

エコハウス路線は、エコハウスという衣装を着た、社会規範が壊れた人の集まりに陥る可能性もあり、それは良い場合と悪く出る場合があります。特に衛生面などは、良い言葉で言えば、緩やか、悪い言葉で言えば、汚い、です。

コロナウイルスさわぎで、免疫力、と言われますが、汚い=免疫力強いと思っている場合は要注意です。

なぜインドでは、左手が不浄の手か、ちゃんと考えないと…。またインドのお食事では作り置きNGです。これも衛生のためと思います。インドはカーストが厳しく制限されているのも、衛生の関係があるのかもしれません。

というので、知見が広まりました。


また、今サトビックな(純粋性の性質の高い)人たちは、どちらかというと小さいジムにあるのかもです。

道場の岩場、土日はNGです…事故者が出ても、あまり関心出来ない対応だったのは、無知と自己中がそこに鎮座しているためです。

ので、自分自身のサトビックを守り、いかに余計な荷物を抱えずに生きていくか、そこらへんが大事なことだ、と思うようになりました。

クライミングガイドが要求する安全マージンとオールドクライマーが要求する安全マージン

斜陽
■ 薄い安全マージン=オールドクライマー

先日、私より10歳くらい年配の初心者クライマーとジムをご一緒した。と言っても、私は負傷で見ているだけだ。彼女はジムグレード5級が登れていなかった。

のにもかかわらず、斜陽(5.9)という非常に事故が多い課題をRPできたと喜んでいたので、なるほどなーと思った。彼女はオールドクライマーと登っているのだ。オールドクライマーの価値観は、蛮勇、だ。

■ 厚い安全マージン

私はクライミングをスタートしたころ、クライミングガイドをしている石田登山教室の石田さんに小川山で会ったことがある。

たまたま、金峰山登山の前泊でテントが隣。それでキャンプファイアを見ながら、言葉で言えば、ランナウト、という言葉の意味などを教わった。

石田さんの教室では、インドアリード壁で5.11が登れるレベルというのが、外岩デビューレベル、とあった。

これには議論があり、5.11へ行くのは結構時間がかかるため、ガイドが儲けるためだろう、と悪口を言う人もいた。

しかし、私は、ガイドさんにとっては、お客に怪我をされた場合のことが気になるはずで、決して怪我や死亡事故だけはさせるまいと考えるはずだと推理し、一応、このグレードと意見は、心に止めておいた。

私自身は、会の先輩と行くときは、5.5でいいので、リードということにしていた。最初の師匠の鈴木さんの方針だった。

ただ先輩によっては、後輩にクライミングさせるのは、自分の登攀のついで、という人もおり、そうなると、後輩は自分にとっては難しすぎる課題に取り付くので、TRになってしまう…ので、私は自分の会で、5.5をリードしているころ、別の会で、5.11bなどをTRしていた。師匠は私が登る、落っこちそうな5.7を真剣にビレイしてくれていた(笑)。

それから2年後…

結局、5.9がオンサイトできるまで2年半かかった。

たぶん、このころ、ベースキャンプでは、5.10dくらいまで登れていたので、このレベルがおそらく石田さんが言っている5.11レベルなのだろうと。段級なら5級が登れるレベル。私は辛いと言われているピラニアの5級は少数の苦手課題を残して、比較的登れたので、それくらいで、やはり外岩デビュー期、だと思う。

後は、どんどん易しい課題をリードしてリード経験を貯めればいいのだが、日本ではボルトの関係で、それがしにくいので、やはり、海外が良いと思う。

先日ご一緒した方は、ジムでのムーブを見ていると、まだぎこちなく、クライマーらしさは今から、みたいなムーブだったので、その技量で、重大事故が多い5.9の斜陽をさせられたということで、大変、気の毒な気がした。(本人はそうとは知らないで平和だと思うが)

■ 自分のリードに向いた課題

私自身も、課題を選ぶ、という視点は、初めて5.9がオンサイトできたころは持っておらず、そういう時点で、つっこむことがクライミングだ!というクライミング文化だと、死亡事故が多い、ということだと思う。

特に若い男子は、安全とプライドの天秤では、プライドのために安全を犠牲にしてしまい勝ちだ。

■ 外は十分グレードにゆとりを

ジムで十分グレードや技量をあげたとしても、外岩は別の技量がいるので、やはり、5.5をリードしながら、5.11をTRでもいいので触るというような、二刀流は必要だと思った。

外には外の安全対策がいるのだ。

■ ランナウト

結局のところ、ランナウトした課題は初心者は避けるべきだ。落ちた時、ボルトが信頼できない、怪しいボルトも避けるべきだ。

絶対落ちないところしかリードしない。これでいい。初心者のうちは。

二人目の師匠、青ちゃんがかなり私に登らせる課題は選んでくれた…。私は女性なので、オーバーハングは苦手で、スラブなら何とか…ので、今さらながら、ありがとね~と思った次第。


ランナウトしていない課題を見極める目

■ マンション

自宅のマンションのメインテナンスで一時的に帰ってきていました。本当は年始や2月末にもメンテナンスに大阪に戻る予定にしていたりしたのですが、福岡で用事ができて、のびのびで、帰って来れなくなってしまっていました…。

久しぶりの大阪は、コロナの影響で、静まり返っており、元気がないです。

■ ジムオーナーと長話したこと

ジムオーナーと先日、長話して、色々と知見が広がりました。

関西でも、良かれと思って、打ってくれているボルトが、現代の基準では、とても受け入れられない…だったり、ルートが混雑しすぎていて、これは、どのルートがどれなんだか…という現状だったり、するのだそうです。

そういえば、去年、師匠の青ちゃんに、6回も重大事故を起こしている課題、ボルト位置が悪くて落ちたら後ろに走らないといけないらしいのですが、そのボルト配置に固執する初登者で弱っているという話を聞きました…。時代が違うんやで、って言っても分かってもらえないと言っていました。

http://kkinet.sakura.ne.jp/oshirase/2016/160308_iwabamondai-osirase.pdf?fbclid=IwAR0ltdwHsnwz1QR_omhr00VNgBJoK9UbIJtLdzyC16wMEZAbL27X8Jv_zzQ

同年代のクライマーが言ってきかないなら、年下のクライマーが言ったところで聞かないよなぁ…。

ある人が言いました。「もうご年齢もご年齢ですから、そっとしておいてあげるのも、思いやりでは…」

思いやり。

色々な形の思いやりがあっていいと思いますが、思いやれる範囲というものがあり、そっとしておいてあげようという思いやりで、命を差し出す羽目になったら、それって、思いやりで背負いきれる犠牲なのだろうか…?

斜陽 4ピン目が遠いそうです
せめてトポには、”〇ピン目で落ちると、確実にグランドフォールするので、ビレイは後ろに走ること”、と明記するとか…。

クライマーのコミュニティはあるようで連絡先がなく、ないようであるので、新参者は、誰に何を言ったらいいのか?不明ですよねぇ…

そんな状況でトポも、グレードと課題名しか書いていないから、手ごろなグレードと思ったら、取り付いてしまいますね…。

ランナウトしていない課題を見極める目、というのは、新人のクライマーにとってまず最初に必要になる選択眼です。


2020/03/17

ワンフォールというスタイル

ワンフォールというスタイル

オンサイトとフラッシュ以外に、クライミングでは、完登のスタイルが色々あったみたいです。

グランドイリュージョンをワンフォールで登ったということは、


1)カムセットしながらマスタースタイルで登る
2)1回フォール
3)ギア残置してローワーダウンして再度トライする

ということだそうです。
現代のスタイルとは全く違いますね!!!おどろき。

今では、
2)一回フォール
3)そのまま続きを登る。

で、下までローワーダウンってないです。一回落ちて、完登しても、再度、下からつなげて登る、ということをやっているクライマーもみたことないですし…

これは、有名課題の再登の場合、第8登、9登のどちらがすごいか?という判定に、少ないフォール数で完登したほうが実力上、上と判定する、と言うようなケースに有効なクライミングスタイルのようです。

できるだけオンサイトに近い形で登るのがより実力が上、ということに忠実になるとこうなるのかな?

今、クライミングというゲームが、登れたか登れなかったか?オンオフだけになっていることが、ゲームのつまらなさ、奥行きの無さにつながっているのかもしれませんね。

OBGでは寺島由彦さんのグランドイリュージョンがワンフォールということで、驚嘆されています。

そんな言葉今知りました(笑)。

2020/03/16

大堂海岸

さて、杉野保さんの事故死のショック一色だった、先週が終わり、名文と言われるOldButGoldも、連載をいくつか読んだ。

そして、クライミングの記事の質とは何なのか?と言うことについて理解が深まった…。

クライマーのみんなが読みたいのは、どういうことなのか?私にも理解ができた。

本来、書いておかないといけなかった記録を書いておく。先月のことになってしまったが。クライミングについて書くのは、なんとなく気が重いものだ。

先月の記事
https://allnevery.blogspot.com/search/label/%E5%A4%A7%E5%A0%82%E6%B5%B7%E5%B2%B8

■ 大堂海岸

一般に、易しい課題から難しい課題へステップアップするのが、クライミングでも当然のプロセスとされるが、難易度的に何が自分にとって適切なグレードなのか?ということを、日本ではクライマー本人に判断させない伝統がある。

クライミングの面白さは、そのバランスが取れていることによるわけで、難しすぎるものを強いても楽しくない。易しすぎても楽しくない。

怪我などをすると、クライマーは登れるグレードが下がるものだが、その下がり具合も本人しか分からない。本人しか分からないことが分からない師匠を持つと、クライマーは不本意な思いをする羽目になる。つまり、不満が増える。

これは日本だけに独特な現象で、自分が登るところは自分で決めて良い欧米の文化には、存在しないリスクだ。

私は、吉田講習は1度しか受けていない。あとはビレイヤーで登っているだけで、湯川の易しいグレードをオンサイトする、という段階で、九州に引っ越しになってしまった。

つまり、易しいクラックのオンサイト経験を貯める段階に来て、その機会が得られなくなって、すでに3年が立とうとしている。その間、1年も足の怪我で思うようなクライミングはできる状態にない。足踏み中だ。

この3年というのは、夫の転勤のために住む場所が変わり、クライミングを続けていく環境づくりに非常に大きな困難を見出している時代だ。

環境が整わない。それは、主に私の側だけの原因とも言えないようだ。九州は外岩環境は悪い。

大堂海岸は、易しいクラックがたくさん用意されている岩場ではないだろうか?ということで、2017年くらいから、師匠の青ちゃんに「大堂海岸はどうですか」と聞いてはいたが、大阪から遠いということで、実現していなかった。

ので、2年越しということで、大堂海岸の話が来たときは、ちょっとうれしかった。イメージは易しいクラック登り放題!というものだったからで、実際は、そのイメージとは、かなりかけ離れた登攀になった。

大堂海岸に行くには、大分からフェリーに乗る。運転はパートナーと交代だ。私は早めに出て、卑弥呼の湯でひと風呂浴びて鳥栖駅に向かった。鳥栖は、駐車料金200円/泊で停めれるからだ。

私の個人的な意見では、私の車で行けば、誰も駐車料金を払う必要がない。もしくは、相方の家に私の車を止め、彼の車で行ってもいい。燃費的にそっちがいいというのなら。

しかし、そうできないのは、年配のご両親が、女性と二人で行くなんて…という保守的な考えだから、だそうだ。そういう余計な考えがない私からすると、彼と行くための出費として、800円の駐車費用が余分にかかる。こんな感じで、年配の人の古い考え方のために若い人の支出が増えるという事態は社会の縮図ではないだろうか?

行きで運転を半分交代したら、ナビがナビせず、降りる出口を逃してしまい、フェリーの乗船時刻の2分くらい前に波止場についた。かなりスレスレだった。なぜか、このパートナーとは、ピンチを仲良く乗り越える仲だ。他の人との間で、あんまり遭遇しないようなピンチを味わうことが多い。一瞬、緊迫した空気が漂った。

フェリーは夜行で寝て過ごす。山小屋雑魚寝に慣れている、山や上がりのクライマーなら、特に問題がないどころか、毛布が100円で貸し出しされているので、むしろ上等なほう。相方は、豪勢なシュラフ類を車から出してきていて、驚いた。私は、あんまり豪華な装備を持つタイプじゃない…。シュラフもモンベルだし。相方のシュラフは宿泊を共にしないので見たことがなかったのだった。若者らしく豪華な装備だった。若いということは見た目に支払う額が大きいということだ。

朝は5:30に下船。暗くて何も見えないが、乗船が一番乗りだった分、下船の駐車位置も先頭だった。降りて2時間半くらいで、岩場につく予定で、通りがかりのファミレスで、朝ごはんとコーヒーを仕込む。二人ともコーヒーがないと、しゃんとしないタイプ。

岩場に行く前に、案内をしてくれるN村さんがいるキャンプ場へ行く。

10時前にはついたが、非常に快適なキャンプ場のようで、ちょっとうらやましかった。夏は、海水浴客でにぎわうのらしい。

今回、雨で、メンバーが2名、脱落したが、関西からのメンバーを誘った折、「私のテントに寝ていいよ」と言っていたくらいで、すっかりテント泊のつもりだった。今回は、お宿、旅籠郷に泊まるのは、気を使ってもらったんだな~って感じ。

アルパインのクライマーは男女混合で気にしない人が多いが、フリーのクライマーはテントが、車で横付けできるところでしか泊まらないせいか、豪華な個テントの人が多い。

■ 初日

さて、初日の話だ。キャンプ場では、どこかで見たことがある方…。 

ああ~、S沼さんとバタちゃんだった。しばし、昔話に花を咲かせる。

数年前、小川山に呼び出しをくらった。同じく、なぜか呼ばれたらしいS野さんたちと不思議な感覚で参加した。神奈川のほうの山岳会の合同クライミングだった。

私とS野さんは、部外者なので、なぜ呼ばれたのかよく分からないまま、登ったのだった。

その時、同じく、なぜ呼ばれたのかなぁ…という感じで参加していたお二人が、S沼さんとバタちゃんだった。部外者同士。

豪華な枝肉が出るバーベキュー大会で、S沼さんがたまたま隣にいたため、吉田さんと師匠の青ちゃんを引き合わせたのに、なんだか上手くいかなかった話をしたんだよなぁ…。

その時、聞いた話では、ばたちゃんたちは、テント泊でも玄米だそうで、興味を引かれた。今回も、キャンプ場での片付け中に、ちらっと見ると、小さな圧力鍋があった。

テント泊でバムをしながら、日本の岩場を旅出来たら、楽しいだろうなぁ。

■ 白いエリア?

私はてっきり、初日は当然ながら、モンキーに決まりだと思っていたら、エリアはトポにない柏島方面のエリアだそうだった。

エリア名は、分からない。白いエリア?最近、ワイドの人たちの間で話題に上がっていた。

ここは民家の間を通り抜けていく。絶対に案内がいないと到達が不可能そうだった。

アプローチは懸垂で、支点は巨大な岩を支点にする。N村さんがフィックスにしてくれたが、ロープが岩角にこすれるということで、相方はローププロテクターを持ってきてくれていた。

私はそういうこととは知らなかったので、登り返し用のギアが、グリグリしか入れていなかった。このFixを設置したところは、ユマールが一つほしいところだ。

相方は、10bでアップ後、ワイドの壁の11Aをしたが、そこへは私はビレイポイントにたどり着くまでに身長上の核心があり、到達することもできない。160あるバタちゃんですら、腹ばいになって、やっとこさのクライムダウンで、落ちたら、海水ドボンのプチボルダー。沢ならお助け紐の場所だ。

ので、私はこの日は完全に傍観で登っていない。自分のクライミングはしていない日だった。

最初にNさんが易しい岩峰の5.10Aをセカンドで登らせてくれているが、私の怪我した足で5.10Aのリードはない。相方とは、分けられて、相方はなぜか、他人のためにリードさせられていた。

例の11Aはモスキートと言う名前の課題だが、相方は登りたそうにしていたし、私がセカンドで登っても、回収が大変なので、セカンドで登りたそうにしている人のためもあり、相方には、ぜひ登っておいで、と送り出した。

しかし、セカンドの人のほうの顔が輝いていたのが不思議だった。ここ登りたかったのかなあ。相方は、なんとかオンサイト。ルーフのところで、今はクライミングガイドとなったS沼さんが「うまい!」と声をあげていた。あとで相方に伝える。

この日は相方は3本、このモスキートのオンサイトが嬉しそうだった。

私は、ザックを置いたところにランチを取りに行くだけにも、自分のスキルを上回るところを登らなくてはならず、しかも、S沼ガイドに迷惑扱いを受けたので、そんな扱いを受けるなら、ここには来ないで、モンキーの偵察でもしていたかったわ、と思ったくらいな登攀日だった。まぁ、相方とどこのエリアに行く予定なのか、相談しなかったのが一番悪い。

お宿に行くと、さっそくお風呂を勧められたが、ぬるい湯しか出なかったので、からすの行水。相方も同様で、すぐ出てきて宿の人にお湯の出し方を確かめていた。

お食事は、噂通り、魚尽くしでおいしかった。ビールで乾杯して、お刺身類を食べている間に、お腹いっぱいになり、ご飯は食べないで終わってしまった。サツマイモに地元の柑橘を入れたポテトサラダが斬新。汁もアラを使ってくれていた。ここはクライマーの口コミで広がった宿のようで、ご主人のほうも、クライマー歓迎のようだった。

■ 二日目

二日目は雨の予報だった。午前中にモンキーに行った。車で、林道の奥まで入ってみたが、非常に荒れており、大丈夫そうなところまで引き返してきて駐車。トポにある下降点を見つけるまで、展望台、というのは立派なものを想像していたら、たいした展望もなく、あまりに質素なものだったので驚いた。倒木やらが道をふさいでおり、とても車では無理だが、クライマーの踏み痕らしきものは続いていた。

下降点から降りると、モンキーはエリアまでいくのに、フィックスが出ていた。持ち手用にノットが結んであるせいで、グリグリ確保での下降ができない。

ラオスでも、アプローチにグリグリ下降が必要な場所があったが、ノットなど作っていないので、楽に降りれてよかったなぁ。この難度だと、私はザックを背負ってだと、握力が重さに負ける可能性があるので、ザックを先におろし、自己確保を架け替えながら、なので、ノットのせいで余計に時間がかかった。

登攀は、5.8のぐいの実クラックにロープをあげてくれ、ありがたかった。彼は降りてくるときに「5.8と思って舐めている自分」とか、言いながら降りてきた。思ったより、渋かったのだろう。日本の地方の岩場は、地方コンプレックスのため、どこもグレードが辛い。

大堂海岸は、フィンガーが得意な開拓者だそうでフィンガーが辛めだそうだ。

ぐいの実は、疑似リードしたら、どう?と言ってもらえてうれしかった。とりあえずアップで登ったら、後は、リードしたかったからだ。昨日のお礼かね?

ロープの表皮が剥けている箇所がある、と相方がやたら気にしていたのが印象的だった。表皮は確認してはみたが、まぁ大丈夫そうだった。師匠の青ちゃんがレスキューの講習をしてくれたんだが、そのときにロープのコイリングの話もやったはずだが、いなかったっけ?カーン・マントル。

ぐいの実は、左肩を押し付けて、体重が分散でき、とりあえずノーテンで抜けれてうれしかった。それなりに長さがある。

フォローで上がってもらい、「カム、どうだった?」と聞いたら、「赤がイマイチだった」とのお返事。あーあ。残念賞。リードのお許しが出るかな。

雨も降ってきたので、他のエリアの偵察へ。四国の道という遊歩道まで戻る。この道をスタートしてすぐにエリアへ下降できるが…どうも巨大ボルダー。ザックを背負っていたら、エリア到達までが一苦労そうだ。とりあえず、雨でもフリクションはいいのだが。

偵察なので、空荷だが、私はそれでも、岩の間にはまり込んだら、登り返せない可能性があると思い、飛び石で飛んでいく相方を手前で待つことにした。岩の間に入ってしまったら、どこにいるか見つけてもらうのも困難化してしまう。相方も、行ってはみたものの、帰りは違う道になってしまったみたいで、傘を紛失していた。

こういう大岩の飛び石…で去年は普段より重たい2セットのカムが入ったザックを背負ってジャンプしたために、飛距離がでず、着地が傾斜面になってしまって肉離れしたので、今回は、かなり私は慎重だ。

最果てのエリアまでも行ってみたいと、四国の道の奥まで、結構歩いてはみたが、下降点が明瞭でない感じだったので、飽きてしまい、時間を持て余す。四国の道は、ボルダーが一杯で、コケだらけではあるが、ボルダー天国にしようと思えば、出来そうだった。

とりあえず、冷えたので、道の駅まで戻り、休憩所で、さんまの姿すしなどを頂く。どうしようかということで、昔のゼロ戦だかを見に行く観光案もあったが、町の遊びかぁ…と食指をそそられない。余った時間が2,3時間で、行っても車の往復で終わりそうなのだ。結局、アプローチの確認で林道の反対側に行ったり、何も見えない別の展望所で、位置関係を確かめたりする。今回はアプローチ偵察ってことだ。

そうだ、明日行くエリアを相談!ということで、S沼ガイドたちに、テントに遊びに行ってもいいですか?とテキストを打つ…と、どうも、こちらに向かっているそうだった。ので、一旦、宿に戻ってから、道の駅にとんぼ返りすることにする。ひとしきり、ベータを貰う。テント泊の人は、道の駅で大抵のものは調達できるうえ、閉店間際は安いらしかった。

我々は、ホテルのお風呂へ。昨日の反省を生かして、500円余分に払うことになっても、お風呂を充実させることにしたわけだった。

宿に戻り、食事をしたら、前日と違い、マスターは早めにお開きにして欲しそうにしていたので、とっとと部屋に戻り、山時間で早々に布団へ。

■ 3日目

私は明け方、怖い夢で目覚めた。リードを強要された、首から下がない男たちが出てきて、後悔しているらしい。「怖い夢を見た」と相方に言ったら、「2度寝すると夢をみるものだしね」という返事で、「大丈夫?」とか「怖くないよ」とか、言われるよりも、なんだか妙に納得感があった。そうか、悪いのは、2度寝のほうか、みたいな。

相方は別にリードを強要はしない。私が全く登れない時代から、知ってくれている先輩だし、私の顔色がさっと変わると、リードを申し出てくれる優しいところがある。

私はまだ、自分が登るべきところが確実に見いだせるわけではない。特に情報量が少ない日本の岩場は。海外のトポは充実しており、登るルートを選びやすくなっている。

以前、アイスの相沢大滝でのことがあった。

これは、私がいきなりすぎるリードを求められて窮していた事件だが、その時救ってくれたというか、キミには無理、と客観的な指摘をしてくれた先輩だ。私もそう思っていたのだが、師匠は、私に登れと思っており、その説得が難しかった。私のほうが経験が浅い訳で、経験値から語られるとそれは反論しがたい。しかし、経験値というものが、いかに偏っており、主観でしかないか、学習中だ。

師匠は、いつもピンクポイントでリードさせたがった。易しくてもいいからマスターで自分で登るべしとすでに教わっていた私の登攀方針と相いれなかった。普通に、誰もが通るように、TR→疑似リード→リードと進むのが、私の希望だった。

ピンクのリードって何がいいのろう。師匠とはクラックのリードもピンクで登らせようとし、喧嘩になった。カムだって、スクリューだって、入れる位置がクライマーごとに違う。そのことは経験では分からないことらしい。

誰かのプロテクションを追いかけたら、岩やアイスとの対話ではなく、プロテクション設置者との対話になるんじゃないの。

■ うねり

3日目はハーバーエリアへ行こうとしてみたが、波が高すぎ、到達できなかった。すごいうねりだった。大自然のパワーって感じだ。大堂海岸は太平洋に面している。外洋に面しているということは、この海の対岸は日本じゃない。

ハーバーエリア偵察で、ラッペル用のボルトを見たので、後学のために写真を撮っておく。近くの木にバックアップのスリングがかかっており、3点でもあるし、みたところボルトは健在そうだ。しかし、相方は見向きもしないで行ってしまった。たしかに降りれるけど、そのあとの帰りが…。これは、あとで自己責任論でひと悶着あった。自己責任というのは、日本の岩場ではかなり扱いが難しい単語だ。

結局、再度モンキーに行き、私は自分登りたい5.7と5.8があるところにザックを置いてきた。3日目は、互いに賢くなり、これはギアの軽量化が必要そうだ、ということで、余分なカムは車において、各自2セット全体で4セットもカムを持っている、なんてことはない。私は小さいザックに詰め替え、ロープバッグは別で持った。

大体、今まで、アプローチ数分、下界とほぼ同じ、の小川山のノリが抜けず、”ゲレンデなんだから、軽量化はいらない”というノリを貫いてきたのだった。シークリフは、軽量化がいる。

相方は、アップの後、私はそのロープでTRでスーパークラック5.9を登らせてもらった。結構すんなり登ったねという相方の感想だった。

スーパークラックは、ハンドバチ効きだが、下部のスタートがプロテクションが悪く、緊張しないといけない。相方は岡山ルート5.10cを一本。核心でテンションが入った。レイバックに入ることは下からでも分かった。レイバックに入ると、プロテクションが取れないので、ビレイも気を遣う。レイバック以外でも登れるのだろうか?

しかし、波が高く、相方のザックがいちど波を受けてしまった。かなり岩場の基部に近いところに置いたのに。外洋のうねりはすごい、ということか。

S沼ガイドたちは遅い朝だったようで、岩場に取り付き始め、アップだろうか?長ーい5.9をやっていた。もしかして、一番弱い私を配慮して、ここはお勧めだよーということだったのかもしれない。そんなことを考えつつ、はるか上にいるクライマーをパシャリと写真に収める。

さて、私の番だ… 易しい課題は、5.7のワイドっぽいお祭りクラックと、5.8のシンクラック系のおまかせクラックが並んでいる。時間の都合上、1本しか登れないのだが…どっちに行くか、で悩む。

前回、竜頭泉で、これは行けると思った5.8のワイドで、敗退しているしなぁ…。ワイドって、5.8でも、5.13クライマーが落ちる系なのだ。登り方が全く違う。お祭りクラックのワイドは、そういうタイプのワイドには見えなかったし、5.7のワイドは、龍洞の岩場では楽勝だったんだが…。タイプが違うように見えた。

結局、5.8のシンハンドか、フィンガーのように見える、おまかせクラックにした。手が小さいのが強みなら、その強みが生かせるかもしれないからだ。

カムのサイズを見極める…。小さい系をいくつか。立てるところで、一ピン目を入れておく。

菊池講習では、技術が確立するまで、カムは50cmおきに入れろ、ということだった。カムのプレースメント技術は、それなりに習得に時間がかかる技術だ。なので、下手なカムも、数打ちゃ当たる的な作戦を、初心者の間は取らざるを得ない。

行こうとすると、相方が3番は?という。実は3番は入りそうなところがあるのは分かっていたが、そこはイラナイ、と判断していたところだった。小さい番手のカムが上に決まるからだ。しかし、スモールカムより、3番のほうが信頼性は高い。いらなくても、追加することにするか。せっかく、指摘してくれたし。

とりつくと、やはり思った通り、シンハンドのところで悪戦苦闘だ。というか、足ジャムが問題で、うまくジャムが使えていない。結局、テンションが入ってしまう。相方のスモールカムの00番は偉大だなと思う。まぁ、効いていないと抜けて落ちているわけで、まぁ、できて当然のことができた、というだけなんだが。妙に達成感がある。

私がクライミングを始めた当初から定番の恐怖ストーリーは、カムが3つ抜けて落ちてグランドしたってハナシだ。

だから、相方がリードしているときは、絶対にカムが抜けませんように、って祈っている。

これを教えてくれた人は、ガイドだが、いかに自分が怖いクライミングをしていたかという話をしてくれようとしたと思うんだが、たぶん、今、私が取り付いている課題には、もう登れないんじゃないだろうか、と思う。クライミングシューズ自体を持っていないかもしれない…。

さて、レイバックになったり、ジャムになったり、悪戦苦闘しながら、3、4回は落ちて、なんとか核心を抜け、核心が抜けたら、あとはフェイス登りでも大丈夫で、岩の尖塔に掛けてある古スリングへ。ビナが3枚あって一枚は開かなかった。とりあえず、スリングは、ひっぱてみたが大丈夫そうであったので、ビナでローワーダウンした。終了点がダメそうなら、懸垂で降りることになる。

降りると、S沼ガイドが、特別講習してくれた。クラックには必ず正対すること、あとは足だ。ワンステップ噛ませるとムーブが作りやすい。ラオスに行って以来、3Dのクライミングは上達したんだが、足ジャムが悪くなっており、改善はされていない。足ジャムがなぁ…

完全にフェイスが使えないクラックでないと、足ジャムは上達しないのだ。私は5.10cの笠間ピンキー、ジャムを使わず登ってしまったからなぁ。あれは2撃で落とせたんだったが…。はるか過去の話のように思える。

帰りは、またちょっと焦って帰る羽目になった。フェリーの時間だ。相方が登りが遅い私のためにロープを持ってくれてた。悪いなぁ。登りは、別に足は悪くないんだが、同年代だと女性のほうが遅い。歩きの無いフリーばっかりしていると、歩きが弱くなるが、別に弱くはなっていないらしいと最近、別の女性と山に登りに行って分かった。これで普通なのだ。

予想より出発時間が押して、港への到着予定が10分前だ。またしても飛ばす羽目になる。相方は運転慣れしており、車好きらしく、所有車種数で行くと、7台目なのだという。それは、よっぽど車好きなのだろう。つまり、運転は安心人材ってわけだ。

私は女性なので、まぁ男性よりは運転は慎重だが、一般の人の、女性は運転下手という思想に便乗している。運転は嫌いではないが、プレッシャーの中で運転するのは嫌いだ。

港へ着くと、今回はゆとりをもって乗船でき、2度目なので乗船チームワークも良かった。夕暮れ時で、美しい夕暮れの中、フェリーは進んだ。

夜中の九州道を飛ばし、私は鳥栖から、さらに1時間の道のりを三瀬越えで帰った。

 全体に、柏島の海がきれいで気分が盛り上がった。

登攀のほうは、ぼちぼちだ。

この足、早く治らないだろうか…。

まだ、脱臼した右ひざは、完全に伸ばすことができない。

半年経過したが、痛みは増してきているようにも感じられ、思い切った動作を行うことはできない。

着地なんて、もってのほかだ。


そういう事情を分かってくれて先輩は、大堂海岸を誘ってくれたわけで、ありがたいなと思っている。

いい時に友達でいることは易しいが、悪い時に友達でいることは難しい。

男性は圧倒的に体力差があるので、私と行っても、アプローチが核心化してしまう。

そのあたりも、一緒に行ってみないと、そういうもんだ、ということが、一般には男性クライマーには女性と登った経験値が少なすぎて、分かりづらいのだ。

今は、会で登る時代が終わり、個人の時代だ。

会で登っていた昔と違い、普段、男性としか組まないクライマーは、気が付くチャンスがない。

ので、今回は雨で、ちょうどよかったと言えば、良かったのかもしれない。


ロクスノの知性低下の点

杉野さんの話題を共有したいと思って、ネット検索していたら、以下のような記事を見つけた。私は、この人がいう若いクライマー側に属していると思うが…年齢的には若くないが、クライミング歴は短い…ロクスノを読む気になれない…

のは、値段と内容のバランスが取れていないからだ、というのは、やはり理解というか、共感できる。

『岳人』なら、図書館でバックナンバーが拾える。『クライマーの食卓』という連載記事があるらしいと聞き、1984年あたりのモノを10冊ほど借りてきたが…目当ての連載なかったものの、将来、有望な若手クライマーとして、平山ユージさんが裕二というカタカナになる前、名声を確立する前にインタビューされていて初々しいし、遠藤由香さんも取材を受けていた。(遠藤晴行さんと離婚後だとは知らなかった)

言いたかったのはゴシップじゃない…(笑)。

当時の『岳人』の文章のレベルの高さ、だ。内容も多岐にわたっており、楽しい。

若い人の活字離れというが、彼らの知的レベルはかなり下がっていると思う… 客観的に見ても、昔は大学というのは、ある程度、選別された人しか行けないところだっただろう。今では9割が大学生で、誰でも行くものだ。

大学山岳部だけでない。一般クライマーも、ジムで登る人が多い。つまり、日曜にボーリングに行く感覚というわけなのだ。そういう人たちが9割という世界で、第一特集がチョーク…。 

こういう事態を見ると、”人は教えたようなものになる…”という言葉を思い出す。沢やの教育方法で、正反対の教育方針を取る似たような名前の会、”わらじの会”と”わらじの仲間”が、丁寧に教える、教えない、で揉めていた…その時に見た言葉だ。

クライミングにおいて、存在感が5%くらいしかないチョークを拡大視し、逆にデイドリームのような30数年ぶりの快挙を1ページで終わらせるなら、”人は教えたようなものになる”というルールが実現するのなら、どうなるんだろうか?

チョークにやたらうるさく、やたら詳しく、そして、歴史的なトライの意味が分からないクライマーを量産するに違いない。

ここで思い起こすのは、”起きていることはすべて正しい”、というどこかのベストセラー本のセリフだ。

そんな現実が出現しているが、せめてものブレーキとして、杉野さんのGoldBut Oldが出版の運びになることを切に願う。

あのクラスの文章が書ける人はそういないですよ。

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杉野さんの昔の連載、モンベルがまとめないかな?



なにかにつけて「昔のものは良かった」というのは、新しいものの良さを受容する精神の感受性が衰えている証拠であり、つまり精神が年老いている証拠のようで嫌だと思っていたが、でも実際に年老いてくると、そう言いたくなることが多くなるのも事実だ。




『ROCK & SNOW』という雑誌を、以前は楽しみにして、新刊が出れば購読していたのだが、ここ3年くらいはまったく買わなくなってしまった。もちろん、中には興味深い記事もあるのだが、いかんせん、値段と内容のバランスがとれていないと感じる。




若いクライマーが書いた中学生の作文のようなレベルの文章をそのまま?載せていたり、20年前(「岩と雪」時代)と同じ執筆者が、何度目かわからない焼き直し記事を書いていたり、Webサイトで載っていてタダで読める内容をほとんどそのままコピペして載せていたり、あげくの果てには第一特集が「ホールド」??

あきれるのを通り越して笑ってしまう。(ホールドについての記事があることは悪くないし、以前もあったが、第一特集でやる内容だとは思えない。ネタ切れ感があまり強い)




文章のレベルについてだが、クライマーが書く原稿のレベルが低いこと自体は仕方のない場合もあるだろう。クライマーは、クライミングのプロであるが、文章のプロではない。文章力は、クライマーとしての評価と何の関係もない。クライマーはクライミングで語ればいいのだ。




しかし、だからといって、中学生の作文のような顔文字入の原稿をそのまま載せておけばいいというものでもあるまい。中学生が書いてるならそれでいいだろうが、20歳を超えた成人が書いているのだから、読んでる方が恥ずかしくなる(専門誌の記事として)。

本人が原稿を書けないなら、インタビューをしてライターがまとめればいいし、あるいは編集者が原稿に手を入れ、代筆なりをすればいい。それが雑誌編集部の仕事だろう。

もちろんそんなことは言われるまでもなく、編集部もわかっているだろうが、出来上がった記事を見る限り、編集者がなすべき仕事をしていないとか思えない。Webサイトの内容をそのままコピペで載せることについては、なにをかいわんや、である(その記事内容の正否自体は別の話しとしても)。




一方、自分が買っていた、50号くらいまでの『ロクスノ』を(そしてさらに遡って『岩と雪』などを)読むと、昔のクライマーは全体的に知的なレベルが高かったのだろうか、と感じる。これはバイアスがかかった見方だろうか? ちょっとしたコラムでも、それぞれ面白いのだ。それに較べて今の『ロクスノ』を見れば、これは世の中全体の知的なレベルの低下が、ここにも反映しているのか? と感じてしまう。




また、「グレード」や「ボルト撤去」「アクセス問題」などのように、クライマー間で意見が分かれる問題について、随時座談会や誌面での議論をしているのも、熱くてよい。もちろん、意見の違いはあり、それは埋められないままであったりもするのだけど、理想のクライミング、クライミング界を目指そうという熱気は、感じられる。そのような議論の場を提供することは、重要な専門誌の役割のはず。

いまの編集部に、クライミングそのものについて、クライミングの目指すべき姿について、深く考えようという姿勢は、あるのか。




以前の記事の中でも、杉野保氏の連載はピカいちだった。

杉野氏は言うまでもなく一流のクライマーだが、どこで身につけたのか、文章力も一流だ。一流のクライマーでなければわからないし、書けない内容が、一流の文章で表現されているのだから、これはもう、しびれる。

杉野氏の連載「OLD BUT GOLD」「Dig It」を、古書肆の店先に埋もれさせたままにしておくのは、あまりに惜しい。まとめて単行本にして出版することは、出版社の義務ではないか。

山と渓谷社がやらないなら、モンベルがやればいい。




そして、昔の『ロクスノ』なんて当然読んだことがない若いクライマーにも、ぜひ読んでもらいたい。読めばわかる。こういうものこそ、クライミングの記事だ、と。ーーーーーーーーーーー 引用終わり
https://seeyou44.exblog.jp/21640311/?fbclid=IwAR0D1IKsLi3EAa8UjGaFqG8_N2bG9Pui-PREh2qKxpyvdY3yjEtdcMjno_U
より引用