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2023/05/12

ビビっているときが一番楽しいとき

 ■ ベテランは中道論

最近、経済指標生活、しています♪

CPIというのは物価指数で、海外では、物価高で大変なようで、海外の友達は悲鳴をあげています。

私もスコーミッシュ、物価高いなー!と思って、行きたいのか?行きたくないのか?わからなくなりそうです(笑)。一泊30ドル以下では、宿が見つからない感じです。日本でだって2000円くらいで泊まれるのに。車で寝泊まりするのは、できるのだろうか…なら、レンタカーしたほうが安いかも。アメリカでの運転は、30年ぶりとかになりますが…。危険だなぁ。

消費者物価指数CPIがでたので、いろいろな人が解説してくれていますが、 やっと大井さんのが出た。

大井幸子さんと田中泰輔さんを、私は参考にして、トレード戦略を立てています。おふたりとも海外のヘッジファンドや銀行で第一線で働いて、海外事情通。

というのは、私のOL時代の経験値からも、海外の市場経済と日本の市場経済は切っても切れないのに、日本国内では、あまりそれが理解されていない、と思っています。

日本経済をメタ認知する、となると、一つ視点をあげて、世界から見る。

九州の岩場をメタ認知する場合は、全国の岩場の視点から見る。

日本の岩場をメタ認知する場合は、世界の岩場の視点から見る。

こちらが大井さんの動画。https://www.youtube.com/watch?v=6IQAqM9d2qU&lc=UgzxA1LqaZ8iEUXKo3B4AaABAg

こちらが田中さんの動画。https://www.youtube.com/watch?v=TEfrqQC0zEE

マーケット関係者は、まぁ、あんまり動じていません。

で、国内若手トレーダーのレバナス一本リーマンさんなどは、ビビりまくっている感じです。https://www.youtube.com/watch?v=tg9PUuQ78xY

■ ベテランの余裕 vs 新人のコーフン

アルパインクライミングとか、フリークライミングでも、同じことじゃないかなと思ったりしました。

初めてルートに出る、となると、ビビりまくって、調べに調べ、ビーコンまで持ってジョーゴ沢に行くみたいなことになりますが、まぁ、ベテランになると、「ん?気温0度以上、あー、今日は辞め辞め」みたいな感じで、すっかり前提条件に通じてしまって、危険な橋はそもそも渡らないので、どのルートに行くにも、ほぼほぼ楽勝になってしまう…って感じではないかと思ったりします。

田中さんなどは、日本株は、サイクル銘柄、と言っています。つまり、四季があって、下がれば買い、上がれば売るだけ。粛々とこなす。

それを日本人個人投資家(つまり、山岳会の新人)は、わー、ユニクロ、上がったー!買わねば!と高値圏で買って、みんなが売り払ったところで高値づかみで損切できず、しばらく我慢して、価格が戻った途端に売り…となると、何のための投資だか…ということになっていると指摘しています。

つまり、目の前の価格変動に乗せられて買っているって話です。

今日も日経平均2万9千円超えだった。ので、粛々と手持ちの投信、売却。高値で売って安値で買う、これが基本なので基本戦略通りですね。

問題は、キャッシュで持つ以外、今は世界中、見渡しても何も安いのがない感じです。

割安株がないから、日本株で個別銘柄って話になるよなぁ…。

その流れでは、今日はインドのETFを発見しました。1678です。ただ買い時は少し先みたい。 まぁ短期売買ではない場合は、タイミングは分散なので、そこまでシビアではなく、大まかに安値圏に入れば、買いです。

現在の、日本株の高値は、日本企業の業績が良いからではなく、

 米国景気→ドル高・円安→日本株割安感→買われる→株高、

ということで、余り日本の実力とは関係ないみたいです。もちろん、個別株は別ですが。

基本、日本株はサイクル銘柄で分散投資による長期保有には向かないので、個別株はベンチマーク的な使い方をするために保有するのが良いかもしれません。例えば、ファナックの株価は、製造業の在庫の循環、キチンの波を表しているそうです。なのでミニ株で仕入れました。

そういう景気のサイクルを掴むと、ベテランの気持ちになれるような気がします。

私は、株式は、自分が応援したい会社の株を買うのが王道だと思っていたのですが、相場の世界はとっくの昔にそんな牧歌的な時代は終わって、金融工学が作り出すお祭り騒ぎの景気循環にみんな波乗りするように乗っかっているらしいです。ので、誰でもそういうサイクルを覚えたら、市場からお金を取り出せるようになる、と思われます。

これは山の世界とも似ています。

■ 飽き

これは、誰にも言えないでいたことなのですが、アルパインでも、なんか自分の山のてっぺんは見えた感というか、冬の八ヶ岳に皆が集まって来てしまう理由が分かってしまったというか… 北アで難しい天候をこなす体力気力、やっぱりなくなってきますよね、若くなくなると。

私などはスタートが38歳、なので、最初から北アの厳冬期は自分にはないと思って、せいぜい春山止まりです(が、それでもGWでも、厳冬期並みに気温が下がること、ありますよね)

だから、代替えでフリークライミングでもしようか…ということなんですが、フリーの世界でも、え?ボルトがボロすぎて登れない?!ってことなので、なんか、フリークライミングという山の、てっぺんがはげ山だった、みたいな感じ(笑)。

スポーツに行く気にはなれないですし… それだと全然ちがうスポーツですよね。

じゃあ、海外で登るしかないじゃん~って理由で、みんなが海外に行っていたんですね…。

だから私は英語が話せるのでモテるわけか(笑)。

海外って言っても、日本のクライマーは、そうそう日常にすることはできないでしょう?というので、クライミングという山の終わりは見えてきたよなぁ…みたいな気持ちは、実は山梨を離れた頃からすでにありました。別に福岡に来なくても。

もともと、冒険や探検が好きな私から言わせれば、登山って、すっかり隅々まで探検しつくされて、もう余白がない世界、みたいな感じです。

もちろん、5.13が登れるクライマーには、まだまだ余白があるのかもしれないんですが、上級クライマーの様子を見ていると、そうとも思えないというか…。

余白=もろくて、誰も近づきたがらない、じみーな岩場、みたいな感じだったりするので、健全な大人の知的好奇心を満足させる遊びとは言えないなぁ、って思ったり…

というので、福岡では、別の山に登る時期だと心得、ヨガの山に登ろうとしたり、自然農という山に登ろうとしたり、あるいは、オーソモレキュラー栄養学の山に登ろうとしたりしてみましたが、数年で、どれもてっぺんが見えてしまいました。

まだ、トラッドという山は登りたいかもしれない… というので作戦を思案中ですが、多くのベテランがトラッドという答えにたどり着くのと同じ理由で、たどり着いているような気がしています(笑)。

色々サイクルが見えていない、ビビって投資している頃が一番楽しいんですよね。

まだ、何も分かっていなかった、あの頃は楽しかったなぁ…

   こういうのに行きたかったんですよね、初心者の頃は…


ロープを出す基準

 ■ 混乱しているアルパインロックでのロープを出す基準

これまでの経験から言えることは、アルパインロッククライミングにおいてリスク認知は、

 ロープを出す基準

に深く関わっており、その基準を誰もが

 俺が正しい

と相手に押し付けるために、

 どっちがより命知らずか?競争、

に陥っている、ということです。

■ 九州人のロープを出す基準は、出さない方向=つまり怠惰方向

私個人の経験でしかありませんが、九州人のロープを出す基準は、出さなければならないと一般市民向け山岳会で標準的に考えられている基準より、どうも出さない、方向です。

これは、以前の会(家庭的)で36歳男性(背も高く肥満もない)に対して先輩たちがロープを出してきた基準より、私が持っている自分にロープが必要だ、という感覚は、え?こんなところでロープ出すの?だったためです。

つまり、大雑把に言えば、前の会の人より、私はロープ要らない派、でした。スタンディングアックスビレーも、「こんなところでいらないなぁ。歩ける」ってところで会の先輩たちはロープを出していました。

ところが、九州に来たら、

 ここは絶対にロープがいるところ、

 あるいは、

 マルチの終了後などで2級の歩きでも、ロープを解かないところ、

と私の経験や、青木さんとの登攀で行われてきたロープの出され具合から、私には確信的にロープを出すべきだと、感じられる場所でも、ロープを出さない人たちが主流でした。

例えば、マルチ終了後、短距離で2級がでてきたら、ロープは解かず、岩にかけながら前進するのが普通です。しかし、こちらの岳人や一緒に登っていたA木さんは、その感覚は持っていないようでした。

福岡山の会の人にも、私がスリング出して自己確保でちょっとした下降…マルチの後…を降りたら、え?と驚かれました。

■ 基準は 厳冬期甲斐駒 8合目

本州だと、雪の山で、ロープを出す・出さないの基準は比較的わかりやすいです。

厳冬期の赤岳で、天候や視界に特に問題がない場合では、ロープ無しで歩けないような人は、まぁ、アルパインスノーはお呼びではありません。一般登山の雪山で、もう少し歩きの経験値を積んでから来てください、みたいな差し戻しです。

同じようなのが、厳冬期甲斐駒です。落ちたら一環の終わりのところがあります。

まぁ人間は、落ちたらやばいなと思っていると落ちないので、実際は、通れてしまうことが多いですが、そのような場所でロープを出さない姿勢自体が咎められる、ということになっています。

花谷ガイドが口を酸っぱくして若い人に、少しでも不安を感じたらロープを出せと繰り返していました。

■ 岩 

一方、アルパインロックになった途端に、なぜかロープを出さないほうがエライ、みたいなことになるのですが…

5.XXというグレード自体が、もうそこからはロープが必要、という意味に解釈されるべきですが、されていない。

そこに最大の問題があるように思います。

”ロープ出す、出さない”問題は、本質的に言えば、”怠惰・非怠惰”の争いです。それを”かっこいい悪い”問題に転嫁すると、つまり、出さないほうがかっこいいという

問題のすり替え

にすると、”怠惰”を”かっこいい”ということができるようになります。

 ロープ出す  → 非怠惰 → かっこ悪い

 ロープ出さない → 怠惰 → かっこいい

というので、ロープを出さないほうがかっこいい、という論理?は、ただの怠惰の隠れ蓑に使われていることが多いです。

■ 山は誰にでも平等 = Aという山に行ける人と行けない人がいる

当然なのですが、多くの現代人が分かっていないことの一つに、山は誰に対しても平等、ということがあります。

例えば、この人は新人だから、気温を調節してあげよう、とか、晴れにしてあげよう、とかありません。傾斜をゆるくしてあげよう、とか、風を弱めてあげよう、とかもない。

初級ルート、入門ルートという言葉が誤解させるようですが、それらはあくまで、かかる時間の短さや、傾斜のゆるさ、であり、危険が減ります、って意味ではありません。

寒いときは寒い。入門ルート初級ルートでも寒い(笑)。

そこが、どうも、言葉の綾でわかりにくくなるみたいなんですよね。

人間がやっている競争は、相対的競争です。でも、山が求めて来るのは絶対値としての実力です。

男性クライマーは大体、あいつが○○登れたんだから俺も行けるハズ、みたいな心のなかでの計算をしています。

それが大間違い。大学生が○○尾根登れたら、俺も行けるかというと、予備力が違います。

私はヤマレコに、一般登山者と、本格的がつく登山者の間を埋めるようなルートの記録をよくあげていました。

例えば、雪山の入門としたら、3月の金峰山を御岳新道から登るとか、です。あるいはツルネ東稜の縮小バージョンで地獄谷から。

そのような、本格的なバリエーションと一般登山の間のようなルートで基本的なリスク管理を学ぶ、という初歩の段階を飛び越して、『チャレンジ!アルパイン』に進んでしまう、あるいは、『日本登山体系』に進んでしまうことが、根本的な遭難原因…

  山の絶対値を相対的な競争に置き換えてしまう

という誤解に陥っている原因のように思います。

たぶん、高校山岳部では沢登りをいっぱいすると思うのですが、沢にワンシーズン程度は最低でも捧げないと、アウトドアでの、リスク感性は身につかないのではないでしょうか?

というのは、沢こそ脆いので、傾斜に関係なく、危険かそうでないか?によって、ロープを出す出さないの判断が必要だからです。

■ 雪の山でも危険な人はいっぱいいたな

振り返ってみたら、雪の山でも危険だなーって人はいっぱい会いました。

・厳冬期の-20度にもなるヤツにアイスに行ったら、携帯出すのに15分かかった人がいた。じっと待っていると寒さで死にます(笑)

・厳冬期のヤツで酔っ払って登山口に来た人がいた。

・素手でピッケルをつかもうという人がいた。

・明日大荒れ、で12時から天候下るとわかっているのに、11時敗退を受け入れられない人がいた

・ウエアが全然ダメ

・冬靴もシェルも貸してアイスに連れて行ったら、2度めを断るとケチ!となじられた

・ガスで視界がゼロなのに、適当に前進したがる

・コンパスウォークができないのに、なぜか荷物だけは不必要なものでぎっしり重たく、ザックの中に芋きんとんが入っていて、凍りついていた

とリスク管理の観点からは、?な事件が結構ありました…

それらは、みな、山行計画を立てる時点で、シミュレーション不足、から来るのではないか?と思います。

逆に、ある会は、ものすごく慎重で慎重すぎるくらいでした…例えば、ジョーゴ沢から硫黄を詰めるという山をした時、ビーコンを持たされました。たしかに雪崩れたら、逃げ場なさそうな地形なので、それは受け入れてビーコンを持って行きましたが、赤岳山荘でビーコンチェックしている私達パーティを、ガイドさんが不思議そうな顔して見ていました(笑)。だよね~ 今からどんなスゴいルート行くねん、って思うよね~と思ってちょっと恥ずかしかったですが…。

むしろ、その会は責任を感じている会ということで、やりすぎ!なくらいでちょうどよいのがリスク認知だと思います。

その会は、山行計画書にジャケットの色を書かせていました。というのは、遭難したら、レスキュー隊が最初に必要な情報が、

 ジャケットの色

だからです。

■ フリークライミングのリスク管理

一方フリークライミングに来たら、まぁアルパインと比べるとリスクフリーな感じなので仕方ないかも知れませんが、リスク管理ゼロっぽくて、驚きました。

しかし、海外で登るとなると、リスクありますよね?

なんせ、怪我したら、海外の病院って…先進国以外はどうなんでしょう?

ラオスは、一回目の時に現地の日本人グループと知り合いになり、そのうちの一人は現地で働いている看護婦さんでした。

なので、少し安心があり、それで一人で行きました。台湾も、すでにラオスで一緒に登った人とだったし、まぁ無理をさせられることはなく、大丈夫だという感触はありました。行動プロテクションというやつです。

しかし… ”ロープを出さないほうがかっこいい”と思っていると、行動プロテクションゼロ、です。

怠惰が逆にかっこいいという逆転現象になっている場合、どう転んでも危険に陥る敷かなくなります。

そこのところは、一旦、ロープを出さないほうがかっこいいという価値観が男性の頭に植え付けられるとそれを撤回するのは、かなりの労力というか、本人にしてみれば、自己存在の否定みたいなことになってしまうので、クライマー人生の初期に、

 良き岳人の手本&ロープを出す基準

を先輩からインストールされる、というのが大事なことだと思います。それをしそこなった場合、撤回するのは、かなり大変になることが予想できます。

■ 岳人と言えるレベルと思いやりレベルはちがう

同じ難度でも、スキルが低かったり、体力が低かったりすると、怖く感じます。

ので、ロープが欲しいという水準は個人の中でも、変化します。年を取れば、誰でも、保護が欲しくなる。

カッコつければ、もうリード欲はない、です。

なんせ、リードするほうが楽しいのですが、年を取ればリードしなくても楽しくなる。

一方で山が要求するロープがいるという水準は変わらないし、難易度も変わらないので、登れる山は必然的にだんだん低レベル化していきます。

それでいいと思います。

フレッド・ベッキーって、ヨロヨロ、ヨボヨボのおじいちゃんになっても、自分でバックパックを担いで、登り続けていましたよね?

そういうのが、真のかっこよさ、ではないか?と思います。ま、ちょっと頑固で意固地な気がしないでもないですけど(笑)。

■ 怖いという人には出してあげるのがかっこいい

36歳男性のほうが、私よりロープのニーズが高かったのですが、あの経験を後から反芻して考えた結果、結論は、

 怖がっている人には、自分には要らないところでもロープを出してあげるのが仲間

ということがわかりました。たとえ、大の男なのに男らしくないなぁ、と内心思っても、です。

それが山仲間として必要な態度だからです。それが本当の優しさ、です。

一方で、山が要求する基準は、絶対値なので、

 「○○山は君にはまだ早いと思う」

ということは、言える人でなくてはなりません。優しさと迎合はちがうからです。

男性山やの教育で大事なことは、これらのロープを出すときの基準と態度を分けて考えるということをしっかり伝える、ということだと思います。

そういうことを見て盗むために、マルチにベテランと行くんだと思いますが、ちがうんですかね?


 

 

2023/05/06

日本クライミング 6つの論点

日本の岩場の6つの論点です。

1)自分を守る技術が先に必要

みんなよく勘違いしちゃうけど、難しいクライミングと初心者向けのルートでは、登るために必要な技術はめちゃくちゃ違うんだよ。でも、実は、危険はあんまり変わらないんだ。

だから、登る技術よりも、自分を守る技術を先に学ぶことが大切なんだよ。

でもね、今のクライマーたちは、それを理解して実践していないんだ。

でも、僕みたいな未熟者が言うことじゃないかもしれないけど、今日本の山で活動しているクライマーたちは、危険を予防する技術が昔に比べて下がってしまっているようなんだ。

20年以上前なら、山岳地帯で、残置を使って登ることは間違ってはいなかったかもしれない。けど、20年たてば、金属は朽ちるし、日本以外の外国は進化しているのに、日本だけが同じことを続けている。

相対的に見ると、日本のクライマーたちは後ろに下がってしまっているんだ。

年輩の人たちは、それが理解できていないみたいで、未だに40年前のボルトが安全だと思って、エイドクライミングを若い人に教えているんだ。

2)落ちない。行動プロテクションという考え方の習得。

クライマーが、外岩のクライミングで死なないためには、まず、落ちてはいけない場所では、絶対に落ちないことが大切なんだよ。

(もちろん、基本的にどんな場所でも、落ちてはいけないんだけど…。)

まずは、山でクライミングをするためには、落ちてはいけない場所を見極める力が、必要なんだよ。

それに、落ちては行けない場所に、ロープを使わずに行くことを友達に自慢してはだめだよ。

練習用の外岩に、みんなも行くことがあるよね。練習用の岩場では、最初のボルトでぶら下がっている人をよく見かけるけど、そんな人は、もう少し考える必要があるんだよ。

1ピン目から、ロープにぶら下がることは、インドアで行うスポーツクライミングでは、普通のことだけど、外の岩場では、ボルトは確実にぶら下がれる強度があるっていう保証はないんだ。

だから、1本のボルトだけにぶら下がるのは、危険なんだ。

ぶら下がっているみんなは、それが危険だとは分かっていないだけなんだよ。

行動的なプロテクション(外の岩場で身を守る行動法)をもっと考えないといけないんだ。

もちろん、クライミングの能力自体を上げる必要もある。落ちないこと以上に身を守る方法は存在しないからね。

”俺は落ちないから”といって、ビレイヤーは、誰でもいいと思っているクライマーがいるけど、注意しないといけない。なぜなら、そんなクライマーと組んだビレイヤーは、落ちた時にキャッチする練習がゼロなんだ。だから、そんなビレイ経験しかないビレイヤーが増えているんだよ。

5.13を登る人なら、間違っても5.9では落ちないんだよ。アルパインクライマーにとって、5.11だけで十分だったのは、もう15年前のことなんだ。

現代のアルパインクライマーには、40キログラムの荷物が持てて、5.12が普通に登れる能力が必要なんだよ。

3)間違ったビレイ

壁から離れたビレイが指導すらされているほど、日本では広がっている。

外の岩場でも、足場がひどくない限り、壁から離れることは避けるべきだよ。

信じられないけど、最近では、クライマーが見えないからといって、壁から離れることを指導している組織もあるみたいだよ。

壁から離れるように指導されている人とは、あまり関わらない方が賢明だよ。

4)勘違いした開拓

日本では、エイドクライミングを前提にしたルート開拓から進化が止まってしまっているんだ。

世界のクライミングは進化していて、『不思議の国のアリス』の赤の女王の廊下みたいに、ただ立ち止まっているだけだと、国内のクライミングは、すぐに古くなってしまうんだ。

それなのに、古いボルトを使って登るなんて、わざと危険を増やして、自分を窮地に追い込むことを楽しんでいるのかな?

残念だけど、そんなクライミングが、日本では主流なんだ。

それに、プロテクション(支点を作る方法)の技術は、日本では、全然、重要視されていないんだ。

昔は、日本の岩が脆いという理由で、たくさんのボルトを使っていた時代があった。

残念なことに、日本では、今でも、その勘違いしたボルトをたくさん使うやり方が主流なんだ。

それに、逆に クライミングは安全なスポーツだという、インドアでのスポーツクライミングの前提を外の岩場に持ち込む人もいる。たしかに人工壁では落ちてもいいことになっているんだけど、外の岩場では、それはおすすめできない。

そこが、きちんと区別できていないのが、日本のクライミングの現状なんだ。

5)正しいボルトの知識が広まっていないこと。

日本オリジナルのリングボルトやRCCボルトは、強くないので、ちゃんとした登山者は、使わないんだよ。

学生のみんなも、昔から使っているけど、それをやめるべきなんだ。

今は、少なくとも8ミリ以上のスタッドアンカー(グージョンっていうんだよ)を使うのがスタンダードなんだよ。

僕たちはヒマラヤ登山でも、10ミリのステンレス製のスタッドアンカーを使っているんだよ。

ボルトを打つことはおすすめしません。でも、打つなら信頼できるものを使うべきなんだよ。

6)古いクライミングスタイルの継続

現代のアルパインロックの記録は、オールフリーで登られているのにも関わらず、日本のクライマーたちは、古いスタイルを継続している。

これは、ボルトルートのエイドクライミングがアルパインロックだった日本だけの独自の問題なんだよ。

海外ではそんなクライミングは特殊な登り方なんだ。

結果、ガラパゴス化現象を日本の岩場は起こしている。

現代の若いクライマー世代も、未だにその誤解のさなかにいる、ということが、起きているんだよ。

そのため、残置で登るスタイルを改められないクライマーは、岩場の事故で死んだり、大怪我をしているんだ。

逆に現代の高度なフリークライミング能力を身につけた人にとっては、日本の岩場は、簡単すぎて魅力がないことになってしまっているんだ。

日本のアルパインロッククラミングは、結局のところ、エイドクライミング時代から、進化を止めてしまった。そこにすぐ落ちることが前提のスポーツクライミングが持ち込まれたことが、日本での岩場の事故急増の原因なんだ。



2023/04/28

古い友人が訪ねて来てくれた

 ■ 筑紫耶馬溪

今日は、山梨時代から知っている古い友人が訪ねて来てくれた。

それで、この5年間の福岡クライミング事情をキャッチアップ。

ついでに、市内から30分の筑紫耶馬溪のボルダーに連れて行ったんだが…

ーーーーーーーーーーー 

最初のボルダーは二段あるんですねー フィンガーパワー全開ですね。
ダム下は二級なんですね。なら、望みはあるかな?

でも、ボルダーをやらない私には、いつか取り付く日は申し訳ないですが、来ないかも?

ーーーーーーーーーーー

って返事でした。だよねぇ…(笑)。

あれ(パルス)に連れて行ってくれた先輩に、フィンガーパワー開発用のギア貸した後、返してもらうことにしたら、返してもらえず、返してくれと頼んだら、こんなもの!と逆ギレされたんだよなぁ…

あれに連れて行ってくれたということは、彼が登りたいんだろう…と思ったから、貸したんですが。

友人も同じことを思ったみたいなので、やっぱり、わたしの何が悪かったんだろう?と思いました。

単に、先輩が、両価的な人だったってだけみたい。

私も自然が好きで山が好きで、アルパインや沢をやっていたので、ボルダー以外はイマイチの九州に来てからは、山が遠くなりました…(汗)。

■ なんか色々、ホッとした

白亜スラブでは、なんか、なんでこんな失敗した登攀で、自信付けてしまうのかな…と思ったんですが、友人も、え?!そこは反省するところでは…と思ったらしいので、自分の感じ方が変な訳では無い、ということが、確信できてよかった。

こっちの若い人の会の話もしました。会費払って、山梨では日帰り(つまり、会に入っていなくても別に普通に行ける)の赤岳とかに、冬山合宿で連れて行って上げる人になる、とかありえない!ってこと。 

こっちの会の人、雪山は普通のも行けない。なんせ冬季登攀用の知識、天候とか確保とか、知らない上、安全な時期にやる雪上訓練…スノーバーで確保するとか、滑落停止とか、アイゼン歩行とか…の訓練をする場がないので、いきなり中崎尾根とか計画しても、結局、転進で赤岳になるって結末なんですよね。なんで?みたいな結末。なら、最初から八ヶ岳の全山縦走を計画するほうがいいよなぁ。全山がだめなら、半分で。

しかし、九州ではリスクがある山がほとんどないので、一般登山では、リスク管理はどう転んでも身につかないし… 沢は半日です…。なので、北海道とかの本格的な山で遭難する人=九州の人、みたいな感じ。九州の感覚を、持ち込むからですね…。

そういえば、吉川満さんを知っていたので、ホッとしました。沢本、書いている人です。

”ロープに麺汁がついたから”という理由で、ロープを洗った人に唖然とした話とか…。誰のロープで登るのかなぁ…と思ったんですよねぇ…。トポ持ってこない若い人とか。

今日のコース。中の島公園、ボルダー1、ランチ、コーヒー、散歩、ボルダー2、中の島公園、終了。

とりあえず、色々聞けて良かったです。基本、旅好きが共通点、って感じかな。

わたしも基本は旅派、もともと逍遥派だけど、登攀は必要だ、と言われてやっていたからです。

まぁ、もう、比叡もリードできたくらいなので、必要最小限のリード力はあるのではないだろうか? と思いました。

バンバン登ればいいだけかも。

■  開拓は楽しいがリボルトは楽しくない

って言うことを教えてもらいました。だよなぁ…。

だから、開拓者はいっぱいいるが、リボルトする人は少ない。

リボルトは、他の人のために行う行為だが、開拓は自分の思いを表現する行為。

でも、5.12を登る人が作った5.9なんかは、駄作になっていることのほうが多いので、名作といえるもの以外は、もっと良い内容に作れる後世の人に、”再開拓”してもらったら、いいんじゃないだろうか?

なんせ、

 年取って登れなくなり、リボルトできません

っていうのが本音なんだから…。

再開拓許可を出す開拓者がいれば、その人がわたしの○○という課題は再開拓許可、出します。と言えれば、良い結果を生みそうな気がする。

じゃないと、日本の岩場は資産というより負債だらけ。

なんせ、終了点はあるのだから。とりあえず、それは固まっているわけで、再開拓にかかるコストは、40年、50年前の、ボルト代が数百円の時代より、うんと高い。

今日あった友人は、10ボルトで一ルート5000円位かかったと言っていたが、それだとかなり格安で、内陸にあるルート限定かもしれない。(JFAの基準だとオーバースペックのことはたしかに多いような気がする。何もかもケミカルにする必要はないだろうし)

■ 超怖いエイドのアルパイン

わたしが拉致されそうになった(エイドで鍛えてやる!と言われた)、古い日本のボルトルートのアルパインロック(九州では山口の岩場などに行っています)は、彼も経験があるそうです。

朽ちたリングボルトの根っこだけのところに、細引きをタイオフするとか…(私はこれ用に、ケブラーの細引きを買っているほどです)

しかし、一回行ったらこういうもんかと分かって、全然行かなくなり、フリークライミングのほうが楽しいそうです。

そうだよなぁ…と私も思う。

私の場合は、”君は、まさかそういうリードを強いられることはないだろうけど、念のため教えておくね”って感じでした。なんせ、山から入った人は、憧れは、前穂北尾根とかからスタートして日本アルプスの、つまり北アのバリエーションだからです。明神とか私も行っています。

しかし、あっという間に、割が合わないと感じるようになりますよねぇ… 楽しさとリスクの割合でいうと…。

というのは、日本の山岳ルートは難易度が低い割に、ルートがもろく、リスクが多く、しかも、あんまり登攀自体は難しくないので、そこまで充実しないというか… まぁ、大きい山に行けば、山との対話…実際は天候とか、日暮れが迫るとか、色々条件をクリアする楽しみ…がありますが、登攀が短いというか、あれ?こんなに簡単なの?あれ?もう終わり?!ってなることが多い。まぁ、それも含めて山なんですが。

というので、知らないところに行くほうが楽しいんですよね。

今の私だと、海外に行くのがやっぱり楽しいのらしいです。

ということが確認できた今日でした。

訪ねてきてくれたお友達、ありがとう~

 



2023/02/23

自動化を起こさない

 

【究極の運動理論】室伏広治  永久保存版の貴重な講義映像 より

こんなトレーニング法は良さそうだな~と思いました。 自動化=熟達とクライミング界では考えられていると思いますが、真実は自動化=退屈、なのではないでしょうかね?

自分のアイスクライミング動画を見て、アックスが研いでいない自分のではないためですが、これはまだまだリードはさせらないねーと思いました。

そのような段階の登攀者でも、アイスは簡単だなーと思うようになり、クライミングは、ムーブを習得した後は楽勝化するみたいなので、男性で私より能力がある人達が、退屈してしまうのも無理はありません。

新規開拓…というよりは、クライミングゲーム自体のルール変更であるような、ボルダーとかスポーツに人気が集まるのは仕方がないかもですね。

指の問題があるため、私は人工壁、嫌いですが、その問題がないアイスでは、中級者まで言ったので、まぁ、そうだろうな、と思います。

クライミングは一段落して、別の遊びをしようかな。

2022/03/01

世界的レベルの人は視野も世界的、責任も世界的。

■コンラッドアンカーの投稿

世界的レベルの人は視野も世界的、責任も世界的。

有名になって影響力を持つこと…は、多くの男性の究極の望みだ、と思うのだが、その影響力を、

自分がモテること=自己利益

にばかり使う人が多い。その事例としては、

”5.14登れました、〇〇登れました” … つまり、自分の実力のPRばかり…

ということ。 実力のPRは、まだ無名のうちはしないと仕方ないが、実力が証明された跡にも長期にわたってずっとやる必要はない。もっと建設的なことに力を使うほうが意味がある。


その、”建設的なこと”とは??

こういうことですよ。

日本のクライミング界の問題は、発言力のあるトップクラスのクライマーが、みなお子様、ということにあるんだろうな。




2021/08/15

狭義のクライミング&広義のクライミング

 ■狭義の自然農&広義の自然農

狭義の自然農は、耕さず、草を敵とせず、施肥しない農業ですが、それだけだと、自然農の技術は欲しいが、自然農が考えている真の世界観には共鳴しない人が参加してしまいます。

基本的に多種多様な人がいる…というのは良いことなのですが、バラエティがある、という意味の多様性ではなく、”活動の足を引っ張る”という意味での多種多様性が広まってしまう…根本的な思想を掴んでいないというのは、それは、ブラックボックスであるところの畑や田んぼに、〇〇を入れて、収穫を取り出す、という根本的な発想だったりします。つまり、根本的に、”足りていない”からスタートしているってことです。 あるいは、作物の出来で農法を競争したい、という気持ちになったりします。そもそも、なんで自然農が良い農法なのか?広義の自然農というものを定義する、ということが大事なことだなぁと思います。

広義の…というのは、地球環境を汚すようなものの使用を是とせず、したがってプラスチックは使用せず、すぐに廃棄になるようなものはできるだけ購入せず、ファーストフードやファーストファッションからは遠ざかり…人間の動力を信じる人間行程の農業、とか。

そこらへんは旗を揚げるのが上手な人に、上手に記述してもらいたいです。

■ 翻ってクライミング…

海外ではグリーンクライマーズホームに感銘を受けました…。

日本では、登山者やクライマーは、当然のように、環境破壊的なことも平気でしていることが多々あり、私は自然界に対する愛から入ったので、「なんかこの人たちと意見合わないな」と感じることがありました… 特に五龍山荘での山小屋時代… 石油依存のライフスタイル自体が間違っていると思いました。それは狭義の登山、狭義のクライミングだからかもしれません。日本の山小屋は環境意識が非常に低く、登山という活動を推進しながら、天に唾吐く行為になっている。

その葛藤がないのがグリークライマーズホームだった。

もちろん、電力に依存はしていますが、必要最低限、致し方なしの部分だけと、明らかでした…。

山を愛するのに、山の環境破壊に加担するとか、あるはずがないし、今までの登山を継続したかったら、地球が6個も必要なライフスタイルというのは、しなくなるはず…です。 

クライマーでも、同じで、環境破壊が起こらないようなライフスタイルを考えるようになると思います。

なにしろ、私たちが好きな登山、やクライミングという活動を支えているのは、環境そのものなのですから…


2021/06/06

だれも、落ちたら死ぬかもイチかバチかをやりたいとは思っていない

■ 今日の仏教説話

私は毎朝仏教の説話を聞いているのですが… 今日も、学習性無気力に陥ってドツボから出れないのは、自分だという想定で、自分がどうしたらよいか?を知るために聞いていたのですが、

 あ~これ、九州クライミングで見た現実だ~と理解…。

なんで30年前に賞味期限切れになっているボルトをいまだに使いたいのか?理解できないと思っていました。

が、そのようなクライミング界のことを正しく理解する場と言うことになった。

井の中の蛙 + 学習性無気力の象さん の心境になっていたんですね…


■ 外の世界を知ろう! 

例えば、こんな感じ。

(クライミングシーンでは、カットアンカーは使われなくなって、もう30年経っていることに気が付かなかった) 

+ (どうせ何を言っても、誰も話を聞かないのだから、という学習性無気力)

= 30年前の手作りアンカーが継続…

たぶん、こういう事情で、進化を辞めてしまったということですかね?

■ 若い人の方が知見が広いです 

若い人は小川山も行くし、ヨセミテも行くし、世界は昔の人より広がっていると思いますが、その世界を地元に還元しづらくしているのは、ずばり、儒教の教えと思います。年配の人の言うことがすべて正しいとか、年配の人の言うことを聞かないといけない、ってやつ。

でも、ちゃんと言えば、年配の人も話を聞いてくれますよ?

開拓者の米澤さんに、ボルトを購入して提供しますよ~って言っていた時は、一緒に最新のボルトカタログをのぞいていました…Hilti社のです。

年配の人が耳を貸さない、というのは、特定の人たちだけの話なのかもしれませんよ?

■ ちゃんとした人はちゃんといる

私の経験では、米澤さんは若い世代に協力したいという方でした。そうじゃない年配の人の方が多数派であるのは、否めないかもしれませんが、ちゃんとした人は、います。9:1くらいかもですが。

自分自身が、ちゃんとした主張をしていることが、ちゃんとした人をつながりあえる接点になるのではないかと思います。

私は、UIAAに、日本語版の教科書出して~、とリクエストしたことがありますが、ちゃんとリクエストは答えてもらいました。

私の経験では、イケイケクライマーの人たちは、イケイケじゃない人を見ると、一緒に登りたがらなくなります。

■ 外の世界を見よう

数日前にアップした北海道のボルダープロブレムの閲覧数がえげつないですが…(笑)、みなさん、やっぱり外の世界を知らなかったから、北海道ボルダーを見たかったってことなんですかね?

九州から出かけていく、とすれば、大体、小川山と思いますけど、残念、小川山も花崗岩だし、全然、怖い岩場なので、全く参考にならなかったりするんだろうな~(笑)。

行くなら、城山とか、今だと埼玉の二子山とか行かないと、登りの質として、世界が進化して行っていることが分からないのではないですかね?

いつまでも、”ハードフリーの世界観”を引きづっていては…。

私は、ラオスや台湾に視察に行ったらいいと思いますが…。年配の人ではなく、10代の人にこそ、行ってほしいですね。日本の常識、世界の非常識って分かると思います。

年配の人だと、海外の岩場に行っても、同じ登り方で登って現地のカルチャーと接点がないので、たぶん、何も学ばないで、俺んとこの岩場イケテル~と勘違いして帰ってきてしまいます。

■ アルパインのクライマーでカム持っていないって変ですよ?

アルパインクライミングだと、最初ピトンの打ち方を教わります。

私は、本式で、雪上確保から入ったので、スノーバー持っていますし、ボラートがリムーバブル支点で習った初めの一つです。ですので、アルパインの価値体系では、ボルトルートと言うこと自体が堕落です。

本チャンへ行きたいという人がカムを持っていないというのは、九州では当然のようですが、一般に支点がないのが本チャンなので、普通はありえないギア不足なので、本チャンクライマーになりたい人で、カムを持っていないんだったら、最初から連れて行かないことだと思います。

無くても、行けるルートはどこか?というので、自ら探して来て、例えば、関東だと、本チャン向けゲレンデは、三つ峠、です。登れるのは、中央カンテとか、〇〇番クラックとかをつないだラインですが… 腐ったピトンとリングボルトの世界です。

ので、当然、誰もそんな支点を信頼して登っているわけではないです。ノーテンが当然。終了点だけは、きちんとした(と思う)のが整備されています。山世界では、エリートである信大の学生も三つ峠へ練習に来ます。(そしてJDTの懸垂支点を作って残置して降りていて、びっくりしました)

一度、師匠の青ちゃんを連れて行ったら、猫の頭ほどもあるでっかい懸垂支点を、「こんなん信用したらあかんで!」と言われました(笑)。これを信頼しないなら、何を信頼していいの?という巨大な支点でしたが…。三つ峠だってこんな程度です。しかし、三つ峠はアルパインの人以外は来ないです。フリーの岩場とは考えられていない。

師匠とは、すぐに三つ峠のようなアルパイン的な岩場には行かなくなりました…行っても登攀が簡単すぎで、楽しくないから…。 

私は三つ峠は、まだ人工壁通いをスタートして3か月目の時に初回に鈴木師匠に連れて行ってもらい、2度目からリードで後輩を連れて行っています。

後で支点が超ボロイことを知り…、「私、まだ登攀下手くそなのに、2度目からリードしていますが、いいのでしょうか?」と不安になって、先輩に問い合わせしたくらいです。

関東では、大体そのような入り方が一般的で、九州のようにずっとセカンドで連れまわされて、行ったことがある本チャンが高度化する一方で、肝心のシステムの理解や技術が全然追いついて行かない、と言うことはないような気がします。たまたま、私が良い人たちに恵まれたのかもしれませんが。

以前、山梨で同じ会に同期入会した九州から来たクライマーが、行ったことがあるというルート名はすごいので一同期待したのですが、なんにもリードできない人で、フリーの岩場で、全部Aゼロ。で、会の先輩と一緒にビックリ仰天したことがありますが…。それじゃ遊んだことにならない…。その人は九州ではセカンドしかしていなかったそうです。そんな風な育て方は、本州では、誰からも誘われなくなりますね。会の”超”がつく仏の○○と言われている先輩ですら、めんどくさがっていました。

本チャンクライマー養成は、本人がフリーで自己研鑽しつつ、ルート本番は、3年はセカンドで経験値を上げるというのが王道のような?

…と言っても、リードできそうな易しいピッチは、保険付きでリードさせてもらい、構築した支点などに、ダメ出しを貰うのが良いと思います。なにしろ、新人が作るアルパインアンカーは信頼できないので、フォローだって落ちない人が必要です。

そういうのは、易しい雪稜で、SABをしていれば分かります。こんなところで落ちないから要らないよな~と思っても、スタカットが前提です。先輩がこいつは歩けて落ちないと思えば、コンテに変えてくれるかもしれないですが…歩きの技術的確立が前提なので、歩き下手だとロープだされてしまいます。

昨今は、大学山岳部でも、歩きも登攀も下手くそなままで、ロープが必要なバリエーションへステップアップしている場合が多いので…ロープを出すか出さないか?の判断は、迷うようなら出す、にしておかないと事故が増えます。

昔はある程度、足が揃った人しか来なかったところにそうでない人が来る時代が現代… 前穂北尾根とか、阿弥陀北稜とかで、死亡事故が起こる時代なんですから。どっちも入門のところです。師匠は阿弥陀北稜なんて、一日2往復余裕でできるのが当然なんだよ、と言っていました。私もそう思います。大体、赤岳ノーマルルートだって、一日3周くらいできそうな短さですもん。

九州の市民山岳会では、バリエーション未満の北鎌尾根で、死者を出したと聞いています。

以上はアルパインのクライマーの育て方、ですが…、アルパインというのは、支点作りも自分持ちというクライミングのことです。

■ 支点の強度が相手持ちのクライミング = ボルトクライミング

九州では、マルチピッチが、半アルパイン・半フリーみたいなことになっているようですが…本格的な山岳地帯でのアルパインの代わりに、練習場、ゲレンデとして、ボルトを打ってあるマルチがあるのですが、そのマルチがいつしか練習ではなく、本番に変化していったもの…が、九州のマルチの位置づけのような気がします。

ランナウトして、ロープの意味がないマルチピッチの岩場ってことですね…比叡みたいな。

まぁ、落ちないグレードだったら、ボルトが遠くないと、何もスリルがなくて、楽しくない。ということもあったのだと思いますが…インスボンもそのようですし…。

落ちないはずのグレードで、落ちてしまうクライマーが来てしまう昨今…ということなのかもしれません。昔の人はすごく登れる人しか来なかったから、問題にならなかったのに…ですね。時代が変わったってことです。

あるいは、5.9と書いてあったら、ホントに5.9しか登れない人が来てしまうとか…。昔の人は、12登れて、5.9です、という謙遜の美徳だったのが、今の人はジムで5.9登れたら、外でも5.9で登れると思っている人が普通です。そのような新人が外国では当然です。そのためにグレードってあるんでしょ、と一般に思われています。

まとめると

 登れもしない奴が来る

 グレードギリギリで取りつく

の2点です。でも、フリークライミングの世界のルールでは、

 1ピン目掛けれたら、どこで落ちてもいい、

 ギリギリのグレードに取り付いてよい

それが当然ですからねぇ…。その行為を責めるのもおかしい話になってしまいます。

時代がフリークライミングの価値体系に進化しているってことですよね。それに現場が合っていないのです。

■ レッドポイントグレード、オンサイトグレード

本州では、RP〇〇、OS○○と、オンサイトグレードとレッドポイントグレードが違うのが理解されていると思いますが、九州の古いクライマーさんはそういう理解もしておらず、登れる、という言葉の内容が、オンサイトでスイスイ登るのが登れるという意味だと思っているかもしれません。

それだと、5.12を登れると発言して良い人は、佐藤祐介さんだけみたいなことになります。5.12で確実に落ちないと証明して見せたクライミングが、スーパー赤蜘蛛フリーソロだからですが…。

一般にジムで登っていて、5.12登れますという男子は世間にゴロゴロしており、もはや中級者としか呼ばれません。が、それでも、やっとこさ10回のトライで1回、5.12が登れても、5.12クライマー。下手したら100回に1回の人もそう言ってよいことになっているのがフリーです…。

そのような世間の変化を知らない、というのも、齟齬の原因にあるのかもしれません。


■ 原因はなんであれ、大事なのは、世界を知ること

とまぁ、原因の分析に文字数を使ってしまいましたが… 大事なのは、世界が変化していることを正確に把握することです。

閲覧数ごぼう抜きの赤岩青巖峡のボルダーは、5.12、どっかぶり、ハイボル、ボルトあり、です。こんなのをひいひいと苦しみながら、パワームーブで登り、落ちたとしてもボルトがあるから安全、というのが、現代クライマーの好み、ということです。

だれも、落ちたら死ぬかもイチかバチかをやりたいとは思っていないってことですよね。






2021/04/27

俺は教わっていない(だからお前にも教えない)は間違っている

 教わったことしか、次の人に教えなかったら、教える内容はずっと固定化され、進化しないままです。教わっていなくても、自分が分かっていることで相手が分かっていないことは教えるべきです。その理由は、教そわった以上に教えないと、何も進化しないから、それだけです。

教わっていないから教えないはエゴの声。エゴの声で登る人たちに真のクライミングはありません。


2021/04/16

3年間の成長を改めて実感した菊池渓谷訪問

 ■ 菊池渓谷…母恋しにならなかった…

私は菊池の生まれで、母と父の代では、菊池では知らない人がいなかった名誉市民の家の出でしたが、母と父の代で没落しました…。

私は、主に母が配偶者の選択を誤ったことが、母の悲運…3人子供を作った夫に捨てられる…を招いたのだと、クライミングを通じて普通の男性を観察することで、謎解きして分かったのですが…。

結論的に、気の毒なお母さん、と思っています。

なので、菊池と言う土地は、なんだかなぁ…気の毒な女性…主にシングルマザーたち…のことについつい思いを馳せてしまう…。つまり、複雑な気分になるのですが…。

とはいえ、先日、夫と結婚当初に祖母に夫の顔を見せるために出かけた九州旅行で訪問した以来の、20年ぶりの菊池渓谷を訪問しましたが(ほかの訪問目的があったので)、子供のころに魅了されたほどの素晴らしい自然は、もはや残っていないことの確認、と言うか、水の美しさも、山梨のほら貝のゴルジュのほうがきれいだしなぁ~ 沢の大きさやナメ床も、東沢釜の沢のほうがきれいだしなぁ~とか思ってしまいました。つまり、家族で出かけた夏休みイベントに郷愁を感じる、ということはなく…。

むしろ、なんとなく、自然の本当の姿を知らない、あの頃は、こんなちっぽけな場所でも偉大に感じたんだったんだよなぁ~と、自分が歩んだ道の偉大さの方が目につきました…。 

私の過ごした2013~2016までの登攀での成長は、やっている本人は、きちんとしたクライミングパートナーさえいれば、もっと高度な成長ができると自分では感じていましたが、人工壁で3mで落ちているスタート段階から、甲斐駒積雪期単独登攀、阿弥陀北稜積雪期の単独登攀、荒船山ミックスセカンド、インスボンセカンド、ラオス登攀単独、台湾登攀単独…韓国アイスクライミング、って、ものすごい成長の急カーブです…そうじゃない人を九州で見て分かりました。

■ 運命のスイッチが切り替わる瞬間=責任を引き受けた時

みんなの躓きポイントは、ビレイです。

ビレイをマスターしようという気がない人は、3年経っても、そのまんま…。

たぶん、ビレイというクライマーなら誰でも引き受けなくてはならない責任を引き受けよう、と覚悟ができたら、その時点で、何か、運命のスイッチが切り替わるんだと思います。

昨日、子ども体験クライミングで初めてクライミングした14歳の信二君は、運命のスイッチが切り替わっており、私にはそれが見えました。

彼、他の子にエイトノットが教えられるようになったんですよ。ハーネスも丁寧に他の子につけてあげるし…

今日は、コロナで行き詰まった人の話が回ってきたのですが…行き詰まり=スイッチ切り替えタイミング…

ここは、いっちょやるぜ!とやる気を出すタイミングです。そういうピンチの時に、やる気、ではなく、むしろ、引きこもる、と言うタイプの受発色の人がいますが、そういう人にはどうしたらいいのか?

凄く謎です…でも、最終的に自分のことは、やっぱり自分しか分からないので、他の人に、”そうじゃない、こういうふうにして、そうじゃない、ああいう風にして”と、要求を出しても、決して100%満足することはできないんですよね…。最も的確に自分を満足させられることは、自己満足、です。

それを自覚というか、心底納得したら、

”そうか、自分での足で歩くしか、100%満足する方法はないんだ”と思うと思いますが…遅かれ早かれ…

なかなか、自立、自分起点で物事を実行するということに頭が切り替わるのは、大人になってしまった後だと難しいみたいですね…

話がそれましたが、菊池渓谷に行き、母を愛しそして愛され返されなかったという気持ち…業、が枯れつつあるなぁと思った今回でした。

業を燃やしたのは、クライミングでの成長、です。

2021/04/10

市民クライマーはクライミングで上達しなくてもいい

 ■ 太ったバレリーナ

今日は、太ったバレエダンサーのビデオに朝から感動しました。

クライミングの何が嫌気が指してきたか、分かった。

みんなが私にグレード(結果)を求めてくることです…。

■ バレエでのこと

20年続けたバレエですが、私はバレエそのものが好きで、19歳でスタートしているため、60代でスタートする一般成人と比べると、すぐ上達してしまったのですが、当然、3歳からやるバレエの世界の人と肩を並べることはできませんし、したくもありません。

3歳からやっている人は、18歳で自分は世界クラスのバレリーナにはなれないと分かったら、バレエを辞めて、二度とバレエをしないです。プロでないなら、やらない。ダメの烙印を押された、挫折した大人が量産されています。

一方、大人からバレエを習っている人にも発表会があります。大人からやっている人の下手さ具合は、10ランクくらい下なので、その下手さ加減の中で、主役の踊りができる人は…となると、私のような人…、”大人の中では”の条件のかっこ付きの中で、上手な人が手ごろだったわけですね…。

■ 発表会に追いまくられて踊るのはいや…

でも、私は発表会に追いまくられて、踊るのは嫌だったのです。

自分がやっているバレエの探求、ができなくなるから…。私がやっていたのは、探求学習、とでもいうようなもので、バレエでは、ずっとプリエの探求をしていました…。最初の先生が、バレエの神髄はプリエだといったからです。

それができなくなる発表会に追いまくられるスタイル…なんて…。

上級クラスにも出てはいましたが、私は一生、初級クラスでもいいって思っていました。

初級クラスには初級クラスでないとできないことがある。じっくり動きを探求するには初級クラスが向いています。今でもバレエの音楽を聞けば、自動化で動きが勝手に出てくるので、たまにやっています。(というか、再開しようかな?)

同じことでクライミングも…私はグレードを今、登っているグレードから上げたくないのです。グレードが上がることは、私のモチベーションに全くならないのです…。むしろ、怖くなって、私には、気分下げ要因です。自分が登れるだろうと思ったものを確実に登れることが、私にとっての自信の根拠なので。

■ 言葉尻に現れる蔑視 

グレードが上がることが楽しい人が自分と同じだと発想して、私にお買い得品を登らせてくれましたが…。笠間ピンキーとか、野岳の11とか…。

”◎◎さんでも登れる奴”、とか言って、もうその時点で、下に見ている用語… ”でも”って何よ、でもって…。

■ 同じグレードでも難易度は人それぞれ

同じ5.9だったら、小さい人が登ったほうが、ムーブなしで手が届くボディサイズの人が登るより、高度なテクニックが必要になります。

届かない=デッドが必要だったり、ランジが必要だったら、それは、5.9ではなく、10Aです。

なので、私がもし11を登れるとしたら、そこらの普通の体格のクライマーよりも、高度なスキルが必要です。

これは体のでかい師匠を観察して分かりました。彼にとっては、ムーブなしで登れるところが私にはムーブが必要だったからです。

つまり、同じグレードが登れるなら、彼より私の方がスキルを磨かないと、同じグレードに入れません。

■ 楽しんだ結果=グレードであるべき

また私は自分のクライミングの向上は、趣味であるので

 楽しんだ結果

であって、上達を求めて何かする、結果を求めて頑張る、という世界は、一生好きになれません。

教育において、熟考ではなく、速読や即反応、つまり、スピードを求めることは、

 思考停止を求める活動

だからです。私は、子供のころからテスト向け勉強なんてしたことありません。

お受験ですら、単なる手段で、文章題を考えに考える機会と言うだけでした。自学自習でお受験の勉強をしていました…。

(上達)と(その結果)が…例えば100点取った、とか…が、自分自身の自信になるという場合は、何か深いところで人間の価値について、誤解がある、ということだと思います。

■ リーチがない私を認めてください

私は背が低いからリーチがない、それを認めてもらいたいのに、認められないのは、男性標準体重標準身長の人に適した物差し、で私を計るからです。

これくらいならできるはず、という物差しが、18歳大学生男子なら、これくらいはできるはず、というモノサシと言うことですね。

明らかに、私は18歳男子の基準からは離れた人ですので、そんな理不尽な要求されても、困ります…。

誰がおばあさんと若者を比べて、お前は出来損ないだ!と言います? 同じことです。

43歳が23歳と登れば、23歳が強いのが当然のことです。

そんなモノサシに合わせて私が凄くなくても、私自身がクライミングを楽しむ分には、何も困らないですから…。

それは、ラオスで、あるいは台湾で証明してきました…。日本人みたいに、

 5.9が登れない奴は糞、

という文化はありません。フリーでも多様化の時代です。

■ ナイン以上がフリークライミングの領域です

むろん、これはフリークライミングが、そもそも5.9より上から始まるということを否定するものではありません。ナインアンダーは、まだフリーのクライマーとは言えないです。

が、だからと言って、クライマーではないということではありません。フリークライマーと言えるのは、絶対値で5.9から上です。

とはいえ、その下のグレードの時代は誰にでもあるものですし、それが蔑視の対象になるのはおかしなことです。

5.9でひいひい言っている人を馬鹿にする文化は世界にはありません。

5.9でひいひい言っているときの心情と5.15でひいひい言っているときの心情は同じです。

それが分からず、5.15が上だと思っているのは日本人だけですよ。

しかも、日本的事情で、地域の5.9は、本当の5.9ではなく、10cあたりまで5.9とされています。

■ 趣味で楽しむ

私は自分のペースで楽しみながら成長していきたいので、それができない場合は、そもそもクライミングをしなくていい、ということだと思います。

指を犠牲にしたり、生活を犠牲にしたりと言う世界は、それで喰っている世界の人ならいいかもしれませんが、犠牲がある、と言うこと自体が、楽しんでいるわけではない、ということになります。

クライマー3タイプ

■クライマータイプ分け

タイプ1)

 一つは競技がメインのコンペティター

タイプ2)

スポンサードを受け、国内外の外壁・外岩を登ることを生業とするプロフリークライマー

タイプ3)

三つ目が趣味としてクライミングをするエンジョイクライマー

■ 99%がタイプ3ですよ!

遅くとも、高校生までにクライミングに出会わなければ、よほどの才能がない限り、1)も2)もなく、3)ですよ!

クライミングというのは、”走る”や”歩く”と違い、全く ”非日常的” な運動ですので、それをどれだけ日常にしたか?が、上達には大きく関与します。

と言うことは、子供で接すれば接するほど有利ということです。

選手やプロが結果を残すことを問われるのは当然です。それで食べている訳ですから。

しかし、99%の趣味でクライミングを愛好する、愛好者人口、エンジョイクライミングの人たちに関しては、違います。


★登る人に応じた課題やルートを自由に、楽しく登ればいい。

★リードを強制したり、されたりするものではない。


山岳会のリーダー程度の人は世の中ごまんといます。変なプライドで登らないようにしないと、自分自身を危険に陥れてしまいます。

2021/03/22

オールドクライマーvsニュークライマー

■ オールドクライマーvsニュークライマー

黒田誠さんは当代のクライマーなら知らない人がいないトップクライマーの一人です。この方が書いているように、令和の今になっても…というのが、残念ながら古い往年クライマーの皆さまです。

残念ながら、私の身内である師匠の一人もそこに加わるであろうと思います。往年の方はロープワークなどしっかりされており、マルチに行くと瞬きしている間にロープを束ねてくださり、安全に関しては通常1重のビレイループさえ、2重化されているような具合です。

若い男性クライマーにはそういう点を見習ってほしい…より高リスクの山にステップアップするには洗練された安全管理が必要だからです。ですが、この両者は全く水と油で、まじりあいません。

理由は、オールクライマーが上下関係の関係性を基本にすること、往々にしてすでに間違いであると業界内で結論づけられた技術を後輩に強いること(事例としては、リードクライマーへの支点ビレイ、肩がらみ、腰がらみ)、そして、登るグレードが違い過ぎて一緒に登っていて楽しくないこと、があります。一言で言えば、”時代遅れ”。

結局のところ、若い男子が相手をしてくれず、誰も師匠クラスの面倒を見ない、となると、ならば、と女性新人クライマーにお鉢がまわってくることになります…
 
その女性にしても自分がまだ何かを相手から学ぶことがあるビギナー時期であれば、付き合いも我慢が効きますが… 山でタバコをポイ捨てするような時代錯誤感覚の方は、往々にしてセクハラしたり、過去の栄光自慢をしたりしてくるので、なかなか我慢の度量も必要です…。それができるのは、家族くらいではないでしょうか…。まぁ、人は誰でも年を取るので、先々自分もそうなるのだ、と思えば、となると思います。

自分のクライマーとしての成長を犠牲にして、相手にお付き合いでお酌するのも、本末転倒です。

というので、基本的にオールドクライマーは業界内でお荷物化、しています。さらに痛いのは、若い人が入らない山岳会に所属していると、お荷物化していること自体に自覚がなく、若い人に自分のスキルを高値で売ろうとしてしまうことです…。
 
例えば、ラオスは、誰でも一人で行ける岩場で、行けば誰かと登れますが、上下関係でしか登れず、コミュニティ参加できない往年クライマーは、行ったとしても誰からも声がかからない可能性が濃厚です。そのような状態なのに、ガイドで行く、と言い張ります。交通費とガイド費用をお客さんに出してもらって、リード三昧で登ろうという訳です…。しかし、ですよ? 自分一人で現地まで到達すらできないのに、お客さんの財布で行きたい…って?となります。

が、そのような事例が先にあるらしく、希望を捨てない訳です…。先行事例を作っているのは、古い会のおばちゃんクライマーのような気がします。現地と交流しない日本人、韓国人クライマー集団。おばちゃんが女中のように、動かぬ男性クライマーの間をかいがいしく舞い踊って、ビレイさせていただきます、と低姿勢。ビレイはできて当然でしてもらって当然のものです。ので、女性の側の自尊心の低さも、事態に加担しているような気がします。…が、そんな虫の良いことを考えているのが年配の方の世界観なのです。

時代がこれほどに変わっていることに無自覚、ということなのです。

余談ですが、町でもポイ捨ておじさんはいます。その方たちの心情は?というと、許されたい、ということだそうです。

お前も完璧な人間ではないだろう、なら俺のポイ捨てを許せ、とのこと…。

それとこれとは全く違う問題のような気がしないですが…人が一人で自立するということがなかなか基本にない世界が日本では長く続いた結果のような気がします。

そのことを知らないのが世間に無知の大学生くらいの方です… 

確かに一歩目の海外とか、一歩目のアルパインルートは怖いものですが… せめて同レベルの仲間と一歩を踏み出しましょう…

ヒマラヤも同じと思いますよ?今の時代、ハイキングの人だって個人旅行でヒマラヤ行く時代ですよ?なにせ、許可が下りやすくなったのは、ハイキングパーミットで登れる山ですから。

ちゃんとした冬季登攀でステップアップしたクライマーは、ヒマラヤではなくアラスカのルース氷河やパタゴニア方面を目指している時代です。まとまった書籍はないですが、ロクスノ読み込んだり、ウィンタークライマーズミーティングに出れば分かるはずです。

古色蒼然としたルートを楽しむのは、老後にもできます。若い時しかできない山をすべきでは?



2020/03/11

海外のトポの外岩分類

■クライミングのスタイル分類

いつも思うのですが、なんで日本のトポにはスタイルの分類がついていないのでしょう?? 私なんかより、フリークライミング界の大御所は一杯海外の外岩のトポを見て、分かりやすいな~ こうしたらいいな~と日本の岩場の情報不足の、具体的に何がどう情報不足なのか?ということは分かっているでしょうに…。

例えば、The Cragにはこのような記述でその課題やエリアがどんなスタイルで登るべきかを指南してあります。

ボルダー
トラッド
スポーツ

トップロープ
ディープウォーター
ヴィアフェラータ
アイス
アルパイン
トラバース

とくにアルパインの思想をフリーに、そのまま持ち込んでいることの摩擦や矛盾が大きいなと思います。

例えば、日本のフリークライミングのルートでは、5.9が登れる人のためにボルトがあるわけでなく、5.12の人が楽勝だからと言う理由でボルトは飛ばしてあったりするので、どこで落ちてもロープとボルトに守られるわけじゃない…。そのような状況の中で、プリクリップに文句をつけられている状況なので、驚きました…。文句をつけている人たちは、ボルダーではSDにすると2段、たってスタートだと5級っていう課題があるのは知らないのでしょうか…。

こうした標準体型&5.12クラス以上から楽しく登れるという日本的事情は、遠藤由香さんが、男性にショルダーされてエイドルートにクリップしている姿を見て理解しました…。登攀力があっても、身長がなければ、クリップできない(=自分の身を守れない)ので、私が、トムとジェリーが登れないのは当然みたいでした…。

(余談ですが、その後エイドルートのお誘いを受けても断っています... 背が低いことのハンデが分かっていないパートナーと行くと危険だと思う。誘ってくれる人は、私がエイドルートをリードするにはショルダーが、あるいはプリクリ棒が必要になると分かっていないと思います。そのような人と行くと非常にマズイ結果になることが予想されますし、セカンドなら、普通のフリーのルートでいいわけですよねぇ)

日本では、人工壁のことだけをスポーツルートと言うことになっているようです。

海外のトポには、スポーツ、という記述があり、それはたぶん、このルートはランナウトしていないですよ、5.9だったら、そのグレードが限界グレードであるクライマーに適したボルト配置になっていますよ、ということなのだろうと想像しています。

日本のトポは、スタイルを分類していない。

■ フリークライミングの教育機関がない

また、フリークライミングの教育機関がない。フリークライミングを教えます、ということには、クライミングジムでもなっていないし、登山学校に行けば、当然アルパインクライミングを教わって、フリークライミングを教わるわけじゃない…。人工壁があるじゃん、となりますが、人工壁はスポーツクライミングを教えるところで、フリークライミングを教えるところじゃない。

となると、フリークライミング、を教える機関がどこにもないってハナシですね。

■ サボっているのは誰だ?

まぁ、ちゃんとガイドさんがフリークライミングの、フリークライミング足るゆえんや本質をきちんと教えてこなかったのが良くないと思いますが…。ちなみに私はアイスですが、保科さんスタートのクライマーですが、そんな話は聞いたことがありません。保科さんが悪いと言いたいのではないですが。

登ってトップロープ張ってあげて、ムーブだけ洗練させてあげて、リードのビレイをしてはあげないのがガイドさんは一番楽です(笑)。

私も後輩には、よほどのことがないとリードはさせません。自分が登った課題にトップロープをさせてあげるだけです。

死なれたら困るので(笑)。

ので、後輩にリードしていいよ、というのは大変なご褒美と言うか譲歩と言うか、そんな感じです。

大体、デッドで取りに行っているような人は、「まだまだリードさせられないなー」と思って見ています。


2020/01/07

どんな権力でも腐敗する

■どんな権力でも腐敗する

そもそも、安全を自分で確認するための情報が、ほとんどどこにも出ていない。

ので、若いクライマーに、お前ら、勉強不足だろ~と言っても、気の毒だと思う。

認識不足も同じ。たぶん、言っている本人も、”かつて来た道”(笑)。

私は岩登りを含む山が必要になった時に、死ぬのは嫌だと思ったので、山岳総合センターに行きましたが、雪上の支点の作り方は教わったけど、ボルトの見極め方は教わっていない。つまり、ボルトを追いかけるようなクライミングは、山岳総合センターではクライミングとは思われていない。アルパインクライマーはボルトを使わないものだ。

フリークライミングをしている、外岩クライマーは外岩クライマーで、インドアジムの奴らは怖がりで、誘っても外岩に来ないんだよな~と思っている。

が、インドアの人が怖いのも当然で、やたらピン遠いし、何を持ったらいいか、分からないし、トップロープだと蔑まれるし、登れるのを登って楽しむということが許されず、外に行っても、強くて登れるクライマーのメンタルおトイレにされるだけで(やっぱり登れる俺ってかっこいい~)、楽しくないからすぐ来なくなる。

子どもなんか見ていると分かるけど、怖い怖い!と言って、すぐテンションするけど、それが悪いことだとは、まだ知らないので、おんなじのに飽きずに何回も何回も登ろうとする。ので、外岩に関しては、リードしないことをさげすむ風潮とか、そもそも、強いか弱いかだけでクライマー適性を計る日本の岩場環境のほうがまずくて、人間性が卑しくなっているだけだと思う。肝試し大会になっている。

リードなんて楽しくてやっているんだから、ほら登ってやったぞ、なんてもったいぶって差し出すものじゃない。ラオスでは、誰だってリードだが、登った後のロープ、これ登る?と初心者に聞くときに、俺が命がけで掛けてやったんだぞ、ありがたいと思え、なんて態度の人はいない。

考えれば、考えるほど、日本のフリークライミングを汚染したのは、

面子とかプライドなのでは?

ずいぶん昔に読んだ北山真さんの『フリークライミングのススメ』には、”上手くなりましょう、そうでないと、日本では楽しくありません”と書いてあり、そうだよなぁと納得。

自分の足で稼いで、自分の納得を稼ぎ中だ。

2020/01/06

山岳会代わりにJFAに加入しましょう

■ リボルト講習会に出た感想

出て良かったんだけど、2点、残念というか…、どうしてそうなっちゃんだろうなぁ…そんな感じのことがあった。

一つ目は、JFAの人が大変疲弊していそうなこと…。

やっても、やっても、ありがたがられず、むしろ煙たがられ、そしてキリがない仕事をしていると、厭世的になると思う…。(まさに主婦業!!!)

「講習会があるってお知らせが来ても、来ない人はどうせ来ないですよ」
「そんな人に声をかけるだけ無駄ですよ」
「安全に関心がない人は、どんなに言っても関心がないですからね」

…。厭世的...?

なので、なんだかとても気の毒になりました。”どうせ”ちっく? よほど、これまで大変だったんだろうなって…。人が嫌がる仕事のことを痰ツボと言うそうですが、そういう感じなのかも?と。

二つ目も、そんな人に何を言っても無駄、的な部分。

でも、なぁ…。

私個人は、誰からも何も言われていないけど、海外登攀に行って、

1)適正ボルト間隔、
2)適性グレード

適性か、どうかはともかく、とにかくグレードピラミッドができるくらい、たくさん課題がある世界を経験し、自分が登る課題を決めるために、トポを読むことによって、

 ボルトは何々を使っています

 ロープ長は○○にしてください

等、書かれているトポを見て、”ボルトの質”や、”その他、あれやこれや”が、大事なことだということが分かりました。

それ以前も考えてはいましたが、龍洞で、支点の最新情報をトポに書き写すほどの熱心さは、行ってから身につけました。 エクセル表があったので、なんだろ~と思ってみたら、アンカー情報だったので。誰でも、そんなものを見れば、書き写すと思いませんか??

日本ではそもそも情報が岩場ごとに提供されていないので、同じことをやろうと思っても、不可能です。

小川山クライミングも誘われない限り、行かないし、逆に自分が連れて行くときは、すでに行ったことがあるところの復習山行で、後輩にはよほどでないとリードはさせないのでした。ので、支点については良いと分かっているところしか行っていない…

九州に来てから、会だったり、信頼できる師匠というわけではない人とも行かないといけなくなり、なんだかんだで、見慣れないボルトを見るようになり、色々とアップしていたので、それはクライマーとして自分で支点を見極めようとする、というので良い事だったと思います…

見たことない、変な支点一杯見たよなぁ…

オールアンカー

カットアンカー

海外からまで支点の疑問をアップしたら、返事が来た…。まぁ、今すぐ落ちて死ぬとかないですし、ほぼほぼ大丈夫なんですが、永久に、これでいいってのとは違うかもです。

しかし、いかに日本の支点が遅れているかは、だいぶ知見が高まりました。リボルトは急務で、なおかつお金がかかることですが、なかなか、

なり手がいない

そうです。

■ 地元って誰??問題

地元のクライマーに聞くといっても、会があるわけでもなんでもなく、バラバラの個人でしかないので、

 地元のクライマーのコミュニティ

と言っても、誰がその主体なのか?は、何年も住んでいる人しかわからない…。

上位組織もあるようでない… 誰が誰なのか、漠然としていて、あるようでない、ないようである、という岩場開拓コミュニティの在り方自体が問題なんだなーと、今回は理解しました。

結局、ボルトについて問い合わせしたくても、新しいクライマーたちが誰に何を聞いたらいいか、分からなくても当然だと思うので、

ボルトの安全性について知識を求めない 

ことを責めても、無理がある。そこに知識がある、必要性がある、ということ自体が、現代では、分かりようがないので、

 聞いてこない奴=ダメな奴、

は、誰もがハーケンスタートの、昔の基準だと思うし、今の人は、

 昔の人ほど優秀でない

だけだと思います。昔は大卒男子はエリートですが、今は普通の人です。海外のトポのように、積極的に

「この岩場はM10グージョンを使用しています」

とか、知識を出していくほうがいいのではないかなと思ったりしました。書いてあれば、Googleで”グージョン”と入れる人も中にはいるでしょう。

それに、きちんと網羅的に知識をまとめて、書けば、みな、できることはやってくると思うんだけどな。

とりあえず、そう言うきっかけとして、一番有意義なのは、リボルト講習に無料参加することですので、JFA会員になって、誰かがリボルト職人になる、そのついでに話を聞きましょう。

2019/10/20

自己犠牲としてのリードが存在しなくなった現代フリー

■ 昔のアルパイン=自己犠牲

ちょっと考えて閃めいたのですが、昔のアルパインクライミングにおいては、

自己犠牲が美化されていた、

と思います。例えば、

1)誰かが足を滑らせそうになった場合に、自分が下敷きになって自己犠牲する(多くの人の面前で)

2)下手くそなビレイでも登る

3)山において上げ膳据え膳= 歩荷してあげる、道案内してあげる、車で送ってあげる

…と全体に冒険的要素が少なくなる、ということです。段々、冒険がなくなり、安全で分かり切っていて当然になる…

です。これは、最初に山を教えてくれたガイドのM上さんが持っていた感性でした。

しかし、山って遊びです。ので、そんな自己犠牲、誰も頼んでいない。

■ 神風特攻隊気取りの山

神風特攻隊に、往年のクライマーが自分をなぞらえていることにも驚きました。

それは庵で知ることになったのですが、神風特攻隊はお国のために死んだ人たちで戦争という話でしょう。

いくらランナウトしていても、国家の威信をかけたマナスルなどならともかく、九州の山地の岩場では、特攻隊のつもりで山に挑んでも、特攻隊気取り、にしかならないです…。

残念ながら。その気取りを可能にするためのか弱き性=女性、だとしたら、茶番に対する道具立て程度にしかならない…。しかし、九州あるある、のような気がしてしまうのは、九州出身なので、自己批判とお許しください。

リード=自己犠牲=神風特攻隊的ノリ=かっこいい俺

と昔は繋がっていたのだと思います。しかし、そうでなくなってから30年くらいは立っているみたいです。

現代の落ちることが普通で、誰も命を掛けないでいいフリークライミングでは、その方程式は成り立たない…

■ リードしないと楽しくない…

現代のフリーでは、支点がしっかりしている限り、リードしないと緊張感が足りなくて、楽しくない。

リードクライマーの価値の低下が著しい…(笑)。

年配のクライマーは、若手にリードしてもらいたがります。それで気が付きました。リードしないと楽しくないというか、現代スポーツクライミングでは、5.6からリードしているのが普通なのです。

私はアルパインで、私が落ちるグレードのところをリードさせられるのが嫌なのです…。

アルパインは2、3グレード下からです。

丸3年懸垂も知らず、歩荷力ゼロ、読図力ゼロ、すべての時間をマルチに使っていた人が、5.7の二子山中央稜のリードを課題にするそうですから、私自身もそこからスタートしたいと思います。

■ もし、私が5.13登れたら

私はもし、私が5.13を登れるようになり、何も怖がらないとしたら?たぶん、そう言う人は自分を可能にしてくれる人がいなくなって、私から去っていくのではないでしょうか?

頼られる、には、頼ってくる人を必要とします。

イネイブラーというわけです。しかし、もし私が登れてしまったら、それこそ、

 ”可愛くない”

かもしれませんね?それは、まだ未知数のエリアですが、私は背が低く、優位性が属性として少ないですので、長い間イネイブラーでいれる、ということになるのかもしれません。

イネイブラーとして、価値が高いということだったら、とっても残念だなぁというのが、感想です。

別の活動しよ~

2019/09/16

できないことをできるようになりたい

先日、2名の初心者を連れて、クライミングに行きました。

2名は対照的で、一人は執念深く何度も岩に足を掛け、一人は結構ふーんって感じ?

「岩登りの面白さとは何ですか」

と聞かれたのですが、私は自分がまだ修行中のため、的確にこたえるのが難しいのですが、

  面白さは、人それぞれ

なんですが…

・スリルが好きと言う人もいるし、
・私には今ここ、の強制瞑想
・肉体を使ったパズル
・てっぺんに立ちたい!

と言う人もいます。実は、私は岩は苦手で、どうしても、あの灰色で憂鬱な、ごつごつとした岩肌が、私をいざなっているとは思えないのですが、これが白い雪山のピークだったり、しっかり凍った美しいアイスクライミングルートで、おとぎの国みたいだったり、になると…あ~、行く行く~みたいになります(笑)。それでも、しっかり凍った易しいの、限定です。私はスリルを求めているクライマーじゃないので。

でかい!というのが、男性の征服欲を盛り上げるようですが、私はきれい!というのしか盛り上がらないです。

でも、スリルを求めているクライマーを否定するものではありません。クライマー人種の何割かは、国を問わず、必ずそういう人です。

もう一人の方は、若きお医者さんだったのですが、岩に執着心が!あとちょっとで、登れそうだったんですよね!それで、だいぶチャレンジしていました。できそうで、できないから、できるようになりたい!というのが、その人の動機かも?

遊びなんで、動機は何でもいいんですけど、私の場合に限って言えば、岩が楽しくなってきたのは、ラオスに行ってからで、自分で自分の登りたい課題を選ぶ、と言う自由が与えられてからです。

日本の岩場は、易しい課題が超ランナウトで、初心者が取り付くにはリスクが大きく、そこは経験者が吟味して、これなら君にも登れるよ、と味見や毒見をして登らせてあげるのが、残念ながら安全のために仕
方なく通例となっているので、楽しみが見いだせない人も場合によってはいるかもしれない…

海外に行きたいクライマーの動機の半分くらいは、勝手にやらせろ、というものかもしれません(笑)。海外では、スポーツルートという性格がスポーツルートらしく収まっているというか。

遊びなので、やってみて楽しくなければやらなくていい訳なんで、気軽に取り組んでください☆

2019/07/06

岩場のタイプとそれぞれの習得テーマ

日本では、岩場ごとにクライミングスタイルが違うことや、それぞれの岩場での習得テーマが違うことがあまり語られません。

ので、やってみてやっと分かるということになっています。

岩場ごとの習得テーマをまとめました。

《まとめ》

1)人工壁 ビレイ&キャッチの経験値を上げる
2)ゲレンデ 初歩的な登攀を覚える 
3)スポーツクライミングの岩場 落ちても死なないクライミングになれる
4)フリークライミングの岩場 落ちると死ぬこともあるので、危険を避けて困難に迫ることを覚える
5)トラッドクライミングの岩場 上級クラックの岩場です。

以下、習得テーマのまとめです。

1)人工壁

 人工壁も色々なタイプがあります。

 ボルダリング壁での習得テーマ = ムーブ
 リード壁での習得テーマ =リード壁でしてはいけないこと
              ビレイ&キャッチの経験値(最低、週2半年)

2)ゲレンデ 日和田、広沢寺、越沢レベル
  落ちないクライミング 
  支点構築
  カムのセット
  
 ※ このレベルでは絶対に落ちないクライミングが必要です。Ⅳ級です。

3)スポーツクライミングの岩場 城山
 落ちても死なないクライミングになれる
 日本ではこのレベルは、”初心者向け岩場”とか、”ケミカルボルトの岩場”と呼ばれることもあります。
 
4)フリークライミングの岩場 小川山 ボルトルート
 落ちると死ぬかもしれない岩場で、危険を避けながら困難に迫ることを覚える
 
5)トラッドの岩場 瑞牆
 カムをセットしながら、登るため、リスクをコントロールしながら登る

■ ゲレンデとスポーツクライミングの岩場が軽視されている日本

2)のゲレンデと3)のスポーツクライミングの岩場が、前後することがあるのが、旧式クライマーと現代クライマーの差です。

現代では、1)人工壁が、2)のゲレンデと3)のスポーツクライミングの岩場の役割をかねて、1)から、いきなり、4)になるのが、現代のクライマーの直面する困惑だと思います。

2)、3)で学ぶべきテーマを明らかにしてもらえないので、なんとなく、で見切り発車し、いきなり4)フリークライミングの岩場でリスクを伴う登攀となるため、事故が絶えない。

もっと明示的にテーマを与え、意識的に習得目標を習得させれば、事故は減ると思います。

2019/07/02

誰のおかげか?

■ 押しかけ師匠

一番目の師匠とは岩場で会いました。「流動分散を作ってみせなさい!」感謝はしていますが、「弟子にしてください」とかって、私が頼んだわけではなく、「勝手に山に登りますので、結構」と言っていたのに、「いや、山には師匠が必要ですよ」と説得されての、押しかけ師匠でした。

思えば、心配だったのだろうと。

どこでもいいから山岳会入ってと言われましたが、その入った山岳会では一回目の山から、私はガイドする側で、連れて行ってもらうことはなかったのでした。このころは相方ができて、その相方が分不相応にすごい山に行きたがるので、決裂。

2番目の師匠も押しかけ師匠でした。頼んでもいないのにレスキューを一杯教えてくれて大感謝☆ ステキ☆と目がハートマークになり、歓迎しました。このころは山を教わる必要自体は、理解していたからです。

が、どちらの師匠も、別に私が「弟子にしてください」とか言ったわけじゃないんです…。どっちかというと、向こうから勝手に来た。

■ コントロールされるのが嫌でした・・・

それに、1番目の師匠は人工壁に通うと、ぐちぐち文句を言って来たし、2番目の師匠は、私がしたいリード練習をさせてくれないし、どう考えても、

 自分の思い通りにコントロールしようとして来る

ので、その点がとても嫌でした。

なんで、努力してねちねち言われるんだ?!
なんで、誰でも通る普通のリード練習をさせてもらえないんだ?!

と思っていました。登攀力が足りないなら、補わないと困るのは私だし、疑似リードでリード練習したいのは、ごく普通のことです。何も特別なことを頼んでいるわけではありません。

■ 勝手に成長するのが後進です 

私が先輩なら後輩がしたいようにやらせます。それが先輩のあるべき姿と思う。今、疑似リードしたいんだったら、させてあげるし、その代わり自分が登りたいときにビレイヤーで来てもらえばいいだけです。

なんで、このやり方でないとダメ! と二人とも許容範囲が狭かったのか?よく分かりませんでした。 外岩はいいけど人工壁はダメとか、リードはしてほしいけど、カムを自分で入れながらはダメとか。

どちらも理由を説明されなかった。ので、反発しました。

山は自己責任なんだから、説明されないのであれば、反発するのは普通のことだと思います。その通りやって、怪我したり死んだりして、師匠たちは責任が取れるのでしょうか?

■ 自分のおかげ

ということで、今のクライマーとしての私があるのは、一番大きく、誰のおかげか?というと、

私のおかげ

です(笑)。

自分のおかげであることが一番よく分かる事例は、UIAAのトップ、スティーブ・ロングさんとも知り合いになっちゃったことです。なんでか?というと、インスボンで登った時に、アルパインサマーと言う教科書が韓国語で出ているのをみて、

ぬぬ。なんで韓国語があって日本語版ないのー ゆるせーん!

と私が勝手に思ったからです。別に誰から紹介されたわけでもなんでもない。

師匠は私がその本を発見した時、一緒にいましたが、素通りです。目の前にあっても見えるものは、それぞれ違うからです。

■ I am proud of myself!

ので、私みたいな、大してクライミングの才能もない、ちんちくりんの人がなんでクライマーなんだ?!と腹が立つ人もいると思いますが、今のクライマーとしての、自分を形成するのに

誰のおかげだったのか?と言えば、自分のおかげです。

I am proud of myself!

誰に一番世話になったかと言うと? 自分に一番世話になりました(笑)。

■ クライマー=特権階級 は日本だけ

大体、クライマーになるのが、

許された一部の人だけの資格制

のところは、日本国くらいで、海外では誰だってクライマーになれるのが普通なわけですから、そもそも、なんでこんな人がクライマーなんだ?という疑念すら、外国人から問われることはないです。

別に記録を持っているとか、有名とかじゃないとクライマーじゃない、とか、5.9で落ちる奴はクライマーじゃねえ!とか、岩と向き合っていないとダメ、とか、俺は認めない!とか、どうせ愛人なんでしょとか…

その発想からして、差別的で失礼ですから…。

それに気が付かないというのが、まさに日本的発想って気がします。

誰かがあなたを認めない!と言ったとき、あーそう、って言えばいいだけなんですよ。そんなことで、あーだこーだやっているのは日本人だけです。バカバカしい。

■ 無数の善意

さて、誰のおかげかと言うと、そりゃ私自身のおかげですが、

その他は無数のみなさんのおかげ

です。小さな親切が一番ありがたいです。 見返りを求めない親切が一番大事な財産です。

それだけがピュアな心から発したものだから。自分もそうありたいと思っています。