2022/07/02

ぬるま湯から出てバイタルフォース(生きる力)を感じたい=アルパイン

 ■ バイタルフォースとは?

バイタルフォースというのは、心臓が打ち続けているとか、思春期になれば性徴が出てくるとか、そのような、自分の中で遺伝子が勝手に時を刻み、命を生かしている力、のことです。

バイタルフォースは強い人と弱い人がいます。弱くなる活動と強くなる活動があります。

■バイタルフォースを感じる活動

日本のようなリスクゼロ型の社会で、ぬるま湯生活をしていると、自分の中のバイタルフォースは感じられなくなる = 生きる意味が分からなくなる。
 
生きる意味が分からない=今が面白くない、ということです。
 
何かに懸命な時、生きる意味を考える人はいません。クライミングで今にも落ちそうなとき、”わたし何のために生きているの…”などと、つぶやく人はいません(笑)。いたら、ギャグだな!
 
というので、クライミングは、基本、強制的に、
 
 今ここ瞑想
 
なんですが、問題点があって、それは、”今ここ”という価値観のダークサイドが、”逃避”であることです。つまり現実逃避。
 
山での死(アルパインクライミング)も同じですが、フリークライミングよりも死の香りはもっと濃厚です。フリーで死ぬ人は、ほとんどいない(ハズ)です。ちゃんとしたフリークライミングである限り。ほぼほぼ、安全。
 
一方、山だと、まぁ、最初から命の重さ=軽ーい感じです。
 
マークアンドレの『アルピニスト』では、まぁ、最初から、”この人、死にそうだなー”という感じです。フリーの岩場でも、フリーソロしている。
 
スイスのクライミングマシーンと言われたウエリが死んだときは、え?あの人不死身のハズでは?って感じでした。が、やはり人でした。
 
亡くなった後のインタビューによるとフリーのクライマーから見ると、やべ~って感じのリスク感性だったらしい。
 
杉野保さんは、城ケ崎の転落死ですが、後で知っている人からすると、彼もそこまで安全重視しているクライマーではなかったようでした。
 
師匠の青木さんは、ソロでアイスを登っていて、ロープ凍結により懸垂に失敗。腰椎骨折の大怪我をして、背骨に何本もロッドが入る始末になり、以来、ロープの凍結にはかなりうるさいクライマーになった時に私に会いました。が、やはりインスボンで、韓国人クライマーに登り方がダサいと言われて、自分のスタイルを変えてしまい、墜落。かかとを骨折。
 
ということで、どんな年齢になって、どんなに経験値が上がり、ヒヤリハットや大怪我で凝りても、”かっこよさ” が手放せない、そのカッコよさ=デスウィシング というのは、あるわけです。

それでも青木さんは自分に適用する基準を、私に求めてくることはありませんでした。そんなことしたら、私、死んじゃいますからね。

■ アルパイン=征服欲

アルパインの歴史は、人間が自然界を克服するためという、崇高な理念のためなら命をささげても良い、とされているように思いますが…。
 
日本の場合、それが超アホっぽい。命をささげるって言うより、自分が何をやっているか分かっていない段階で死んでる。『九州の岳人たち』には、そんな例がずらずら出てきますよ。
 
九州男児だけでなく、普通に、関東のアルパイン入門三つ峠ですら懸垂の失敗とかで死んでる人いますからね。
 
ガイドさんの講習に出ていても、それでもシンデマス… 保科ガイドは3人くらい講習生を失っていると思います。
 
クライマー本人が、自分で自分の命軽ーく扱っているということなんですが、そのことにすら気が付く知性ができる前の出来事っていうのが、かなり痛い点です。
 
マークアンドレは、確信犯だと思います。
 
吉田さんも猫が死んだとき、自分も死にたい、もうやることは、やった、と思った確信犯なのではないかと思います。
 
普通はマークアンドレみたいなのが、いやな人が来るのが、フリークライミングです。 
 
■  あるべきレベル
 
死ぬだろうと分かっていてもトライしていく山(アルパイン)は、私は肯定しますが、日本で、特に九州で、クライマーがやっているような、”お前、階段、何段飛べる?俺、10段”式の粋がり競争で、まだちゃんとしたクライマーと言えるような技術が付く前に、根子岳行って死ぬ、みたいなクライマーの死は肯定できない。ばかっぽすぎる。
 
せめて、38歳で山を始めたおばさんが登れる程度のM5のミックスルート昇天くらいは、オンサイト決めてから、死んでくれ。

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