2024/03/27

【心理技術】鳥山明さんの事例: 人の期待に応えるにもほどがある

■急性クモ膜下出血を利用した死

昨日の、鳥山明さんの症例研究は、興味深かった。

社会的な成功は、必ずしも人を幸せにしないという事例だ。

漫画家の鳥山明さんは、ドクタースランプあられちゃんも、自分の本意でない作品で、ドラゴンボールも同じだった。最後には主人公を殺したいくらい、作品に踊らされた人生を送った鳥山さん。

その原因は、お父様との関係がボトルネックだという見立てでした。お父様は、レーシングカーのレーサーだったそうです。父を象徴する内なる声が、常に彼を、”自分以外の誰かほかの人の期待に応える”人生に導いてしまったようでした。経済的な成功をおさめ、あとは何をして暮らしても良いのに、最後まで、プロダクションの意向に沿わざるを得ず、不本意な次回作のスタートがいやでたまらなくて、死んだ、というのが、見立て。先生の見立ては、68歳まで良く持ったな、というものでした。

しかるに、死というのは、ほとんど、苦行からの”救済”なんですよね。いや、マジでそう思いますよ。死は救済であると。ワイルドカードみたいな。

■ 当方の人生経験

私の弟は24歳で急死しましたが、原因不明の心停止で突然死です。

弟は、新品を含む靴300足と、様々なブランドの服を残しました。弟は水泳の選手でしたが、別に洋服を愛していたというわけではありませんでした。普通にグローブやサッカーボールを欲しがる男の子でした。

なので、どう見ても、300足の靴やブランドの服は、彼本人の好みとは思えず、母が彼を有名ブティックに勤めさせたのは、母の身代わりでした。母の代わりに、母がしたかった自己実現を息子である彼が背負ったのでした。

子どものころからこのことが分かっていた姉の私としては、”ごめんよ、こんなことになる前に迎えに行ってやれなくて…”と思ったのです。

弟のお葬式には、300人が参列し、弟は彼女が、なんと3人もいました!が…、そのお葬式では母はついに悲劇のヒロインである、と全員に認めさせることに成功したのでした。母の念願でした。子を亡くした母親を責める人はいません。

しかし…ですよ?

その1年後、私の妹が、今度は自殺未遂を行ったのです。妹によると、母親の使い込みが原因でした。母は妹のカードを使い込んだのです。

■ 社会がSOSを受信してくれない…

私自身は、12歳で母の経済行動のおかしさ、に気が付き、何度も社会にSOSを発信していましたが、社会のほうが「子供が言うことだから…」と受け取らなかったのです(汗)。

しかも、母にその話を持って行ってしまうのです。

「お嬢さんがこんなことを相談してきたのですが、本当ですか?」

それで、親が「はい、本当です。サラ金でその日ぐらしをしています」

って返事すると思います? そりゃ、しないですよね?

それで、その人が高級ブランドを着ていたら、”どこか知らないけど、収入源があるのだろう”とか思ってしまいますよねぇ…。

これと同じことが、クライミングでも起こりました。私が言っていること、つまり九州のクライミングの現状があまりにひどいので、私が正しいのかどうか?いろんなクライマーが確かめに来たくらいです(笑)。

■ 自己解決に向けて頑張りました

さて、私の人生に戻りますが、結局、自己解決したのです。

具体的には、私は16歳から早朝のパン屋などにアルバイトして、一人で身を立てました。

もう本当に、進学校に進学したのは失敗でした…。あれさえなければ、あんな苦労はしなくてよかったのです。高専なら、職業に直結なので。

しかし… 進学校に行ってしまった…。

なので、大学受験は、私にとっては、勉強が核心ではなく、どうやって少ない軍資金(学生アルバイトで時給は472円でした)で、効率的に模試をこなし、リスクフリーで合格するか?みたいな話でした。

■ 作業同盟は友人と結びました

そんな高校生時代から、ミッションインポッシブル!を課された、私を気の毒そうに見てくれていたのが、中学時代の友達たちで、覚君は「僕が働いて君を大学に出してあげる!」とまで言ってくれました。

今でも涙があふれてきます。あの時の覚君の言葉が、私を我に返したのです。覚君が私のために働く…なんて絶対に変だからです。

さて、子供三人の様子をまとめると次のようになります。

当時は、社会がSOSを受け取ってくれないので、一人は早期に親元から逃げ、二人目は死を選び、三人目は自殺未遂して、親から巣立った。

自分が生きたかった人生を子供に歩ませる、という親の愛。これって愛なんですかね??? 

そこんとこは、かなり謎だが。

まぁ、私の母は、GoodEnoghMotherだったと思います。

クライマーの皆さんも、母と同じ行動、結構やっていますよね?

クライミングを小さいときから叩き込み、その子にクライマー人生を歩ませる。

それって、その歩んでる本人は、人の期待を生き続けている、ということなので、内面的には、かなりの葛藤があると思いますよ?

つまり、現在2世クライマーで業績が高く祭り上げられている人も、むしろ、被害者である可能性もあるということです。

人は自分の人生を生きないと幸せになれないのです。

クライミングで賞賛を浴びることは、かなり楽しくはあるので、本人すら気が付かず、親の期待を歩んでしまったことに気が付く、つまり、問題が顕在化するのは、かなり後だと思いますが。

弟も水泳選手でメダルをいくつも、もらっているころは、楽しそうでした。

■ 母のイメージと父のイメージ

私の、”母なるイメージ”は、受容ではなく、鬼子母神みたいなのです(笑)。母、と聞くと、まぁ、猜疑心のほうが勝ちますね。なので、内なる母性、自分の母性ですね、は、母親との関係性が問題なのか?と長年思っていたら、人生に全く登場していない父親のほうが核心だということが分かったのが、数年前でした。『父と言う病』と言う本で知った。内なる父性が、未発達かもしれないということです。しかし、この線は、違うと後で分かりました。

私は人格として見たとき、母性も、父性も、そして、アダルト自我も非常に良く発達しており、成熟度はかなり高めでした。

父性の声はどちらかというと強すぎるというか、厳しすぎるほうが問題かもしれません。

それは、初期に父性を、通学路にある、一本の木に求め、それをなぞらえていたからです。

長いこと、その木のように、逆境に強くありたい、と思っている子供でした。

もうすでに危機をだっしているので、そうした強さは要らない。

■ 日本はカウンセラー業界が混乱中

しかし、最近、参加している安心安全の起業家育成講座で、分かったことは、”あー、これだから、一般の人がちゃんとしたカウンセラーを見つける、発見することが難しいんだな”、ってことです。

心理士の勉強をしたとしても、自分の人生経験が浅ければ、人生相談には向かないですよね? また性格的に人に共感しやすいエンパス体質の人と、そうでない共感力が低い人もいます。

ただ、資格を取りました、というだけで、人の人生に共感できるはずもなく…

今はカウンセリング業は、むしろ、カウンセラーになりたい当人の人生の救済策、になっています。時間と言うサービスを売る仕事みたいな感じですかね?

人を救済するという尊い仕事は、あらかじめ、”大変すぎてできませんので、生活保護世帯は来ないでください”、ということになっています。

もちろん、きちんとした仕事をされている人もいますが、私が登山ガイドの方に作ってやった公式ウェブサイトみたいなのをそこで作ろうと思ったら、100万円くらいお金を払っても個別の対応はしてもらえず、相手に費やしてもらえる時間はほんの少しです。一度も対面もせず、動画だけでやり取りです。そんなので、今、一人ガラケーの人をスマホデビューさせてあげようと日々頑張っていますが、自分でほんとに尊い仕事をしたなぁと思います。

あれ、ほんとに良いことを私はした、ということです。でも、延々とタダ働きを求められても困ります。

一般的には、99%の人の人生の問題は、ただ幼稚で未熟な愚痴を聞いてほしい、で占められているのも事実です。そんな人は、飲み屋に行くべしなんですけど、実際は、飲み屋でも迷惑がられていますよね?

だから、クライミングと言うか、岩場にいるんだろうか(笑)?

それはある意味、岩との対話が進んでいいことと思いますが、鳥山明さんによると、世間は、戦闘、を好むらしく、一般的な男性は、ひたすら、岩と戦っている、のかもしれませんね? 

■ 弟と妹を守りたかった

しかし、母のメンタルトイレとなることを受け入れた(幼児決断)のは、弟や妹の防波堤となることが姉としての私の使命だと、その当時は感じたからです。

これは間違っていました。

ただ、子供時代、私は、ひとえに、弟と妹を守りたかったのです。

私が十分な年収を得れたのは弟が亡くなってその後。どんなに頑張っても弟を救うのには間に合わなかったんです。妹はかろうじて救えたことは、私の誇りです。

その思いが、クライミングで、クライミングIQが低く、クラッグリテラシーが低いクライマーの後輩たちを守ろうとする、という自動行動につながりました。

そうするのが、当然のことのように思われたのです。

しかし、いくら私が優秀で、強い、ねえちゃんでも、25+35が60だということが分からないヤツのフォロー(ケツ拭き)はできないよ?

そんなん、登る前から遭難やん?

クライミング以前の問題ってやつやん?

そんな僕を許して☆とかそんな僕を愛して☆って、

どんだけ~ 

と思わへんの?

2名のクライマーを一人でビレイとか…

支点ビレイとか、

12登れますとか言うくせにたったの10cに2時間半とか

いくらなんでもかかりすぎやと思うで?

そいでもって、

 君なら、誰からなら殺されても文句言わへんって思えるの?

その辺のおばちゃんクライマーの私に、ケツ拭きを頼んで、それで、どこがかっこいい男なんか?その辺を胸に問うてみてほしいねんけど…

 私は雪の山が好きなのです… クライミングではなく。岩でもなく。雪が好き。

前から主張していますが…。





2024/03/26

【心理学】チッピングするクライマーの行動原理

■ 要約

次の文章は、クライマーの行動原理について語っています。
  • クライマーの行動は、本人だけしか理解できない内なる声に動かされています
  •  チッピングは、過去の傷つきが原因で、「俺なんて」とふてくされている小さな男の子の心の叫びです。
  •  違法駐車、雄たけびなど、社会規範の逸脱は、男性性の傷つきが原因です。
  • クライマーに必要なのは、承認ではなく、一緒に登る仲間です。
**解決策**
  • クライマーを批判するのではなく、慈悲の心で接し、一緒に登ろうと誘う。
  • クライミングの本質は遊びであり、誰が一番でもどうでもよいことを理解する。
  • メディアの賞賛に惑わされず、自分たちのペースで楽しむ。

**行動指針**
  • クライミングは遊びなので、楽しくなければ意味がない。
  • 一緒に登る仲間を増やし、互いを尊重し、共に成長する。
  •  過去の傷つきに囚われず、今この瞬間を大切に登る。
**あなたにできること**
  •  クライマーの行動を理解し、批判せず、温かい目で見る。
  • 一緒に登ろうと声をかけ、仲間を増やす。
  • クライミングの本質を忘れず、自分たちのペースで楽しむ。
**補足**
  • この文章は、クライマーの行動原理を理解し、共に登るためのヒントとなるものです。
  • すべてのクライマーに当てはまるわけではありません。
  • クライミングは、様々な楽しみ方ができるスポーツです。
**キーワード**
クライミング
チッピング
男性性
遊び
慈悲

■ 本文

行動原則を指摘する、ということ。

昨日は、神先生のセッションをデモで見せてくれる日で、6回のうちの最後の会でした。

それである公務員の男性が、クライエント役になりました。

その方、なんか女性に対して蔑視があるなぁ…男が上だと思っている様子が、体からにじみ出ているなぁ…と、私の方からは感じられる人でした。

まぁ、私のことは苦手だろうなぁ…。私と言うか、枠からはみ出ているタイプの人全員が嫌いなんですよね、そういう人は。

世の中の大体の男性(標準的な日本の教育システムで男女観を身に着けた人)は、自分より上か下かで相手を計るので、自分のモノサシに入らないタイプの人は嫌いです。

公務員には多いタイプ…自分で自分の枠を決めて自分で勝手に入っているのに、なぜかそれについて、なんで俺が!と怒っているタイプ…。

実は、私の最も苦手なタイプです。私自身が、もうそれこそ子供‥まだ6歳とか7歳とかで、困難に直面し、それを乗り越えてきたので、枠は自分で広げていくものだ、という人生経験があり、そこに成功体験を持っているからです。そういう人から見たら、あなた、何に囚われているの?って感じで、意味不明な怒りをぶつけられても、ただの八つ当たり、だからです。

いますよね、おじさんで、飲むと絡んでくる人… 承認されたいんだろうとは、誰でも分かりますが、めんどくさい。だから人が離れていく。離れれば離れるほど、さらに承認されたくなるという悪循環…。

■ 非言語に注目

しっかし…、その人が夢を語ってくださいとコーチが促すと、本当に嫌そうに、苦虫をかみつぶしたような顔で、夢を語るのです…。

そういう非言語の本音を見た場合、「それって、夢でも、なんでもないんじゃないの?」と、グサッと、ほんとのことを言うのが、子供のころの私でした。無邪気な子供は、鏡のように相手の心を映し出すので、本当の意味でのコーチなんですよね。あなたの心の鏡、って意味です。

子供時代は誰でも無邪気なので、私も例にもれず、それを母にやって、私は、「は!かわいくない!」と母に言われるので、その攻撃が不本意で、”はぁ?”と思って、黙ってしまうという自動行動を作りました。つまり、これが私の行動の制限でした。

大人になってからは、本当のことを言うのは、失礼なんだな~と理解して、相手の失礼さを黙って見守るようになりましたが…これは良くないですね。

黙って見守る=ドアマットにされる、です。

さて、それで、その男性は、コーチからこういわれるのです。

 「ちょっと待ってください。夢を語るのになぜそんなに楽しくなさそうなんですか?」

と言われ、しばし沈黙…。

 「今、何が起っていますか?」

と言われると? どうも、怒りの感情や、依存的感情を、コーチに向けるのをやめ、自分の内部の感情を探索し始めるようです。

■ 足りないのは内省力

この「今、何が起っていますか?」という促しが、

 現代日本人には全く足りていない

んですね…。

私は実はあまりに人生がつらかったので、小学生から日記をつけています。

が、みんなはつけていない…。だから、内省する力が育っていないのです。

その内省力の欠如を埋めるのが、コーチ、なんですね。

■ 団結

その内省力をサポートしますよ、というのが、作業団結…一緒に作業していきましょう、と言うことです。

私はこの力が強いので、よく学生時代も、人の人生の問題解決を手伝ってきました。

しかし、これがお金になるスキルとは、考えたことがなかったです。

■ 神先生のようにセッションを見せることで、一度に多くの人の思い込みを解決することができる解決が早くなる

さて、この方のセッションを見たことで、クライマーについて分かったことがあった。

彼らは、私個人やチッピングされているクライマー個人、あるいは、岩場がある地域そのもの、をいじめようとしているわけではないということです。

彼らの内部の、”非常に個人的な行動原理”、その人しか理解できない摩訶不思議な内なる声…に動かされて、なぜか、他人には、一切、理解できないような行動をしているんですね。

その声は、パーソナリティを構成する人格のうちの一つです。

例えば、チッピングを例にとると、「小山田大だけ、いつでも開拓の名誉をもらっていて許せん!」みたいな声が内部にあるわけです。 

もう、この声を解析しただけで、誰が何を許すの? みたいな意味不明な声ですよね? 

しかし、それを彼の内部で、誰かが言っているんですよ、その人の中で…。

そして、さらに別の人格が「そうね」と言い、「なら、あいつのルートをチッピングしてやれ!」(CP自我)というわけなんですよ…。

その別の人格が「おい、待て」というが声(A自我)は消え入りそうに小さく、代わりに、「そうだ!そうだ!」(FC自我)とけしかける…。

その異様な循環にいるわけですが、その分裂したパーツと呼ばれる自我による、内的会話が行われている間、彼の本当の自己…真我とヨガではいいますが…は、全く何も言わないんですね…。

すっかり偽りの自己(パーツと呼ばれる自我の一部、小さい自己=エゴ)に取り込まれてしまい、本当の自己がお留守になってしまうんですね…。

もしかしたら、学校だか、なんだかで、もしかしたら好きな女子にカッコつけたのに気が付いてもらえなくて傷ついたのかもしれません…。

その”チッピングを肯定する”自己が彼の中で巨大化した”きっかけ”は、本人にしか分からない、摩訶不思議な出来事があったわけです…。彼本人は、そのことを何歳になっても、引きずっており、それを克服しようともがいている=それがチッピングを繰り返す行為、なわけなんですよ…。

でも、チッピングって単なる明確な道徳違反なので、彼が欲しい承認は一生得られない…なんという悪循環でしょう!

たぶん、声にならない小さな内なる声が、そんなことをしていても何にもならないと言っているのですが、それでは彼には分からないんですよね…。

■ クライマーが起こす社会問題 ニアイコール 男性の精神病理

違法駐車に山火事、雄たけび、放尿、うんこ垂れ流し、不必要なランナウト、「俺が男だー!」とちんちん丸出しにして、叫んでいる割には、誇示している一物が、ミニチュアサイズなんですけど?みたいな、40m5.8ランナウト…って、そうした社会規範の逸脱ができた背景には、どれほど深い、

 男性性の傷つき あるいは、小さな男の子の傷つき…

があったことか…ということが想像できませんか?

もしかしたら、幼少期にお母さんを助けてあげられず、おれなんて、と意気消沈したのかもしれませんし、仕事で実績を上げられず、クライミングの実績だけにしがみついているのかもしれません。

妻にどうしても認めてもらえなくて、あなたって駄目な人ね…と長年、非言語に受け取り続けているのかもしれません…。

どちらにしても、要するに、こういうことなんですよ…。

なので、

・チッピングする人、

・わざと自分を破滅に追い込むような行為をしている人、

の中には、実は

   俺なんてとふてくされている小さな男の子がいる

ってことなんですよね。こういう小さな男の子に必要なのは

   慈悲のこころ

です。

男性は、この慈悲の心を恋人になる女性に求め、女性は、共感性の高さから、かわいそう、と無条件に思ってしまいますが…。よく考えたら、何がかわいそうなの?全然かわいそうではありません(笑)。そして、女性の心をゲットできた成功体験が一度でもあると、この手が使える!と分かった男性側は、同じ手をいつも心理ゲームとして仕掛けてきます。こないだも、体育会系の迷惑おじさんが、3回結婚した、と自慢していましたが、それって自慢にならないでしょう?3回も女性に捨てられたってことなんで。もしあなたがそんなに素敵な人なら女性は手放さないです。というわけで、女性は心が優しく、男性が仕掛ける心理ゲームに載ってしまうと、一杯食わされます。もう、クライミングでは嫌というほど、このゲームを仕掛けられていました。

クライミング界に、本当に必要な慈悲の心は、

 一緒に登ろうよ

です。本当は、その子も、一緒に遊びたい、のです。なぜなら、

クライミングの本質は遊び

であり、それ以上でもそれ以下でもないからです。

クライミングに不必要な名誉をなぜか与えてしまったがために、なんか変なことになっていますが、クライミングをはじめすべてのスポーツは遊びなんですよ。遊びなのですから、楽しくないと意味がありません。遊びなのですから、誰が一番でもどうでもよいというか、一時的なことです。

特にフリークライミングって、5.14でやることも、5.9でやることも基本同じというか、延々と同じことをみんなで繰り返している感じです。なんでトップクライマーだって、一般クライマーだってやってることは同じなんですよ。

ただ雑誌やSNSのメディアの賞賛が変な方向に向かってしまい、世界最高難度しか価値がないみたいな世界観を作ったがために、一般クライマーたちの心に影を落としているだけです。

そんなことは関係ないラオスみたいな世界に触れると分かりますよ!

傷ついたクライマーはみな、ラオスに行って、国際社会で癒されて帰って来ましょう!

一緒に登ろうよ!と言えば、みんな、一緒に登ってくれますよ!英語力なんて要りませんよ!いるのはきっちりしたクライミングシステムの理解です。残置に直掛けなんてしていたら、あちゃー!ってなるだけでしょう。



2024/03/24

【Climbers We lost】追悼文の書き方

■ ロクスノの追悼文

ロクスノにある方の追悼文が載っていたんだが…私も知っている人であったが、もうほんと、これじゃ何も言っていないのと同じではないか?という下手くそな追悼文の書き方で、寄稿したクライマーの文章能力の低さを感じた。

何も文学作品を書け、とは言わない。

だが、その人がどのようにクライミングに取り組んだか、クライミングがその人の人生にとっては, どのような意味があるものだったか?そういうことを書かないといけないんですよ。

彼は偉大だった、って、誰もその人の名を覚えていないような存在感である人に言っても…開拓者であっても、開拓の第一線から降り、その人がやっていた活動をしなくなる、ということは起こります。それは人が老いるからには当然のことです。

ただ偉大だ、偉大だというだけで、現在の行動が伴っていなかったら…ただの老いぼれです。

その場合は、彼の過去の業績を本当に書きます。ロクスノが取り上げ損ねたようなエピソードがあるでしょう、それを書きましょう。

結局、ただ偉大だと言ったところで、非言語のコミュニケーションのほうが、よりよくコミュニケーションしてしまいます。

したがって、晩年の緩やかな活動期を隠す必要はありません。そうなったのは、影響力が薄れたとか、勢力が衰えた、のではなく、人が年を取れば、それが当然なのですから。

超人をクライマーに求める、そのような投影があるから、追悼文が、その人のすばらしさを伝える中身にならないで、薄っぺらい賞賛になるわけですよ。

そんな賞賛をもらうくらいなら、一緒に過ごした思い出を語るべきでしょう。

■ 追悼文の書き方 ChatGPT

追悼文を書く際には、故人の生涯や人生の重要な要素を思いやり深く記述することが重要です。以下は、追悼文に含めるべき大事な要素の一部です:

  1. 生い立ちと家族: 故人の出生地や家族構成、兄弟姉妹などに触れることで、彼らの背景や影響を読者に伝えます。
  2. 人格と特徴: 故人の個性や特徴、愛すべき点や優れた面を描写し、彼らがどのような人間だったのかを読者に伝えます。
  3. 成就と業績: 故人の人生で達成したこと、功績や貢献、仕事や趣味など、彼らの活動や成果について触れることが重要です。
  4. 思い出とエピソード: 故人との思い出や共有した経験、彼らの人生における特別な瞬間やエピソードを振り返ります。
  5. 感謝と哀悼: 故人に対する感謝の気持ちや哀悼の意を述べ、彼らの存在や影響について感謝することが大切です。
  6. 遺産と影響: 故人が残した遺産や彼らの影響が今後どのように続いていくかについて考察し、読者に共有します。
  7. 最後の別れと思い: 最後の別れの言葉や、故人への思いや祈りを込めて文章を締めくくります。

これらの要素をバランスよく組み合わせ、故人の人生を温かく、尊重し、記憶に残る形で追悼文を書くことが大切です。

■ クライマーズウィロストには、一般クライマーも入れるべき です。

開拓者やリーダーのみならず、一般クライマーも大事な仲間だからです。

有名な人、知名の人だけの追悼文をロクスノに載せる行為がどのような意味を伝達するでしょうか?

無名クライマーの命なんて、虫けらさ、です。

無名クライマーで、5.8しか登っていなくても、私たちの大切な仲間です。

そのようなメッセージをこそ、ロクスノは伝えるべきです。

             クライマーはこの本から学ぶべし




【Trad】I love Trad Climbing

I'm passionate about various forms of climbing, from free climbing on sport routes to indoor sport climbing. 

However, my heart truly belongs to trad climbing above all else. 

The concept of free climbing resonates deeply with me. 

While bolt-and-climb sport climbing has gained popularity in recent years, it's disheartening that many modern climbers are unfamiliar with its roots. 

I hope that the climbers in both competitive and sport climbing realms reconsider the essence of climbing itself. 

This shift in perspective holds immense value for climbers, prompting them to delve into the rich history of this adventurous pursuit.

They just think sport route is all about climbing, that is a huge mistake. 

Without facing risks by yourself, you know nothing about climbing... sort of you are before B.C.... if you only climb risk free bolted sport routes.

The list of my trad climbing

2014年6月30日 小川山 親指岩 小川山レイバック  クラック入門 TR

2015年5月29・30日 小川山クラック 龍の子太郎 屋根岩2峰 (セカンド)

2015年7月20・21日 小川山 クラック 入門 TR

2015年9月19日 瑞牆 入口岩クラック TR

2015年10月12・13日 小川山 クラック TR

2015年10月28日 小川山 クラック (案内役) リード

2015年11月21・22日 湯河原幕岩 菊地敏之さんの講習 TR

2015年12月27日 昇仙峡クラック 吉田和正さんの講習 他5名 

2015年12月28日 昇仙峡 クラック 他2名 

2016年 1月2日 昇仙峡 クラック 他2名 TR

2016年 1月25日 昇仙峡 クラック 2名 TR

2016年 2月4日(木) 昇仙峡 クラック 2名 TR

2016年 3月30日 近所の岩場 クラック&フェイス&スラブ 末端壁 2名 TR

2016年 4月1日 兜岩 クラック  2名

2016年 4月12・13日 湯川クラック 2名

2016年 4月12・13日 湯川クラック 2名

2016年 9月6日 小川山 カサブランカ&ブラックシープ 2名 カサブランカ3回目

2016年 9月7日 小川山 レイバック5.9 ピンクポイント 2名

2016年 10月15・16日 小川山ソラマメ&瑞牆ツルカメランド 頂上への階段5.8 (クラック) OS 3名

2016年 10月25日(火) 湯川 デゲンナー5.8 RP 2名

2017年 1月 昇仙峡 クラック&ワイドクラック

2017年 5月14~22日 インスボン  初インスボン

2017年 1月 昇仙峡 クラック&ワイドクラック

以後九州

2018年6月 竜頭泉 クラック

2018年7月 モツクラック5.9 OS、狸 5.10A ついに登れた
2018年7月10日 小川山レイバック5.9  やっとマスタースタイルで登れた
         笠間ピンキー 5.10c RP 2撃

2018年10月7日 矢筈岳マスターズルーフ 5.9TR

2018年11月4-6 三倉  first time Nyumon crack 5.9 x

2019年9月22日~10月1日 韓国インスボン遠征

202010月23日 竜頭泉クラック ニューエリア

20202月10~13日 大堂海岸 2泊3日 おまつりクラック5.8、スーパークラック5.9、ぐいの実5.8





【心理学】ノンバーバルコミュニ―ションは、言葉によるバーバルコミュニケーションより常に強い

■ ”状態依存”(State Dependent)のコミュニケーション

怒った声で「仲良くしてよ!」と言っても、”仲良くなってもらいたくない”ことをコミュニケーションしてしまします。

目を合わせないで「友達になって…」と言っても、本心は”友達になりたくない”、という答えを導いてしまいます。

地域の岩場をリスペクトしています、と口で言いながら、そこにおしっこしたり、ゴミを散らかしたりすれば、リスペクトしていないことを、伝達してしまいます。

このように、ノンバーバルは、常にバーバルより強い。

■ 一緒に登ろう!と言って相手を命の危険に陥れていたら?

言葉で「一緒に登ろう!」と言いながら、例えば、壁から2メートルも3メートルも離れた場所に立って、ビレイしようとしたら?それは、一緒に登りたくないという葛藤を意味します。

同じことが、下部核心のルートを勧めたり、などのトンデモ行為… それでは

スポーツ虐待

です。

九州では、これが非常に多かったです。本来、クライミングは、もっともスポーツ虐待から遠くなければならないスポーツです。

■ クライミングの本質をとらえそこなって、肝試し大会になっている…

肝試しをして、それを承認欲求を満たす道具に使うこと、それがクライミングだ!という理解になってしまっているんですよね…

だから、40mランナウトがカッコイイ、になってしまいます。

■ 例えば国際社会でそれがかっこいいかどうか…

国際社会でも、ランナウトではなく、フリーソロはかっこいいんですが…。

かっこいいとされるフリーソロ、例えばエルキャップのアレックス・オノルド君のフリーソロは、一か八かの対極です。

徹底的な自動化の勝利 = フリーソロ

自動化なので、一か八かを極限まで削り取った功績がエルキャップフリーソロ

なんですよね…。

なので、九州の人が40mランナウトで威張りたかったら、いっそロープつけないでやったらいいんではないでしょうか?

ランナウトしていれば、ロープをつけていても意味がないので、同じこと。なら、いっそロープなしでやればいいんじゃないですか?

そんなに命知らずを自慢したいんだったら…

■ 矛盾した非言語コミュニケーションと言語コミュニケーションの事例

・ビジネスミーティングにおける言語の選択:

例えば、アメリカの企業が日本企業とのビジネスミーティングを行う場合、日本側の参加者が英語が苦手である可能性があります。そのため、もしアメリカ側の代表が、通訳を用意しなかったら、コミュニケーションを図るつもりがないことを非言語で表したことになります。

・心理療法におけるセラピストのアプローチ:

あるクライアントが過去のトラウマについて話し始めたとき、セラピストはそのクライアントが安心して話せるように、優しく声をかけ、受容的な態度を示します。そうでない場合、セラピストは、心理療法家としての仕事を放棄していることになります。

・非言語コミュニケーション:

親が子供に対して「怒っている」ときの具体的な事例として、子供が家の中で走り回っているときに、親が眉をひそめて手を振りながら「止まれ」と言う場面が考えられます。親の表情やジェスチャーが怒りを表しているため、子供は行動を止めることが求められます。親が笑いながら、辞めなさい、と言っても、子供は親に承認されていると感じるでしょう。

・緊急時のコミュニケーション:

地震発生時の緊急時のコミュニケーションの具体的な事例として、地域の自治体が緊急地震速報を発表する場面があります。この速報は、状況を把握しやすくするために短く明確な言葉で構成されており、「地震が発生しました。すぐに安全な場所へ避難してください。」などといった内容が含まれます。すぐに警報が出されない場合、国民は、緊急ではない、というメッセージを受け取ってしまうでしょう。

スポーツのコーチング:

サッカーの試合中、チームが相手チームに対して守備的な戦術を採用する必要がある場合、コーチはハーフタイムの休憩中に選手たちに集まり、状況を説明し、次の戦術を詳細に説明します。説明がない場合には、守備的な戦術を取る必要がない、ということをコミュニケーションで伝えてしまうでしょう。

つまり、クライミングの計画がない=大した内容のクライミングではない、とか、クライミングを舐めている、ということを意味してしまうということです。

しかるに、常に山行計画書をもとにクライミングの計画を共有する姿勢、こそが、クライミングに対する真剣さをもたらすでしょう。

クイズ:

このような支点は

いったい何を非言語に伝達しているでしょう?

誰がカラビナを同じ方向に向けろと指導しましたか?

誰が直掛けが良いと指導しましたか?

誰がホームセンター由来の手作りプレートを信頼せよと教えましたか?

そして、誰が横に水平うちで20cm離れた位置に支点を打つように、と教えましたか?

答えは明白です。

このような支点を打つ開拓者は自らも、思考しておらず、きちんとしたクライミング教育も受けていないということ、をこの支点は物語っています。

2024/03/23

【心理学】DARVO shifting responsibility

Be Careful of The DARVO Manipulation Tactic

Stability of the mind 
I recently feel so much better than before... since I had a visit of my English speaking friend. He mentally stabilized me.  What he did? He had just listened to me. Also he talked his own problem too. 

I know this feeling... it was Saori, she was my high school best friend. We spend our high school like like twins... she hid me at her home since her parents come home late, running a noodle restaurant. 

My mom and my younger brother was abusive to me, thinking I should do all the house chore and called me "selfish" instead of splitting the chore with household members. I was taking care of the house and fixing food for everyone since I was 8.  That was a decision, called a infant decision in a phycology. I look at the situation, and mom is incapable, my siblings are incapable, I was only 8 but I was the only one who's possible... so I took the roll. 

But when I was 15, high school age, I decided, no more. Because  my younger brother was old enough, he was 13. My younger sister was 11. I waited for them extra 5 years compared to me.

I realize now, in climbing again, same thing had happened. Reverse responsibility. 

They call you "It is your own responsibility" when it is not. Bad bolts are not your responsibility and not being taught is not your responsibility. 

They use this word to get more benefit from me and try to use me as their benefit, when it is only their selfishness not mine. 

Switching who's selfish and making me  confused and freaked is  called "Gas lighting" in phycology...  it's a mental manipulation of others, and I was almost being used by my own mother and own siblings as a mean to make then alive. 
So this time, it was really hard to get over, since back then, I had Saori, but this time, someone I should be able to rely on... my husband became my enemy, not a friend. 

So my friend came over, he had no idea what so ever about climbing, and I told him what happened to my husband and me and with his reason, i.e. rational thinking, the situation seem as same as I saw, so I can trust my point of view...  My strongest traits is my adult ego, i.e. rationality, and if I had to doubt that... my intelligence and rationality, I feel very weak. 

Anyway, there is another term for this DARVO... Darvo is a short for 
Denial, Attack, Reverse, Victim Offender. 

This is exactly what had happened. This is keep appearing to me. 
When I was 15, Saori helped me to stay sane. 
Now, my friend is there. 


2024/03/22

【クライミングのエシック】道しか歩かないから道しか歩けなくなる

 


Every struggle in your life has shaped you into the person you are today. 

Be thankful for the hard times, they can only make you stronger.

■ 困難が、人を形成する

… まさしくその通りですね。

私はパソコン強いですが、そりゃそうだよなぁ…。

なにせ、14歳のころ、これからはパソコンの時代だ!と思って、一人で本買ってきて独学したくらいなので… ただこの業界って、私の努力の割に、ぜんぜん投資分回収できないので、あんまりこのスキルを使いたいと思っていないですが…(笑)。英語もですね…。

例えば、韓国に自分のクライミングに行ったときに見かけた、UIAAの教科書に、日本語版の翻訳書の出版リクエストを書く、というのは、私にしかできないウルトラCの技だと思います。

すでに誰かに作ってもらったニーズ(この場合、翻訳する仕事)に答えるのは、

 誰でもできる仕事

です。

私の中では、仕事を作り出す仕事のほうが困難度上で、私の才能が最も生かされるものです。

この本が日本のアルパインクライミング界に貢献する量としたら、かなりのレバレッジなので…。

一方、翻訳のほうは、別に正確であれば、だれでもできる仕事です。昨今、機械翻訳で十分なくらいです。

というので、同じことで、誰かが作ったルートを登るのはなんかなぁ…ただのドリルですよね?ショートでのフリーって。結局、山にある残置のないルートが本番なんですよ。

残置がないルートがない、どころか、一般登山道ですら案内板だらけの九州…。

読図によって自分で道を見出す登山が理解されていないのに、自分でラインを見出すクライミングが理解されるはずがないよなぁ…。

読図がないのは、雪がないから…。雪はすべての道を覆いつくして、道が分からなくなるので道を見出す必要が出てきますが、道があれば歩こう、というのが九州における山の前提なのです。

道しか歩かないから、道しか歩けなくなっちゃった…ってことなんですよね。

というので、結局、ルートファインディングが苦手なのは、親が敷いたレールの上だけを歩こうという大方の日本人の発想なんです。

そんな人たちに、「英語さえ話せたら、私にもできた」って言われてもなぁ…

きっとあなたにはできないと思いますよ?




【ChatGPT】人の人生を羨ましがる人の心理

■ 問い)人の人生を羨ましがる人の心理を教えてください

ChatGPT

人が他人の人生を羨ましがる心理にはいくつかの要因が関与しています。

1)比較と競争: 人は自分と他人を比較し、競争心を持つ傾向があります。他人の成功や幸福を目にすると、自分の欠点や不満を感じ、その人のようになりたいという欲求が生じることがあります。

2)社会的影響: 社会や文化は、成功や富、美しさなどの特定の価値観を推進することがあります。これにより、他人の人生が望ましいものとして描かれ、それに影響される人がいます。

3)自己評価と不安: 自己評価が低い人や、不安を感じやすい人は、他人の人生を羨ましく思いやすい傾向があります。自分と比較して劣っていると感じると、他人の成功や幸福を見て、不安や焦りを感じることがあります。

4)欲望と欠乏感: 他人の持つものに対する欲望や、自分に足りないものに対する欠乏感が、他人の人生を羨ましく思う要因になります。特に、物質的な成功や社会的地位、愛情や承認などの要素が関与します。

これらの要因は個々の心理や状況によって異なりますが、他人の人生を羨ましく思う心理は一般的に人間の心理に根ざしています。

■ 私の人生、羨ましいです?


もうね、ラオスに登りに行っていたのは、かなりアメリカ時代とダブりました。ほんとはアメリカ人になりたいんですよ。日本人は足を引っ張りあうので、お前ら、どんだけ~?って気分です。甘ちゃんほど、人の足を引っ張る。引っ張らないでくれるだけで、日本で平均以上の人は、躍進できると思います(笑)。

もう、ほとんど全部自分で起こした奇跡のようにしか私には感じられず、どうもそれに便乗したいって人が集まるだけのような気がするんですが…?

違うんですかね?

■ 羨ましい人は、競争している人

競争をあおると、うらやましい人を増やす

当然ですね~。

今まで、グレード更新競争だけをあおってきた日本クライミング界。その結果のアクセス問題。

少なくとも、私は問題を作った側ではないですからねー!いっときますが。

結局、コンペで誰それが優勝したというニュース以外が流れない、クライミングネット…

ヒマラヤ登山とか山野井さんみたいな先鋭登山をしている人が、毎年ヒマラヤ行けると思います?本当に難しいことをしていたら、毎シーズン勝つとかできるわけがないですよね?

だって、5.14にチャレンジしていたら、2か月かかるんですよ?トップクライマーでも。

頻繁にニュースに名が載る…= すぐに達成できることしかしていないって意味では?

私が思うには、ジムクライマーと言う雑誌を別に作って、そっちはそっちで、アウトドアの世界と切り離して語るべきだと思いますね…

なんせ、インドアジムってリスクゼロって意味ですよ?

アウトドアクライミングは、リスクと向き合う活動、なのに。全く真逆ですよね。

自然農の大家、川口由一さんは、

 問題ではなく、答えを生きろ、

と言いました。クライミングにおいて問題ではなく、答えを生きる人が増えることを望みます。

2024/03/21

【提言】新しいクライミングの世界に必要な言葉

アドボカシー賞: 

グレード以外のクライミングの功績をたたえる賞。行政との連絡、地権者への説得、交通整理、SNSへの掲示、地域コミュニティへの貢献、クライマー同士の絆の創設、などの社会性のある活動を称える賞。

クライマーズウィロスト: 

亡くなったクライマーの楽しい思い出を共有することで、命のかけがえのなさを共通の理解とし、しょうもないミスによる犬死を愚かな死であると潜在意識に叩き込む活動

クライミングスチュワード: 

どのレベルでどのルートを登ることが適切か?その場合の習得テーマは何か?を案内できる人。例:まだロープドラッグする人には白亜スラブを勧めない 

機能不全ボルト:

あっても配置が悪くて、役に立たない位置にあるボルト。アルパインの論理で作られたフリークライミングのボルトであることが多く、そのグレードを登るクライマーには全く役立たない。落ちればグランドフォールする位置にあるので、逆にだましになっており、いっそないほうが初心者は取りつかない、という位置にある偽善的ボルト。

クラッグリテラシー:

菊池さんがいう、”岩場のあれやこれや”についての知識。例:中根穂高さんは、初心者クライマーには、ピクニックシートを広げる場所から指導する。岩場には落があり、インドアジムにはない。初心者には下部核心の課題を勧めてはいけない。

クライミングIQ:  

岩との駆け引き、対話について言語化する能力。

登ったら降りないといけないという宇宙の摂理すら分からない人は、クライミングIQが低すぎます。

クライマーズトーク:

クライマー同士が心に残るクライミングについて、一般の人、普通の人にも分かるように語る会。トップクライマーが行うことが多いが、実際に役に立つのは、普通の人のクライマーズトーク。

クライマーコーヒー:

クライマーに岩場でのマナーをアップしてもらうために開くコーヒーブース。コーヒーでなく、日本では、グリーンティでもいいのかもしれない。クライマーに何かを売りたい企業とタイアップして無料を実現できるのなら、それでも。

基本的にマナーアップが目的の啓蒙活動なので、コーヒーの紙カップが散乱する事態になるのは避けるべきであり、また、地元の人が、おこぼれをもらえない位置にあるのも避けるべき。

願わくば、クライマーが一服に立ち寄ることで、地域の住民とのコミュニケーションの懸け橋になること。例えば、天気が良いですね、程度のあいさつでもいい。

クライマーが隠れてコソコソ登る悪習慣を絶つのが狙い。隠れて登る=見つからなければ何をしても良いというマインドを作ってしまうため。

■ アクセスファンドへの人材インターンを

日本では、米国のアクセスファンドのような有償のクライミングに関して必要な社会的活動への職位に、適切な対価が支払われていません。

一方で何もしないで、お金をもらっている人もたくさんいます。

戦後70年の会には、高級外車が買える、と言えないまでも、国産車なら買えるくらいの会費がたんまりたまっていることが多いのにも関わらず、それらは有効な活用をされていません。

米国のアクセスファンドのトップは、先日人材募集がありましたが、ファンドライザーのプロのようでした。

ファンドライジングも、NPOの分野で日本では、低い地位にある職位ですが、非常に高度な知性と職業的献身が必要な職位ですので、無償でやれ、という日本のほうが間違っていますよねぇ。

フルタイムで職員を雇うつもりがないからいつまでも老人資本主、若者のコンペクライマーだけに国費をガンガン費やし、登れなくなったらポイと捨てるという人の使い捨てをやって人心を荒ませている、ということです。このようなお金の使い方税の使い方すら、国内クライマー間で共有されていません。

■ 地域おこし協力隊

さて、上記のような職位は日本では、公庫から給与が出ませんので、何らかの仕組みを利用する必要がありますが、それに使える制度が地域おこし協力隊です。

しかし、地域おこし協力隊は、給与が非常に低いのです。しかも、3年の中で勤め上げられないと、全額地域の負担になる、という罰則的な規定があります。

3年この活動をやれる、という人しかダメみたいな制度であり、地域の側から見たら若年人口のゲットを目的にしているということもあります。

制度を利用して、クライミングのよる地域おこしを活性化するには、クライミングによる地域おこし要員として採用するのではなく、地域起業を促進する担当として、そのうちの一つに地域性としてクライミングによる地域おこしが位置づけられるのが良いのではないかと思います。

なぜなら、そうすることで、

・クライマーの、岩場までの人の輸送業者

・クライマーの、宿泊業

・クライマーの、ガイド業起業

・クライマーの、クライミングジム起業

・クライマーの、カフェ起業

など、様々な周辺起業を支援することができ、トータルで複合的なクライミングによる地域おこしになるためです。

そもそも、岩場周辺には、人家すら少なく、岩場に歩いていける距離でゲストハウスを営みたいとなると、空き家利活用によるゲストハウス起業のノウハウが必要です。

私は自分の家が大阪に空き家であるので、ゲストハウス起業についても勉強してみましたが、まぁ多分、25+35が計算できないレベルの知性がクライマー界では普通であることを鑑みると、クライマーがゲストハウスを運営することには相当の困難が付きまといそうです。

例えば、収益見込みがないのに、相当高い投資額を突っ込むとか… 箱に突っ込みすぎるわけですね。

そういう基本的に起業家マインドがない、気持ちだけの起業ではすぐぽしゃります。

そんなのがいくら束になっても意味がないわけです。

  • 英語学校にはアメリカ人がいない
  • 登ったら、降りれないといけない
  • ボルダーには登る前に降りる道を確認する

それくらいの知性があることすら前提にできない現代日本なのです。

現実的になりましょう☆



2024/03/20

【クライミングによる地域おこし】クライミングの価値とは?

■ 自己顕示欲だけではないクライミングの価値とは?

 1)その土地の提供する楽しいラインを登り、(岩場の地域愛)

 2)地のモノを食べ、(食の地域愛)

 3)クライミングの話で盛り上がり、(共通言語)

 4)健康的に過ごす

 5)心の成長

です。

■ 同じルートは二つとない=ルートの個別性

デイドリとコブラクラックは、同じグレードでも、まったく別個の物語を持つ課題です。

課題(ルート)には、個別性があり、その個別のストーリーを知ること…が、クライマーを魅了するのです。

私はクライミングをもっと広い地域性(山全体)でとらえていたので、昇仙峡の中には、徒歩で登れる中津森から、沢登りの板敷渓谷や伝上沢、金峰山の御岳新道でのラッセルといろいろな山の表情をつかむことに関心がありました…

二子山のある、小鹿野も同じだと思います。

https://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=344

地域おこしに、クライミングを取り込むなら、クライマー自身がクライミングだけに話を最小化させず、一般の登山も行って、山全体の全体像をしっかりと捉えていることが必要です。

そうすれば、クライマーだけがエライという態度は取れず、

・一般ハイキングを行うハイカー (最大人口)

・沢登りを行う沢ややお魚釣りのおじさん (マイナー人口)

・もしかしたら、マウンテンバイクの人たちや、トレイルランの人々(さらにマイナー人口)

を取り込んで、その土地の恵みをすべての人で分かち合い、土地の楽しみを味わい尽くすことができるかもしれません。

現在のところ、ハイカー、クライマー、沢ヤ、釣り人、マウンテンバイカー、トレイルランナーは、全員排他的に互いに排除しあっています。

■ 地のものをみなで食べる

その地にあるものを食べる… これこそ、すべての人が共通で楽しめる楽しみなんですが…結局、クライマーはコンビニ。

かなり悲しいことになっていますよね。

その土地の物を食べると言っても、贅沢をする必要はなく、

 楽しく、みんなでご飯を食べていたらいい

んですよ。

普通に地元のスーパーで手に入るものを買って。大事なのは、その土地で楽しい思いをすることで、その思いがその土地に対する愛着を作るわけです。

嫌な思い出がある土地に愛着を持ちたいと思うと思いますか?思わないですよね?

つまり、クライマーが愛着を持てる、ということは、逆に言えば、楽しい仲間がそこにいるってことなんですよ。嫌な奴らがいる場所に愛着を持つ人がいる訳ないですよね?

だから、海外から訪問クライマーが来たら、一般の人、クライマーじゃない人の家に泊まってもらって、そこでおもてなしを受ける、というのは良い考えだと思います。

一般の人にとって見れば、クライマーって嫌な奴らじゃないんだ~という発見になります(笑)。

トレランの人や、MTBの人たちも、同じような立場で、一般ハイカーから排除の憂き目にあっていますが…それは、人数を盾に着た民主主義の暴力、に陥っているということです。

多数決は民主主義ではないですよ?

多数決が通るなら、日本は老人ばっかりなので、老人だけが善となってしまいます。

■ クライミングの話で盛り上がる

クライミングは、世界共通言語なので、クライミングさえ分かっていれば、英語が話せなくても、全く問題なく、通じ合えます。

大体、8の字を結び始めると、片方はビレイ器にロープを通します。それ普通でしょう?

そして、しっかり通っていると見せる。

これで分からないクライマーはいません。分かっていなかったらその人はまだクライマーではない。

それより、もっと大事なのは、”クライミングスチュワード”という職位です。

例えば、中根穂高さんは、カラファテでクライミングスチュワード的な役割を果たされています。

私は初めてのロープはカラファテまで買いに行ったのですが…その時は4時間くらい中根里話していました。あの時買ったロープクランプはほんとに役立ち、ロープアップされないときは、プルージック2本で上がっていたのが、ロープクランプ一個で上がれるようになり、ほんと良いお買い物でした。

初めての岩場でどこのエリアからスタートするのがいいか?どの課題から登るか?

そんな相談ができるのが、クライミングスチュワードという立場で、きちんとクライミングしてきていない人はこれができない。初心者に下部核心の課題とかを勧めてしまいます。

その岩場に特別詳しい人である必要があります。

この職位は、相談を受ける立場なので、一時間当たりいくらなり、なんなり、コンサルティングフィーを取れるようにしてやるのが、正当な報酬であると思います。

今は心あるクライマーの、ボランティア活動になっており、最近私も、瑞牆に3月に行こうとしていたクライマーに城ケ崎に変えるようにアドバイスしました。

本来は、すでに役職給をもらっているどこかの団体の役員がやればいいことのような気がしないでもないです。

■ 健康に過ごす

クライミングは、大人と同じだけの判断力ができる6年生くらいから、80代の老女までできる生涯スポーツです。

名誉欲に偏ると、25歳男子以外は居場所がなくなります。

そんなスポーツ、楽しいです? 日本では、コンペ主義、コンクール主義が他のスポーツでも強く、そのため、多くの人がスポーツをしたせいで自尊心に傷を抱える羽目になっています。

本来のスポーツの良さを打ち消してしまい、逆に運動嫌いを作っている…

それにさらに拍車をかけているのが、スポ根によるスポーツ虐待です。

身体を死の危険にさらされると、それは体と心に刻まれ、いくら時間がたったとしても消えないトラウマと呼ばれる症状を作ります。

体の傷跡が一生消えないように、心の傷跡も消えることがありません。

それもこれも、ほんの小さな、境界線の侵害…愛と言う名の支配によってスタートするのです。

上手になることが健康より勝るとき…それは支配です。

一番大事なのは、健康=つまり命なんですよ。

誰ですか?嫌がっている人にリードを無理強いして、40mランナウトを俺は登るのが嫌だから、あいつにリードさせよう、ともくろんでいるのは? あなたが登るの嫌なところは、他の人だって登るの嫌でしょうよ。

そんな小さな、過去の遺物となった見栄のために、

 生涯スポーツとして楽しめるフリークライミングの奥深さ

を多くの人に伝えそこない、クライミングってただの肝試しゲームでしょ、とおもわせているなんて、なんてもったいないでしょうか?

■ 心の成長

生涯スポーツであるからには、心の成長がうかがえる内容を、年を取れば登れるはずです。

登れなくなった俺、ではなく、

心でルートを味わえるようになった俺

を表現しましょう。



【提言】用語の新設:スーパーアルパインという言葉

 先日から、用語の新設を提言していますが、

日本では、昔のエイドクライミングを今でもアルパインクライミングと呼んでおり、進化を遂げた現代アルパインクライミングとは、全く別の内容なのに、同じ評価を受けるのが、混乱の原因のように思われるので、トップクライマーが行っている現代アルパインクライミングには

 スーパーアルパイン

という名前を別に付けたらどうでしょうかね?

これは、登るマシーンだったウエリが作った用語と思いますが、海外文献では見かけます。

■ 高難度マルチピッチ

5.12から上のマルチが高難度マルチという理解でいいのでしょうかね?そこは謎だが。

一般クライマーが、エンジョイクライミングで登れるルートを、どんなトップレベルクライマーでも、入門時に経験します。そういうルートは安全である必要があります。

例えば、二子山中央稜は、5.7のルートで有名です。

■ 安全から徐々に非安全に向かっていくことができない構造

安全から徐々に危険に向かっていくのが、下級から上級への流れであるべきですが、現在のクライミングセオリーでは、下級ルートほど危険度が高いということになっています。

初心者には、ボルトがしっかりしたルートが必要で、それは、基本日本には存在しません(笑)。

5.7~5.9でボルトがしっかりしたルートはないので、結局、5.12が登れるというゆとりを持つクライマーが、5.7~5.9であってもリードして、セカンドを連れて上がるしかなく、そのリードクライマーにとっては、へでもない。

一方、セカンドで上がられたほうにとっては、えー、このグレードならリードできると思ったから来たのに…みたいなことになります。

とはいえ、マルチで一か八かのリスクは、取れません。なので、マルチの入門ルートを初心者が鶴瓶なり、リードで登るには、誰かに一度連れていかれている必要があります。

このことを連れていくときに、誰も説明しないんですよね。

なので、それを見た、師匠についていない別のクライマーが、○○さん(セカンド)に登れたなら、俺なら楽勝で登れるはず、と思って、そこに行く、ということが起きます。

すると、そこで、事故る、わけです。

なぜならリードクライマーが持っているクラッグリテラシーがないわけですよ。

ロープドラッグしまくって、結局、夜になる。そして、それが武勇伝になる。

本来は、”恥ずかしい失敗”が”武勇伝化”します。

一般クライマーは、岩場を人工壁のように個性の一貫したグレードの難度だけで切り分けられるもの、と勘違いしているわけです。なぜなら、人工壁ではそれが”前提”であるので、人工壁上がりのクライマーには、前提として入っているからです。前提、とは無意識のことです。

一方で山でスタートした人には、

 個別性

が前提、つまり、無意識に入っています。だから、永遠に個別の山を経験しつづけることになり、そのため、永遠に楽しみが続く!ということになります。

2人として同じ女性はいないのと同じことです。

■ 個別性はあってもチャレンジが無くなる

個別性が理解できているクライマーにも、問題がないわけではないです。

結局、金魚の糞クライミングをして、それを後輩に伝達クライミングする、というサイクルには、どこにも未知の要素がありません。

 連れて行ってもらう⇒連れて行ってもらったところに連れていくサイクル

は、練習、下積み期の在り方、です。

いつ、未知の岸壁に取り付く気なんですか?って話になります。

易しいところでも、未知のところに取り付いてないと、メンタル面から、未知を回避するクライマーになります。

■ The Game Climbers Play に縛られている日本

5.9に5.12並みの登攀力が求められる状況を、日本では、大昔の論説をもとに保護しています。

それが、『The Game Climbers Play』という英語論文で

易しいルートは危険度が高いので、総合でリスクは釣り合っているという理論です。

これをもとに、

難しいルートにはリスクがなくていい、という逆説的論法で、高難度フリークライミングから、岩との対話(リスクコントロール)を取り去ってきたのが、一般のフリークライミングなのです。

なので、5.14であっても、リスクフリーということで、古いアルパインクライマーは、あいつらはオンサイトしていないじゃないか、と言って全く尊敬しません。

しかし、ユージさんのデイドリームを見たら、どうでしょうか? TheGameClimbersPlayにみられるような課題の構造にはなっていません。5.14でも、リスクはあるのです。ハイボルと書いてありましたよね?

ここで、なんでRが付いていないのかな?という素朴な疑問がわきます。

動画によると、バンバン落ちながら登っていらっしゃいましたが…それでも、ハイボルのところは、5.14が登れる人なら、プロテクションがなくても落ちないと思われるため、Rとつけないのでしょうかね?

だとしたら、このような内容のフリークライミングは

”俺、5.12ならプロテクションの間隔が近いから、フリーで登れなくてもエイドすればいいだけだから取り付ける”という理由で取りつくフリークライミングとは別物、です。

この一般の人のフリークライミングを、フリークライミングと言うのであれば、ユージさんの取り組みは、

 スーパーフリークライミング

とでも、名前を付けたらいいのでは? ほかの名前でもいいのですが…。

■ 名前がない弊害

名前の差がないから、一般の人は、ユージさんらもリスクを全然取らず、”いくら5.14が登れたと言っても、どーせ、各駅停車で行っているんだ”、と思ってしまうんではないでしょうかね?

ユージさんの記録から、そうではないことを読み取れるクライマーは、もはや、ほとんど絶滅危惧種になっているんではないでしょうか?

なんせ、米澤さんは、ドーンウォールのトニーを見ても、全く軽蔑して、何が桁違いにすごいのか分からなかったみたいでした。

■ せめてガイドレスで登らせてやれ…

そんな往年のクライマーですら、残念なスタイルで登ることになってしまったのがタサルツェという山で、無名峰ですが、最低限の名誉として、ガイドフリー、で登らせてやりなよ、と思いました。たとえ、登れなかったとしても、ガイドレスであれば、一生の名誉になったことでしょう…。

そのような不名誉な内容であったにもかかわらず、報道では初登報道されましたが、記録と言うのは、西洋社会の都合であって、劔点の記という映画でもありましたが、劔だって前から登られていたんですよ。誰かが俺が一番だという声明を発信したかしなかったか、という問題だけであって。

現代では、報道はあっても良いと思いますが、マナスル初登みたいなのと同列で語るのはおかしなことです。

それが区別されていないので、色目を出したガイドさんが、全く体力がないアークテリクスに身を固めたお客さんに名誉欲をちらつかせて大枚はたかせ、昨日今日山をスタートした人をヒマラヤに連れて行っています。この目で見ました。金峰山から奥多摩までカモシカをやるというから行ったら、大ダベリング大会で、最初から踏破するつもりがない山をガイドされていました。

今回も苦言になってしまいましたが、現代アルパインが理解されていないように、現代フリークライミングの真価もきちんとは理解されていないよ、って話です。

スーパーアルピニズム、スーパーフリークライミング(ハードフリーではなく…笑)

機能不全ボルト、クラッグリテラシークライミングIQ

そういう言葉を使うことによって、クライミング界が正常化することを望みます。


吉田さんの古い写真…突然出てきましたが、メッセージを感じました…吉田さん、これでいいんですね、って感じ。





【心理学】劣等感を持っている人の防衛機制=ガスライティング=クライミングは自己責任という常套句の悪用

■ ”劣等感”に対する防衛機構

昨日は、心理学の講座仲間が、私のプロフィールの宿題を手伝ってくれるというので、話を聞いてもらったら、心理学でいうところの、防衛という機構が働いて、彼女がマシンガントークを始めました…(汗)。

防衛機構… 劣等感が、根底にあると思われました。

これが核心かなぁ。 

つまり、

”水泳で金づちの30歳も年下の女性が泳げるようなったことで、80代の女性が嫉妬を抱く”ように、

”クライミングでも、自分より20歳も30歳も年下の女性が、5.9をすいすいと登れるようになった人に対して、お前は「可愛くない」(笑)と師匠がいう”。

いつまでも、俺を仰ぎ見て、頼ってくれる、”可愛い”後輩、が、欲しいわけですからね…

そんなにすごくない俺を「すごい、すごい」と仰ぎ見てくれるためには、ダメクライマーでい続けないといけない訳です。

だから、わざと若い男子ではなく、年増のおばちゃんクライマーを相手に威張るわけですよ。

それは、(後輩の成長)が、(相手の劣等感)を強く刺激する、のかもしれません。

特に、クライマーって、最盛期はたぶん25歳くらいなんです。それ以降はみんな下り坂。

あの頃のすごかった俺ができたことは、今の俺はできない。そんなところに、現代クライミングの、”グレード至上主義”で自分を自己判定してしまうわけですから、年配のクライマーにとっては、当然、面白くないでしょう。

勢い、「俺だって、時代が時代だったら佐藤ユースケ(平山ユージ、小山田大)」と自分に言い聞かせてしまい、その結果、その人の犯罪などに対する自己統制力の強さいかんで

「許せん!」=チッピング

となるのかもしれません。

そんなの、その人の問題、と言えば、それまでなんですが、それが

 クライミング界全体で、巨大なガスライティングを行う温床

になっているとすれば…、そして、そのガスライティングが、

 クライミング事故が減らない

業界内部から真の対策が取られないことへのメンタルブロック

になっているとすれば…

■ 私に起こったことは氷山の一角

私に起こっていることは、氷山の一角として、端的に見出されただけのことで、実はほとんどのトップクライマーに対する嫌がらせとして起こっていることなのではないでしょうかね?

それを私のように、文章に書いていると時間がかかって面倒なので、みんなやっていないだけで、それはもう、ごまんと同じようなケースがあるから、

この記事が出て以降

・菊池さんの団体が作られたり

・九州のクライマーが似たような意味不明の団体を作ったり

したんでしょう…。菊池さんの取り組みは、根本原因にアクセスしようという試みであり、もっと評価されて良いと思います。

それこそアドボカシー賞ですよ。

■ 本来あるべき姿

昨日、ギンちゃんが天野さんと登っているアイスの話が回ってきましたが、本来あるべき先輩後輩の姿がそこにあると思いました。

FBより引用


本来は、一般クライマーも、自分に合ったレベルでそういうことが起きているべきなのです。

天野さんは、日本が誇るピオレドール賞受賞クライマーで日之影町のお隣の高千穂に奉納のクライミングに来ていました。このことを高千穂で自然学校をやっている知人に教えましたが、え?誰、それ?っていう塩対応でした。

世界に羽ばたく門田ギハードについても、中津の八面で知り合った池田さんの後輩ということでしたが、九州では、誰それ?扱いです。

二口を登った石原さんや、ギンちゃんの記録がほぼロクスノに取り上げられないで、なんで比叡の雌鉾が数ページの記載なんですかね?? アイスやってるクライマーなら誰でも気が付くおかしさ。

トップクライマーの偉業は、クライマー本人が記録を自己申告してくるのを待たず、ロクスノの側が取材記事に取り上げるべき内容だと思います。

例えば、ユージさんのデイドリとかもそうです。

■ 取材努力ゼロで紙面を作る

要するに、取材努力を欠いており、それでも紙面をうめないといけないから、手ごろで当たり障りのないことを書いてきた一般クライマーの記事を紙面埋めに使ったということでしょう(低レベル化)。

その低レベル化、手抜きが起ったところで、記事掲載されたクライマーが、

 まるでトップクライマーのようにもてはやされて、偽りの自己肯定感UP

で、実力不相応な高い評価を受ける。

それを見た別のクライマーが、

 ”あいつがあんなに高い評価を受けるなら俺だって!”

となり、

”どれだけ低いレベルで、高い評価を受けたほうが勝ちか?という競争”に、いつの間にか競争の中身が、すり替わってしまう…

ということが今、登山界、クライミング界で起きていることだと思います。

そのあだ花が、栗城さんであり、なんとかマリンさんなんですよ。

栗城さんなんて、巻き添え死を作っており、誰が見ても三流クライマーなのに、世間はそのことが一切理解できなくなっていました。死後も正確には評価されていない。

■ 健全化

ダークサイドが栗城&まりんであるとすると、健全化した場合はどういう行動になるでしょうか?

回答: 自分たちも自分たちのレベルで出来る挑戦に挑んでいる、

    そのことについて過剰な他者の賞賛を必要としていない

    自己受容が進み、正しく自分を位置づけ、後輩は指導し、先輩は尊敬ができる

です。

人の能力はそれぞれなんですから

 登れない俺には価値がないという内なる声

に打ち勝てればいいわけですよ。頑張るなら、そっちを頑張りましょう。