水泳では、前重心なんですよ。それを理解したとき、一気に上達。
ちなみにバレエも前バランス。ステップをすぐ出せるように、だ。
元々、胃が開きがちであるという課題を抱えているのだが、たぶん、大事なのは、胃を締める、と意識することではなく、胃が開く問題は、結果であって、原因ではない、ということではないだろうか?
今後、自分の体がどう変化するのか? 51歳からの水泳… 背中の痛みは、肩甲骨を久しぶりに使っている成長痛なのか?
■ ムラトグルーさんLove
最近、やっと足が治って、テニス再開。
しかし、指導者が…。
なので、自分で探して、なんと~すごい人発見。
ムラトグルーさん。 https://www.mouratoglou.com/
日本人との最大の違いは
テニスを楽しんでやる、という点。
https://www.youtube.com/shorts/qy70ihEsN7E
日本人の過去、戦後70年は、歯を食いしばって追い付き追い越せ、だったんでしょうね…。
その影響がもっとも濃く、さらにもっとも長く影響されていたスポーツ界。
”楽しく運動する”、ってことが、”勝つ”の後回しにされている…
それどころか、”カッコつける”、にすら後回しにされている…
それどころか、”死なない” ことすら、カッコつけることの後回し…
そこがクライミング界でも私と合わなかったんだろうなぁ…
ラオスには楽しくて、運動にもなるクライミングがありましたよ?
いつ死ぬかハラハラしながら登るクライミングばかりで、みなさん、疲れませんか?
というか、自らのポカで人を殺してしまいかねないやり方が、本来、命がけリスクはなしであるフリークライミングの主流なのが謎ですが…
アメリカ人でもバンバン死んでいますけど、どうしても死にたい人が絶えないみたいな日本フリークライミング界…
それを市民クライマーにって言うのが謎なんですが… プロテニスの世界では、楽しんでプレイできない思考回路自体がNGっぽい…
だよね感満載。
■ 正しい指導者に巡り合いたい…
私は親がいない世界、でメインに育ったなぁと思う。というか子供時代から自分が自分の親だったのである。
結局、子供は放置されると、自分で考え始める。
自分で発見する。
自分で指導者を模索する。
例えば、私は中学受験で中一レベルの三角関数が出てくる数学の課題は百科事典で公式を学んで回答した。そんな具合に、
本の中の誰かを模索する、百科事典を読む、みたいなところで、成長してきた
と思う。100点の回答があられるとは限らないが、かなりの正解は得られる。
■ みんなが間違っているときにみんなを模倣すると自分も間違う
そういう風に学ぶと、隣の誰かが言うとおりにする、ってのは無くなる。
大体の世界では、みんながやっていることは間違っていて、
少数の正解を知っている人の正解はどこに書いてあるか?
結局実績を出している人や、その人が書いた本にある、と思う。
しかし、なぜクライミング界には、ムラトグルー氏レベルの指導者が出ないのだろうか?
何コンプレックス?
なかなか面白いポッドキャストだった…。
私は、最近来たクライマーなので、へぇ~。
変なところにある課題… 。混みこみぎゅうぎゅうの岩場ができる機序と同じだった。
倉上さんの千日の瑠璃
■ クライマー的思考を身に着ける
奥村さんのポッドキャストの中で、印象的だったのは、クライマー的思考です。そんなの、やるのが当然だと思っていたんだが…例えば、ここで落ちるとどうなるか?ということを常に意識しつつ、自分の登攀能力と落ちた場合のリスクを天秤にかけて、リスクのほうを取ったりすることもあります。
投資で言えば、リスク・リワードレシオがプラスなら、リスクを取ることもあります。
例えば、私の阿弥陀北稜は楽勝になってから行ったので、リスクは自分ではほとんど感じませんでした。ただのでっかい簡単な冬季ボルダーって感じでした。ところが、ここ、天候リスクがあります。また下山時の道迷いリスクも高い。どんなに晴れても、逆に晴れで安全であればあるほど、寒冷リスクは高くなります。それでリスクをマスクしないで行くと、やっぱり凍傷になったり、下山路を間違えて、阿弥陀南稜側に降りてしまったり…遭難が起こります。私の場合は、寒冷リスクに対応する方法は、数年かけて学んでから行きました。
フリークライミングも同じで、このルートをどう登るか?という場合に、落ちたらどうなるか?最悪何が起りそうか?というリスクを考えて、それをマスクできるようになっていくのが楽しい、という感じです。リスクは隠れていて、思わぬリスクが出てきます。
その考え方は思考回路的に、正解を求める、という考え方ではだめです。
一個の正解があるという前提のもとの、狭い正解を辿る戦法…お受験で常套手段になっている戦法…ではだめで、
今あるリスクは何か?
と考えて、そのリスクさえ、回避で来ていれば、まぁOKなわけです。例えば、命がけのギリギリルートであれば、敗退が確保されている。ゲレンデのフリークライミングであれば、ビレイが安心。
私は最終的に、私の個人的なフリークライマーとしてのリスクが、指導者やパートナーから全く理解されていないことが分かりました。
例えば、「これ、5.9だぜ、これくらい登れよ」です。
第一に、日本の5.9は、全く意味がない…男性の平均身長の人にとってすら、5.9ではないことが多いです。
第二に、そもそも、小さいクライマーにとっては、グレード意味ないです。なんせ平均的な人が頑張れば登れる奴に5.9とか、5.12をつけていたんですよ。間は全部適当な主観です。
開拓した○○さんにとって、10bに感じた、ということで、客観的指標ではないので、再登した人が、意義を申し立てて、これは5.11では?と本来はグレードがフィードバックされて決定されなければならないのです。
九州では、このフィードバックが起こっておらず、激辛ルートは放置されているので、まるで詐欺みたいなことが起こっており、ちゃんとまじめにビレイしてまじめに登っても、事故が防げないことになっている。
本来、5.10bを登れる多くの人が登れないんだったら、それは5.10bではないです。
そのフィードバック機能が停止して、俺の課題は辛いんだ!俺は強いんだ!という個人のエゴの声を表現するコミュニケーションツールになっている。
それって、私の目には、なんだか、弱い犬ほど吠えるみたいな、劣等感の塊の人が見え隠れしています。「長所をPRしているつもりで欠点をPRしている状況」に思えるんです。
それは、奥村さんがこのポッドキャストで語っているような、クライマー的思考回路、今は落ちれないなぁ…しかし、プロテクションも取れないので、頑張るしかない…という岩との駆け引き…そして、それを残したルートとは意味が全く違うと思います。
たまたま背のたかーい人が、ある一つのフットスタンスに載って、そこで手が届く一番遠くのギリギリのところにボルトを打ちました、すると、それはロープの伸びがある場合はランナウトになりました、というだけの、あとからよく見たら、もう少し下にボルトを打つべきだった…でも、もう打ってしまったから、打ちなおすのもなぁ…という成り行き任せの結果できた、危険なルートを放置しているだけ、ではないですかね?
しかも、そこで初登者権利論などが出てきてしまったので、皆が遠慮して、「このボルト位置、変っすよね?」も言えない…という。
これは、例えば、ジャンボさんが、アメリカでは残すべきルートは打ち換えられて残されている、そこに美学を感じた、という話とは、まったくレベル感が違う話だと思います。
なんせ美学、そもそもそこに無いですよね。
私はクラックも登るので、時にランナウトに耐えて登っています。したがって、ただランナウトを避けるのが良いと思っているボルトクライマーではありません。
アメリカ人や西洋人のクライマーは、8割は、絶対にリスクを取らないスポートルート限定クライマーです。
でも、そういう人たちは、市民クライマー、であって、エリートクライマーでもトップクライマーでもないです。
そんな命がけの活動は、トップの人々が率先してクライミング文化として広めていけばいいんじゃないですか?
クライマー全員に命を懸けろ、って、それ、ちょっと市民クライマーに求めすぎ…。
そもそも、そんなことをしなくても、すでに命がかかってしまう面がクライミングにはあります。
それにこう言っては何ですが、現実の元・アルパインクライマーの方々は、私のように、40代からクライミングしているおばちゃんクライマーが取れるリスクですら、もはや取れなくなっている。
例えば、私が寒冷リスクと単独リスクを取って、登って帰ってこれる阿弥陀北稜に、団体で挑んで凍傷になって帰ってくる…あれって、まるで徒党を組むことで、むしろ墓穴を掘っている。もしくは、いかに墓穴を掘っているかをPRするのが目的なのか?そんな感じでしたが…。
アルパインではなく、フリークライミングでは、白亜スラブで起った登攀スタイルにも同じものを感じました… 俺はこんなにダメなんだよ…だから俺を男にしてくれよ…みたいなの。つまり女性に育ててもらいたがっているのかな?って感じでした。つまり、女性なら、メンツを立てつつ、俺の欠点を俺が受け入れやすい形で指摘してくれ、リスクを彼女が回避してくれることで、俺もリスク回避になるってことです。
例えば、男性同士なら、意地を張っちゃうところ、「女性がいるから○○できない(しない)」と言えばメンツが立つ、みたいなことかな?
そこには男性の甘えというか、本音は、”俺も怖い”だったり、”俺も分かっていないから誰かに頼りたい”だったり、”俺を守ってほしい”だったりするのをカッコ悪いから言えないから、女性がいればいいな、みたいな感じかな?
女性や新人は、”出し”にされている、そのリスクがある、ということです。
でも、いくら誰かを”だし”にしても、”そもそも存在しない実力”は、出ない。
そこが私はリスクとして見落としていたのでした…つまり、最初から、25+35をつないだら、50mシングルロープでは、どう考えても途中でロープは足りなくなります。その計算ができるかできないか?が、ビレイヤーが勘案しなくてはならないリスクに含まれる、とは、まさか思っていなかったのです。
これで、いかにあの登攀が、日本のクライマーの総体としてのレベル低下を示すインデックスとなっているか?ということが分かりますかね?
なんせ彼は別に僻地だったりクライミング文化的に儒教の影響か、一かばちかスラブクライミングが主体の九州育ちではない。ちゃんと山梨で登ってきたはずでした。
だから一般現代クライマーを表現しているに近いはずです。
現代のクライマーって、10年クライミングしても、そのレベルにとどまる…あるいは、とどまらざるを得ない、メタ認知レベルってことなんですよ。
もしかしたら、これは世界的現象かもしれませんが…。
世界的現象かどうか?を確かめに自分の身を危険にさらす気にはなれませんが…。
以下、こちらの記事からの抜粋です。https://allnevery.blogspot.com/2024/04/blog-post_11.html
■ 下手くそリードを見て参考になった
見栄っ張りリードと言えば、アイスクライミングで相沢大滝に行ったときのことがありました。連れて行ったビレイヤーが、私がリードすると言ったにもかかわらず、心配して、「いや俺がリードするよ」と言ったので、そんなに自信があるなら、してもらおうか…となったのですが…
あちゃー!ってリードでした…。
・まず、トータルの登攀ラインを見ていない。
・次に、見栄っ張りで、強点に取り付いた (下は難しいライン)
・しかし、登りながら弱気になって、弱点に流れて行った (上は簡単ライン)
・そのせいで、ルートが屈曲し、ロープが90度近くに屈曲
・結果、くねくねしたリードラインになった
ね?経験の浅いクライマーにリードさせると、どうなるか?こうなるんですよ。
もしかしたら、これがスタートだけが難しくて上に行くほど簡単になるルートの起源かもしれませんね?
■ 岩のルートにも失敗作はいっぱいある
アイスクライミングなら、まだ岩は傷つきません。氷はアイススクリューでリードするので、失敗しても自然界は無傷です。
しかし、岩に取り付いて、上記のようなリードしたら???
そりゃ、岩場で、屈曲したルートができますね?
それでも初登は初登とか言って、このヘンテコなリードラインを保存します?
したくないですよね?だって、最初から失敗丸見えなんですよ?
アイスクライミングは、クライミング自体は簡単です。なので、出来の良しあしというのはリードラインの美しさの勝負なんですよ。
これは僭越ですが、わたくしのリードラインです。教育をきちんと受けていると分かるラインだと思う。
そういうことを分からないで10年以上の時を過ごすことができるっていうのが、そもそも不思議、なんですが…。
たぶん、ジムで正解ムーブを見つけることを課題にしているとそうなりますね。
つまり、何年経験を積んでも、自分でリードし、正しい師匠から教わらない限り、岩や氷との対話については、分かるようにはならないってことです。
私が青ちゃんと組んだのは、たった1年、それもアイスは登れる季節が短いので、3か月だけですからね。
こないだ小鹿野のクライマーズトークで宴会に出たら、クライマーと一杯、喋れて楽しかった♪
みんなこんな話してるんですよ…
どうりで、このヘンテコリードした人とクライミングの話題で話が盛り上がらない…と思ったんですよね。
だって、私、クライマーでも相手によっては無限にクライミングの話で盛り上がれるんですよ。洋の東西を問わず。
こないだも、ギンちゃんやサチさんにいろいろ教えてもらってうれしかった。
2022年1月2日の記事です
■ 仏教説話
私は毎日仏教説話を聞いています。今日の仏教説は、願行具足、のお話でした。
願いと行いの両方が十分に満たされると何のために → 事故を減らすため
正しく理解 → 市民クライミングと競技クライミングは異なる
技術を学んで → 知識を普及する手段を得る = 行政のパイプと繋がる
実践する → 様々な手段で、事情を説明して回る
です。
■ なんで自分の得にはならないのにやっているのか?
私は、すごく良い師匠に恵まれ、頼まなくても向こうから師匠がやってきました…。
なので、自分一人が楽しく登っている分には、何にも問題がない時代が山梨時代でした。
とっても楽しかったので、他にも人をお誘いしようとしたのですが、なかなかうまく行かなかったです。平たく言えば、師匠らのお眼鏡にかなう人がいなかった、です。
このボルトは、ペツルのハンガーが付いていても、カットアンカーであって、施工が良くて15kNしか強度がなく、ガンガン落ちるようなクライミングには耐えられないだろうから、テンション程度にしておこう…というような知識に基づく知恵が現代クライマーにはない、です。
グージョンとカットアンカーが見分けられなかったら、分かるはずがありませんし、落ちないように登る知恵も出てこないです。
ずばり、現代日本のフリークライミングに必要な教えは
1)3ピン目を取るまではクライマーは、決して落ちてはならない
2)本チャン(マルチ)は、2グレード下げる
3)山の支点(ゲレンデであっても)を全信頼してはいけない 残置は信頼してはいけない
です。
4)岩場のグレードを信頼してはいけない
5)ボルト配置が適正ではない課題を見極めて登らないといけない
5)ギリギリに迫っていいのは、人工壁のスポーツクライミングだけ
です。
外岩のボルトルートはスポートルートと呼ばれ、建前上、バンバン落ちながら登っていいという定義がされています。しかし、それは信頼できるボルトがある場合のみ。現代の岩場ではほとんどの岩場がボルトが40年経過しているし、しかも、当時のボルトなので、必要な強度がありません。しかも、異種金属とか、カットアンカーとかです。
ギリギリに迫っていいという建前は、現実のものではない。が、現実の岩場では、”3ピン取るまで落ちるようなクライミングをしてはいけない”、です。
ラオスでは、例外的に、ボルト配置が極めて安全志向で、近くに打たれています。つまり、5cというグレードなら、5cを登るクライマーのためにボルトが打たれています。
国内岩場では、ケミカルにリボルトされた岩場であっても、ボルト配置がそのグレードを登るクライマーのために打たれているとは限りません。また、安全なボルト配置は、登るクライマーのリーチによって変わります。
海外では、どんなリーチのクライマーにも安全なように、ボルトが打たれた岩場が登場しています。
が、日本の岩場はそうではありません。文句を言っても、今後10年以内に状況が変わる可能性は、ほとんどゼロです。
ならば、建前に拘るのではなく、現実に合わせた方針を新しいクライマーに指導するほうが現実的です。
実際、クライミングがメッカの山梨では、そのように指導されていたと思います。
それでも、無知なクライマーによる事故が完全に防げていたとは思えず、無防なチャレンジで事故る若いクライマーは後を絶たないようでした。しかし、だとしても、事故は、中山尾根とか、阿弥陀南稜とか、本格的なアルパインの入門ルートであり、ある程度、ジムデビュークライマーならば、無知も仕方がないなという、高度な場所でした。しかし、九州では、事故が起こっているのは、四阿屋とか、比叡のような”ゲレンデレベル”の場所です。
この記録は、私の2018年4月22日の四阿屋でのグランドフォールを目撃したときのものです。
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グランドフォール
今日は四阿屋の岩場でグランドフォールをみました。
インディアンフェイスというルートで、2ピン目から3ピン目までがランナウト気味、つまり、
(最終クリップから出ているロープ長)と(それより下で出ているロープ長)が、ほぼ同じくらいになっていました。
背の高いクライマーを同じくらい背が高く、細身のクライマーがビレイしていたのですが、たぶん、体重は釣り合うくらいですが、クライマーが落ちると、ロープの伸びがあるので、結局伸びの分でグランドフォールしていたと思います。腰を打ったようで、病院へ行く、ということでした。
私は岩場でグランドフォールを見たのは、自分が落ちて頭を7針縫った以外は初めてです。(アイスは2度見ている)
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理由は、グレードが適切でないため、です。
別にジム出身クライマーでなくても、5.10bだったら誰でも取り付いてしまいますよね。
これらの事情により、九州福岡では無謀な人だけでなく、普通に慎重に正しいビレイで登っているクライマーまでもが、取り返しのつかない事故を回避できないということになっています。異様にグレードを辛くつける習慣は、おそらく九州の文化的なもの…一か八かがクライミングなんだ、という誤解…によると思われます。どうも、大阪から西はそうらしいです。
さらに、ボルト位置の問題、適正ボルトではなく、ボルト間の距離が遠い問題は、全国で共通しています。
これはリーチの問題が、多くのクライマーに理解されていないためです。誰にとっても、難易度は同じである、という間違った前提に立っていて、ジム上がりではないクライマーでも、そのことを理解していません。
ボルトの配置が適正でない場合、正しくビレイしていても、ランナウトしていれば、落ちればグランドフォールになる。そのような、ルートの作り、岩場の作り、のために、適正にビレイしていても、落ちれば、この四阿屋のように腰椎骨折の事故に遭うことになります。
その原因は、クライマー側の無知を有知に変えてやる、指導者側の一種の手薄さ、があると思います。
つまり、”3ピン目取るまでは決して落ちてはいけない”、とか、”マルチでは2グレード下を登る”、ということを明示的に教えることです。
■ 瑞浪
朝一発目に入ったFBの話題が瑞浪だった。
いや~、トイレ問題、超・大変そうでした。気の毒で見ておれません。
グランドフォールの事件の処理(搬送・経緯)も書かかれており、まるで管理人みたいになっている新聞記事にもある、伊藤さんは、本当に大変そう…
この記事を読んで、九州人が私に押し付けようとした役割はこれだ…と思いました。
■ 責任転嫁、持ち上げているけど、実際は嫌なことを全部一人に背負わせているだけ
私は、伊藤さん役をやりたくもないのに押し付けられそうになっていた…と思う。
そのことに途中で気が付いた。
なぜなら、私には、日向神は遠く、地元でも、何でもないのに、管理者の紹介があったからだ。ただのビジターであるのに。
例えば、見晴らし岩、油山川の岩場の話なら、分からないでもない。開拓者の米澤さんと私は懇意にしていたからだ…
しかし、日向神は…。
その岩場で何一つ、楽しんでもいないし、何のつながり…絆を感じられるような良い出来事もない。ただ脅されて、こんなのも登れねーのか?みたいな挑発的な扱いを受けただけだ。
さらに言えば、問題の火元になっている開拓者を紹介され…Yさん、なに?私が彼のメンタルトイレなわけ?という感じだった。
しかも、そのYさんは別の開拓者のHさんは犬猿の仲でいがみ合っており、その渦中に放り込まれそうな気配があった。いや~ほんと、リスクを察知した。私は利用されそうになっていたと思う。
というか、実際、利用されたと思う。問題の開拓者に進められて登った大蛇山が、直後にリボルトになった件だ。リボルト対象になる課題をクライマーに登るように薦めるなど、おかしい。
なぜ、トイレ問題解決係、レスキュー係、苦情処理係を、外部から来た人に求めようと日向神勢はしたのだろうか?
そこんとこが、超謎。の出来事だったよなぁ…
私はうまく被害者にならずに済んだわけであろう…
子供時代、私の家事労働力にフリーライドして、生活した家族たち…それをお断りし、各自自立をお願いすると、私をわがままと誹謗中傷した家族たち…を思い出した。
自分で自分の食事を作るのは、自己責任である。
自分で自分の洗濯物を洗うのは、自己責任である。
自分で自分の栄養管理するのも、自己責任である。
仮に、私が家族への家事労働奉仕のために、進学できなくなったら?それは私の自己責任になってしまうのである。
いくら、家族が「やって~」とピーピー泣いても、彼らは彼らの自己責任を全うしないといけない。
それは私の仕事ではない。
いくら”儒教”が、”家族でしょ!”が、私を苦しめても、それに屈するわけにはいかない。
同様に
クライマーが自分のうんこを処理するのは、自己責任である。
クライマーが事故を起こさないカムセット能力を身に着けるのも、自己責任である。
クライマーが地域に歓迎されるクライマーになる、登攀禁止に岩場をしないためには何が必要か?自分で考えるのは、自己責任である。
私が望んでいるのは、この記事クリップのような”家族クライミング時代”の出現であって、エンドレスに続く、うんこ紙処理、2個もカムが外れるような稚拙な登り方をしてのグランドフォール、理不尽な地域のドンとの交渉役、ではない。
なぜなら、それらは全く問題の根本原因をたたいたことにならないからだ。
日本では、
一人の犠牲者に問題のすべてを背負ってもらう
という伝統が長い。それは子供時代に十分やった。
級長を10年。生徒会を3~4年。生徒会連盟は1年。
票を集め、世直しもやった。
その間、何が起ったか?
級長の私、姉の私に依存してばかりの人々は、成長しなかったのである。
家族の者は、ピーピー泣くばかりで自立せず、しまいには自己破産し、あるいは自殺未遂し、
クラスメートたちは、私がお受験勝者になっていくのをただ指をくわえて眺め、
私の弟や妹は、私の労働にフリーライドして、ただ遊んで暮らしていたのである。
命名、”ザ・人を自立させない、日本というシステム”、
という感じだった。
つまり、これは、依存する側に都合が良い共依存システム、なのである。
もちろん、このことは、この新聞記事にある伊藤さんの努力や功績、人物を貶める目的でない。
ただ私はその立場に立つのが嫌だ!ということだ。なぜなら、すでに子供時代にそれはやって、十分私は自分の能力を世の中に提供してきたからだ。当時の私の気分は、これだった。アトラス。
しかも、地球を背負ったまま、オリンポスの山を登っては、降り、登っては降り、ということを永遠に繰り返させられているのである。
彼は。
まさに永遠のうんこ苦情処理、事故処理、陳情…。
私は子供のころに生存の要求から、仕方なく登った山を再度登るつもりはない。
■ 私が望むもの私が望んでいるのは
1)そもそも、うんこ紙が岩場で散乱しないで済む、うんこ処理能力を身に着けたクライマーを育成する、うんこ処理教育
⇒ うんこロジーの方が講演活動している。 https://nogusophia.com/profile
2)正確なカムセットを身に着けるプロテクション教育
落ちても普通はカムが効いていれば、グランドフォールにはならない。
3)ビレイ教育
ビレイも、正しく行えば事故にならない。
特にフリークライミングでのビレイミスは、単なる人的ミスで、アルパインクライミングのような致し方ない事故とは判定されない。
4)クライマーコミュニティの自立
理不尽な地域のドンに、頭を下げ続けてお情けで、”許可”をもらいつづけるのではなく、クライマーに来てくれてありがたいと言ってもらえる産業としてクライミングが成長する必要がある。
以上のほうだ。
しかも、これらは別に難しいことではない。やる気があれば済むことだ。
なぜなら、根本原因の解決にならないから。
いつまで、クライマーたちは大人にならず、寄生し続ける気なのだろうか?
人の善意…伊藤さんの善意、地域のお情け、にすがって寄生するだけの、存在に成り下がっている気なのだろう???
伊藤さん役をやってくれる人がいなくなったら、どうする気なのだろうか?
次の”伊藤さん”を作り出し、またその人にすべての負の面を背負ってもらうつもりだろうか?
”一人の人”の善意に、全員がぶら下がる日本と言う悪しきシステム…その”一人の人”、つまるところ救世主と言う体の犠牲者、になることに、同意を感じる人間ばかりではない。
私は、伝統的日本人の在り方を良いと思ったことは一度もない。
一部の超有能な人が、多数の無能者と共依存関係を築く関係性だからだ。
“I do my thing and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,
And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I, and if by chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.”
「私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そして、あなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも、縁があって、私たちが出会えたのなら、それは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。」
ゲシュタルトの祈り
トップクライマーは、自己犠牲してトップクライマーになったのではない、彼らは楽しんで登り、いつの間にかトップクライマーになったのだ。
誰もが、自分がトップクライマーと同様の在り方で登れる道を選ぶべきだ。
そして、それは私には、岩場の管理人、ではない。
立候補したことは一度もない。
ただ押し付けられそうになったことがあるだけだ。
究極に押し付けられた人たち…![]() |
| ウクライナのパイプラインを破壊 |
■ 投資仲間のこと
日曜に、投資仲間の頭を冷やしてやりたくて、大井幸子さんの国際金融事情解説の動画をカフェで一緒に見たのですが…正直に言って、
こんな基本的なことも知らずに相場に参加する人もいるんだなーって思った…。
為替が、日米金利差で成り立っていることを解説したものでしたが、それは田中泰輔さんが普通にYoutubeで解説しています。
そして、日銀の利上げも、微々たるもので、金利差の解消にはならない…ので、まぁ現状は何も変わらず。
週明け相場が下がって、損切に右往左往している様子の仲間…。ここ、私から見たら、ただの買い場にしか見えないんですが…。押し目買いチャンスです。
大きい視点で見ると、そうなるはずなんですが…。
せっかく国際金融情勢的に今がどう位置づけられるか?を教えたのに、
相場との向き合い方
あんまり分からなかったみたいで、残念…。無力感を感じる。
■ どっちも間違ってる!
いろいろな人が、どうやって投資するの?と聞いてくるので、カフェなどであったら、懇切丁寧に教えるのですが…
1)楽天証券かSBIに口座を開くところから、分からない人
2)何かうまい儲け話があって、それにどーんと入れるのが投資だと思っている人
で、二分されている。それ以外の人がいない…(汗)。
”どうやって”の中身が、
1)の人は非常に具体的で、そんなのGoogle先生に聞けば分かるよね~ってレベルで、
2)の人は、投資の概念自体が間違っていて、それ、ギャンブルだから…ってレベル。
なんでそういう発想になるのか分からない…(汗)。
なんかクライミング界での出来事とデジャブー感があるんですが…。
A)クライミング教えてくださいって、エイトノットから?!それ動画、出てますよね?!
B)クライミングしましょうって、ボルトにバンバン落ちるのがクライミングだと思ってる?!そんなのリアル岩場でやったら、命がいくつあっても足りませんよねっ?!
■ 現代のトレーダーは恵まれている
楽天のマーケットアロー(メマガのことです)を購読すれば、もうサポートもレジスタンスも自分で罫線引かなくても教えてくれるんですよ…
それも知らないみたいだった…。
いや~、むかーし、投資の学校に通って、罫線、手書きで引いてたなー。
いくら便利になっても、最初からその概念を知らないのでは…。
■ 投資手法は人それぞれ、というけど、レベル感が違いすぎ!!
投資手法は人それぞれ。
だけど、あまりにも基本的なことを押さえないで投資しているので驚きました。
それって、人それぞれって段階に達していません。
私は去年の今頃からの経験値なので…そんなに経験ないけど、中立金利との兼ね合いで、市場操作をFRBがしていることくらいは、投資歴1か月くらいで学んだけどなぁ…
なんで、みんなはそういう形の学びにならないのだろうか…?
これはデジャブー感があり、クライミングを学んだときに、私は雪の山を登り始めた直後、読図を学んだんだが、ほとんどの男子は読図力ゼロで、バリエーションルートに来るんですけど… バリエーションルートって道がないから、バリエーションルートっていうんですよね?みんな分かってる?
そこが道迷い遭難の根本なんですけど…。ルートファインディングをしないで、どうやって登る気なの?
同じことで、チャート分析や金融の基本を知らずにトレーディングするっていうのも、同じくらい破滅への道かもしれん…
なぜ、そういう投資行動になるのか?
なぜ、そういうクライミング行動になるのか?
相手の思考回路が分からない、というのが私が一番、困っていること。
トレーディングは一人でできるけど、クライミングは一人じゃできませんよねぇ…。
まぁ、もう一生分からないのだ、とあきらめることにしました。みなさん、勝手に頑張ってね☆
私を羨ましがられても、私の目線がみんなに伝わらない、ということで、ロープを組むの無理です、だって、私の方の命が取られてしまう。命は一人一個しかないんですよ。
いくら、あなたについていきたい☆と言われても…。
お金は失っても取り戻せば済むけど、命は一人一個分しかないよなぁ。
トレーディングは、そんなに難しくもないし、ギャンブルでもないです。リスクリワードレシオで、リワードが上ならトータルで勝ちます。毎回勝ち続けるってことはないですよ?当然ですが。
でも、勉強無しでやろうっていうのが…それって必ず負けること100%確実な道ですよね?
ロープが出るクライミングでロープワークサボっていたら、そりゃ100%失敗するよなぁ。
なぜ、それで行こう!って発想になるのか分からない。
それは無理です。
基礎力なしに、大きな成果を得たい、って、原因と結果の法則違反なので、ありえないです。
クライミングも同じです。これ書いている意味が分からない新人さんは、都岳連の岩講習などに出てください。
テスト:この支点が変だなと気が付けないレベルの人は、全員、都岳連の岩講習出たほうがいいですよ?