という教訓なのかなぁ…結局。私は、15歳のころ、人生最大の失敗…熊本高校への進学…をしてしまい、それを取り戻そうと退学と高専への入り直しを大人に願い入れたことがあるのですが、聞き入れられず、その後30年以上苦悩することになりました…。大学は夜学へ進学し、経済的に長い間苦しみました…。
当時、経済的見通しが立たない進学校である熊本高校への進学は、単純に、”先生がうちの中学から出た”と言って嬉しいってだけ。大体、各中学から一人か二人しか合格しない学校なので…。
人生に必要な意思決定に、親や大人の優越感を満たすという”私の役割”が入っていて、不快でした。行為の結果は、私が刈り取るので、先生が誇らしいってだけのために、その後、何年も苦労しないといけなかったので…。(ちなみに逆に私が先生の立場ならそのような判断はしないでしょう…)
以後、人生の決定権を他者に委ねないようにと、自立率200%な感じで進んできていますが…。
以後、人生の決定権を他者に委ねないようにと、自立率200%な感じで進んできていますが…。
クライミングの世界で確認していることは…特に九州に来て以来のことですが…、「困ったら、誰かを頼っていいんだよ」ではなく、「やっぱり自分が一番頼りになる」ってことのような???そんな気がしていますが…。
一般的には、自立率が200%みたいな超自立型の人は、本来は、”そうじゃないよ、頼っていいよ”というのが、教訓のハズなのですが。定型的には…。
■ 返さなくて良い親切
一般的には、自立率が200%みたいな超自立型の人は、本来は、”そうじゃないよ、頼っていいよ”というのが、教訓のハズなのですが。定型的には…。
■ 返さなくて良い親切
こないだ…車がパンクして、タイヤ交換をしてくれた路上の人にお礼をしようとしたら、受け取ってくれませんでした…。たしかに…。私も、”いいよ、いいよ”と言いそう…。
誰かが困っていて、自分が簡単に差し出せるスキルがあったら、喜んで差し出しますよね…。
私にとってクライミングを教えることやビレイは、そのようなものですが、そうじゃなくて高く売りつけたい人は、なんでそうなのかなぁ… ほとんど理解ができないのです。
故・吉田さんのビレイヤーをしていたころは、たくさんの、ツヨツヨクライマーに声を掛けたけど…そんなビックな人とは登れない、とか何とか言って、みんな協力するなんて毛頭無理、みたいな反応でした…。でも、登るグレードとビレイは関係ないですよねぇ。ビレイヤーがいないと登れないんだし…。
故・吉田さんのビレイヤーをしていたころは、たくさんの、ツヨツヨクライマーに声を掛けたけど…そんなビックな人とは登れない、とか何とか言って、みんな協力するなんて毛頭無理、みたいな反応でした…。でも、登るグレードとビレイは関係ないですよねぇ。ビレイヤーがいないと登れないんだし…。
みんなの行動原理…皆を動かしている意図が私には理解できない…。私の意図と全く違い過ぎて、宇宙人とお話しするみたいになっている。
そこが問題なような気がしてきました。
■ 今日の名言 世阿弥の初心忘るべからず
クライミングも、ギュリッヒは、同じように、書いていますよね… あるグレードを登れる人は、そのグレードにおいて、初心者、中級者、熟達者と進むと…
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「是非の初心忘るべからず。」が説いているのは、「未熟だったときの芸も忘れることなく、判断基準として芸を向上させていかねばならない」ということ。
「時々の初心忘るべからず」は、「その年齢にふさわしい芸に挑むということは、その段階においては初心者であり、やはり未熟さ、つたなさがある。そのひとつひとつを忘れてはならない」ということ。
そして「老後の初心忘るべからず」は、「老年期になって初めて行う芸というものがあり、初心がある。年をとったからもういいとか、完成したとかいうことはない」ということ。
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