■ ”状態依存”(State Dependent)のコミュニケーション
怒った声で「仲良くしてよ!」と言っても、”仲良くなってもらいたくない”ことをコミュニケーションしてしまします。
目を合わせないで「友達になって…」と言っても、本心は”友達になりたくない”、という答えを導いてしまいます。
地域の岩場をリスペクトしています、と口で言いながら、そこにおしっこしたり、ゴミを散らかしたりすれば、リスペクトしていないことを、伝達してしまいます。
このように、ノンバーバルは、常にバーバルより強い。
■ 一緒に登ろう!と言って相手を命の危険に陥れていたら?
言葉で「一緒に登ろう!」と言いながら、例えば、壁から2メートルも3メートルも離れた場所に立って、ビレイしようとしたら?それは、一緒に登りたくないという葛藤を意味します。
同じことが、下部核心のルートを勧めたり、などのトンデモ行為… それでは
スポーツ虐待
です。
九州では、これが非常に多かったです。本来、クライミングは、もっともスポーツ虐待から遠くなければならないスポーツです。
■ クライミングの本質をとらえそこなって、肝試し大会になっている…
肝試しをして、それを承認欲求を満たす道具に使うこと、それがクライミングだ!という理解になってしまっているんですよね…
だから、40mランナウトがカッコイイ、になってしまいます。
■ 例えば国際社会でそれがかっこいいかどうか…
国際社会でも、ランナウトではなく、フリーソロはかっこいいんですが…。
かっこいいとされるフリーソロ、例えばエルキャップのアレックス・オノルド君のフリーソロは、一か八かの対極です。
徹底的な自動化の勝利 = フリーソロ
自動化なので、一か八かを極限まで削り取った功績がエルキャップフリーソロ
なんですよね…。
なので、九州の人が40mランナウトで威張りたかったら、いっそロープつけないでやったらいいんではないでしょうか?
ランナウトしていれば、ロープをつけていても意味がないので、同じこと。なら、いっそロープなしでやればいいんじゃないですか?
そんなに命知らずを自慢したいんだったら…
■ 矛盾した非言語コミュニケーションと言語コミュニケーションの事例
・ビジネスミーティングにおける言語の選択:
例えば、アメリカの企業が日本企業とのビジネスミーティングを行う場合、日本側の参加者が英語が苦手である可能性があります。そのため、もしアメリカ側の代表が、通訳を用意しなかったら、コミュニケーションを図るつもりがないことを非言語で表したことになります。
・心理療法におけるセラピストのアプローチ:
あるクライアントが過去のトラウマについて話し始めたとき、セラピストはそのクライアントが安心して話せるように、優しく声をかけ、受容的な態度を示します。そうでない場合、セラピストは、心理療法家としての仕事を放棄していることになります。
・非言語コミュニケーション:
親が子供に対して「怒っている」ときの具体的な事例として、子供が家の中で走り回っているときに、親が眉をひそめて手を振りながら「止まれ」と言う場面が考えられます。親の表情やジェスチャーが怒りを表しているため、子供は行動を止めることが求められます。親が笑いながら、辞めなさい、と言っても、子供は親に承認されていると感じるでしょう。
・緊急時のコミュニケーション:
地震発生時の緊急時のコミュニケーションの具体的な事例として、地域の自治体が緊急地震速報を発表する場面があります。この速報は、状況を把握しやすくするために短く明確な言葉で構成されており、「地震が発生しました。すぐに安全な場所へ避難してください。」などといった内容が含まれます。すぐに警報が出されない場合、国民は、緊急ではない、というメッセージを受け取ってしまうでしょう。
スポーツのコーチング:
サッカーの試合中、チームが相手チームに対して守備的な戦術を採用する必要がある場合、コーチはハーフタイムの休憩中に選手たちに集まり、状況を説明し、次の戦術を詳細に説明します。説明がない場合には、守備的な戦術を取る必要がない、ということをコミュニケーションで伝えてしまうでしょう。
つまり、クライミングの計画がない=大した内容のクライミングではない、とか、クライミングを舐めている、ということを意味してしまうということです。
しかるに、常に山行計画書をもとにクライミングの計画を共有する姿勢、こそが、クライミングに対する真剣さをもたらすでしょう。
クイズ: