子どものころ、親の不在の家で、弟と二人、不安に思いながら、ベランダで、驚きつつ、光る稲妻を眺めていたことを思い出します…濡れるのも気にせず。
母親代わりのお姉ちゃんとしてではなく、普通の子ども時代が送りたかった。弟と普通に兄弟として遊ぶ時間が欲しかった。弟を亡くして、そうしたことは一切叶わなくなった。気が付いた時には、弟はすでに亡くなっていました。
クライミングは子供時代のやり直しみたいな活動で、弟の遊びに混ぜてもらう姉ちゃん、でした。
しかし、いくらみんなが優しくて一緒に遊んでくれても、弟ではないし、また子供時代の無邪気さで遊べるわけではない。
いくら私が相手に弟を投影したところで、あくまで違う人だし、無邪気に遊びたいと思ったところで、もう大人だし…。
それだけ、子供時代というのは、貴重な時代だということです。
子どもから、子供時代を奪うのは、非常に残酷なことだな。
私の母のようにやむを得ない事情があったとしても、その残酷さは変わらぬわけなので、子供が子供らしくいられる社会になってほしい、と思います。
現代は、特殊な事情がない家庭でも、子供から子供時代を奪っているんではないだろうか?
子どもとしての子ども時代を喪失した子供は、大人になって、大人として子供時代を再演する…そのためにクライミングという活動が大人に許されているのかもしれません。
ラオスでジュマが取ってくれた写真 |