■ 現代のソーロー
ひょんなことから、”森の生活”を得た。
H.D.ソーローのウォールデン(邦題『森の生活』)は、言うまでもなく、山やのバイブル、だ。
ソーローが2年であきらめた森の生活を、20年続けた人がいる…それが、ダルマさんこと、だるま放牧豚の中村さんだ。森の生活歴20年。
その生活ぶりは?ご本人いわく、”その日薪暮らし”。
アーティストのパートナーのりちゃんと森の中で、白黒二匹の犬、一匹の猫、の5人暮らし、で暮らされている。
■ 森の中のログハウス
「そうか、人間の役目は、森の再生なんだな…」
これが今回の滞在で得た山からの答えだった。山はいつだって、私の疑問に答えてくれる。
ミミズは、植物遺体を食べて土にする。蜂たちは、花々の受粉を助ける。木々は、二酸化炭素を吸収して、酸素を作る。
すべての動物が、生態系サービスに関して、何らかの役目を担っている…。その中で人間だけが、生産者ではなく、破壊者しかしていない。なんらの役目も負わず、貢献もしていない。
そして、人間がこの一世紀に犯した最大の過ちは、生態系サービスの頂点に人間存在を置いたことだ。次の図式に表される。
この図の右の生活を体験できる場、が、ダルマさんとのりちゃんの家だった。
人間界だけが、生態系サービスに何も貢献しておらず、生態系から受け取る一方で、受け取り超過になった結果が、地球資源の枯渇と温暖化だ。
世は世紀末の様相を呈し、食糧危機がリアルに感じられることから、自給自足を目指す人が増えたが、1世紀前に捨てた技術を再度身に着けられる人は少ない。
ほとんどの人は、現代文明の代償として、なす術もなく流されるままになっている…。
ダルマさんが言った、「…普通のマンションに住んでるの…」という言葉は、”まだ流されるままになっているの?まだ脱却できないの…”という哀れみのこもった言葉だ。残念ながら、ワタクシには、現代文明の足枷を突破できる強さがまだ備わっていない…ということ。
そういう人でも、ここでは、他人のふんどしで、森の生活、が実践できる。
■ 登るのはついで、だったんだよなぁ…
そう、
言うは易し、行うは難し…が、ウォールデン、の生活だ。
私自身、山を始めた理由は、文明の悪から脱却し、自然界との付き合い方を学ぶためで、別に5.12を登れるようになろう!とか、思っていたわけでもなく、ギリギリボーイズの皆さんのようになって名を成したい!とか、思ったことは一度もない。(当然ですよねぇ…)
美しい山をテントの中から見れたらいいな♪って、思っただけだし、それは実現した。
厳冬期のテント泊で荘厳なる頂きを眺める経験はできた。
思えば、私はこれまで夢を実現してきたし、これからもしていくべきなのだ。
なのに、なぜ、今、自分の命を粗末にするようなクライミング仲間を制止するご意見番みたいなブログを書いているのだろう…(トホホ…)
そもそも、フリークライミングに進んだのは、それが山の基礎力であるからに過ぎない。しばらくは基礎を固めなさいということ。
基礎力をおろそかにして、高度な山に進んだために死んでいく奴を制止するのは、私の役目ではなく、死んだとしても、本人の業がなせる業に過ぎない。手放せ、手放せ、と神が言うのに、なかなか、手放すことができなかった…。
それは、弟のことがあったからだ。24歳で突然死した。アレルギーがあって口をぽかんと開けているだけで、低知能扱いされ、大した学校に行けなかった弟だ。みなが彼にも分かるように解説してやらない。クライミングのリスクも、誰にでも分かるようには説明されていない…そう感じていた。弟にも分かるように説明してやらねば…。その思いが私の業だ。亡くなった弟に亡くなる前の8年も会っていなかった罪悪感とか、そういうものがそうさせているのだろうか…。
ダルマさんの家に行く一日前、実は、まさに、その、せめぎあいの渦中にいた…。奥村講習だ。”救いの手”ということだ。なにしろ、3級しか登れないのに、ノーマットで登りたい、2段を登りたい、とかいう、頓珍漢なボルダラーに会った折に、突然、降ってわいたように現代のトップクライマーである奥村講習が出てきた。まさに天の声。急場で差し出された救い。お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸。樋口先生、ありがとう!だ…。
■ 森づくり
さて、今回の滞在で、私が最初に任された仕事は、家の周辺での薪の集材だった。平たく言えば、”薪、拾って来て”。子供にもできる(笑)。
だが、小川山と同じことで、周辺の拾いやすい薪は、拾いつくされていた。
薪を拾うにも、人間の通り道に、一杯、支障木が出ていたので、登山道を作っているときの要領で(そう、地域山岳会でもまともなところなら、地元の山を歩くときは整備しながら。つまり、なたで枝はらいをしながら、歩かねばならない…。そして、私が所属していた御坂山岳会は、富士山の遭対協をしている由緒正しい山岳会なのだった。当然、山のイロハは新人にも伝えられる)
私が暮らしたログハウス2棟は、尾根の上に建っており、左右は傾斜の強い谷になっているので、一般登山レベルの人には、ちょっと傾斜をこなせないレベル。なので、お二人も谷へは降りていないそうだった。山やじゃないから、当然か。
尾根沿いは、当然ですが、自然林。といっても、パイオニアツリーのタラノキとか、ヤマウルシのようなもの…、枝が張り出して、通路は自然に還りそうになっていたので、なたで落として、以後、通りやすくした。つまり、整備ということだが…なんだか、整備したいのに自分の森がなくて、欲求不満だったみたいで、不満解消されて、楽しかった(笑)。途中、昔の山岳会の仲間を思い出したりして、くれさん元気かなぁ…などと感慨深い。
道をふさぐ巨大な倒木の松があった。風倒のようだった。形が良く虫に食われていない松ぼっくりを大量にゲットしたが、倒木処理だけに1時間くらいかかった(笑)。手ノコしかなかったので、まじめに手で伐ったからだ。次回はチェーンソーを持って行けば、もう少し薪が取れるが、松は脂がでるので、外の湯船の湯沸かし専用だそうだ。
私は沢もやっていたので、不整地は慣れており、谷の方にも降りてみたら、植林地は古い踏み跡があったが、下草で道が閉じてしまっていた。下に降りてから、踏み跡を伝って上がるのは簡単だけど、降りる方は、降り口が見つからないので、安全に降りようと思ったら、尾根から、遠回りしないといけない。当然だが、山では下りるのは難しく、登るほうが簡単だ。
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これはよそのですが、小屋番でも 薪を上げるのは大変っていう事例 |
まぁ、それでも家の周辺のことで、大して距離があるわけでもない。車の生活で運動不足になりがちなので、運動がてら…が、良いかと。谷のほうは他人の植林地のため伐倒はできず、落ちている薪を拾おうと思ったら、いったん、下の広場までおろして、チェーンソーを持って降りて、運べるサイズにし、持って上がりたかったら、背負うための背負子が要りそうだ。
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背負子はこういうもの |
余談だが、大体、山小屋では、20代の男子が担当。強い子は、50~60kgは担げる。
女性でも本格的な山をやる人は、25kgまでは担げて歩けるはず。一般登山者は、登山装備が軽くなっていることがあり、60代のおばちゃんになると、12kgも担げない。30~50代の壮年期の男性なら、30kgは特に問題なく担げる重さです。
南アルプスの両股小屋では、60代の星さんという女性の小屋番さんが、歩荷で荷揚げしていた。”年を取って、20kgが堪えるようになってきた…”と言っていたよなぁ…。大体60代の男性と40代の女性が同じ強さなので、星さんが60代で20kg担げるというのはスーパーおばあちゃんだということだ。
■ 針広混交琳というけれど…
さて、放牧のほうはさして手がかかるわけではないので、私の持ち場、は、皆伐跡地での薪の集材だった。
これは、チェーンソーに使い慣れたい私には、とても良い持ち場だった。
持ち場には夜明け直後に到着する。山の朝はとても気持ちが良い。宇宙の英気がみなぎる時間と言われるブラフマムフルタの時間帯には、すでに起きて朝食を済ませ、夜明けとともに仕事を開始する。今の時期は日の出が遅く、7時半から8時頃。
以前、山仲間と山は何時が一番きれいか?で議論したが、8時頃の山が一番美しいという意見が強かった。たしかに午後になると、空気が疲れた感じというか、よどんだ感じがしてくるものだ。
私の持ち場は、緩やかな谷地形の皆伐跡地だったが… 分かったことがある。
広葉樹は、かかり木の元凶、ということだ。
なにしろ、横に枝を伸ばしているのだから、当然、倒した木が引っかかってしまう率が、すっくと立っている針葉樹より強いのである。
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そりゃそうだなー |
これを見たら、かかり木は必然だな~と思ったが、これを取るのは、フェリングレバーでは、ちと厳しそうだし、ロープで引いても同じで、登ってかかっている木を玉切りする以外に有効な手立てはなさそうに思う。
もちろん、フリークライミングの手法ではランニング支点がないので、登れない。
ので、なんらかのエイド技術が必要だが…。長いはしごを装着し、固定したら、登るのは簡単そうだし、上の枝に確保を取り、ぶら下がって、ホーリングでチェーンソーを上げ、2,3玉切りの要領で枝を落とせば、かかっている木の伐り方自体は大変そうではない。このままだと、上の木の搬出に支障が出そうだ。
一般に、都会の自然保護主義者は、針葉樹と広葉樹が共存している針広混交林とか言うが、現実的に、材を搬出しようとしたら、まぁ、それは手がかかる、という意味だと分かった。
今回は、私は伐倒はせず、すでに落ちている材の解体でチェーンソーを使っただけで、伐ったのも、せいぜい15cmの丸太サイズである。それでも、丸太を下におろすには、尺取り虫の要領で、丸太を持ち上げては倒す、持ち上げては倒す、と繰り返す必要があり、下に人がいると、倒した木がどこへ向かうのか、定まらないので、危ない。一人でやるのに適した作業で一人でやるのに適した場所だった。
山でもいつも単独登山で、一人が好きなので、マイペースで作業ができ、山の中でいい空気を吸って過ごすことができて、気分が良かった。マイ山バイト、農業バイトの中でも、1、2を競う、快適な仕事だった。これなら、毎日でもいいなってくらい。この現場が終わったら悲しいなぁ…。
玉切りするにしても、複雑に折り重なったふくらはぎサイズの丸太は、跳ねたりしたら、それなりに危険なので、ゴーグルで目の保護くらいは必要だし、つま先に丸太が落ちて来ても嫌かもしれない。あれこれ、一応、リスクを考えて、どこを切ると効率よく、ばらせるか?を考えるので、考えては伐り、考えては伐り、の連続だ。ただ、やっていると、飽きても来て、作業が雑にもなってくる…人間、めんどくさいと、手っ取り早くやろうとする…ので、振動障害の予防からも、朝やって、昼からは、別のことをするのがいいだろうとは思う。
そういえば、振動障害的には、一日の振動被ばく時間をトータルで2時間以下、にするように指導されている。
11時前には帰宅し、お昼ご飯を待っている間は、チェーンソーを研いで過ごした。
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このゲージがすぐれものだった |
私は大規模な伐倒はできないが、コツコツ小さく重ねるレベル感で、支障木とか、小さい直径の伐倒ならできると思うので、次回は、伐倒用のギアを持って出かけたい。
これは、私の延岡研修での伐倒動画。なかなか、この時は、緊張していたが、今回の仕事では、チェーンソーはあっという間に使い慣れた。サイズが小さいのが良かったのかもしれない。たぶん、大型のチェーンソーだと今でも怖いかもしれない。
くさびを使うのが現代では、標準で、伐倒方向を確実化し、飛び跳ねが最小化できる。木って倒すとき、倒す方向の反対に飛び跳ねることがあり、それが木こりにとっては危険なんですよね…。
■ なんでもあった…
さて、薪、重要! 薪、入手困難!と分かったところで、現代版ウォールデンな暮らしとは、どのようなものであろうか?
実は山小屋暮らしを経験した人には、楽勝感があった…。
実は、冷蔵庫も、洗濯機も、パソコンも、Wifiも揃っており、現代生活に必要なものは、すべてそろっていた。(ちなみに山小屋では、冷蔵庫ではなく冷凍庫)
ので、森の中に家があって環境が抜群にいい!という以外は、普通に、ここから出勤…つまり、会社勤めなども、やろうと思えばできてしまう。(そういう人がいたら楽しいだろうなぁ…)
長野の師匠の家は、いわゆる”別荘”で、カラマツの植林の中に立っている家だったが、あれが、手作りに変わっただけで、完成度の差以外は、特に変わりがない…。
人に立ててもらった家でも、ログハウスはログハウス。
でも、自分で建てれば、愛着もひとしお。
長野の青ちゃんは、確保実験棟とか立てているお金で、伐倒を覚えれば、薪問題が解決し、薪の代わりにウエアを巻き上げられる(笑)ということもないのではないだろうか…。
まぁ、いくらプロが作ったログハウスでも、-20度を下回る佐久では、暖房薪だけで生活するのは、アイスクライマーくらいだよなぁ。そりゃ、寒いわ!
一方、こちらは九州の家。温暖で、薪さえあれば、寒さはいうほど堪えない。
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快適な森の中の暮らしの様子 |
中はインテリアが、アーティストの女性が暮らしているだけに、アート作品や花が飾ってあったりして、ステキだった。ロフトもあって、ロフトで寝るようになっている。
予想せず、自分が願っていた薪生活にありつくことになった。で、
あって驚いたのが、プロパンガス。なくて驚いたのが、こたつ…。
山小屋では、こたつは必需品って感じで、小屋番していたら、特にそうだからだ。
ちょっとお勧めしたいと思ったのが、オンドル。温かい空気が、煙突から空に抜けて行ってしまうので、輻射熱以外にもオンドルで床から温められたら、嬉しいのではないだろうか?
オンドルだとそう本数が要らないそうなのだ。この家の薪ストーブは、刈っても刈っても、薪が消費されてしまい、薪の消費に供給が追い付かないみたいな感じだった(笑)。
そういう訳で、”その日薪暮らし”。
■ ご褒美は野天風呂
特筆すべき、ご褒美は野天風呂。
これは、ホーローの浴槽があるからこそ、可能になる。直火炊きの野天風呂だ。新鮮な水をゲストには入れてもらえる。炊きだしてから4時間くらいかかる。持ってくるとき、ものすごく重たかったそうだ。
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これはかなりおつです。隣にテーブルを作ってお酒を飲みながらやるといいかも… |
■ 森で暮らす基礎スキルとは?
さて、このウォールデン暮らしを実現する、基礎力は、トイレ対応と寒さ対応だ。
具体的には、自分を凍える寒さから守れて、野ぐそが上手に出来なくてはならない。
これは、そのまま、一般登山の山やが、山をスタートしてすぐに習得することだ。
私が、今回快適に暮らせたのは、この二つの基礎力が十分身についていたから、という理由による。
■ 野トイレ
本来、自然界には、トイレはない。
この家には手作りの外トイレがあり水洗だそうだが、使う理由が見つからなかった。外の方が快適だからだ。
昨今は、登山ブームで登山口にトイレが整備されてしまい、野ぐそスキルが落ちている登山者が多く、人気がない山に行くようになるまで、スキルが身につかないという事情があるが、一般には、”お花摘み”とか、”キジ打ち”とかいう言葉で、登山者に親しまれている。
クライマーも本来はそうだが、例に漏れず、最近のフリークライミングでは活動自体が軟弱化し、レジャー化してしまったので、トイレスキルがない人が多いが、例えば、ヨセミテでビッグウォールをやろうと思ったら、空中野ぐそができないと登れない。
適所を見つけるのと処理がスキルの内容で、基本は、穴を掘って埋める。通行するところにはしない。小用は、雨の当たらないところにしてはいけない。どちらも分解を促進させるのが大事だ。
■ 寒さマネジメント
次は、寒さのマネジメントスキル。
これはスリーレイヤーが基本だ。アンダー、インサレーション、アウターを重ねる。
アンダーが最も大事。アンダーはウールもしくは化繊、インサレーションはダウン、アウターはゴアテックスが、定番だ。
寒さ対策ができるかどうか?は、-10度以下になる山では、生死にかかわる。なので、衣類は、ファッションではなく、装備、である。
この認識の差が都会人には、まず敷居が高い。どうしても、憧れレベルで、なんとなく森っぽいが、機能的に森での用途に満たされないものを買って来てしまう。例えば、コットン製のアウターとか。コットンは気化熱で体温を奪うので、雨が降ったら、体温を奪われ、脱いだ方が温かい。化繊かウールでないと、気化熱での低体温化は防げない。
ソックスと手袋、ネックゲイターや頭の防寒も、重要な装備だ。都会生活者は、小物を使わない生活ですっかり忘れてしまっている。なので、あえて言ってやらないと、途端に寒さを感じることになるだろう。手首、足首、首、なんでも首とつくところが寒い。頭も皮膚が薄いから当然寒い。
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私が暮らした小さいほうの小屋 |
私が今回滞在したのは、厳冬期1月だったが、日中気温は8~10度にも上がり、朝夕でもマイナスになることはなかったので、3レイヤーの基本を守っていれば、大げさな衣類は要らない。
暑くなったら脱ぎ、寒ければ着る。
停滞時は、冷える前にすぐに防寒着を着る。
これも基本だが、出来ていない人が登山者でも多い。山小屋に入ったら、アウターを脱いで、ダウンを着るんですぞ?
運動量がある、出かけるときにダウン着たままだと、すぐに脱ぐことになる。
農業もアウトドアの活動ではあるので、基本は同じなのに、農家の人でも、いい加減な服で、だましだましで、寒い寒いと文句を言う人が多い。大体、よく見たら、アンダーとかを着ていないとか、何だ、ちゃんと防御していないじゃないか、ということが多い。冬はズボン下は必須ですぞ?冷えは下から来る。靴も防寒靴、っていうのがありますが、ゴム長は断熱しないので、とても寒い。
■ すすけてしまうが不潔ではない
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牡蠣焼いて食べれる |
室内で薪を炊いていると、どうしても、色々なものがすすけて来てしまう。
それで、すべてのものが薄いグレーの被膜を一枚被せたみたいな色合いになって来てしまい、それを不潔だと勘違いすることもできる…
映っているケトルを見てもらえば分かると思うが、不完全燃焼する薪だと、ガス火と違って煤の焦げ付きがひどい。
衣類を薪ストーブの上で干していると、もれなく、衣類もグレーっぽくなるんだが…別に不潔ではない。
まあ、見るもの、というのは、なんでも比較の問題で、糸島ではオンボロ車に見える私のマイカーが、ダートに汚れた農業用の車に囲まれていると、高級車に見えたくらいだからなぁ…。まぁ、すすけては来るが、女性が暮らしているので、不潔ではない。
私は、立派な家でも、不潔な家だったら、速攻で帰ることにしている。前回、大阪にウーファーに行ったときは、人間も家も不潔で、一晩持たず、すぐに帰った。今回は、清潔度ではきれいで、快適。
■ 丸太小屋づくりも学べるかも?
伐倒ができるようになれば、丸太が手に入る。これは当然といえば、当然だ。
丸太が手に入れば、ログハウスができる?かというと、答えは微妙だ。
Yesでもあり、Noでもある。
まず、丸太の量の確保が問題だ。
それから、運搬。
そして、積み上げには、動力がいる。
動力に、ユンボが使えないと、人力で丸太を持ち上げることになる。
この辺りは、『大草原の小さな家』を見ていれば、その実際の大変さがうかがえる。テレビドラマとはいえ、かなり事実に基づいていると思われる。(https://amzn.to/3AfnU1d エピソード1の20分のあたり)
実は、私はユンボ、使える。なんという導きだろうか…。
もしかしたら、ログハウスも作れるのかなぁ…。夢は膨らむが、出来ているログハウスに暮らせるのと作れるのは別の話だからなぁ。(ちなみに、ここのログハウスは、20年ものだけに、コーキング材がすでに痩せて抜けていて、寝ていると外の光で布団の上がストライプになる)
伐倒は、岩場の整備でも使うことがあるし、もちろん、玉切りは、女性でも取り組みやすいので、チェーンソーワークは絶対に必要だと思っていた。
が、ユンボは使うことを想定できなかった…まさか集材や作業道は、女性の私は見ているだけだろうと思ったのだった…ので、基本操作を終わったところで辞めてしまい、道作りまでは教わっていないので、2月に美里町まで教わりに行く申し込みをすることにした。
というのは、ダルマさん、別の場所に大きめのログハウスを作るアイディアを温めているようだからだ…。それには、ユンボは搬出でも、必須の技術になる。
今のログハウスのサイズは、六畳の小屋、四畳半の小屋の二つで、暖炉がある小屋が欲しいだそうだ。(本当に暖炉が出来たら、すごい)
■ まとめ
というような、今回のウーフ経験だった。
ラオスのグリーンクライマーズホームでは、岩場のすぐ後ろで、牛が草をはんでおり、さらにヤギが放し飼いされ、スマホをのぞき込んでいると、ヤギが遊びに来ていた。
寝床はカヤ付きの簡易ベッドで、ずらーっと並んでいる様子は野戦病院みたいだったが、別に生活は快適だった。シャワーはちょろちょろしか出なかったが、ヨーロッパ人は水がないのが普通なので、それに文句を言う人はいない。
それを思うと、水使い放題のログハウス生活は天国だった。
動物も犬と猫がいて、人間と動物が寄り添って暮す暮らしが実現されていた…。こういう場を日本のクライマーにも提供したら、人生が変わる人が大勢出るのではないだろうか?
クライマーは、有り余った生命力を向ける矛先を現代社会以外に求めたい人たちが多いのである…が、残念ながら、グレードを上げる以外に矛先を向ける先を見出せない人が多い。
いっくらクライミンググレードを上げたところで、世界の頂点に立つクライマーは、それこそ幼児期から、親の一流クライマーに英才教育を受けているわけで、そんな奴らが、わらわらと湧いてくる現代に、趣味のクライマーが、グレード自慢していても、目くそ鼻くそレベルの話にしか、どうあがいてもならないのであるし…
ちっぽけな自己顕示欲程度しか満たせない、そんな不毛な足の引っ張り合いをするくらいなら、地球を愛するメンバーに参加してもらいたいものである。
そもそも、ロッククライミングは、ゴルフ場開発なんかより、うんとエコフレンドリーだ。
延岡の行縢辺りに、建てれないのかなぁ… エコなクライマーズハウス。行縢は、色々なクライマーが入って、あまりローカルが牛耳っていそうでないのだが…。