■作戦
フリークライミングは難しい・・・しかるに、作戦を立てなくてはならない。
その作戦だが・・・クライミングの歴史を知らないと、ステップアッププランも立てられない。
まずもって、登るべき課題が分からないのである。
しかし、漫然と与えられた課題を登るだけでは、主体的な取り組みとして、楽しむこともままならないのであるから、なんらかの計画、プランニングは必要である。
原則1) 易から難へ。
原則2) オンサイト能力を磨くことが大事
原則3) スラブならスラブだけ、クラックならクラックだけ、フェイスならフェイスだけをやるほうが上達する。
■ 足で登る = スメア
基本的に、初心者はスラブを登ることになっている。というのは、スラブは登山の延長にあり、足で登るものだから。
クライミングは足で登るもの、と言われるが、人工壁に行くと足はついでであり、手で登るようになってしまう。
つまり上半身や腕力、指力ばかりがクローズアップされてしまう。もちろん、人工壁でも、足が切れると登りにくいから、その程度の足の重要性は分かるのだが、人工壁には、スラブもクラックもない。だから、スメアリングも分からないし、足ジャムはさらにワカラナイ。
なので、結局、足で登る感覚はつかめない。私が足で登ると言うことを理解したのは、クライミング2年目にして最近で、今年の春に、集中的にクライミングに付き合ってもらったおかげだ。
それ以降、人工壁でも足で登る意味を理解するようになった。ムーブを起こす時、それまでは、手→胴体→足、という感じだったが、今では、足で押してから、手を考える。
■ このようなローテーションで?
私が、過去2年、実践して分かったところによると・・・
1) 日和田のような易しい岩場 日参して完全マスターすべし (山梨なら十二ヶ岳の岩場)
2) 易しいフェイス 小川山物語 ムーブを知らなくても登れるため(正対)
3) 易しいスラブ 春のもどり雪 ガマスラブ 足使いをマスター
4) 易しいハング越え 易しい岩場
ハングは越えられなければエイドになる。が、エイドするよりフリーで越えれるなら、越えたほうが早いことが多い。越えるには、腕力(パワー)が必要になることが多い。パワーがない人には、ムーブが必要になるため、ここで人工壁に差し戻し審判になる人(私です)もいる。
5) 易しいクラック クラックはリーチに左右されない。易しい課題でカムセットを覚える
1) 2回目のフェイスへ戻る
クラックもフェイスがある程度登れないと、登れない局面に来る。・・・そうなったら、フェイスへ戻る。
卒業試験をやってから→レギュラーへ
という具合に、ぐるぐると課題の質を回すと、回している間に、一つずつグレードを上げていけるのではないだろうか?
1)5.8でスタートしたら、スラブ、クラック、フェイスの全課題で5.8が登れるようになる
2)次に5.9で全課題
3)次に5.10Aで全課題
・・・・という具合に、延々と次へ続けて行くのはどうなのだろうか?
岩のハイシーズンは、基本的には真夏・真冬以外であり、雨の降らない時期ということで、3~5月、9~11月、12~3月とすると、1年あたり3シーズン。
スラブ、フェイス、クラックにあるので、3シーズンであれば、1グレード上がることになり、大体、今までの流れと一致する。
一年ワングレードって感じなのだ。
■ ちょっとビビりすぎでしょうという指摘について
ところで、私のクライミングライフにとって、最大のボトルネックは、ビレイヤーのスキルである。
なにしろ、引っ張り落とすようなビレイヤーや、私自身が初心者なのに、連れて行ってください☆という人しか、今まで行っていない。
落ちれないビレイヤー・・・実際、外岩に行く前に人工壁につれて行き、リードしたら、引っ張り落とされそうになり、隣のパーティが変わってくれた。一度の失敗は誰にでもあることだから・・・と外岩に行っても、アイスに行っても、私の方がトップロープを張ってあげる側だった・・・。
・・・というので、落ちれない、と思って、登っているので(特にリード時)、落ちることに対しては、かなり恐怖心を持っているが、ちょっとビビりすぎでしょう、という指摘ももらっている。
その指摘は、上達には必要だが、私に必要なのは、批判ではなく、励ましだ。
それくらいの励ましは誰にだってあげて良いのでは?
今現在は、落ちれるビレイヤーと登っているので、頑張れば良いのだが、そう簡単にモード切替できない。
■ 危険認知
先日は、ガマルートの右のスラブで、ちょっとした小テラスの上の中間支点が遠く、リーチが遠かったので、ムーブをして落ちるかもしれないと思い、リード中にクライムダウンしてテンションしてもらった。
落ちたら小テラスにぶつかるし、大根おろしになってしまうと予想できた。
下から、「やってみて。止めてあげるから」と言われ、3トライ目ぐらいで登り、なんとかリード貫徹。
降りる際にトップロープで、同じ個所をやってみたが、もうスタンスも分かっていたし、トップロープ状態で怖さもないので、何にも問題なし。
つまりフィジカル的には問題がないが、初見でスタンスが分からないと、恐怖心がもたげ、登れないと言う訳だ。
しかし、このようなケースで、下のビレイヤーが良いビレイヤーだとしても、止めれるかどうか、止めても、テラスに激突だと思うのは、ごく常識的な危険認知ではないかと思う。
そこは、大きい人ならリーチがあって、しっかりしたハンドホールドが取れてしまうところで、私の場合は小さいので、しっかりしたハンドホールドを取る前に、デッド的になってしまうのだ。ほんの一歩だけど。
その恐怖心は、誰にでもあるのではないだろうか?
体格が小さいと、体格が大きい人にとってはデッドにならないような、低いグレードで、心理的負担がかかる、ということなだけなのではないのだろうか?
そこら辺は、もし、同じような状況で、サイズが違ったとしても、誰もがムーブを起こすのに躊躇するのであれば、私が取り立ててメンタルが弱い、という意味ではないのではないか?と思うのだが・・・
そうであれば、不当にメンタルが弱いと言われているような気がしないでもない。
外の岩場では、被った人工壁と違って、バンバン落ちるのは良くない、という指導を受けた。
ランナウトしていることが多いのは、外の岩場。落ちれない。落ちるくらいなら登らない、というのも、一つの見識ではないかと思うのだが。
ビレイヤーとしてクライマーを観察していると、ベテランでも、ちょっと分かりづらいところに行けば、リードでもテンションして、安全に登れると確信してから、登っている。
そういう場合、ビレイヤーとして、私は、”怖さを克服して登れ”と声を掛けたことはなく、”不安なら無理せず降りて来て”といつも、言っている。
不安は、”克服する対象”というより、”危険を教えるもの”であるように思うのだが。
無理強いされたリードで落ちて、二度とリードしないと決めた先輩のことを思い出す・・・
私が最初に教わった人からは
・クライマーはビレイヤーが信用できないと登れない
・リードを無理強いしてはいけない
・ビレイヤーはクライマー側が選ぶもの
という風に教わった。最近は、その逆を期待されているような気がする。
もちろん、ビレイヤーはベテランだから信頼しているし、リードはまだ、自分でどこが登れてどこが登れないのかよく分からないので、ベテランの方が判断が的確だと兜を脱いでいる。
でもビレイヤーはクライマー側が選ぶもの、という原則はうやむや化している。まぁ今一緒にいる人たちはどの人もちゃんとしたビレイヤーと思うので、あまり気にしていない。
特にトップロープだったら、誰でもいいやって感じではある。
が、やはりメンタルについて、指摘を受けると、反発心を感じる。
伸び伸びとしたクライミングに必要な、安心や信頼というものが、いまだに手に入ったようには感じられていない。
否定や批判を感じると、信頼や安心は揺らぐものであろう・・・
とりあえず、落ちれないビレイヤーからは逃れられている。それだけでもありがたいことだ。
そちらのことを念じないといけないのかもしれない。
■ ボルダ―
この問題を克服するにあたって・・・ ボルダ―はどうかなと思っている。
なにしろ、ボルダ―なら、ビレイヤーは要らない。ボルダリングは岩と自分だけの話になる。
易しい課題を数多く触ることもきっとできるだろう。
というので、ボルダ―を検討中。
■ Today's word
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Ask why you let them do it.