2023/04/05

ロープが重いのは誰のせい?

■ ビタミンB50効果

栄養が充足されたので、正常な思考回路が回復したらしく、睡眠が取れれば、取れるほど、

”ああ、そういうことだったのか…”

と理解できたりしている。

ロープが重いのは自分のせいだということに気がつくのに10年もかかったんだなぁ…あの先輩…ということが、今朝、わかった。

■ クレイジージャムを私の新品のロープで登った先輩のこと

クライマーは、自分のロープで自分の登りたいところを登るもんだ、という教育を受け、さっそくロープを買いたい、となったわけだが、甲府の石井などは全国最下位に売上が落ち込んでいたし、エルクに行ってもスポーツクライミング用の11ミリとかしか店の人が分かっていないというので、わざわざ、メジロのカラファテまで行ってロープを買った。

初めて会う中根穂高さんは、その時は、ただの店員さんとしか思っていないわけだが、すごく話しやすく4時間はおしゃべりして、色々もの…ロープクランプとか…を見繕ってもらい、彼の薦めで、ロープは、ダブルでも使える軽量シングルを買った。

その話題をしたら、会の先輩が、一緒に小川山レイバックに行かないかと誘ってくれたので、これはわたりに船とでかけたのだが、不思議だったのが、私の新品のロープを小川山レイバックで使わず、クレイジージャムで使ったこと。(ちなみに私はクレイジージャムは登っていない。つまりこの日、新品のロープを使った人は彼だけ…笑)

ま、全く初めてのクラックで、テーピングも知らなかったから、教えてくれた先輩のことを喜んで、そのときは、悪く思っていない。ただ不思議に思っていただけだった。

なんで自分のロープで登らないのかな?と。

今になって振り返ると、その人は、

(自分のカムの配置が下手くそで、ロープが岩と擦れてしまうような位置にカムをセットしてしまい、ロープがでなくなり登れなくなっている)

ということに気が付かず、

(ロープの直径が太いのが悪い)

と思っていたのだろう…(笑)。

だから、新人がロープを買ったので、これを使わせてもらいたいと思ったんだろうが、そのまま言うと、新人に大きな借りを作ってしまう。

それで、結局、「小川山レイバックに連れて行ってあげる」ということになったんだろう。

ちなみに、新人は誰でも最初は連れて行ってあげる、状態なので、別に恩を必要以上に着る必要はない。クライミングって、そうやって順送りに、先輩が後輩の面倒を見てきた世界だからだ。

さて、この人は、後日、龍頭泉のワイドを一緒に登った時、同様にカムの配置が悪くてロープが流れなくなったので、そのカムの様子を写真にとって、本人に分かるようにしたら、返事は「なんだよ」「なんでそんな事言うんだよ」だった。本人は、まだオンサイトできた♪と思って喜んでいたからだ。

別の人だが、いつも、カムの配置が悪いときに、リードしてくれた先輩にそれを告げると、

 「すいません」

という返事が返ってきており、それが普通の反応だとすでに学習済みだったので、”なんだよ!”って反応には、”ん?なんか、変な反応だな”とは思ったが、オンサイトして喜んでいるし、水を差すのも悪いので、ま、いっかと私もスルーしてしまったのだった。

今思えば、要するに、私と初期の相方がやっていた、易しいルートでロープの流れを学ぶというプロセスを彼はすっ飛ばしていたんだろう…(https://stps2snwmt.blogspot.com/2014/08/blog-post_14.html) 

■ 技術と理解をあげないまま、行くルートの難易度だけが上がる現象

このときのことを悔やんだのは、後で白亜スラブというマルチに行った時、ロープがアップされなかったから…。

本州の人は知らないだろうから、断っておくと、白亜スラブは、九州クライマーの憧れで、ここが登れたら、いっぱしのクライマー扱いされるという登竜門なのである。別に私はそんなところに行きたいと願ったことはこれっぽちもない。

ロープアップされないので、しかたなく、自己確保で上がったら、やっぱり岩角で、カムが設置してあり、そこにかけたら、ロープが流れなくなるのが当然という配置だった。

ので、やれやれ… と思ったのだった。

そのピッチだけが、私でもフリーで登れそうな箇所だったのに…。他の箇所は私がフリーで取り付けそうなところは、ないんだよなぁ、このルート…ってことだった。

その後、大堂海岸に行ったら、私が登る課題は無いエリアに連れて行かれ、またしても、私のロープバッグを持って、スタスタと彼は自分の登りたい課題の下に行ってしまった。

しかも、そこは私は、背が低いため、ビレイに行くだけでもお助け紐が要るような場所で、彼は一人で行ってしまったので、お助け紐を出す人がおらず、私はたどり着けない。

彼の狙いは、私のロープであったのであり、私はロープにもれなく、ついてくるおまけの厄介者、って扱いであったのであった…。私を排除して、私のロープだけをゲットするために練られた作戦だったわけであった。

このときは流石に文句をいった。新品のロープなんですから。普通は遠慮するものです。なんと文句を言ったら、じゃあお金払う、買い取る、と言ってきたのですが、その後買い取ったか?買い取っていません(笑)。

結局、この経験で、一般的なクライマー(例、この人)は、ふたつのことをフリークライミング教育の中で教えられ損ねている、ということがわかった。

1)ロープは、クライマー本人が登るために選ぶこと

2)カムの配置が悪ければ、ロープが流れなくなり、登攀が継続不可能になること (ロープドラッグ)

■ ロープは自分用

クライミングロープは伸びがある。ダイナミックロープと言う。

体重が軽い人は、より伸びるロープを使っても、別に問題ない。が重たい人が、よく伸びるロープを使うと、低い位置で落ちれば、当然だが、グランドフォールし勝ちになる。

したがって、ロープの伸び率や直径は、体重との兼ね合いで決まる。私は軽いクライマーだし、下のビレイヤーが自分より、重たい人のことが9割というか、100%なので、バッツんビレイの可能性が高く、細い径のロープを使っている。

■ ロープドラッグ

どんなにインドアでリードが上手でも、ロープドラッグについては学んでいないことが多い。

彼ではないが、インドア出身のクライマーを外岩に案内したら、ぜんぜん長ぬんを使わないので、ロープが流れなくなったが、それでも、彼は成功した登り(オンサイト)だと思っていたようだ。

私の上記の先輩も、自分が登った登りのカムの配置を吟味して、自分の登り方が良かったかどうか?と自己評価する、というのはやっていなかったのだろう… 

  教訓:クラックのカム回収は、本人がすべし

ロープドラッグによって、リード困難になる、というのは、別に難しいクライミングに行かなくても、初級のルートで起こる。

グランドアップ課題というのは、直上であることが少ない。そりゃそうですよね、岩の弱点を探して作ってあるのですから。 

例えば、太刀岡左岸稜などの入門ルートでも、全然ロープが動かなくなってしまったりする。そのため、ダブルのロープで屈曲をかわしつつ、確保したり、あるいは長ぬんで伸ばしたり、の工夫が要る。

こういうのは、簡単な沢登りですらも学べることだ。

■グレード主義の弊害

一般に、グレードで実力を誇示したい人は、入門ルートは飛ばして、最初から、高い難易度の、フリークライミングのルートとして整備されたところに行く。例としては、屋根岩2峰みたいな。

そういうところは、シングルロープしか持っていないフリークライミングのクライマーが行くことを前提にしているので、大体ルートが素直に作られている。

ある時、別の先輩が、7ミリのダブルで登ってくれたのだが、1ピン目を別々のクイックドローにかけず、ツインでやるように、同じドローにかけたら、それがたまたま写真に写ってしまい、それを見た、師匠が、「これは間違っているよ」と教えてくれた。

そうやって、人は、間違いつつ、学んで行くものだ。ちなみに、このときの人にこれを告げたら、ありがとう、という話だった。

だから、私は、いつでも、安心して、ありがとう、と言われることを期待して間違いを指摘してきたんだが…。

結局、白亜スラブのような登攀になってしまっても、登った本人は、あの内容でも、すごい自信になってしまっていた。

どんな内容?と気になる人はこちらへ…当時の記録

■ スタイル不在のフリークライミング

わたしの目には明らかに、”失敗”と映る登攀が、その先輩だけでなく、一般的な他の若い男性にとっても、”成功” と感じられるらしい、ということは、

・矢筈岳で支点ビレイされながら、エイドで5.10cを2時間半かけて登った人も全然それを意に介していないようだったし、

日向神で5.12を登らせてあげたインドア出身クライマーも、登れたという感想のようだったし、

3例とも、登れていないものを登れたと思ってしまうのは、どういう理由なのだろうか?

と、ミステリー小説の謎を解くような疑問が、私の頭の中に湧いてしまい、ずっとそれを探究する羽目になった。

結論としては

 1)スタイル教育の不在 (モラルハザード)

  2)男性特有の万能感 (愛着障害)

の2つが原因のようだ。 

アルパインのクライマーでも、スタイルについては、教え損ねられており、九州では、未だに、残置を使ったエイドでの登攀が完登とされ、疑問視されないで済むようだし、残置を使うことに対してのモラルも崩壊している。

ロープの流れを気にしないといけないようなルート自体の経験値が、フリークライミングのショートと、インドアジムを行き来しているだけでは、経験値を積めない。

経験はないのに、グレードはインドアジムで上がっていくから、外岩で登るときには、

 こんな簡単な岩場、俺が登る課題はこの岩場にはねぇ

と思ってしまう。

■ 心理学 愛着障害

一方、愛着の方は

愛着障害

ということを学んで、そうか、根拠のない自信、自己万能感、が、まだ覆されたことがないのがその理由か…とわかった。

平たく言えば、

 挫折をまだ経験したことがなく、

 自分にも、その辺のクライマーと同じく、死や病がいずれ訪れる

ということが分かっていないってことだ。

別に、人と比べろ、って話ではない。ましてや、自己肯定感を低くしろ、って話でもない。

誰でも小さい頃は、自分を中心に宇宙が回っているものだが、大体、思春期くらいで、あれ?お母さんは僕のことを世界一かわいい、って言ってくれるけど、◎◎くんのほうがモテるじゃないか?変だな…とか思うわけである。それが起こらないと、永遠に自信満タンである。

甲府のときも、ジムで、腹の肉のたるんだおじさんを、まぁ気の毒に…と思ってみていたら、そのおじさんは、女性から熱い眼差しを得たと勘違いしたらしく、いきなり、うりゃーと登り始めたんだよなぁ…。違うってば。

■ 親は盲目

振り返れば、私の母も、私のことを世紀の大天才だと思っていたらしく、あれもこれも…と要求が際限なかったよなぁ。

子供の方では、たかだか地方都市の熊本高校くらいで…つまり、各中学からのトップ1,2名の成績優良者が集まった程度のレベルで、”あれ?自分はこの集団では最後尾だな”、と分かるわけである。断っておくが、クライミングでも別に私はすごいクライマーではない。なりたいとも、全く思わない。 

親の目っていうのは、比較優位という視点がない、ということ。

親は、何があっても絶対に自分の子供が大好きなのである。世界一、と思っているものだ。

それは、子育てしていれば、自分の友人が親になって、「うちの息子、1ヶ月留学させたらペラペラになって帰ってきたの!天才かもしれない」と浮足立っている様子を見たりして、”やれやれ、親ばかも、大変だな”、と思ったりするわけだ。そういう場合は、友人の立場としては、早急に、舞い上がった親の頭を冷やしてやるのが、子供にも親にとっても良い。

実際、そんな女性の友人がいたので、我が家で外国人の友人のニッキ-ちゃんを呼んで、ホームパーティをし、その子を主役にしてあげたんだが、全く話せなかったので、親としては、期待がしぼんだようだった。別に失望させようっていうのではなく、親の期待が際限なく膨らんだ子供は、追い詰められることになるので、予防しただけだ。これを期に更に発奮して英語学習に励んでくれれば良い。

昨今というか、ここ70年くらいは、家族システムが壊れ、社会からのサポートがなくなり、なかなか、周囲の大人が膨らんだ親のエゴに気がついてやることができない。

男性は、母親の愛情を自信の根拠にしているので、母親にご飯を作ってもらえるだけで、自己万能感が永遠に続いてしまう人もいる。

■ 行き過ぎると自分以外は、すべてバカの世界観になる

自分に自信があることは悪いことではないのだが、行き過ぎると、どんなことに対しても、「ったく、あいつは…」ということになる。

つまり、自己反省力が下がるのだ。

例えば、林道で正面衝突を避け安全に運転しようとすると、当然だが、運転は遅くなる。

それを「ああ、安全運転しているな」と受け取らずに、「なんだよ、下手くそ」と受け取ることになる。

自分はガンガン攻めるタイプだから、自分と同じ運転スタイルをしないと、下手くそだと思ってしまうわけだ。

クライミングも同様。迷ったらハードプッシュが適切な戦略として機能するのは、予備力が大きい、若い男性、の時期だけだ。

多様な素質ということに視野が回らず、どんどん自己肯定感が上がっていってしまっている途中のプロセスを目撃したが、上記の林道の運転のような、あんまり根拠があると思えないことにまで、俺のほうがすごいよな…と結論していそうだった。

日本の男性は、母子密着の世界の中で、母親を安全基地にして、世間という荒波と戦っている。

戦争で兵士が死ぬ時、口にしたのは、お母さん、という言葉が多かったというのは誰でも知っているだろう。

その事自体は悪いことではないが、成人して、ある程度、期間が経てば、自分自身の位置づけや人生への納得感、というのは、普通は、適正にできていくものだ。つまり、俺だってまだまだやれる、とは思わなくなるってこと。

この年齢で〇〇をスタートしても、ピオレドール賞は取れないな、とか。自分はこういう面が得意で強みだけれども、相手は◎◎の面がすごいな、とか。

自分という人間の落とし所がわかり、傲慢さが収まってくるというわけだ。これは、『TheGoodDoctor』で、辣腕イケメン外科医ニールの精神的成熟のプロセスを見ていると分かる。

世の中にはそういうふうに、円熟と言うか、成熟した大人のものの見方、を学ばないで、

 自分以外はすべてダメ、

という見方に納得を深めてしまう人もいる。

あるいは、自分の挫折を拠り所とできず、自分の娘や息子にリベンジ期待をかけてしまう人もいる。

■ 予言的未来の実現

そういう人は、大体、予言的未来を実現している。

例えば、こちらが親切にしたのに、なぜか怒り出し、あー面倒だった、と感想するとか…。

つまり、こちらの意図を汲む能力が低い。

事例。一度、ボルダーが気に入ったという人に、ボルダリング用の指トレグッズを貸したことがある。

というのは、誰でも分かるようにボルダーって、

 突破力のクライミング

だからである。

努力、ということをしたことがない彼にも、いよいよ地道な努力が必要になる時期が来たんだなぁ…としみじみときて、応援してあげようと思っただけだった。私はちょうど、膝の亜脱臼で当分は、指力より、全身運動、と思われたので、友人のよしみで、これを貸してあげよう、と気をきかせたわけだった。努力をするのは、コツコツの積み上げで、それは本当の自信につながる道だからだ。

しかし…こちらの意図は伝わらず、結局、ありがとうもなく、投げ返すように返却されたんだよなぁ… 

まぁ、督促しなければ、返却する気もなさそうだったから、取り戻しただけで、セーフで良かったんだが、貸していたロクスノはそのままだ。山の先輩からもらった大事なものだったのに。

なんで親切にして、相手から恨みを買うような事になったのか?と自分の行為を反省するために勉強したが、愛着と予言的未来(無意識の前提)を紐解けば、分かる。

大体、貸したものを返してもらうことくらい、ごく普通のことで、はーい、と言って返せばOKのはずだ、普通。逆なら、はーい、と言って、特に問題なく返ってくるものだ、普通。

それが起こらないところには、何らかの心理的問題…があるのである。

■ 避けるべし

まぁ、できれば、そのようなところには、そもそも近づかないことである。そこに気がつけなかったことが、今回は私の失敗だ。

女性のバージョンでは、うまいこと避けているのに、男性になると避けられなかったのは、私の弟の死への心残りのためである。投影が起きていたってことだ。

その予兆は、最初の小川山レイバックで、私の新品のロープで先輩がクレイジージャムをレッドポイントしたときからあった、ということに気がつくのに、なんと10年かかったって話でした。

業ですね。