2024/04/12
【登山の学びを実生活に生かす】赤布が自分を追いかけて来るようになる
【クライマー格言】Stay Brag-free
■ 自慢したい心が不必要な攻撃性の温床
クライマー界あるあるですが…
クライミングのことが良く分からない一般人に、
「俺、マッターホルンが登れるんだぜ~」
とか自慢するから、ちょっと実力があり”そうな”…そう、あなたがこいつは俺より登れるんじゃないか?という不安を、根拠があろうがなかろうが、持っただけで…
ちょっとしたほころびを見つけて、その相手に 噛みつかねばならなくなるんですよ…
元をただせば、あなたの見せびらかし心、自慢するべきことでないことを自慢話に思わずしちゃったということを知っている心が、
攻撃は最大の防御!
とばかりに、無関係な人を攻撃させるわけですよ。
■ 具体的解説 (特定の人の話ではないようにしかし、指摘は的を得ているように工夫しています)
だって、八ヶ岳赤岳主稜より、マッターホルンの標準ルートは簡単ですよ。
日本人クライマーたちが目指していたのは、
マッターホルン”北壁”
であって、いっくらヘルンリ稜を登っていたって誰も、「北壁一緒にやろうぜ!」とはいいませんよ? 師匠によると、50ピッチくらいはあったそうです。ちなみにフランスの山岳会に入会しないと登れないそうです。(遭難対策)
なんせ、
(みんなが歩いて踏み固められた一般ルートの雪山)と、(誰も歩いていないバリエーションの雪山)って、歩行スタイル全く違います。
一般ルートの雪山は、無雪期の一般登山道より歩きやすいくらいで、その歩行をバリエーションで通用すると思っている人を、セカンドでも連れていくと、まぁ命取りになります。
なんで、普通は、一般ルートの雪からステップアップしたい人が、次に考えるのは、
踏まれていない雪をどう歩行するか?
です。なので、普通に考えると、人がいない山を登ろうとするはずです。
少しでもステップアップするために思考を回している人なら。
私は、八ヶ岳の踏まれていない雪尾根を歩いていたから(川俣尾根など)、こいつはバリエーションルート(踏まれていない雪山)を歩かせても歩けそうだ、というので、鎌尾根やら、真砂尾根やらになったわけなんですよ。裏山でだって、踏まれていないところをラッセルしていたわけなんですよ。
冬壁をやるには、歩行にプラスして、登攀が必要で、それでアイスをやったわけですよ。
今時、冬手袋ではみんな登っていないですからね…冬壁したかったら、ミックスクライミングをしないといけない。ミックスと言うのは岩と氷が両方出てくるルートって意味です。
余談ですが、手袋で登れるのは、阿弥陀北稜程度までですよ。つまり全部ガバってことです。大体、普通に雪山行くだけでも、あー寒すぎて感覚分からない…と自覚するでしょう、普通。
それで、ミックスルートの荒船昇天が必要になりました。あそこはボルト整備されているので、保険付きのミックスだからです。
そういう思考回路に普通はなります。 なので、マッターホルンに行ったぜ!と自慢されても、必要になるスキルが初級レベルなんで、なぜマッターホルン?としか、玄人は思わない。
ので、そのマッターホルン自慢は、素人さん向けです。カタカナの外国語の山ならすごい、と思ってしまう、騙し安い人をだまして、実力自慢して、なんでうれしいのかな?
その自慢が、あなたを不必要に攻撃的にさせるんですよ。バレちゃう!と焦るから…。
俺の実力が、金メッキだ!と言っているのは、私ではなく、あなたの内なる自分、ですよね?
金メッキで、愛人作ろうとか、後輩の○○君を俺のとりこにしよう!としている山ヤは、いっぱいいるからなぁ…。
こないだユージさんやマサさんに会いましたけど、誰もそんな陳腐なこと、してませんでしたよ?
ホンモノはそんなことしないでもいいからです。故・吉田さんもそうでしたよ?
■ クライマー格言
自分の弱さに負けて自慢話しすると、怖くもないものに怯える羽目になる。
If you brag something unnecessarily,
you will fear someone might find out
that you are not up to the level.
Stay brag-free if you want a peace of mind.
Stay humble.
荒船 昇天ミックスを登る師匠の青ちゃん 今時セミチューブの人はいません2024/04/11
【クライミングによる地域おこし】熊本五木・天狗岩 について考察
■飯山健司さん
熊本五木天狗岩は、
飯山健司さんが
「おれ、ここに住む!」
と言ったほどの、石灰岩で、石灰岩の岩場としては日本最大級と目されている岩場です。
しかし…ある場所がなぁ。五木。
五木と言えば、五木の子守歌で知られる、熊本の平家の落人の里で、まぁ辺境・奥地です。
日本で辺境と言えば、めっちゃ不便な場所にあるってこと。
つまり、ローカルの人も、え…五木かぁ…と躊躇するような遠隔地にあります。
しかし、素晴らしい岩場であることは間違いないようです。
ただ、当然ながら、地元行政は、五木天狗岩の可能性に気が付けるクライミングリテラシーがあるか?ないですよねぇ…。
例えば、ギリシャのカリノモス程度でも、行ったことがある日本人は超少なく、結局、日本人にとってのクライミングって、外岩ではなく、人工壁のことで、勝った負けたの切り貼りのことです。つまらん。お受験と同じです。そんなつまらん価値観は、小学生で卒業したぞ?
さて、その五木ですが…。
■ 最悪のケース
五木の地元行政に開拓許可が取れる。
しかし、その一方を聞いた途端に、開拓技術の未熟な全国の開拓者が一斉に岩場に集まって、岩場全体としてのグランドデザインがゼロのまま、なし崩し的に開拓がはじまり…それは結局、誰が一番難しいルートを引くか競争なので、結局、その岩場の個性は無視され、岩場としての整合性より、無理に難易度を上げたルートばかりになり、結局のところ、他の全国の岩場と同じ、5.11~5.12に収まり、せっかくの岩場が台無しになる。
オマケに違法駐車で、全国から集まったクライマーがみな浮浪者みたいな様子なので、地元住民は、その様子を見て、上野のホームレス炊き出しみたいになるんじゃないか?と超不安に。
ルートも混みこみぎゅうぎゅうで、見つけづらく、あるルートを登ったつもりだったら、上部で他のルートに行ってしまっていた…ということが頻繁に起こり、ナチュラルなラインになっていない。
誰もがこぞって開拓したいと大急ぎで開拓するため、安物ボルトを使って、なおかつボルト数を節約する。
その結果、ボルトも遠く、とても、5.9を登る人が5.9とつけられた課題に取り付ける状況にない。
当然のごとく、死亡事故が起こって、登攀禁止になる。
■ 最善のケース
五木の地元行政に開拓許可が取れる。
そして、地元行政は、開拓許可の代わりに以下のような条件を付ける。
・決して事故を起こさないこと
・事故を未然に防ぐこと
・近隣住民の迷惑になる行為は現に慎むこと
・環境破壊につながるような行為は、事前に町に相談すること
・クライマーの責任と行政の責任をきちんと線引きすること
これを受けてクライマーたちは、
・事故を誘発しない作りの岩場の開拓に何が必要か?と思案し、墜落に耐える適正ボルト間隔、墜落に耐える強度のある適正ボルトを使う。
・安全性を第一に考えた結果、混みこみぎゅうぎゅうは、ビレイの関係からも不適切と判断される
・石灰岩のどっかぶりであるので、その石灰岩の適正に見合った開拓が指向される
・佐久の岩場のように、プリクリップが必要な課題にはトポにそう記載される。
■ 石灰岩の開拓は、花崗岩の開拓のような見栄っ張りができない
花崗岩って、見栄、張れちゃいますよね…。ほんとは怖いのに、いや俺は怖くねぇ!って、こんなところでボルト打ったら、弱虫って思われるかなぁ?とか思っちゃって、ボルト打つのは、あと1m先にしよ~、とかなっちゃいませんか?
だから、花崗岩って、結構、見栄っ張り路線なんですよ。
■ 下手くそリードを見て参考になった
見栄っ張りリードと言えば、アイスクライミングで相沢大滝に行ったときのことがありました。連れて行ったビレイヤーが、私がリードすると言ったにもかかわらず、心配して、「いや俺がリードするよ」と言ったので、そんなに自信があるなら、してもらおうか…となったのですが…
あちゃー!ってリードでした…。
・まず、トータルの登攀ラインを見ていない。
・次に、見栄っ張りで、強点に取り付いた (下は難しいライン)
・しかし、登りながら弱気になって、弱点に流れて行った (上は簡単ライン)
・そのせいで、ルートが屈曲し、ロープが90度近くに屈曲
・結果、くねくねしたリードラインになった
ね?経験の浅いクライマーにリードさせると、どうなるか?こうなるんですよ。
もしかしたら、これがスタートだけが難しくて上に行くほど簡単になるルートの起源かもしれませんね?
アイスクライミングなら、まだ岩は傷つきません。氷はアイススクリューでリードするので、失敗しても自然界は無傷です。
しかし、岩に取り付いて、上記のようなリードしたら???
それでも初登は初登とか言って、このヘンテコなリードラインを保存します?したくないですよね?だって、最初から失敗丸見えなんですよ?
アイスクライミングは、クライミング自体は簡単です。なので、出来の良しあしというのはリードラインの美しさの勝負なんですよ。
これは僭越ですが、わたくしのリードライン 教育をきちんと受けていると分かるラインだと思う |
そういうことを分からないで10年以上の時を過ごすことができるっていうのが、そもそも不思議ちゃん、なんですが…。たぶん、ジムで正解ムーブを見つけることを課題にしているとそうなりますね。
つまり、何年経験を積んでも、自分でリードし、正しい師匠から教わらない限り、岩や氷との対話については分からないってことです。私が青ちゃんと組んだのは、たった1年、それもアイスは登れる季節が短いので、3か月だけですからね。
こないだ小鹿野のクライマーズトークで宴会に出たら、クライマーと一杯、喋れて楽しかった♪
みんなこんな話してるんですよ…
どうりで、このヘンテコリードした人とクライミングの話題で話が盛り上がらない…と思ったんですよね。
だって、私、クライマーでも相手によっては無限にクライミングの話で盛り上がれるんですよ。洋の東西を問わず。
こないだも、ギンちゃんやサチさんにいろいろ教えてもらってうれしかった。
■ 私の個人的な意見
花崗岩ではなく、石灰岩を開拓するなら、ギリシャのカリノモスみたいな、ジム上がりクライマーが外岩クライマーになるのに、易しいルート、5Cから、9Aまで、一通りそろっているような、そんな岩場になったら、ジムクライマーばかり増えて糞詰まり状態になっている、日本の閉塞したクライミング状況の突破口になるかもしれないと思います。
日本にはジム出身クライマーが安全に楽しめる岩場がほとんどない。
沖縄の岩場の開拓が参考になるかもしれない。
石灰岩をきちんと岩と対話しつつ開拓できるトップクライマーって、
ユージさんくらいなんじゃないんでしょうか?
だって、アルパインのクライマーは、フリークライミングは、花崗岩止まりの方がほとんどです。石灰岩は無理そう…なんせ被っているから、今日本に存在する平均的なアルパインクライマーの思考回路では、被ったとたんにエイド出しそうです。
アイスクライミングですら、トップのクライミングは、どっかぶっていて、アックステンションはしないで、それにスクリュー打つんですよ? 腕力の関係で、そんなに頻繁にはプロテクションを出せないのでロングフォール前提です。師匠が教えてくれました。
しかし…40年前に時を止めた九州のクライミングシーン…そして、ボルダラーの人は、ロープにぶら下がってボルト打つとか、できないんじゃないですかね?
私は九州出身のクライマー、叶うなら熊本の人が開拓のグランドデザインをするのがいいとは思いますが、人材いないような気がします。
私が見た中ではユージさんがグランドデザインを引くのが、一番岩場の個性を生かすことになると思います。
ユージさん、昇仙峡の11C、11Cとつける、心のやさしさ。
故・吉田さんは、あれ、私に11bと言って触らせていたんで…吉田さんは、グレード厳しめだったみたいです。
ユージさんは若いときからヨーロッパ中で登って、ヨーロッパグレードを体感しておられるので、
”こんなの、俺にとっては11bなんだよ!”というエゴの声ではなく、
”俺には簡単だだけど、これって客観的に見て、11cだよね~、普通の人にとっては”
って声の方を選んでグレードつけると思います。
11bを触るのは何とも思わないけど、11cって言った途端に、わたしなんかは、最初から登れるわけない!と思って敗退しちゃいますから、11cを11bと言ったのは、吉田さんの思いやりだったのかもしれませんが…。
という以上のような考察でした。
心のないクライマーの餌食に、熊本・五木の岩場が食い物にされないことを祈っています。
故・吉田さんと過ごした昇仙峡の春 8年前の今頃2024/04/10
【開拓】なぜ日本の岩場には5.9の名作がほとんどないのか?
■ 男性5.12、女性5.11
まぁほっとけば、男性は、みな5.11~5.12の間に落ち着くのです。
女性は、5.10~5.11の間が落ち着きどころです。
私は、40代からクライマーをやっているのですが、43でスタートしたときは、大町の人工壁3mくらいで落ち、トップアウトしたら、拍手がもらえる感じでした。
ところが、3年やったら、アイスはすいすい、ラオスの登攀で海外パートナーと登ったことで、日本の岩場の怖い理由が分かって、呪いが解け、5.10Aではまず落ちない、というくらいになりました。5.11を初オンサイトくらいでクライミングからは離れましたが、それで4年目とかでした。
つまり、どんなにパワーがない人でも3年もやれば、イレブン。あとは老後に向かってゆっくり退化して行ったり、仕事の状況によっては成長できたり、いろいろでしょうが、大体そんなところが平均的な運動能力の落ち着き先です。
ボルダーグレードなら、女性で5級。男性で3級。
そうすると、開拓者は、男性が多いので、5.11~5.12の間の課題が増えるでしょう。
女性開拓者は、ほとんどいないので、5.10~5.11は増えない。
さらに誰もが通る道である5.9も少ない。
ナインアンダーになると皆無、ということになります。
これが、
初級者のうちから海外に出たほうがいい、
と言われる理由です。
海外では、日本よりもクライミングの歴史が長く、最多クライマーは、6A~6Bです。
つまり、5.9~5.10です。
なので、ナインもテンも登りつくせないくらい課題数があります。
龍洞の岩場なんて、5.4からありました。
そういうところでバンバン数をこなして登っているから、上達できるんですよ。
クライミングジムでいくら登っても、外岩経験は積めません。岩の歌も聞けるようにはなりません。(ヘンテコリード)
なので、海外に2週間行ってバンバン登ってきましょう。
インスボンで、チラ見した隣のクライマー たぶん韓国の人https://workfromgreece.gr/
2024/04/09
【クライミングによる地域おこし】岩場は、”地域”の資源ですよ?
■ 混みこみぎゅうぎゅうの岩場の原因
あちゃー… これが、混みこみ、ぎゅうぎゅうの岩場の原因か‥(ため息)
ここからの引用は、ある業界重鎮のセリフです。リーダーがこんな考えだから、今、混乱した岩場で、クライミング教育は欠如し、人工壁の登り方で若い人は腐ったボルトにバンバン落ちる羽目になっているんですね。
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クライミングはあくまで個人の自由意思によるもの
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なら、ボルトを抜きましょう…。自然界にボルトあります?ないっすよね?
朽ちていくボルト…登りたい人が勝手に打ち換えればいい…んじゃなくて、山にうんこを残置してはいけないように、ボルトも残置してはいけないんですよ。特にアルパインの倫理観ではそうです。懸垂支点など、仕方ない場合も、仕方がない、という認知です。
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岩場も管理されたものではなく、また管理すべきものでもありません
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まったくの事実誤認です。
太古の昔から、日本の里山は管理されています。高い標高の奥山(北アや南ア)もとっくの昔に管理されています。
岩場も、基本的に誰かのもの、です。放置されているじゃないか!管理されていないじゃないか!という方は林業をちゃんと勉強していないのでしょう…
岩場は地権者のもの、地域の財産です。間違ってもクライマーのものではないですよ?
木の1本から資産として、数えられて、ちゃんと管理されているんですよ。
ひとんちの壁に落書きして、それに著作権を主張しますか?しないですよね?
たぶん、そこんところをクライミング界は全員で誤解してしまっています。
著作権がないのと、素晴らしいルートを引く能力があって、そのルートが素晴らしいことは別の話です。権利主張と賞賛は別ってことですよ?
賞賛されてもいいけど、権利は主張できないってことです。なんせ人の、なんですから。
そういえば、佐藤さん、「ルートは別に俺のモノじゃないし…」っておっしゃっていました。ですよね。
なんでか知らんが、一部の人が、自分に権利がないものを権利主張することになって、再整備も進まない上、腐った残置だらけになってしまっている日米の岩場。
国立公園、国定公園、ならなおさら。国や県、地方自治体に管理されています。
アメリカでは、残置禁止になりそうなそうです…そりゃそうだろう…。もともと残置しないのが美学なのに、いつのまにかボルトで100%安全に落ちながら登るのが権利化している…。
自然界は管理されていない、というのは、あたかもそう感じる、レベルの幻想です。たぶん、雨風が管理できないので、近所の裏山も管理されていないと感じるのだと思いますが、実際は、違います。
ボルトを打つなら、打った人が責任をもって管理する必要があります。なぜならボルトは人工物でキノコのように生えてくるものではないからです。
管理責任が負えないのであれば、打たなければいいのです。それでも初登(FA)はできます。
FAは、トップロープによる試登で現在は行われているんですよ?したがってボルトレスで可能です。
発表すれば、誰かがホントに9Aあるのか?登りに来るでしょう…
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昔はそのあたりのことは皆わかっていて、モラルというか、紳士協定みたいなものが成立していたのですが、今はどうなんでしょう?
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私は小鹿野の初期の開拓者4人のご様子や甲府の昇仙峡しか分かりませんが、1980年代の昔から、紳士協定なんてなかったみたいな感じでした(笑)。ともかく、誰か一人でも開拓許可を取ったら、他の人は、当然許可は取れているもの、として、我も我も!と開拓に押し掛けたので、ルート混みこみ、でとなりと1mも離れていない…という結果になったっぽい話しぶりでした。
開拓に割り込んでいいか?聞くと言っても、自分が引きたいラインの隣の開拓者に、ここ、いいっすか?とまるで映画館の席に座るように、開拓しちゃっただけみたいでした…。
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あくまで各人の裁量で、開拓するかどうかは決めればよいのではないでしょうか?
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問い)開拓する能力がない人が開拓すれば?
答え)危険なルートが出来上がります。
これが、1980年代に才能がない人が開拓した結果、3ピン目でランナウトした課題で2018年に人が腰椎骨折をする理由です。
参考:https://allnevery.blogspot.com/2022/01/blog-post.html
下手くそクライマーのリードの仕方 https://allnevery.blogspot.com/2024/04/blog-post_23.html
残念ながら、登る能力と、開拓能力はセット販売じゃないんですよ。
5.12登れてもロープワークお留守のクライマーが9割なのと同じで、人工壁をいくら登っても開拓能力はつかない。
人工壁のルートセッターは高度な職業とされています。
外の岩場の開拓は、同じかそれ以上の能力がいるのに、誰もその人の能力を問わず、誰でもできる。
そんな、お得な、誰でも得れる栄誉、ちゃっかりもらっちゃおー♪と思わない自己愛性パーソナリティ障害の人がいるとは思えない。
自己愛性パーソナリティ障害の人なら、必ず、ちゃっかり俺様欲求を満たすチャンスにしますね。
この目で見ました!!
ここからは私の考えですが、私の考えによれば、ホワイトクライマー(例:故・飯山健司さんとか横山ジャンボさんとか)が弱体化すればするほど、きちんとルートも引けないクライマーが、名誉欲だけの理由で変なところにボルトを打って、それが永遠に残る結果になっています…。 それを擁護するのが、初登者権利論。
岩場にまったくグランドデザインというものがなく、しっちゃかめっちゃかになった理由はこれですね… 超・納得。
2024/04/08
Memories in Ueno
Ueno
The diploma award ceremony for molecular nutrition was in Nihonbashi, so I looked for a place to stay nearby.
This time I stayed at HostelOwl, a small handmade capsule, but it was comfortable and next to a public bathhouse for only 2,500 yen. I would recommend it to climbers going to the Tokyo area.
I used to stay at the Intercontinental for a month when I was in Wellington on business and at the CandlewoodSuite when I was in Kansas for a month.
https://www.ihg.com/candlewood/hotels/us/en/overland-park/mkcgv/hoteldetail
That's I had to stay in a hotel room all day long, working 16 hours at a desk, so I think it's worth it to pay this much.(Actually company took care of the cost)
From there, I grew to the point where I could complete staying in a tent stay all by myself in the mountains, even in -25C cold.
I've come a long way, come to think of it.
Confidence that no one can take away
So this is the confidence that no one can take away from me.
range of experience.
I have a wider range of experiences. It broadens our horizons. My perspective is much wider than normal Japanese, and that is my source of confidence.
I think that is the meaning of having experience and being adulthood.
If I were to stay in a hotel all the time, you will only know what's like this hotel and that hotels... I think it is boring.
Memories of Ueno
This time, after the diploma ceremony, I had dinner with climber friends in Ueno.
What made me happiest was that I was able to treat that older, senior climber to dinner.
I have excessive amount of love and I just want to love without being taken advantage of.
The young climbers takes advantage of you and oversea climbers too. I am not that dumb.
This older climber supported me when I was trying to be an alpine climber. He still gives me advices and support me. When I went to Hatatate iwa middle ridge, he was my second climber.
It is a route that offers a miniature version of an alpine route, starting with rappelling but requiring route finding and in the top you will join in to hikers.
I still have a picture of it as a proud moment in my life. If I were to die, I would recall that moment and remember him as an important person who climbed with me.
Ueno
In Ueno, the cherry blossoms had not yet bloomed. I remembered that when I was in college, I came from Osaka to visit the art museum in Ueno to see an exhibition of Georgia O'Keeffe.
My childhood was full of good museum days. My mother was a graduate of the Tokyo Women's Institute of Fine Arts, so it was a tradition in my family to go see every major exhibition that came along. So the art museum and the forest attached to it became my home.
When I was in my first year of college, I was longing for Tokyo and visited a classmate from junior high school who had gone on to Hitotsubashi University, but was surprised to find a one-room apartment in a distant suburb (Machida) that was not Tokyo in name only....
My friend who went on to Waseda University lived in a boarding house near Toshimaen, which was not even a one-room apartment, and had a shared bathroom. I was surprised at how rural it was....
Seeing this, I was living in a student dormitory in Minoh, an hour by bus from the last train station in North Osaka, and I thought that the big city was just as far away from the city as if I were living outside of Osaka.
After seeing O'Keeffe's exhibition, I immediately went to work in the U.S. and lost all longing for Tokyo and the big city....I now prefer to be in a nature, country side.
It was as if, after visiting Laos or Ryu-dong, me losing interest in crags in Japan.
I was able to go back to Ueno, the place I had always longed to visit, and treat my senior who had taken care of me so well....
Thinking of my long and distant journey, I felt that I had grown up completely as an adult.
Yes, the age of crying and saying, "Help me Dad! " is over.
I was no longer at the age of crying out.
Of course, seniors give us all kinds of life advice.
Especially as I myself am now at the age of starting to age, how I should face the rocks...those things, of course, are taught by those seniors who have already gone before me.
I have always thought so, but free climbing is, from the alpine point of view, just an Enjoyable Climbing after retirement (laughs). Nothing serious.
A young man took my picture.
In Ueno Park, where the cherry blossoms had not yet bloomed, there was one place where only one cherry tree was in bloom.
I wandered around there... because I wondered if someone would take a commemorative photo of me. That's what I was thinking.
Then, a young man in his twenties, who looked like a young, flirtatious guy, recognized me... and despite his appearance, he quickly understood and said, "Shall I take your picture?" I could tell that he was a very considerate man because of the way he said it, which was very easy to get into my mind and without any pretense.
People judge people by their appearance, and we learn this in our adult life... Of course, after my office worker days when I strolled around Marunouchi in a suit, we learn that people are influenced by their appearance, and if you want to get good service, you have to wear a good suit... And then, as an adult And as we grow up, we learn that looks don't matter....
Inner Father, Inner Mother
The mountains of Okuchichibu raised me: the Southern Alps and the Maeho North Ridge. The days in Shosenkyo.... The ascent of Mitsutoge. Climbing with Iwacchan in Okuchichibu and Ogawayama. The time with the late Mr. Yoshida. The days of multi climbing in Insubon. And ice climbing days.
My mother is the students who followed me in yoga.
【クライミングで愛を紡ぐ】上野
■ 上野
分子栄養学のディプロマ授与式が日本橋だったので、近くに宿を探した。
今回の宿は、HostelOwl 小さな手作りカプセルだが、たったの2500円で銭湯の隣にあり、快適に過ごせた。東京方面に登りに行くクライマーにはお勧めだと思う。
https://www.hotel-owl.co.jp/
寝るだけの用事に、ビジネスホテルに泊まっている日本代表クライマーたちはクライマーにしては甘やかされている。
以前は仕事で、ウェリントンに一か月いたときはインターコンチネンタルに泊まり、カンザスにいたときは、CandlewoodSuiteに一か月いた。
https://www.ihg.com/candlewood/hotels/us/en/overland-park/mkcgv/hoteldetail
そりゃ一日中、ホテルに缶詰で、デスクで16時間仕事するんだから、多少払っても価値があると思う。そこから、山の中のテント泊で、ー25度の寒さの中でも一人で完結できるほどに成長した。
この写真は、ちなみに11月で、-25はない。どちらかというと楽勝系テント泊だ。
実際には、私は2月の八ヶ岳で雨の中、テン泊している。思えば、遠くに来たもんだ。
■ 誰にも奪えない自信
ただどこかに宿泊する、ということだけをとっても、これだけの
経験の幅
がある。そのことで広がる視野がある。
その知見だけは誰にも動かすことができない、揺らぐことがない自信だ。
それが大人として、経験をもち、知見を増やすということの意味だ、と思う。
宿泊なら、ホテルなら、雪の中のキャンプから、高級ホテルに1か月。
■ 思い出の上野
今回は、ディプロマ授与式の後、クライマーの友人と上野でご飯を食べた。
一番うれしかったのは、その年上の先輩クライマーに、ご飯をごちそうすることができたこと。
私は、愛が余っていて、私の愛を利用されることなく、愛する対象が欲しいだけなのだ。
その先輩クライマーには、恩義があった。
クライミングでは、ここぞ!というときに登場してもらった…
私のアルパインクライマーとして区切りになるルート、旗立岩中央稜に行ったときは、セカンドを務めてもらった。
あそこは、アルパインの精神をミニチュア版で味わえるルートで、懸垂で始まるが、ルートファインディングから必要で、きわどい登攀のあとは、山頂では一般登山者と合流する。
今でも、私の人生の誇らしい瞬間として、大事に写真にとってある。もし私が死ぬことがあれば、その瞬間を回想し、一緒に登ってもらった大事な人として、彼を思い出すだろう。
■ 上野
上野は、桜はまだだった。そういえば、大学のころ、ジョージア・オキーフの展覧会を見るために上野の美術館に大阪からやってきたことを思い出した。
私の子供時代は、美術館通いの日々だった。母が東京女子美卒だったので、大きな展覧会が来ると、抜け目なく見に行くのが我が家の伝統だった。だから、美術館とそれに付属した森は、自分ちのようになっていた。
大学1年生のあの頃、私は東京に憧れており、一ツ橋大学に進学した中学の同級生を訪ねたが、東京とは名ばかりの遠くの郊外(町田)にワンルームマンションがあり、驚いたのだった…。
早稲田に進学した友達の家は、豊島園近くの下宿で、ワンルームですらなく、トイレも共同だったので、さらにあまりの田舎具合?に驚いた…。
それを見て、大阪でも、電車の最終駅からバス1時間の箕面の学生寮に住んでいた私は、東京方面って言っても、私が大阪の、外に住まわされているのと同じで、全然、都会は遠いのだ…、と思ったのだった。
オキーフのその展覧会を見たのち、私は、その後、すぐにアメリカに働きに行くことになったため、その後は、すっかり東京や、大都会への憧憬は無くなってしまった…。
アメリカ合衆国という大きな世界を見て、すっかり興味を失ったのだった。
今となっては東京は行くだけでもめんどくさいな~って感じだ。
まるで、ラオスや龍洞に行った後に、小川山やまして、日向神、に興味がなくなったように。
その、もともとはあこがれの対象だった上野に、また舞い戻って、そして、世話になった先輩にごちそうができる…。
そんな自分の、遠く、長かった道のりを思って、すっかり大人として、自分が成長していることを感じた。
そう、もう、おとーさーん!と言って泣きつく年齢は終わったのだ。
もちろん、先輩はいろいろな人生の助言をくれる。
とくに私自身も、老いがスタートする年齢になり、どう、岩と向き合っていくか…そういうことは当然だが、先に行っている先輩たちが教えてくれる。
前からそう思っているが、フリークライミングってアルパインから見れば、引退後のEnjoyClimbingなんですよね(笑)。
■ 若い男性が写真を撮ってくれた
桜がまだ開花していない上野公園で、一本だけ桜が咲いているところがあった。
そこで、うろうろしていた…のは、誰か記念の写真を撮ってくれないかしら?そう思っていたからだった。
すると、それを察してくれたのが、20代のいかにもチャラ男そうな若い男性だった…その男性は、見た目によらず、すっと察して、「写真を撮りましょうか?」と言ってくれたので、その言い方が、いかにも私の心にすっと入ってくる、気取りのない言い方で、とても配慮のある男性だということが分かった。
人は人を見た目で判断し、そのことを大人時代に学ぶが…もちろんスーツ姿で丸の内を闊歩したOL時代を経て、人は見た目で左右され、良いサービスを得たかったら良いスーツを着ていないといけないと学ぶわけだが…そして、大人になれば、人は見た目に寄らないということを学ぶわけだ…。
■ 内なる父なるもの、内なる母なるもの
私のお父さんは、私を育てた奥秩父の山々、南アルプスや前穂北尾根。そして、昇仙峡の日々…。三つ峠の登攀。岩っちゃんと登った奥秩父や小川山。故・吉田さんとの時間。インスボンでのマルチ三昧。そしてアイスクライミングの日々。
私のお母さんは、ヨガで私についてきてくれた生徒さんたちだ。
【クライミングによる地域おこし】当方の思いと知見 またスタンス
もともと海外志向なのでクライミング歴3年で海外登攀に出るようになりました。
■ 海外のトラベリングクライマーについて
・一般に一か月~2か月のスパンで旅しながらクライミングしている
・海外のトラベリングクライマーには、足がネックかもしれません。
・岩場付近にキャンプできたら、毎日は車を使うものはない。
・クライマーの理想は、一応、徒歩で岩場にいけ、来る時と帰るとき以外車は無しでも済ませられる岩場
・現実は車に寝泊まりする人が多く、宮崎の日之影にクライマーを案内したが、その時も、公民館で1000円で寝れるにも関わらず、車中泊だった。
https://www.facebook.com/groups/1397118133710191
■ 小鹿野vs小川山(瑞牆)
小鹿野がある、秩父は、九州の日向神(八女、福岡)や大分八面(中津)、宮崎日之影の町の廃れ具合と比べても、都市として発達しており、豊かな感じだ。
史跡も多く、大都市・東京に近く、トラベリングクライマーが訪れる都市のタイプとしては初心者向き。
例えば、大堂海岸など岩場としては素敵だが、周囲に何もなく、どう考えてもキャンプしか選択肢がない。休日の楽しみがない。
その点、秩父は都市として快適なので、うまくやらないと、人気が出すぎて、オーバーツーリズムになる可能性があるかも。
■ 宿泊は、民間AirBを行うと非戦活動にもなる
宿泊ですが、可能であれば、普通の方の家にクライマーが宿泊できると、草の根の民間交流になります。おぢか島に成功事例があります。
https://youtu.be/0Bnc67l89bw?si=t0hhrCJqW96EWncG
草の根交流はそのまま、平和活動になります。家族のような人たちがいるところを攻撃したい人間はいない。
大事なのは、一般市民と訪問クライマーが心理的な絆を築くことです。
https://allnevery.blogspot.com/2024/03/blog-post_72.html
■ トポの英語化は必須
トポですが、英語で作ったら、海外の人に売ることができる。
そのようなこと、海外向けマーケティングが、私がしたいことなので、もし何かお手伝いが必要でしたら、いつでもおっしゃってください。
私は仕事で通訳、翻訳業の経験があり、語学はビジネスレベルです。
以上のようなことから、TheCrag.comのCEO、ウルフからお声がけいただいて、同社の唯一の日本人翻訳者です。
■ 国内問題解決が先
しかし、問題があり、日本の各岩場を不用意にプロモーションしてしまうと、逆に国内アクセス問題が悪化します。
また、日本のボルト状況は悪いので、再整備が進まない状況下で、外岩に不慣れな、海外クライマーが大挙して押し寄せると、問題のほうが増えてしまいます。
たとえば、先日私と組みたいと言ってきた、コスタリカのクライマーはロープさえも持ってきておらず、確保器も持ってきていませんでした。つまり、誰かに混ぜてもらって、ごまめ状態で、トップロープで登るクライミングしかしたことがない、補助輪付きクライマーで、全く自立していない人が、まるで自立したクライマーであるかのように、「一緒に登りませんか」と言ってくるってことです。本人にはまるで自覚がありません。それでいっぱしのクライマー気どりでした。
日本ではある程度上級のクライマーしか、旅しながらクライミングを行う活動(バム)はしません。昔はクライマーになるということは社会人を捨てるという意味だったからです。
しかし、海外の人は、5.9しか登れない下手くそでも普通にバム活動をやるので、非常に初級の段階から、来ます。海外ではバムをすることは、それこそ、教授レベルの人でもやるアウトドア活動です。まぁ日本でも、米澤先生は大学教授ですよね?
日本のボルト事情や岩場事象を知らない人…初級クライマーが、海外から大量に来てしまうと、死亡事故や違法駐車などの問題が大きくなってしまうリスクがあります。
そのようなクライマー、日本ではジム上がりのクライマー、が、クライミングジムと同じ常識を外岩に持ち込んだ状態で登れる岩場、というのは、日本国内にはないです。
戦後最大のインバウンドブームですが、岩場の再整備が追い付かないゆえに、この外貨獲得チャンスを各地の岩場は、生かし損ねていると思いますが、死者の屍の山が増えるより、良いのではないでしょうか?
■ カスタマージャーニーは確認済み
ということで、活動は私は、クライマーの流れが作れるという確認程度にとどめていますが、流れは確実に作れます。確認済みです。
九州はクライミングメッカではなく片田舎です。それでも組もうという外国人は来ます。
日本で初のアウトドアアドベンチャーツーリズムとしての外岩…それにふさわしい日本の顔となる代表クライマーは、私はユージさんだお思います。花崗岩クライマーと自認する古いクライマーは石灰岩は苦手なのではないでしょうか?
ユージさんは両刀使い。さらに後継者としてサチさんも育っていました。
したがって、小鹿野がやれば、成功する確率が高く、そして成功すれば、全国が真似すると思います。
それには、地域おこし協力隊の制度利用もアリだと思います。
私としては、影の立役者みたいな立ち位置が好みで、できれば表立ちたくありません、念のため。
2024/04/07
【気づき】テクニックがなければ自分を出すしかない
■テクニックがなければ自分を出すしかない
本気勝負のクライミング。ずく(本気)出さなければ、まぁ死んでしまうわな~。
テクニックがなければ、自分を出すしかない。
これはトランスコーチングのテクニックを学んでいる途中で、神先生から言われた言葉ですが、まさしく、クライミングもそうですね。
そして、これが白亜スラブで、相方のアラーキーが、25mのピッチと35mのピッチを、50mのシングルロープでつなごうとしたときに起こったこと。
テクニックがないので、彼は自分をさらけ出すしかなかった…。
そして、それが、”私が”、望んだ、要求したことでした。素のままの姿を見せてくれなければ、ロープなんて組めませんよねぇ… 彼、ずっと、猫、被っていたからなぁ。
で、素のままの彼が見えた結果、やっぱりロープは組みたくないなと思いました。
それまでも、彼からは、はてな?というような行為がいくつかありました。
めんどくさいので詳細は省くが、
女性全般を下に見ている(女性は男性に尽くす存在として先入観で見ている)
それ以外に
フォロー(セカンドのこと)を下に見ている
というアルパインの悪しき慣行を持っているようでした。
■ フリークライミングは平等な世界
フリークライミングの世界では、リードするほうが楽しいんだから、誰でもリードを取りたがります。別にトップは偉くないんですよ?アルパインみたいなリスクないんだから。
しっかし、支点が作れないとか、25mと35mのピッチを50mシングルでつなごうとする奴にリードさせられます?
男性たちは、こうしたミスに易しく、御坂山岳会時代も、死者が出ている滝をノーザイルで登ろうとした大バカ者に、「本人に言い聞かせれば分かるはず」と言った人がいましたが、その人分かるまでに、その後5年かかったんですよ?
誰からも一緒に登ってもらえなくなって、私に泣きついてきて、やっと、フリークライミングはロープに頼らずに登るものなんだ、と気が付いたみたいですが…。
男性は、男性同士なので、あいつを許してやれ、って思うと思いますが、そんなにそいつが好きなら、自分が一緒に登ってやったらいいですよね?
例えば、マルボーさんが、アラーキーと登ればいいんじゃないの?
誰も一緒に登りたがらないハズレクライマーばかりと組まされて、ほんと嫌だったわー。
ハズレクライマー以外は、トップクライマー。青ちゃんは、なんだかんだ言っても登山学校の校長先生ですからね。故・吉田さんは言うに及ばす。1年半くらい組んだ別の方は、蒼氷の先輩です。
もう、フリークライミングの世界に来たら、トンデモクライマーしかいないので、登りたくても登れないです。
私のせいじゃないと思うよ?
素を出したら、あれなんじゃ…
ラオスでルーフをやっているわたくし。 もう日本のクライミングはボルトも悪いし、ビレイ教育もダメダメで、岩場だけでなく、人間も危険極まりないので、初級者は海外に行くほうが安全だと思います。【フレッド・ベッキー化】加熱相場では、トレーディングはお休みですよ?
■ 日経平均やっと34年ぶり回復
相場格言 「頭と尻尾はくれてやれ」ですよ。
2024/04/06
【提言】クライマー界は知恵を結集せよ!
■ お前は誰の味方なのか?みたいな不毛な観念…
小鹿野に行って分かったのは、小鹿野のクライミングによる町おこしに古いクライマーが、横やりを入れて絡んでくる理由…
要するに、1980年代の開拓”戦国”時代のノリのまま、なんですね…。
そういう古いクライマーって、もしかして、全国の岩場の置かれている、閑古鳥状況、分かっていないかもしれないですし、全国の岩場がある自治体の切迫した財政状況も分かっていないかもしれないですね。
たぶん、世界的に見て、日本経済が、”逆転サヨナラ負け”の状況にある現在の在り方とか…
たぶん、全然わかっていないと思われ… 誰がその岩場の主導権を握るか?で競争していた、1980年代つまり、日本のバブル期の気分のまま、何だろう…
というのは、現代に必要なのは、競争ではなく、協力、のほうなんですよ。
日本国は、互いに競争して足を引っ張りあっている暇はないくらい、2024年の今、落ちぶれました。まぁ足を引っ張りあって保身したり、主導権争いに終始しているから、落ちぶれたのは当然なんですが。
岩場でも同じことが起っているんですよ。それで割を食っているのは、若い世代だけ。私は50代ですが、若い世代の割を食っている側です。団塊2世から下は割を喰う世代です。それもこれも、上の世代の視点が、
協力ではなく競争
だからなんですよ。でも、もう日本は一致団結しないとやっていけないほど、よわよわ国なんですよ?
政治家をはじめ、血税を海外に配りまくったりして、みなさん、事実誤認しているようですが。
■ 岩場はどうすれば安全になるか、知恵を絞れ!
現代のクライマーは、インドアジム上がりです。登山から鍛えて来るわけじゃない。当然だが、読図もできないし、沢って言っても、は?って感じだし、雪って言えば、なおさら、何の関係もありません。
なので、昔のアルパインクライマーを育てた、外岩教育…5年は修行な!ってのでは、誰もついてこないです。なんで5年もひたすらセカンドなのか?理由が分からないでしょう?
そんなの相手の立場に立ってみれば、一瞬で分かりますよね?
俺の時は、5年でリードが取れたら早い方だ、って言われても、今、俺の時と状況違うし、俺より、目の前の新人はジムで5.12登れるようになってから来てませんか? まぁ当人にもよりますが。
私は登山からスタートし、沢、雪、アイス、⇒岩 と進んだオーソドックスな育ちをして、フリークライミングに来ましたが、フリークライミングでは5.9しか登れなくても、相当の知識の集積とアウトドアリテラシーの高さを持ってからフリークライミングをスタートしました。
フリーしかやらない故・吉田さんだって、その辺のジム上がりで山を知らず、ただフィジカルが強いだけで登っている男子より、私を取ったのでした。
フリーのグレイドで登れるだけなら、ボルダーやっている子は、2段とか3段とか瞬間芸で登っています。それでも、岩場に連れて行っても一から10まで面倒見ないといけないですよ?つまり、彼らがやっているゲームは、本質がかなり違うことが可能性としてあります。
フリークライミングの醍醐味、なら醍醐味を、現代のジムクライマーにはきちんと噛んで含めて教えないと、ただの”楽しい筋トレ”にしてしまう。
タダの”楽しい筋トレ”がジムクライマーで、九州クライマーは、”一か八かクライミング”です。九州では、一か八かに掛けるのがクライマーだ!みたいな本末転倒ことになっている。
目で見て、明らかに、ここで落ちたら死ぬと分かっているところで、一か八かをやるのは、勇気があるのではなく、タダのバカって意味ですよ?
そこを理解しそこなっているのは、本当の意味では、大変なことをやっていないで、大変なことをやっているふりをして賞賛される、注目を集める、に成功してしまっているから。
しかも、一か八かがすごいという価値観にすら全く迎合していない、栗城さんやなんとかマリンさんの言説にいとも簡単に騙されてしまって、踊らされており、もう、目も当てられません。
スポーツクライミングには、命は全くかかっていません。”楽しい筋トレ”なんですよ?
フリークライミングに存在する、岩との対話やかけひき、は、スポーツクライミングでは、ルートセッターとの駆け引きですよ。対象が人です。岩という自然物ではなく。
なんでそういうことをきちんと教えないのか?
クライミングと言う言葉でひとくくりにしてしまうから。
全く違うもの。
しかも、九州では一か八かをクライミングだと教えてしまっている。その上エイドを出してもエイド出したとすら書かない。ホワイトポイントって書いている記録がありましたが、そういう実態を見るとほんとかなぁと思ったりしますよね…
サチさんの、FAは、フリーで登ったFAだと思いますよ?もちろん、試登はしたと思いますが。試登というのは、トップロープのことです。
しかし、九州のは、初登って言っても、エイドも出しの、なんでもありの初登(FA)で、要するに昔の日本登山体系のアルパインのFAです。現代クライマーなのに、昔の登り方だから、そりゃ登れて当然でしょう。。。
ストレートシャフトだと登れなかったルートが、バナナシャフトやハンドル付きアックスで楽勝になったくらいな差があります。
要するに、フリークライミングのレベル感のFAとは内容が全く違います。
そこは、たぶん、まったく理解されていないと思いますよ?
2024/04/05
【疑問】ボルトルートの扱い…フリークライマーの方、誰か教えてください
■ 誰か教えてください…
そう、私が分からないのは、
フリークライミングにおけるボルトルートの扱い
なのです。
私が出身である、アルパインクライミングでは、明確に、
山に残置はないでしょ
というのが答えです。だから、私が最初に習ったのは、雪上確保で支点はスノーボラートです。自分で初めて行ったのも、アイスのルートだから、支点はスクリューで自分で取りました。
ところが、九州では、アルパインロックのルートも、ボルト…。アルパインクライミングの醍醐味は、自分でルートを見出して登るところ…つまり道なき道に道を見出すのがアルパインである所以なので、ボルト追っかけしてたら、もうアルパインじゃない感じです。
特に残置の伸びたリングボルドなんかに全体重をかけて、それが抜けたとしても、誰も同情はしてくれません。欠けた岩をつかんでの墜落さえ、誰にも慰めてもらえない(笑)。岩は叩きながら登るもんだ、って感じでした。
■ 岩場にボルトを残そうという活動
これは、トップクライマーの中島さんの投稿です。ピトン、スリング、などの残置を撤去する方針に異議を唱えるもの…
アルパインのレベルの登攀なら、支点は自作して登れるべきだというのがアルパイン族?の教えでした。
まぁ昨今は、沢などに行っても、残置のスリングが置いてあったりして興ざめですが、一般的な山ヤだったり、アルパインクライマーなら、残置がないのを歓迎します。
しかし、フリークライミングのレベルになると、ボルトがないと登れないような困難度なんですよね。
片手でぶら下がって支点作るとか無理ですから…。アイスならまだしも岩だと確実に無理ですね。
そして残置、となると、永続的に登れるためには、保全が問題になってきます。
こんなのとか…
こんなの…