やっぱり、目が冷めてしまった…。が、腫れてはいない。
どうも、靴底が一枚取れ、段差が変わるたびに、力がかかる方向が代わり、そのたびに足首が腫れる、という法則にあるらしいです。腫れる=痛み。
理学療法士の先生のおかげで、拘縮は免れ、なんと、31日から、先生たちには秘密だが、家の中では装具を外して、全荷重しているが、まぁ、小股で、よちよち歩きだが、なんとか歩ける。
以下、アキレス腱断裂の経過のまとめ。
2月26日 11時 受傷 当日RICE 受診 診断 歩いて受診
2月27日 南川整形受診
2月28日 入院
3月1日 手術
3月2日 リハビリ1日目 車いす
3月5日 松葉杖開始
3月 7日 抜糸 退院
3月8日 サボって受診せず 家で休憩
3月9日 リハビリ用整形外科でリハビリ開始 早くこい!と怒られる 装具開始 18kg
3月15日 装具一枚目 外す 角度がおかしく歩きにくい 装具やさんに問い合わせるが要領を得ない返事 20Kg 片松葉杖になる
3月 21日 装具2枚め 外す いよいよ歩きにくく、これはおかしいとなる 全荷重できるがしないよう進められる
3月 23日 装具を調整して歩きやすくなる 足の角度が代わり、腫れる。
3月28日 3枚目 外す また腫れる 痛み止め湿布をもらう
3月31日 腫れも引く 松葉杖なしでも歩ける
■ 症例14では…
南川整形外科は、アキレス腱専門ではないので、術式も古典的で(つまり低侵襲ではないということ)まぁしっかり縫ってくれたからいいんだが…、装具やさんも、装具についてあまり詳しくなく、質問しても的を得ず、理学療法士の質としても、若い人が多いので致し方ないが…みたいな感じ。
先生、この装具どっちから外すの?って聞いてたからなぁ…。それだけ、あんまり事例が溜まっていないってことだと思う。
というので、主治医の先生も、リハビリは、他院の先生に依頼して、人任せだし、理学療法士の先生も、別に足首に詳しいわけではないので、症例が載っている医学論文を持っていったりした。
まぁ、とりあえず、理学療法士としては、初期の拘縮さえ防げば、◎ということだと思う。
■ 装具が悪い
つま先立ちの角度を維持し、アキレス腱の癒着を促進するというのが装具の目的なんだが、なんか底板を外すたびに、地面の衝撃がダイレクトに足に伝わるようになり、インソールがないので、足が不自然に痛い。
これは、装具やさんがインソールを入れ忘れているということなのではないか、と思ったんだが、どうなんだろうか(笑)。
これで、歩けば、健常者だって痛いぞ?みたいな感じなんですよね。
■ 濃厚だった
この1ヶ月は濃密だった。特に最初の10日。入院生活がものすごく勉強になった。
日本人女性の栄養状態がこんなに悪いとは…そして牛乳パラドックスが知られていない。
おばあちゃんたちは食べることを拒み、栄養を拒み、認知症になって、そして、骨がポロポロと折れて、痛い痛いと泣き叫びながら亡くなっていっている。
男性はメタボに、女性はフレイルになる、というのが、基本的な、この生きた心地のない半死んだような状態の生き地獄への片道切符ということのようだ。
これを見たら誰だってスイッチが入る。
■ 色々な出会い
思えば色々な出会いがあった。
西島さん、理学療法士の先生、認知症のおばあちゃんたち、ワタミの宅食のおじさん、無料の野球チケットをくれたおじさん…
西島さんは、かなり印象に残った。私は、妹のかこちゃんにそっくりなそうだったのだ。それで親切にしたかったが、どうしたら良かったのだろうか?と今でも考える。
アキレス腱リハビリは、どうも主治医の先生も無知らしく、かと言って理学療法士の先生も、自分の経験には限界があるのだし、というのでたらい回しの憂き目にあっているが、私が主体的なタイプなので、特に問題なく過ごせており、理学療法士の先生が自信がなさそうなのが、あまり問題にはなっていない。私で事例研究して、良い自信を付けてくれたらいいなぁと思う。
装具やさんは、ほんとに頼りなかった…情報も間違っていた。
それから、大井幸子さん…。いや~怪我にならなかったら、資産をリバランスしようとは思わなかっただろうが、暇ができたからこその活動だった。
昨日はビタミンD合成タイムに、大井さんの『魂の求める仕事をしよう―ニューヨーク発・よいキャリアの築き方』を読んだ。
前に、大学のクラスメートで鬱になって引きこもった友達が、映画のワーキングガールを見て、あんなふうな成功を夢見ていた、と話してくれ、驚いたのを覚えているが、地で行った人がいる、という事実に驚いてしまった。
私自身もアメリカで、どういう生き方がしたかったのか?というと、帰国間際、デイビッドに泣かれたときは、親戚のおじさんに自分の借金…育英奨学金…を押し付けるのはダメだ、ということ以外はわからなかったのだった。
大井さんは、アメリカエリート社会で戦ってきた人だが、本人は、至って自然体で、素晴らしい方だった。
物事をきちんと説明する能力だけで、その人の知性は示されるということなのだ。
だとすると、私が磨くべき能力は、やさしく解説する力だが、クライミング、もうこれ以上易しく解説しようがないくらい易しく解説しているつもりだがな。
■ 生活を変える
退院直後は生活を変えるぞ!と意気込んでいた私だが、パソコン中心の生活からは足はまだ洗えていない。
すでに、リハビリにも飽きつつあり(なんていっても楽勝すぎて)、リハビリのためのリハビリとか、やる気になれないでいる。
買い物に行って、リハビリになってちょうどよかった、というのが今の現状で、これだと、何も生活を変えたことにならない。
■ 食事
食事なんて、手作りしたところで、決して栄養価が100の食生活を送れるということはないのだ、ということに観念した…
ワタミでランチの分だけ宅食を摂っているが、5食で3000円。ご飯はついてこない。これでぜんぜん、気持ち的に楽になり、一日の大半を締めていた労働から開放された。
現代力からサプリを除去するなんて、土台無理だということだ。現代の野菜から農薬を抜いたとしても、栄養価も昔の野菜の3分の1だし、ミネラルは更に低い。
私の調理、にぶら下がる人材がいると こうした割り切りができなかったようだ…。
どれだけ強く、家族の食事を作るという任務に私が縛られていたか?ということだと思う。
■ 次はルルベ(ヒールレイズ)生活
この症例研究によると、私はもう全荷重できるので、 6週目からヒールレイズをすることになる。(これはバレエのルルベという)
https://www.rinspo.jp/journal/2010/files/25-2/215-222.pdf
いかににバレエが体に良い生活だったか、ということを感じる。バレエをしている頃は都会で暮らしていたこともあるが、地下鉄ではルルベ、していた。
別にアキレス腱を鍛えようとしていたわけではなく、ルルベを習得しようとしていただけだが、それが本当に良いエクササイズになっていたというわけなのだった。
またバレエのバーレッスンの習慣を復活しなくては。 バレエは万能ではなく体は偏る。ヨガも万能ではなく、必ず体が偏る。クライミングも万能ではなく、体が必ず偏る。水泳もそうだ。
結局のところ、体を使っていく中で偏らないということがかなり難しい。が、そうした偏りは、自分自身で自覚的になって、自分で矯正していくしか無い。
さて・・・腹筋でもするか。