2016/09/21

ピラ29

■ 調子が悪い日

昨日は調子が悪い日だった。体が重い日。

150度の傾斜の課題に、2番目に取り付いたら、腕力発揮できず、落ちてしまった。腕力は出てくるのに、キッカケが必要なようだ。

昨日、夜更かししたからだろう・・・シンゴジラの影響だ(笑)。

黄色青(6級)で未解決問題を少しやっつけた。黄色(7級)でムーブ意味不明で、放置にしていた課題も、解決した。頭で解決する課題をやっつける。

青(5級)もリーチ以外の部分を片づけた課題が二つ、3つほど・・・。

トータルで見ると、そう悪い日でもないのだが、いまひとつ快調な日ではない。

アップ 6級 飲む信玄餅  ラクラク
6級 ロールケーキ星団  150度 あら?!落ちた
6級 自分探し  因数分解  縦キョン
6級 ミス漬物石 ラクラク
6級 手は一回でよろしい 因数分解 縦カチの引付け 一個ホールを見落としていた
7級 ミス信玄 ラクラク ヒールフック
5級 フェンモン5  最後の1手が遠く 一撃ならず
6級 人間失格 楽勝課題

いつもの勾玉 3種目 ツイスト、アウトサイドフラッギング、ハイステップ

5級 高騰マン辞退 ??? 
5級 毛布リベンジ ???

■ 3段階

大体今は

 5級 (青) → 1段階目 「力任せのクライミング」 粗形態

 6級 (黄・青) → 2段階目 「テクニカルなクライミング」  定着中

 7級 (黄) → 3段階目 「動的なクライミング」 熟練中

・・・というような段階にいる。5級の壁がある。

5級の場合、

・ホールドの保持の仕方
・フットホールドの置き方

など、クライミングの基礎がないと、登れない。大体昨日触った5級はリーチが遠い。

6級まではリーチの遠さがあまり問題になることはなかったし、ホールドは、ほとんどガバであり、基本的にツイストがマスターできれば登れてしまう。

・・・というわけで、5級って大変。

6級までは靴はなんでもいいが、5級からはエッジングが必要になるので、まともな靴を履いている。

■ 飽き

でも、なんだかピラの課題も飽きてきたので、どこか別のジムに遊びに行くかなぁ・・・

■ 腕力

まぁ、腕力の日ではないみたいだった。腕力ってものは、常に快適に発揮できる状態にしておくには、コツがいるのかもしれない??

最近、理解したことだが、腕力は、基本的に今まで全く使っていなかっただけらしい・・・。

・・・で、使おうと思えば、実はそこにはあったのだ・・・と隠し金山を新たに発見した気分である(笑)。

日常生活で全く必要のない腕力・・・ 男性が腕力を持て余してしまうのも、仕方ないよなぁ~と納得。

■ 余ったものは使わないと

ボクシングしたり、など、余った腕力を満足させる、なんらかの運動をしないと、余ったエネルギーの発散の場所がないかもしれないよなぁ・・・。

私はテニスを部活でしていたから分かるのだが、大学に進学して定期的な部活が無くなったころは、エネルギーが余って仕方なく、気持ちが悪いので、夜な夜な、グランドに走りに行っていたくらいなのだ。

中学高校で、体力が上がった人は、一日デスクワークだと体力が余ってしまう・・・そういう場合は、やっぱり余ったものは使わないと、余った分、イライラしてしまう。

その分を使わないでいると体力喪失になってしまう・・・と思う。

体力って、余ったら、余ったで気持ちが悪いものだと思う。

つまり、夫が体力を使わずに生活しているということは・・・彼の体力は下降曲線一直線って意味なんだよなぁ。マズイよなぁ。

■ シンゴジラ

昨日は、夫とシンゴジラを見に行った。

夜の回なのに、子供がたくさん映画館にいてビックリ。さらに終わって出たら、もう10時ごろなのに、イオンモールがまだまだ営業中なのにビックリ。

甲府駅周辺は8時でもう店じまいが始まっている感じなのに・・・。初めて甲府に降り立ったとき、まだ8時なのに、寒々としていて、ビックリしたのだった・・・。

シンゴジラは、面白かった。

3.11・・・当時は、ヨガのイントラ養成コースに通っている時だった。あまりに危機感のない街の様子に驚いた。

実際、甲府には、全く何の被害もなかったが、それでも、やはり帰宅して、事態を見守るくらいは・・・と思えた。

■ 危険認知

最近、瞑想中に理解したことだが・・・私の危険認知力が人より、安全マージンが大きく、予知力に優れているのは・・・

 小さいころから母親代理

だったからだ。弟と妹の安全は、私の責任だった。大体いつも、予想した通りのことが起きた。 

■ 心の中の神

母は、正直な所、あまり頼りになる人ではなかったので、親が頼りにならないと子供は自分で自分の身を守らないといけない。

私は心の中に神様を持つことにして、その人を頼りに生きていたので、今思えば、それは信仰、ということだと思う。

今でも、人を欺くことはできても、自分で自分を欺くことはできない、と思う。

もっとも大事なことは、自分で自分を欺かないこと、だ。

自分で自分に恥じるような行為や後々後悔すること、本当に心からしたいと思わないようなこと、はしてはいけない。

・・・が、心の中に神という名の良心を持ち、その庇護に生きることは、子供にとって唯一の選択肢であるがためにむしろ易しく、大人にとっては非常に難しいことが理解できるようになった。

心を害し逃避が起こる場合の、多くの理由が、実は知っていて行っている自分への害悪である。