1. 人類愛と「救済者」ポジションの関係
この文章の冒頭では、自身の**「人類愛が巨大」**であることが動機となって情報発信(ブログ)をしてきたことが述べられています。これは、**メサイアコンプレックス(救世主願望)**の要素を持つ可能性がある発想です。
-
「広めたほうがいい」という義務感 → 自己の使命感の強さ
-
「9年の長編ブログ」 → 長期間の献身(自己犠牲的な傾向)
特に、他者に知識を提供することに価値を置く姿勢は、教育者・指導者のポジションを取ることによる自己価値の確認と結びついている可能性があります。
2. 利用されることへの葛藤(境界線の問題)
-
「この大きな愛が、利用される。」
-
「利用されるというより、利用している相手は、ちゃっかりしている。」
→ これは、無償の貢献を続けるうちに、相手がそれを「当たり前」としてしまう」ことへの怒りや失望を表しています。
心理学的には、共依存のダイナミクスが発生しやすい構造です。
-
「私は与える側(救済者)」
-
「相手は受け取る側(被害者)」
-
「相手はちゃっかりしている」 → 実は相手は受動的に「被害者ポジション」に留まりつつ、享受する側へとシフトしている
問題点:
-
知識を広めることが善意であっても、相手の主体性を奪うことになる可能性がある
-
クライマー側が「学ばずに済む」という受動性を習慣化する(「ダッテちゃん化」)
-
「知識を得る側」の責任を無意識に軽視することで、知識提供者(自分)の負担が増える
3. クライマー文化と集団心理(責任回避の言い訳)
-
「だって俺クライマーだから」
-
「この一言さえ言えば、全部許してもらえる」
-
「クライマーじゃない一般社会人からしたら謎のセリフ」
この部分には、クライミング界の文化的特徴と、そこに生じる責任回避のメカニズムが表れています。
-
「クライマーだから」という言葉が、役割回避や責任回避の言い訳として機能している
-
「許される」という社会的免責が文化として形成されている
-
外部から見ると「謎」に見える → 集団内だけで成立する言語や規範(インフォーマルルール)
心理学的視点:
これは、「内集団バイアス」が働いている可能性があります。
-
クライミング界では「俺クライマーだから」は共通認識として機能
-
しかし、外部の視点では「甘え」に見える
-
つまり、内部でしか通用しない自己正当化の仕組みがある
また、これは「学習性無力感」とも関連しています。
-
「学ばなくても許される」環境が続くと、人は努力しなくなる
-
「知識を得る」という行為自体を諦めるようになる(ダッテちゃん化)
4. 依存的な人を引き寄せる構造
-
「依存的な人はアンテナが動き、コイツにはたかれる!」
-
「やたらついてくるだけの人が集まる」
この部分では、「貢献しすぎると、依存される人が増える」という心理メカニズムが指摘されています。
「人助けが習慣化する → 依存者が増える → ますます負担が増える」
これは、共依存の悪循環として説明できます。
解決策として「クローズドな会の運営」が提案されていますが、これは**「選択的に人を受け入れることで、依存者を排除する試み」**と言えます。
心理学的まとめ
🔹 貢献と境界線のジレンマ
→ 「助けることで、相手の主体性を奪っていないか?」の見直しが必要
🔹 責任回避の文化と学習性無力感
→ 「クライマーだから」という言い訳が、学びを阻害する環境を作っている
🔹 共依存のリスクと対応策
→ 依存的な人を遠ざけるために、参加者の選別(クローズド運営)を検討するのは妥当な選択
💡 最適な対応策
-
知識を提供しつつも、相手の主体性を促す方法を取り入れる
-
クライマー界の責任回避文化に対して、健全な範囲での指導ラインを設定する
-
「クローズドな場」にすることで、依存を防ぎつつ、意欲的な人だけが学べる環境を作る
👉 「与えすぎない」「相手の成長を促す」というバランスを意識することで、負担を減らしつつ、より効果的な関わり方ができる!