2024/04/08

【クライミングで愛を紡ぐ】上野

■ 上野

分子栄養学のディプロマ授与式が日本橋だったので、近くに宿を探した。

今回の宿は、HostelOwl 小さな手作りカプセルだが、たったの2500円で銭湯の隣にあり、快適に過ごせた。東京方面に登りに行くクライマーにはお勧めだと思う。

https://www.hotel-owl.co.jp/

寝るだけの用事に、ビジネスホテルに泊まっている日本代表クライマーたちはクライマーにしては甘やかされている。

以前は仕事で、ウェリントンに一か月いたときはインターコンチネンタルに泊まり、カンザスにいたときは、CandlewoodSuiteに一か月いた。

https://www.ihg.com/candlewood/hotels/us/en/overland-park/mkcgv/hoteldetail

そりゃ一日中、ホテルに缶詰で、デスクで16時間仕事するんだから、多少払っても価値があると思う。

そこから、山の中のテント泊で、ー25度の寒さの中でも一人で完結できるほどに成長した。

この写真は、ちなみに11月で、-25はない。どちらかというと楽勝系テント泊だ。

実際には、私は2月の八ヶ岳で雨の中、テン泊している。

思えば、遠くに来たもんだ。

 


■ 誰にも奪えない自信

ただどこかに宿泊する、ということだけをとっても、これだけの

 経験の幅

がある。そのことで広がる視野がある。

その知見だけは誰にも動かすことができない、揺らぐことがない自信だ。

それが大人として、経験をもち、知見を増やすということの意味だ、と思う。

宿泊なら、ホテルなら、雪の中のキャンプから、高級ホテルに1か月。

■ 思い出の上野

今回は、ディプロマ授与式の後、クライマーの友人と上野でご飯を食べた。

一番うれしかったのは、その年上の先輩クライマーに、ご飯をごちそうすることができたこと。

私は、愛が余っていて、私の愛を利用されることなく、愛する対象が欲しいだけなのだ。

その先輩クライマーには、恩義があった。

クライミングでは、ここぞ!というときに登場してもらった…

私のアルパインクライマーとして区切りになるルート、旗立岩中央稜に行ったときは、セカンドを務めてもらった。

あそこは、アルパインの精神をミニチュア版で味わえるルートで、懸垂で始まるが、ルートファインディングから必要で、きわどい登攀のあとは、山頂では一般登山者と合流する。

今でも、私の人生の誇らしい瞬間として、大事に写真にとってある。もし私が死ぬことがあれば、その瞬間を回想し、一緒に登ってもらった大事な人として、彼を思い出すだろう。

■ 上野

上野は、桜はまだだった。そういえば、大学のころ、ジョージア・オキーフの展覧会を見るために上野の美術館に大阪からやってきたことを思い出した。

私の子供時代は、美術館通いの日々だった。母が東京女子美卒だったので、大きな展覧会が来ると、抜け目なく見に行くのが我が家の伝統だった。だから、美術館とそれに付属した森は、自分ちのようになっていた。

大学1年生のあの頃、私は東京に憧れており、一ツ橋大学に進学した中学の同級生を訪ねたが、東京とは名ばかりの遠くの郊外(町田)にワンルームマンションがあり、驚いたのだった…。

早稲田に進学した友達の家は、豊島園近くの下宿で、ワンルームですらなく、トイレも共同だったので、さらにあまりの田舎具合?に驚いた…。

それを見て、大阪でも、電車の最終駅からバス1時間の箕面の学生寮に住んでいた私は、東京方面って言っても、私が大阪の、外に住まわされているのと同じで、全然、都会は遠いのだ…、と思ったのだった。

オキーフのその展覧会を見たのち、私は、その後、すぐにアメリカに働きに行くことになったため、その後は、すっかり東京や、大都会への憧憬は無くなってしまった…。

アメリカ合衆国という大きな世界を見て、すっかり興味を失ったのだった。

今となっては東京は行くだけでもめんどくさいな~って感じだ。

まるで、ラオスや龍洞に行った後に、小川山やまして、日向神、に興味がなくなったように。

その、もともとはあこがれの対象だった上野に、また舞い戻って、そして、世話になった先輩にごちそうができる…。

そんな自分の、遠く、長かった道のりを思って、すっかり大人として、自分が成長していることを感じた。

そう、もう、おとーさーん!と言って泣きつく年齢は終わったのだ。

もちろん、先輩はいろいろな人生の助言をくれる。

とくに私自身も、老いがスタートする年齢になり、どう、岩と向き合っていくか…そういうことは当然だが、先に行っている先輩たちが教えてくれる。

前からそう思っているが、フリークライミングってアルパインから見れば、引退後のEnjoyClimbingなんですよね(笑)。

■ 若い男性が写真を撮ってくれた

桜がまだ開花していない上野公園で、一本だけ桜が咲いているところがあった。

そこで、うろうろしていた…のは、誰か記念の写真を撮ってくれないかしら?そう思っていたからだった。

すると、それを察してくれたのが、20代のいかにもチャラ男そうな若い男性だった…その男性は、見た目によらず、すっと察して、「写真を撮りましょうか?」と言ってくれたので、その言い方が、いかにも私の心にすっと入ってくる、気取りのない言い方で、とても配慮のある男性だということが分かった。

人は人を見た目で判断し、そのことを大人時代に学ぶが…もちろんスーツ姿で丸の内を闊歩したOL時代を経て、人は見た目で左右され、良いサービスを得たかったら良いスーツを着ていないといけないと学ぶわけだが…そして、大人になれば、人は見た目に寄らないということを学ぶわけだ…。

■ 内なる父なるもの、内なる母なるもの

私のお父さんは、私を育てた奥秩父の山々、南アルプスや前穂北尾根。そして、昇仙峡の日々…。三つ峠の登攀。岩っちゃんと登った奥秩父や小川山。故・吉田さんとの時間。インスボンでのマルチ三昧。そしてアイスクライミングの日々。

私のお母さんは、ヨガで私についてきてくれた生徒さんたちだ。