さて、今回の北海道の行動記録を忘れないうちにまとめておく
2/1 10:30福岡発 新千歳 スカイマーク
翌日から天候不順で、集合日の二日前にデパーチャーして正解。 15700円。
新千歳13:40くらい発 → 15:00 旭川着
駅前で無料のアイススケートをやっており、ちょっとスケートして、5歳の女の子にアイススケートの手ほどきをしてもらう。転んで泣いちゃった…ら、お友達がとっても親切に慰めており、すごくかわいくて‥そして人間関係の勉強になった。あとで詳述予定。
ゲストハウス 旭川ライド宿泊。一泊3500円
この宿はおススメ。『生と死の分岐点』も置いてあった。個人的に、『ゴールデンカムイ』が気に入った。これのおかげで、北海道の山やは、マタギ信仰があるのでは?
宿で、アラスカから来たマルコと出会う。なんと、スキーで、4か国、16か所のゲレンデをワールドツアー中だった。職業はフィジオロジスト(生理学の医者)。クライマー界と同じことが、スキー界で起こっていることが分かった。日本人だけ、世界からこの流れから取り残されている。
2/2 Sさんと会う予定だったが、行き違いがあり、アイヌの歴史を学ぶため、旭川博物館へ。220円。+駅から徒歩。
旭川の路面は、完全な雪道歩行だが、ほとんどの人が東京や福岡と同じ靴で、スノーブーツを履いておらず、ビックリ仰天。スパイク付きスノーブーツが最適。
午後は、クライミングウォール ガッツに行こうとするが、バスが一時間に一本などで、到達不可能なレベル感。-12度でバス停で30分待ちとかありえない。
結局、スケートリンクに戻り、アイススケートをして、小春ちゃんと友達になる。これは素晴らしい子供たちだったので、後で詳述予定。北海道は子供たちが歪んでいなくて素晴らしい。
宿ではケビンに会う。ケビンは、旭川周辺にゲストハウスを作りたいそうで、もしかしたら、協力し合えるかもしれない。コロラドから来た人が、旭川のほうがいいというのだから、ホントにいいのだろう。コロラドって、クライミングでもメッカで、誰もが住みたいところだけどなぁ。
2/3 いよいよ、下川入り。が、JRに騙されて特急に乗ってしまい、名寄集合13:00なのに10:30に到着してしまう。快速で良かった。おかげで電車代も1000円以上余計にかかった。
単線で何もない駅で駅前など消滅しているのではないか?と経験上危惧していたので、あまり早く到着しないように気を付けていたのに、予想通り何もない駅前で、3時間かぁ…と呆然とした。昨今の町は車生活なので、電車の駅には何もない。下川の役場の人に連絡するが、あまり役立たたない情報しかない。(観光協会の人ではないと釘刺されるが、観光協会の人につないでくれるのが筋では…?なんせ、こっちは全く北海道未経験だと最初から話してあって、早くつきすぎてもすることないだろうと相談したのに、早く着いたほうがいいというアドバイスで早くつきすぎてしまったのだ…)
掃除していたおばちゃんに事情を話したら、駅前の三笠という食事処を勧められる。まだ11時で空いていないので、じっとしている=寒いの法則から、散歩することに。
散歩していたら、同じく散歩のオジサンに出会う。おじさんに「図書館ありませんか?」と聞くとあったので、ラッキーと出向く。
名寄郷土史、と、『北海道の登山史』で、伊藤仰二さんを発見する。故・吉田和正さんは載っていない。 登山史には、フリークライミングの成果は、記録されない。そのため、現代のフリークライミング能力をベースとした登山で、レベルが一気に上がったことが認知されづらい。伊藤さんの記録、2003年のM6くらいので、登山史が終わっていた… 今はもっとすごいのが続々と出ているのに…。
駅前の定食屋へ戻ると、山や風のいでたちのオジサンと相席。スノーモービルに東川町の人に載せてもらったそうだった。おじさんは、山や風情ではあったが、山やではない様子だったので、ど素人さんは、スノーモービルでも初体験なら何でも面白いんだと思った。山形の雪とは違ってふかふかだそうだ。
やっと下川入りで、立派な、こもれび、という町立施設にたどり着く。今どきの設計。だが、非・寒冷地と同じデザインなので、暖房高率かなり悪そうだった…。
日本の本州の家は、鴨長明の時代から、家は夏を旨とすべし…で出来ており、実際九州の夏など、湿気がものすごい…。その流れをくむ現代建築も、湿度がネックで、本州も九州もコンクリート住宅はカビが健康問題になっているくらいなんだが、それと同じ建築設計を北海道でするのが理解できない。
沖縄の軒は低い、同じように北海道なら片屋根とか、建物自体に気候と戦う思想を入れるべきだと思うが、そういうのが全然ない。ドラッグストアもホームセンターもコンビニも、本州と同じつくりで、なんだか、頭が悪い人みたいな感じだ…。それじゃ、同じことをするにも、条件不利で金がかかるだけの話だからだ。
という感想を持ったオサレ施設だった。
午後は、バケツで作るキャンドルホルダー用に水をため、温泉に連れて行ってもらって、おいしい食事でもてなしてもらった。久しぶりにごちそうだった。
一般日本人のバケーション的バケーションをしなくなって、はや何年だろう…?もはや思い出せないくらい昔だが…。そういえば、世間ではこれが幸福の形だったんだよな~と思い出した。
私は別の形を日本人に提示したいと思っているのだ。たらふく刺身を食って、温泉に入る幸福以外の幸福。もちろん、刺身×温泉もステキなんだが。現代版がある、と思う。
この日は、後からきたアイルランドのごりちゃん、北海道のゆかちゃんと同宿で、よっくるという一棟貸しの家に宿泊。夜中まで話して女子トークで楽しかった。
ゆかちゃんがすごくできた人で、年功序列をしてくれた。(部屋に到着したら、個室が二つしかなかった。先に入ったゆかちゃんは、「わたしこっちにします」と取ったのは窓がない景色がイマイチなほう… わぁ、これは年配の私に譲ってくれたのだ…と分かった。その後、一人増えて、布団をリビングに敷いて寝る人が必要になった…。私は、”海外から来た人だし、しゃーない…私が譲るか…”と思っていたら、なんと、ゆかちゃんが先にベッドを譲ると言ってくれた…。東北の女子はスゴイ。九州の女子もすごいが、東北女子は日本人女子の中で最強女子かもしれない。
前に、師匠のアラ70男性1名、年下男性1名、私40代、で韓国にクライミングに行ったとき、宿にベッドが2台しかなく、私と師匠の高齢男性が一つのベッドに寝るように言ったら…、その残りの年下男性が、”それは女性一人の私に悪いから、僕と高齢男性が二人で一つのベッドでいいですよ”と当然、言い出すだろうと思っていたら…年功序列なら、私の方が上なんだし…女性が一番体力も下だ…、何も言って来ず、ホントに師匠と二人で寝る羽目になった…(汗)。九州の男子は、誰かが遠慮して、譲ってくれても、気が付くこと自体ができない。ので、相手を立ててやっても、感謝すらされない。
ということがあったので、なんてゆかちゃんは人間ができているんだ~と感謝して、一番良いお部屋を受け取った。窓から樹氷の美しい景色が見えて、翌日朝から散歩に行った。ゆかちゃん、リビングで寝てくれてありがとう!)
2/4 森の散策体験とクライミングウォール、ロマン
森の散策体験は、しまった、雪板にしておけばよかったなとは思ったが、みなで色々森を観れて良かった。自然解説は、私は得意ではない。興味があった時代が、すでに10年以上前の山やとしての初期時代で、野鳥や樹木、冬芽の観察などはとっくの昔の感動だから、だが…ほかの人は違うのだ。ということが分かった。
北海道の植生は、ほとんど山梨の北杜市と同じだった…。動物もエゾリスくらいが違いかな?見たかったのは、凍裂。見れて良かった。白樺の皮を貰ってきた(笑)。良く燃える実験をしてくれたのが嬉しかった。前に地獄谷に行ったとき、出会い小屋泊で、ストーブに火を起こすことができず、結構寒かったんだよな…。あの時は白樺の皮は採りつくされていた。
なんせ、火をたくのは雪山サバイバルの基本。北海道の雪はさらさら過ぎて雪洞作れないかもしれない。その場合、遭難したら、どう防風すればいいのだろうか? ツリーポケットもあまりできていなかった…。
■ 住宅事情
その後ランチを食べ、中古の物件を視察。住宅は、よくある公団と今はやりのデザイン住宅公団…
高気密住宅×FFストーブ
がデフォルト設定のようで、これは、私がしたいエコ生活とは、少し違う気がした。
国が助成金を出しており、とても買えないと思える価格の住宅でも、買える可能性があることが分かったが、助成金の条件を調べる必要があり、10年の定住を拘束されそうだった。まぁ10年なんてあっという間に来るんだが。
見せてもらった住宅はどれも、田舎に暮したい人には合わない、街中の暮らしみたいだった。たぶん、あまり自然の中で暮らしたことがない人を想定した、遠慮した想定みたいだった。
国の手厚い補助金が印象的だった。こうやって田舎の人が所得が少ないのに御殿に住んでいる訳が分かった。所得が高いとなまじ補助金が出なくなるので、あえて低所得にするという選択肢が生きてくる。そのバランスのちょうどいい憎い点というのがたぶん、みなの平均的な所得なのだろう…。
その後自由時間に、体育館でクライミングウォールを視察。ちゃんとしていた。Sさんは頑張ったんだなぁ…でも、クライミングが充実するだけの人口がいなかったんだろうなぁ。
九州のクライマーがやっていない営業ジムより、うんと課題もよさそうで、もったいない壁がひっそりたたずんでいた。きちんとクライミングを勉強した人であることが分かった。
その後、町の人との交流会があったが、私は、酪農家の女性に会えたのが良かった。
その後、ロマンというカラオケ喫茶?バー?に出かけたが、昭和だった。タバコで撃沈。私は化学物質アレルギーで、旭川では濃い排気ガスでぐったりしていたので、タバコだと、寸殺…され、数分で退場した。ごりちゃんが付き添ってくれてありがたかった…。
カラオケも超苦手で、夜の会はダメだ…と思った。歩いて帰ったらなんと帰り道を間違った(笑)。の上、夜中の3時まで女子会した。遠距離の国際フライトの人に悪い事してしまった…。とっても感性が似ている人で、古くからの友達に会ったみたいだったのだ…。
2/5
午前中: 道産子馬のハナちゃんの試乗会は、トキメキだった。すでに記述したが、移動が現代の石油文明の最も非効率な部分で、飛行機が悪い、大型客船が悪い、というよりなにより、一人一台の車社会の弊害の方が悪いと思う。
ハナちゃんは、人間の指示があいまいなのが、ダメなのだそうで、子供を育てるのと同じだと思った。葛藤=ストレス。指示は明確に。
私がしたいライフスタイルを、乗馬を教えてくれた小峰さんは、すでに実現されておられるかもしれず、ひそかに弟子入りしたいというか…どうしたら、同じことをできるか知りたい。
現代アーミッシュは、一般アメリカ人の普通の暮らしの人たちの中に、20~40世帯のアーミッシュが集まって暮らしているそうで、20~40世帯あれば、19世紀の馬車生活でも、とりあえず、暮らせるそうだ。日本でも、同じように自給自足を目指す人たちが、寄り集まって暮らせば、ちょっと旅行に行きたいときは、馬の世話を自分の家でもするついでに頼めるし、車の所有も各世帯で個別に持つのではなく、数世帯で一台で済ませられるとか、そういう風に協力し合えるかもしれない…。私はメルボルンで暮らしていた頃は、となりの家の子ども、良く預かりながら勉強していた。
私は、若い時、サンフランシスコの郊外に1年暮らしたのだが、結構、富豪の暮らす地帯では、山ひとつに牛を一頭放って、1年に一回とさつし、その肉を巨大なGEの冷凍庫(ガレージにある)で保管している家庭とか見た。BFのナジームのおじさんは、建築業で一代で身を起こした人だったが、自給自足の生活をして、子供を6人育て上げ、みなハーバードなどの一流大学だった。自然と触れ合って育つと賢い子に育つのでは?家は裏に畑があり、ハチミツも自家採取。アボガド、アプリコット、洋ナシ取り放題。
あのサンフランシスコの生活は、アメリカの開拓民の憧れ、ひとつの理想だったと思うが、北海道ではやれるのかもしれない。
どうも、ゲストハウスで出会ったケビンやマルコの様子から、アメリカ人…パイオニア…未開の地を失った人が、次に目指すのが、アラスカとか、北海道の地のような気がした。ウォールデンの世界というか、Homesteadを作るというか… アメリカは今、満員なのだ。
そこは、私も同じなので、いわゆる、日本の町おこしの人が思っている世界と、私が思っている田舎暮らし=アメリカンパイオニアライフ、とは、だいぶ違いそうで、早期に溝を埋めるのが良かろうと思われた…。
私が目指しているのは、ジョン・シーモアの『完全自給自足生活』みたいなライフスタイルです。
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馬に乗って集落のスーパーまで買い物に行けたら、ホントにすごい!
その後、ちょっと時間ができたので、クライマーで森林計画の担当官のSさんに初対面。実は福岡からお土産を持って行っていたのに(お礼で)、誘惑に負け、女子会で開けちゃったんだよなぁ…(笑)。それで、とても合わせる顔がない気がしていた…。Sさん、手ぶらですみませんでした…。
その後、名寄まで移住コーディネイターに送ってもらい…名寄駅から、今度は快速に乗って旭川着 16時頃。車窓からの雪景色がきれいだった。野辺山線みたいな、単線の一両電車で、違いは野辺山線ではだれも電車に乗っていないけど、宗谷線は結構乗っていること。
その後、旭川ライドに行く前に、ガッツウォールに行くが、これがまた最大の困難を克服系、だった…。これは別途詳述。吉田さんのゆかりの人に合わせてもらった。ガッツの店長さんに感謝したい。帰りはゲストハウスの前までクライマーの一人が送ってくれた。
2/6
翌日は、9:15のバスで層雲峡へ…下川まで電車で行って早出すればよかった。天気が悪かったせいもあるが、これも、あれまぁという廃れた温泉街でビックリした。このような本が出ているくらいで、闇は深そう。タイからの女性二人とタクシー割り勘にした。高橋さんという運転手さんだった。
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層雲峡は温泉街全体として、アイスクライミングをプロモーションしたい意向があるそうで、それなら、行くべき場所を知っていると思ったので、後で資料を作成する予定だ。
層雲峡から、バスで旭川に戻り、旭川から、バスで札幌へ。着いたら、時計台前で降りて、雪まつりを見学した。無料カーリングで後ろに並んだインドのITエンジニアのご夫婦と対戦して勝った。バンガロールから来ているそうだった。
札幌にはすでに暗くなってからついたので、泊まれる女性専用岩盤浴で、ほとんど岩盤浴には転がりもせず、お風呂にちょっと入っただけで爆睡。
韓国のインスボンで覚えたお泊りスタイルだ。お泊りはスーパー銭湯(笑)。山梨の石和でも同じスタイルができて、東京方面のアイスクライマーはそうやっている。山とお風呂に入浴がついただけで山屋はハッピー。
お風呂があるだけで、冷えた体にはだいぶ違う。ゲストハウスではシャワーブースだったので結局使う気にならなかったんだよなぁ。旭川の日帰り入浴を次回は、ちゃんと調べておかねば。
2/7
8時30にチェックアウトして、トータル3180円だった…。安い!
朝食においしいコーヒーを目指して、街中へ。サッポロは福岡より大都会だった。
その後、北海道と言えば、の秀岳荘へ。おしゃれな山道具屋でビックリした。HPはレトロで、昔の山屋さん風なのに。
店員の若い男性がアイスクライミング事情を色々教えてくれたが… 北海道のほうが、クライミング環境は九州よりいいのかもしれない。
九州では、時代錯誤感がかなり激しい…ということが今回の旅でも判明した。このことは、端的な指摘ができるので別途。
その後、16:10のピーチで福岡帰着。家無し子は疲れた。やっぱり車中泊で行き来するほうが楽だし、パソコンがなく、記録を吐きだせないのがつらい。
そのまま、バタンと寝て、本日。ピーチはあまり良いフライトではなかったので、もう使わないと思う。
■ 乾燥した土地
帰宅して、一番のハイライトを考えると、やっぱり 馬→車 だな…と思った。
アイスクライミングやフリークライミングもしたいが、そうしたことによる地域振興は、選手クラス、開拓者クラスの人の役目のような気がする。
43歳でクライミングスタートした私のような人は、趣味の範囲で良く、世界的な記録保持者とか、ピオレドール受賞者とかになりたいわけじゃない。
フリークライミングで、5.12が登れたと仮定して、私の人生に何かすごいインパクトがあるか?というと?
ないと思う。
英語が話せることは、私の人生の幸福に著しいプラスの効果をもたらしたので、英語は重要だ。
冬山に登るスキル、というのも、英語同様に私の人生へのインパクト絶大。幸福度は一気に上がった。滑落停止とか覚えておくと、ゆとりができますよぉ。
が、登攀の能力は…?そりゃ、登れないより登れたほうが楽しいけど、楽しさを求める分には、もう充分登れる。5.9で十分なのだ、愛好者となるには…。今からワールドカップの選手になるような練習したって仕方がない。
というので、やはり、自分がしたいライフスタイルの確立の中で、馬を移動手段とする、車の代わりにしている、というのは、ものすごくインパクトが大きい、大事な部分だと思った。
私は、八女の暮らしや和歌山の色川の暮らしは湿気の点でどうしても体に合わなかった。
山梨は合って、快適だった。違いは乾燥。私はカラッとした空気が好きみたいなのだ。