2024/12/28

【クライミング心理学】自己愛性パーソナリティ障害の人だらけのクライミング界…

【自己愛性パーソナリティ障害】自己愛性パーソナリティ障害的な人との関わり方は?【精神科医が9.5分で回答】

■ これはめちゃめちゃ役に立つ動画ですね!

小鹿野町を訴えた人は、たぶん、NPD(Narcistic personal Disorder)入っていますよね…だって岩ごと剥がれた場合、クライマーの自己責任の最たる事例だということくらい知っていますもんね、誰でも。

九州では、NPDの人についての学習機会になりました。

それまで、自分がクライマーとして成長すること以外全く興味がなかったからなぁ…。人の性格まで興味がなかった。しかし、実害をこうむれば、興味を持たざるをえませんよね。

男を立てる= 相手の手柄ではないことまで、手柄にしてあげる =ナルシスト育成文化

です。

■ 登れない俺は価値がない?

『人を伸ばす力 内発と自立のすすめ』 エドワード・L・デシによれば、

”もしある男性の自己価値感が、仕事に励んで財産を築くことに依存している場合、彼は仕事に自我関与しているのであり…” (P160)

とあります。

”もしある男性の自己価値感が、クライミングに励んでグレードを上げることに依存している場合、彼はクライミングに自我関与しているのであり…”

となりますよね? 

人は年を取れば、誰でも、前に登れたところが登れなくなります。その時に、登れる俺に、

自我関与

していると、”登れない俺”を受けいれられないことになり、「俺は〇〇を登ったクライマーだろ!」とか叫ぶように主張して、誰かお願いだから、俺を認めてくれー!!となってしまいます。

だから、すでに辛く設定されたグレードを適切にする、という客観的にみたら、 

 ”ただの修正”

が、

 なぬ~!

となるわけです。 グレード=俺 になっているから。

その執着心グレードが、5.9にあるってのが、痛い。時代錯誤感あります。プライドを持つべきグレードではない。 

”俺にとっては5.9”は、辞めなくてはいけませんが、同様に、”俺にとっては5.12”も同じdすよ。

自我関与というのは、不思議で、プライドをかけて〇〇を登るという風にするよりも、自我関与しないほうが、スキル自体が上がるという不思議なことになっています。

俺ってかっけー、見てくれ、この俺を!とカッコつけて登るより、カッコつけないで集中して登ったほうが、上手になるって意味です。

■ グレードは 俺、ではない

今ロクスノで、たけちゃんねるがグレードの整理問題を扱ってくれていますが…アレックス君も6年も前に指摘していましたが‥‥

もう、グレーディングがちゃんとしないと、初めて外岩に登る人に対して、危険で仕方ありません。

そんなんでは、日本の岩場を海外の人にツアーしてもらいたくても、海外の普通のクライマーは登れません。

グレードって、自分はこのグレードであれば、取りついてもいい、っていう目安

として働くのが正しい機能ですが、

 エゴの道具となってしまっており、目安として機能全くしなくなっている

のが日本のクライミング界…。

■ 不適切なボルト間隔 = ミニマムボルト違反

ついでに適切なボルト間隔も修正お願いします。特に初心者向けルート。

20m 5ピンって離れすぎって意味ですよ。

20m2ピンとか、頭悪いって言ったほうがいいような?

2ピン打つくらいなら、もうフリーソロルートにしたほうがいいと思います。どっちにしろ、落ちれないんだから、あるだけ無駄ってもんです。

■参考

自己愛をこじらせた人の対処法
https://youtu.be/mpX2Vi0PKTQ?si=GIkjixdWzHmA80fm