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2024/03/27

【心理技術】鳥山明さんの事例: 人の期待に応えるにもほどがある

■急性クモ膜下出血を利用した死

昨日の、鳥山明さんの症例研究は、興味深かった。

社会的な成功は、必ずしも人を幸せにしないという事例だ。

漫画家の鳥山明さんは、ドクタースランプあられちゃんも、自分の本意でない作品で、ドラゴンボールも同じだった。最後には主人公を殺したいくらい、作品に踊らされた人生を送った鳥山さん。

その原因は、お父様との関係がボトルネックだという見立てでした。お父様は、レーシングカーのレーサーだったそうです。父を象徴する内なる声が、常に彼を、”自分以外の誰かほかの人の期待に応える”人生に導いてしまったようでした。経済的な成功をおさめ、あとは何をして暮らしても良いのに、最後まで、プロダクションの意向に沿わざるを得ず、不本意な次回作のスタートがいやでたまらなくて、死んだ、というのが、見立て。先生の見立ては、68歳まで良く持ったな、というものでした。

しかるに、死というのは、ほとんど、苦行からの”救済”なんですよね。いや、マジでそう思いますよ。死は救済であると。ワイルドカードみたいな。

■ 当方の人生経験

私の弟は24歳で急死しましたが、原因不明の心停止で突然死です。

弟は、新品を含む靴300足と、様々なブランドの服を残しました。弟は水泳の選手でしたが、別に洋服を愛していたというわけではありませんでした。普通にグローブやサッカーボールを欲しがる男の子でした。

なので、どう見ても、300足の靴やブランドの服は、彼本人の好みとは思えず、母が彼を有名ブティックに勤めさせたのは、母の身代わりでした。母の代わりに、母がしたかった自己実現を息子である彼が背負ったのでした。

子どものころからこのことが分かっていた姉の私としては、”ごめんよ、こんなことになる前に迎えに行ってやれなくて…”と思ったのです。

弟のお葬式には、300人が参列し、弟は彼女が、なんと3人もいました!が…、そのお葬式では母はついに悲劇のヒロインである、と全員に認めさせることに成功したのでした。母の念願でした。子を亡くした母親を責める人はいません。

しかし…ですよ?

その1年後、私の妹が、今度は自殺未遂を行ったのです。妹によると、母親の使い込みが原因でした。母は妹のカードを使い込んだのです。

■ 社会がSOSを受信してくれない…

私自身は、12歳で母の経済行動のおかしさ、に気が付き、何度も社会にSOSを発信していましたが、社会のほうが「子供が言うことだから…」と受け取らなかったのです(汗)。

しかも、母にその話を持って行ってしまうのです。

「お嬢さんがこんなことを相談してきたのですが、本当ですか?」

それで、親が「はい、本当です。サラ金でその日ぐらしをしています」

って返事すると思います? そりゃ、しないですよね?

それで、その人が高級ブランドを着ていたら、”どこか知らないけど、収入源があるのだろう”とか思ってしまいますよねぇ…。

これと同じことが、クライミングでも起こりました。私が言っていること、つまり九州のクライミングの現状があまりにひどいので、私が正しいのかどうか?いろんなクライマーが確かめに来たくらいです(笑)。

■ 自己解決に向けて頑張りました

さて、私の人生に戻りますが、結局、自己解決したのです。

具体的には、私は16歳から早朝のパン屋などにアルバイトして、一人で身を立てました。

もう本当に、進学校に進学したのは失敗でした…。あれさえなければ、あんな苦労はしなくてよかったのです。高専なら、職業に直結なので。

しかし… 進学校に行ってしまった…。

なので、大学受験は、私にとっては、勉強が核心ではなく、どうやって少ない軍資金(学生アルバイトで時給は472円でした)で、効率的に模試をこなし、リスクフリーで合格するか?みたいな話でした。

■ 作業同盟は友人と結びました

そんな高校生時代から、ミッションインポッシブル!を課された、私を気の毒そうに見てくれていたのが、中学時代の友達たちで、覚君は「僕が働いて君を大学に出してあげる!」とまで言ってくれました。

今でも涙があふれてきます。あの時の覚君の言葉が、私を我に返したのです。覚君が私のために働く…なんて絶対に変だからです。

さて、子供三人の様子をまとめると次のようになります。

当時は、社会がSOSを受け取ってくれないので、一人は早期に親元から逃げ、二人目は死を選び、三人目は自殺未遂して、親から巣立った。

自分が生きたかった人生を子供に歩ませる、という親の愛。これって愛なんですかね??? 

そこんとこは、かなり謎だが。

まぁ、私の母は、GoodEnoghMotherだったと思います。

クライマーの皆さんも、母と同じ行動、結構やっていますよね?

クライミングを小さいときから叩き込み、その子にクライマー人生を歩ませる。

それって、その歩んでる本人は、人の期待を生き続けている、ということなので、内面的には、かなりの葛藤があると思いますよ?

つまり、現在2世クライマーで業績が高く祭り上げられている人も、むしろ、被害者である可能性もあるということです。

人は自分の人生を生きないと幸せになれないのです。

クライミングで賞賛を浴びることは、かなり楽しくはあるので、本人すら気が付かず、親の期待を歩んでしまったことに気が付く、つまり、問題が顕在化するのは、かなり後だと思いますが。

弟も水泳選手でメダルをいくつも、もらっているころは、楽しそうでした。

■ 母のイメージと父のイメージ

私の、”母なるイメージ”は、受容ではなく、鬼子母神みたいなのです(笑)。母、と聞くと、まぁ、猜疑心のほうが勝ちますね。なので、内なる母性、自分の母性ですね、は、母親との関係性が問題なのか?と長年思っていたら、人生に全く登場していない父親のほうが核心だということが分かったのが、数年前でした。『父と言う病』と言う本で知った。内なる父性が、未発達かもしれないということです。しかし、この線は、違うと後で分かりました。

私は人格として見たとき、母性も、父性も、そして、アダルト自我も非常に良く発達しており、成熟度はかなり高めでした。

父性の声はどちらかというと強すぎるというか、厳しすぎるほうが問題かもしれません。

それは、初期に父性を、通学路にある、一本の木に求め、それをなぞらえていたからです。

長いこと、その木のように、逆境に強くありたい、と思っている子供でした。

もうすでに危機をだっしているので、そうした強さは要らない。

■ 日本はカウンセラー業界が混乱中

しかし、最近、参加している安心安全の起業家育成講座で、分かったことは、”あー、これだから、一般の人がちゃんとしたカウンセラーを見つける、発見することが難しいんだな”、ってことです。

心理士の勉強をしたとしても、自分の人生経験が浅ければ、人生相談には向かないですよね? また性格的に人に共感しやすいエンパス体質の人と、そうでない共感力が低い人もいます。

ただ、資格を取りました、というだけで、人の人生に共感できるはずもなく…

今はカウンセリング業は、むしろ、カウンセラーになりたい当人の人生の救済策、になっています。時間と言うサービスを売る仕事みたいな感じですかね?

人を救済するという尊い仕事は、あらかじめ、”大変すぎてできませんので、生活保護世帯は来ないでください”、ということになっています。

もちろん、きちんとした仕事をされている人もいますが、私が登山ガイドの方に作ってやった公式ウェブサイトみたいなのをそこで作ろうと思ったら、100万円くらいお金を払っても個別の対応はしてもらえず、相手に費やしてもらえる時間はほんの少しです。一度も対面もせず、動画だけでやり取りです。そんなので、今、一人ガラケーの人をスマホデビューさせてあげようと日々頑張っていますが、自分でほんとに尊い仕事をしたなぁと思います。

あれ、ほんとに良いことを私はした、ということです。でも、延々とタダ働きを求められても困ります。

一般的には、99%の人の人生の問題は、ただ幼稚で未熟な愚痴を聞いてほしい、で占められているのも事実です。そんな人は、飲み屋に行くべしなんですけど、実際は、飲み屋でも迷惑がられていますよね?

だから、クライミングと言うか、岩場にいるんだろうか(笑)?

それはある意味、岩との対話が進んでいいことと思いますが、鳥山明さんによると、世間は、戦闘、を好むらしく、一般的な男性は、ひたすら、岩と戦っている、のかもしれませんね? 

■ 弟と妹を守りたかった

しかし、母のメンタルトイレとなることを受け入れた(幼児決断)のは、弟や妹の防波堤となることが姉としての私の使命だと、その当時は感じたからです。

これは間違っていました。

ただ、子供時代、私は、ひとえに、弟と妹を守りたかったのです。

私が十分な年収を得れたのは弟が亡くなってその後。どんなに頑張っても弟を救うのには間に合わなかったんです。妹はかろうじて救えたことは、私の誇りです。

その思いが、クライミングで、クライミングIQが低く、クラッグリテラシーが低いクライマーの後輩たちを守ろうとする、という自動行動につながりました。

そうするのが、当然のことのように思われたのです。

しかし、いくら私が優秀で、強い、ねえちゃんでも、25+35が60だということが分からないヤツのフォロー(ケツ拭き)はできないよ?

そんなん、登る前から遭難やん?

クライミング以前の問題ってやつやん?

そんな僕を許して☆とかそんな僕を愛して☆って、

どんだけ~ 

と思わへんの?

2名のクライマーを一人でビレイとか…

支点ビレイとか、

12登れますとか言うくせにたったの10cに2時間半とか

いくらなんでもかかりすぎやと思うで?

そいでもって、

 君なら、誰からなら殺されても文句言わへんって思えるの?

その辺のおばちゃんクライマーの私に、ケツ拭きを頼んで、それで、どこがかっこいい男なんか?その辺を胸に問うてみてほしいねんけど…

 私は雪の山が好きなのです… クライミングではなく。岩でもなく。雪が好き。

前から主張していますが…。





2023/12/18

【心理学】自我の発達 第二段階

この段階がクライマーのマジョリティを形成しているように思います。

自我の発達:包容力を増してゆく9つの段階 第二段階 スザンヌ・クック=グロイター (門林 奨 訳)

ーーーーーーーーーーーーhttps://integraljapan.net/articles/JTA2018EgoDevelopment.htm より引用

この段階は、よちよち歩きの幼児を見守ったりお世話したりするなかで、私たちの大半にとっては馴染み深くなっている段階である。少しの間、2歳児にとって、

  あらゆるものが意思を試す手段(a test of wills) 

となる。

意思がくじかれたり、欲求や願望が対立したりすると、癇癪を起こす。こうした振る舞いは、自己防衛的段階にいる成人にとっても共通のものである。

彼らは他者の意図に対して用心深く、最悪のケースを想定する。彼らにとって、

あらゆることが意思の戦いである。

人生とはゼロサムゲーム〔全員の利得の総和が常に0になること〕である。

彼らの

 「私が勝ち、あなたが負ける」

という心的傾向は、必然的に、彼らが行くところでは、どこでも摩擦を生み出し、さらには他者(特により慣習的な段階にいる個人)の感情を害することになる。同様に、

 他者は、しばしば自己防衛的段階の人々を狡猾で搾取的な人物だと感じる。 

 自己防衛的段階で描写されるのは、

 自分自身の欲求と願望の視点からのみ世界を眺める

人々である。彼らはまだ、心理学的な意味で自己や他者を洞察することができない。

欲しいものを手に入れる唯一の方法は、他者を支配し、自分自身を防衛することである。しかし、彼らは利己的な態度で、常に好機をうかがっており、熟考することなく即座に欲しい ものを追いかけるエネルギーを備えているため、日和見主義的(opportunistic) であるとも呼ばれるということを知っておくことは重要である。

自己防衛的段階の成人は、壊れやすい自己を注意深く守ろうとする。

ここでは自己とは、個別の成人自己ではなく、意思や考えや望みと同義である。

自己は、自分自身を守るため、内側にある真の自己と、外側にある自己すなわち「偽物の顔」という2つの側面をもつのとして感じられるかもしれない。

もし人々が自分の望んでいることを知ったならば、彼らは自分に対して力をもつことになるだろう、というわけである。

自己防衛的段階 の人々は、

限界を試し、自分自身に支配力があることを主張するために、他者の意思に抵抗する必要がある。

他者からの反応を予測する初歩的な能力が備わっているので、個別の人間または個別の「モノ」として他者を意識し始めることのできる最初の段階である。それゆえ、自己防衛的段階では、他者と意識的 に交流するための基本を身につけることが必要になる。「もし他の人たちが何を求めているのかが分かれば、人々をもっと上手にコントロールして、自分の欲しいものを手に入れることができる」

この段階にいる個人は、しばしば「問題を起こす(get into trouble)」ことになる。許される限度をうっかり超えてしまえば、面倒なことが起きるのである。自己防衛的段階の人たちは、面倒なことが起こらないように用心し、またその結果を避けようとする。

彼らは、 自らの意志を貫けなかったとき、あるいは限度を超えてしまったとき、自らの外側に原因があるとみなす。欲求不満に陥り、しばしば、怒りと敵意を自由に表現する傾向がある。非難されるべきは他者であり、決して自分自身ではないのである。

世界に対して抱いている怒りは外部へ投影され、他者は1日中怒っているように見える。 自己防衛的段階の個人にとって、世界とは敵意に満ちた、危険な場所である。

ルールは認識されるが、それに従うのは、すぐに利益が得られる場合と罰を避ける場合だけである。

生存のためには、巧妙さと、好機を横取りすることが必要

なのだ。

自尊心は、他者に抵抗して獲得することのできる支配力の大きさと結びついて経験される。

自己防衛的段階の個人は、しばしば自分自身を、外部にいる風変わりな人間だとみなす。彼らは孤独を感じるが、別の方法で他者と接する方法が分からない。「他の人々に敵対しているのはいつも自分だ」。このため、非常に低い信頼感と過度の警戒心が永続することになる。

 自己防衛的段階の個人は、

ご都合主義的な道徳性を備えている。行動が悪いのは、捕まって罰せられたときだけなのである。

捕まえられても、恥を感じることはなく、激しい後悔に襲われることもほとんどない。彼らは、行動とその結果にある関係についてまだ理解できないため、自分が起こした失敗や問題に対して責任を感じないのである。

他者の欠点を非難することが、自分自身を守るための方法である。

幸運や不思議な力が自己を守ってくれるということに対して大きな信頼がある。

危険で骨の折れる仕事を選ぶ人々は、しばしば、この段階の肯定的で勇敢な側面を象徴している。

例えば、テストパイロットの中には、強運の持ち主だが一匹狼だとして知られている者もいる。

自己防衛的段階の個人は、社会的なネットワークのなかにあまり埋め込まれておらず、力に基づいていない微妙な人間的相互作用を理解することができない。他者との関係は非常に不安定なものである。友情は容易に台無しになる。感情は外在化されており、外部へものを追いかけるエネルギーを備えているため、日和見主義的(opportunistic) であるとも呼ばれるということを知っておくことは重要である。

自己防衛的段階の成人は、壊れやすい自己を注意深く守ろうとする。ここでは自己とは、個別の成人自己ではなく、意思や考えや望みと同義である。自己は、自分自身を守るため、内側にある真の自己と、外側にある自己すなわち「偽物の顔」という2つの側面をもつのとして感じられるかもしれない。

もし人々が自分の望んでいることを知ったならば、彼らは自分に対して力をもつことになるだろう、というわけである。

自己防衛的段階の人々は、限界を試し、自分自身に支配力があることを主張するために、他者の意思に抵抗する必要がある。他者からの反応を予測する初歩的な能力が備わっているので、個別の人間または個別の「モノ」として他者を意識し始めることのできる最初の段階である。それゆえ、自己防衛的段階では、他者と意識的に交流するための基本を身につけることが必要になる。「もし他の人たちが何を求めているのかが分かれば、人々をもっと上手にコントロールして、自分の欲しいものを手に入れることができる」 

この段階にいる個人は、しばしば「問題を起こす(get into trouble)」ことになる。許される限度をうっかり超えてしまえば、面倒なことが起きるのである。自己防衛的段階の人たちは、面倒なことが起こらないように用心し、またその結果を避けようとする。彼らは、自らの意志を貫けなかったとき、あるいは限度を超えてしまったとき、自らの外側に原因があるとみなす。欲求不満に陥り、しばし投影されている。洞察力不足と自己防衛のため、彼らの感情のなかに表現力や熟考力を見ることはほとんどできない。どのような弱みを見せることも危険である。

「他者が私のことを知れば知るほど、彼らはますます私のことを利用できるようになる」。

そのため、大抵の自己防衛的段階の個人は、一般的な敵意を示すとともに、闘争か逃走かの準備ができている。

危険度の高い特定の仕事(テストパイロット、刑務官、消防士)──もし自己防衛的段階から見て意義が感じられるのであればだが──に携わる人々は、生存のために仲間に頼らなければならず、したがって互いを保護するために協定関係を結ぶかもしれない。

○認知のスタイル:

  思考は具体的で、二分法的である。全体的で、差異化されていない判断、単純な見解に基づいている。物事には、黒か白かのいずれかしかない。


○主要な関心:

  支配力や強みを手に入れることで、あるいは人々を騙すことによって、統治するといったテーマを好む。他方で、自己防衛的段階の人々は、他の誰かが自分を支配し、制御し、騙そうとしていることを常に恐れている。


○内面の特性:

  心理とは、心理的状態や長期的目標というよりも、今その人が何を行い、今その人が何を望んでいるかによって定義される。


○意思決定のスタイル:

  これはあなたの問題であり、私の問題ではない。


○組織のタイプ:

  権力と強制。


○防衛作用:

  自己防衛的段階の成人は、不安を最小化して自尊心を最大化するため、外部を非難するとともに、歪曲したシステムを用いる。彼らの防衛作用と対処スタイルは未成熟である。

空想(fantasy)、行動化(acting out)、投影(projection) といったものが最も一般的な防衛 作用である。

あらゆる因果関係および重要な心理学的作用は、絶えず脅威をつきつける外的世界の一部であるとみなされる。(Vaillant による防衛機制の階層を参照のこと)

○憂うつ:

  望むものを手に入れられなければ、どこか間違ったものがあるに違いない。支配されたか阻止されたと感じたら、私はそれを憎む。悲しみはほとんどの場合、自己や他者の攻撃性として表現される。

○人物例:

  アーチー・バンカー型〔訳注2〕。

自己防衛的であり、馬鹿で頑固で、視野が狭く、自分自身の身に起こったことに関して絶えず他者を叱責・非難している。

時々、他者の軟弱な側面をあばく痛烈なユーモアを言う。

自己防衛的な個人は、自分たちの住む具体的な小さ な世界に関心があり、しばしば身体的な容貌や満足にわくわくする。偏見を示し、議論を二極に分裂させ、他者の弱みにつけこむ。

○言語上の手掛かり

  経験は、単純な二分法(よい/ 悪い、正しい/ 間違いである、楽しい/ 退屈である)および具体的で身体的な言葉(例:「人生は苦しい(life is hard)」)で記述される。

自分自身が所有している様々な「モノ」からなる具体的な世界に関心を抱いている。非身体的な概 念に対しても身体的な言葉を使うかもしれない。

うんざりしている(sick)、動揺している(upset)、興奮している(excited)、頭にきている(mad) といった最も単純な感情のみを差異化することができる。

2023/11/23

【心理学】セラピスト職のニーズを感じた数々の不可解な事件

■俺を癒して!の叫びシリーズ

 その1)セリフ「無条件に愛してほしい」

→ 見捨ての傷 ギャン泣き大人バージョン

意味:子供のころの見捨てられ不安を私は解消していないから、クライミングを通じて、私の見捨てられ不安を解消してほしい。

その2)セリフ 「セックスしたい!」@山岳会山行テント泊中 

 見捨ての傷 抱っこして!大人バージョン

意味: 私は日常のストレスで、はちきれそうになっているから、あなたをはけ口にさせてほしい。妻にはとっくの昔に相手にされなくなったから。

私は自分が負える以上の責任を負っており、それを口に出すことも、自力で解消することもできない。なぜなら、自分で解消せず、親に機嫌取ってもらって成長したからだ。

どうかあなたの力で私を一人前の大人にしてほしい。私は自分で自分の機嫌を取る方法が分からないので、どうすればいいのか教えてほしい。

その3)セリフ 「どのボルトを使っているか、なんで教えてくれないんですか!!」Byトポに開拓者として名前が載っている庵メンバー 

→ 侮辱の傷 先生、教えてくれないなら、俺、拗ねちゃうよ!大人バージョン

意味:プライドは高いけど実際は知識はないので、なんとか、情報を仕入れたいが、いまさら、人に頭を下げて聞く気にはなれない。こっそり教えてもらいたい。

子供のころに親に質問したら、むげに扱われた、という屈辱の傷があるので、普通に素直に聞くことができないが、それは赦してほしい。私の拒絶の傷をいやしてほしい。

ってことなんかなぁ… 

■ 世の中傷ついた人ばかり、なんですよね

クライミングをしていると、心理学、とくに愛着障害の問題解決のニーズを感じます。

愛着障害があると、なんだか不可解な言動が多くなります。

(ご自身が言っていること)と(やっていることの不一致)に気が付いていないというか…

最も顕著な事例は、チッピングして、有名になる、っていうタイプの開拓者でしょう…

悪いことをして有名になって何がいいんだ?って、普通の人は思いますが…。

自己愛性パーソナリティー障害なのでは?って感じですよね。

だとすると、解決には、心理専門職の介入が必要と思われますが…。まさか世間のように法律で規制するわけにもいかないので…。




2023/01/16

アダルトチルドレンの嗜癖とその解消法の検討

■ アダルトチルドレン

アダルトチルドレンというのは、子どもっぽい大人 ではなく、

 子どものころから大人のように生きてきた人、

という意味です。私のように家庭内で、自分も子どもなのに世話役、とか。

クライミングでは、自分もまだ見習いで習得中なのに監督、とか。

■ アダルトチルドレンの嗜癖

嗜癖、といういうのは、心の癖、という意味です。

https://arinopapa.arinomamachurch.com/archives/21464 より引用

ーーーーーーー
1.私たちは人が怖いので人々から孤立することを嗜癖として使う。
2.私たちは自分が何者か分からず、他からの承認を病的に求めることを嗜癖として使う。
3.私たちは人が怒っていたり個人的な批判・陰口・噂話を聞くと、怯えることを嗜癖として使う。
4.私たちは自分が依存症になったり、依存症者と結婚したりする。またわざと強迫的な問題を抱えた人を見つけ、その人たちから見捨てられる痛みを感じることを嗜癖として使う。
5.私たちは自分の人生を犠牲者の視点で生きており、被害者意識を嗜癖として使う。
6.私たちは行き過ぎた責任感と過剰な世話焼きを嗜癖として使う。そうすることで自分の問題を見ないようにする。
7. 私たちは他者の意向を考慮せずに自分の意見を述べようとすると恐れや罪悪感を感じ、黙ってしまうことを嗜癖として使う。
8.私たちは刺激を嗜癖として使う。
9.私たちは人を哀れむことを愛と取り違え、自分が救ってあげれそうな人を故意に選ぶことを嗜癖として使う。
10.私たちの子ども時代は悪夢のようであり、生き延びる術(すべ)として自分の感情を心の奥底に閉じ込めた。大人になった今は感情を否認することを嗜癖として使う。
11.私たちは低い自己評価を持ち、自分を厳しく裁くことを嗜癖として使う。
12.私たちは人に依存することを嗜癖として使う。子ども時代に経験した見捨てられ不安にふたたび直面しないためなら、私たちはどんなことでもやってのける
ーーーーーーーーーーーー

■ 要約 

ーーーーーーー
1.孤立
2.他からの承認を病的に求める
3.怯えることを嗜癖
4.わざと強迫的な問題を抱えた人を見つけ、その人たちから見捨てられる痛みを感じる
5.被害者意識を嗜癖
6.行き過ぎた責任感と過剰な世話焼き
7. 自分の意見を述べようとすると恐れや罪悪感を感じ、黙ってしまう
8.刺激
9.哀れむことを愛と取り違え、自分が救ってあげれそうな人を故意に選ぶ
10.感情を否認する
11.自分を厳しく裁く
12.見捨てられ不安からの依存
ーーーーーーーーーーーー

 ■ 検証


1.孤立

→ ダメなクライマーとパートナーシップを持つくらいなら一人が良い。と方針転換したら、誰もいなくなったのは、私の責任ではない。なぜなら、山梨時代はちゃんとしたクライマーと組んで成長した。ラオスや台湾ではもっとちゃんとした人と組んで躍進した。

2.他からの承認を病的に求める

 ブログを広めようと別にしていない。どちらかというと注目は浴びないようにしている。例:ツマラナイ記録をロクスノに上げようとしたりとかしていない。

3.怯えることを嗜癖

→ やっているかもしれない。分かっていないクライマーの見分け方確立したほうがいい。今は全クライマーが馬鹿に見える。

4.わざと強迫的な問題を抱えた人を見つけ、その人たちから見捨てられる痛みを感じる。 

→ やっているかもしれない。自分に適したレベルの人と付き合うのが大事。

5.被害者意識を嗜癖

→ 被害者意識ではなく、被害者そのものだと確信をもって言えるが…。もうそろそろ昇華しても良いころ合い。くどいかもしれん。

被害者意識が、被害という現実を引き寄せた、という解釈もある。

6.行き過ぎた責任感と過剰な世話焼き 

→ 確実にやっている。責任感ありすぎ。

過剰に新人によくしすぎ。アサーティブなコミュニケーションの確立のために、練習がいる。問いを発する練習。

トポ持ってこない奴 → 「〇〇君はどこを登るの?登りたいところを言ってくれたらビレイをするよ」

自分だけ登って私のビレイをしない人 → 「あれ、私の番は?」

7. 自分の意見を述べようとすると恐れや罪悪感を感じ、黙ってしまう
 

→ 確実にやっている。敗退なしはあなたのスキルではありえないと言う。アサーティブトレーニングが必要。

例:「万が一の事故が起きた場合、どなたに連絡したらいいですか?」

8.刺激

→ 確実にやっている。 アメリカ生活もそうだったが、苦労が多い=楽しい。日本の生活はあまりにも楽勝すぎて拍子抜けであり、困難がないので、刺激のためにわざとストレスを抱え込むことになっている。

趣味として、山に週に1回は出向く。マウンテンバイクが最適。心も充足。畑や稲作は、楽勝すぎて、あまり充足の対象にならない。他の趣味も開拓する。

9.哀れむことを愛と取り違え、自分が救ってあげれそうな人を故意に選ぶ

→ 確実にやっている。可哀そう、という人ばかり選んでいる。対策=気が付いて辞める。

10.感情を否認する 

→ 否認以前に感情そのものに気が付いていない。対策:感情に気がつく。

11.自分を厳しく裁く

→ 確実にやっている。自分へは厳しい要求を課すのに、相手にはいいよいいよ、になっている。

対策=気が付いて辞める。慈悲の瞑想を行う。

 
12.見捨てられ不安からの依存

→ やっていない。独立心が過剰すぎる。対策:相互依存を覚える。

■ 相互協力関係

結局、突き詰めると、協力関係の構築、に突き詰められると思うのですが、そこが解消しないと、やってあげる一方の関係になってしまいますね。

■ クライミングを継続するか問題

40年前のカットアンカーに落ちながら成長できるか?ということになってしまいますが…(汗)

ちょっと遠慮したいとなると? ジム? ジムもすでに検証したからなぁ…。

というので、クライミングは現在却下されています(笑)。

自分に自信がない、という説は、一人で台湾に登りに行ったから、却下されており、もういいでしょう。

■ クライマーの心のお守り、5.12RP

5.12がRPできる実力というのは、アルパインルートに行くとしたら、どのクライマーも達成しておかなくてはならない心のお守り、ですが…

私はまだ、5.11オンサイトが1本目ってところでした。50歳を超えて、5.12RPを達成した女性クライマーも知っているんですが、その人、旦那がビレイヤーなんですよね。

私の場合、夫がビレイをするわけでないので、環境的に厳しそうです。

男性って、子供を触っていないと父性が湧かないのです。子供=妻の私、に置き換えると、ボディタッチができない限り、身を挺して、クライマーの私を守らねばならないとビレイヤーの側は考えないんです。

父性が発動していない男性がどう考えるか?というと、いかに自分を高く売りつけるか、です。恩を大きく売って、出来るだけたくさん相手から回収しようとします。

■ クライミングに変わる趣味=新しいこと

を大分長い事、模索しましたが、MTBがやっと あたり、でした。

■「私にはできない」「しかし神には何でも出来る」

まさにこれを人生2度目で経験したのが、クライミング。

アメリカに行くことが、ポケットに2万円しかない状態で出来るとは、20歳の時、まさかできるとは思っていませんでしたが、出来ました。

で、43歳でクライミングをスタートした人が、3年の修行で海外クライミングに一人で行って帰って来れるというのも、同じようなものですよね。 

私の経験は、成功体験であり、その反対ではないような気がします。

皆さんも頑張ってください。



2022/09/24

ソシオパス

■ ソシオパス

自己責任論がクライミング界のソシオパスに、悪用されているような気がします。

ソシオパスは、実際に何かを引き起こした感覚がないため、悔恨や恥を感じることができません。

例えば、建物の窓から何か重いものを不注意に投げ、外に立っていた人が怪我をしてしまった場合、何も間違ったことをしたと感じないでしょう。 彼は、窓の外を歩いていた人が悪い、と考える。

…そうです。これがソシオパスの思考回路。 これなど、あきらかに

 自己責任論の悪用、

です。

ずっと以前ですが、大阪で飲み会中に聞いた話です。後ろに走らないと適切にビレイできないボルト配置の、斜陽、という課題が関西にあるそうなのですが、5人も6人も重大事故者がでているそうです。これは、ピンが遠く、配置が悪いため、なのだそうですが、課題設定者は、


 おれのせいではない

と主張して改まらないそうです。

これは、明白なソシオパスでは?

いつのまにやら、日本はソシオパスが、権利だ!と主張して、人命を奪っても、反省すらしない社会になってしまったようです…末期症状ですね。