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2023/06/13

【心理学】発達障害から見る、クライマーとして自分のクライミングの良しあしを振り返れない若い人のこと

クライマーとして平均的であるのではないか?という男性クライマーと福岡に転居して以降は、登っていましたが…

謎だったのは、どう見ても失敗している、そこは自信をつけるところではなく反省するところだろ、っていうのが、どうも自信になっているってことです。

例えば、こちらの記録。

https://allnevery.blogspot.com/2019/03/blog-post.html

これは、リードしている人はどう見ても、まともなリードはできておらず、まぁ、及第点も行かない…。出直してきな~みたいな内容です。

しかし、これで男性は自己肯定感が上がりまくってしまうみたいなんですよね…

■ 母親の自己犠牲という溺愛が、過剰な自己肯定感の源泉

自己肯定感に過剰なんてあるのかなって気が私もしていましたが… やっぱり、ありますね。

頭が悪いのは、基本的にはハンデだと思いますが、ハンデをハンデと認識しないのは、”当人にとっては”幸せなことです。

それって、でも、自分の実力を客観的に見れないってことで、大きい視野でいえば、日本がアメリカに戦争を仕掛ける、みたいな、トンでも、と誰でもわかることが本人はわからないってことになります。

その”本人”に 国全体がなってしまったのが日本の戦争。

あれは、ある意味、女たちが、男たちを一方的に盛り上げ、担ぎ上げることで作り出してしまった心理的モンスターなのかもしれませんね…

母親が自信の源泉である男性の姿を総括すると、そういう男性を作り上げた母親たちがいます。

■ ADHD

今日はADHDの本を読みましたが、こういう自己肯定感が高いというより、自分の実力を客観視できず、等身大よりも自分のことをすごいと思っている男性クライマーって、ADHDの人が多いのかもしれません。


多動、高いところに上りたがる、危険を認知しない、など、クライマーにありがちな素質とADHD児特有の行動は重なることがあります。

■ なんで師匠が突然子供になったのか?

空港で、韓国人のラインに並んだりして、違うよ、と教えても強情はったりして、え?小学生?な振る舞いが理解できないことがあった師匠…ADHDだったんですよねぇ…

発達を勉強して、思春期あたりで自我発達がとまったんだなぁと分かるようになった。

この本はADHDを持つ親御さんには、必読の書です。ほんと目からうろこ。どういう手助けが必要なのか?どうすれば、相手がかみ砕ける程度に問題をかみ砕けるか?が分かります

ADHDは

1)注意力が持続しない

2)即応性がないとだめ

3)情報が多すぎると混乱する 例:もの

要するにワーキングメモリが小さいのです。10歳でも7歳の心理発達段階ってことです。

成人以降は、だれでも自分で心を発達させないと、発達は停止します。

サイコシンセシスという心理療法では、欲が沸いたとき、〇〇しなければならない、などの欲を制御する心の声は、親の声です。親の声が厳しすぎると?自己肯定感が低い人、自罰的な人、になる。ので、思春期までに親が寄り添うと、その子の心の声(脳内の親)は、肯定的になります。

ただ自己肯定的になりすぎて、失敗した登攀も、失敗だと認識できず、そのために反省もできない人が多いのがクライマーですが…それは、認知力の弱さ=ADHD特有の症状、ですね。

健常者でもADHD気味の人がクライマーは多いです。

■ 瞑想を追求中

瞑想のためにクライミングしていたんで、瞑想ができれば、別にクライミングは私には必要ではない…

で、脳内の親と真の自分、真我は、別のものです。見ている自分を見ている自分です。シンガのことをトランスパーソナルセルフと言ったりします。

私はASD受動型のお母さんに生まれたと思うので、私自身もASD気味ではあります。例えば、話し言葉より書き言葉が私は好きです。それは、話し言葉は、人との距離が近すぎるからです。

しかし、自分のASDより、より深刻な症状のお母さんに生まれてしまったので、どっちかというとケアラー側、スーパー優等生に育ちましたが、そうなると困るのが、内なる声(脳内の親)が厳しく、高いハードルを自分に課しがちなことです。フリーチャイルド自我が、十分、子供時代を過ごしていないんですね…

だから、親元を出るときは、これでやっとハンデなし!と思っていました。

私自身にケアラーが必要なのに、ずっとケアする側だったんで。

ので、遊ぶことは大事なことです。私がやりたいのは、遊びとして仕事するってことです。

登山では遊びとして、登山してかなり成功しました。

2023/04/24

クライマー支援=引きこもり支援

■ クライマー理解

クライミング業界と言っても、色々なクライミングがあり、やっているクライミングが何かでスタイルがぜんぜん違う。価値観がちがう。

スポ根命!のスポーツクライミング業界から、社会の評価を気にせず、リスクを果敢に取っていくアルパインスタイルのピークハントであるニューアルピニズム、逆にヘリで下山も辞さない高所遠足の高所登山…、と色々あるわけだが…、日本のフリークライマーの世界観っていうのは、中でも特に分かりづらい、と思う。海外の人たちはあっけらかんと普通の人が普通に登っているが、日本では、何か…たぶん、命…を掛けないと、参加すらできない。

その分かりづらさというのは、健常人が、発達障害児を理解するのが難しいのと似ている。

「なんで、そう受け取るのかな?」

「その態度って、自分のためにならないよね」ってのが多い。

■ 回避性愛着障害

最近は、いわゆる外岩クライマーという人種が、両貨性を持ち、基本的に回避性愛着障害ぽい行動原理で動いていることに気が付いた。

 

これを読んで、”あー、いるいる”と思う人は多いであろう。一般社会より、そのような人の濃度が高いということで、みんながこれだと言っているわけではない。

■ 岩場に俺たちだけでひっそり遊んでいたい=社会的引きこもり

つまり、そういうことだったのだろう…と、ロクスノの小鹿野の記事から、逆読みできる。

この、タダで登らせろ、オレの(私の)意見を非公式なラインで聞け!の言うのは、基本的に、紛争の外の人にとって、全く理解できない。ロジックとしても成り立っていない。

ので、大体の人は面食らうだけだ。両親が喧嘩している姿を見た子供は面食らう。そして、自分に原因がない夫婦喧嘩でも、自分のせいではないかと思う。それが子供の反応だが、大人になればちがう。大体あれを見て論理的に決裂しているのはどちらか、明らかにならない人は知性的におかしいと思う。

が、大体のクライマー業界入りたての20代、30代は、なんで、クライマー業界で有名で尊敬されている人たちが、こんな理不尽な主張をしているのか、分からない。私も分からなかった。

しかし、どっちかについて、睨まれるのも、社会的自殺となるのは避けたい。

結局、我関せず、がベストチョイスとなる。

心理学の本には、なぜ、オレがオレが、の態度になってしまうのか?の解説がでている。

要するに、親に受容されてこなかった人たち、なのである。

従って、大人であっても、心の中は子供のまま、なので、支援活動をする人が必要になる。

そこで、どういう態度で、そういう内面性を持った人たちと接していけば良いのか?という講座に出た。

■ 引きこもり支援

ってやつ。引きこもっている子供をクライマーに見立てると道理が通る。(のが驚き)

変な論理をかざす人は、基本的に子供時代に、親に共感的に接してもらったことがない。そのために、拗ねている、というのが、引きこもりだ。

ゲームに引きこもる。自室に引きこもる。自分だけの世界に入る活動であれば、全部引きこもりだ。

大人になれば、酒、女、ギャンブル…が加わり、現実逃避するが、クライマーの場合、ここにクライミングが来る。

健全な社会性を身につける機会がないまま、互いに引きこもり同士の同質性の中で、偏った意見が同意され、醸造されていく…=日本の岩場の歴史。

たぶん、初期の開拓者が、開拓許可を取らなかったのは、めんどくさい以上に、もともと社会性が欠如しているので、単に、お役所の人が怖かった、とか、そんな理由だろう…。

クライマーで、例えば商社マンで世界を飛んで回っていますとか、銀行マンでカスタマーサポート得意、とかいうペルソナは、伝統的ペルソナではない…。

どっちかというと、黙々と岩に取り組み、「オレには岩しかないんだ…」みたいなキャラのほうが伝統的だ。あるいは、岩登りしか得意がなく「オレ輝いてるぜ!」みたいな陽性キャラ。陰性にでても陽性にでても、掛けすぎ、というのがある。社会は、クライミングにそこまで価値を見出していないのだ。

つまり、のぼれるってだけでは、”そこのけそこのけ、おいらが通る”には、ならないってこと。言われてみたら簡単なことだが、なぜかクライマーは気が付かない人が多いんだよな。

そういう人たちが、アクセス問題という現実、に向き合っていくのには、カウンセラー並みの心理的テクニックが必要だろう。 

大事な点は、
 

 1)共感的コミュニケーションをする ←これが難しい
 2)本人の意思を引き出す 

まとめると単純だが、これ、実際にやると難しい…。

例えば、日向神の開拓者の山○さんが、木工ボンドでボルトを固めた理由を聞いたら…「ちょっと試してみたかったから」だそうだった…んだが、私の反応は、何も発言しなかったが、「ばっかじゃないの!」という空気は伝達していたであろう… 

これはNGな態度なのである。 こんな非常識な行動に対しても、そうだね、試して見たかったよね、という態度が必要というのが講習会の指導内容だった。

これを空気で、伝導しないようにできるのがプロ。こうしたテクを身につける講座だった。

一般社会でも、はぁ?みたいな事柄は多い。しかし、クライミング業界は、更に輪をかけて多い…。 呆れてモノも言えん、的な…。

しかし、どんな親切な人が、社会的引きこもり状態の岩場問題をなんとかしてやろうと頑張ったところで… 

 例:井上大介さん、平山ユージさん、

両価的な人というのは、自分で自分の首を絞めることを行ってしまうというのは、前例が示している。

自縛しているのだ。オレという自我に。それを解いてやる仏や天使が必要ということなのだ。

それは甲府時代から感じていた。なんで私?とは思っていたが。

基本的に心理学的テクニックを身につける事によってしか、クライミング業界は救われることができないのではないだろうか…

クライマー業界の安楽椅子に座っている人の9割は、いわゆる愛着障害っぽい反応しかできない大人たちなのだから…。

愛着の問題だとすれば、根は深く、治癒は長い時間がかかる。大人では無理という意見もある。しかし、生きづらさを抱えた人たちであり、社会からの救済を待って、あのような意味不明の態度に出るということは言えるだろう。

つまり、彼らは支援してくれる対象ではなく、支援を必要としている、救いを求めている対象なのだろう…。

2023/04/02

クライマーはだいたい回避性愛着障害

■ 人を利用可能性で見る人=クライマー

これは、岡田尊司先生の本からの引用だ。

あんまりにも、一般にクライマーに見られる行動原理と同じだったので、大体のクライマーは、回避性愛着障害の方々である、ということがわかった。

それだけクライマーの心の病理の底が深いということ。

■ クライマー幼年期

昨日は小鹿野の方のクライマーが、ローカルクライマーの会を引退して、おどろいた。が、そうだよなぁ、無理もない、と思った。

私だって、こんなクライミング界に貢献する、なんてバカバカしくてやってらんない。 

私はクライミングのデビューは、山岳総合センターで教わっているので、山岳会に入ったときには、すでに分かっていて、逆に教える側であり、教わる側であったことはない。

もちろん、教えてくれた先輩は、いたんだが…、私を山岳会に勧誘した責任を取るのは大変?だったみたいで、前穂北尾根に連れて行ってくれたが、そこが能力の限界で、北岳バットレスはもう新人に体験させてやるだけの能力はないと白状してきた。誤解がないように言っておくと、私が連れて行ってくれとおねだりしたことはない。むしろ、どちらかというと、私は細かいステップが好きなので、計画縮小させる側。

山梨時代も、クライマー業界はひどかった…。

ジムで5.11登れるから、バットレス四尾根に行ける!というクライマーが基本的に、私の障壁だった…。

山梨時代は、まだクライマー幼年期であり、大人の庇護…母親と同じ機能をして、私を殺しそうな若い男性クライマーから守ってくれる機能…愛着…が必要だった。

そのため、母親、庇護者としての機能を求めて、山岳会を尋ね回ったんだが… どこの山岳会も、私を守るだけの能力がないことが判明して、1年半程度で諦めた。そのころ、師匠の青木さんと組むことになったのだった…。彼は、足を怪我しているところだったので、あっちもすごいルートは登れないので、まぁ、お互いに都合が良かった。

毎回、九州男児、をこき下ろしている私だが、考えてみれば、同じことが九州でも起きたに過ぎない。

が、九州では輪をかけて、山岳会が、新人である私を守ってくれるというよりも、山岳会が私を殺しそうであった。 

ムーブ、フランベ、あそ望、福岡山の会、想山会、星と焚き火。どれも腐っても鯛ではなく、ただの腐った鯛で、ダメ山岳会であった。

断っておくが名前を上げておくのは、後進の人が同じ目に合わないためであり、相手を貶める目的ではない。

山梨ではすくなくとも、私を殺そうとしているのは、山岳会ではなく、大体、

 新人男性

だった。それは誰だって理解ができる。こちらでは、山岳会が一番危ない。

九州で起こった、”守ってくれるはずのものが私の生命を脅かす”という現象は、親が子供である私を守ってくれる存在というよりも、そもそも、親が私の安全を脅かしている存在だった青春期と同じ感覚だった。

その後、なんだかそっくりの鬱になった。んだが、過去の傷のぶり返しなのだろうか?

その同じ感覚が蘇ったことで、めっちゃメンタルにダメージくらったが…、結局、栄養改善やら、危険要因となっているクライマーを排除して、一人になり、冷静に戻って、じっくり振り返って思考する、というメタ認知活動、メンタリングというそうだが…をしてみたら、結局、

 それくらいクライミング業界全体がしょぼい、

というだけのことだ、と結論。若い頃、親に下した判定と同じだ。

若い頃のそれは、巣立ちを意味していた。

日本のクライミング界がしょぼいのであって、私が変なのではない、という判断の根拠は、私は台湾やラオスで別に、日本人パートナーなど一人も必要とせず、ふつーに国際感覚で、アメリカ人やヨーロッパ人のみんなと一緒に登って、そっちのクライミングでは、別にごまめでもなんでもなく、問題がなく登れているからだ。

もし国際クライミングがなければ、私は自分が悪いのだろうか?と思い続けることになっただろう…。

若い頃、私が熊本高校へ進むくらいの知性が早めに発達した子供でなければ、まったく自分を責めてしまって、親子4人もろとも、転落し、後々私が得た、社会的な成功は得られなかっただろう…

…というので、感謝すべきは、日本のクライミング界ではなく、一緒に登ってくれた海外のクライマーたちであり、向かうべきは、日本のクライミング業界の世直し、ではなく、海外のクライミングなのではないだろうか?

というのは、私は、かつて、外大に感謝し、外大図書館に感謝し、元手ゼロ円で海外に出たチャンスに感謝して、アメリカ生活をエンジョイし、まったく自分が貧困家庭の出自だということは意に介さず、日本を代表するメーカーである松下のロボット事業部に職を得、外資を点々とした後は、さらにはみんなの憧れNO1の三井物産にまで席を得て、

 わらしべ長者とは私のことね!

とすら、思っていたからだ。

それら全部捨てて夫に従って山梨に言ってあげたんだが(笑)、その結果が、ジムで5.11登れるから北岳バットレス男に付き合って、北岳で転落死、であれば、アホ丸出しだが、結果は、良好で、吉田さんとも登ったし、ラオスや台湾にもいけた。

福岡では、同じように夫に合わせて来ているだけだが、環境が悪い、というには、度を超えている。怪我をしたのに2日も医者にかかれず、連れ回されるとか、別にベテランクライマーでなくても、一般常識さえあれば、起こらない。

なので、これは、クライミング業界という括りではなく、

 九州男児

という括りで起こっている病理なのだ。 九州では男性は女性を利用する対象と思っている。

■ わらしべ長者

若い頃、厳しい環境で育った出自は、むしろチャンスをもたらすための前提条件であり、必要な条件だった。

くべてもくべても燃えない湿気った薪みたいな、日本のクライミング界…あるいは男性社会…に見切りをつけるのは、まったく正しいことのように思えるが…

内藤さんたちは頑張っているが、何か違う景色が見えているのだろうか?

そこんとこは、かなり謎である。

小鹿野が見ている景色はなんとなく想像がつくんだが…