2023/04/03

日本人男性の被害妄想と自己誇大妄想は根深い

■ 優生思想を物知り顔で説教してくる人

が今日は、毎朝聞いている仏教説話のコメント欄でおり、めちゃ驚いた。

お釈迦様は、皆が知っているように、子供を捨て、王族の出自を捨てて、家出して、出家したんだが…、

子供を育てるという男親としての義務を放棄して、したいことをするのがいいんだ、お釈迦様だってそうしたんだから、という


 自分に都合の良い話
 

に解釈されていた。その上、根拠に持ち出したのが公共性。お釈迦様の説法は、多くの人を後々救ったんだから、少数の人が犠牲になるのはOKだと。

それは、間違った思想だと歴史が証明していますよねぇ?

その思想によって人類は、大量殺戮を行ってきた。

さらに、追い打ちをかけるように、子、ラーフラの立場の人(捨てられた側)への共感が足りないと指摘すると、

近視眼


だと…。どこまで日本人の男性はエラソーなのか?と思いました。

これら3つの発言の背後には、自分のほうが間違っているのかも?という発想は、微塵たりともない。

後で救われるから、と言って、その時、受けた傷がチャラになるわけではない。体の外傷が治ったからって、怪我をした事実が消えることがないのと同様。

罪もチャラにはならない。アングリマーラが罪を償ったのと同じく、誰の罪も償いがつきものだ。 それがお釈迦様の教えであり、因果応報だ。

■ お前が、なぜ私よりこの事例について語る上で、上だという前提なのだ?

子捨てに関しては、体験者である、つまり、父親に捨てられた子供である、私の言葉のほうが真実を語っており、経験したことがない人が、俺のほうがあっている!と主張する根拠は希薄だ。

当事者の立場にたったことがない人、親のスネを好きなよ-にかじって生きてきただろう、甘ちゃん男に、近視眼呼ばわりされるような筋合いではない。

しかも、推測に過ぎないが、私のほうが仏教の仏典すら、勉強している時間は、その当人と比べて長いと思われる。別に比べようとも、仏典(ダンマパダ等)を読んでいると、自慢しようとも思わないが。

■ 俺が被害者という前提

そもそも、この話は、語る際にスキルが必要な話だ。

上記の俺様族のような誤解を、日本人男性はし易い。

というのは、日本人男性は世界的に見て、男性として以前に、人としての自立を男だからを免罪符に、免罪されているからだ。その証拠に、料理と家事ができる男の数が圧倒的に欧米と比べて少ない。

男としての責務ではないですからね。食べて身ぎれいにするってのは、人間としての基本スキルで、性別は関係ない。

■ 子供をもつことが被害だと思っているとは…(汗)

さらに、子供を育てるということが、男性としての自由を奪うものだ、俺は子供を持つことの被害者だ、という無意識の前提がある。

結婚についても同様。俺は妻に騙された、と思っている男性は多い。

いいですか?子供を作るか、作らないか?は、男性の意思決定でもあるんですよ。

セックスしないと子種は仕込まれません。そんなのは小学校で学ぶことです。

したかったのは、お前だろ?です。特に若い頃、女性でセックスしたがり、の人なんていません。

大体、大学では、女性はハメられてやられている事実が証明しているではないですか?

私はアメリカにいる頃は、妊娠だけは避けたいと思って、念のため、ピルを飲んでいました。男性もセックスだけして子供がほしくないんだったら、子種が無いような薬でも飲んだらいいんじゃないですか?

そういうものが普及しないのは、子供ができても男性は免罪され、責任を取らずに済むからです。

男性が責任を取らずに済むのは、産む性の母親は情が厚く、産ませる側の男性は、どうせ俺が捨てても子供は育つんだよね、とちゃっかり便乗しているからです。 

お釈迦様が犯した過ちはこれです。いくらお釈迦様が、後で偉くなったところで、親無しで育って子供の悲しみが、その事実だけで、プラマイゼロになることはありません。

仮にその経験が良い経験だったと言えるようになったとしても、それは子の努力の結果であって、お釈迦様が犯した罪の正当化にはなりません。

■ 最悪なのは、扶養者がいないまま命がスタートしてしまうこと

自己責任で行ったことを途中で責任放棄するような親に生まれてしまった子供は大変です。

趣味でしかない山登りで、アホみたいな事故で、コロッと死んで、身重の妻に子供を残す男性とか最低です。

解説者は、お釈迦様は、この子捨ての罪に関して、どのような反省をし、どのような償いを行ったのか?もっと詳しく解説してもらいたいものです。

■ そもそも、欲を捨てろという話ですよ?

そもそも、四門出遊は、子を捨てたことにポイントがあるのではなく、

 女性のあられもない姿に幻滅して、性欲を捨てた、

って話です。

 死に直面して、自分も死ぬのだと理解した

がその次です。 さらにいえば、病気の人を見て、

 自分も病気になって死ぬんだな

とか。すべて、根拠のない万能感を是正するもの です。

そういうポイントをきちんと習得せず、

お釈迦様だって子供捨てたんだぜ-、だったら俺も、ちょっとくらい間違ってもいいよねー、だって人間なんだからー 

というのでは、単なる我田引水で、お釈迦様の法話の悪用です。

それこそ、相手の立場に身をおくことで、生病老死を理解する、というこの法話の根本の肝心のところを捉えそこねているだけではなく、この説法の狙いとは、全く正反対の解釈をしています。

このような感想を引き出すような説法では、説法士、失格ですね。 

無責任男に自信を与えてどうするんですかね?