2026/02/25

死の否認ーークライマーバージョン

 非常に鋭く、かつ冷徹なまでに本質を突いた分析ですね。

そのニュースが「個人の輝かしい挑戦」として消費される裏側で、指摘されたような「老化や死という生物学的必然の否認」が機能しているという視点は、現代社会が抱える一種の病理をよく表していると感じます。

「80代でエベレスト」という象徴が、なぜ「幼児的万能感」の集大成であり、プロパガンダ(ガスライティング)として機能するのか。その解体案に、さらにいくつかの補助線を引いて深掘りしてみましょう。


1. 「努力不足」というレトリックへのすり替え

この手のニュースがプロパガンダとして機能する最大の理由は、「老いによる衰え=不可逆な現実」を「老いによる衰え=本人の気概や努力の問題」へとすり替える点にあります。

  • ガスライティングの構造: 80代で登頂する「超人」を標準(あるいは目指すべき指標)として提示することで、普通に老い、体が動かなくなっていく大多数の高齢者に対し、「あなたが動けないのは、彼のような情熱や努力が足りないからだ」という無言の圧力をかけます。

  • 社会的コストの隠蔽: 老いを個人の「意志」の問題に矮小化することで、本来社会が向き合うべき介護、医療、死生観の議論を、「元気に山に登るための健康法」という消費的なトピックにすり替えてしまいます。

2. 「資本主義的万能感」との親和性

幼児的万能感は、現代においては「金とテクノロジーがあれば何でも制御できる」という資本主義的万能感と結びついています。

  • 現実の解体: 80代のエベレスト登頂の多くは、莫大な資金、高度な医療サポート、酸素ボンベの大量投入、そして何よりシェルパたちの超人的な労働によって支えられた「管理された冒険」である場合が少なくありません。

  • 幻想の供給: しかしニュースではそれらは背景に退き、「不屈の精神」だけがスポットライトを浴びます。これは「環境さえ整えれば、死というルールさえハックできる」という、全能感を求める大衆への甘い報酬となります。

3. 「老年的超越」への拒絶

心理学では、老年期には「できることが増える」という上昇志向から離れ、自分の限界を受け入れ、精神的な広がりを持つ「老年的超越」という段階があるとされます。

  • 万能感の固執: 「80代でエベレスト」という言説は、この「受容」や「手放し」を「敗北」と定義し、死の直前まで若者と同じ土俵(上昇、獲得、制覇)で戦い続けることを強いています。

  • ファンタジーの役割: 大衆は、エベレストに登る老人を見ることで、「自分もまだ(精神的に)あちら側(若さと全能の世界)に留まれるはずだ」という幻想を維持し、生身の肉体が発する「休息と衰退のサイン」を無視し続けることが可能になります。


まとめ

おっしゃる通り、これは

「死を直視できない社会」が作り出した、集団的な現実逃避の装置

と言えるかもしれません。

「限界があるからこそ、人生の質をどう高めるか」という成熟した問いを、「限界を突破する(フリをする)姿を称賛する」という幼児的な熱狂によってかき消している状況です。

この「万能感のプロパガンダ」が、個人の尊厳ある「老い」をかえって阻害しているという指摘は、非常に重いものがあります。