■ その1 アダルトチルドレン関係
私にとって、クライミングは、子供時代の再体験と同じ意味であった。
そして、それは、白亜スラブの登攀で、2歳時の非言語のトラウマ記憶が、映像でフラッシュバックする、というトラウマ記憶の復活によって終わりを迎えた(汗)。
父親に殺されかけた…
これが、私の原体験か。
■ AC離脱の旅がスタート中です
いや~、その自覚から、AC離脱の旅が、本格的にスタートしたともいえると思う。
幼少期の心理的なトラウマは、心の外傷、であり、その傷は、骨に刻まれているのと同じく、そこにあり、消えない。
しかし、それ自体とともに育ってきているため、自覚すること自体が難しいのである。
自覚したら自覚したで、苦悩が長い。ACである、と思っていても、実際の傷を具体的に見るまでは、自分でも、まさかそんなにズダボロとは思っていないのである。
いろいろなカウンセラーさんの本を読んで、その人の傷について話を聞いたが、
え?そんな程度でそんなに大きな傷を受けるの?
と驚くような、些細なことだった…。これは口が裂けても当人には言えない。が、由井寅子先生の傷を見て、私の傷が些細だと思えたのは、錯覚だったんだなと分かった。
ここでは当方の傷の話は端折るが… カウンセラーになったほどの人と比べても、かなり重症患者なのだと分かったので、その重症の自覚自体が、重たく、苦しく、悲しいのであった。
その沼にいたのが、3度目の鬱時代だったのだろう…
■ 大阪にいて幸せ
ところが、立山に行き、なんか、小屋バイトしている、のんき気ままな人達と過ごし、まるで私の母のような神経質で理不尽な様子の親父さんに、高校生ですら、全くスルーで動じない姿を見たら、「ああ~、私は、まだ幼い子供で、そして深く母を愛していたから、母の無理難題に振り回される結果になっただけだったんだ…」と心底、分かった。
オヤジさんはアスペだった。青ちゃんもアスペだった。私のママは、ASD受動型だった。自閉症スペクトラムの人に振り回されるのは、相手がこちらの生死を握っているときだけだ。
逆に言えば、相手から見れば、あなたが唯一、自分の不機嫌に振り回されてくれる相手、だ。
そりゃ~、未練があるだろう…
さて、福岡にいれば、ビンビン念として感じられる母の未練たらしい、子供を支配したい気持ち…チャングムや、親孝行しておくれ…みたいなやつ…を、大阪にいれば感じずに済む。
大阪にいたら、やっぱり人情味あふれる大阪だと思え、だいぶ幸せになってきたのである。
大事にしたのは、花。(という自然)
福岡では、切り花だが、大阪では、ドライやプリザーブド。
そして、人。笑い。食。
今日は、豆乳ヨーグルトが成功していた。
2歳で、父親にプールに投げ入れられ、溺死しかけた。親に裏切られた、文字通り、投げ捨てられ、死の淵に追いやられた、ということが、私の視点…男性と社会に対する、原風景なのである。
あいつらは危険だ、と思っているってこと。
私が、社会を安心の場、私にとって危険はない場、と認識するのが難しくても、まぁ、不思議はあるまい。一度、殺されかけているから、そうそう、信頼できるはずはないのである。
ビレイヤーに落とされて頭7針縫いました。殺されかけたの、2歳から数えて2度目。
せっかく、社会を信頼するという方向に進んで治癒していたのに、落とされた。その後、白亜スラブで、これでもか!とトラウマフラッシュバック。
そして、その資質が、登山をするにあたっては、プラスに働いた。
下界並みの安全安心感覚で、つまり深く考えもせず、クライミングのマルチピッチに行くことが、まぁ、若い男性クライマーの主たる死因である、と究明できた。もちろん、平出さんなどのきちんとしたクライマーの死は、これに該当しない。
ということで、AC関係のことで進捗があり、山に呼んでくれた、おかみさんには本当に感謝している。
今日、細口ポット届きました☆ コーヒー淹れたら、やっぱりおいしかった。
■ 三の舞を避けたこと。
ジムつぶれそう…? 私が救世主?な、タダ働きする羽目になる、三の舞を避けれたのは、実は、店長さんが正直な気持ちを表現する人…あの~迷惑なんです~という人…だったので、三の舞が避けられたんだが…。
私自身は、これが、
お金に困っているママを助けなくては!というインナーチャイルドの発動
だということに気づくことができなかったので、一人で、いや~、このジム、このままいくと、倒産だよな~と、”なんとかしなくては”というストレスを貯めていたんですよね。
私の母は3人も子供がいるのに、50万円のお着物を買ってしまっても危機だ、という自覚がない人だったんですよね…。まぁバブル期で浮かれていた世間の空気に流されたというのもあると思うが。
後日、大人としての目で見ると、母はASD受動型だった。この病名は最近知ったが、中学2年頃から、母の大人としての人格には、?と思っていた。というのは、月収が25万円の時に50万の買い物をすると、帳尻が合わないことは、小学校レベルの算数でも分かるから、だ。
その当時、私は天才児路線を突っ走っていたが、どう考えても、我が家は、恐慌、ならぬ、破滅の道を突っ走っているようにしか見えなかったのである。
それで、14歳の私はパニックだった。14歳で大人並みの知性というのは、別に珍しくない。でも、14歳には働く権利が授与されていない。今の社会と違って、当時は14歳の言うことを誰も聞いてくれない。ので、私は17歳から経済的には自立しているが…いやはや、あれは本当に大変だった。
このときの不安が、再発したのだ、ということに気が付けたのは、店長の小島さんのおかげだ。正直者万歳。
アラーキーについても、彼がロシアンルーレットを地で行っていることを教えてやらなくては、と、私は、一人で責任をしょい込んでいたのである。
死にたい人は勝手に死んでください、ただし、私を巻き込まないで。
■ 自分の課題へ戻る
17歳当時も、母を助けるということ、つまり、境界線の越境、ではなく、自分の問題に集中したので、あれは正しかったと思う。
一方で、今だが、お金を稼ぐ、ということについて、ビジネス上の知見はもう十分あるのに、なんか私にとって業務上のチャレンジじゃないんだよな~と感じて、自分のことは、後回しにしているのであるが…(脳内の親が、なんとかしろよ、と突っ込むが)。
なんか違う感というか…。
そのなんか違う感を掘り下げると…。私が自営ビジネスに猛攻性をかけないのは、観光ガイドとしての活動は、HPなんて作らなくても、私の場合、口コミで、海外のお客さんは、それなりに来てくれるのである。また、今度、瑞牆に行くことになったし。
しかし、これは、私の個人の魅力であって、
非俗人化 = ビジネスの仕組み化 = マーケ化
しないと、私がいなかったら、回らなくなってしまう…というのでは…。もうスタートするより先に失敗だなって感じなのである。
そのための仕組みとして、小値賀島の仕組みを考えている。一般家庭に民泊してもらうことで、人と人の関係を築く、というもの。
■ 治外法権化は阻止しないといけない
でも、山小屋勤務で分かったが、
一緒に暮らすだけでは、相手…この場合、日本人だが…の価値観に、自分から配慮するということが外人さんにはできない。
外人さんは、下着姿で歩いたり、公衆の面前で抱き合ったり、そういうのが日本では、顰蹙を買う、ということに気がつくこと=自己抑制…ができない…
ということは、雷鳥沢でも、
そりゃ、管理側が管理しないといけない問題だよ~
ということを海外ヒッピー歴の長い管理職の人、複数に教わった。外人って基本そういう奴らでしょ、ってわかってるじゃん、って話だった。分かっていて雇っているのだから、管理側の管理責任ということだ。というので、
ここは日本です、という運営
が必要だと分かった。のが、著しい進捗だった。
・室内では靴を脱ぐ
と同じレベルで、
・公衆の面前ではキスをしない、熱烈のハグ禁止
・下着同様の姿でウロウロしてはいけない
と言っておかないと、ダメなのである。
■ 脳内の親を育てなおす
ということで、一人インチャ発見できた、良かった。
それに、リスクも一つ排除できた、良かった。
いくら読書で対策しても、生の経験による学習には、かなわない。
■ クライミングより、食?
私は子供のころから、料理しているのであるが、あまりに便乗されるのが嫌だったので、料理そのものが福岡では嫌でたまらなかった。
なんか、夫にうまいことしてやられたというか… 私は3度目の無理強いされた失業で、苦戦を強いられた上、夫にとっては、専属シェフ付き。あなたはいいわね、豪華なお身分で、ということに丸め込まれ感があった。もちろん、いい身分なのは夫の方である。
それは、夫がどんどんと、赤ちゃん化していった様子から明らかだった。
なんで、赤ちゃん?みたいな感じだった。私は夫の母親役に仕立て上がられてしまったわけである。
私は結婚はしたが、妻になったつもりであって、夫の母親になったつもりはない。
というわけで、福岡時代は徹底抗戦していたわけなんだが… 大阪に帰ってきて、戦う相手がいなくなると?
これが料理が楽しいわけなんである。毎日、分子栄養学的に正しいお食事作りが楽しい☆
買い物に行く豆腐屋さんとの会話も楽しいし、お魚屋さんなんて、もう常連である。
山小屋では、無意識だと思うが、
賄いは自分たちで食べるものを自分で作るのは当然なのだから無償労働
となっているが、9人分を1人が作り、しかも、誰も手伝う気配を見せないのだ…。
なぜなら、お母さんを模した社会が形成されるため。お母さんを手伝う発想が子供役側にはない。
その”お母さん役”が嫌な役であることは、山小屋の親父さんが困り果てているところから、性差の問題ではなく、誰だってその立場に立てば、
なんで俺だけ…(こんな目に合わなきゃならないんだ?)
になるのである。私が福岡で、なんで私だけ…?になったのと同じである。
つまり、日本の文化では母親役って、誰が引いても、男が引いても、ババ引きのババってことである。
解決案は、すでに近隣のホテル系山小屋では提供されていて、
賄いを作る専門職
の人がいるのである。山小屋として働きやすかった岩根山荘も、井出さんという板さんが賄いを作っていたので、バイトはホントに楽でよかった。
逆に、五竜では最悪で、私はどこに行っても年長者になるため、男子といれば、お母さん役にされてしまい、ママ、ご飯まだ?というノリに、誰も疑問をいだかない、自動的にババを引かされるのである。それで同じ時給で続く人がいるはずがない。
ということで、賄い専門職を山小屋は雇ったほうがいいですね(笑)。
そして、私の料理嫌い化は、
料理が嫌いなのではなく、料理によって対価がゼロどころか、みなのメンタルトイレにされる立場
が嫌なのである、とはっきりした。
こないだ、春子さんとランチボックスを作ったが、それは相当に楽しかったのである。
そりゃ子供役をやったんだから、当然であるが。
ということで、このツアーに出かけたのは、心理カウンセラーのセッションに出るより意味があった。
ということで、最近の進捗は、かなり良い。
これで、AC改善の旅への幸先はだいぶ良い、ということが分かった。
飲食店でアルバイトしようかな~