アマゾンで、ヒマラヤのポーター職にアメリカ人青年がチャレンジする話を観ました…
予想通り、恵まれた先進国の登山者たちが、恵まれないヒマラヤの人々を搾取している話でした…
ヒマラヤ、今でも、極地法、みたいな登り方ですよねぇ…。
それを辞めて、自分の荷物は自分で持つ、に変えたらいいのに。
現地の人の収入減になるんだよ…という言い訳は、自分が一日働かされた場合に請求したいと思うだけの金額を支払った場合にのみ、成立する。
ただ経済格差で向こうの賃金のほうが安いっていう以上に、タダ働きさせる、っていうのが、ポーターという仕組みでした。
アメリカにいる頃、運転免許取得のために、路上に出るのに、誰かに同乗してもらわざるを得ず、個人で人を雇ったのですが…その時、20歳の私がやったのは、その方に米国の平均時給をお支払いすることでした。
それでも破格の好待遇だったので、相手は飛びついてきました。
相手の弱みに付け込まない、ってそういうことを言うのですよ?
ヒマラヤ登山は、先進国の側が、相手国の事情に”甘えて”、自己責任を取らずに名誉だけを得て楽しむという活動でした…
そんなものを美化して喜んでいないで、暇があるなら、日本の山を整備でもしたらいいんでは?