2024/04/04

福岡に帰りました☆

 ■ 帰ったら桜満開でした

夜行バスの選択が悪く、しょっちゅう停車する停車地が多いのを選んでしまったようで今回の大阪からの帰宅は疲れた…。

バスは、3列シートだとやっぱり比較的快適です。

■ 今回の目的

今回の目的は、オーソモレキュラー栄養医学のディプロマ授与式の式典に出ることでした。

日本橋のベルサールであり、それは立派な建物でした。豪華な建物というのは、こういう努力の結果たどり着く式典で使うべきで、正しい用途だ…と思ったりした。会場費、高そうだったので…。

以前、メドトロニックソファモアダネックというアメリカの医療機器の会社に勤めており、営業の成績を表彰式で年に一回やるのだが、場所がリッツカールトンの宴会場…。成績No1営業は、スターダムに上り詰めるように、スポットライトと音楽で表彰され、ほめたたえる側の社員たちは全員、礼服着用という日で、中には着物で来る社員もいたんですよね…

今回のディプロマ表彰式は、医師の集まりで、一応、平服でOKだったが、ちゃんとスーツを着て行って、ほんとに良かったなと思いました。

それで気が付いたんですが、クライマーが地域の人たちから大事に扱われないのは、ものすごく小汚い格好しているからなんではないですかね?? スーツ着ていたら、飛行機でも大事にされるし、町でも、喫茶店でも大事にされ、超快適旅行が出来ました。そう、そういえばそうだった…と、OL時代を思い出しました。

特に開拓してたら、もうコケだらけ泥だらけで、どうせ汚れるから、高いウエア着たくないし、工事のおっちゃんみたいな感じになりますが…私もタオルぐるぐる巻きで岩場のコケ落としとかしていましたけど…。

地元の人の好印象のために、岩場帰りには温泉に入って、小ぎれいにさっぱりしてから地元の人には会うようにしたらいいのかも?

■ 志、のないクライミング業界

小鹿野では、開拓者のトークを聞きました。

その後、医師の集まりであるディプロマ授与式典に出かけたので、違いが際立った。今回、印象的だったのは、こころざし、の有無。

オーソモレキュラー医学を世の中に進めようとしている医師の先生たちは

 

を持ってオーソモレキュラー栄養医学を広めている。医師たちは、世の中の人々を救い、健康を良くすること、その志に愛着を持っている。

このような人たちの思考とクライマーの思考は、水と油、と言ってよい差があった。

式典が31日だったので、30日に、ついでで、二子のクライマーズトークに出たが、世界的クライマーユージさんのクライミングによる地域おこしの地で、議員の高橋さんが頑張っている。しかし、地域おこしをするにしても、本人がクライマーでないと自分で登りに海外に行くわけでもなく、そもそも知見も限られてしまうだろうと思っていました…。

海外には、クライマーの町というのがちゃんとある。アルコもそうだし、ラオスではターケークがそうだ。地域の産業として、立派に機能している。

海外のクライマーは、休暇が長い。1か月、2か月という人はざらで、ネパールにトレッキングに行った後に、韓国でクライミングし、ちょっと台湾に立ち寄って、その後はタイで登っています…なんてクライマーは、ざらにいる。

そうした、国際岩場ツアーに日本の岩場が入っていない。入っていても、湯河原幕岩。

実はラオスの登攀に行く前に、湯河原幕岩で外人さんに会い、ラオスの岩場のことを教えてもらった。

それでは、日本の岩場資源は、もったいないので、日本もぜひ、そういう国際回遊魚クライミングの輪に入ったらいいと思う。ちなみに、スキーやサーファーもそういう世界だ。

あちこちの外国人クライマーに話を聞いたが、どうも、日本でのボトルネックはレンタカー代が高いことだそうだった。

だよなぁ。彼らは、空港でレンタカーする気だからな。例えば、成田でレンタカーして瑞牆で登る気ってことだが、日本のレンタカーはそういう仕組みになっていない。田舎で借りたほうが価格も当然安い。そこを教えないといけない。

あ、話がずれたが、小鹿野は、まだ地域おこしに志を持って取り組むという段階にはいないことが分かった。

基本、日本人クライマーの視野は、隣の開拓者との小競り合い、で、隣の岩場との小競り合い。それは、日本人サラリーマンが業界内の競争に終始しているのと同じである。

サラリーマン業界でも、勝っている人たちは世界的な視野で見て動いている。例えば、前述のメドトロ…社は、脊椎医療のロッド販売だが、世界的な高齢化を売り上げの背景にしているのである。

私自身もクライミングによる地域おこしは、日本の観光としてのアウトドアアドベンチャーツーリズムに将来性があり、海外の岩場では世界を流れているクライマーが、今日はネパールあすは、韓国、次は台湾、そしてタイと旅する中で、日本だけがその流れに乗れていない、と思うし、そこに載る岩場としては、小川山の次に二子山がいいのかなぁとおもうが…。まぁ、それを可能にするベータを出すクライマーがいないかもしれないなぁ‥。

しかし、問題点はそこではない。

そもそも、各岩場で起っていることは、まったくそのような視点とは違う。開拓者は

 自分の岩との対話

以外のことは全く視野の外だということが分かった。

その歌、詩、というものは、再登者がでないと、聞くことができない。すごいルートだ!と思っても、他の人もすごいルートだ!と思わないと、興味を引かないということだ。

ユージさんがデイドリを登ったのは、中嶋渉さんが面白いと言ったから(笑)

デイドリほどの課題でも、有名クライマーの誰かが登るから課題になるのであり、それほどのルートでも、誰にも登られなければ、埋もれたまま、眠ることになるのである。

クライマーの行動原理は、岩場とのきずなではなく隣のクライマーが面白いと言ったのを登る、ということになっているわけだ。

愛着のもちかたが全く違う。面白ければ、どこにあってもよいのである。

当然だが、岩場による地域おこしと言う志に愛着があるわけではない。

さらに、岩場自体に愛着を持っているわけでもない。

■一般クライマーは、岩の歌すら聞けない

ジム上がりクライマーでは、グレードおっかけの登れたか?登れないか?の達成感の世界にまだおり、せっかくの岩場の傑作も、その課題が語り掛けてくる歌自体をみな、聞けない。

課題を語り合うときに、3世代が同じ課題を登った感想、あそこのムーブが難しかったとか、手が小さければ、あのカチが持てるけど、持てない人は難しい、みたいなクライミングについてのクライミングリテラシーは、誰も使わない…使えない。そもそも、自分自身以外に興味がない。

ジムみたいな内容を外の岩場に期待するようになってしまって、結局、岩の歌については蚊帳の外みたいな感じなんだよな。

福岡に来て以来、岩の語りが、心から遠くなった…。

それは、過剰な競争心だけで登るスポーツクライミングの登り方、人工壁の登り方を外の岩場で強要する現代的指導にあることが分かった。

外の岩でそんなことをしたら、早晩、死んじゃうよ?

まぁ、ついでに言えば、私が初級クライマーであるのにも関わらず、開拓者向きであることが分かった。

小さな岩場が身近にあるので、そこでコツコツ登ろうかな。

まぁ、アイスを登るような人は、毎回、オンサイトしながらスクリューを打つわけで、開拓者寄りの思考回路を運命づけられていると思う。

それがあらかじめ、分かるから吉田さんも昇仙峡を私と登ったわけなんだろう。

俺、5.13を登るんだぜ!と自慢する男子より、岩の歌が聴ける人のほうが開拓者は好きなんである。

色々な人が、私みたいなおばちゃんがなんで?と思うらしいんだが、別にえこひいきされてきたわけではない。

私の山の記録、アルパインの記録、フリーの記録を読んだら、そこの自然界との対話が語られているから、それで山ヤであり、岩ヤであり、クライマーだ、ということがわかるからなんです。別に高グレードが登れなくても。

■ まとめ

小鹿野は、小川山の花崗岩クライミングよりも、日本で海外クライマーが立ち寄る岩場としては最適そうに見えた。

ただし、岩場までの車移動がボトルネック。行きだけタクシーで行って、帰りはローカルクライマーに送ってもらって秩父のゲストハウスに泊まるっていうのがありそうなラインに思えた。

雑魚寝ハウスもあるらしいが、公開するわけにもいくまい。