■ クライマー理解
クライミング業界と言っても、色々なクライミングがあり、やっているクライミングが何かでスタイルがぜんぜん違う。価値観がちがう。
スポ根命!のスポーツクライミング業界から、社会の評価を気にせず、リスクを果敢に取っていくアルパインスタイルのピークハントであるニューアルピニズム、逆にヘリで下山も辞さない高所遠足の高所登山…、と色々あるわけだが…、日本のフリークライマーの世界観っていうのは、中でも特に分かりづらい、と思う。海外の人たちはあっけらかんと普通の人が普通に登っているが、日本では、何か…たぶん、命…を掛けないと、参加すらできない。
その分かりづらさというのは、健常人が、発達障害児を理解するのが難しいのと似ている。
「なんで、そう受け取るのかな?」
「その態度って、自分のためにならないよね」ってのが多い。
■ 回避性愛着障害
最近は、いわゆる外岩クライマーという人種が、両貨性を持ち、基本的に回避性愛着障害ぽい行動原理で動いていることに気が付いた。
これを読んで、”あー、いるいる”と思う人は多いであろう。一般社会より、そのような人の濃度が高いということで、みんながこれだと言っているわけではない。
■ 岩場に俺たちだけでひっそり遊んでいたい=社会的引きこもり
つまり、そういうことだったのだろう…と、ロクスノの小鹿野の記事から、逆読みできる。
この、タダで登らせろ、オレの(私の)意見を非公式なラインで聞け!の言うのは、基本的に、紛争の外の人にとって、全く理解できない。ロジックとしても成り立っていない。
ので、大体の人は面食らうだけだ。両親が喧嘩している姿を見た子供は面食らう。そして、自分に原因がない夫婦喧嘩でも、自分のせいではないかと思う。それが子供の反応だが、大人になればちがう。大体あれを見て論理的に決裂しているのはどちらか、明らかにならない人は知性的におかしいと思う。
が、大体のクライマー業界入りたての20代、30代は、なんで、クライマー業界で有名で尊敬されている人たちが、こんな理不尽な主張をしているのか、分からない。私も分からなかった。
しかし、どっちかについて、睨まれるのも、社会的自殺となるのは避けたい。
結局、我関せず、がベストチョイスとなる。
心理学の本には、なぜ、オレがオレが、の態度になってしまうのか?の解説がでている。
要するに、親に受容されてこなかった人たち、なのである。従って、大人であっても、心の中は子供のまま、なので、支援活動をする人が必要になる。
そこで、どういう態度で、そういう内面性を持った人たちと接していけば良いのか?という講座に出た。
■ 引きこもり支援
ってやつ。引きこもっている子供をクライマーに見立てると道理が通る。(のが驚き)
変な論理をかざす人は、基本的に子供時代に、親に共感的に接してもらったことがない。そのために、拗ねている、というのが、引きこもりだ。
ゲームに引きこもる。自室に引きこもる。自分だけの世界に入る活動であれば、全部引きこもりだ。
大人になれば、酒、女、ギャンブル…が加わり、現実逃避するが、クライマーの場合、ここにクライミングが来る。
健全な社会性を身につける機会がないまま、互いに引きこもり同士の同質性の中で、偏った意見が同意され、醸造されていく…=日本の岩場の歴史。
たぶん、初期の開拓者が、開拓許可を取らなかったのは、めんどくさい以上に、もともと社会性が欠如しているので、単に、お役所の人が怖かった、とか、そんな理由だろう…。
クライマーで、例えば商社マンで世界を飛んで回っていますとか、銀行マンでカスタマーサポート得意、とかいうペルソナは、伝統的ペルソナではない…。
どっちかというと、黙々と岩に取り組み、「オレには岩しかないんだ…」みたいなキャラのほうが伝統的だ。あるいは、岩登りしか得意がなく「オレ輝いてるぜ!」みたいな陽性キャラ。陰性にでても陽性にでても、掛けすぎ、というのがある。社会は、クライミングにそこまで価値を見出していないのだ。
つまり、のぼれるってだけでは、”そこのけそこのけ、おいらが通る”には、ならないってこと。言われてみたら簡単なことだが、なぜかクライマーは気が付かない人が多いんだよな。
そういう人たちが、アクセス問題という現実、に向き合っていくのには、カウンセラー並みの心理的テクニックが必要だろう。
大事な点は、
1)共感的コミュニケーションをする ←これが難しい
2)本人の意思を引き出す
まとめると単純だが、これ、実際にやると難しい…。
例えば、日向神の開拓者の山○さんが、木工ボンドでボルトを固めた理由を聞いたら…「ちょっと試してみたかったから」だそうだった…んだが、私の反応は、何も発言しなかったが、「ばっかじゃないの!」という空気は伝達していたであろう…
これはNGな態度なのである。 こんな非常識な行動に対しても、そうだね、試して見たかったよね、という態度が必要というのが講習会の指導内容だった。
これを空気で、伝導しないようにできるのがプロ。こうしたテクを身につける講座だった。
一般社会でも、はぁ?みたいな事柄は多い。しかし、クライミング業界は、更に輪をかけて多い…。 呆れてモノも言えん、的な…。
しかし、どんな親切な人が、社会的引きこもり状態の岩場問題をなんとかしてやろうと頑張ったところで…
例:井上大介さん、平山ユージさん、
両価的な人というのは、自分で自分の首を絞めることを行ってしまうというのは、前例が示している。
自縛しているのだ。オレという自我に。それを解いてやる仏や天使が必要ということなのだ。
それは甲府時代から感じていた。なんで私?とは思っていたが。
基本的に心理学的テクニックを身につける事によってしか、クライミング業界は救われることができないのではないだろうか…
クライマー業界の安楽椅子に座っている人の9割は、いわゆる愛着障害っぽい反応しかできない大人たちなのだから…。
愛着の問題だとすれば、根は深く、治癒は長い時間がかかる。大人では無理という意見もある。しかし、生きづらさを抱えた人たちであり、社会からの救済を待って、あのような意味不明の態度に出るということは言えるだろう。
つまり、彼らは支援してくれる対象ではなく、支援を必要としている、救いを求めている対象なのだろう…。