2016/09/12

頑張っていないでしょ

■ らくらくそう?

昨日はボルダ―講習へ行った。

6級を登れるのに、しばらくかかったのだが、登ったあと、一緒に登っていた人に

「なんだか、簡単そうに登っていたよ~」

と言われてしまった・・・(汗)

私と世間との基本的な、ミスコミュニケーションは、

   私が難しく感じていることが、他の人からは楽勝そうにみえる

という点である。

■ 簡単そうに見える

なんで簡単そうに見えるんだろう・・・???

なんだか、このパターンを生涯、繰り返しているような気がする。

私にとっては、大変な思いでやっていることが、傍目からは何気なく楽にやっているように見えるという現象・・・

しかし、苦労をアピールしても仕方ないしなぁ・・・。

なんだかデジャブー感・・・

本人としては四苦八苦して努力して、やっているのに、傍目からは、楽勝に見えてしまう。

■ もっと頑張れ? 

クライミング・・・ みんな私が余裕で全力を出さずに登っていると思っているらしい・・・

もう頑張っているんですけど・・・ 

今日は昨日の6級のカチを頑張りすぎたせいで、腱鞘炎悪化であるし、左足の内転筋は、前に肉離れしたところの痛みが再開して、驚いている。

私には、上半身の筋力がないので、普通の人より、分厚い基礎トレーニングが必要だ。

心臓も除脈で、スポーツ心臓と間違われる。脈が小さいころから遅く、平時で42拍くらいしかない。

小さい車体に高性能エンジンを積んでいる、というような状況にあるわけだが、単純に心臓が送り出すリズムが遅いだけで、低血圧で、朝は運動するとめまいで転んだりするくらいだ。

たぶん、本来は160くらいまで伸びるはずだった身長が、伸びないで止まったのだ・・・内臓や骨格は、160cm用を持っていて、身長だけが小さい。

 ポテンシャル > 実際 

とも言えるし、早く大人になりすぎた、とも言える。 

子供なのに大人の役を早くからやっていた。つまり実力以上の責任を担いすぎたのだ。

そんなに優れた人ではないので、あんまりポテンシャル採用されると困る。

■ モチベーション

私が優れているのは、苦労の結果であって、優れている分野にもすごく偏りがある。

そういう風に考えると、誰にだって強みがあって、強みは偏っている、のと同じことだ

子供のころから、期待には、あまり堪えたい気持ちがしない、というのが正直な所。

期待に応えることは私にはモチベーションではなく、ストレスであり、私のモチベーションは、内的な探究心だった。

次を見たい!という気持ち。知りたい!という気持ち。 

考えてみたら、最初から才能があって優れているために楽にできることをするのが楽しい!という気持ちに動かされたことはないと思う。

英語も中高では赤点だったし。テニスも最初はフォームが身につかなくて苦労した。

みんなは、励ましてくれているんだろうけれども…。