2024/04/03

【心理学】危険認知の有無についての東西クライマー格差

■ 天真爛漫系男子?

こちら(九州では)男子は支点ビレイされても気が付かない上、その鈍感さを自慢に思っており、気が付くような観察力があることをクライマーの資質としてはネガティブ資質だと思っている…という件について書きます。

例えば、私が九州でしばらく一緒に登っていた相方は、自分が支点ビレイをされても、

「そんなの、みてなかった」

とさも自慢げにニコニコ笑いながら、話してくれました。

笑っているという非言語が意味することは、

 そんなこと気にしていたら登れるところも登れないよ

です。気にする方が悪いってこと。

■ 危険認知できない、しないクライマーが褒められる西日本クライマー界

つまり

まるで、支点ビレイされていることに気が付く私のほうが悪い、みたいな?

これが、ガスライティング、です。

私は危険認知をしているので、正しいのです。正しいほうが、まるで間違っている人、になることが、ガスライティング、です。

■ 男らしさ=向こう見ず の価値観

彼がそういう鈍感さに自信を持っているのは、それが男らしさである、と思っているから。

しかし、クライマーに必要な資質は、リスクに気が付くほうです。

高度なクライミングをすればするほど、繊細で完璧な注意力、集中力が要求される。

それが、クライミングで、鈍感でいい、というのは、全くないです。

逆に言えば、九州では高度なクライミングがないので、鈍感でいても、まぁ構わないというか、気が抜けた状態でもOKです。

例えば、鈍感で、雪崩が起きよう、というときに、鈍感でグーグー寝ていたら、雪崩に飲まれてしまいますよね?

本当にリスクがあることをしていたら、鈍感さを気取って、男らしさ、のドラミングなんてできないのです。

相方は、山梨では、その点を「反省しろよ」と周囲から思われているクライマーでしたが、なぜか九州に戻ったら、彼は仲間から受け入れられ、私は排除されることになりました。

彼は、その仲間から受容されたという感覚のために、イケイケにさらに拍車がかかった。しかし、彼と組むクライマーがいない…というのは、それだけ、彼がカマかけられていた、九州のクライマーから、こんな罠に簡単に引っ掛かるとは…と舌を出されていたんではないかと思います。

そして、それは白亜スラブになった…。周囲の九州クライマーは、誰も彼のフォローをしてやらなかったので、被害を被ったのは私でした(汗)。

しかし、結果としては良かったのではないでしょうか?

九州のクライマーがフォローをしていたら、25+30が60であり、50mシングルで2ピッチ連結しようと発想する時点で、遭難、という、登る前遭難”だったことは、秘匿されたままだったでしょう…

白亜スラブが実際にはどのような登攀内容だったかについて私が記載したことで、暴露系クライマーブログ?みたいになったけど、それは私のせいではない。

■ 根拠なき自信の根拠

彼がそのような自信を得るに至ったのは、ポジティブ思考の結果ではなく、どちらかと言うと、文化的に受容されたことによる、行き過ぎ、つまり、過剰な自信、お調子者、のような気がします。

また、第二子というのは、常に追い越す対象がいることで、誇大な自己像を抱きがちだと心理学の本に書いてありました。

第一子は責任、第二子は、誇大な自己、末っ子は甘やかし、がネックになります。

山梨時代は、相方は、クライマーとして自己肯定感を持つことが難しかっただろう、と思います。

山梨ではあれができていない、これができていない、できていないロープワークや支点の知識不足を指摘され、その不足が、いったいどういう意味なのか?彼本人は、具体的に理解ができていないようでした。

なので、人のセリフの受け売りで、ひん曲がったRCCにリスクを感じたりしていましたが、ひん曲がったRCCが意味するところをきちんと彼が理解できていたか?というと、たぶんできていなかったでしょう…

あんな脆弱な視点で登るんですよ~ 俺って勇気ある~ みたいなはしゃぎ具合でした。

RCCが打ってあるスラブは、現代の小川山などで上級のスラブ登攀を身に着けたクライマーなら、特に難しいはずはないです。それより、ひん曲がっているということは落を意味します。

そして、感じるべきは、打ちながら登った、という困難さのほうで、いくら登攀が易しくても、支点を作りながら登るのと、ただ既存の支点にドローを掛けながら、登ればいいだけ、なのでは雲泥の差。

そういうことを感じながら登ったか?というと登れていなかったと思います。それは、登るだけでアップアップだから。

■ 危険認知ができないのはクライマー適性がないって意味ですよ

オーソドックスなクライマー感性では、危険認知ができない人はクライマーとしての適性がない。

ところが、九州では危険認知ができない、できないのではなくしない、ことをクライマー適性という理解でいます。

本末転倒です。

これは九州だけではなく関西もそうかもしれないです。

このような東西差がクライマー界にはあります。たぶん、東京方面の先駆的クライマーたちに対する羨望が、素直でない態度を関西以西のクライマーに取らせるためでしょう…

雪がないことコンプレックス、が発祥です。

でも、フリークライミングの時代になったら、雪なんてないほうが年中登れていいんですよね?

だから、東京への当てつけ(北アや南アがあっていいね、とか、岩場が豊富でいいね、という羨望の裏返し)は、よく考えていないで、ただ空気に流されているだけの人の思考です。