2024/03/20

【提言】用語の新設:スーパーアルパインという言葉

 先日から、用語の新設を提言していますが、

日本では、昔のエイドクライミングを今でもアルパインクライミングと呼んでおり、進化を遂げた現代アルパインクライミングとは、全く別の内容なのに、同じ評価を受けるのが、混乱の原因のように思われるので、トップクライマーが行っている現代アルパインクライミングには

 スーパーアルパイン

という名前を別に付けたらどうでしょうかね?

これは、登るマシーンだったウエリが作った用語と思いますが、海外文献では見かけます。

■ 高難度マルチピッチ

5.12から上のマルチが高難度マルチという理解でいいのでしょうかね?そこは謎だが。

一般クライマーが、エンジョイクライミングで登れるルートを、どんなトップレベルクライマーでも、入門時に経験します。そういうルートは安全である必要があります。

例えば、二子山中央稜は、5.7のルートで有名です。

■ 安全から徐々に非安全に向かっていくことができない構造

安全から徐々に危険に向かっていくのが、下級から上級への流れであるべきですが、現在のクライミングセオリーでは、下級ルートほど危険度が高いということになっています。

初心者には、ボルトがしっかりしたルートが必要で、それは、基本日本には存在しません(笑)。

5.7~5.9でボルトがしっかりしたルートはないので、結局、5.12が登れるというゆとりを持つクライマーが、5.7~5.9であってもリードして、セカンドを連れて上がるしかなく、そのリードクライマーにとっては、へでもない。

一方、セカンドで上がられたほうにとっては、えー、このグレードならリードできると思ったから来たのに…みたいなことになります。

とはいえ、マルチで一か八かのリスクは、取れません。なので、マルチの入門ルートを初心者が鶴瓶なり、リードで登るには、誰かに一度連れていかれている必要があります。

このことを連れていくときに、誰も説明しないんですよね。

なので、それを見た、師匠についていない別のクライマーが、○○さん(セカンド)に登れたなら、俺なら楽勝で登れるはず、と思って、そこに行く、ということが起きます。

すると、そこで、事故る、わけです。

なぜならリードクライマーが持っているクラッグリテラシーがないわけですよ。

ロープドラッグしまくって、結局、夜になる。そして、それが武勇伝になる。

本来は、”恥ずかしい失敗”が”武勇伝化”します。

一般クライマーは、岩場を人工壁のように個性の一貫したグレードの難度だけで切り分けられるもの、と勘違いしているわけです。なぜなら、人工壁ではそれが”前提”であるので、人工壁上がりのクライマーには、前提として入っているからです。前提、とは無意識のことです。

一方で山でスタートした人には、

 個別性

が前提、つまり、無意識に入っています。だから、永遠に個別の山を経験しつづけることになり、そのため、永遠に楽しみが続く!ということになります。

2人として同じ女性はいないのと同じことです。

■ 個別性はあってもチャレンジが無くなる

個別性が理解できているクライマーにも、問題がないわけではないです。

結局、金魚の糞クライミングをして、それを後輩に伝達クライミングする、というサイクルには、どこにも未知の要素がありません。

 連れて行ってもらう⇒連れて行ってもらったところに連れていくサイクル

は、練習、下積み期の在り方、です。

いつ、未知の岸壁に取り付く気なんですか?って話になります。

易しいところでも、未知のところに取り付いてないと、メンタル面から、未知を回避するクライマーになります。

■ The Game Climbers Play に縛られている日本

5.9に5.12並みの登攀力が求められる状況を、日本では、大昔の論説をもとに保護しています。

それが、『The Game Climbers Play』という英語論文で

易しいルートは危険度が高いので、総合でリスクは釣り合っているという理論です。

これをもとに、

難しいルートにはリスクがなくていい、という逆説的論法で、高難度フリークライミングから、岩との対話(リスクコントロール)を取り去ってきたのが、一般のフリークライミングなのです。

なので、5.14であっても、リスクフリーということで、古いアルパインクライマーは、あいつらはオンサイトしていないじゃないか、と言って全く尊敬しません。

しかし、ユージさんのデイドリームを見たら、どうでしょうか? TheGameClimbersPlayにみられるような課題の構造にはなっていません。5.14でも、リスクはあるのです。ハイボルと書いてありましたよね?

ここで、なんでRが付いていないのかな?という素朴な疑問がわきます。

動画によると、バンバン落ちながら登っていらっしゃいましたが…それでも、ハイボルのところは、5.14が登れる人なら、プロテクションがなくても落ちないと思われるため、Rとつけないのでしょうかね?

だとしたら、このような内容のフリークライミングは

”俺、5.12ならプロテクションの間隔が近いから、フリーで登れなくてもエイドすればいいだけだから取り付ける”という理由で取りつくフリークライミングとは別物、です。

この一般の人のフリークライミングを、フリークライミングと言うのであれば、ユージさんの取り組みは、

 スーパーフリークライミング

とでも、名前を付けたらいいのでは? ほかの名前でもいいのですが…。

■ 名前がない弊害

名前の差がないから、一般の人は、ユージさんらもリスクを全然取らず、”いくら5.14が登れたと言っても、どーせ、各駅停車で行っているんだ”、と思ってしまうんではないでしょうかね?

ユージさんの記録から、そうではないことを読み取れるクライマーは、もはや、ほとんど絶滅危惧種になっているんではないでしょうか?

なんせ、米澤さんは、ドーンウォールのトニーを見ても、全く軽蔑して、何が桁違いにすごいのか分からなかったみたいでした。

■ せめてガイドレスで登らせてやれ…

そんな往年のクライマーですら、残念なスタイルで登ることになってしまったのがタサルツェという山で、無名峰ですが、最低限の名誉として、ガイドフリー、で登らせてやりなよ、と思いました。たとえ、登れなかったとしても、ガイドレスであれば、一生の名誉になったことでしょう…。

そのような不名誉な内容であったにもかかわらず、報道では初登報道されましたが、記録と言うのは、西洋社会の都合であって、劔点の記という映画でもありましたが、劔だって前から登られていたんですよ。誰かが俺が一番だという声明を発信したかしなかったか、という問題だけであって。

現代では、報道はあっても良いと思いますが、マナスル初登みたいなのと同列で語るのはおかしなことです。

それが区別されていないので、色目を出したガイドさんが、全く体力がないアークテリクスに身を固めたお客さんに名誉欲をちらつかせて大枚はたかせ、昨日今日山をスタートした人をヒマラヤに連れて行っています。この目で見ました。金峰山から奥多摩までカモシカをやるというから行ったら、大ダベリング大会で、最初から踏破するつもりがない山をガイドされていました。

今回も苦言になってしまいましたが、現代アルパインが理解されていないように、現代フリークライミングの真価もきちんとは理解されていないよ、って話です。

スーパーアルピニズム、スーパーフリークライミング(ハードフリーではなく…笑)

機能不全ボルト、クラッグリテラシークライミングIQ

そういう言葉を使うことによって、クライミング界が正常化することを望みます。


吉田さんの古い写真…突然出てきましたが、メッセージを感じました…吉田さん、これでいいんですね、って感じ。