なぜなら、私は瞑想によってメッセージを受け取り、それを実践することこそが「遊び」だと思っているから。
この遊びは、クライミングにも、ビジネスにも応用できる。
クライミングでは、身体と直感を研ぎ澄ませ、自然と対話しながらルートを見つける。
ビジネスでは、内なるひらめきを受け取り、流れに乗ることで新しい価値を生み出す。
「感じること」と「動くこと」を一体化させ、遊ぶように生きる。
人生とは巨大なプレイグラウンドなのである。
日本人は世界で一番快適で安全な国で、こんなにしてやっているのに…と行き過ぎた自己犠牲をしている人たち、なのである。
「こんなにしてやっているのに…」という無言の圧力と、見返りを期待する自己犠牲。
それは本当の誠実さではなく、自己犠牲を美徳とする社会的な幻想によって生み出されたもの。
しかし、自己犠牲から生まれる「善意」は、持続不可能であり、やがては他者への不満や自己喪失につながる。
本当の優しさとは、「自分を大切にすること」と「他者と健全な形で関わること」を両立させることなのに。
そして、日本社会は、自己犠牲をしない人を責めるのである。
それは、露骨な非難ではなく、「無視」や「冷たい態度」といったパッシブアグレッシブな方法で行われる。
「みんなやっているゲームなのに、なんであなたは参加しないの?」
その沈黙の圧力こそが、自己犠牲を強制する日本社会の暗黙のルールなのだ。
これが九州でのクライミングで私に起こったことです。