■ 書き方が悪い
最近、ジミー・チンの映画『フリーソロ』を見て、なぜ、アレックス君がエルキャップをフリーソロしなくてはいけなかったのか?
彼が登る必然性などが上手に描かれていることで、クライミングの価値を正しく伝えることに成功している、ということが分かった。
それで、このブログの書き方を反省している。完全に私の備忘録としか機能していない。
というか、最初からその予定で書いてはいたのだから、当然だが…。とはいえ、様々な行動の必然性が理解できるように書いたほうがいい。
ので、今後は、きちんと経緯が分かるように書いていく予定だ。
■ ハートブロークンだった岸良
岸良の岩場では、去年、怪我をしたにもかかわらず、私の怪我より自分の宴会が大事だという相方のために、2日も医者にかかれず、直りが悪くなってしまったという、残念な経緯があった。
1年経って、そのクラックを登る機会ができたわけだが… もちろん、意味合いとしてはリベンジだ。
ところが、またしても…一緒に行った人に一杯食わされたため、登れなかった…。
きちんとギブ&テイクになっていない…。
私は自分が登りたい課題が登れず、付き合いクライミングばかりやらされている羽目になっている。大堂海岸も同じだった。
今回は信頼していた人に一杯食わされたので、かなり残念だった。いつも、ちゃっかりやられている。
■ 大阪で元気回復
大阪は、福岡とは違い、私の味方がいる、と感じられる町だ。
ラオスにも何回もおいでと言ってもらった。今回はラオスはリスク管理から行かなかったのだが。前回いた日本人の看護婦さんはいない上、私の最大のリスクは、脱臼が癖になること。今が正念場だ。
私はライフワークで、不登校の子どもたちのための支援をしたいと思っており、そのための用事で、アースバックハウスの工法を知ろうと大阪へ出かけた。ところが、その用事が急遽、おじゃんになった。
それで、ジムでも行くか、と出かけたのが、いつものヒグラシさん。久しぶりだったがとても楽しい時間を過ごした。あんなに楽しかったのは久しぶりだ。
この時の喜びのことを詳細に本当は書くべきだったのだが、他にも色々と忙しいことがあり、色々なことが急展開したのだった…不動産のこと、コロナ禍のこと。
ヒグラシで小島さんとお話ししたことは、なんだか私には本当に転換点、だった。
どういうことか? ここに、岩との対話を本当に愛している人たちがいる、という実感だ。
それにご縁も感じた。私は初心者のころも大阪では初めてのジムがヒグラシさんなのだ。
■ グレード偏重
現代のクライミングは、高グレードのグレード争いに偏り過ぎている。しかも、フリーではなく、チョークを使ったエイドにどんどん傾いている。
30数年来のデイドリの初登より、チョークの特集が拡大視される。誰が見たっておかしいと分かるだろう。
福岡のジム業界は、現代事情を表現してしまっており、ジムの人は悪気はないのだが、例えば、近所のジムは、「僕、外岩は行かないんです」というようなオーナーさんだ。
要するに、クライミングがただのビジネスのネタ、になってしまっている。
そこには、理想、というのがない。目の前の需要に盲目的に合わせたら、こうなるのが落ちだ。
フリークライミングのエイド化は、こうしたジムで進行中なのだ…。それは、そもそもフリークライミングがどういう意味か、咀嚼しなかったためだろう。
プラスチックをいくら登っても、母なる大自然については何も分かるようにならない。ただ自分の登攀能力について、エンドレスに挑戦が続くだけだ。コンペを見れば分かる。
外に岩場に出て、岩と対話していれば、自然の偉大さが分かってくるし、どんなクライマーも、どんどん謙虚になっていくものだ…
それが起こらないクライミングは、どんなクライミングだって、どこかネジがおかしい…。掛け違いが起こる理由は、自然との乖離、だ。
ヒグラシの方は、岩が好きなんだろうなぁ、という純粋なエネルギーを感じたし、それでホッとしたのだった。伝統というか、ちゃんと岩と対話している、ホワイトクライマー?は、ここに生息していたのか!みたいな(笑)。
アルパインのクライマーとフリーのクライマーは全く登る目的が違う。
おそらくマナーが悪いクライマーというのは、どっちにもいるんだろうが、組織化の度合いが強いのは、アルパインのクライマーのほうなのだろう。
フリーのクライマーは、フリーを登る限り組織化する必要もないし、だから組織力もなく、マナーが良いクライマーが、マナーの悪いクライマーのあおりを食っても、打つ術なし、な状況なのだろう。
■ ジョン・ギル&ヒロさん
そんな状況が見えてきたころ、ヒロさんの店で、ジョン・ギルのボルダリング本を借りてきて読んだ。
これも、私が考えていたことが、実際に裏付けを貰ったような内容だった。
ジョン・ギルは、もとは体操選手だったのだった…。九州に来たとき、私はヨガとインドアジムを頑張る気でいたのだが、ボルダーやクライミングで体操が有利だ、という私の見解は合っていたし、そのために私が選んだヨガがアシュタンガヨガで、そしてクライマーの先輩にも、アシュタンガを紹介したのは、すごく賢明なことだったのだ。
私がクライミングにおいて、方向音痴に陥っていなかった、ということが、ジョンギルの本で分かったのだ。大丈夫、正しい方向に進んでいる。
■ 烏帽子の事故
そんな勇気をくれたヒロさんの店で、たまたま隣に座った年配の女性クライマーに、日曜に烏帽子を案内してもらうことになった。おとどし、青ちゃんと行って太陽が一杯を登った岩場だ。
今回の烏帽子も、色々と経験値になった。
まず事故対応のまずさ…。
山岳会で登っているそうだったが、どうしても判断が会の判断という甘さが出る。自分で判断しなくなる、ということだ。
仲間が足首骨折事故という羽目になったのに、どうしたか?ただ電車に載せてお終い、だった。
私自身が足の肉離れという大きな事故をしたときに、相方から受けた対応も最低なものだったが、現代人の自己中はここまで来たのか?という感じだった。
そのほかの対応も、どこか非常識で、おかしかった。このことで、事故に遭った場合に、自分を引っ込めることができる人=良心の声に従える人、としか組むべきでないと分かったし、勉強になった。
大事なのは、その人が自分の軸=良心に従えることであって、上の命令が聞ける組織人であることとか、ではない。
■ 肝試し大会の山
あとは安全マージンへの理解がある…。一緒に行ったクライマーは、ジムで5級のムーブが完成されていない、6級もまだそうだった。
ので、フリークライミングの世界では、まだ基本的には5.9に安心して取りつかせていい段階にない。それで、事故者多発課題の斜陽をRPだそうで、もちろんTRリハーサルの後だから自動化で登ったのだろうが、それでも、それで調子こけば、事故になる。安全マージンが十分でないのだ。ギリギリなのだ。そのこと、ゆとりの有無がまだ分かる段階にないクライマーということだ。
事故にならないかなるか?は、自分でリードで、取りついていい課題かどうか?の判断ができる、ということだ。
会の主従関係で登ると、自分の登る課題を選ぶ目がつかない、という、こうしたリスクがあるのだ。
こうしたことが次々に起こったのが大阪で、大阪に行ったのは、良い面も悪い面もあった。
私の結論は、大阪のヒグラシみたいなジムで登って、あとは年に一回ラオスに一か月行けれればいい、というものだった。
なにも、命の危険を冒してまで、登らないといけない岩なんてのは、ないわけなのだから。
■ 先輩の先輩に送ってもらったロクスノバックナンバーのこと
さて、そんなこんなで、大阪では、あれこれと色々と思うところがあり、クライミングのアウェーの地、福岡ではクライミングとは、潔くおさらば!して、本格的に畑仕事に精を出す気でいた…。
半農半Xは私の願いである。私は自然と寄り添った生活を前ほど恐れていない。
だから、実は、JFAの年会費も更新しないでいたほどだ。
もう、人の心を忘れて、自分さえ登れればいいというクライミングには、うんざりしたし、私の周囲には、一緒に登りたいクライマーもいない。
みな自分の損得勘定のことしか考えていない。私が登れ、登りたいと言っている課題が目の前にあってですら、ロープの末端を結んではくれないクライマーと、何年一緒に登ったところで、私が上達することはありえない。
というので、さっさと切り替えて、畑を頑張る予定にしていたのだった…
ところが、そんな折、以前一緒に登っていた蒼氷の先輩の先輩…寺沢さんという女性の先輩から、古いロクスノが届いたのだった…
それは、杉野保さんの死亡事故について、私が彼のOldButGoldと題した記事を読みたいと思ったからだった。
人って言うのは、温かいものだなぁ。
これらのロクスノを読むのは、謎解きの解を貰うような経験だった…。
色々な謎がだいぶ、これらの古いロクスノで、歴史を知ることで溶けたのだった…
■ 近況
というので、再びクライミングのほうへ、また私の情熱の軸足が少しぶれることになった。
畑の帰りに、あまり期待もせずに立ち寄ったクライミングジム…。
そこのジムのお兄さんは、すでに2段、3段が登れるクライマーなのだそうで、九州のクライマーとしては、JFA寄りの…つまりホワイトクライマー寄りの…枝村ガイドや田嶋さんを知っているそうだった。お二人とも、私は顔見知り程度でしかないが。
ジム自体も、私の好みの課題のような気がした。
さらに、畑の近くでボルダーがあるなぁと見ていたら、どうもそれらのボルダーは、すでにグレードがついていて、唐泊ボルダーというらしかった。
https://kurume.joywallclimbing.com/rockpath/karatomari/%e7%a6%8f%e5%b2%a1%e5%b8%82%e8%a5%bf%e6%b5%b7%e5%b2%b8-%e5%94%90%e6%b3%8a-%e3%83%9c%e3%83%ab%e3%83%80%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%82%a8%e3%83%aa%e3%82%a2%e3%83%88%e3%83%9d-2016%e7%89%88/?fbclid=IwAR1IP5zUJFQbS1mcNERcbYlKj4Aod7zx87OW-Ex1I0QW3Pc7ZCHbQ1GxFZ4
この二つの出来事で、またクライミングの神様が、私をクライミングから手放したがっていないのだろうと思った。