2022/07/21

無敵神話…若い男性がエクストリームに挑戦して命を落とすわけ

■ 若い男性がエクストリームに挑戦して命を落とす理由
 

が分かりました。
 

2歳の赤ちゃんは、親の元を離れて、大観衆が見守るステージに上がって、恥ずかしがりもせず、ダンスを踊り、観衆を驚かせたりしますが、それは、赤ちゃんがまだ恥ずかしいという気持を知らないのと、親の庇護にあるために、絶大な自己愛=自信を持っているからです。この時期の子どものことを、”無敵神話を持っている”と言います。

それと同じことが若い男性…特に10代の…に起こるのだそうです。
 

一般に、子供の自己愛は、親の愛によって、必要サイズ、最適サイズ、よりは大抵は、拡大しています。

一般に、あれ、世界は俺中心に動いていないな…と、そのことに気が付いていくプロセスが、大人になるプロセスとも言いかえることができますが… そのプロセスで、男の子は、

 無敵神話によって、結果も顧みず、危険な行為に熱中する(P119)そうです。

喫煙、飲酒、ドラッグ、避妊しない性行為、エクストリームスポーツ、危険運転、犯罪…

 

成人に迫った彼らが自信を持つため

 

でエクストリームスポーツに挑むのだそうです…。 
 

なんだ…。クライミングの”挑戦”は、そんなしょぼい理由だったのか…。(ガッカリ…)
 

■ クライミングで自信をつける必要はないような人がクライミングをするのは、”楽しいから”以外、理由がないですよ?

当然ですが、一般に大人で趣味でクライミングを始める人は、クライミングでエクストリームに迫って自信をつける必要自体がありません…。人生を生き抜くのに必要な自信は、すでに他で持っているでしょう…。

38歳で雪の山をスタートした私が山を駆け抜けた理由は、そんなものではありません…。

ホメオパスの由井寅子先生が、レメディ用の水を求めて、各地の霊山を回っているようですが…すごく意味が分かります。

しっかし、それにしても、えらい残念な理由だったなぁ…結局のところ。

私も3歳のころ、親の目を盗んでパン屋にゆき、いつもは車で行くような遠いパン屋だったので、母親をビックリさせたことがありますが…。同じだったとは…。

この書籍に書いてありました。

『結局、自分のことしか考えない人たち』

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2022/07/18

【実力の客観視】現実認識力を持とう。足るを知ろう。

足るを知るが今日の仏教説話。
 
日本のフリークライミングは、一般に”足るを知る”を、否定するので嫌いです。
 
世界のフリークライミングでは、グレードは目安で追い求めるものでもなく、5.9以下はクライマーじゃねえ!とばかりに見下すものでもありませんでした。
 
5.9以下はクライマーになるところの人だというのは、誤った認識であり、登りたい気持ちがある人は皆クライマーだし、ビレイの技術や危急時の登り返しなどがクライミング技術で、ムーブの事ではないですよ???
 
誤解が深いのが日本のフリークライミングで、命知らず自慢と仲間切り捨てに陥っています。
 
仲間が怪我をしても、岩場に置き去りとか、電車乗せて自分は岩場に帰ってしまうとかそんな心の無いクライマーばかりでゲンナリです。
 
■ キリがない上昇志向
 
5.9が5.10へ、5.11へ… なんか皆の間では、5.12まで行かないとクライマーじゃねえ!という”常識”が形成されていそうですが、グレードの追っかけ、は、私嫌いなんです。
 
■グレードに囚われて登る弊害
 
 1)プロセスが楽しめなくなる 
 
易しいグレードしか登れないときに初級ルートに行けばギリギリ感があって楽しめますが、そのギリギリ感がなくなってしまうと、つまらなくなります。知り合いの山やで、デナリですら、ギリギリ感がなくなり、楽しくなくなった人がいます。
 
2)お買い得品を追い求める
 
お買い得品=ホントは5.10cなのに、5.11とグレーディングしてある、みたいなことです。お買い得品を求めるのは、見た目のグレードを求めるからですが…、お買い得品と本人は分かっているので、真の自信にはつながりません。
 
アイスのコンペで国内5位でしたけど、7人しか成人女性の参加者いないんで(笑)。真ん中より下じゃん?
 
3)中身が平板
 
俺、5.12トライ中だぜ~という男子は何人も知っていますが、OBGで知られる矢筈岳のマスターズルーフの1ピッチ目って、5.9とグレーディングされた実際は10cらしいのですが、2時間半くらいリードするのに時間がかかり、しかもエイドまで出していました…つまり、RP出来るグレードとスイスイ登れるグレードの差が… 本人も「ナインでも返されるときがある」と言っていましたが、昔の人の間違ったグレーディングによるところだけではなく、現代の登り方がグレード追求型だから、内容が伴わないで見た目のグレードだけが上がっている、ということが誰にでもよく起こるのだと思います。
 
今まで組んだほとんどの男子が、自己申告するグレードを外では登れません。ものすごく限定された得意技に特化した能力、だと、根本的自信、根本的能力開発、につながらないのでは?
 
例えば、エイハブ船長1級が登れるもん!みたいなプライドはあまり意味がないかもです。
 
4)登れない人を馬鹿にするようになる
 
たぶん、自分に自信がつかないためと思いますが、登れない人を馬鹿にするようになります。
 
前に、昇仙峡のクラック10cに取り付いた時、そこ私はフィスト2か所しか決まらず登るのエイドなら簡単だけど、フリーということだとだいぶ難しかったのですが… そういう相手方の事情は分からないらしく、怒っていましたけどね…。その人には優しいので。
 
若い男性が5.13登れるのは、ジムが普及した昨今、結構、”普通”です。同じ能力や成長スピードを41歳スタートの人に求める方が、”異常”、です。
 
■ そもそも、永遠に成長なんていうことはない
 
子どもはリニア(線形)に成長できますが、大人になってリニアな成長曲線を描くことはないですよ?
 
それをやったり、相手に強いたりすると、体が壊れますよ。下手すれば相手を死に追いやります。
 
その上、真理という意味からも永遠の成長などというものはなく、例えワールドカップで優勝した人ですら、年を取るわけです。つまり、能力は下るわけです。
 
最初からもっともっと!を求めるのは、それが合理的で楽しいと感じられるときのみで、大人からスタートしたクライマーのクライミングライフは、最初から
 
楽しむこと
 
を主眼にするべきだと思います。
 
ラオスでは、ほとんど全員がそのような主眼でクライミングしていましたよ? ほとんどのクライマーが大人になってからクライミングに出会っているのですから、そりゃそうですよね?
 
■ 誤解に基づく ”俺だって偉人伝に加われる!”思考 

南裏さんの幼馴染だった外山さんが今登れるのは、今では5.10bくらいだろうな~とか、言っていました。
 
私の師匠の青木さんが登れるのも、せいぜい11マックスくらいで、楽勝なのは、10b程度です。
 
子供からやっているクライマー(外山さん)、登山学校の校長先生(青木さん)で、そんな調子の話なのに、38歳から山、41歳からクライミングやっている私に、5.12求めて頑張れって…できないからってクライマーじゃねえ!って否定するのって、なんか、そっちのほうが現実認識力が欠如していると思う。
 
私が、41歳でフリーをスタートして、数年でインスボンに行き、小川山の10cの有名スラブジャーマンスープレックスを登れているのは、えらいスゴイことですよ。ホント…。
 
男性のみなさんの体力や腕力私にはないですからね。スラブだってチビには不利ですよ?
 
■ 不毛な戦い
 
大体の人の申告する5.12って、瞬間風速って話です(笑)。
 
以前、年収バージョンで同じことをやってみました…。”もっともっと”を他者承認を求めてやるってやつ。やってみた。年収500マンになれば認められるか?年収800マンになれば認められるか?やってみたけど、高収入になれば出ていくお金も大きくなるだけで、別に幸福度は上がりませんでした。
 
プログラマーで個人事業主となり、通訳時代と比べて、年収は3倍になったんですが、つまり、やってみて達成したけど、別にああそう、という感じで、何もいいと思わなかったんですよ。
 
自分は何が欲しかったのだろうか?母の夢を追っていたのだろうか?と逆にむなしくなったくらいな話で。愚かだな~と思っている行為を、私が繰り返なさいからって、クライマーじゃねえ!とか、否定するの、やめてほしいなー。
 
人には人の生き方があるものです。
 
青い鳥を追いかけて見果てぬ夢を見るだけが、人の人生ではないです。そういう人生ではなく、今ここに満足する充足の人生のほうが私が生きたい人生です。
 
全員が自分と同じはずだという幻想の上に男性のクライマーたちは行動していると思います。 クライマーとしての名誉を求めるってことですね…。名前を知られるクライマーになる、岩場で皆が避けてくれるクライマーになる。大会で一位になる。承認欲求の行動原理ですよね。それはそれで認められていいですが、他者に同じものを要求するというのは間違っています。私は、あなたに承認されるために生きているわけではないので。なんでそうなるのかなぁということが九州では多かったです。

例えば、届かない支点にクリップしないといけない場合、女性や背の低いクライマーは核心ムーブをこなしてから、クリップです。男性クライマーは、そこはかけてから核心ムーブができるから、別に何も怖くないです。
 
その差を理解できずに、他者をチキン呼ばわりしている男性クライマーが多すぎるように思います。
 
そして、チキン=クライマーじゃねえというわけです。しかし、リスクをとっていない度を冷静に見ると、言っている本人の方が取っていない。

ビレイも同じで自分が提供しているビレイが、しょぼいことに気が付いていない人多いです。びったんこビレイ満載です。

私は軽いクライマーなのに、ビレイに1分も座っていなくて、じりじりと下がってくるなんて…。握力あんの?やる気あんのか?って感じでした…。
 
欧米では見かけないような、自己愛の肥大した人が日本人クライマーが、たまに混じっています。おそらく、母子密着型、言い換えれば、父親不在家庭が増え、母親が何に対しても息子に合わせてくれる…40代の母親が10代の息子の荷物を持って山道で息子の跡を走り回る…という生育環境…例として、です…が、このようなクライマーを作り出しているようで、昨今、環境因子で、仕方ない面から、増加傾向にあるばかりか、助長されています。それは、コーチ職の人が、グレードで若者にひれ伏すことで、増長させています。
 
子どもはバカなので、そうか5.13が登れたらえらそうにしていていいのか、と思ってしまいます。実際は、親のすねかじりのねんね、です。ガス代、電気代、食事、住居、そして社会保険のすべてを払えるようになってから威張ってください。一体コーチたちはどんな教育してるんだ?ってことが多いです。
 
教育者がしないといけないことは、グレードで人を差別して見下す態度を肯定することではなく、その逆ですよ? 技術も伝え損ねているようで、2年やってもトポも持ってこないとかです。
 
大丈夫なんですか?と心配になる有様でした。
 
子供は、親に愛されることで巨大な自己肯定感、言い換えれば自己愛を持ちますが、健全な大人は、その自己愛が客観視によって否定されるものです。中学高校大学当たりの思春期の人は、親によって肯定された巨大な自己愛が否定され、自分も人類の普通の人の一人にすぎず、みな平等なのだと理解する時代ですよ?
 
偉大な人は他者の権利を侵害してもいい…というような歪んだ自己愛を改めるのが、そうした時期の役割なのに、クライミングさえ上手なら何でもいいとばかりに、ほめちぎっていたら、お年寄りやホームレス狩りをするような大人になってしまいます。 

そうならないでも、自分の狭い特権エリアにとどまって、そこにいれば尊敬されるから楽だから、という理由で、ある種の引きこもりになり、岩場の私物化が始まります。
 
そんなオジサンクライマーが一杯いて、山岳会を私物化していることが、山岳会衰退の理由ですよ。嘆いている場合ではないです。
 
クライマーだから社会適合者でなくていいという時代はもうとっくに終わっているんですよ。
 
世界的なピオレドール賞受賞クライマーであっても、子供もいて、家庭も持てる時代です。5.9がスイスイ登れたら会で尊敬され、5.12が登れたら神だった時代の感覚のまま、40mランナウトを若者に強いるのは、たとえランナウトを妥協して20mにしたところで、時代錯誤という本質は変わりません。
 
時代にあったクライマー育てをしましょう。昨今は38歳で山をスタートした人でも、普通に3年、4年修行していれば、甲斐駒に厳冬期にソロで登れ、阿弥陀北稜くらいは、初見でも単独で済ませられ、海外も、一人で行かせても別に死なない時代ですよ。なんせヒマラヤだって、普通の人が普通にハイキングで行く時代なんですよ? 

一方、トップクラスの登攀は、レベルがけた違いに上がっています。そのことが分からない山岳会のリーダークラスは、会で一軍だ、とおもった若い男子にお前にもできるはず、なんて、自分の若い時の常識を伝授したりしてしまいます。
 
それは、大企業に勤めていれば安泰だ、というのと同じくらいに陳腐化していますから(知らない人のために言えば、転職回数がゼロ回の人ほど、危険と業界では言われています)。
時代錯誤のクライミング観では、レベチのルートを若い衆に進めてしまいます。
 
牛のしっぽとなる能力の下限は、5.12がスイスイ登れる、40kgが楽勝で担げる、です。

たぶん、昔のすごい人も凄さは同じくらいだったんだと思いますよ?
 
例えば保科さんとか、南裏さんとか。そのレベルに行っていないのに行っていると勘違いしているのが、よく見る現象…俺だって…です。
 
              オンサイトしたデゲンナー
 

2022/07/17

山岸尚将さんのブログ

https://ameblo.jp/y-naomasa/entry-12753120931.html

こちらのワイドの著名課題、不動の拳を登ったいきさつが書いてあります。ぜひおススメ。

最近はクラック人気らしくて、カムは環境に悪い、と言っている人もいました。

ボルトルートに使う金属量とクラックのクライマー全員のカムに使う金属量では、どちらが大きく、どちらが環境に悪いのでしょうか?

私の友人の一人は、ワイドにハマり、海外のバカでかいカムを個人輸入で取り寄せて、それが新妻へのプレゼントという…ステキなワイド夫婦がいますが。

この記事を読んで、

相手が登りたいところを登らせてやるのが愛

だよなぁと思った次第。

そう言えば、スティーブ・ロング氏にも、

「代わりばんこクライミングではないような男は、さっさと捨てなさい」

とアドバイスされたんだよなぁ。

スティーブは私の父親代わりとして登場した人なのでしょうかね…。 

■ ご神体の岩に登る作法

ちょっと話はずれますが、那智の滝、とまで行かなくても、日本では、神さまと崇められている岩や壁を登ることはあると思います。

その際は、柏手をたたき、住所氏名を名乗り、「登らせていただきます」とあいさつして登るのが、正しい作法だそうです。

韓国のインスボンは、山自体が岩山で、岩登りしないと到着できない山頂があります。

そして、毎朝、オモニがお寺で祈祷を上げています。そんなにしても、インスボンでは事故が絶えず、ヘリが飛ぶため、ボルトはランナウトを避けて整備されるようになっていました。

           インスボンの白雲山荘のそばのお寺

インスボンでは、オモニが毎日祈祷を上げてくれても、イケイケ、オレオレの韓国クライマーたちの事故は絶えず…ということなのは、日本とは大して変わらないお国事情ということかもしれません。韓国のほうが血の気の多い度は高いですしね…。

神を冒涜していなければ、事故は起こらないと思うのですが。

アドレナリンジャンキーの山は嫌いです。

しかし、インスボンは、不思議と登らなくても満足した記憶が残っています。右膝脱臼直後に行ったので、ステミング不可能で、取り付いたもののすぐ降りてきて、下界では、パートナーの青木さんと喧嘩。私の怪我が大変なのに全く気づかいがなかったからです。

怪我した女性パートナーに無理な行動をさせようとする男性って、やっぱり男尊女卑と思いますよ?

男女入れ替えると、なんで、怪我している私が嫌って言ったことに怒るのか分からないですもん。

山岸さんバージョンの男女入れ替え思考実験はここです。

https://ameblo.jp/y-naomasa/entry-12739357751.html

”女は、おれの言うことを聞くべきだ”、っていうのは、今の時代ないですから!

たとえ、自分より下のグレードしか、その女性が登れないとしても、です。

時代錯誤は改めましょう。

2022/07/15

嫉妬じゃなく庇護欲だったのかも?

■嫉妬じゃなく庇護?

しばらく前のことになるが、師匠の青木さんが、私のパートナーを全員否定するので、困ったことがあった。
 
かっちゃんと組むと”あいつはやめとけ”。くまちゃんに落とされると、”だから、(アイツのように)すぐ落ちるクライマーは俺は嫌いだと言っただろ”。…と、散々な対応で、そんなこと言ったら、組むやつ居ないじゃーん!となりました。
 
私は青ちゃんと会う前から大学生のO君と登っていたのですが、だいぶ指導をがんばりましたが、つまり可愛がりましたが、「あいつはムーブをひけらかすばかりだ」と、最終的にはやっぱりNG判定。
 
韓国でも、ファン君が山岳博物館に誘ってくれたら「あいつは手が早いからダメ」。
 
もうね…、誰と組めばいいんです?みたいになっていて、私が連れてくる人全部にダメだしでした。
 
九州で組んでいた荒木さんは、山梨時代はほとんど一緒には登っていません。アイスの友で、フリーでは意見が合わないというか…行きたい場所が違い過ぎて、合わないということでしたし、彼は、山梨アルパインクラブで一番死に近い男、と言われており、私なんて先輩からすら、”どうぞお気をつけて”と言われる相手だったので、できれば、優先度で言えば下、だったのですが、九州では、消去法で行くと、安全度をランキングしたら彼しかいなくなりました。米澤先生とは、互いにトップロープフィックスでバンバン登るほうが時間有効活用だよね~みたいな仲でした。RP型のグレード追求型の登りは嫌いだったからです、二人とも。
 
荒木さんは、私を初心者時代から知ってくれている先輩ですが、山梨アルパインクラブは別に山岳総合センターと違って体系的に山の技術を教える場というわけではないので、経験蓄積量はそこまで貯まっていなかったらしく、10年以上山をやっていても、マルチに行ったら、ロープアップされないとか…懸垂すればロープが足りない、とかなのでした。基礎的なことが欠如している。どこの会でも指導力不足なのです。
 
それで、青木さんにみっちり指導してもらおうとインスボンに連れていく羽目になったんですが、青木さんのほうは別に彼と組みたいわけじゃないですよねぇ…。しかも、私は膝を亜脱臼した直後で登れない。にもかかわらずこの機会を逃したら、一生二人が互いの登りを見る機会はないだろうと思い、無理して行ったのです。
 
ただ、せっかく無理したのに、先輩の荒木さんは、青木さんのリードの美しさに理解をすることなく、ただふつーに登れて楽しい!ってだけで、ロープワークの美しさを学習しなかったっぽいです…残念。
 
米澤先生にしても、青木さんにしても、往年のクライマーのすごいところは美しいロープワークとあっと驚く素早いロープ操作です。ロープをまとめるなんて気が付く前に終わっている。だから、一緒にて、ロープがジャムって大変とかないです。そのために時間がかかるとかもないです。
 
初心者クライマーと登ると、しょうもない理由で夜になります…。
 
荒木さんのように初心者はとっくに抜けてクライマーとも、下手したら夜になりそうです…。
 
話がずれてしまいましたが、師匠の青木さんが、あいつはダメこいつはダメというのが、超めんどくさかったですが、色々考えると、男性同士だけに
 
男性の基本的行動原理が、(カッコいい俺優先)で、(安全後回し)
 
ということを男性同士だけに分かっていて、”娘代理”のような私を父親のように守りたかっただけかもしれません。
 
そういう意味では父親に愛されて大変だった記憶になるのかも?

父親知らずで育った私には、行動の理由が分からなかったのは、父親の愛が現実の行動に落とし込むとこうなる、ということが感知できなかっただけかもしれません。
 
■ 会の人がみんな危ないビレイヤーだった
 
というのは、山梨アルパインクラブで、自分の女性パートナーを会の男性たちとは人工壁ですら組ませない会長さんがいたからです。
 
理由を聞いたら、”(そのパートナーに)怪我して欲しくないから”と。
 
この返事を聞いたときは、”え?私はその会の男性らと組んで、人工壁バンバン落ちているんですけど!”とビックリして、会長ですら、信用していない、みんなのビレイに身を任せて、落ちている自分の不覚に気が付き、さっさとそこには行かなくなりました…。
 
しかし、この事件はよく覚えていて、ほとんどの初心者男性たちの安全に関する信頼度は、ちゃんとした人たちから見ると、かなり低いということです。
 
私自身の経験から言っても、初心者男性の危険認知力は、かなりヤバく、人を殺してもきょとんとしてしまうレベル感です。実際、そのような段階のクライマーに落とされて頭7針縫っていますし…。(彼は今は反省して良くなっています。私が人身御供になったということです)
 
■ 実力を冷静に見極められない人たち
 
初心者クライマーは、別に人を下に見ているわけではなく、自分の命の扱いも、ぞんざいです。
 
ロープなしで北鎌尾根で落ちるようなレベルで、アチコチ行きたい人(福岡の会)とか、読図もできないのに、アルパインに進みたいとか、フリークライマーに見下されている私ですら登れるようなところにも登れないくらいのスキルでルートに行きたいとか、セカンドの確保法も知らないままにマルチ行きたいとか…ボルダラーですら、3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいとか、
 
 (自分に要求するレベル)と(実力)の乖離
 
がものすごく大きい。
 
 (俺にとって簡単に出来ると思っていること)と、(実際の実力)が、違いすぎる
 
のです。 ある意味、自己肯定感強すぎ。

しかも、教えてやると、逆ギレ、です。そんなことはない! 俺だって!と思ってしまいます。
 
その根拠は私が行けるくらいなことは俺だって、と当然のように思うわけですが…、夫の元君ですら、わたしよりうんと体力ありますが、彼は私が登れるところ登れないですよ…。
 
そして、大体は、誰かに連れて行ってもらえれば目標は達成できる、と考えていそうです。
 
逆に返せば、連れて行ってもらえる女性はいいよね~、とか思っていそうです。私の青ちゃんとの記録や米澤先生との記録を見てもらえば、分かりますが、連れて行ってやっているのは、どっちかと言えば、私ですよ??
 
私もよく、初心者に ”連れて行ってください!”と言われますが…。ちゃっかりしすぎではないでしょうかね?
 
それだと、”おねだり””暗記”で、ルートをこなす、という意味で、暗記にも経験にも頼らないことを良しとする、オンサイト、という価値観、度外視ですから。
 
ほんと初心者君って分かっていないですから…。その上、他力、です。おべっか使えば、連れて行ってもらえるとすら、思っていそうな気配がある。
 
・ジムで5.11が登れても、外岩に出たら、5.9も登れないですよ? 
・ボルダーでエイハブ船長1級が登れても、リードだと5.9はできないですよ?
・根子岳みたいな脆いところに行くための、安全対策ってそもそも存在しないですよ?
・いくら登攀やビレイが上手になっても脆い岩の対策にはならないですよ?
・2段をノーマットで登るには、マットアリなら5段くらいが登れていないといけないですよ? 
・コーチみたいなエリートビレイヤーにビレイされて、いくら記録的な課題が登れても、雪稜では気象知識や生活知識がないと、遭難ですよ?
 
その辺を誰か心ある男性が言ってやらないと、女性の私がいくら言っても、男性は深層心理で、男尊女卑なので、誰も聞きません。
 
それは俺の事じゃなくて、女性の体力のことでしょ!とでも、思っているのかもしれませんが、そうではなく、必要なスキルや知識が何なのか?ちゃんと理解するおつむが足りていないだけなのです、ほとんどの場合。
 
なんせ、私が初見ソロで行くようなところも、7人でつるんでも遭難していますから。(阿弥陀北稜)
 
誰かちゃんと説明してやってください。現代のツヨツヨエリートクライマーの方。
 


 

2022/07/12

那智の滝の思い出

■ しばらく旅にでていました♪

今回の旅…は、那智の滝という切り口で見ると、私の本格的がつく登山の歴史…この10年をを振り返るような…そんな旅になった。

夫の仕事の都合で山梨転勤になり、時間ができたので、余暇に雪の山に行き始めた。すると、私自身にとって、全く危険がなく、ゆとりで登頂できるような山すら、”危険だ、危険だ”との大号令で非難された。そんなに言うなら…と言われたとおりにする=ツアーに参加する、と、結局、何も得るものなく、大枚を取られた。例えば、厳冬期のしらびそ小屋に行く程度で8000円とか。そんな山、朝飯前すぎてツマラナイ。どこが危険なのかもわからない。4歳児でも行けるよ?

とはいえ、ピッケルの使い方は知りたくなり、きちんと分かっている人ということで、三上ガイドを紹介され、教えを乞うことになったが…それで知ったのがアルパインクライミングの世界だった。

時は、2012年の7月… 那智の滝事件が起きた。

いたずら?(笑)した側の言い分は、ここで読める。

https://www.excite.co.jp/news/article/E1460910422329/

私は大阪時代は、山登りというのは老人の趣味だと思っており、別に興味がなく、山梨に来て雪の山だけを登っていたので、当然だが、クライミングにも興味がなかった。そんな中で三上ガイドに会ったのだが、様々なご縁があって『八ヶ岳研究』は好きだった。『北八つ彷徨』とか、そういうのが好みなんです。つまり、まったくアルパイン派ではなく、逍遥派。

その状態で起きたのが那智の滝事件でした…。まぁ、正常な社会人の私の目からは、完全にアウトでした。

ただ、三上ガイドが、やたら佐藤祐介さんを羨ましがるのが、不愉快だった。なんで私に言ってくるんだ、って感じで。そんなに羨ましいなら、自分もやれば?みたいな。まるで、私が三上ガイドを佐藤祐介にしてやる義務があるかの如く、俺だって!と主張されて、当時ホント謎だった、です。

現在は、私はアイスもフリーもひと段落し、ミックスの入門ルート(M5)も登った経験があり、フリーでいいなら海外でも一人で行ってパートナーを見繕って登れるので、その深まった知識を持って、過去の三上ガイドの行動を判断すると?

三上ガイドが、”時期とチャンスさえそろえば、俺だって佐藤祐介になれた”という気持ちは、まったくの無知に基づくもの、に過ぎない。と分かるようになった。

だって三上ガイドは、5.9でもやっとか11程度の登攀力しか、もはやないと思うからだ。一昔前の山岳会のリーダークラスの標準的な登攀力は、5.12がRPできるレベル感で、それは、5.9がリード確実で、5.11までは、ほぼ落ちないというレベル感のことだが(=中山尾根がリードできる)、それは過去のトップクラス。

現代では、5.12がフリーソロ、つまり、一昔前の5.9並みということなのだ…。そのレベルを、標高5000、6000に持って行っているわけで、登山から離れて10年のギャップがあった人には、佐藤さんの偉業の内容が全然伝わっていなかったからこそ、

羨ましい

という気持が湧いたのだと分かる。俺だって、と思う気持ちは、スキルレベルのけた違いの違いが理解できないからこその、羨望であり、俺だって、の気持ちだ。三上ガイドは逆立ちしても、スーパー赤蜘蛛フリーソロはできないだろうし、パタゴニアや黒部の登攀だってそうだ。

きっと全国の山岳会で同じような現象が起きているのだろう…。つまり、昔のリーダーの基準で、リーダークラスと判断された人を、世界のトップクラスの人がやっている登攀に、「お前だって出来る」とけしかけてしまうようなことだ。というのは昔のリーダークラスの人が、もはや現代のトップレベルのレベルが理解不能だからだが…。

どうも昔の山岳会は全国で、似たり寄ったりの実力だったので、あいつらがやれば、うちらも…、みたいなのが普通だったらしいんですよね…。 その感覚が抜けないだけみたいですが、現代でそれをやると、未熟なレベルで、高度な場所に取り付いてしまい、理解力がある人からはバカに見える(例:ネット中継でエベレストで死んだ人…名前忘れた)

■ ”レべち”を理解されない苦悩

レべちというのは、”レベルが違いすぎる”という意味です。

那智の滝を登ってしまった佐藤さんらの苦悩は、日本の山岳社会が、レベチを理解しないという苦悩だと思います。

いくら、スポンサーを貰ってもスポンサーシップだけでは、遠征費用に足りないのではないかと思いますし…。

世界の一流クライミングをしている人たちも大変なんだなーって生活を見ていて思います。

そこで苦肉の策で出てきた那智の滝なのではないか?と思いますが…真相はどうなんでしょうね。

■ ボロ壁だった…

今回、那智の滝を生で見る機会が出来て、あの壁をクライミング的に、”ステキ!登りたい!って、一般クライマーにはないな~”と思いました。なんか、行縢のボロ壁みたいな感じだった。

一般的ではないちゃんと5.13が登れるフリークライマーにとっても、脆くて登攀価値なさそうだった。

まぁ、アルパインの人もフリーの基礎力が上がってしまって、たいていのボロ壁はこなせるレベルになってしまったってことなのでしょうか…。

どの程度が登攀価値がないボロ壁か?という判定も、昔と今では異なってしまったのでしょうか…。

現代のスキルアップした登攀力を持ってすると、相当なボロ壁まで登れてしまいます。

■ 行縢

行縢に行ったときも、この壁をステキ!登りたい!と思うのか、自分に問うてみましたが、私にはないな~と思ったので、マルボーさんとか、ちゃんと開拓してくれていて、ホントえらいよな~!と。しかも、売名行為はしていないし。ほんとうの実力があるってことかな。

行縢は、最近、開拓されて、一般クライマーが楽しめる5.11レベルのマルチができました。

一般クライマーでも、11のクラックが登れる現代…。昔は5.9とか、10代がそうだったのです。

■ 熊野古道

那智の滝より熊野古道を歩きたくなりました。

今回出会った外山さんは南裏健康さんの幼馴染でしたが、那智の滝に登ったことについては、はっきり反対していました。

私の感性からも明らかすぎるくらいに失礼な行為で、当時、アルパインクライマー業界は謎だな~と思ったのでしたが、フリークライマー業界では、クライマー側をサポートする意見が根強く、クライミングのためなら、社会規範や人の気持ちを踏みにじっても良い、と考える、極端なクライミング原理主義が根強いです。

その中で、健全な心の人に会えたのが良かった。外山さんはフリー全盛になってクライミングがつまらなくなり辞めたそうですが、山でクライミングをスタートした人からは良く聞く意見です。たぶん、私もかも、です。

日本のフリークライミングの世界観に魅力を感じたことは無いかもしれません。

ラオスのフリークライミングの世界は好きだったのですが、それは、あまり男の意地とか、プライドが関係ない世界だからかも。ラオスはとにかく楽しかったですね。クライミングしていれば、安上がりに楽しめるので、エコなスポーツだと思います。登山と比べても、自然界に与えるインパクト小さいし。

好きなのは、アウトドア活動、であって旅であり、クライミングではないかも。

■ フリークライミングの旅終了

アルパインをするにも、フリーに専念しろ、と言われ、そうか、とやってみたのですが…成果のほうですが、”散々”と言うグレーディングが正当なのではないでしょうか?

白亜スラブの記録を見ても、殺されかけてる…(汗)。

まぁ、たぶん、フリークライミング界でまっとうな人と繋がり損ねてしまっているのかもしれませんが。

気に入ったのはラオスのクライマーの世界観。つまり、ドイツのクライミング観。

日本国内のクライマー感性とは私は全く合わないです。もう目も当てられない。粋がりと男性性礼讃主義で、師匠の青木さんなどは、私のパートナーを見て、アイツ、ホモなのか?とか、私に聞いてくるほどでした。

そんな男性性PRでいっぱいいっぱいの人に付き合って終わった、私のフリークライミングの歴史…

ある意味、面白い旅だったなぁ…。 

ある意味、戦後の日本は父親不在の家が増えて、世の中の男性は女性の愛し方を教わらなかったのかもしれません。 こちらが今回出会った旅で見た光景。女性として羨ましい限りでした。

■ マーク・アンドレ

最近、映画の”The Alpinist”というのを英語版で無料で見ました。偶然、私のネットに現れたので、神の思し召し…

いい映画だったんですよね。

私は、バカみたいな、犬死に反対しているのであって、山での死を全否定しているわけではありません…そこが九州の人には伝わらない。

九州の人というくくりが悪いかもしれませんが、私が見た限り福岡の歴史ある山の会の人でも過去にとどまっており、到底、自慢するレベルにないレベルで、イケイケをPRする場になっている…大阪の人もそんなところあります。階段10段飛べるほうが、5段しか飛べないより偉いみたいな…。子供っぽいところって意味です。

そこがどうしても九州人には分からないらしくて、本州や北海道の山などで遭難者を出しているのも、九州のツアーが目につきます。ある会では、北鎌尾根程度で死者を出していました。会山行で、ですよ?ロープを出すということを覚える前に死んでいる。

九州では明らかに入門者にロープを出すレベルのところで出さないです。(どの時点でロープを出すべきかは、クライミングをやっていない人とやっている人、山岳会レベルでは違います。私は初心者をガイドできますが、自分が歩くときは山岳会レベルでしかロープ出しません)

九州は暖かくて山のリスクがある山が皆無だから、リスク感性は身につかないということだなぁと思いますが、本人が気が付かない、見えないものをいくら、見えている人が言ってやっても、同じなんですよね…

つまり、三上ガイドが佐藤祐介さんを見て、”俺だって”と思ったのと同じ構図なんです。

■ 俺だって型ギリチョン

”俺だって”と思うと、ついギリチョンをやってしまいますよね…。

そういえば、三上ガイド、シュラフ忘れて北岳行っちゃったことがあったなぁ…。

あれは、花谷康弘ガイドが女性の登山者を連れてマンツーマンで北岳へガイドで登ったのが羨ましかったのでした…それで、”俺だってこの程度の山、個人ガイドできるぜ!”ということを示すために行ったら、なんとシュラフを忘れていくことになったのでした…

私の夫も、よく俺だって型アウトドアをやります。突然10㎞マラソンに出たり、元君ともたまには遊ばないと、と思って出たオリエンテーリングの大会で、夫婦の親睦がテーマなのに、勝つために一人で出たいと言ってきたり…と、それは、自分のレベルを客観視できず、俺だって、とプライドがもたげてしまうからです。

体力自慢やイケイケ自慢のプライドで、アウトドア活動しなくていいですよ…何しろ、楽しくてやるのが趣味なのですから。

私が行く沢や雪の山、あるいはクライミングが可能なのは、体力や登攀力の問題ではなく、単なる理解力の問題です。沢も理解力の問題だし、ビレイの上手下手は、知性の問題。海外にクライミングに行けるか行けないかも、能力の問題で、勇気の問題ではないです。

能力の問題は、スモールステップに分解すれば、対処可能です。

つまり、誰でも私がやっているようなことはできるということです。羨ましがるに値せずです。

■ 頑張る方向違い

つまり、頑張る方向違い、ということなんです。

山岳総合センターのリーダー講習では、春山の雪上訓練は、宿泊はビバークを兼ねていますが、男性たちの参加者は、GWの春山なのに、分厚い厳冬期用シュラフ… 贅沢な甘ちゃん仕様。ちゃんとツエルトだけで過ごした人は私だけでした… 

男性が頑張らないといけないのは、どちらかというとそっちです。自然界への対応力を上げる方。歩荷力なんて、何もしないでも、女性より上、です。

まぁ、フリーの世界は、担がなくていいから楽できて、それで難しい課題に力を振り向けることが可能なわけですが… 17kgしか担いでいないワタシより歩けない男性と組まないといけないとなると、ただでもアウトドアでは弱者の私に負担が来ることになり、死へまっしぐらかもしれません…

アルパインをやっていたクライマーの間では、ボチボチやるフリーは老後の愉しみ、みたいな感じです。



2022/07/11

クライマーのゲストハウス理想

クライマーゲストハウス理想

伝統と多様性
・日本の古民家利用で、
・ダーッとフラットなベッドをラオスのように並べてある男女混合ドミトリーと
・FUTONのお部屋(個室)と
・テント泊のお部屋と選べる

最新のクライミングカルチャー
・カルチャー的には、欧米の最新のクライミングカルチャーで、
・つまり、師弟制度で登らず、
・つまり、リードは強要されず

安全
5.9のルートは、5.9を限界グレードとする人のためにボルトが整備されており、
・アンカー強度はUIAAスタンダードで、
毎年、定期的にボルト腐食のチェックがされて、それがエクセルシートで最新版が提供されており、
・常駐クライマー(米国の有資格者)がいて、メンテに熱心で、

学べる
・年配のクライマーが常駐していて、
・アルパインもフリーも入門者はリクエストに基づき手ほどきが受けれて、
・行けば、年中ぶらりと一人旅で来たクライマーがパートナーを求めてうろついており、パートナーに事欠かない。
・課題はやさしい5.2からで子供でも登れる。
・が、高難度課題もある。
・読書室には山とつまれた日本登山大系と岩雪全巻。山書コレクション。
・つまり、クライミングの情報発信と教育の場。
・テレビはない(交流促進のため)

地域の特色を生かす
・食事は地元のおばちゃんが郷土食を提供してくれて、
・素材は近所の畑で作った自然農の食材で 売れず捨てられるようなもの
・地元の人にも観光収入をもたらしてくれると感謝されている。
・廃材や貰い物でできている
・子供がぶらりと遊びに来て、様々な年齢層の大人に触れることができ、
・お腹のすいた子はお腹を満たし
・そして、大人は年を取ることが恐ろしいことでなくなる。
・ニワトリ、犬、猫、を飼っている。

ドネーションをベースとする
・常においしいコーヒーが飲める。
・飲んだコーヒーとビールは、ボルト基金になる。

交流
・異文化交流も好きならできて
・英語も自然な形で学べる
・世界はフラットで、人類は皆兄弟だと感じることができる

外の世界へのゲートウェイ
・海外に登りに行きたい人には、自然な形で訪ねるクライマー仲間ができるクライマーのネットワークハブで
・クライミング留学のあっせんも可能

そんなゲストハウス。
■ 参考記事
ラオスの記事(英語)
ラオスの記事(日本語)

あったらいいな!




2022年7月9日 「アベさんに対する銃撃について思うこと」 小出 裕章



このような記載が回ってきたので、転載します

ーーーーーーーーーここからーーーーーーーーーーーーー




「アベさんが銃撃を受けて死んだ。悲しくはない。」
下記は、日本の原発に何十年と警鐘を鳴らしてきた、小出 裕章さんの文章です。
まさに正鵠をついていると思います。
今回の事件を考える際には
是非、是非、一度、目を通してください。
……………………………………………………
2022年7月9日 「アベさんに対する銃撃について思うこと」 小出 裕章
アベさんが銃撃を受けて死んだ。
悲しくはない。
アベさんは私が最も嫌う、少なくとも片手で数えられる5人に入る人だった。
アベさんがやったことは特定秘密保護法制定、集団的自衛権を認めた戦争法制定、共謀罪創設、フクシマ事故を忘れさせるための東京オリンピック誘致、そしてさらに憲法改悪まで進めようとしていた。
彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争ができる国への道づくりだった。
 アベさんは弱い立場の国・人達に対しては居丈高になり、強い国・人達に対してはとことん卑屈になる最低の人だった。
朝鮮を徹底的にバッシングし、トランプさんにはこびへつらって、彼の言いなりに膨大な武器を購入した。
彼は息をするかのように嘘をついた。
森友学園、加計学園、桜を観る会、アベノマスク…
彼とその取り巻きの利権集団で、国民のカネを、あたかも自分のカネでもあるかのように使い放題にした。
それがばれそうになると、丸ごと抱え込んだ官僚組織を使って証拠の隠ぺい、改ざん、廃棄をして自分の罪を逃れた。
その中で、自死を強いられる人まで出たが、彼は何の責任も取らないまま逃げおおせた。
私は彼の悪行を一つひとつ明らかにし、処罰したいと思ってきた。
 私は一人ひとりの人間は、他にかけがえのないその人であり、殺していい命も、殺されていい命も、一つとして存在していないと公言してきた。
アベさんにはこれ以上の悪行を積む前に死んでほしいとは思ったが、殺していいとは思っていなかった。
悪行についての責任を取らせることができないまま彼が殺されてしまったことをむしろ残念に思う。
 多くの人が「民主主義社会では許されない蛮行」と言うが、私はその意見に与しない。
すべての行為、出来事は歴史の大河の中で生まれる。
歴史と切り離して、個々の行為を評価することはもともと誤っている。
そもそも日本というこの国が民主主義的であると本気で思っている人がいるとすれば、それこそ不思議である。
 国民、特に若い人たちを貧困に落とし、政治に関して考える力すら奪った。
民主主義の根幹は選挙だなどと言いながら、自分に都合のいい小選挙区制を敷き、どんなに低投票率であっても、選挙に勝てば後は好き放題。
国民の血税をあたかも自分のカネでもあるかのように、自分と身内にばらまいた。
原子力など、どれほどの血税をつぎ込んで無駄にしたか考えるだけでもばかばかしい。
日本で作られた57基の原発は全て自由民主党が政権をとっている時に安全だと言って認可された。
もちろん福島第一原発だって、安全だとして認可された。
その福島原発が事故を起こし、膨大な被害と被害者が出、事故後11年経った今も「原子力緊急事態宣言」が解除できないまま被害者たちが苦難にあえいでいる。
それでも、アベさんを含め自民党の誰一人として、そして自民党を支えて原発を推進してきた官僚たちも誰一人として責任を取らない。
もちろん裁判所すら原発を許してきた国の組織であり、その裁判所は国の責任を認めないし、東京電力の会長・社長以下の責任も認めない。
どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らずに済むということをフクシマ事故から学んだ彼らはこれからもまた原子力を推進すると言っている。
さらに、これからは軍事費を倍増させ、日本を戦争ができる国にしようとする。
 愚かな国民には愚かな政府。
それが民主主義であるというのであれば、そうかもしれない。
しかし、それなら、虐げられた人々、抑圧された人々の悲しみはいつの日か爆発する。
今回、アベさんを銃撃した人の思いは分からない。
でも、何度も言うが、はじめから「許しがたい蛮行」として非難する意見には私は与さない。
心配なことは、投票日を目前にした参議院選挙に、アベさんが可哀想とかいう意見が反映されてしまわないかということだ。
さらに、今回の出来事を理由に、治安維持法、共謀罪などが今まで以上に強化され、この国がますます非民主主義的で息苦しい国にされてしまうのではないかと私は危惧する。
2022年7月9日 「アベさんに対する銃撃について思うこと」 小出 裕章
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2022/07/02

ぬるま湯から出てバイタルフォース(生きる力)を感じたい=アルパイン

 ■ バイタルフォースとは?

バイタルフォースというのは、心臓が打ち続けているとか、思春期になれば性徴が出てくるとか、そのような、自分の中で遺伝子が勝手に時を刻み、命を生かしている力、のことです。

バイタルフォースは強い人と弱い人がいます。弱くなる活動と強くなる活動があります。

■バイタルフォースを感じる活動

日本のようなリスクゼロ型の社会で、ぬるま湯生活をしていると、自分の中のバイタルフォースは感じられなくなる = 生きる意味が分からなくなる。
 
生きる意味が分からない=今が面白くない、ということです。
 
何かに懸命な時、生きる意味を考える人はいません。クライミングで今にも落ちそうなとき、”わたし何のために生きているの…”などと、つぶやく人はいません(笑)。いたら、ギャグだな!
 
というので、クライミングは、基本、強制的に、
 
 今ここ瞑想
 
なんですが、問題点があって、それは、”今ここ”という価値観のダークサイドが、”逃避”であることです。つまり現実逃避。
 
山での死(アルパインクライミング)も同じですが、フリークライミングよりも死の香りはもっと濃厚です。フリーで死ぬ人は、ほとんどいない(ハズ)です。ちゃんとしたフリークライミングである限り。ほぼほぼ、安全。
 
一方、山だと、まぁ、最初から命の重さ=軽ーい感じです。
 
マークアンドレの『アルピニスト』では、まぁ、最初から、”この人、死にそうだなー”という感じです。フリーの岩場でも、フリーソロしている。
 
スイスのクライミングマシーンと言われたウエリが死んだときは、え?あの人不死身のハズでは?って感じでした。が、やはり人でした。
 
亡くなった後のインタビューによるとフリーのクライマーから見ると、やべ~って感じのリスク感性だったらしい。
 
杉野保さんは、城ケ崎の転落死ですが、後で知っている人からすると、彼もそこまで安全重視しているクライマーではなかったようでした。
 
師匠の青木さんは、ソロでアイスを登っていて、ロープ凍結により懸垂に失敗。腰椎骨折の大怪我をして、背骨に何本もロッドが入る始末になり、以来、ロープの凍結にはかなりうるさいクライマーになった時に私に会いました。が、やはりインスボンで、韓国人クライマーに登り方がダサいと言われて、自分のスタイルを変えてしまい、墜落。かかとを骨折。
 
ということで、どんな年齢になって、どんなに経験値が上がり、ヒヤリハットや大怪我で凝りても、”かっこよさ” が手放せない、そのカッコよさ=デスウィシング というのは、あるわけです。

それでも青木さんは自分に適用する基準を、私に求めてくることはありませんでした。そんなことしたら、私、死んじゃいますからね。

■ アルパイン=征服欲

アルパインの歴史は、人間が自然界を克服するためという、崇高な理念のためなら命をささげても良い、とされているように思いますが…。
 
日本の場合、それが超アホっぽい。命をささげるって言うより、自分が何をやっているか分かっていない段階で死んでる。『九州の岳人たち』には、そんな例がずらずら出てきますよ。
 
九州男児だけでなく、普通に、関東のアルパイン入門三つ峠ですら懸垂の失敗とかで死んでる人いますからね。
 
ガイドさんの講習に出ていても、それでもシンデマス… 保科ガイドは3人くらい講習生を失っていると思います。
 
クライマー本人が、自分で自分の命軽ーく扱っているということなんですが、そのことにすら気が付く知性ができる前の出来事っていうのが、かなり痛い点です。
 
マークアンドレは、確信犯だと思います。
 
吉田さんも猫が死んだとき、自分も死にたい、もうやることは、やった、と思った確信犯なのではないかと思います。
 
普通はマークアンドレみたいなのが、いやな人が来るのが、フリークライミングです。 
 
■  あるべきレベル
 
死ぬだろうと分かっていてもトライしていく山(アルパイン)は、私は肯定しますが、日本で、特に九州で、クライマーがやっているような、”お前、階段、何段飛べる?俺、10段”式の粋がり競争で、まだちゃんとしたクライマーと言えるような技術が付く前に、根子岳行って死ぬ、みたいなクライマーの死は肯定できない。ばかっぽすぎる。
 
せめて、38歳で山を始めたおばさんが登れる程度のM5のミックスルート昇天くらいは、オンサイト決めてから、死んでくれ。

        ラオスでくつろぐ新保ガイド クライマー老後の理想形か?

リスク感性を磨く




 

2022/07/01

初心者ほど海外で登るほうがレベルにあった岩場に出会えます

■競争社会の悪の本当のところ

は、一番になるまで承認欲求が満たされないということになると、人生のほとんどの時間を承認欲求を得るための努力に使ってしまうことではないだろうか?

例:国内でトップクライマーになったらヨセミテ行こう!とか、5.12登れるようになったら、ヨセミテ行こう!

1番になるまで競争しているだけに時間が延々と使われてしまい、物事の本質を極めるほうに力が向けられない。

日本人の大半が陥っていると思います。○○ができるようになったら、××しようというのを裏返すと、〇〇できるまでXXしないになり、出来ない言い訳と似てきます。これはバレエをやっていて気が付いた。

序列に並ぶことに一生懸命だと、これらの枠を信じずに生きている人がまぶしく、羨ましく、そして、やっかまないといけなくなります。

一番でもないくせにずるいという気持が生まれるからですね。

九州で受けた嫉妬はこれだな~と思います。別に5.9しか登れなくても、台湾もラオスも、一人で行ってもちゃんとパートナー見繕って登れますから、みなさんも枠にとらわれず、行ってください。


 

クライマー目線で見ても「ん?」となるような異次元の登りの『アルピニスト』

■『アルピニスト』
 
大分出身のワールドカッパーのギンちゃんが、こんなコメントしていたので、ほっとしました。
 
ーーーーーーーーー世界のギンちゃんのコメントーーーーーーーーーーーーー
カナダ人クライマー マーク・アンドレ・ルクレールを2年間密着したドキュメンタリー映画
彼の生き様に憧れと、どこか羨ましさを感じた。
 
登攀映像はクライマー目線で見ても「ん?」となるような異次元の登りをしています。
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そうなんですよねぇ…。
 
ミックスのフリーソロしていたりして、いや~と思ったりしました。私もM5ミックスの昇天まではセカンドで行っていますが…(2P目は楽勝でリードで来そうでした。アイスだったので)
 
ですが、ミックス部分になると…アックスをハーケンのように打ち込んでいる部分では
 
「確実性ありで、よし、よし。」
 
と思ったんですが、後の方の画像ではオーバーハングに足ブラミックス…。いや~やばい感じ。
 
■ 異次元の登り
 
私が九州に来て思うのは、この 異次元の登り、を知らないから、
 
  異次元でもない一昔前の登り
 
を自慢してしまうことになるのでは?ということです…。
 
日本人でも佐藤祐介さんなどは、異次元の登り…されています。(例:スーパー赤蜘蛛フリーソロ )

5.12RP出来るレベルの人が、5.9のスラブを40mランナウトして威張っているというレベルではなく、5.14が登れる人が、パワーバー半分しか食べないでも、5.12のルートをフリーソロ出来てしまうというのが、自慢できる基準になっている。
 
昔の基準のままだと、すごくない記録をすごいスゴイとほめそやす羽目になるかもしれません。まぁ、そのことに気が付いていない場合は、それで幸せと思いますが。
 
■ 一般のアイスクライミングは比較的安全性が高いクライミングです。
 
一般の氷柱ではない、スラブ上のアイスクライミングは、氷がしっかりしている限り、一般の人の思うよりも確実性が高いクライミングで、別に、いちかばちか?ではありません。

基本、アックスバチ効き、になるようにテスティングしてからしか登らないです。

しかし、氷柱レベルになると、アックスバチ効きにいくらしようと思っても、氷柱自体が縦に切れやすく、外れたり、モノポイントのつま先が抜けたりすることは頻繁なので、
 
 スラブ状態のアイスvs氷柱 
 
でのレベル差は、アルパインの入門ルート(日和田みたいなの)とフリークライミングの入門ルート(小川山みたいなの)くらいの差があります。
 
海外のクライマーが恵まれているのは、日和田から小川山が一続きに提供されているので、段階的成長に切れ目がないということです。
 
日本の岩場は、落差激しいです。
 
■ミックス
 
現代アルパインをやる人は、ミックスと沢は避けて通ることができないと思いますが…
 
九州では、ミックスへ至る道のりは全くゼロ。
 
沢も本格的な沢はないそうです(米澤さん談)。

ので、なかなか、”本格的”という形容詞が付く登山形態に進みがたく、その結果、山への認識が、本州から見た場合、”山をなめている”と言われる状態に陥りやすいです。
 
熊への対応も間違っていたり、深い山への対応法知らなかったり。
 
フリーでも、
 
例えば、九州から来たクライマーが小川山で、
 
「終了点直がけが九州ではローカルルールなんで~」
 
とか言って同じことやっていたら、いや~、目も当てられませんね。
 
でも、それが、”特殊”なケースだと九州の若いクライマーは、山岳会で教えられていないとしたら、間違っているのは誰なんだろうな?
 
■ 結論、独学
 
間違った知識を伝授されるくらいだったら、適切な書物を読んで、独学したほうがマシですよ、というのは、このような現実がある場合です。
 
まぁ、人間誰しも老いますし、教えてもらえないと愚痴るより、自分で色々な書籍で勉強するのが良き事でしょう。
 
ちなみに、『アルピニスト』 ここで無料視聴できます。
 

5年前のアドバイス

■山登りとクライミングの関係が途切れた現代

5年前に貰った質問に答えているのをみて、

山登りとクライミングの関係が途切れてしまったこと

を伝えるのは、ホント、難しいなぁと思いました。5年前の私は非常に頑張って、丁寧に回答していますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
長文で失礼します。山のベテランの方のご意見が聞ければ…
以下のような内容の質問を当方ブログにもらっています。
それに対する私の返答も載せました。ただ私のアルパイン歴は浅く、ルート経験も少ないですので、回答に自信がありません。
ベテランの方の意見をいただければ、嬉しいです。
 

ーーー質問ーーー
こんにちは。大阪の様子はいかがでしょうか
充実した時間を過ごされていればと思います
自分は今月、二回ほどボルダリングの体験をしてきました。アルパインにステップアップするためのクライミングジム通い、この点についてもう少し教えて頂ければと思ってメールを書いてみました。


まったく急ぎではないので、お暇なときにコメントを頂ければ嬉しいです。・・・


クライミングジムは都心部にも多いのですが、
トップロープ壁を備える施設はわずかな様です。
その様な施設は、私の通勤路付近に存在せず、
最寄の施設へ行くには、急いで片道45分程度の遠回りになります。
現在の私の時間価値感ですと、
90分の移動時間が惜しいです。
 

ジム練習はロープを使った人工壁練習を想定していると思います。
ここで、ご意見をと思うのは、
私が取りえる今後の方針についてです。
当面は、通勤路上のジムでボルダリングに慣れ、
段階的にトップロープ壁施設への遠征を混ぜてゆくという考えで良い物でしょうか?
また、アルパインのための人工壁練習では、
ロープを使う課題に挑戦する割合、頻度はどの程度なものでしょうか?
ここまでが質問です。ここまでが質問です。
・・・
以下、報告的な感想と雑感です。
ジムのボルダリングを二回ほど体験して思うのは、山とは別個の活動として、ボルダリングを楽しめないとおそらく継続は難しいだろうということです。
今の自分の時間価値につりあう満足があるかどうかは、もう少し続けてみないと分からないかもしれません。
課題の難易度は10段階程度になっているようですが、最も易しい方から数えて三つ目は苦しいです(7級なのかな)。
二回目の訪問時は一つの課題に絞り込んで、8回中4回成功というところでした。
あんまり登れたぞという気分にもならないので、同じ課題ばかり続けてしまいました。
どこか悔しさが残り、店員さんに意見を求めたところ、足の力だけで登れる課題だと教えてもらいました。
あと足の親指先端の痛みも気になります。
(シューズの適正サイズがわからないです)シューズとチョークバッグは購入しても良いと思っていますが、
自分で選択する経験をする為に、もうしばらくレンタルしようと思います。
(↑製品のアドバイスも頂ければ嬉しいです)
自分は課題を山の岩に変換して眺めるせいか、難しい課題に挑戦するガッツはあまり湧きません。(そんな所には行かないからと思ってしまいます)


あとこれも体験してみて分かったのですが、ジムはまるで
山の話をするような雰囲気ではないのですね。
こんな様子です。
ーーー
これに対する当方の回答 
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ーーー
ボルダリングジムについてですが、
 ムーブ(=2点支持)
を身に着ける、という意味で、山でのクライミングにつながって行きます。その意味では、ボルダリング壁であっても、リード壁であっても、同じことを身に着けることができます。
普通の山登りで出てくるのは、3点支持で、2点支持の体の使い方は、まったく違うのです。
いわゆる岩稜帯では3点支持で歩いていますが、手1点、足1点の二点支持が身に付くと、同じところを非常に素早く安全に抜けることができるようになります。ちょっとした鎖場などが、ぜんぜん危なくない、ということですね。
まったく縦走しか知らない場合、ほとんどの登山者が、20代の若い男性であっても、鎖場の鎖に全体重を預けて、引っ張るような登りをしていると思います。(例:後立の不帰やキレット)
この段階の登山者だと、10回程度ジムへ行き、7級程度の課題を2点支持で登れれば、鎖は一切手をつけずに重いザックを背負った状態でも、不帰やキレットが通れるようになるように思います。私の場合がそうだったので、男性なら、10回も要らないかもです。
これをしておけば、山おばちゃんたちのような、つたない歩きは克服できます。難所で時間がかかることもないです。
アルパインクライミング、となると、これでは不足です。初級のルートでも、もう少し難しいです。ロープが出る山は、5級から上です。1級は遊歩道、2級は登山道、3級は3点支持の岩場、4級は念のためロープがいる程度の岩場、5級はデシマルグレードのスタート地点、6級は、5.10A以上の岩場です。
つまり、4級から上はロープを出すことが前提になります。
ので、最低でも、5.10Aを2点支持で登れるようでなくては、アルパインの初級ルートに出た場合、ロープワークもセットで支点作成も覚えなくてはならなくなるので、実力が不足すると思われます。
この段階になってから、リード壁があるジムに通われてもよいですし、一般的に公共の施設は、ジム代が格安です。小瀬の人工壁は、なんと390円だったんですよ。
私は初期にひと夏捧げましたが、毎週二日、半年通って、2万円程度でした。ジムの一か月分です。
リード壁に通う別の意味は、ビレイの習得です。言うまでもないことですが、ビレイができない人は、岩場に連れて行くことすら、できません。ビレイをいきなり本番で習得することはできないですから、リハーサルの場としてのインドアウォールが必要になります。落ちる役をする人は、支点が確実でないと墜ちれないです。普通にしていて、ビレイの習得に、週2、半年かかると思います。時間的なものは、女性の私の体験で、男性だと、ジムであっという間に上達する人もいます。
が、ロープワークの習得は、誰でも同じだけの時間がかかるようで、クライミングで上達し、守りの技であるロープワークが未熟なまま、クライミング力の自信だけで、岩場に行き始めると危険がマックスであることは、予想の範囲でしょう。この頃、一番死亡例が多いです。とんでもない支点やとんでもない確保を見るのも、この時期の人です。本来は、ルートに出るのは、まだもっと先が良いと思います。
ただ、山の人は温かいですから、こういう人たちがいると、周囲が見守ってくれ、技術的な不足は指摘してくれることが多いです。ですから、その教えを得るためだけでも、岩場に行く価値があります。
ボルダリングが楽しめないのは、山でスタートした人共通です。なので、ごく普通です。心配ないですよ!
チョークバックと靴は買いましょう。無いと話にもなりません。
私も、ジム壁では、ぜんぜん萌えません。でも、これは山に行くために、支払わなければならない代償だと割り切って、通うしかありません(笑)。
立ち位置、墜落係数、体重差、だらりんビレイ、パツパツビレイ、手繰り墜ち、逆クリップ、ゼット、一通り、やってはいけない失敗を、安全な環境で体験して、本番で致命的なヘマをしない状態に仕上げておく必要があります。
最近のリード壁は、5.9くらいからですので、ボルダリングの5級くらいなれば、リード壁も楽しくできるように思います。
ただ、実際の外の岩は、アルパインの岩場で、いわゆるゲレンデと言われるような日和田、広沢寺レベルだと、5.9よりうんとカンタンです。4級の岩場だから。
逆にフリーの岩場小川山だと、5.7でもインドアのリード壁とは比べられない難しさです。とくに足遣いは一般に、外岩(スラブ)でないと習得できないようです。
ですので、クライミングムーブに慣れるために、一般的なボルジムでムーブを意識した練習をしつつ、日和田レベルで、外の岩にデビューし、週二日は平日夜にジム、月に1日か2日の週末は、チャンスがあれば、日和田レベルの岩に連れて行ってもらい、ロープワークを習得、リードに慣れる、など、ゆっくり1年くらいかけて習得するのが良いかなと経験上は思います。
ちなみに、多くの山岳会は、このような段階の人には場を提供しています。ちなみに退屈なジム壁を面白くするコツは、友達を作り、セッションをすることです。
そして、ジムの課題やグレードにこだわらず、ジムの人が、どんどん難しいのにチャレンジするように言ってきても無視して、自分が納得いくまで、何度も易しい課題に登り、トラバースなどで、インターバルトレーニングなどして、とにかく、
自分は何のために、これをやっているのか?トレーニング内容を自分で組み立ててみることです。それには最初はデータ取りです。
何が登れれて、何が登れず、どうしてなのか?ということです。
私は最初の頃は、パートナーもいなかったので、長ものトラバースばかりをしていたのですが、腕力が付き、沢のへつりで役立ちました。回数を決めて、何往復したかなど、細かく記録をつけていくことで、だんだんと自分の成長が可視化されると、追い求めるべき課題も見えてきて、面白くもなってきます。
そこまで、そんなに時間がかかりませんから!コツは記録を取ることです。
こんな話でお役に立てたら幸甚です。
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