2021/07/17

アメリカアクセスファンド協会の会議のお知らせ

 https://accessfundconference.secure-platform.com/a

Registration is now open for Access Fund’s 2021 Climbing Advocacy Conference. We’re calling all climbing advocates and local climbing organizations to join us virtually on October 8 and 9 to celebrate access victories and learn from fellow climbing conservationists across the country.

Registrants can look forward to:

    Presentation of the 2020 Climbing Advocate Awards

    A virtual roundtable to introduce participants and their organizations

    Panels and workshops on stewardship, working with land managers, land acquisitions, LCO development, JEDI programming, rebolting, low-impact climbing awareness, and much more 

    Access to inspiring, action-packed documentaries from Mountainfilm on Tour

    Recordings of all sessions

Registration is free, but space is limited so secure your spot soon. You can view a draft agenda at the link below to see what’s in store for this year’s conference.

※ Justice, Equity, Diversity, Inclusion (JEDI)

リンク先にある動画が秀逸で、こんな風になったらいいなと思いましたが、どうもコピペで張ることができない仕様なので、リンク先に飛んで行ってみてもらいたいです。


2021/07/15

打ち付ける雨を眺めつつ…

ついに雨が降ってきました…大荒れです

子どものころ、親の不在の家で、弟と二人、不安に思いながら、ベランダで、驚きつつ、光る稲妻を眺めていたことを思い出します…濡れるのも気にせず。

母親代わりのお姉ちゃんとしてではなく、普通の子ども時代が送りたかった。弟と普通に兄弟として遊ぶ時間が欲しかった。弟を亡くして、そうしたことは一切叶わなくなった。気が付いた時には、弟はすでに亡くなっていました。

クライミングは子供時代のやり直しみたいな活動で、弟の遊びに混ぜてもらう姉ちゃん、でした。

しかし、いくらみんなが優しくて一緒に遊んでくれても、弟ではないし、また子供時代の無邪気さで遊べるわけではない。

いくら私が相手に弟を投影したところで、あくまで違う人だし、無邪気に遊びたいと思ったところで、もう大人だし…。

それだけ、子供時代というのは、貴重な時代だということです。

子どもから、子供時代を奪うのは、非常に残酷なことだな。

私の母のようにやむを得ない事情があったとしても、その残酷さは変わらぬわけなので、子供が子供らしくいられる社会になってほしい、と思います。

現代は、特殊な事情がない家庭でも、子供から子供時代を奪っているんではないだろうか?

子どもとしての子ども時代を喪失した子供は、大人になって、大人として子供時代を再演する…そのためにクライミングという活動が大人に許されているのかもしれません。

ラオスでジュマが取ってくれた写真


【栄養学】コーヒーは決してこの3点を無視して飲まないでください。

交流分析手法でクライマー集団を見てみたら

 ■ 交流分析とは?

人間の自我を 

P=ペアレント

A=アダルト

C=チャイルド

という3つの自己に便宜的に分けて、交流が並行的交流(発信者が、△と投げたら、受信者も△と受け取る)と非並行的交流(発信者が△と投げたら、なぜか受信者は×と受け取る)を分析表現したものです。

■ クライミング業界に多い定年退職者のPACバランスとは?!

次の写真は一般的な老人のPACバランスです。なんと… アダルト、すごく小さい…



右の1)は、一般的な老人のPACバランスで、ペアレント(親)としての保護者的な自我が大きいです。しかし、社会人として実務処理の能力をつかさどるA(アダルト、大人)としての働き…分析能力や判断能力、実行力、は、まぁ当然ですが、現役並み、とは言えないわけですね。知恵は出せるけど、実績は出せない。ということです。まぁ、当然のことなので、特に驚くには値しないです。

さらに左の2)では、幼児帰りした老人の姿となっています。身体的能力も衰えてくると、人に頼らざるを得ません。

これらの自我が一般的な、”おじいちゃん”の自我とすると、特徴は、Aが非常に小さいことです。


■ 若者の自我

こちらが、思春期の自我です。これは、拡大解釈して、クライミングでは、若者、という大まかなくくりで、この自我が見受けられるように思います。


例えば、私の最初のパートナーのS田さんは、アルパイン初心者でしたが、ジムで5.11が登れたので、そのまま北岳バットレス四尾根に行って良いと思っていたようでしたが…つまり、A、アダルトとしての分析力が経験不足からない、発揮できない状態です。

これは、本人の意識としては、俺はもっとできる!と思っている状態ですが… まぁ、思春期と同じで、正常な発達段階というか…痛い目に合って理解するか?最初から理解するか?は人に拠りますが、大体は通る道というか、そんな感じです。


■ 現代初心者と高齢者という組み合わせ

そして、この現代初心者と高齢者という組み合わせが、岩場で一番多い関係性のように思われます。特に山岳会。今は、クライミングを教わる機関がありませんので、大体の人が山岳会などに行かざるを得ないわけですが… 最も必要な、アダルト、大人として

・クライミングを評価し、・分析し、・何がセーフクライミングに必要な要素か?

と考える自我が…

揃い難し…

ということが、岩場の人口動態から言えてしまうわけです。なにしろ、40代、とか岩場では非常に少ないです。

ちなみに山岳遭難で最も多い人口は、65歳以上及び20代です… 

クライミングは、童心に帰れて楽しい活動ですが、本当に童心に帰ったら…ロープも結ばないで、怖いもの知らず自慢みたいになってしまいます…それは童心に帰る行為ではなく、たんなる、幼稚な行為。

そんなことすら、アダルト=大人としての冷静な視点が欠如すると、客観的に指摘してくれる人がいないという結末になりえます。

そもそも、大人という自我が、岩場には得難い自我である、という話でした。

 定年退職者+現代初心者 = アダルト自我不在で危険が多い組み合わせ

 定年退職者+壮年期クライマー = アダルト自我を補完する組み合わせ

 現代初心者+壮年期クライマー = アダルト自我を補完する組み合わせ

参考図書: 池見酉次郎著 『セルフコントロール』https://amzn.to/2UboSek

2021/07/14

ヒマラヤの山岳史が過去20年間進化していないことについて…

■ ヒマラヤ史

山野井さんのヒマラヤの記事を読んで、そうなのかぁ…と思った。

第三回

http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_3_special/?fbclid=IwAR1WQMUnQfzlE3xtSN7w_ieUGiFFYvkAknaahX1vpoh6VRmgz4L_fAvpJ04

第二回

http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_2_special/

第一回

http://www.switch-pub.co.jp/yamanoi_coyote_interview_1_special/

とはいえ、どんなメディアにこれが載っているか?ということが意味深い…。

■ サブカル系文系雑誌

本来、文登研の『登山研修』にでも載せるべき記事だが…、残念というか、世相を表しているというか、サブカル系の文系雑誌に載っている…。

血の気の多いイケイケ男子がいるとしたら…というか私が知る限り周囲の男性クライマーはみんなそういう体育会系だったが…、最も手に取ることがなさそうな雑誌である。

…男性社会の間では、”文系男子”と”体育会系男子”の亀裂は、女子のそれより深い。

男らしさの根幹…自分の存在のアイデンティティの根拠のところ…で、違う発想をしているせいだろう。互いにいがみ合うというか、否定しあっている相克の関係性だ。

女子にはそれはないので、女性の目からは、にわかには分かりづらいのだが…。

ヒマラヤで命を賭したアルパインスタイルの山(つまり、厳冬期のマイナス〇〇度という山で、しかも極地法ではなく、少人数や悪くすると、ソロ)という山をするのは…

 今、一体どれくらいの人が指向しているんだろうか?

■ ボルダー

ボルダーは、要するに、男性の体力燃焼のお気軽バージョン、とでもいうような行為という側面が強い。

高度経済成長期の父親不在の家庭が大多数になった日本で、ママボーイの男性が一般家庭においてすら増え、なおかつ肉体労働の必要のなくなった現代社会で、あふれ、余った、体力を気軽に燃焼できる、健全な場、という趣だ…。なにしろ、ジムなんかにいくより、タダ、だし。そこにはあんまり思想的な奥深いものはない。

(念のため言っておくと、まぁ、トップクラスの人ではなく、市民レベルの話で。ママボーイというのは、まぁ悪環境に耐えれない人がやるスタイルだからだ。例えば、岩場にいるのに、除菌シート持ってくるみたいなタイプ。冷暖房完備を望むタイプ)

アルパインクライミングの主たる舞台は、パタゴニアに移動したのかなぁ…と、祐介さんの記録などから、思っていたんだが…。

ヒマラヤが終コンなのではなく、単に、ママボーイが増えて、ヒマラヤ的環境に耐えれない、耐える価値を見出せないってだけなのかもしれない…。

山でも実は人材難、なのかなぁ…。




2021/07/13

向き合い力… 社会に対する恐怖を乗り越える

■低い社会性=向き合い力の低さ?

 向き合い力がない…

というのが、

 クライマーあるある

の弱点なんじゃないかなぁ…。公共のマナーが悪いとか、それ以前に。

■素人クライマーじゃなくても分かりにくいですよ

私と先輩の荒木さんは、クライミングの本場山梨から来ているクライマーで、素人クライマーでも、初心者クライマーでもない。

そんなクライマーが転地してきて、登っても、”この支点、何製なのかなぁ?”と思っても、一体どこの誰に問い合わせしたらいいのか、にわかには判別できなかったしなぁ… 

やっぱり日本百岩場に載っている岩場を順繰りにたどるしかなかったよなぁ。要するにローカルクライマーの顔が見えないってこと。窓口がない。

別にこれは九州の岩場に限った話ではないが。

というので、結局、アクセス問題ということを考えると、

 クライマー側が未組織であること

で、責任から、逃げに逃げまくり、かれこれ40年、みたいな状況なわけだ。

アクセス問題に真っ向から向き合った、向き合い力があった人って

井上D助さん

一択なんですかね??? 私はホームベースの岩場としては、あとは昇仙峡しか知らないが…。 昇仙峡は、名だたるクライマーが登っていた。佐藤祐介さんが今では有名かな。ガイド講習会を募集しているくらいだ。

そんな有名クライマーが使っている岩場でも、

  既成事実を積み上げて、なんとなく、事後承認を得る

という方法論しか誰もやっていない。

例えば、ガイドの三上浩文さん、佐藤祐介さん、故人だが吉田和正さんなど、何十年も登っていたり、世界に名をとどろかせたピオレドール受賞者であっても、自ら矢面に立つということをしていない… 社会的な地位があってもやっていない。自分の役目ではないことになっている。

地元の山岳会は見て見ぬふりをしている。(富士山は御坂山岳会の管轄だが、甲府の山岳会、特に老舗の白鳳会など、おひざ元の昇仙峡のことはやっていない)

山梨ですらそう…というより、山梨近辺のほうが問題は複雑だ。

九州は、米澤さんが関わってきた岩場である限りは、開拓前にきちんと許可関係が取られている…そんな丁寧に作り上げてきた、許可付きの岩場…なのにね…。ボルトが悪いとか、知識がアップデートされていない程度のことで、知識を得たら一瞬で解消されるような問題なのに、誰もが向き合って来なかった結果が日向神みたいな感じだ。

結局のところ、誰もが、アクセス問題に向き合うという、めんどくさい役をほかの誰かに押し付け合っているのである。

つまり、アクセス問題に携わる=ババ抜きのババ。

アクセス問題にきちんと向き合う人にこそ、クライマーとしての栄誉を与えるべきだ。

2021/07/12

グレードで勝つより、命が大事

 


ゆずる=グレード競争で相手に勝たせる

大事なもの=命

ゆずれない人は、大事なもの=プライド

になっているカモですが…命より大事なプライドだったら、まぁそれも一つの選択として、アリ、ではないかと思います。

7月はレスキューを復習する月ですね!

今年はしませんが、例年以下のような活動になりますね…。雨が多いので、活動は必然的にレスキュー系が多くなります。

2016年 トキン岩でレスキュー講習主宰のため、岩場下見

2015年7月12日  西湖の岩場でアブミにのって核心を超える練習

2013年 ダブルロープの購入 山岳総合センター 危急時講習

2012年 夏山情報の収集



2016年のニルバーナの記録

今日はレスキュー講習会の下見のために、蓼科へ。ときん岩へ行って見たが、ペツルがなく、カウンターラッペルに良い場所はみつけられなかった。

が、山に入ろうとすると、車が寄ってきて、「あめ、あめ!」と言う…雨?と思ったら、そのおじさん、飴ちゃんを持って駆け寄ってきた。

ビックリして、「なんでアメくれるんですか?」と言うと、「俺もレスキューしていたんですよ、消防」ということだった。

装備を見て理解してくれたらしい!うれしい出来事だった☆ 

今日は大快晴で、最近岩登りばかりでピーク感がない山が多かったので、ひさしぶりにヤッホー感を味わった。

その後、カウンターラッペルの練習によさそうなところも無事発見。


2021/07/10

幸せ Nirvana

■ 幸せ

最近、クライミングをしなくなって、本当にシアワセ化してきたというか… なんというか…。

なんで、クライミングをしていたこの4年ほど、特に九州では、あんなに必死になって、危険を訴えていたのだろう???みたいな感じ(笑)。

危険…つまり、死の危険がリアルに、本当に毎日、身近にあるのがクライミングという活動で、それは、仲間の無自覚さで強まる。

■ ゆでガエル現象

ゆでガエル現象とは?徐々に状況が悪化していると、湯の温度が致死レベルになっていてもカエルは気が付かない。

それと同じことが九州の岩場では起きており、致死レベルのボルトや致死レベルの終了点で、みんな涼しい顔をして登っている。それどころか、”いや、これはちょっと…”と指摘すると、こちらをチキン指定(臆病者呼ばわり)して来る現実認識力の無さだった…(汗)。つまり、熱い湯を熱いと言ったら、”え?これ冷水ですよ”って言われる…、それが私に起こったことだ。

そこから、これは冷水か?熱湯か? エンドレスループで、悶々としなくてはならない4年間が始まった… (ちなみに黒田論文で、結論、熱湯と出た

いや~、私の山梨フリークライミング歴は、実質たったの一年ですからね…フリーは2016年のスタートで、山梨でたったの1年エンジョイクライミングをしただけ。新しい師匠ができ、故・吉田講習に行きはじめて、新しいフェーズに入ったな、と思い、このブログを記録としてつけ始めた。楽しんだ”つけ”としては、代金は異様に高かった…。時間に換算して4倍ってところかなぁ…。

本当は、あっちっち!と思った瞬間に(初回での四阿屋でグランドフォールを見た時や支点ビレイを確信した時…あるいはジムでボラれた時)辞めれば良かったんだけど…。変に律儀で、亡くなった弟のことをクライマー連中に重ねてしまう、ということもあり、どうにも手放せなかったのだった…。

相方の荒木さんは、仕事が不定休で、登ってあげる相手がいなくて、いつも困っている奴というのを山梨にいる頃から、知っていた、ということもあった。平日パートナーは見つけるのが難しいものだ。クライミング人口の母数が少ない九州ではなおさらだろう。

■ D助さん、ありがとう…

私がクライミングから足を洗えるようになったのは、2020年のD助さんのリボルト講習会がきっかけだ。訴えていることが聞きとげられた、という気がした。

九州のヘンテコ手作り終了点については、特に日向神のものについては、あそ望の松井さんなど、何度ほかのクライマーが平気に登って見せてくれても、やはり、”時代遅れで強度不足”という事実を覆すことはなかった。(日向神は、九州の小川山)

小川山では、ある程度、ギリギリの本気ルートも登っている。例えば、ジャーマンスープレックスは10cのスラブだ。だから、同じようなスラブの”愛は勝つ 10c”は取り付いても良いハズだ。しかし、全くやる気になれない…。その差を考えると…?やはり、ジャーマンスープレックスは上核心。しかも、カムを2つ噛ませることができる。一方、愛は勝つは、下核心で、なおかつボルト依存だ。

スラブはリーチの不利を技術で克服することができる唯一の形態だが…それでも、命を賭して登るほどのものがあるかと言われたら、ないだろうと思う。しかもゲレンデで。

■鈴木さん、仁平さん、樋口さん

話しがそれたが、バムクライマーの鈴木さん、仁平さん、樋口さんに特に感謝している。

…いや~ホントにありがとうございました。本当に今ある幸せは、この方たちのおかげ。

バムしている鈴木さんとは、日向神と八面を登り、JFAに今年の冬リボルトされた古いエリアで登ったが、2撃で登れた10cが登れなくなっており、怪我からの復帰クライミングでは、やはりクライミング力は膝やふくらはぎの怪我以来、落ちていて、その程度がどれくらいなのか?ということが理解できた…。 

もっとも、確かめたかったのは、登攀力落ちているという事実ではなく(そんなことは当然なので)、その事実に対して、自分がどう感じるか?だった。

結論、別に悔しいとも思わなかったわけで、まぁ、私にとって、そこまで重要案件ではないということが確認できた。

それより、鈴木さんが出してくれた餅の朝ごはんとか、バムスタイルのクライミングライフとか、そちらに感銘を受けて、私はクライミングよりもクライマーのライフスタイルが好きなのだと分かった。物質的執着から離れている。

遠方から、仁平さんが訪ねて来てくれて、再度日向神に出向いたが、彼はスポーツクライミング仕込みの典型的な現代クライマーで、しかもリボルトや外岩での技術習得に誠実で前向き。

だが、そんな奇特な人でも、やはり、ベテランクライマーなしでの外岩での自立には遠いと思われ、技術面も知らないことが多いようだった。

例え、意志があっても、習得する場や相手がいないから、出来ないだけで、現代のクライマーが、無知だと非難を受けるのは妥当な指摘ではない、と分かった。彼のようなクライマーは私のサンプルの中にいなかった。

相方であり先輩だった荒木さんは彼と同じくらいの登攀グレードで、大学山岳部を経由していない現代クライマーだったが、リボルトなどには後ろ向きで、自分の山に役に立たない技術習得には興味がなかった。そのため、外岩自体のリスクという点では、感性以上には言語化されていないと私は感じていた。

彼は常にハードプッシュで勝ちを勝ち取っており、時間の問題で勝てない瞬間が出てくるかもしれない…と私は長い間、感じていた。なぜなら、20代以外は、体力は下り坂、だからだ。同じ方針を続けていたら、理論的にリスクは上がり続ける。もちろん、パートナーとしてビレイは信頼はしていたが…。(それにとても心が優しい)

彼とは山梨時代は八ヶ岳のアイスや外岩、とゲレンデはご一緒しているが、他の男性パートナーとのようにルート…例えば明神主稜とか…前穂北尾根とか…厳冬期のアイスルートも…は行っていない。テント泊するような、普通の山で、外的リスク計算能力は分かるものだ。山行計画書を見れば相手の能力が分かる。同じ山岳会に所属していたので彼は先輩だが、その会は、山行計画書ということを教えなかったしなぁ。(私が計画書に詳しいのは鈴木さんという最初の師匠のおかげだ)

私は、いつもベテランに恵まれて登っているクライマーで彼はそうでない。ゲレンデマルチなのに、カムスタックでロープアップができないマルチなど、師匠とのクライミングでは一度もなかった…。韓国インスボンもルートではなく、ゲレンデだと思うが。

そういうわけで仁平さんが、荒木さんにはない安全技術の習得に対する意欲の高さというのを見せてくれ、現代クライマーへの知見が深まった。

私は20代前半の後輩を連れてルートは出ていたが、そういう若い人にベテランの監視が必要なのは当然だ。しかし、仁平さんクラス…登攀グレードではもはや中級者、年齢では青年ではなく、れっきとした社会人…判断能力は十分のはず…でも、やはり、ベテランクラスからの監視というのは、ある程度の期間は必要そうだ、ということだ。

そして、樋口さんと出会ったことで、仁平さんで確信したこと…、一般現代初心者にもベテランの監視が必要だ…ということ、が、現代のセーフクライミングの大きなカギだということについて確信が深まった…。

ただ年齢が行っているだけでベテランに見えてしまうというのが、クライミングあるある、だ。特に大学山岳部時代に初級アルパインルート止まりで、フリークライミングへどっぷりとつかって転身することなく、5.12には一瞬も手がかからなかったクラスの人というのは、ペテラン化の可能性が強い。アルパインをやったことがあると言っても、前穂北尾根で終わりとか、黄連谷が最高難度、では…。もちろん、今も毎年通い続けていれば違うが、大体は瞬間風速の話で、ゲレンデのクライミングも太ってしまって登れない人が多い。山も中途半端なら、フリーも、ということだ。

樋口さんは一般的なペテラン化した山ヤとは正反対で、スポーツクライミングのコーチの世界に進み、第一線の選手を育ててきた方だ。アルパインも当然経由しているので、クライミングの世界が、どのような進化を遂げて今があるか?理解している。

”そのような指導者が育てる現代のトップクライマー…5.12はアップ課題…にとっての安全”と、”昔の5.8でリードが取れたら尊敬のまなざし…という時代のクライマーにとっての安全”では、安全の意味が、もはや180度違う。前者は、ほとんど9割落ちているクライミングが前提、後者は落ちないクライミングが前提、だ。落ちなければボルトの強度は問題にならない。

山梨クライミング時代も周辺は強いクライマーが多くて、5.13を登るクライマーもいた。彼も、9割落ちていると言っていた。指導者がいない状態でそこまで登れるようになったクライマーはやはり才能があったのだと思う。が、そんな才能あるクライマーも、クライマー同士で結婚して全国や世界の岩場を回るという愉しみの方へ、大体の人は落ち着く…。

もしも、それが到達点とすると、登攀グレードはそもそも高くなくても、特に構わない。私のように初心者時代から臆せず、海外に出る方が得るものが多い。

要するに、クライミングで死なないためには、

・ボルトがしっかりしてランナウトもない海外岩場に出るか、
・もしくは、国内岩場でベテランの庇護のもと登るか、

どちらかが必要だと分かった…。日本の岩場では、新人さんは登攀能力のいかんにかかわらず、ベテランがいないとなれば、安全は犠牲にして登らざるを得ない。それが起こっているため、ながらく事故が減らない。

■ ただ楽しく登る

ただ楽しく生きる、それだけが本当に大切なことなのに、なぜか人はすぐにそれを見失う… 本当は楽しくないことを、なぜだか、やらされ仕事でやる羽目になる… 

そういう立場に今陥っていない。だから幸せになってきた。

外部的な条件は何も変わっていなかったりする… 

幸せは何かを足すことにあるのではなく、何かを引くことにもありうる…

仏教は、苦を見つめなさい、何が苦しみの種か見極めなさい、と言っている。一度は気に入った活動でも、それが苦悩の種になることもありうる。

そういえば、バレエもそうだったなぁ…甲府では最初の3年はなんとかバレエを継続できるようにと頑張ってみて、ついにあきらめたのだった… 前にもやったな。

なんだ、何も学習していないじゃないか(笑)。

7月10日の出来事…2018年、小川山レイバック再登 宿題終わり、笠間ピンキー2撃、
         2013年、初心者のためのロープワーク講習会 主宰







2021/07/09

研究計画書の可能性を断言できるRNAワク〇ンの特許を解説!【自然療法士 ルイ】

仏教説話に学ぶクライミングの在り方 ABC理論のクライミングへの応用

 


■ABC理論のクライミングへの応用

事実: クライマーは、歴史的に社会性が低く、公共マナーも低い人が多かった。

現象: その低い基準が、やんちゃクライマーとして有名になることで、クライマー社会だけでなく、一般社会で許されて当然だ!という逆の権利意識になって行ってしまう。

ビリーフ: 岩場を汚したり、どんちゃん騒ぎしたり、雄たけび上げたり、…が、クライマーなんだから許されてしかるべきだ、という信念が出来上がる

社会: 「はぁ?」(当然ですが、一般社会には通じません…笑)

アクセス問題勃発

結果: 岩場から追い出される

現象: こういうマナーの悪さは、クライマー自身を生きづらくしている

考察:自分たちのために直した方がいいと思います。

失敗以上に、 変化し成功することを恐れている

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キーワード:

 あなたが提供しているものを必要とする人ほど、

 あなたを批判する。

 解説:

 皮肉なことだが、勉強が必要な人ほど、勉強する人を批判する。

 お金を必要とする人ほど、お金持ちを批判する。

 なぜ批判をするかというと、自分が避けていることを

 直視することになるから。

 多くの人は現状を維持して失敗すること以上に、

 変化し、成功することを恐れているのである。

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オリンピックってこれかな? リボルトってこれかな?