■これが私に起こったことでした…
■ なぜラオスに行けなかったか?
私はACなので、境界線の勉強中です。
白亜スラブ以降、私は
利用されているのではないだろうか?
という思いが、だんだんと、確信に変わっていっていました。
いくら私がお人よしでも、あの登攀が、トンデモ、であり、恥ずべき登攀であることは、疑いようがないというか、もうバカでも猿でも分かる…あれで分からなかったら、どんな知性って話だからです…。
しかし、私はあの登攀に行かない選択…が取れなかったのです…。気軽に「敗退なしね~」を聞き逃してしまったのです…
ガードが甘かったと言えば、それまでですが、その通りなのです。
なぜガードが甘かったのか?それは、若くして亡くなった弟の死への慚愧の念や、休み不定休で気の毒~みたいな気持ちがあったからです。
■ いつでも応じること
困っているのは、男性クライマーが、女性である私に
いつでも応じること
を求めてくるということでした。これは、子供がいつでも母親を求め、求めれば当然応じられるのを期待するのと同じですが、乳幼児期以外は満たされる必要がない要求です。発達心理学上も、親は常に要求を満たしてくれるわけではない、とだんだんと幼児は学んでいきます。
■ 登れる機会は全部取る戦略は、相手次第
実際、私は、登攀の経験値を貯めているところだったので、
登れる機会は全部取る
という戦略を持っていた時代でした。そのマイナス面を考察します。
1)殺されるかもしれません
いくら登りたいと思っても、相手がビレイ器すら持ってこないような奴では、その人とは登らない選択肢を選ばないといけません。
2)大きな事故を起こすかもしれません
ヘリレスキュー、死亡事故、重大事故になれば、岩場の閉鎖も考えられます
3)幸福が犠牲になる
クライミングは、当然ですが、誰しもが幸福になるためにやっていることです。その活動で、不幸になっていたら?それはちょっと本末転倒ですね?
言い訳としては、クライミングは、メンバーも少なく、皆が忙しい中、時間を繰り出しており、機会が限られた活動なので、勢い、誰でもいいからメンバーに…みたいな弱みに陥ることがあります。
というわけで、強い克己心 というのが必要な資質になるかもしれません。
しかし、私の課題は境界線問題です。相手への同情心で判断力が鈍るという問題です。
■ 回避行動
この、恐怖体験、と、それを事前に回避できなかったという自分を顧みて、
すべての登攀活動を停止
する選択肢を取ってしまい、すみません…ラオスにお誘いいただいていたのに、なんだか、その頃、私は相方の無謀さを見抜けなかった自分に失望しており、ラオスの誘いも同じことに陥るのではないか?と思っていました。
それにラオスは、別に自分で一人でも行けるというか、私は英語ができるので、日本人は不要というか、むしろ邪魔なのではないか? そういう気持ちもありました…白黒思想ですね。
日本人のクライマーが全部、無謀なのではないかと怪しむという感じでした。なんせ、西日本は、良識あるクライマーの話よりも、良識がないクライマーの話のほうが、多く小耳にはさみます。
実は、大阪で私が見たクライマーの現実は、九州の現実と変わらないくらい、ひどいものでした…。例えば、骨折した自分の会の仲間を、見知らぬ人である私に預けて、会の人はさっさと岩場に戻る…とか。これは道場の岩場で起きたことです。
あれやこれやの事情があり、判断がつかない、といことで、いったん退却、ということにした…というのが事情です。
このいったん退却、は、回避行動、ということで心理学では捉えられています。
回避行動は、問題の先送りです。真の問題解決は、境界線の問題を解決することです。
■ 境界線問題への取り組み
・必要以上に頑張りすぎないための安全策となる
・セルフケアのよい練習になる
・人間関係における役割を明確にしてくれる
・人間関係において、 許される行為と許されない行為をはっきり示す
・人間関係において、 何を期待すべきかを知る基準となる
・自分の要求を満たし続けるために、他者に頼りやすくなる
ネドラ・グローバー・タワブ. 心の境界線 穏やかな自己主張で自分らしく生きるトレーニング (p.29). 学研プラス. Kindle 版. より引用
これをクライミングに応用しないといけません。
1)人間関係に制限を設ける
= 無謀な人とは組まない、ATCを持ってこない人とは組まない
2)許されない行為
= ATCなし、自分のロープなし、計画書なし、レスキューの習得なし、敗退ロープなし
3)期待すべき行為
=ビレイのお返しをしないパートナーとは登らない
=自分の行きたいルートだけ行き、相手の行きたいところには行かないパートナーとは登らない
4)グレード至上主義の人とは登らない
クライミングカースト制度です。歴史の反省を理解していない
■ 役立ったこと
私はアダルトチルドレンの自覚があり、社会人生活の中でも、自分の仕事上の成果を上司に取られる、ということが良く起こりました。
例えば、私は携帯電話の開発部で、プロマネをしていたのですが、職位としてはサブリーダーでしたが、リーダーの男性がこちらに丸投げして何もしないので、結局、私がすることに。それを見ていた発注先のテレコムニュージーは、私をヘッドハンティングしましたが、私は、このヘッドハンティングを受けることはできなかったのです…。
これは、結局のところ、今回も再演してしまったような気がします。
気合を入れて、アダルトチルドレンの性質と境界線の問題に取り組まなければ、私には、永遠に、
ATC持ってこないヤツ
が、弱くなった苗にたかるアブラムシのようにやってくる、ってことになります。実際、これまで、私に登攀を持ち掛けてきたクライマーはみんなそんな奴らでした(汗)。いや~、
クライマー業界の闇を取材する取材記者、
みたいな気分になってしまいましたが、闇は深い、です。
■ 男性は実力の査定が自分では正しくできない
私は女性なので、男性から見える世界観というのを理解するのにしばらくかかりました。今の時代は、
グレードというものさしで実力が図れるという幻想
が根強いので、クライミングジムでスタートした男性クライマーは、5.12がトップクラスだった頃の往年のクライマーを尊敬していません。
そのため、
登攀に必要なあれやこれやが全くゼロ
で岩場に現れます。
その上、岩場で10年登っていても、
20mの課題をRPで登っているだけ
の活動なので、何回それを繰り返したところで、
登攀に必要なあれやこれやが積みあがることはありません。
経験という言葉も要注意です。これで、ペテランが出来上がるわけも説明できます。
■ 見極め
上記は一般的なクライマーなのですが、そうした人たちが組みたいと言ってきたときには、見分ける目が必要になります。
その辺は、上級のクライマーに教えてほしいかもしれません…。
「この岩場には、俺が登るグレードはない」
「敗退なしで」
「えー、5.9でしょ、これくらい登れよ」
などと言います。 これらは、すべて
外岩のグレードが人工壁と同じように、確実なものだという前提(無意識)
が働いています。私が師匠と登っていたころは、
「うーん、これは6級やな」とか
「今日はだんだんになっていて簡単だから4級」
とか、同じ氷壁でも登ってみて、感想を語り合うのが普通でした…。
ので、外の岩場で登れて当然と言うような態度を取られたときには、かなり疑問を感じました。その疑問に忠実でないといけなかったのです。自分の考えより、相手のほうが会ってるのかな?と思ってしまったのは、私がまだ、フリークライミングの分野ではひよっこで、10年の経験はないと思っていたためです。
また、下部核心のルートを勧められたり、すでにローカルクライマーの間で、リボルト対象になっているような課題をわざと勧められたりしたときには、
落とそうと思っている
と思いました。
相手の生命に危険をわざと起こすことに罪悪感を持っていない、
ということです。これを言うと言われた側は、
心外である
と思いますが、
九州などではボルトの安全性への意識が低すぎる状態が常態化しており
UIAA推奨の25kN
の強度があるボルトを使っている課題は、数える程度しかありません。
強度がないだけではなく、すでに40年経過しており、いつ壊れるか時限爆弾…そんなところで、落ちろ落ちろというほうが、認識が甘い、のです。
正しくは、3ピン取るまで、決して落ちるな、です。落ちるくらいなら登るな、です。
最後になりましたが、
UIAAのスティーブをはじめ、なんとかクライミング停滞期の私を救おうとしてくださった方々、お誘いをお断りしすみませんでした…
もう、恐怖で固まっていた、というのが事実です。