■ 相方のドミナントストーリー
ナラティブ心理学という心理学があります。
相方は、私に九州の男女関係における彼自身のドミナント・ストーリーを押し付けてきていました。
女性は男性を優先させてくれるものだ
です。
なぜか頼んでもないのに、ルートを
おれが味見クライミングしてあげよう
となっていました…。それが分かったのは、私はそのルート登れると分かっていて、取りつくと
「え?俺が先に登って見せなくていいの?」
と言ったからです…。
守ってあげようという気持ちは、ありがたいけど、”それはクライミングパートナーだから、互いの安全を見守りあおう、お互い様だから”、というコンパニオンシップよりも、女性だから、という意識に根付いているようでした。
なぜなら、私は、相方に女性としての特別扱いをお願いしたことはないからです。
むしろ、ロープもって上げるよ、なんて男性はきもくてイヤ、です。元がアイスクライマーなんだから、別に自分で担げますし。
まぁ普段私がしていた親切を何らかの形でお返ししたいと思ってくれたのかもしれませんので、だとしたら、ありがとう、ですが。
■ 外岩ではグレーディングがいい加減
というのは、
登ってみないと正確にグレードが分からない
と言う意味です。 決して、
男性が女性が登る前に毒見してあげるべき
ではないです。
そんなことをしたらオンサイトではなく、フラッシュになっちゃいますよね?
一般的にそれは、クライマーからすると、有難迷惑…って奴。
■ 家の介護は嫁の仕事?
相方の女性観が歪んでいることに気が付いたのは、世間話で、
親も年取ってきたし、介護してくれる嫁が欲しい
的な話題になった時です。完全に、恋人、愛する対象の妻が欲しいという話ではなく、家の用事である介護を担ってくれる嫁がいたら、俺の人生も完璧なんだけどなーって話でした…(汗)。
それで彼がお婿に行けない訳を悟った(笑)。
昭和がはるか遠くになりつつある今、自分の親でもない人の親の介護をするために嫁…妻ではなく…の立場に立ってくれる女性がいると思います???
文字にすると、時代錯誤も甚だしいと分かりますが、親世代の古い価値観の世界に毎日さらされていると、どうもわからなくなるようですね。
九州では、今でも、儒教思想による女性差別は根強いです。
多世帯同居は私は、年齢差のある人間のさまざまな人生の在り方が分かるので賛成派ですが、親の考えを一方的に受け入れる子供の俺・私、と言う立場を崩せないままの同居では、全く世間とかけ離れた考えを受け入れてしまうことになります。
現役の社会人である息子の立場として、「そんな考えはもう古いんだよ、お母さん」と言えなくてはならないということです。親の考えに従うという行動原則から、自立しなくてはならないということですが、彼とは自立できていないとうかがえる事件が数回ありました。
親に反対されたから〇〇を取りやめる、ということが何度もありました。
■ ガスライティング
その上、ガスライティングも始まりました。
・怪我をしてフルパワーでは登れない、
・九州のボルトが40年前のカットアンカーであることが判明している、
という理由によって、「迷ったらハードプッシュ」という男性向けの方法論が、
・そもそも女性である私には全く合理的戦略でない上、命の危険もある
ということで、非常に
用心深くなっている
だけの私に向かって、「中学のころキャプテン?信じられないね、今ではこんなに…」と、私の自尊心をわざと傷つけようとする発言が目立ち始めていました。
そもそも、失礼ですが、失礼なことを言ってもOKだと思い始めたのは九州という環境に置かれてからのようです。彼は、山梨のころはもっと女性には、自分が安全なクライマーだということをPRしようとしていました。例えば、意中の女性を沢に誘って断られたりしていたようですが、それは、沢では外岩以上の安全管理能力が必要だからですが、彼にはその安全管理能力が見当たらない感じがありました。
白亜スラブのころの彼は、ほんとに天狗になっていたと思います…。なんせ、あの登攀で、成功だ、と感じられる、ということなので…。あれは誰が見ても、失敗の記録です。
■ 失敗の記録を成功と勘違いする自己肯定感はホンモノか?
しかし、その彼の様子を見て、これは彼だけの問題ではないようだ、と分かりました。そして、
大体のアルパイン系男性クライマーの登攀記録が、自分に都合の悪いことは書いていないだけ
の可能性があることが分かりました。というのは、私にとって、矢筈岳マスターズルーフでは、登攀の成功体験よりも、
・クライマーが支点ビレイされていて怖かった
・たった10cなのに、普段5.12が登れまーすという30代ピチピチ?クライマー君が2時間半もかかっていた
ということがかなり強烈な印象だったからです…。登攀もエイド祭りですし。
10cって言えば、故・吉田和正さんが私に登らせようとしていたアダモくらいのグレード…当時、私はやっとこさ5.9が登れているような具合でしたが… ということは、え?彼そのレベルなの?ってことです。
あとからその矢筈の記録を調べてみると、案の定、楽しい!やったー!って内容しか書かれていませんでした(汗)。
■ 読んだ人はどう思うか?
すると読んだ人は、
最近の若い奴は、頼もしいなぁ。俺ん時は5.12なんて、雲上人だったけどなー 将来楽しみ楽しみ
と思ってしまいます…。いや、記録からはそう読み取れてしまいます…。
そういう人のドミナントストーリーは、もしかすると、何をやっても、いい子ね、と親から言われ続けてきた、と言うだけのことかもしれません(汗)。
それは子育てとしてはいいかもしれませんが…本人にとっても幸福なことでしょうが…当人の客観的な実力の判断に役立つか?というと?
かなり疑問ですよね?
自分をものすごく上位にランキングしてしまいそうです… まぁ、別に人のことなんでいいんですけど…。
他人事でないのは、その人をリードクライマーにしてしまい、自分がセカンドとしてしりぬぐいクライミングをしてやらないといけない場合です。
下手したら一蓮托生で、相手の些細な自信過剰によるミスで、さよーならーです。
■ 女性のエンパワーメントとしてのクライミング
クライミングは実は男女の差が特にリードだと開かないスポーツです。
なので女性のエンパワーメントに使えます。
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フェミニストカウンセリングについて、『フェミニストカウンセリングの実践』では以下のように書かれています。
このような(家父長制的な価値観が強く、ジェンダーギャップが大きい日本における ※筆者補記)社会的状況を反映したフェミニストカウンセリングは、
・女性クライエントの心理的困難や問題の原因を、その女性の生得的な個人的欠陥でも、生育歴の問題でもなく、むしろ
家父長制的社会における社会文化的要因に帰すべきだと考えている。
女性の心理的発達や精神衛生を理解するためには、この男性中心社会において劣位に置かれた女性の政治的・経済的・社会的地位にその焦点をあてなければならない。
フェミニストカウンセリングの基本理念である「個人的な問題は政治的な問題である(the personal is political)」は、このような認識の表明でもある。
こうした考えに基づき、フェミニストカウンセリングでは女性をエンパワメントすることに重きを置いています。
そして、問題の解決においては、『女性差別的な家父長的社会に「適応」することによって問題解決を果たすのを援助することではない』と筆者の井上は述べています。
ーーーーーーーーーーhttps://note.com/murata_peony/n/n930e83a182fc より引用
つまり、
男なんてハイハイ、と立てておけばOK
男は掌で転がしておけばOK
は、解決案ではないということです。良く女性同士でも、こうしたアドバイスをしがちですが。そういう指南本も多いです。
■ 女性のエンパワーメントは男性の開放
女性のエンパワーメントは、実は、非マジョリティの男性のエンパワーメントでもあります。
非マジョリティの男性は女性をイジメるほうになぜか注力しがちですが…。
私も、チェーンソーの講習で、できないおじさんからマウンティングされたりしました。
その集団内での自分の地位を脅かす、と思うみたいなんですよね。
しかし、それは、その人が序列思考だからです。
世界は序列、ヒエラルキーの世界ではなく、多様性の価値、を認める社会に変容しつつあります。
それは、男性、女性、若い人、老いた人、子供、性的マイノリティ、障碍者、誰にとっても幸せなクライミング界を作ろう!と言う話で合って、決して
クライマーだけど、ロープなし、ATCなしでーす!がオッケー
って世界ではありません。そのようなクライマーこそが唾棄すべき存在で、きちんと努力を積み上げて登ってきている女性クライマーを排除しようと、チッピングする、などというのは、本末転倒です。そんなことをするから、あなた自身も生きづらくなるんですよ。
「俺は男だ!」とやれば、「男のくせに、こんなところも登れないの!」とやり返されることになりますよね???
■ 参考
悩みの突破口を開くカギは物語にあった!【不登校とナラティブセラピー】
https://www.youtube.com/watch?v=-PVe2a2_CuM