■ いがみ合いの人々 = メタ認知が低い人びと
クライミングを始めた初心者の頃から、いつも思っているんだが、
メタ認知
というのが、ほとんどのクライマーに欠如している資質なのではないだろうか?
というのは、わたしが、かなり後発のクライマーで、クライミングの歴史を知らないせいで、蚊帳の外感があるせいだと思うが、
A)アルパインのクライマーはフリークライミングの人たちを、初登じゃない、と言って否定し
B)フリークライミングのクライマーは、アルパインの人たちを、下手くそだなぁ!なんで、こんな簡単なところでエイド出すの?
と思っている(らしいことが今回判明)。
そのどちらにも属さない、残されている道を行くと
第三の道: フリークライミングなのに、落ちれない(落ちたら死ぬ)でも、スイスイ登れるだけの力をつけて、オンサイトする
しか道がなくなる。
これを地で行っているのが、現代の(主に)2世エリートトップクライマーです。
しかし、23歳のクライマーでは、古いクライマーたちが何をめぐって言い争っているのか?わからなくて当然です。
私だってスタート43歳なので、全然分からなかったです。
■ すぐハングドッグに逃げるのは悪いスタイルですよ?
RP主体の現代のクライミングでは、インドア人工壁上がりの人は、指力のセーブのためにすぐ落ちて、ハングドッグします。
しかし、すぐ諦めて、墜落してハングドッグすることが悪いスタイルであることは、現代の一般クライマーは教わっていません。ので、ボルトにテンションしないでヨーヨースタイルで登る人をバカにしてしまいます。
ヨーヨースタイルのほうが優れたスタイルですよ?最悪はエイドです。
一方、紛らわしいですが、
ショックロードなしのテンションは安全対策、
です。ボルトがボロいルートでは、墜落はせず、テンションにとどめておきます。
しかし、若い人は、結局、どのルートが落ちれるルートなのかの情報の見極めが難しいため、岩場で誰かがハングドッグで問題解決している姿を見て、自分もその通りにする、という、
ものまね戦略
が命を守る解、になる。だから、人気が特定のルートに偏る。しかし、墜落&ハングドッグと、ボロボルト対策のためのテンション登り、は似ているけど、異なります。
ものまね戦略のおかげで、
ハングドッグ2時間みたいなクライマーが量産される
ことになる。
故・吉田さんは、執着心で登るクライミングスタイルを広めた人だが、別にハングドッグが長い人ではなかったです。
しかし、執着心のところだけが取り出されて、誤解され、現代では
ハングドッグが長い=執着心=良い行動
と誤解の上塗りが、現代の標準クライマーの標準的な行動になっている。
それを見た、もともとアルパインをやっていたクライマーたちは当然だが、そんな姿を好ましくは思わない。すぐハングドッグする=すぐ諦める、という、基本的に執着心と反対の行為だからだ。”お前、そんな簡単なところですぐ落ちるなよ!”が本音なのだから。
しかし、ジムクライマー出身の若者の側からすると、ルートファインディングを登る前に行うっていうのが無理!って話なのだ。なんせジムでは、赤いホールドを見て追いかけてください、って話なんですよ? 岩を見て、ムーブを想起するとか、自分が登れるか?登れないか?すら、ただの生岩を見ただけでは、分からず、グレードによって、予め、教えてもらうしか無い。
■ 日本のトップクライマーがたどる厳しい道
その時期を過ぎたか、あるいは、クライマー一世の親によってエリート教育を幼少から受けれた(クライミングは、非日常動作なので、幼い頃スタートするのが超有利です)クライマーは、第三の道の結果として
落ちれないルートをオンサイトで落とす
結果になるので、現代の日本人若手クライマーは、世界に突出して、すごい技術の持ち主ばかりだ。海外に行けば、あっという間にトップクライマーです。
中島渉さんの動画みましたか? いやマジ大変そうでしたよね?
しかも、そこまで行くのに、
A.幼少期から学ぶ、もしくは、
B. クライミングに人生をかける、
もしくは、両方ということが基本。
これでは、細い道すぎます。
■ 一般クライマーに同じことを求めるのは非現実的
問題は、これを、
日本の現代クライマー全員に適用しよう、というのは、現実的に無理!
ってことです。
第一に、”落ちても死なない”というのが、オーソドックスなフリークライミングのお約束です。(もちろん、RとXの符号付きを除く)
第二に、一般的なクライミンググレード(ムーブの能力)は、5.10代の人が25%で最多層です。
海外のアンケート調査が示していますが、そうでなくても、12登る人だって最初から12を登るはずがないです。誰もが5.10時代、5.11時代を過ごして、5.12になるのです。そこまで行く途中で死んでるって話なんです。
日本では、5.12は、登れて当然の中級グレードになってしまいましたが、それは、それくらい登れないと、日本の岩場では、ランナウトした10代が特に危険で、安全に登れないからです。岩場に行き始めると、誰でもそのことは分かるのにもかかわらず、トップロープだと馬鹿にされるので、結局、メンツに拘る人以外は、命と岩場では、誰が考えても、命のほうが大事なので、どんどん一般的な思考回路の人は、淘汰されることになるからです。けっか、メンツのほうが命より大事な人だけが残る。
他のクライマーから仲間とみなされるのに、人生と命をかけないといけないのでは、要求が高すぎます。
第三に、今人口が増えている一般市民クライマーは、 趣味の人たち、で、クライミングに人生を捧げている人、なんていません。もともと、肩こりにいいからボルダリング、始めました、みたいな人に命がけを求め、そうでなければクライマーじゃない!というのでは、求めるほうがが求めすぎなのは、日を見るより明らかでしょう。
そりゃ、命がけでクライミングしてきた往年のクライマーよりも、命をかけていない現代クライマーのほうが上手なのが、ムカつく、というのは、私にも理解できます。が、仕方ないでしょ。若くスタートしたほうがラクなんだから。
ウエアが高級なのがムカつく、とか言っても仕方ないです。
ということで、今の日本の岩場の現状は、
普通の能力の人にとって、無理ゲー
になっています。
■ 歴史的経緯を知る恩恵
それは、小川山育ちのわたしでも同じで、たとえば、ジョコンダって、腐ったハーケンが一ピン目でしたよね(笑)。
しかし、そこで、一緒に登っている人たちからは、「このハーケンは、このルートの歴史を示すためにそこにあるのだ」と聞かされるわけです。
そこで、そーっと、手で抜けるハーケンを、フレークの割れ目に戻しました(笑)。
腐食で膨らんで、かなり年季の入ったハーケンでしたが、別の岩場では、それくらい腐ったハーケンでも、”まぁ、とりあえず何もないよりはマシかもしれん”と思いながら、スリングをかけておいたことがありました。(注:ドローは使わない、タイオフ)
ということで、わたしのような、師匠に恵まれた幸運な人ではない、一般的にジムでクライミングを教わって、インドアのリード講習に出て、インドアリードがアウトドアリードと同じだと思っている人は、腐ったハーケンを全信頼してしまいます。そこにそのまま置いてある理由が、歴史的経緯を示すため、だとはわからないからです。
年輩のクライマーは、腐ったハーケンを置きっぱなしにしている理由は、”残置を信用するなよ”と若いクライマーに教えるためだ、ということが、若いクライマーには、全く伝わっていないことがわかりません。
彼らの時代は、クライミングというのは、”一流大学の若者” がやる活動で、そのへんの偏差値50みたいな人ではなかったからです。つまり、これくらい分かるはず、という基準が、高いのです。現代の一般の人は、もっと噛み砕いて説明してやらないと分からない人が主流です。それは同じ大学の後輩に対しても、です。全体にまんべんなく物事に対する理解力が下がっているのです。
ちなみに、私は天下の東工大(理系の東大)の院生を、蒼氷(名門山岳会)の先輩につけて、エリート教育をしてあげたことがありますが、蒼氷のエリートを付けても、その子は、一年後、だらりんビレイをしていました。人は教えられたように、ではなく、他の人がやっているように、やってしまう生き物なのです。蒼氷で教えられないんだから、誰だって教えられなくて当然です。東工大の知性でわからないんだから、それ以下の人は全部わからなくて当然です。
■ 山の世界も同じだった
山の世界でも同じで、百名山の山行脚が山登りだ!と思っている人は、山頂で「オタク、何個目?」とか聞いてしまいます。その人にとってはスタンプラリー競争が登山の全てで、他のスタイルがある、とは思いつくことができないからです。
聞かれた人は、”なんのことだろう…???”となってしまってしまいます。
本格的という形容詞がつく登山の方では、高所登山の人は、体力一点豪華主義で、読図もクライミングもてんでダメというか、登山技術として身につけなくてはいけない、とそもそも、思っていない。下手したら、雪崩の知識もないかもしれません。なんせ、チームに専門家がいて、その人が判断し、自分は登るだけだからです。
読図ができる沢屋さんたちは、今度はクライミングは下手くそなので、クライマーに異様に高い信頼を預けてしまい、中間支点がない崩落箇所でもクライマーならリードできる、と誤解していたりします。脆いところにいくらハーケンを打っても、打った岩ごと崩れ去るだけです。
ね?群盲像を評す、でしょう?
これら全部が、
メタ認知
の不足から来ている、というのが私の見立てです。群盲像を評す、ということになっている。
みな、一つのクライミング、という世界の話をしているのに、相手が見ている世界が分からず、自分が見ている世界がすべてだ、と思ってしまうということです。
今回の小鹿野の騒動も同じではないでしょうかね?
というのは、平山さんはジムオーナーなので現代クライマーの現状を見知って知っていると思いますが、古いクライマーたちというのは、自分の仲間内の狭い範囲でしか、クライマーと接しないからです。
この推測は、当然間違っている可能性もありますが、菊地さんや中根さん、あるいは、若手のガイドできちんとアルパインとフリーの両方が分かる人たちは、大体、自分たちと一般クライマーを区別して考えているのに、古いクライマーはそうでないような気がするからです。
■ 安全マージンは、個別です
現代の一般クライマーの安全マージンと 中島渉さんのような2世エリートクライマーが取れる安全マージンは、全く違います。
私は安全マージンが厚すぎると文句を言われたことがありますが、43歳でスタートした女性の安全マージンが厚いのは、理性的な合理的結論で、18才でスタートした男性と同じだったら、その人の知性を疑うべきです。
■ 典型的現代クライマー像
現代の一般クライマーは、最初の5年くらいは、5.11がインドアジムで登れるから、バットレス4尾根はオレ楽勝!と思うくらいのクライミングに対する低理解度です。
トラッドクライマーでも、最初の10年ほどは、カムの配置が悪いとロープが流れなくて登れなくなる、その程度のことが分からないくらいの低理解度です。
インドアリード出身だと、5.12が登れても、長ぬんで伸ばすとか知らないです。
これなど、昔のクライマーで5.12といえば、会を率いるエース級ということなので、そんな人が自分の首を絞めるクライミングをするなど想像すらできないでしょう。
さらにいえば、カムでとった中間支点による安全の確保は、身長によってちがう、 ということもわかりません。
遠いピンが身長の低い人にとっては、危険だ、ということが40年登っていても理解できないのは、セカンドを務める経験が、リーダークラスの人には、皆無だからです。盲点になっている。つまり、古いクライミング文化では、経験が限定的で、気がつくチャンスがなかった、ってことです。
今、挙げた事例は、山岳会で登っている重鎮と言われる人たちには、全く気がつくチャンスがないです。
こんな低い理解度で、今の若い人達は、クライミングしているんですよ?
■ オススメ 海外の登攀に行く
年輩のクライマーにとって、メタ認知をつける、オススメの一手が、海外へ行き、海外の外国人若手クライマーと登ること、です。
自分の会の若い人を引き連れて、登れるオレ、を見せつけるために海外に行っている場合ではありません。
海外の若者と登れば、日本の現代の若者や、山岳会の後輩に対する変な期待…オレが○○歳の頃は、これくらい登れたぞ…なんでお前が登れないの?がない、ので、
へぇ~、今の若者はこんなふうなんだー
と中立的視点で納得できます。
たとえば、私はアメリカ海兵隊の若者を日向神につれていきましたが、初夢は登れないそうでした。海兵隊の人なんだから、勇気がないとか、体力がない、ということが問題になっているわけではないですよね?
さて、どっちを向いても、やれやれ、という状況なのが日本のクライミング界ですが、そういう中にあって、ゆいつ安全なのが、開拓者として、山や人生を終わることです。
開拓者になれば、現在の開拓スタイルは、グランドアップではないので、ラッペルでぶら下がって、岩にご対面。…つまり、命はかけていない…のに、初登の栄誉は得られます。
ラッペルは、若い人にさせると危険ですが、熟練クライマーにとっては、全くリスクゼロです。
もちろん、開拓は、ブッシュの整理とか、苔落としとか大変ですし、ボルト代も負担がありますが(ちなみにやったことがあります)、年をとると時間もカネもあるので、問題は、そこではありません。
それを盾に開拓者への感謝を要求するのも変な話で、感謝されなきゃ、やらないっていうのなら、やらないで、岩場を次世代に残し、のんびり縁側でお茶でも飲んでいてくれてもいいわけです。
クライミングは、登る方も開拓も、あくまで、自分がしたいからやっていることでしょう。
問題は、国内では、大体、主要な岩場は、すでに開拓され尽くしていて、新たな岩場は、かなり僻地にある、ということです。
なので、フルタイムの仕事を持っていて、現役世代の忙しい人はやれない。しかし、リタイヤ後であれば、自由な時間は持て余すほどあるので、そういう時間が取れる。つまり、
世代間分業
が成り立ちます。としたら、定年退職後は、チャンス到来、です。終了点だけ打ちましょう。あるいは、開拓許可だけ取りましょう。
時間の問題は、自分がその僻地に住み込んでしまえばいいとも言えます。実際、故・吉田さんが取ったのは、その戦略です。
決して行ってはならないのは、地権者の許可なしの開拓。負の遺産になります。
お金があれば岩が付いている山ごと買い取るのがオススメ作戦です。
■ 僻地住み込み型開拓に、地域おこし協力隊制度を活用する
私が提案したいのは、これの若者バージョンです。
開拓ができるレベルに成長した、海外の適正グレードが理解出来、5.14のルートを5.15と間違って発表しないレベルのクライマー限定
ですが、当人が地域に住み込んで、開拓するとするならば、僻地にある岩場で、現代の基準に合わせたボルト強度と、グレード付与、そして、適正ボルトの岩場を作ることができます。
あるいは、そのような人を招く才覚がある人が地域おこし協力隊に就任する。たとえば、岐阜の岩場のように、です。小山田さんが開拓応援に行っていますよね。
平たく言えば、インドアジムでスタートした人が外岩デビューするにあたって、落ちれる岩場を作ることです。
もう変なメンツは捨てて、5.8で若者が落ちてもいいじゃないですか。5.8だからって何が何でもボルト2本じゃなくてもいいじゃないですか。たかだか、5.8のルートなんだから。
20mのルートだったら、適正ボルトは、グレードに関わらず、5~6本くらいでしょう。
なんせ、5.8とか、5.10代とか、今では雑魚みたいなグレードなんだから、大して貴重な課題でもないし、仮に、すごく面白い5.8なら(小川山の愛情物語とか、川上小唄みたいに)、「これは簡単だけど、上手になってからしか登れないよ」とトポに書いておけばいいことです。
つまり、どの5.8も同じ扱いにせず、課題によって、価値に差がある、という現実を認める、ということです。しょぼい5.8もあれば、素敵な5.8もあるのは、現実であり、仕方ないです。
開拓者にもいい開拓者とそうでない開拓者はいます。それはどこの世界でも同じです。
■ 現実逃避を辞めることが唯一の正解
こんなにインドアジムが増えて、ジム上がりのクライマーが量産されているのに、受け入れる側が古い価値観と古い現実認識のままでいるから、岩場では、重大事故になります。
かといって、現代クライマーの側に、おまえらもっと勉強しろ、と言ったところで、じっと座っているのすらできないような人(発達障害)が増えている現代なのですから、かなり無理な要求です。昔のように、優秀な人がクライミングに来ているわけではないのです。
岩場での死亡事故や重大事故を防ぐのは、すでに岩場でたんまり楽しんだ人に課された使命と思って諦めて、現実を受け入れるしかありません。
じゃないと、日本中アクセス問題で登れる場所がなくなります。自ら首を締めます。
岩場を公開しなければいい、という問題にしてしまおうというのは、それこそ、姑息です。
■ 自分の正義を押し付けない、相手の事情を推し量る
クライミングっていうのは、基本的に誰が何をしているか?でリスクの内容が変わります。
例えば、1例で、プリクリップをあげましょう。
同じところに立っても、背の低い人には、クリップできない位置に、ボルトがありますから、その人がプリクリップするのは、マイナスをゼロにする行為で、他の人と同じ安全を確保するだけのことです。プリクリップして、やっと平等。
おなじプリクリップでも、普通に手が届く人が、プリクリップしたら? それは、日和ってる。弱虫、チキンということでしょう。
プリクリップという一つの行為にしたって、どういう条件の元での行為か?その人の持っている身体条件からみて、その判断がどうなのか?を見ないと、
勇気がある・なし
ですら、正確に把握できません。
事例2です。
普通に考えて、20歳の若い男性が40kgの荷物を担いでいても、たぶん全然きつくないです。しかし、60代の女性が20kgの歩荷で、山小屋に食料を運んでいたら、すごいですよね?40kgを70代男性に担がせたら、いくら元アルパイン出身でも、虐待です。
そういうのがまったくなく、
全部ひとつのスケール=グレードで測るだけ、
という前提になっているのが、おかしいのです。
…というか、登っていたら、普通は、誰にとっての、どんな内容が本当に偉業なのか?ということは、分かるようになってくるものです。
分かるようになってこない=真面目にクライミングに取り組んでいない
んじゃないの?と邪推してしまいそうです…
■ 自分のこと
私は、43歳でスタートして、アイスクライミングは良き師匠を得て中級者、岩は3年でインスボンセカンド、ラオスと台湾は一人で出かけ、日本人パートナーではない外国人と組んでマルチまで登っています。
私は山岳総合センターで雪上確保から教わったので、アルパインの人たちにも受け入れられ、故・吉田さんのビレイヤーをしていたので、フリークライミングの人たちにも好意的に受け止められ、そのお陰であり、これは、一般的ではない達成だとは思いますが、それを行うのに、
5.10代のスキルしかいらない
ということに若い人は気がつくべき、勇気をもらうべき、と思います。
■ ロープワーク講習会×海外
ムーブ習得より、大事なのは、リスク管理です。
ジムで5.12登れるより、先にロープワークを講習会への出席と独学で確実にするほうが、自由に外岩で登れる道は広がります。
海外で登る、という選択肢は、日本の外岩で登るにしても、ブレークスルーの道です。
日本の5.10台では、落ちれませんが、海外の6Aでは落ちても、ほとんどのケースで大丈夫です。もちろん、クライミングですから、100%安全ということはありませんが、ビレイヤーが悪いというリスクも加味して、ボルトがうたれた岩場もあります。(例:ラオス)
しかも、激安です。2週間8万円でお釣りがくるほどです。
親は孝行するもので、スネをかじる対象ではありません。同じことで山岳会というのは、貢献するために参加するもので、無料の登山学校代わりにするものではないです。
そんなチンケな手段にとらわれず、恐れず、海外に進みましょう。
ラオスでは一見の旅行者でも、講習を受けて登ることができます。そんなのを恐れてどうするんでしょう?
私が海外で一緒に登った方々、フランス、シンガポール、ドイツ、アメリカの人たちです
【参考】
当ブログのトップ人気記事です。現代九州クライミングの実情を知るのに、合わせてどうぞ。