足るを知るが今日の仏教説話。
日本のフリークライミングは、一般に”足るを知る”を、否定するので嫌いです。
世界のフリークライミングでは、グレードは目安で追い求めるものでもなく、5.9以下はクライマーじゃねえ!とばかりに見下すものでもありませんでした。
5.9以下はクライマーになるところの人だというのは、誤った認識であり、登りたい気持ちがある人は皆クライマーだし、ビレイの技術や危急時の登り返しなどがクライミング技術で、ムーブの事ではないですよ???
誤解が深いのが日本のフリークライミングで、命知らず自慢と仲間切り捨てに陥っています。
仲間が怪我をしても、岩場に置き去りとか、電車乗せて自分は岩場に帰ってしまうとかそんな心の無いクライマーばかりでゲンナリです。
■ キリがない上昇志向
5.9が5.10へ、5.11へ… なんか皆の間では、5.12まで行かないとクライマーじゃねえ!という”常識”が形成されていそうですが、グレードの追っかけ、は、私嫌いなんです。
■グレードに囚われて登る弊害
1)プロセスが楽しめなくなる
易しいグレードしか登れないときに初級ルートに行けばギリギリ感があって楽しめますが、そのギリギリ感がなくなってしまうと、つまらなくなります。知り合いの山やで、デナリですら、ギリギリ感がなくなり、楽しくなくなった人がいます。
2)お買い得品を追い求める
お買い得品=ホントは5.10cなのに、5.11とグレーディングしてある、みたいなことです。お買い得品を求めるのは、見た目のグレードを求めるからですが…、お買い得品と本人は分かっているので、真の自信にはつながりません。
アイスのコンペで国内5位でしたけど、7人しか成人女性の参加者いないんで(笑)。真ん中より下じゃん?
3)中身が平板
俺、5.12トライ中だぜ~という男子は何人も知っていますが、OBGで知られる矢筈岳のマスターズルーフの1ピッチ目って、5.9とグレーディングされた実際は10cらしいのですが、2時間半くらいリードするのに時間がかかり、しかもエイドまで出していました…つまり、RP出来るグレードとスイスイ登れるグレードの差が… 本人も「ナインでも返されるときがある」と言っていましたが、昔の人の間違ったグレーディングによるところだけではなく、現代の登り方がグレード追求型だから、内容が伴わないで見た目のグレードだけが上がっている、ということが誰にでもよく起こるのだと思います。
今まで組んだほとんどの男子が、自己申告するグレードを外では登れません。ものすごく限定された得意技に特化した能力、だと、根本的自信、根本的能力開発、につながらないのでは?
例えば、エイハブ船長1級が登れるもん!みたいなプライドはあまり意味がないかもです。
4)登れない人を馬鹿にするようになる
たぶん、自分に自信がつかないためと思いますが、登れない人を馬鹿にするようになります。
前に、昇仙峡のクラック10cに取り付いた時、そこ私はフィスト2か所しか決まらず登るのエイドなら簡単だけど、フリーということだとだいぶ難しかったのですが… そういう相手方の事情は分からないらしく、怒っていましたけどね…。その人には優しいので。
若い男性が5.13登れるのは、ジムが普及した昨今、結構、”普通”です。同じ能力や成長スピードを41歳スタートの人に求める方が、”異常”、です。
■ そもそも、永遠に成長なんていうことはない
子どもはリニア(線形)に成長できますが、大人になってリニアな成長曲線を描くことはないですよ?
それをやったり、相手に強いたりすると、体が壊れますよ。下手すれば相手を死に追いやります。
その上、真理という意味からも永遠の成長などというものはなく、例えワールドカップで優勝した人ですら、年を取るわけです。つまり、能力は下るわけです。
最初からもっともっと!を求めるのは、それが合理的で楽しいと感じられるときのみで、大人からスタートしたクライマーのクライミングライフは、最初から
楽しむこと
を主眼にするべきだと思います。
ラオスでは、ほとんど全員がそのような主眼でクライミングしていましたよ? ほとんどのクライマーが大人になってからクライミングに出会っているのですから、そりゃそうですよね?
■ 誤解に基づく ”俺だって偉人伝に加われる!”思考
南裏さんの幼馴染だった外山さんが今登れるのは、今では5.10bくらいだろうな~とか、言っていました。
私の師匠の青木さんが登れるのも、せいぜい11マックスくらいで、楽勝なのは、10b程度です。
子供からやっているクライマー(外山さん)、登山学校の校長先生(青木さん)で、そんな調子の話なのに、38歳から山、41歳からクライミングやっている私に、5.12求めて頑張れって…できないからってクライマーじゃねえ!って否定するのって、なんか、そっちのほうが現実認識力が欠如していると思う。
私が、41歳でフリーをスタートして、数年でインスボンに行き、小川山の10cの有名スラブジャーマンスープレックスを登れているのは、えらいスゴイことですよ。ホント…。
男性のみなさんの体力や腕力私にはないですからね。スラブだってチビには不利ですよ?
■ 不毛な戦い
大体の人の申告する5.12って、瞬間風速って話です(笑)。
以前、年収バージョンで同じことをやってみました…。”もっともっと”を他者承認を求めてやるってやつ。やってみた。年収500マンになれば認められるか?年収800マンになれば認められるか?やってみたけど、高収入になれば出ていくお金も大きくなるだけで、別に幸福度は上がりませんでした。
プログラマーで個人事業主となり、通訳時代と比べて、年収は3倍になったんですが、つまり、やってみて達成したけど、別にああそう、という感じで、何もいいと思わなかったんですよ。
自分は何が欲しかったのだろうか?母の夢を追っていたのだろうか?と逆にむなしくなったくらいな話で。愚かだな~と思っている行為を、私が繰り返なさいからって、クライマーじゃねえ!とか、否定するの、やめてほしいなー。
人には人の生き方があるものです。
青い鳥を追いかけて見果てぬ夢を見るだけが、人の人生ではないです。そういう人生ではなく、今ここに満足する充足の人生のほうが私が生きたい人生です。
全員が自分と同じはずだという幻想の上に男性のクライマーたちは行動していると思います。 クライマーとしての名誉を求めるってことですね…。名前を知られるクライマーになる、岩場で皆が避けてくれるクライマーになる。大会で一位になる。承認欲求の行動原理ですよね。それはそれで認められていいですが、他者に同じものを要求するというのは間違っています。私は、あなたに承認されるために生きているわけではないので。なんでそうなるのかなぁということが九州では多かったです。
例えば、届かない支点にクリップしないといけない場合、女性や背の低いクライマーは核心ムーブをこなしてから、クリップです。男性クライマーは、そこはかけてから核心ムーブができるから、別に何も怖くないです。
その差を理解できずに、他者をチキン呼ばわりしている男性クライマーが多すぎるように思います。
そして、チキン=クライマーじゃねえというわけです。しかし、リスクをとっていない度を冷静に見ると、言っている本人の方が取っていない。
ビレイも同じで自分が提供しているビレイが、しょぼいことに気が付いていない人多いです。びったんこビレイ満載です。
私は軽いクライマーなのに、ビレイに1分も座っていなくて、じりじりと下がってくるなんて…。握力あんの?やる気あんのか?って感じでした…。
欧米では見かけないような、自己愛の肥大した人が日本人クライマーが、たまに混じっています。おそらく、母子密着型、言い換えれば、父親不在家庭が増え、母親が何に対しても息子に合わせてくれる…40代の母親が10代の息子の荷物を持って山道で息子の跡を走り回る…という生育環境…例として、です…が、このようなクライマーを作り出しているようで、昨今、環境因子で、仕方ない面から、増加傾向にあるばかりか、助長されています。それは、コーチ職の人が、グレードで若者にひれ伏すことで、増長させています。
子どもはバカなので、そうか5.13が登れたらえらそうにしていていいのか、と思ってしまいます。実際は、親のすねかじりのねんね、です。ガス代、電気代、食事、住居、そして社会保険のすべてを払えるようになってから威張ってください。一体コーチたちはどんな教育してるんだ?ってことが多いです。
教育者がしないといけないことは、グレードで人を差別して見下す態度を肯定することではなく、その逆ですよ? 技術も伝え損ねているようで、2年やってもトポも持ってこないとかです。
大丈夫なんですか?と心配になる有様でした。
子供は、親に愛されることで巨大な自己肯定感、言い換えれば自己愛を持ちますが、健全な大人は、その自己愛が客観視によって否定されるものです。中学高校大学当たりの思春期の人は、親によって肯定された巨大な自己愛が否定され、自分も人類の普通の人の一人にすぎず、みな平等なのだと理解する時代ですよ?
偉大な人は他者の権利を侵害してもいい…というような歪んだ自己愛を改めるのが、そうした時期の役割なのに、クライミングさえ上手なら何でもいいとばかりに、ほめちぎっていたら、お年寄りやホームレス狩りをするような大人になってしまいます。
そうならないでも、自分の狭い特権エリアにとどまって、そこにいれば尊敬されるから楽だから、という理由で、ある種の引きこもりになり、岩場の私物化が始まります。
そんなオジサンクライマーが一杯いて、山岳会を私物化していることが、山岳会衰退の理由ですよ。嘆いている場合ではないです。
クライマーだから社会適合者でなくていいという時代はもうとっくに終わっているんですよ。
世界的なピオレドール賞受賞クライマーであっても、子供もいて、家庭も持てる時代です。5.9がスイスイ登れたら会で尊敬され、5.12が登れたら神だった時代の感覚のまま、40mランナウトを若者に強いるのは、たとえランナウトを妥協して20mにしたところで、時代錯誤という本質は変わりません。
時代にあったクライマー育てをしましょう。昨今は38歳で山をスタートした人でも、普通に3年、4年修行していれば、甲斐駒に厳冬期にソロで登れ、阿弥陀北稜くらいは、初見でも単独で済ませられ、海外も、一人で行かせても別に死なない時代ですよ。なんせヒマラヤだって、普通の人が普通にハイキングで行く時代なんですよ?
一方、トップクラスの登攀は、レベルがけた違いに上がっています。そのことが分からない山岳会のリーダークラスは、会で一軍だ、とおもった若い男子にお前にもできるはず、なんて、自分の若い時の常識を伝授したりしてしまいます。
それは、大企業に勤めていれば安泰だ、というのと同じくらいに陳腐化していますから(知らない人のために言えば、転職回数がゼロ回の人ほど、危険と業界では言われています)。
時代錯誤のクライミング観では、レベチのルートを若い衆に進めてしまいます。
牛のしっぽとなる能力の下限は、5.12がスイスイ登れる、40kgが楽勝で担げる、です。
たぶん、昔のすごい人も凄さは同じくらいだったんだと思いますよ?
例えば保科さんとか、南裏さんとか。そのレベルに行っていないのに行っていると勘違いしているのが、よく見る現象…俺だって…です。