2024/02/15

一気に良くなった帯状疱疹…怒りの表出の完了

■ 一気に良くなった帯状疱疹

『がんが自然に治る生き方』を読んだ。なんとなく、元の自分に戻る感覚があった。

ホットタオルを患部に当てるのを辞めて、カイロを腰に貼ったら、なんかよく寝れて、ピリピリした神経痛も引いて、今朝は、すっかり良くなっている実感があった。帯状疱疹は枯れる系のものです。

ちなみに今回の帯状疱疹は、父とA木さんへの怒りの表出だと思います。

■ 枯らす…きっかけ トシゾーさんが来てくれたこと

感情は、執着するのではなく、枯らすことに意味があるんだが、枯れないのは、語らないからだろうと思う…。

去年の今頃、トップクライマーの佐藤ユースケさんと登っているトシゾーさんが、訪ねてきてくれた。話の中で、白亜スラブでのパートナーのA木さんのことを聞いてきたんだが、

 「やっぱロープは60mだね!」のセリフをトシゾーさんが聞いて、”A木さんは考え方そのものがおかしい…”と、彼はすぐ気が付いた。

やっぱり…。だよねぇ~。なんかトシゾーさんの同意を得て腑に落ちた

いくら弟かわゆしの私でも、こんな奴と登っていたら命はいくつあっても足りない…。

そのトシゾーさんの様子を見て、やっぱりこの返事で、彼のアホさがついに露呈していると私も思ったんだが、トシゾーさんが裏付けをくれたと思った。つまり心理カウンセラー役。

私が、”自分自身の心理カウンセラー”として、気が付けなかった、

 小さな場面緘黙

に気が付いたんだよなぁ…

あの場面は、めちゃ怒るべきシーンであった・・・。が、最もひどい事態を想定していたので、とりあえず生きていたことに、ほっとしたのだった。

その怒りが、今頃表出したのが、今回の帯状疱疹である。抑圧がどれくらい強いか?を示すのだと思う。

■ あまりにアホすぎるので、指摘したら、相手に悪いという気持ち=場面緘黙

その場面緘黙の理由は、”あまりにアホさが明確なので指摘したら、失礼かも…”、という気持ち…だ。

なぜなら、そのピッチ、25mと35mで、持っている50mロープでつないだら、途中でロープが足りなくなることなど、登る前から分かっているからだ。

登山で、4時間かかる尾根に、9時出発するのと同じだ。いわゆる、”あのバカまたやったぜ遭難”。

そして、50mしかロープはないのに、現在いるところは?終了点まであと3m。

ということは?どういうことなのか?その時点でも、どうも考えなかったらしい…。

最初からトポ見て知っていたら、25+35mは60mなんだから、50mのロープで60mまであと3mの地点にいたら、セカンドの私がビレイポイントから上がってくれたんだと分かる…。つまり、セカンドの技術力で、リードのケツを拭いてくれたんだと分かる。それが分からないということは?

逆説的に言えば、彼は”トポすら見ないで来た”ってことだ。どんだけ~? え?10年登っている人に、そこから教えないといけないの?だ…。

どーりで、どうも考えている人が私だけっぽい感じだったんだよなぁ…。

■ さきゆきの見通しがない人のしりぬぐいをする人生を歩んでいる

どうも、私の人生は、このように考えていない人のしりぬぐいを、あとからしてやっているパターンになっている。

母の時も、母は見通しなしに子供を3人も生んでしまい、結局、下の二人の子供の”子育て”をしたのは、たぶん長女の私。

父はひと時の快楽に逃げて子供を3人も作ったにも関わらず、ボク知~らない!としたために、結局、落とし前を付けたのは、母とそれぞれの子供たち。私なんて、祖母と妹まで仕送りしてる。

■ 世間の善は役立たない

それでも、仏教は、親は生んでくれた恩があると、一般論的には言うんだが、どうも個別では違うらしくて、納得いかないと思ってスマナサーラ長老に直々に聞いたら、やっぱり、徳は私に落ちたんであって、親が、できた子供を自分の成績表として、”よくできました☆”と花丸ハンコをもらうものではない。

親がサボれば、子は賢く育つしか選択肢がないが、だから、サボった親の育て方が良かった、と言うわけではない。

同じことで、パートナーのA木さんがセカンドの私に助けられて登った白亜スラブは、彼の実力相応のルートではない。

この行為を特に悪いことと自覚していないことから判断すると、たぶん彼の今までの登攀履歴がほとんど全部そうだった、のだろう…。実力がかさ上げされているのだ。

それにも関わらず、リードしているから俺のルートだ!というのはおかしい… むしろ、彼のリードは、セカンドのおかげでリードに花を持たせてもらっている系だ。

教訓:リードしているからと言って、そのルートをきちんと消化して登れているとは限らない。高い倫理観を持って登っていないと、トンデモリードを、登れた判定してしまう。

私もちゃんとしたルートをマルチピッチでリードしているが、客観的に自分の力を評価している。

当方の記録:https://allnevery.blogspot.com/2019/01/hyugami-benzaiten-iwa-east-ridge.html

一方、彼のルート自慢は、だれか先輩や、後輩のセカンドでも、しりぬぐいができる人に、花を持たせてもらった、底上げの山だったわけだ。

■ 場面緘黙を治す

この場面緘黙…あまりに事実関係から、明らかになった事実がバカっぽいので、あきれて声もでない=黙る…が起きたのは2度目だ。

最初は山梨アルパインクラブの会長さん。

 「なぜ〇〇さんには、ほかの男子と組ませないんですか?」@人工壁

 「〇〇さんにけがしてほしくないから」

 → え?その答えって、今その男子と組んでる私はケガしてもいいってこと?

回答したご本人は自覚がないようだった(汗)。

その後、この会長さんが女性に恋をしているために、せっせとルートに連れ出しているということが分かったんが…。

他にも彼がその女性のぞっこんであることを示す会話があったんだが、それは省略する。地元では女性にお熱を上げるのは3人目みたいな感じで、周囲の人は周知のことらしかった。

私のように技術志向、スキルを追求型の人は、集中力がありすぎて、脇が甘くなり、そうしたことに気が付かないで、気が付いたら巻き込まれている、ということになっているかもしれない…(汗)。

■ 80代の水泳指導者がロールモデル

女性の世界の水泳はいいなぁ~と、最近ひしひしと実感中。

水泳の先生は、80代の丸林先生で、今度、編み物教えてくれるそうです。

この丸林先生みたいな人になりたいなと思っています。

さて、この場面緘黙をどう治そうか? 

今習っている、上手な伝え返しで治せると思うのですが、このシーンを再現してくれることができるカウンセラーがいない。これはクライマーじゃないと内容の意味が分からないからだ。

シナリオライティングの技で治そうかなぁ…どうしたらいいかなぁ…。


2024/02/13

【事故報告】疑似リードで死亡

https://freeclimb.jp/information/9978/ より引用。太字当方

当方意見:

古賀志事故のように

 地名×事故ではなく、

タイトルは

  疑似リードで死亡、

のようであるべきだ。

登山の遭難では、地名こそ意味ある内容だが、クライミングでは地名には意味はない。技術の稚拙さにこそある。


 ーーーーー

古賀志事故報告書(Drafted 2023.12.10) 文責:神林飛志

・文書の目的:事故の再発防止をクライマー各位に喚起すること

・場所/ルート
古賀志⼭/不動滝エリア ルート名:クウ(5.8)


・事故発⽣時刻
2022/11/20(⽇) 12:55 頃発⽣。天候は全国的に曇り⾬模様だが、この地域のみ晴。


・事故概要
疑似リード後、終了点において確保不備のため、グラウンドフォールにより死亡


・事故詳細
事故者は腰の⼿術で腰椎にボルトが⼊っており、いわゆるリハビリクライマーであった。クライミング・スタイルとして、リードでの不本意なフォールを避ける為に、慎重にトップロープ→疑似リード→リードRP を⽬標とし、徐々に精度を上げる⽅法をとっていた。

疑似リードのやり⽅については、所有の50m ロープ⼀本を使⽤し、トップロープの余った末端を疑似リード⽤ロープとしていた。このやり⽅はビレイヤーと⽇頃から認識を合わせており、疑似リードでトライを繰り返している。(以降、1 本なので"トップロープ端"、"疑似リード端"と表現する。なお、ビレイループの右に疑似リード端・左にトップロープ端をつけることを常⽤していた) この時点で、古賀志での実施は3 回⽬であり、特にトラブルは起きていない。事故者とビレイヤーとの間の基本的な約束事として、トップアウトしたときにはロープの混濁を避けるため、疑似リード端は事故者が解除し、下降時確保には利⽤しない、ということにしていた。

事故者はビレイヤーと共にこの⽇3 本の登攀を実施している。


1 本⽬は「クウ(5.8)」をトップロープ(疑似リード)で試登した。
この時は疑似リードでのトライであり、トップロープ端、疑似リード端ともにエイトノットで連結。次回からは両者区別をしやすいように、疑似リード端を環付きカラビナにて連結することを合意していた。なお、このトライではトップアウト時には事故者の判断として疑似側ロープを外さないこととして下降している。これについては事故者・ビレイヤーで確認は取れている。

2 本⽬は「沙羅ちゃん(5.8)」をトップロープで実施。
このときはトップロープは回収している。このルートは⽀点が勾配にあり、ビレイヤーから回収状況が確認できない。またセルフビレイの合図もなかった為、ビレイヤーが念のために確認したが問題はなかった。

3 本⽬に「クウ(5.8)」を再び疑似リード(トップロープ)。
ハーネスにはトップロープ端、疑似リード端ともにエイトノットにて連結。ヘルメットは着⽤。トップロープは、クウの終了点ボルト上からスリングと安全環付カラビナで⽀点を作っていた。

事故者はクウを疑似リードしながらトップロープ確保で登攀。終了点に着くと、疑似リード端を終了点の残置カラビナに掛け、セルフビレイを掛けたと思われる。そのまま⽀点回収を実施。⽀点回収の実⾏決定は下⽅のビレイヤーには「回収します」の旨の宣⾔で伝達しており、意思疎通は⾏われている。

この後、事故者はトップロープ⽤スリング⽀点の撤去を開始したと思われる。
クウの終了点は、最後のハング部分に乗り越す形になっており、ビレイヤーからは終了点付近の作業状態は視認できない。

このとき事故者は、終了点ボルトまたは残置ロープにセルフビレイを掛けていたと思われる。事故者は疑似リード端を終了点の残置カラビナに掛けてはいるが、ビレイヤーはトップロープ端のみを確保しているので、この疑似リードロープ端は確保されていなかった。(コレ、普通のことでは?疑似リードでは、リードが疑似なのであり、トップロープ確保が基本ですよね)

セルフビレイのみで安全確保されている状態の事故者は、この確保不備に気付かず、またビレイヤーは事故者が勘違いしていることに気付かなかった。

事故者がトップロープの確保確認を怠ったまま、唯⼀事故者を確保していたセルフビレイを解除してしまい、直後にテンションコールを⾏った。ビレイヤーがロープを張ったその後、バランスを崩し墜落したと⾒られる。なお、ビレイヤーからは事故者が⼀瞬複数(下からは3本に⾒えていた)のロープを掴みかけ、後退りの体勢で落下しているように⾒えている。


・推定される事故原因
事故者が下降時にビレイヤーの確保を確認せずにセルフビレイを解除し、確保のないまま下降しようとしたことによるものと推定される。


・推定される遠因と背景
直接の原因は事故者による「下降時における確保確認の不備」によるもので、少なくとも下降前にセルフビレイを掛けた状態で、ロープ・テンションの確認を取っていれば、確保不備は確認できたはずで、事故は起きていなかったと思われる。


なぜ、「下降時における確保確認の不備」が起きたかについては、「疑似リードでトップアウトした直後にトップロープの⽀点回収を⾏ったこと」が背景にあることは無視できない。


このとき、ビレイヤーから⾒れば、いままでの回収の経験通りで、疑似リードといえども、あくまでトップロープによる確保が基本であり、⽀点回収時にはトップロープを残置⽀点に掛け替えて、確保を⾏い下降を⾏うべき、という考えになる。


また、事故者から⾒れば、以下の状況は当然推測可能と考える。
・トップロープの⽀点回収なので、トップロープは確保として機能しない。
・疑似リードで登ってきた上に、終了点にロープを掛けている。したがって、疑似ロープで確保・下降を⾏うことになる。
これは別段、デタラメな推測ではない。

上記のように、事故者・ビレイヤーともに根拠のある推測であり、⾏き違いが起こりやすい状況であったことが推測される。


さらに追加的に以下の2 点は考慮されるべきである

  1. 問題のルートでは、下降⽤の残置カラビナの位置が低く、事故者の⾝⻑ではビレイループよりも下になってしまい、テンション確認が取りづらい。また、ロープ⾃重で引かれているためテンションがかかっているように感じられる。

2. そもそも単⼀ロープでトップロープと疑似リードを⾏っているため、回収後にどのロープがどのような状態かは混乱しやすい。⽬撃情報から事故者はトップロープを回収後、ロープを下に投げずに、⼿元に持っていたことがわかっている。

上記より、通常の⽀点回収よりも「下降時における確保確認の不備」が、よりおきやすい状況であったと思われる。

・対策と注意喚起
まず⼀義的に「事故者が下降時に、セルフビレイを掛けた状態で確保確認を⾏う」ことを⾏っていれば事故は起きていない。 もちろん、「クライマーが下降時に、セルフビレイを掛けた状態で確保確認を⾏う」という鉄則を怠った以上、どのような策を講じても事故は起こりうるのは当然だが、「疑似リードとトップロープ回収を同時に⾏う」場合は、通常の回収のケースよりもミスが起きやすい、かつ、実際に死亡事故が発⽣している、という事実は看過すべきではない。

⼀般にボルトルートであれば疑似リードは少ない。とはいえ、プロテクション難度の⾼いクラックルートでは試登として疑似リードが⾏われることは、経験あるクライマー同⼠や、とくにクライミング講習ではありうる状況であり、注意喚起を⾏いたい。


以下の対策案を推奨する
・クライマーが下降時に、セルフビレイを掛けた状態で確保確認を⾏う、事の周知徹底
・疑似リードロープと確保トップロープを混濁しないために、事前に必要な⼿段を講じること

 - ⻑さのある単⼀ロープの両端を⽤いることはしない
 - できればクライマーが疑似リード端と確保トップロープ端の区別がつくように、疑似リード端を安全環付きカラビナにするなどの⼯夫を⾏う(両者エイトノットの⽅が安全という考え⽅もある)

・疑似リードとトップロープ回収は可能であれば、同時に実⾏しない
・疑似リード時は、必ず疑似リード端・トップロープ端両⽅で確保をする
・疑似リードとトップロープ回収を同時に⾏わざるを得ないケースで、かつ、疑似リード端・トップロープ端両⽅で確保をすることが困難な場合は、事前にどのロープで確保をするか必ずクライマー・ビレイヤーで共有し、かつ、下降前にもう⼀度相互に確認する。
 - この場合、確保しない⽅のロープは先に外し、間違って確保に利⽤されないようにする、という⼿続きを事前に決めておく。
・トップロープ実⾏時には必ず確保側のロープにバックアップの中間プロテクションを⼊れること。

以上

ーーーーーーーーーーーーーーー


うーん、トップロープを回収するにしても、架け替えでは、セルフは取ったままテンションコールをします。私なんか、それでもビレイヤーがアホな場合に備えて、反対側のロープを持った状態でテンションしてもらっていますけど。


よほど信頼関係が構築されていたんですね。


疑似リード関連記事一覧 

https://allnevery.blogspot.com/search?q=%E7%96%91%E4%BC%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89

2024/02/11

【クライミング心理学】レスキュー勉強しないで来るクライマー、ロープを持たないで来るクライマー=無条件の愛をパートナーに要求する人

■ みなみゆうたさんのメマガより引用

-------

「無条件の愛情」にこだわる代わりに、「限られた条件の中で、できる限りのサポート」をしましょう。

「限られた条件」とは、あなたの時間、予定、体力、気力、お金などなどです。

なぜこういうことを言うのでしょうか?

それは、依存的な人や支配的な人ほど、相手に「無条件の愛情」を求めるからです。

この場合の無条件の愛情とは、「底なしの愛情要求」です。

依存的な人や支配的な人たちからの「無条件の愛情」の要求には、あなたの時間や体力、気力、お金などに対するリスペクトがないのです。

無条件の愛情とは、「なんでもあり」ではありませんよ?

電車で足を踏まれても、目の前で嫌味を言われても、暴言を吐かれても、「赦してあげる」のが無条件の愛情でしょうか?

それはやさしさではありませんよね。

成熟した人間関係には「条件」が絶対に必要です。バウンダリーの感覚がマヒしたり、融合していたり、侵入しがちな人の言う「無条件の愛情」は、「すべて私のために犠牲にしてね」という要求になります。

だから、あなたが言いなりになる必要はありません。

ーーーーーーーーーーーーみなみゆうたさんのメマガより

■ クライミングバージョン

「いつでもロープ組んであげる」にこだわる代わりに、

 「いつもはできないけれど、できる限りロープを組んであげる」

をしましょう。

「限られた条件=いつもはできない」とは、

 あなたの時間、

 予定、
 体力、
 気力、
 お金
 性別
 体重

などなどです。

なぜこういうことを言うのでしょうか?

それは、依存的な人や支配的な人ほど、相手に「無条件の愛情」を求めるからです。

この場合の無条件の愛情とは、「底なしの愛情要求」です。

依存的な人や支配的な人たちからの「無条件の愛情」の要求には、あなたの時間や体力、気力、お金、性別、知力、などに対するリスペクトがないのです。

無条件の愛情とは、「なんでもあり」ではありませんよ?

ロープを持ってこないけど、ビレイもできないけど、あるいはめんどくさかったからと言う理由で足りないロープで2ピッチつないで、一つのボルトに仲良くぶら下がることになっても、危険個所でロープを出さないでも、「赦してあげる」のがクライミング仲間の絆でしょうか?

それはやさしさでも、クライミング仲間の絆、でもありませんよね。

成熟した人間関係には「条件」が絶対に必要です。バウンダリーの感覚がマヒしたり、融合していたり、侵入しがちな人の言う「無条件の愛情」は、「すべて私のために犠牲にしてね」という要求になります。一人、一個しかない命までも。

だから、あなたが言いなりになる必要はありません。

ーーーーーーーーーーーーみなみゆうたさんのメマガより

■ バウンダリーの問題

クライミングにおける心理学的問題は、ほとんどがバウンダリー問題だということができると私は思います。

大体バウンダリーの侵害が起きているときに、よろしくない事故やパートナーへの人権侵害が起きる。

共依存的関係に持ち込むことで、成功をクライマーとしての成功をゲットしてきた経験がある人は、山岳会に多いです。昔の山岳会のシステムは、昔の会社と同じで、年功序列なので、下の人が無条件に歩荷してくれ、上の人は、歩荷せずに山に登れて、栄誉を自分のものとすることができた、という流れがあり、それを手放すのが惜しい人が少なからずいます。

例えば、私の前の会の阿弥陀北稜の会山行は、一升瓶を新人に背負わせ、てんやわんやの宴会をして、泥酔状態で北稜に登り、凍傷者3名というていたらくでした。阿弥陀北稜って私が、初見フリーソロ、で登った尾根です。どんだけレベル低下というか、わざと事故を招くようなことをやっているか?分かるでしょう…

そういう意味では、カニを担いで黄連谷行きました、とかも同じメンタリティで、カニをかついで、のところで、いかに黄連谷が簡単か、ということをアピールするのが目的なんですが、新人は、これに騙されないように、ある意味搾取されないように賢くないといけませんね。

なんせ、黄連谷って時点で、すでに諸先輩方のスキルレベルからすると地に落ちたレベルということがうかがえ、それを、カモフラージュするためのカニ、なんですから…。

もちろん、黄連谷であっても、そこが初めての人にはチャレンジですが、チャレンジだと思って行けば成功するものが、カニなんて活がされていけば、死に至る可能性があります。

阿弥陀北稜で、一升瓶活がされた新人、と同じです。私も比叡では同じ目に遭いました。

■ ”カニ担いで黄連谷”と同じ、”敗退ロープなしで!”

この、「一升瓶担いで阿弥陀北稜」「カニ担いで黄連谷」は、「敗退ロープなしで白亜スラブ」と同じメンタリティです。

わざと一升瓶やらカニやら、敗退ロープなしやら、をやるのは、そのルートが楽勝だ、ということをPRするためです。

しかし、現実は、楽勝PRどころじゃなく、アップアップ、死の瀬戸際。

しかし、現代クライマーは、”都合の悪いことは山行記録に書かない”というこれまた不文律があるので、会の中ですら、実際の、

 等身大の山

が共有されていなかったりします。それで、指導する側も、「よし、ここが登れるなら次のステップへ」とか考えてしまい、実際の実力より上のルートを勧めてしまったりします。

なんせ現代の男子は、たったの10cで2時間半かかっても、挫折感ゼロなほど、おぼちゃまくんに育っているんですよ?

結局のところ、(拡大したエゴ)を(等身大の自分)に直す機会が、ほとんどないんですよね…。特にクライミングや、アルパインクライミング、ロープが出る本格的な山はそうです。一般市民の誤解に基づく尊敬のまなざしが気持ちよくて仕方ない、ってことになっています。

なんで、白亜スラブを敗退ロープなしで行きたかった彼は、ほんと、ダメクライマーの伝統のほうを引き継いでしまったみたいなんですよね… (とても残念)

考えてみると、青ちゃんは依存的な人、アラーキーは支配的な人、でした。

■ 教育の失敗

なぜこういうクライマーができてしまうのか?というと、まぁ本人の性格もあるとは思いますが、登山者教育、クライマー教育が適正でない、ということも言えるでしょう。

これは、どうもアメリカでも同じ事態なんではないか?と思いますが。

しっかし、こんな、山の指導者のていたらく、新人の側が、怒りを感じて当然です。

威張るだけ威張って、能力なしという、いったい何やってんだ、っていう情けない状態、っていうのが、客観的な姿ですよ。

■ 対策


相手の気持ちを察する=自分を理解してくれているという誤解(期待)

クライミングで威張りたいんだなぁ=俺を立ててくれるに違いないという期待

2024/02/10

【指導法の探求】誰もが5.12時代&女子の指導


■ 弟とのきずなを感じるバタフライ

横ビート版ドルフィンが意外だった…せりかちゃんの動画。

私の水泳の先生は、YouTubeでは、トモキン先生とせりかちゃんである。とりあえずほかの水泳選手の動画も見ているが、大阪の長居プールの動画など参考になる。

見ていて感じることは、日本の運動の世界は、
 
 一般の人を切り捨て、エリート選抜制の究極な形態

に陥ってきたがために、その少数のエリート以外は国民的に慢性的運動不足の状態に置かれてきた、ということである。

食、運動、休息は、分業制、ではない。Aさんが運動すれば、Bさんはできなくてもいい、と言う風に人間の体は作られていないのだ。むしろ、運動ができるAさんがBさんのできないことを助けるという風に人間界はできている。

さて、ここ2回くらいで、溺れているようにしか見えなかったのクロールも、なぜか急成長した。 んだが…なんと帯状疱疹が出て、水泳に行けなくなった(汗)。

なんだかなぁ…。 バタフライは、なんか弟とのきずなを感じる。

■ 指導者は泳がない

今習っている先生は、80代の先生だから、先生は当然泳がない。バレエの時もそうだったが、指導者は、指導する対象を良く見る目があれば、別に踊れなくても、泳げなくても指導ができる。

男性クライマーはここが分かっていない。登れない奴にいわれたかねーよ、って話になってしまい、その論理で行けば、世界的トップクライマー以外教えることができなくなり、実際そうなってしまっている。

私は、彼より登れないが先輩の荒木さんの指導が出来た。彼が上手になるために何が必要か、私にはわかったが、私がうまくなるために彼は、私に何が必要か?は分からないらしかった。たぶん、その違いは、どれだけ相手に寄り添ってモノを見れるか?ということの違いだろう。

男性は相手の立場に立ってモノを見る、という訓練が異様に不足している人が多いように思う。

特に九州で、男が一番大事の教育を受けた人に多いように思う。

そういう人こそ、本当に優れた人たちの中に混じって、母親の目から見たら息子が一番だが、それは世界中で自分が一番ではないという現実を見つめるべきだ。そうでないと、とんでもない誤解をもったまま、俺ってどーだ!と開陳して、結局、それがしょぼいということになる…。

そもそも、自信というのは子供時代は母親に承認され、安全基地を持つことで出来上がるが、大人になったら、

 自分の過去の選択

に、由来していくようにしていかなければならないのだ。

それは大げさなのことではなく、私の水泳の習得に見るように、自分で選択し、自分で練習に行き、自分で実感して得られるもの。

山もアイスもそうやって習得したけどな。

■ 弟が応援してくれている?

私の弟は、バレンタインデーにチョコを14個ももらってきた…女子あこがれの男子生徒、でした。 水泳ですごく上手になり、メダル選手だった。

子供時代はアスリートの暮らしに合わせて、夏は弟の水泳の大会中心の生活でした。私は泳げなかったので、見ているだけでしたが、弟はほんとにかわいそうな生活でした。真冬でもガタガタと震えながら真水のプールに飛び込んで、ボイラーのお風呂に入る、を繰り返すのです。唇は真っ青。

そんな生活を見ていたので、スポーツ虐待と言えるアスリート教育には私は反対です。私が推進したいのは、

 一般市民のための健全なクライミング。

一般市民でも、5.12を登る時代が来ているんですよね。40年前は、5.12に一瞬でもタッチしていれば、俺ってどーだ!とブイブイ鳴らしていたらしいですが、今はそんな時代ではない。日本人はありもしないリスクに、怖い怖いと言って、ロープを蛇だと思って怖がっている状態に現在あります。

 ”だれもが5.12時代”

です。そのために必要な基礎技術を知ってもらいたいです。例えば、初心者は下部核心の課題に登ってはいけない、など。 

さて、私の水泳ですが、バタフライは、なぜか一度下手になり、昨日の水泳教室でやってみたら、また上達しており、「そんなに上達したら、先輩たちににらまれるよ」と先生がいうほど…。いや~、なぜか分かりませんが、やっぱり、スキルトレーニングは得意なんです。

アイスも、荒木さんより、私のほうが上手で、登れました。そりゃ当然だと思う。自分がカッコよく見えるかどうか?ばかり気にしていたら、登ること自体がそっちのけなんだから…。

ただし、パワーだけで解決できることの多くを、女性は解決できないのは事実です。

たとえば、私が5年も練習していたヨガのアーサナで、マユラーサナは、彼は一発で知った初日にできました。ショックそうな顔をしていたら、男性の外国人のヨガの先生が、慰めるように「男性は筋力でできちゃうんだよ」と慰めてくれましたっけ?

私のアイスクライミングが、相沢大滝で、55m×3が平気なほどの上達をした理由は、クライミングジムのピラニアで、8級の緩いかぶり傾斜で、4つのフラッギングをドリルしていたことにあると思います。

その4つは、正対、側体、アウトサイドフラッギング、インサイドフラッギングの4つで、すべて同じ課題で4つの別の動きをドリルします。

アイスはリーチ関係ないのです。だから、ムーブは単純です。

■ 指導者の価値とは?

指導者の価値とは、相手に適したドリルが考えられること

です。たとえば、この4つのフラッギングとか。

雪がない世界の人に雪山を無理なく、習得させるにはどうしたらよいか?考えつくとか。

余談ですが、このように独自で考えてドリルしている人にむかって、

 「その課題は、こうやってのぼるものだ」

と指南するのは、野暮っていうものです。

登り方は自分で考えろ、と誰かも言っていましたが、自立・非自立の問題意外にも、一般に外岩では、

 ・身長はバリエーション(変数)であり、
 ・ホールドは常数(固定した値)です。

なので、身長やパワーで登り方(ムーブ)は全く違う。

一方、人工壁は正解ムーブを見つける戦いであり、正解ムーブを見つけたら、よほど体格が外れていない限り、大抵の人が登れちゃうように作ってある=すぐ飽きる。そのように作っている、という、まぁ、お受験システムみたいな話になっている。

これでセットを延々としないとお客さんが楽しめなくて来てくれないという悪循環に陥っているジムは多いです。私はセット同じで、全く問題なしな人でした。ドリルは自分で作るからです。上記の8級の課題も、永遠にそこにある課題でした。

一般ジムは、お受験システム的な正解ムーブを見つける課題設定なので、お受験的学習をした人が本番、つまりコンペでも強いってことになってしまいました…。つまり、模試をいっぱいやる、みたいなことです。子供の時から模試漬け…。

しかし、外岩は、そんな方法では、登れないから、楽しい、んですよ。

むしろ、ある程度の基礎力が人工壁で培われていれば、外岩は楽勝になってしまい、どんな難しい課題でも満足できない、と言う人も出てきてしまいますので、人工壁に行くと、外岩が楽しめなくなるリスクがあります。

ま、それは超エリートの話なので、まだ外岩で、5.8も登れない初心者は心配しなくてよいです。

それより大事なことは、

5.8~5.11以前の初心者時期に殺されないこと

です。そのための知識の普及が遅れています。

(例:ランナウトは危険であることを認知させる、下部核心は登らない、プロテクションディフィクルトやカットアンカーの課題は登らない、ビレイヤーからクライマーが見えない課題は登らない、短かしいのは登らない、ロングルートを選ぶ、などなど)

■ ハイエルボー習得しました、次は?

さて、私の水泳ですが、たぶん、ハイエルボーっていうのが身についた段階みたい。いったい、なんで?ってくらい泳げるようになりました。

なぜいきなり上達したのか?いろいろ考えるが、

 先生のやらせようとすることに、あまり抵抗しないで、すぐやってみる

 = 素直である

のが、いいのではないか?と思う。

振り返って先輩の荒木さんは山梨時代から、アルパインの世界で上達したがっているのを私は感じており、それに有効だと思える指導者を紹介したが、彼がその相手が年を取っているとかで、バカにするので、結局のところ、肝心の基礎力の大事なことが分からないで、そのままグレードだけが上がっていくことになったと思う。

例えば、私の師匠の青木さんが、上級クライマーを招いて宴会するときに、彼を呼んだりもした。しかし、こなかった。なぜか?往年クライマーを馬鹿にしているからだった。

彼は、そういう往年クライマーが昔の栄光を語るときに語りを聞いていないので、どの程度の困難がすごいクライミングなのか?たぶんつかめていなかったと思う。

その上、例えば、ロープドラッグがあると登れなくなる、リードで屈曲があると登れなくなるとか、その程度の基礎も、学習しないまま、ただレッドポイントでのグレードだけが上がり、5.12俺登れます!と、空虚な自信だけが積みあがってしまい、10年登っていれば当然しっているだろうと誰もが思うので、抑止力も働かず、結局、めんどくさいという気持ちでピッチをつないでしまって、後輩の私にケツを拭かせるはめになった。

これは、

グレードで判断して、自分はもう、往年のクライマーたちを超えている!という慢心

があったから、こんな羽目に陥ったのだろうと私は思う。(本人は何を舐めている、と言われているのか、自覚する能力が欠如しているようだった)

多くの人は、ロープドラッグを理解していないくらい、小さなこと、と思うかもしれないが、実際、外の岩場では、その”小さなこと”が命を奪うのであり、それを教えるために、往年クライマーは、過去の栄光話(失敗話)をするわけである。

余談だが、往年クライマーでも、相手がロープドラッグで登れなくなったくらいのことは赦してやれ的なことを言う人がいる。大体そういうことを言う人は、ご本人が日和った山しかしていない。日和った山とは、一般の人が無知と誤解に基づいて、すごい認定をしてくれる山って意味だ。

それはその人はそうしたら良いが、私はごめんだね、って感じだ。

それでにっちもさっちもいかなくなった時、無知なクライマーは自分が引き起こしたことの重大さに気が付かない。

昔は教育が十分だったので、小さい失敗から重大な教訓を学んでくれたので、付き合う側としても、付き合った甲斐があったらしいが、現代では、それは起こらないのである。今のクライマーの無知具合は、往年クライマーの想像をはるかに凌駕している。

現代クライマーは、往年クライマーの実力を正確に測れないから、グレードだけで見て、あるいは周囲の人があこがれのルートだというから、という理由だけでルートに出たがる…ということになってしまい、そのやり方で行けば、早晩、遭難することになる。

しかも、もっと重大なことは、フォローにけつをぬぐってもらっても、本人は気が付かないから、行動を改める機会にもならないのである。(参考:白亜スラブ

■ 男性選手の指導と女性選手の指導は違う

前に仕事で、上司に、女性の部下は非常に意図に沿ってくれてやりやすいと言われ、感謝されたことがある。

男性は、相手の意図を汲むのが苦手なのか、指示通りやらないそうだ(笑)。

水泳もクライミングも、同じなんではないだろうか…?

男性のみなさんは、教わる側、教える側としても、ゴーイングマイウェイ過ぎる。

先生に、ハイ、と答えても、言われたことをしない、面従背腹みたいな行動パターンの人が多いような気がする。

実際、私はヨガの指導歴6年だが、ヨガを教えても、ある注意して、その注意を聞く人は、”聞かなくてもできている人”ばかりで、肝心の”聞いてほしい人”は、スルーっていうのが定番だったよなぁ…

ま、そういうわけで、先生の言うことをまっすぐ聞いていたら、ハイエルボーは、できるようになった。先生は、私が得意のバタフライから、クロールの泳法を引き出そうとしたのだと思う。

今は、前バランス+ハイエルボーで、めちゃスピードスイミングな泳ぎになってしまっている…。実は私が習得したいのは、ロングな泳ぎなんだけど。

ハイエルボーにフィニッシュを入れると遅くなる、と先生に言うと、それであっている、ということだった。

ただ、今の技術では、泳速が遅くなると、今度は息継ぎで沈む感覚が出てくるんで、沈まない息継ぎが必要に… と言う具合に、課題が次々出てくる。

 その課題を次々つぶす感じ=楽しい

ということなんだと思うんだけど…。

みんなは違うのかもしれない…?

私にとっては、クライミングはそういう楽しみでしたけど…。まぁ水泳も同じですね。

■ まとめ

女性の指導と男性の指導は違う

コーチの考え方も男女で違う

誰もが5.12時代の健全な市民クライミングの指導者が今必要なもの

水泳やテニスなどは指導者育成が充実しており参考にできる

■ 参考
トップロープ支点の張り方の教え方

2024/02/05

日本にはクライマー育成に指導者マニュアルがなかった件(日本登山界が世界から遅れた理由)

 ■ 登山ガイド育成事業がスタートしたようで喜ばしい

山梨時代に、『八ヶ岳研究(上・下)』をセットで持っていたガイドさんが、これはカリキュラムを起草したのではないか?という 登山ガイド育成事業 を見かけて、うれしいなぁ~と思っている。

https://stps2snwmt.blogspot.com/2024/02/blog-post_52.html

これは登山者版だが、クライマーのが必要ですね!誰か我こそはって人作ってください。

■ 受講資格?

つけ足すようだが、山岳総合センターのリーダー講習では、登山歴を出さないと受講できなくなっていた。

登山歴を見れば、考えている登山者か考えていない登山者か分かる。

受講者の選抜は良い案で、自分で経験値を増やすという努力をしないで、便乗の山や棚からぼたもち系の山したい人を振るい落とす、というのは、一般のネットビジネスでも

ファネル

と言って重要ポイントになっている。

このふるい落としができていないと、良い内容を教えても、相手が教わってくれないのである。したがって講習のレベルを下げないために重要。

■ 身長と体重

一般的に言って、積雪期ガイドには、重たい体重が必要で、クライマーには軽い体重が必要。

私は小柄で体重が軽いので、ビレイのことを考えると、まったくガイドに向かない。

ガイドすると、自分が危険に巻き込まれて、技術が未熟な相手…歩きが粗末な登山者が転んだら、巻き込まれて死んでしまうリスクがあるので、ガイド資格は使っていない。

体重と言うリスクは、個人でコントロールできないリスク。なので、受講者にはそのことを最初に教えたほうがいいと思う。じゃないとお金の使い損になるからだ。

■ 低身長がリスク

身長が重要になるのが、クライミングで、低身長だと、他の人にないリスクが増える。

クリッピングでピンが遠いために手繰り落ちるリスクで、男性のクライマーは、女性のクライマーが自分より大きなリスクに耐えている、ということに無自覚な人が多い。相手の立場に立ってモノを見る、ということがまずやったことがない人が多いためだろうと思うが。

身体条件によるリスク増は、個人ではいかんともしがたいものである。

まぁ、逆に言えば、私の低体重は、アイスでは有利だし、身長が低いこともトラッドではあまり問題にならないどころか、逆に有利な条件と言えることもあるくらいだ。

■ これまでで良かったことをまとめる

1)井上さんが来てくれたこと

2)黒田さんの論文が出たこと

3)ユージさんの小鹿野

4)ラオスに萩原さんが誘ってくれたこと

5)高みへのステップ 30年ぶりのアップデート

6)新田さんが日向神リボルトをしてくれたこと

7)八面のリボルト

8)今回の登山ガイド育成事業が発足したこと

いや~良かった、良かった。

UIAAの登山総合技術ハンドブックを読んだ人は、

 うわ!日本やばっ!!

と誰でも思うに違いない。

■ 登山業界は知識を内輪にとどめておきたいみたいな?

文部省の登山研究所っていう組織があるが、IT化がめちゃおそく、しばらく前までPDFは、画像であり、紙の書籍をスキャナで取ったものらしかった…

それじゃ、Googleの検索に引っ掛からないのである。

だから、検索力が低い一般の人は、情報弱者になってしまって、隣の〇〇さんが行くから自分も、みたいな山しかできなくなり、結果、槍が渋滞するって話になってしまうんである。

しかし、文部省だぞ? パソコンが分かりませんってわけでもあるまい?

ということは、わざと情報を出したくないのか?

いや、たんにガバナンスの問題…であろう…

■ 水泳で立ってるだけのバイト

最近、水泳に行くんだが、プールには立っているだけのバイトがある。

管理のバイトだが、あれ、ほんと若い人生の無駄遣いみたいな感じだ。

楽なバイトに人は群がるんだが…楽をすると、自分の人生の無駄遣いになる。

昔読んだ本で、高速道路の〇〇公団に勤めている人の話が出てきたが、まさに人生の無駄遣い的な仕事で、そもそも仕事自体がないのであった…日がな一日事務所でぶらぶら…

…そんな命の使い方を、お得、と思ってしまってはいけない。

人生は短い。ビジョンを持って、したいことのために時間を使いましょう。

 

日本男児が内弁慶な理由…段級システム。国内の競争に終始して、世界のクライミングが進化していることに気が付かないで済んでしまう…



2024/02/04

【心理技術】自分でルートは選ばないと自己決定していないので自信が生まれない


さて、
 
 現代の山ヤ(クライマー)は、自分の登る山や、ルートを選べない、という点ですが…

自分で選ばない=自己決定感が生まれない。

= 自信につながらない

です。

■ 自信
 
自信= 自己決定 + 自己有能感

です。 自分はできる!と言う感じ…自己有能感…は、誰でも、自分より下の人と比べれば得られます。

おじいさんクライマーが、最近の新人を岩場に連れて行って登れないのを見て、

 俺もまだまだいける

みたいなのです。

なので、ある意味、自己有能感はえるのが簡単です。 低い方と比べていればいいからです。

ところが、自己決定感…自分で自分の道を選んで歩いてきた感じ…は、なかなか難しい。

昔は、山岳会で、会山行が組まれ、ある程度の一年のスケジュールが出ていたので、それをこなしているうちに、こんなレベルではこれに行けるんだ、あれに行けるんだ、ということがまとまってきたと思います。

ところがこれが、岩雪がなくなったり、ロクスノが弱体化したり、山の雑誌の内容が、全然山ヤよりでも、クライマーよりでもなくなり、なんかな~と言う内容になってきたので、誰も読まなくなり、無節操になった結果だろうと思いますが…

自己決定で誰もルートに行っていない

って結果になっているから、

 自信がない

って結果になっているんじゃないですかね?


【女性の地位】女性には親切にしたら立ててもらう権利があるみたいな感じ?

■ 男性の認知

最近、心理学の学習中で、男性の認知っていうのは、

 女性に親切にしたら、そのお返しに立ててもらう権利が発生する

になっているんじゃないのかなぁ…と思ったりするんが、どうだろうか?

■ クライミングの教え方が、18歳男子大学生を基準にしている件

基本的に昔の新人像って

 大学に入って初めて登山をスタートした18歳男子大学生

ということになっている。

 体力絶頂期、暇、知性あり の3点セット

という条件。昔の大学生って、とっても暇で、持て余した体力と知力を注ぐ先を求めていたので、大学山岳部で初登記録をいっぱい作っていたんである。

ところが、現代の大学生って

 お受験突破で抜け殻、忙しい、昔と比べて猫も杓子も大学生なので大学は知性の証明にならない

である。なんせ私の後輩、東工大院生でしたけど、やっぱり、人まねビレイでしたからね。

九州でも九大で教えている先生が、エイドをアルパインの神髄だと思って全然理解していなかった。

だから、知性はあっても教育が古臭いまんまだと同じことです。

しかも、現代の新人、は、大学生でもなく、18歳でもなく、男女。 

だから、昔の基準を新しい新人に当てはめても、当てはまらない。

■ 男性社会とは?

女性の受容力・適応力に依存して、男性が自分の世界観のゆがみに気が付かないまま放置されている社会=男性社会

なんではないかな?

女性は、生まれ持って、適応力が強い。受容する力も強い。

それに便乗して、男性が、女性の世界や肉体的限界に気が付かないで、自分の基準をテキトーに押し切っているのが、日本の男性社会なのでは?

なので、立ててもらえない₌怒る、べそをかく、仕返しする、すねる。

しかし、女性にとっては、この反応は面食らう…なぜなら、対等の関係になっていないから。

この反応から、男性側は、立てられて当然だと思っている、ってことになる。

立てられるというのは、ギブ&テイクが、ギブされても、ありがとうなしでOKだ、と言う意味だ。

■ 川俣尾根事件

そういえば、川俣尾根事件というのも、あったなぁ…

私が川俣尾根に登った記録を出したところ、ある山ヤが自分の会の、会山行にしれっと私の記録を拝借した。その会の人は、川俣尾根を知ってるなんて、なんて通な山ヤだ…とその人への尊敬の念を高めていた。それを見た私は驚いた。えー?川俣尾根って、私が行きたいということで、苦労して開発した場所なんだけど???

その方は、どうせ分からないと思って、私の山をしれッと取っていったわけである。その後、明神主稜でも同じことが起こった。まぁ、いいけど…。ルートは誰のものでもない。

これは、先輩のアラーキーでも同じことが起こった。初心者のころ、私のために師匠が考えてくれた山があったが、彼、その名前を聞いたら、私から聞いたのに一人で行ったんですよね。つまり、人の山を盗んだわけだ。そのあと文句を言ったら、「一人で行きたかった」そうだったが、それなら、私や師匠に恩返しするか、ありがとう、の一言くらいは必要だろう。

このように現代の山ヤさんの主たる悩みは、どの山に行ったらいいのか、分からない、と言う悩みだ。

行きたい山くらい自分で決めろよ、ってやつ。お受験の弊害なのか、男性でも自分の山ではなく、会の山とか、師匠の山とか登っているだけの人が多い。まぁ、そういう山で、徐々にどのタイミングでどのような山に登るべきか、理解していくのが昔の人だったわけだが。

2人とも、

 自分の発想不足を、私に補ってもらっていた

わけで、その人の会の若い人、さすが〇〇さん、って言っていた。

その上、私が入会希望者で行くと、その山選びの秀逸さについて、私が選んだ川俣尾根を上げて、会のアピールをしてくれたけど… いや、それ私の山なんですけど?ってなりますよね?

肝心のその山ヤさんは、あなたには、すでにうちの会は簡単すぎると思う、なぜならあなたは、もう一人で読図で歩けるから…、ということで、自分のすねにある傷をすでに感じていたようだった…。

■ 自分の足で山をやっている人がいない…??

別に難しい山をしたいと言っていないし、川俣尾根とか明神主稜って、はっきり言って命がかからない簡単な尾根であるんで、私の行きたい場所探し能力の秀逸さは感じるが、グレード主義の人が、どーだ!と自慢するような尾根ではない。

私が歩んだルートを横取りすることを大体の人は何とも思っていないみたいで、それは、

 人まね

を当然のように受け入れるポピュリズムの弊害なんではないだろうか?

本当の山ヤなら、自分のしたい山、を突き詰めるべきだ。

■ 旗立岩主稜で落ちていた

私は良い会に入って仲間が欲しかったので、この会に入会しないよう促されたことは、要するに、本来の手柄が誰にあるか?見えてしまうと俺の立場が悪くなるって考えただけなんじゃ?と疑っていたんだが…

本当に会に実力がない、むしろ、私が参加すると、私のほうが危険になるかもしれないということが、旗立岩で落ちている記録で分かった。

旗立岩は、関東では、本格的な山岳地帯のアルパインに行く前段階の人にとって、その人がアルパインの特性を備えているか、いないか?を打診する基準みたいになっている山だ。

ロープも当然出るが、支点もきちんと作れる必要があり、ルートファインディング能力も試される。

そんな入門レベルの山でその会の人は落ちていたんで、その会は、会員のスキルの見極めが甘いってことだ。そんな会と登ったら、こっちの命もないかもしれないし、レスキューを出す側になる可能性が高い。それで、この方が自己保身のために言っているではないことが分かった。

しかし…だ。

日本登山体系にも載っている著名な山ヤさんが率いる会なので、その会で、このレベルか…

ということになってしまうんである。日本の登山者のレベル低下問題がいかに深刻か?ということが分かる。

日本の登山教育は、かなりやばい。

■ UIAA

私はご縁があってUIAAの事務局長と知り合いになったので、私のような、どこともつながっていない未組織登山者がUIAAのコネを持っていても仕方ないので、ほうぼうの、上位山岳団体とつながっている山ヤさんに、UIAAが日本からの理事を募集している(国連の常任理事国みたいなもの)ので、誰かつながってくれないかと探した。

上記の会の方にもお願いしてみたが、この方は、私なんてそんなとても務まらない…という答えだった。この方は日山協の雪崩講習会では教える側にいた人なんである。そんな上級者で、務まりませんと尻尾を巻くのだから、登山歴の浅い私が務まらないとかんじるのは当然のことであろう…

ほかに、ひろけんさんや、若手なら、倉〇さんやら声をかけたが、結局、誰もUIAAと日本との懸け橋にはなっていないようで、かなり残念な結果になった。

というわけで、日本はいまだに世界の登山の流れ、あるいはクライミングの流れから、すごく時代遅れになったままになっているんである。

いやはや、どうしたら、日本の

 ”俺は男だー!系岩場” が、 ”一般市民が、ちゃんとしたフリーで登れる岩場”

になるんでしょうね? 

今のボルト状況だと、フツーに人工壁並みに落ちまくっていれば、ロシアンルーレットであり、それをロシアンルーレットとして楽しむ場、みたいなことになっており、技術探究志向になっていない…。岩との対話はお留守である。

今の日本の岩場で許されるのは、テンション登りであり、ハングドッグ登りってわけ。

大問題なのは、クライミングそのものを内発的に登って楽しむ場にもなっていない、ことだ。

ただ、俺は生きているぞー!と社会の中で発散し損ねた屈折したエネルギーを発散する場になっているから、いつまでたっても、ナイトボルダリングでうるさい、とか言われ、岩場が閉鎖になる。

せっかく、世界トップクライマーの平山ユージさんが、議員の協力を取り付けせっかく町おこしにクライミングを使いましょーということになったのに、功績者を訴訟して足を引っ張るクライマーが出たりしている。

オールドクライマーのいこじな固執も激しく、いくら小山田さんみたいな現代のトップクライマーが、岩場の開拓で貢献しても、実際の岩がある町には一円も降りない、みたいなことになってしまうのである。

男性は自分のちんちんを通して世界を見るのをもうそろそろ辞めるべきである。もっと大きな視野を持ちましょうよ。

そんなことしている場合じゃないくらい、。日本自体が、まじやばいんですよ?



2024/02/03

【心理技術】みんなのヨシーダさんと世界のユージ

■ ヨシーダさんはユージさんがお嫌い

あ、わかった。

故・吉田さんは、ユージさん嫌いだったんだよなぁ。ユースケさんのことも…。

だから、私は吉田勢につかないといけないと、義理堅く感じているために、前に進めないんだ…。

吉田さんとお話しするワークしたほうがいいな。 

■ 世界的に有名になり損ねたクライマー

故・吉田和正さんは、日本国内で知らない人がいない伝説的クライマーです。日本人初のバムクライマー(フルタイムクライマー)として有名。

しかし、1980年代に初登したMarsは5.14の価値があったのに、日本人の謙虚さで13をつけてしまったがために、世界的に知名、有名になり損ねました。

それはもったいないことをした感があり… 多くのクライマーの、一種の”同情”を買っていました。同情を買うことが吉田さんはいやだったと思うが、だからと言って、嫌だということを前面に出すのも大人げなく、ダブルバインド状態だったと思う。

そのダブルバインド状態が嫌だという気持ちは、別に吉田さんと張り合っている同時代人のトップクライマーであるユージさんでなくても、なんとなく透けて見えていた。

吉田さんは、フリー以外はやらないフリークライマーだが、アルパインのクライマーに、とても親切で、究極のレッドポインターと言われた、自分のレッドポイントのスタイルを押し付けることはなく、私に教えたときも、なんと泥スタートという、めちゃアルパインチック?(アルパインは泥臭いクライミングと称されることが多い…です)な課題を登らせたのです。アルパインの先輩との違いは、ビレイがめちゃいいことでした。

余談ですが、アルパインの登攀ではなく、フリークライミングの登攀になったら、落ちることが前提なので、ビレイヤーはいいのを選ばないと登れません。

■ ヨシーダさんはユースケさんもお嫌い

吉田さんは、ユースケさんのことも嫌いだった。「あのジャミングでは登れんよ」、とよく言っていた。しかし、私はジムで、ユースケさんが初心者にジャミングを教えるのに、ジグを開発していたり、懸命に努力しているのを見て知っていたし、私はユースケさんに初心者のころ、ハーネス借りて登ったことがあり、その借りた話は、吉田さんには、秘密にしておかないといけない、と感じました。吉田さんは味方を必要としていそうでした。

吉田さんが亡くなった…、もう死ぬことにした心理的要因には、最近ミュージシャンで亡くなったチバさんと言う方の要因と似たものがありそうです。

誤解を避けるために言えば、人は死ぬことにしたとき死にます。まぁ生まれたら、必ず死ななくてはいけないのですが、やり残し感があるとなかなか死なない。

吉田さんの直近の生には、ある種のあきらめ、諦観がありました。本来、評価されるべきだった偉業が評価され損ねた、という感じというか…

本当の俺、と世間の俺の 解離がある、というか…

それを、とりあえず、無関係な人、分かりやすい人、に向けたのが、

 ユージ嫌い、ユースケ嫌い 

だったのでしょう… 害がないし、そうしておけば、分かりやすいからです。

でもね、吉田さんのクライミングパンツ、お客さんの手作り品だったんですよ。そんなクライマーいます? ファンの手作りのパンツ履いて登ってるクライマーなんていないでしょ?

お母さん手作りのズボンで登っている、アシマちゃんくらいですかね?

■ 俺だって佐藤ユースケ、俺だって平山ユージ、俺だって2段…

男性のアルパインクライマーたちって、

 もれなく、全員

 運が運なら、俺だって世界のユースケ

と思うらしかった…です。それは、”大”がつく誤解に基づいています。

今となってはクライミング歴3年の私よりフリーは登れない人でも、そう思っていた人もいた。しかもガイドさん。その方、たしかに体力すごいなと思ったけど、現代のスーパーアルパインって、体力だけではだめなんです。フリーの基礎能力が必要。それも、40年前の基礎能力…登山靴で岩場を登っていた時代のトップクラス…ではだめ、つまりで、5.12がなんとか登れる程度では、だめなんですよ。

5.12が悩みながら、レッドポイントで登れるのでも駄目で、すーっと、オンサイトするレベル感で、よどみなく登れないと、スーパーアルパインはこなせないんですよ。しかも、40kg歩荷できないと。

そこらへんのレベル感の進化についていき損ねた、古い山ヤさんは多く、結局、オンサイトの記録を、エイドの記録と同じ内容だと勘違いして理解しているらしい…というのが、俺だって(若ければ、運が良ければ、時が時なら)、と思う理由らしいと、九州に来て分かった

若い人がそのノリで記録を上げて、あいつらは超エリートクライマーだ、と周囲から評価されていたからです。え? あれでエリートなら、私だって入るよ…みたいな感じ。10cで2時間かかる人がギリギリボーイズ並みに評価されていました… え?!

一般に、人は自分と同じレベルだと思った人に嫉妬し、自分とけた違いに優れた人には嫉妬しない。

だから、世界のユージに嫉妬する人はクライマー界にいない。

が、なぜかギリギリボーイズのみなさんは、ユージの地位にいない。すごい記録を出しても(ヒマラヤ誌などで)こんなことしかできんのか的に、スルーされている。

それは、アルパインがスーパーアルパインに進化したことを登山界全員が理解していないからのよう…です。

そういう現代クライミングを理解し損ねた、おじさんクライマーと違い、吉田さんこそ、正真正銘の才能があるクライマーで栄光をつかみ損ねた人。

おなじだけの才能、同じだけの努力がありながら、ユージさんは、”世界のユージ”となり脚光を浴び、吉田さんは、バムクライマーで日本各地の岩場を回り、”みんなのヨシーダさん”になった。

でも…ラオスに行ったとき、吉田さんのこと、知っているアメリカ人クライマーがいたんですよ。彼は北海道で登っていたクライマーでした。

だから、吉田さんの栄光と人生をたたえたい人は、北海道の岩場を整備し、そして、瑞牆で内藤さんが作ったみたいな優れたトポを作ればいいのです。そこに吉田さんのエピソードを乗せることで吉田さんは留飲を下げるでしょう…

最近じゃ、下手な文章書いても、AIが良い文章に直してくれます。

そうすれば、吉田さんは、気持ちよく永眠できるでしょう…

なんせ北海道って外国人訪問率No1の地なんですから…。ヨシーダさんをしのびに、去年北海道に旅しました。名寄とか…

私のことは呼んでないよ~って返事でしたよ。

           デイドリーム


2024/02/02

【心理学】行動変容と罪悪感

■ 行動変容と罪悪感

私の悩みを正確に言い表すというだけで一苦労なんだが…。

それは、しつこい罪悪感が私の行動変容を妨げている、ということだ。

私は独学の人、なので、ベイビーステップは得意中の得意である。したがって、この行動変容の妨げは、私らしいことではない。

例えば、英語の習得における行動変容なんて、小学生3年生からの自覚に基づく、長い長いラジオ英会話による9年もの独学時代を経てすら、なかなか習得できなかったので、業を煮やして、アメリカに行ってしまった。私はしつこい性格である。習得するまで辞めない。

その間、積み上げた挫折感は、ものすごく、やるべきと思って積み上げた復習の山は積みあがるばかり、一方で新しいラジオ講座は毎日課題を積み上げるばかりで、読まねばならない英字新聞は貯まりまくるし…無力感・挫折感・無能感は、日々積みあがる。

級長、生徒会、キャプテンに加え、お姉ちゃん役、で責任が重く、その上、自分の余暇には、将来の”脱出”に備えて、勉強したいわけだから、子供というより、現代の大人と同じタイムスケジュールで生きる子供時代だった。

そこから学んだ、独学のコツは、いくら自分に厳しく叱咤激励したとしても、できないものはできないのだし、毎日単語10個覚えよう、とか、そもそも方法論からして破綻しているのである。そもそも、生活に必要もなく関連も薄いのだから、覚えることに意味を見出せなければ覚えられない。

当時、効果があった学習法は、英語の歌を歌うこと。それはストレス発散になったからである。しかし、それすらテキトーな発音でまじめに学習したことはない。なんせテキトーな発音のほうが英語そのものに近いのであるからにして、そのほうが良い。

おかげで、ルパン・ダ・サードという発音が、ルパンでさぁ~と聞こえており、なるほど、これがルパン三世という意味だったのか、と気が付くのに20年近く費やすことになったが…(笑)。

ある日、突然、気が付いた。

この、ある日突然、というのが独学の常なのである。

このある日突然をいかに起こすか?がしばらくテーマだった。

そして、その”ある日突然”は、脳内サーチで考え続けることで起きる。

最初に問いをインプットしていないと起きない。

なぜだろう?こうなのか?ああなのか? 考え続けている中で、大体、3上、で、ある日突然の理解、は来る。3上というのは考えていないとき。トイレ、お風呂、散歩。なので、いくら考え続ける、と言っても、文字通り、デスクにへばりついていては、できない。

例えば、水泳を習得するなら、水の球をつかむとはいかなる意味であろう…と思い続けながら、ただ家にいても習得はできない。泳ぎに行くという具体的行動が必要だ。

なにしろ、我々は物質界にいることを忘れてはならない。スピの人は、おそらくそこらへんが間違っていて、物質界の行動を伴わずに、思考は現実化する、と思っている。ただ念じるだけで、思考が現実化することはない。念じた結果、思考が行動化し、その行動が現実を作る。原因と結果の法則から我々は逃げられないのだ。

今まで独学で習得したことで、そうでなかったことは一個もない。

■ 常人には理解されがたい成功の形

さて、登山での成功、そしてクライミングでの成功、についてだが、常人には理解そのものができない。例えば、夫は全く私の成功を理解していない。

私の成功は、一般の人に理解しやすい、本が売れる、人気者になる、有名人になる、お金持ちになる、ということではない。もとより、私の登山がそのような価値を求めるものでないからで、別にそうなりたいと思ったことがそもそもない。その辺の男性クライマーと同列に扱わないでほしい。

私の成功を説明すると、40年前の山岳会のリーダーだったり、トップクラスだったりした人がやっとこさ40年の研鑽の末、たどり着いた境地に、3年でたどり着いた、ということだ。

これはひとえに青ちゃんが自分の娘ばりにかわいがってくれたためだ。指導者は、どうやってか、自分が教えられる最高地点に、教えらえる側を導きたいと思っている。その成功事例だ。私自身、感謝があったので、それでUIAAの書籍の出版契機を作ったことで、登山界への恩は返せたかな、と思っていた。

問題はここからだ…。

■ 問題1

私が感謝の念を持っていることで、護身にスキができた。

例えば…技術の未熟な人でも、より上級の山を経験することで成長できる…と知った。私の荒船山昇天はミックスのルートで、現代のトップクライマーが、5000、6000mの標高に、このようなクライミングを持って行っているのだ、ということが分かった…。これは青ちゃんの親心が作った山だ…。

それで、たとえ、自分の山を自慢したいだけの人でも登ればわかることがある、とより寛容になった。そのため、防御が甘くなり、それは白亜スラブで結実した…。殺されかけた。

これは、感謝のダークサイド、いくら感謝が心の健康に良くても、それが、

 トンデモな人に容易に利用される人格

を作っていては、全く逆効果なのである。寛容と脇の甘さは異なる。

■ 問題その2

私がUIAAとのコンタクトで、登山総合アルパインの出版契機を作ったことで、多くの人の嫉妬を招いた。

ある女性クライマーとか「私だって英語さえ話さればできた」と言ったのだ。

その書籍、何年もずっと、インスボンの登山店で、ほこりをかぶっていたので、インスボン大好きの日本人クライマーが誰も目にしなかったとは思えない。特に老年期の定年退職クライマーは、宿にズラリと名前が記帳してあった。ので、結局、目に入っても、行動化を誰もしなかったのである。

日本の登山・クライミング界は、俺だって一人で成長したんだ、お前らも勝手に頑張れよ、という論理で貫かれている。私のように、次に続く人がより良く学習できるように、と考えている人は、まぁ数えるくらいしかいない。そのうちのほぼ全員が知り合いか、友達だと思うが?

で、グレード追っかけクライマーに甘くなってしまったおかげで、殺されかける羽目になったんだが、これはもういい。解決した。

おかげで、父親に水に落とされたという言語化できずにイメージだけだったトラウマが発見でき、今は水泳という生涯、趣味にできそうなアクティビティに結実間近だからである。なんせ泳げないせいで、ラオスで、ピクニックがあったとき、みんなが池に飛び込んでいるのを、「いいなぁ」と思いながら、ただ見ているしかなかったんである。金づちは自覚があった。パーティの壁の花みたいなものだ。

さて、私が行動化したいのは、

 自分の人生を生きる、

ということについてだ。具体的には、

 アクティブにスポーツとともに生きる人生をきちんとまっとうする、

ということについてだ。80代の水泳の先生たちを見ていて、素直に素敵だなぁと思う。

ところが、しつこい罪悪感が障壁となって、行動化できていない。

罪悪感の源泉は、どこなのか?が良く分からない。 

しばらく取り組んでみたが、親子関係には、原因はなさそうだ。

症状は、近づいてくるクライマーが全員、私からなんらかの利得を搾取しようとしている、こいつはお人よしだから利用してやれと思っている、サディストに見えていた。

…この症状は、大体あっているってことで、解決した。

あまりに全員がサディストに見えるので、ヒロさんに紹介された萩原さん(すでに亡くなった)や、小鹿野のまささん、クライミングインストラクター協会の会長の奥村さんまで、私を殺しにやってきているのか?と疑心暗鬼が止まらなかった…

奥村さんには悪いことをした。なんせ、せっかくビレイ講習を開いてくれ、たぐり落ちでも、ちゃんとキャッチできる、というデモをしてくれたのに(背の低いクライマーのリスクは手繰り落ち、で、これは、最もやってはならない危険行為とされているんだが、したくなくても、なってしまうのである。なんせピンが遠いわけで)、「だまされてはいけない」と叫んでしまったのである。

あれは、今考えても、なぜそういう言葉が出たのか不思議で、奥村さんのビレイなら登れるけど、当時、相方のA木さんは、俺はできていると思うタイプで、講習にも出る気がそもそもないし、私の周囲の人は、何人も声をかけたが、ビレイ習得に対する意欲が低く、自分は勉強する気がないのに、相手にばかり確実なビレイを要求するという自己中タイプのようだった。そもそも、俺はビレイできている、と思っているから、奥村さんが指導者でめったにない機会なのに、講習にも来ない。費用もたったの1000円なのに。

つまり、愚かな人にどれだけ機会を提供しても、本人に意志がないから学ばないってことだ。

カットアンカーが危険だ、という私のしごく常識的な指摘については、文部省登山研究所から、黒田さんが論文を書いてくれた。その上、日本の登山教科書の”高みへのステップ”が、30年ぶりに再販されることになった。

が、まぁ問題は、上記のように、そもそも学ぶ気がないこと、意識レベルが低いことだ。

男性クライマーや登山者は、自分たちがどうやって一般登山からロープが出る山へ、何を学べばいいのか?という、山の要素の因数分解ができない、平たく言えば、分かっていないことが分かっていないので、まぁ巷の山岳会を見ていると、それらが遭難防止という、行動変容につながったか?というと? 全然、変わっていないだろう。相変わらず、隣の人を模倣していればいいという発想のままのようだ。

私が軽々と超えたラインが越えられない人たちなわけで、気の毒だなぁとは思うが、会に入ったら、私の命が脅かされてしまう。

彼らが自分たちの判断力が上だ、という固定観念が壊せないからだ。

ツヨツヨクライマー排出で歴史的に鳴らしていた福〇山の会のていたらくを見ると、あきらかだ。私をビレイしている間に、もう一人登っていたんですからね、いったいどんなビレイだ?

さて、そんなこんなで、私の山のジャーニーは、一時停止中だし、それは正しい。

これ以上の経験は積むだけ、失望という山の高さを高くするだけだ。

私が行いたい行動変容は、そうした障壁をうまく避けつつ、日本に健全な生涯スポーツとしての市民クライミングを根付かせること。なぜかというと、根拠もなく危ない危ないの大合唱で、挑戦をそもそもしない自己正当化を日本国民はこれでやめることができるから、だ。

で、その手段には、

・クライマーズウィロストの日本における創設

・AACの事故報告書が年次で出版されているように同じものを日本でも出版

・アクセスファンドの公的組織立ち上げ

の3点である。

特に最後のものは、大事で、日本では、クライマーがあまりに愚かなこと…自分で自分の首を絞めること…をするので、大体の場合、地主が忍耐の緒を切らして、岩場閉鎖になる。

慣れているクライマーは岩場閉鎖になっても、誰も見ていないから登る。

むしろ、一般クライマーが来なくなってラッキーくらいな勢いである。要するに、不景気になっても消費税上げれるからラッキーと思っているくらいの自民党や、大雨で災害が来ても、地方交付金を削られずに済むからラッキーと思っているくらいの地方行政と同じで、後退することが、二次利得になっているのである。

一般に、高度な記録、世界の最高難度、などの記録は、第2登が出て、それが本当にその難しさだと認定されなければ、記録にならない。ところが、岩場が登攀禁止だと、その確認作業ができない。しかるに2登者が迎えられない。これも言いっぱなしで、栄誉が得られるという二次利得になってしまっている。

そんなこんな日本のクライミング行政… 原因は?

ある弁護士によると、ガバナンスの問題、だそうだ。これはオリンピック委員会と同じで、

 腐敗が原因

って意味だ。弁護士に言われるくらいなんで、正当な指摘であろう。

ようするに登山行政、クライミング行政に携わる人たちがみな、汚職中って意味です。

では民間の活動はどうか?というと…ヤマレコやヤマップのような新しい動きがあっても、パブリシティ寄りってことは、結局、人気投票で、自己顕示欲の山、を推進してしまう論理構造の上にあるってことです。

いや~、こんな日本に誰がした? 私じゃないぞ?

さて、こうして健全な義憤が出てきたところで、これで行動化できないのは、いったいなぜか?ってところが問題なのです。

私の行動変容の妨げは罪悪感、と言うところまでは突き止めているんだが…

いったい私は何に贖罪したいのであろうか?

           自分の歩んだ道を振りかえったところ 


2024/02/01

サディストに見えてきた人リスト

 心には防衛という機構があります。

誰でも、誰かに殺されそう、になったら、心の防衛機構を発動して、自分の心を崩壊から守ろうとします。

■ サディスティックなクライマーに囲まれていました…

このモードになると、まるで暗闇の迷路に閉じ込められたように、自分がどこにいるのか分からなくなります。

迷路の中では、過去のつらい出来事やトラウマが、

サディスティックな支配者

のように感じられ、自分の感情や状態が見えにくく、

 いつ誰に襲われるか分からない不安感

が強まります。

こういった極端な状態では、救

 世主のような存在を求めたり、他人を理想化

したりします。しかし、

 期待通りにならないと失望し、攻撃的になる

こともあります。

感情に対して防御の壁を築こうとすることもありますが、心が不安定なため、

 過去の感情に簡単に影響

されてしまいます。

それでも、迷路の中には

 心を守るサポートチーム

が存在し、その存在に気づくことで癒しを感じることがあります。

同時に、

 人との出会い

を通じて自分を理解し、成長し、癒され、自立する手助けができます。

■ 信頼していた人ほどサディストに見えていました

最初のサディストは、一緒に岸良に行ったY先生です。いや~、肉離れして立つのも痛いって人を霧島観光に連れ出そうとします?普通。

あの事件は、もうお年なので、認知症入っているときがあったので、それだと思いました。

次の事件は、人当たりの良いことで知られる熊本の会長さんです。

その方の会の人、みんな理解がおかしく、「スラブで流してあげるよ~」とかでした。スラブは最初からランナウトしていますので、流したら、大根おろしの時間が長くなるだけでしかもグランドフォールまでしそうです。

支点がリングボルト時代の常識を現代のボルトに当てはめている言葉のようでした。現代のロープはストレッチで衝撃吸収するんで、流すのは麻のロープの時代の話なんですよ。それ100年くらい前。

他にも、会長さんおすすめで登ったルートが下部核心の”愛は勝つ”とかで、謎だった。

初学者には、下部核心のルートを登らせてはいけないと相場が決まっている。初学者の定義には、そのグレードを初めてトライする人、も含まれる。

最後は、屋久島の40mランナウトのルートを登るように勧められていた…というので、これは全く気が付いていなかったが、

 この人がランナウト賛美の危険思想を広めている張本人

だったのだと気が付くことになった。

わたしはてっきり、私の語学力をあてにして海外に行きたいという前の師匠と同じことだと思っていたのだった。

三人目は、最後にパートナーを組んでいたA木さんです。彼は、うっかりなら許せるけど、そうではなく、

めんどくさ

っていうのから、2ピッチをつないでしまうタイプだった。しかも、25+35=60が計算できないみたいだった。

私は、まさか、私をピンチに陥れる才覚が彼にあるとは思っていなかったんだが…たしかにこの時も、清高さんに教わっていた技でピンチを切り抜けたんだが…まぁ2度目があると思うなよ、って感じだよなぁ。冷静に考えて。

■ その後

しかし、その後も雨やあられのように、トンデモ事例が私に降りかかった…

・3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいとか

・動くものに目印をつけてこれで良し!とか

・ナインも登れない男性初心者君が、もろいことで知られる根子岳登りたい!とか

なんかバカっぽいことで一喝される行為を誰も一喝しない‥

開拓者の人たちも、ちょっとどうか?みたいな人ばかりを紹介された。

日向神では、混乱を極めているし、私が落ちるの嫌がったルートは、すぐにリボルトになった。リボルトさせる根拠に利用されたっぽかった。

私を利用することでなんらかの岩場のメリットにつなげよう…という意図がものすごく強く透けてみえる状況だった。

■ 登山時計

九州で流れている登山時計は、40年前どころか、70年前みたいな感じ。

暗闇で迷子の私に、救世主になってくれそうな人が出てきたが…

25+35=60 を計算できないクライマーの愚痴を話したら、「40mロープを使うから問題ない」という返事で、登山時計がまたもや40年前。

この話は、別のベテランに相談したら、彼も、「は?」と思うらしかったので、私の感性が間違っているわけではなさそうだった。

どこを向いても、私をわざと殺そうとしているサディストみたいで、さらに極めつけは、クラックの開拓でイケイケのみんなのあこがれクライマーから

「〇〇さん(私)は、A木さんと登ったら」

と言われたのだった。いや、絶対にないです。

自分がめんどくさい、というだけのために、パートナーもろとも、死の危険に陥れる人と登りたいクライマーっています?いませんよね?

■ 誰がまともなクライマーなのか分からん…

というわけで、私の心理状態としては、

 誰がまともなクライマーなのか??????????

クエスションマークエンドレスリピートみたいな感じ。

これは

 切り分け力

が大事で、これができないと海外では登れないのである。海外クライマーは、日本より多様なので。切り分け力としては、より高度なのが要求される。

もちろん、落ちないところしか登らないという自衛手段は、いつでもあるんだが。

というわけで、

 ロープもグリグリも持ってこなかったコスタリカ人クライマー

は、確実明快なハズレ案件であり、この人を引かなかった、ということは、

  私の小さな成功体験

である。

その前に来た、ジム店長とかいう奴も同じ。分かっていないことを分かっていないクライマーだった。

もう、はっきり言いますが、

 自分の常識を持ち出して、人を生命の危険に陥れようとする人は、お断り

なんで、よろしくお願いします。

実際、壊れかけましたからね、私の体。体のほうも大事ですが、心が壊れたら、治すの大変なんですよ?



【コーチング】私に起こったことは女性クライマー育成の失敗

 


https://amzn.to/49jf7vl

■ 私に起こったことは、クライミング教育の失敗と言える。

男子は男子でも、一般にあまり教育レベルの高くなさそうな、若い男子にやるのと同じ教育を国立四大卒女子の私にしようとした結果の失敗、だと思う。

「ごたごた言わないで、いいから登れ。登ってれば、うまくなる」

「迷ったら、ハードプッシュ!」

「ランナウト? 男だろ?勇気を出せ」

「ロープワーク?俺、分かんね!」

「俺のカムで登れ!」

「次は〇〇スラブはいかがですか? 40m、支点はありません(どう?もえるっしょ!)

以上は女子には、”ただのバカっぽいクライミング”。

■ 違和感

「〇ちゃん、かっこいいよ~」 

が最初の違和感だった。このセリフでいきなり登れなくなった…(笑) 男性のみなさんに当然のように備えられているナルシズムは私には常備されておらず、今まで

 内発的に登っていた理由をはく奪

される結果となった。

「迷ったらハードプッシュ」

の標語も同じで、予備力のない女子が迷うたびにハードプッシュしていたら、すぐにパワーは枯渇する。私の正解は、

 「迷ったらムーブを探れ」

だ。

デカい壁ほど萌える、も女性にはない。デカさより、美しさ…。私が八ヶ岳に登り続けて遭難していないのは、ただ美しい山にひれ伏していたからで、男性のように、征服してやろうなんて思ったことは一ミリもない。

■ 自己卑下

私は大したクライマーじゃないが、それでも、かなり稀有な人材だと思う。

このリンクは、2023年の甲斐駒、甲斐駒黒戸尾根の遭難事例だ。ネットでは花谷さんのプロモーション動画しかヒットしないが、大事なことは遭難から学ぶこと。この学びが山岳救助関係者の間でしか、現在は共有されていない。

https://youtu.be/QTj21dsoHlQ?si=VGhEbghBzWyFlSei

この動画でも分かる通り、一朝一夕に厳冬期の黒戸尾根に行くべきではない。ほとんどの一般登山者は、山に、夏道と冬道がある、という知識自体が欠落した状態で、山に登っている。運が良い男性クライマーはその状態のまま、つまり一か八かの知識のまま、鹿島槍東尾根まで行ってしまう。

それは、雪の山を知るための講習をそもそも、受講しないでくるからだ。

40代高齢女性の私が甲斐駒へ一人で行ったからと言って、俺でも行けると思うほうが間違っているのだ。

ちなみに甲斐駒は、私が実践した山のなかで最も難しい尾根ではない。ほかに立山の真砂尾根、鹿島槍鎌尾根、アイスのルートで峰の松目沢、広河原沢第三ルンゼ、などがあります。

九州では、沢ですら、ボルトが打たれて、祝子川本谷ですら、ボルトルート化していますが、そんな残置ルート、上記のリストにはありませんから。しかも、沢でボルトルートになったってそのボルト腐食しますから、どこが安全になるんです??? 自作で支点を作成することを避ける怠惰の代わりに、安全を差し出している結果になっています。

■ 実力を直視できる人が勇気がある人

アイスの実績でも同じで、一応、国内コンペで5位まで登っています。

当時は、勝てると師匠は思っていたので、このコンペは私にとっては、師匠の願いをかなえてあげられなかった挫折の経験になりましたが。(別に自分は勝ち負けはどうでもいいタイプですし、これ結果が出る前から師匠のモノサシのほうが古くなっているのではないか?と思っていました。私のほうが若い人と登る経験があったので)

もちろん、国内のトップアスリートの、UIAAのアイスコンペを見ていて、みんなすごいな~と思って憧れますが…。特に石原幸江さんは私のあこがれです。

一方、私の相方は、アイスに限らず、スポーツ壁であったとしても、コンペ自体に出ておらず、自分の実力を直視することが嫌だったんだろうと思いました。それでエイドで登った記録をロクスノに上げました。この現代クライミングの時代に…。時代錯誤も甚だしく、それは九州に来て発現した。彼は、山梨でさんざんすごいクライマーを見てきているのにも関わらず、九州にいれば、同じになってしまう、それだけ、九州勢の自分らはあっている!と言う気持ちが強固だということです。5.9で威張っているくらいだから。

しかし、コンペに出て自分の実力を見ようとする人と、そうでない人。

どちらが勇気がある人ですかね? 

九州でアイス登っているクライマーは、井の中の蛙となっている可能性が高いので、岩根コンペに出たらいいのではないか?と思います。アイスキャンディフェスではだめです。

岩根コンペで繰り広げられる、遠征の報告などを聞くと、現代アイスクライミングのレベル感が、日本登山体系が書かれた50年前とは全く異なる様相であることが分かると思います。

■ 登山体系が古くなりすぎている

日本登山体系自体が、古くなりすぎているので、改訂すべきです。

載っていないすごい記録が多すぎます。

例えば、ユースケさんのスーパー赤蜘蛛とか、米国に先駆けたエポックメイキングな登攀なのに載っていませんよね?

■ 女性クライマーの育成失敗

男性の指導者では、俺がやったのと同じことをさせようとするだけなので、結局、指導者と指導される側が入れ替わって、私が、その指導者のしりぬぐいをする、という、立場逆転のことが起こるようになった。

これは女性アスリート育成で、コーチングの失敗と位置付けることができる。

それがそのまま、私の挫折経験となった。

この知見を今後まとめていきたいと思っている。