■ やっぱり、初登者が勝手に特権振りかざしているだけでは?
サバージュ・ババージュの件読みました。
https://www.taru-shiru.com/noboruahou/archives/futago1.html
どう読んでも、このルートをリーチの短い人に登らせないために、嫌がらせしただけって明らかなんですけど(笑)。
ホールドを埋めるって、チッピングと、ほぼ変わらない行為なんですが…。
それで、クライマーとして、あるいは開拓者として、あるいは人として尊敬を得たいと考えるほうが、まぁ無理があるよなぁ。
だって、チッピング=自然の岩の形状を変える=クライミング界最大のタブーですよねぇ?
ダークサイドに墜落、も程がある感じです。
■ なぜダークサイドに落ちてまで、人は自分のエゴにこだわるのか?
そこが私には全くわからないことなのです…。
大体、人工壁の課題だって、人によって、登り方違いますよね?
だから何が何でも俺が登った通りに登らなければ、登ったことにならない!とこだわったところで、何の利益があるのでしょうか…
いや、自分より力量が下だと思われる人が、自分のルートを登ってしまうのが悔しくて受け入れられないのでしょうか?
どういう心理状態で、悪い評判を広げてまで自分の名を残したいのか?そこのところがよく分からない…
これは、クロスケオテ谷のときも思ったんでした…というのは、私は、フリーで超えたという初登記録がでたものと思っていたら…え?エイドの記録…?エイドで登ったら、それは名誉な記録ではなく、不名誉な記録になってしまいます…だって今、もう1980年代じゃないんですから… 2000年も超えてとうに20年たっているのですから…
ということで、小鹿野のこれも、自分の長所をPRしているつもりで、短所をPRしてしまっているということを地で行く事例のように思いますね。
■ 未成熟な自己愛
この事件は開拓者の方は、おそらく、心が自己愛に飢えた方でしょう…。
岡田尊司 『愛着障害からの克服』より引用 |
どうも私の九州での観察結果によると、男性で自分の能力に挫折を感じた人は、そのことを受け入れられないまま、俺を認めてくれる由一の場、としてクライミングに依存し、そして、課題だけが俺の生きた証、と思うようです。課題に名を残したい、偉大なクライマーに数えられたい、末席でも座りたいってことなのかもしれません。
しかし、これでは、社会的逸脱のほうが記録に残ってしまいますね。
たぶん、察するに、俺を愛してくれーという心の叫びがこのような行為として発言した心理的背景だろうと思われますが…
今までは日本でも、
仕方ないねーおじさんたち、可愛そうだから、そっとしておいてあげよう、
と許されてきたものが、昨今、時代の変化が加速し、もはや、LGBTとか日本でも普通の時代です。
セクハラもパワハラも、かつては許されていましたが、ホワイト化著しい日本でそのままの調子漕いてやっていると、社会的には、自ら自殺、と言えるかもしれません。
対立がある場合、大多数のクライマー男子は、日和見菌です。要するに、勢力がありそうな方につく、というだけのことです。というのは、クライマー人種って、考える能力に欠如した人が集まっていそうなんですよね、特に九州の場合。
小鹿野は大都市、東京近郊なので、マシな人種が集まっていることを祈るばかりですな。(←対岸の火事ですいません)
今回のサバージュ・ババージュの件は、その潮目を決める案件になるかもしれませんので、丁寧な経過報告文を書くのが被害者さんにはおすすめです。
公開された課題は、公共性があるのだ、ということを一般に認知させる最適な機会とするのが良策だと思います。
だいたい、公開された岩場でノーマットで登るとか、こっちでも、はぁ?なことが会ったりしました。そんな事しているから、アクセス問題で登る岩場がなくなっちゃうんですよ。
クライマーが落としていくのは、迷惑とうんこばかりでは…。
アメリカでは、ボルトはもはや金を積んでも打たせてもらえないようですよ。
こちらは、業界の重鎮 菊地さんの意見です。あんまりにも当然のことが書いてあったのでびっくりした。
自然を登るのが外岩クライマーなのに、九州でも、岩に人工ホールドくっつけたり、木っ端をくっつけたりと、色々していますもんねぇ… いや、ホント。
みんなフリークライミング自体の定義自体を知らないんじゃないの?