2024/03/20

【クライミングによる地域おこし】クライミングの価値とは?

■ 自己顕示欲だけではないクライミングの価値とは?

 1)その土地の提供する楽しいラインを登り、(岩場の地域愛)

 2)地のモノを食べ、(食の地域愛)

 3)クライミングの話で盛り上がり、(共通言語)

 4)健康的に過ごす

 5)心の成長

です。

■ 同じルートは二つとない=ルートの個別性

デイドリとコブラクラックは、同じグレードでも、まったく別個の物語を持つ課題です。

課題(ルート)には、個別性があり、その個別のストーリーを知ること…が、クライマーを魅了するのです。

私はクライミングをもっと広い地域性(山全体)でとらえていたので、昇仙峡の中には、徒歩で登れる中津森から、沢登りの板敷渓谷や伝上沢、金峰山の御岳新道でのラッセルといろいろな山の表情をつかむことに関心がありました…

二子山のある、小鹿野も同じだと思います。

https://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=344

地域おこしに、クライミングを取り込むなら、クライマー自身がクライミングだけに話を最小化させず、一般の登山も行って、山全体の全体像をしっかりと捉えていることが必要です。

そうすれば、クライマーだけがエライという態度は取れず、

・一般ハイキングを行うハイカー (最大人口)

・沢登りを行う沢ややお魚釣りのおじさん (マイナー人口)

・もしかしたら、マウンテンバイクの人たちや、トレイルランの人々(さらにマイナー人口)

を取り込んで、その土地の恵みをすべての人で分かち合い、土地の楽しみを味わい尽くすことができるかもしれません。

現在のところ、ハイカー、クライマー、沢ヤ、釣り人、マウンテンバイカー、トレイルランナーは、全員排他的に互いに排除しあっています。

■ 地のものをみなで食べる

その地にあるものを食べる… これこそ、すべての人が共通で楽しめる楽しみなんですが…結局、クライマーはコンビニ。

かなり悲しいことになっていますよね。

その土地の物を食べると言っても、贅沢をする必要はなく、

 楽しく、みんなでご飯を食べていたらいい

んですよ。

普通に地元のスーパーで手に入るものを買って。大事なのは、その土地で楽しい思いをすることで、その思いがその土地に対する愛着を作るわけです。

嫌な思い出がある土地に愛着を持ちたいと思うと思いますか?思わないですよね?

つまり、クライマーが愛着を持てる、ということは、逆に言えば、楽しい仲間がそこにいるってことなんですよ。嫌な奴らがいる場所に愛着を持つ人がいる訳ないですよね?

だから、海外から訪問クライマーが来たら、一般の人、クライマーじゃない人の家に泊まってもらって、そこでおもてなしを受ける、というのは良い考えだと思います。

一般の人にとって見れば、クライマーって嫌な奴らじゃないんだ~という発見になります(笑)。

トレランの人や、MTBの人たちも、同じような立場で、一般ハイカーから排除の憂き目にあっていますが…それは、人数を盾に着た民主主義の暴力、に陥っているということです。

多数決は民主主義ではないですよ?

多数決が通るなら、日本は老人ばっかりなので、老人だけが善となってしまいます。

■ クライミングの話で盛り上がる

クライミングは、世界共通言語なので、クライミングさえ分かっていれば、英語が話せなくても、全く問題なく、通じ合えます。

大体、8の字を結び始めると、片方はビレイ器にロープを通します。それ普通でしょう?

そして、しっかり通っていると見せる。

これで分からないクライマーはいません。分かっていなかったらその人はまだクライマーではない。

それより、もっと大事なのは、”クライミングスチュワード”という職位です。

例えば、中根穂高さんは、カラファテでクライミングスチュワード的な役割を果たされています。

私は初めてのロープはカラファテまで買いに行ったのですが…その時は4時間くらい中根里話していました。あの時買ったロープクランプはほんとに役立ち、ロープアップされないときは、プルージック2本で上がっていたのが、ロープクランプ一個で上がれるようになり、ほんと良いお買い物でした。

初めての岩場でどこのエリアからスタートするのがいいか?どの課題から登るか?

そんな相談ができるのが、クライミングスチュワードという立場で、きちんとクライミングしてきていない人はこれができない。初心者に下部核心の課題とかを勧めてしまいます。

その岩場に特別詳しい人である必要があります。

この職位は、相談を受ける立場なので、一時間当たりいくらなり、なんなり、コンサルティングフィーを取れるようにしてやるのが、正当な報酬であると思います。

今は心あるクライマーの、ボランティア活動になっており、最近私も、瑞牆に3月に行こうとしていたクライマーに城ケ崎に変えるようにアドバイスしました。

本来は、すでに役職給をもらっているどこかの団体の役員がやればいいことのような気がしないでもないです。

■ 健康に過ごす

クライミングは、大人と同じだけの判断力ができる6年生くらいから、80代の老女までできる生涯スポーツです。

名誉欲に偏ると、25歳男子以外は居場所がなくなります。

そんなスポーツ、楽しいです? 日本では、コンペ主義、コンクール主義が他のスポーツでも強く、そのため、多くの人がスポーツをしたせいで自尊心に傷を抱える羽目になっています。

本来のスポーツの良さを打ち消してしまい、逆に運動嫌いを作っている…

それにさらに拍車をかけているのが、スポ根によるスポーツ虐待です。

身体を死の危険にさらされると、それは体と心に刻まれ、いくら時間がたったとしても消えないトラウマと呼ばれる症状を作ります。

体の傷跡が一生消えないように、心の傷跡も消えることがありません。

それもこれも、ほんの小さな、境界線の侵害…愛と言う名の支配によってスタートするのです。

上手になることが健康より勝るとき…それは支配です。

一番大事なのは、健康=つまり命なんですよ。

誰ですか?嫌がっている人にリードを無理強いして、40mランナウトを俺は登るのが嫌だから、あいつにリードさせよう、ともくろんでいるのは? あなたが登るの嫌なところは、他の人だって登るの嫌でしょうよ。

そんな小さな、過去の遺物となった見栄のために、

 生涯スポーツとして楽しめるフリークライミングの奥深さ

を多くの人に伝えそこない、クライミングってただの肝試しゲームでしょ、とおもわせているなんて、なんてもったいないでしょうか?

■ 心の成長

生涯スポーツであるからには、心の成長がうかがえる内容を、年を取れば登れるはずです。

登れなくなった俺、ではなく、

心でルートを味わえるようになった俺

を表現しましょう。