■ 平山ユージさん、気の毒…
ロクスノ、買う価値ない、というので、見ていなかったのですが、ついに小鹿野の件、読みました。
全体的に、平山ユージさんは、”現状”を元に、”対策”の話をしているのに、古いクライマーの人たちは、
・金を出していないと登れないのか?
・自分の意見は聞いてもらえないのか?
と現状を踏まえた対策というより、
オレのことはどうなるの?
って内容が主体で、ガックシ…
現代的クライミングの問題点を解決しようという意欲、まったくなく、現代のジム出身のクライマーが岩場でグレード感が合わなくて困っていたりしても…、
・オレは困らないし…
・いや、むしろ古いボルトの岩場のほうが、安全に登る登り方(落ちないでテンションにしておく)を知っているだけに、俺らだけで登れて静かで快適だったなー、そのほうがいいよな-
って行間から溢れ出る感じでした…。
昔の人は、1億総競争社会だったので、行動原理が、嫉妬で、成功している人を見たら、足を引っ張るというのが、行動の基本にあるのかも知れません。
しかし、今の20代、30代って、すでに豊かな社会に生まれ、モノは十分あるし、クライミングも上手で、前の世代には不可能と言われた課題も、登ってしまって、その後すること無い。
ならば、生きる意味を求めて、分かち合い、シェアがいいのでは?とか、モノを所有しない生き方=ミニマリスト、とか言ってる…という価値観の人たち
vs
昔の”もっとくれ、もっとくれ”の人たち
とでは、そもそも、基本的に立っている土台がちがうのかもしれないね…と思います。
徹底的にオレが中心で疑問を持たず、オレが損をしない生き方を貫き、相手の事情を想像する=負け、という競争社会に生きている人が、昔の人は多いのではないでしょうか?
そんな感じに大人げない記事掲載でした。あれで良く恥ずかしくなく読めますね…
■ お礼がゼロだったカムの返却
というのは、わたしがあるガイドさんの講習に出た際に、カムが一つわたしの方のギアラックに入っていたんですよね。
それで返送してあげたら…なんとお礼もなし。そのカム、わたしが盗んだわけではなく、普通は、一緒に登ったら終わり際に、カムが混じっていないか、相互に確認するという作業を普通にするのが当然なのです。特にガイドならそうでしょう。
わたしの赤キャメは、その時の、そのクライミングでいなくなったので、わたしの赤キャメはその人のギアラックに入っていただろう…と思うのですが、確認と返却はなかったのです。まぁ名前は書いていなかったから、想像するだけですが。
かなり有名なガイドさんでしたので、まさか、お互いに内心分かっているカムの混同をそのままにして、私のカムは自分のラックにかけたまま、私から自分のカムは返却してもらう、それも送料も私持ちで…なんてことが起こるとは思っても見なかったのでした…
まぁ、ものすごく貧乏そうでしたので、仕方ないか、と思ったんですよね… もしかしたら、この手で何個もカムゲットしていたのかもしれないですね。
しかし、九州でも、ジムに2日しか行っていないのに月会費返却されないですし、クライミング業界は、やったもんがち、みたいな感じです。
一方、今でもFB友達の年下の男性クライマーがいますが、私は厳冬期の上高地に夫と出かけた時、すごいいいバイルを拾ったんですよね…
そしたら、偶然FBで、その彼のバイルだとわかったんです。宮崎ホイホイがついていたから。それで送ってあげたら、お菓子のお礼が来た。そりゃそうですよね。自分のものを返してくれたら、手間もかかるんだし、お礼するでしょう。
お礼のない年輩クライマーとお礼してくれる若いクライマー。どっちが人間として立派なんでしょうかね…?
そういう事を考えた機会でした。
■ クライマーとして有名でも、”人格”は、別もの
いつの時代からか、クライマー界は、怪我をした仲間をその辺に放置して、ほっとくのが当然という世界です。
大阪の岩場に行った時ですが、私は装備を持たずに行き、岩場を見るだけにしたのですが、(ビレイが疎かな人と組むのは嫌だったため)、その見学で、墜落が起き、怪我をして、一人電車で帰ることになったんです。
すると、なんと、その落ちた人と同じ会の人、ただその場に居合わせただけの見知らぬ他人の私に会の仲間を任せて自分は岩場に戻っていったんですよね…。
こんな仲間って仲間って言えるの?でもそれが、日本では状態化しているってことです。
そんな状況なので、今年マウンテンバイクの大会に出たときは、びっくりしましたよ。なんせパンク程度のことで、下界の車道を走っているだけの私をちゃんとフォローしてくれるんですよ? 怪我なく、問題なく、集合地点に戻れるか。しかし、考えてみたら、それが当然の大人同士の支え合いですし、大会主催者の責任感ですよね。
なので、どの時代のクライマー業界からなのか、私は歴史を知っているクライマーではないので、わかりませんが、古いクライマーって社会常識が欠如した人が多いです。
■ オレ、クライマーだから…という言い訳
菊地さんの『いかにして岩に…』というフリークライミングの本によれば、クライマーって、昔は、非社会適合者の集まりだったのだそうです。
それは、今でも、古いクライマ-は、慣行としてやっています。
アルパインにもフリーにもそういうタイプはいます。もう殆ど確信犯です。
谷川岳の最寄り駅、土合の駅で、どんちゃん騒ぎして、駅ビバークが禁止になったみたいに…です。どんちゃん騒ぎどころか、昔は、キセルするのが当然だったのだそうです。
多様性という話をする場合、たとえば、ゲイとかLGBTとかが海外では、社会的弱者、とみなされています。根拠なき差別を受けている、ということですね。
それが、日本ではなぜか、岩場を勝手に登るとか、犯罪する人が
”オレ、かわいそう”
と思っているんですよね…。それは、被害妄想ってやつでは…?
オレは弱者だから社会から多目に見てもらって当然だ、って感じで…。それは、子供が6人いるから、女性にヒモとして面倒見てもらうのが当然だと思うとか、奥さんが嫉妬深いから可愛そうなオレは、浮気してもいい、とか、こちらからしたら、理解不可能な論理でした。デブだから、歩荷、免除とか。
いや、犯罪者は多目に見たらダメで、ダメなことはダメだよ、と教え諭される対象でしょう。
いや、子供が6人いるのは自分のせいでしょう。
いや、奥さんがいくら嫉妬深くても、浮気は自分がしたいからするんでしょう。
いや、デブだったら、むしろ率先して歩荷して、痩せたほうが自分のためでしょう。
クライマーって思考回路時々おかしいですよね…その見本市みたいなロクスノ記事でした。
社会常識に照らし合わせて、一回、自分の言っていることが
単なるわがまま
でないかどうか確認して、頭冷やしたほうがいいですよ、重鎮扱いされている人たちは。
「大人になりきれない人の心理」より抜粋。 これか…(汗)。ゴミをポイ捨てするとか、うんこしてはいけないところにするとか、山に火を付けちゃうとか…
いくら登れてもしてはいけないし、オレの私物だった岩場が公開されたのが気に食わん、って行間からにじみ出ていましたが、岩場って地権者のものなんですよ?いつから初登者の私物になったんだ? そもそも、地権者の許可取っていないから、アクセス問題になっているのに、その尻拭いはしないで、してくれた人に文句言ってるよなぁ…
普通、小鹿野町の応援を取り付けたら、でかした!ユージ!ってなるでしょう。
なってない…。
クライミングの岩場がアクセス問題で、登攀禁止になった経緯をフリークライミング協会が出している冊子で読むと、
「そんなことしたら、登攀禁止になるの当然じゃん!!」
ってことがだいたい全体の9割みたいな感じです。うんこ紙に火を付けて、燃やしたら山が火事になっちゃったとか。迷惑駐車とか、吠えるのがキモいとか。
ボルトが古くて誰も登りに来ない(これない)岩場で、ベテランのオレらだけが静かに登れたのがよかったのに、邪魔すんなって感じでした。
■ 対策は教育
対策は、もう教育しか無いな、と思うのですが、
自己責任の法則
って、他人に適用するもので、自分に適用するものではないって解釈みたいなんですよね。古いクライマーって。
権利を主張するなら、義務もあるんですよ。
土地を持てば、固定資産税を払わねばならないでしょう。それは結構な額ですよ。そういう事がわからない人だけが、いつまでも成功者を妬むと思う。その場合、その人が成功できないのは、固定資産税の支払いを拒否っているからです(笑)。潜在意識的に言えば。
クライミングに置き換えると、初登した人のルート、そのままでいいから、グージョンに変更する費用は、その人もちですよね?
そこで人が死んだら、その人の死亡について、責任を持つのは、ボルトを設置した人ですよね?
権利を主張するなら、義務も果たしてください。人が死んだら賠償金を払ってください、ってなりますよ?
少なくとも日本の裁判所はそう判断しているみたいですよ。
若い人は、偉い人が言っていることだからと盲信せず、常識をもとに判断しましょう。