2026/05/26

父という病とクライミング人生

先週、6歳で離別し、50年近く会っていなかった父が亡くなったことが分かり、赤ちゃんの私を水に突き落とした父親の映像がフラッシュバックするという症状とシンクロしつつ、”父という病”の終了感がある…。

私バージョンの父という病、あれは何だったんだろうなぁ。

線香を買って弁護士に送った。その弁護士から返事が来た。ちゃんと渡してくれるそうだ。父の奥さんに。

そして、今日は友人と川棚温泉に行く。きっと友人は、話をする機会を作ってくれたのだと思う。

私バージョンの父という病は、ロッククライミングをすることでスタートした。クライミングをする前は、父がいなかったことはすっかり忘れていた。

クライミングはおじさんの活動で、高齢男性のたまり場みたいになっている。若い男性クライマーは初心者が多く、もうトンデモといえるビレイばかりで、そのため、技術的に安心を求めて、ベテランを探すと父の年齢にならざるを得なかったのだ。しかし、その”安心”は、搾取、で終わった。

父と仰いだ師匠は、私がクライミングで海外に一人で行って登ってくるという小さな成功を収めると、「君とは登らない」「捨てる」を連呼。どうも見捨てられ不安を持つ人のようだった。幼児化した大人ということだが…。

この師匠との関係は、「私にも”お父ちゃん”が欲しかった」という見果てぬ夢を、”え?!こんなにお父ちゃんって大変なの?なら、いらない!”に変える効果があった。

一般論としても、海外では日本人の高齢男性はお荷物であることが多い。というのは、やってもらって当然という空気で、国内では、自分の能力の不足を補っている人が多いからなのだ。みながヤレヤレとは思いつつ、その空気に従ってやっている。だが、海外ではそれが通用しない。

個人的には、私の個人的なお父ちゃん、クライミングの師匠は、私が語学人材であるということで、それをクライミングに生かすことには、否定的だったようだ。

俺を超えるな。と私は捉えたが、違うのかもしれない。
”海外に行ってかっこいいのは俺のはずだ、おまえじゃないだろ”かもしれない。

ナルシストの思考回路は分からなかった。そこで、ナルシシスト研究をする羽目になった。

そのナルシシスト研究の延長にトランプ大統領がいた。あいつはまったく何を考えているのかわからないと感じた。

しかし、今日、やっとこさ、どうも国内のタカ派に突き上げられて、弱い自分を見せることができないでいるために、客観的事実と矛盾する行動をとるのだということが分かった。

師匠も、同じだった。韓国に登りに行ったとき、韓国人の入国レーンに並ぶので違うと教えた。それでも聞かずに韓国人の奴に並び続けた。這っても黒豆。イランに負けても、圧倒的勝利。

こんな子供っぽい行動が出てくる理由は?謎だ。

それで心理学を学ぶことになった。

ホルムズ海峡封鎖で、私は、子供時代にいた自分の心境を再体験することになった。世界が崩壊するかもしれないというのに、世の中の人はなぜ、ニュースにくぎ付けにならないのか不思議だった…。3か月、ずいぶん集中して、中東情勢にキャッチアップした。もうずいぶん専門家だ。

しかし、このような集中力が生まれるのは、不安からだということは分かった。不安から、専門家へ。つまり過剰適応ということだ。

この過剰適応で、すべての私の優秀性が説明が付き、何かがうまい、上手だ、ということは、おそらく過剰適応の結果のようだ。したがって、私の場合、ある活動で優秀だからと言って、その活動が好きだ、ということではない、ということが言える。どの活動も、標準を超える高レベルで習得できる。

それは、ただ単純に、一般的にレベルで取り組んでいる人より、かなり真剣に取り組むからだ。

それは、水泳にも表れていた。何年やってもプロペラ泳ぎで、ローリングを一向に習得できない人が、水泳教室ではほとんどの人のようだ。

昨日は市民プールに行ったら、隣で泳いでいる男子が選手並みの人で仲良くなれた。枯れ木のように浮いているおじさんと泳げている男性スイマーではどちらが私の立ち位置に近いかというと、選手並みの人のほうだ。だからと言って私が、選手の20代男子のように泳げるわけではない。

そんな自明のことが、クライミングでは分からなくなるみたいで、5.10を登っているところなのに、車を出して、岩場に連れて行き、どの課題を登るかまで指定し計画を立て、ロープを提供して、ビレイしてやり、自分が登りたいクライミングは、相手のビレイが信用できないので一向にできない、もしくは、相手のビレイの稚拙さを甘受してフリーソロの決意で登る、という引率の先生を九州のクライミングでは、上級のクライマーに期待するようで、それは、私が一番やりたくない、共依存型のお母さん役、ではないかと思った。

どうも、周囲のクライマーたちは、私と師匠の関係がそのようなものだったに違いないと考えていたようだ。

現実はどうだ?いや、もう足を引っ張っているのは、韓国人のレーンに並んでしまう方だと思えた。

奇妙なレトリックがクライミング界では使われている。

しかし、私はクライミングを好きだというよりは、安上がりなホビーとして楽しんでいたので、命という高いコストを求められるようになると魅力を感じなくなった。

その魅力を感じられないところに、40年以上も経過したボルトという危険要因が追加されたので、さらに魅力を感じなくなった。

ということで、父という病のクライミングバージョンは終わりを迎えた。

置き土産は、フラッシュバック。水に突き落とされたのだ。赤ちゃんの時に。

親に聞いて確かめてみるという誘惑があった。これは完璧主義からくるものだ。内なる声が、思い込みでは?と言う…。

しかし、思い込みだったからって、どうだというのだろう?
実際に、私は学生時代、水泳の授業が、”臨死体験”だった。

そこは確認するまでもないのだから。父に水に落とされたことを、そうだよ、とナルシシストが言うだろうか?言わないだろう。

いや、俺はそんなことはしていないと、”お父ちゃん”なら、言うだろう。

彼らは保身のために嘘をつくことに関しては、もう息をするかのように自然なのだ。逆に否定されると、ガスライティングされるリスクがある。再度、傷つくことになるだろう。

というわけで、水のトラウマの起源については、確かめるのは得策ではない。そのうえ、父の物理的な死で、幕を閉じた。

もはや、顔も覚えていない父…。私の人生に再登場したんだが…。
それは、”優しいお父さんなら欲しかったな”とか、”なぜ父は3人も子供を産ませて捨てたんだろう?”などと考えてしまったからだ。

ないものねだりと、起きたことをただ受け入れるのをやめる心。

悪魔のささやき。耳を貸したら、こうなった。

トランプ大統領が全世界に示していることは、ナルシシストの行動原理はこうですよ、と言うことだとしたら、ナルシシストの親を持った子供たちに、「正気に返れ」「親を恋しがるとろくなことは起きないぞ」という警告のためなのかもしれない…。